Saint Guardians

Scene 12 Act3-3 陰謀-Conspiracy- 絡み合う策略、深夜の交流

written by Moonstone

 翌朝。イアソンを除くパーティー全員が揃っての朝食の席で、ドルフィンの指名を待たずしてリーナが口火を切る。会議の類でも自分に利害が及ばなければ基本的に無関心か傍観者に徹するリーナが、自ら発言するのは極めて珍しい。

「昨夜、イアソンから情報が入った。1つは、問題の病はマタラ内相の思惑とは別の意志が絡んでいるらしいってこと。ザギがどっちに加担してるか−マタラ内相か問題の病かは不明だけど、マタラ内相は病の蔓延を利用してるらしいって。」
「マタラ内相とザギの意図せぬ共闘関係か…。はた迷惑な話だ。」
「もう1つ。先住民族は全滅してなくて、今のところ攻撃の意志がないらしい。あたし達が調合・配給した薬剤の恩恵がないのに全滅してないってことは、あたし達の医療水準に匹敵する第3の勢力の存在が考えられるって。」
「先住民族が生存してるなら、その確率は高いな…。」
「それで、イアソンからドルフィンに依頼の伝言。先住民族に接触して、タリア=クスカ王国への攻撃をさせないように要請して、って。」

 話し終えたリーナは料理に手を付けながら、ドルフィンの様子を窺う。その視線は従来の傍観的なものではなく、要請の色が強い。
 隙を突いて城内に潜入したは良いが、警備が厳重な四方八方敵だらけの状況に自ら飛び込んだ格好になったイアソンに、城から脱出して先住民族と接触しろというのは無茶でしかない。ドルフィンに頼んでおくとイアソンに言った手前、ドルフィンに申し出が却下されたから何とかしろと言い辛い、という考えもある。しかし、今のリーナはそれだけではない。

「三つ巴の争いになったら最悪だ。先住民族の動向を早めに把握して、少なくとも敵対することは避けないといけない。」
「じゃあ…!」
「問題は、どうやって先住民族の居住エリアを見つけるか、だ。」

 先住民族の居住エリアはジャングルの中。ジャングルはタリア=クスカ王国の国土の2/3を占める。現在のように衛星写真やGPSなどない世界だし、それらがあっても、空を覆い尽くすように木が生い茂り、昼でも薄暗いジャングルの中から、1つの町程度の広さがあるかどうかも分からない先住民族の居住エリアを探し当てるのは至難の業だ。その上、高温多湿で足場も悪いジャングルは存在自体が強力なトラップと言っても過言ではない。
 しかも、そのどこに先住民族が居るか分からない。偶然の遭遇で戦闘になったらドルフィンが勝利するのは間違いないが、それがきっかけになって先住民族と敵対することになる恐れがある。
 先住民族側も、長年の王国との抗争で、外部の存在に神経を尖らせていることは容易に想像できる。偶然の遭遇が共闘関係、そこまで至らずとも不戦条約締結に至るとは考え難い。最低限、先住民族の居住エリアの位置を絞り込んでおく必要があるが、それが出来るくらいなら先住民族と早々に接触して、ザギがどちらかに関与している確率が高いマタラ内相一派や謎の病の根絶に乗り出せる。

「調査隊を編成するにしても、人手がねぇ…。」
「ジャングルを長期間、食料を現地調達してでも踏破できる体力と生存力があるのは、俺くらいだろう。」

 シーナのぼやきに対するドルフィンの回答は、決して驕りではないと誰もが思う。
 ドルフィンなら単独で先住民族の居住エリアを捜索できるが、戦闘力が非常に高いが故に、先住民族との遭遇時に戦闘に陥ったら結果的に殺害してしまう恐れが強い。そうなったら、先住民族はまず間違いなくドルフィンを、ひいてはパーティー全員に敵対することになる。
 先住民族との敵対は望んでいないし、先住民族と敵対すれば、皮肉にもジャングルに最も近い首都キリカが戦火に飲みこまれる恐れが強い。そうなったら、その真っ只中に居るイアソンが危険に晒される。パーティーの目的の根幹は聖地ハルガンの異常の調査だ。無暗に戦闘を展開したり、ましてや敵対勢力を増やすことではない。
 では、ドルフィンが単身先住民族の居住エリア捜索に乗り出せば良いかと言えばそうではない。パーティーが拠点としているバシンゲンの町は、シーナの強力な結界と複数のゴーレムで常時防衛している。殆どの攻撃や魔法を防げるが、クルーシァの軍勢に攻め込まれる恐れがないとは言えない。
 赤道を越え、クルーシァにより近づいた今は、パーティーの妨害や撃退を目的にクルーシァが攻撃に乗り出して来る確率は高まっている。その時、物理攻撃に長けたドルフィンが居るのと居ないのとでは、シーナの負担が大きく変わる。強力な結界を維持しつつクルーシァの軍勢を退けるレベルの強力な魔法を使うのは、Wizardのシーナでもそれなりの負担だ。それが入れ替わり立ち替わりとなれば無事で居られる保証はない。
 また、ドルフィンはパーティーの事実上のリーダーとしての存在感が強いことも見逃せない。
 パーティーはアレンを巡ってルイとフィリアが激しく対立し、フィリアはリーナといがみ合っている。最近ではイアソンに対してリーナが葛藤する一方で、クリスが台頭しつつある。人間関係の火種が複数存在する危険な状況を統制しているのは、爆弾になる確率が高いフィリアとリーナが揃って敬愛するドルフィンだ。
 ドルフィンが一時でも長期間不在になれば、フィリアとリーナへの抑えが利き難くなる。パーティーが一丸となって難局を乗り切らなければならない状況で、パーティーが内戦を起こしては話にならない。
 だが、先住民族との接触を目的にジャングルに踏み込むなら、イアソン不在の現在ではドルフィンしか適任者がいないのも事実だ。潜伏・暗躍している確率が高いザギは、曲がりなりにもセイント・ガーディアンの1人。全てがトラップと言える地の利を生かして、踏み込んできたパーティーに攻撃を仕掛けて来ても不思議ではない。その際、不意の遭遇でも十分渡り合えるのはドルフィンだけだ。
 やはりベストの解は先住民族の居住エリアがある位置を絞り込んだ上で、ドルフィンが接触を図ることだが、大前提である居住エリアの絞り込みの見通しが立たない。聖職者や住民に聞いても無理だろう。場所が知られていれば、マタラ内相率いるタリア=クスカ王国の軍隊が攻め込むだろうし、そうなったら先住民族も居住エリアを変えるだろう。

「…そう言えば…、シーナさんって、賢者の石に魔力を当てて捜索範囲を大幅に拡大することに成功した、って研究結果を発表してましたよね?」
「よく憶えてるわね。カルーダの魔術大学で…!」

 アレンのふとした記憶の発掘で、事情を知らないクリスとルイ以外の面々がはっとしたような顔をする。
 ランディブルド王国渡航前に、学長の依頼を受けてシーナが実施した、魔法探査の画期的な改良に関する特別講義。それを今まさに活用できるのではないかと思いつくのはごく自然だ。
 クリスとルイにはアレンが概要を説明する。魔法探査そのものは知らなくても、賢者の石は聖職者の存在を通じて普遍的な知識の範疇に入る。ルイは聖職者だから賢者の石を填め込んで久しい。手に填め込めば魔法が使えるようになる、という程度の認識だった賢者の石にそのような作用があること、その賢者の石に魔力を照射することで大幅に機能が拡張・改善されるというのは、クリスとルイにも驚きとして捉えられる。

「はーっ、賢者の石でそないなことが出来るんかー。直接行かんと24)そこにあるものが分かるってだけでも便利やと思うわー。」
「聖職者では、そのような使い方は聞いたことがないですね。魔術師との文化の違いを感じます。」

 クリスとルイは聖職者と衛魔術が普遍的で社会的地位も高い文化で生まれ育った。衛魔術は魔術師のように所謂「便利屋」的業務は行わないため、魔法探査の概念がない。魔術師が事実上全員入会する国際魔術学会とその本部が置かれるカルーダ王国と、性質上衛魔術の本家と言えるキャミール教の総本山であるハルガンとの間に国交や航路はない。「力魔術と衛魔術は源泉を同じくするが異なるもの」という事実でもある認識が、疎遠という関係を構築して久しい。
 魔力の作用のさせ方が異なるだけで魔法という括りでは同じであり、賢者の石を手に填め込んでいる以上は、聖職者も魔法探査が十分可能だ。異なる文化の存在を認め、交流することでより魔法が発展し、研究も進展するのではないか、とイアソンやシーナは思う。

「魔法探査で先住民族の居住エリアを絞り込んだとして、接触や交渉は誰がするの?」
「道中の危険を考えれば、やはり俺が適任だろう。」

 リーナの問いにドルフィンが答える。
 魔法探査で目標地点を絞り込んでも、遠隔の対象にその場に行かずとも対話が出来る技術や魔法はない。交渉は親書という手段もあるにはあるが、基本はやはり直接の対面と対話だ。如何に技術が発展して地球の裏側の相手とリアルタイムで会話できるようになっても、相手の表情の微妙な変化、口調の微妙な抑揚や、その裏にある感情の微妙な色合いなど、やはり直接の対話でこそ感じ取れるものは多々ある。ある程度共通の知見がある同業者ならまだしも、今回はそういったものがない、それどころか敵対する恐れすらある先住民族が対象だ。
 こちらに敵意がないこと、マタラ内相一派やザギの思惑に嵌らないための交渉であることなど、相手に伝えなければならないことは多い。それらを滞りなく伝え、事実上の不戦条約を締結するには、ドルフィンの存在感が不可欠だ。
 交渉事には誠実さだけではなく、気迫や押しの強さ、威厳や風格といったものも必要だ。男手のアレンはその点で不利だ。シーナは町の防衛から外せないし、他の女性陣は明らかに力不足。消去法でもドルフィンしか残らない。

「場所が絞り込めればそれほど時間はかからんだろう。…アレン。」
「な、何?」
「料理担当の合間に、シーナに魔法を教えてもらえ。」

 ドルフィンから唐突に、しかし今後を見据えると必要不可欠な方向性が出される。

「地道なトレーニングの成果で、体力や持ち前の敏捷性は目に見えて強化されている。だが、この先ザギやクルーシァとやり合うには、どうしても魔力の増強が必要だ。魔力の増強には、魔法の使用経験を増やし、精神の集中を速く強くする訓練を積んで、称号を上げること。更に強力な魔法を覚えてその経験を増やす。この繰り返しが唯一の道だ。」

 魔力とは集中力の高さと闘争心の制御の度合いである。高度な魔法になるほど集中が少しでも乱れれば制御が乱れ、最悪術者に危害が及ぶ。闘争心が高くとも制御が不十分だと、魔力を作用する際に暴走し、やはり術者に危害が及ぶ。高度な魔法では周囲の人、ひいては周辺環境にも悪影響が及ぶ恐れもある。時に強力すぎる魔法が禁呪文とされて使用禁止になるのは、称号と得られる効果があまりにも不均衡な場合も理由となる。
 このように、魔法、特に力魔術はともすれば力が弱い者が使う遠距離攻撃武器と見なされやすいが、実際は自らの精神を精密かつ迅速に制御して展開する高度な武器である。高度な魔法をいきなり使えることはまずあり得ない。包丁も碌に持ったことがない初心者にいきなりハンバーグ−簡単に思われがちだが理想的に作るのはかなり難しい料理の1つ−を作れと言ってもまず作れないように、最初は野菜の切り方やタネの練り方、火加減の調節など料理の基礎を別の簡単な料理で習得することが王道かつ最短の道だ。
 更に、レシピに従って段取りを踏んで作り、複数の料理を作るなら空いた調理器具を手早く洗い、別の料理に配分するなど、複数の処理をこなすことも体得する必要がある。料理が不得手な人は、大抵レシピを無視・軽視して独自の味に執着する。タネをフライパンにかけてからみじん切りにした玉ねぎを混ぜ込むのが不可能なように、料理の味を形成するには必要な段取りを踏まなければならない。お手軽に思われがちな菓子類ではそれがより顕著だ。
 魔法の習得も、まず簡単なものを対象に集中を素早く−のんびりしていると敵に攻撃される−確実に行い、闘争心を「相手に攻撃する」という目的に絞り込み、呪文を間違いなく詠唱するひととおりの手順を学び体得することで、より高度な魔法を使えるステップが出来上がる。

「やっぱり…その方法しかないんだよね。考えてたんだ。一刻も早く魔力を増やせないかって。」
「どうしてだ?」
「今更だけど気付いたんだ。魔力が低いと結界も弱いって。」

 魔術師や聖職者なら基礎魔法学25)の知識で、そうでなくても体感や経験で分かることだが、魔力、つまりは魔術師や聖職者の称号と結界の強度は比例関係にある。称号が高ければ結界の強度は強まるし、逆も然り。
 リーナが目撃した深夜のアレンとルイとの語らいで、ルイが張り巡らせる結界に話が及んだ。試しにアレンが結界を張ったところ、少し強力な魔法の攻撃を受けると簡単に破れる、とルイが所見を述べた。特別な愛情を抱くルイの率直な意見は、アレンにとって衝撃であり、無意識に先送りしていた自分の重大な課題に初めて正面から向き合う契機となった。
 アレンはフィリアと同時に村の魔術学校に入学したが、ひたすら呪文の暗記という学習方法に嫌気がさして逃げ出すように中退してしまって以来、魔法と無縁な生活が長く続いた。ドルフィンと出逢ってから召喚魔法を複数得たが、ランディブルド王国におけるザギの衛士(センチネル)との戦闘時では、魔力が低いがために召喚魔法本来の力を出せない事態に直面した。
 あの時はルイが尋常ならぬ魔力でアレンを守り、ドルフィンが一蹴した。しかし、次も同様のパターンになるとは限らない、否、なると思う方がおかしい。
 オーディンは自身の能力が高く、グングニルが非常に強力なため、通常だと従えるのがなかなか難しい。そんな貴重な召喚魔法を手にしていても、現状では宝の持ち腐れに近い。魔力の増強に近道がない以上、やはり魔法の使用経験を積んで称号を上げ、魔力の増強を図るしかない。ザギ、ひいてはクルーシァとの闘いに「待った」が使える筈もないのだから。

「嫌いだからとか苦手だからとか、そんな理由で先送りして来た。けど…、それも何れ通用しなくなる。通用しなくて絶望する事態に陥る前に、魔力が低いっていう根本的な課題に向き合わないといけない。今更だけど、そう思ったんだ。」
「それだけ理解できてりゃ話は早い。シーナの講義レベルはカルーダの魔術大学の折り紙つきだ。しっかり学べ。そして強くなれ。」
「うん。絶対に強くなる。」

 このやり取りで、ドルフィン不在中のアレンの重要課題が決まった。長くないやり取りの中で、フィリアはまったく自分が介入する余地を見出せず、呆然とする。
 アレンの横顔からは、強い意志と共に、その背景にある唯一の存在を感じた。これまで自分が何度勧めても苦手だとか必要性を感じないとか理由を並べて徹底的に回避していた魔術を、アレンが自ら学ぼうとする姿勢を前面に打ち出したのは、ルイを守るため。この一点なのは明白だ。
 もはや自分が何を言おうと何をしようと、アレンの心に届き響くことはないのか?そう思うとフィリアは絶望的な気持ちに苛まれ、唇を噛む…。

「…解析完了。」

 頂点に達した太陽が強い日差しを浴びながらの魔法探査を終え、シーナは深い溜息を吐く。そして地図に最後の円を書き込む。大小複数の円が記入されたタリア=クスカ王国の地図は、これまで不明だった貴重な情報や示唆に富むものになった。

「お待たせー。」
「お疲れ様です。どうぞ。」
「わざわざありがとう。」

 食堂にシーナが戻って来ると、フィリアが水を湛えたコップを手渡す。
 広大なジャングルに国土の約2/3を覆われるタリア=クスカ王国全域の魔法探査は、シーナの魔力で魔法探査をして4ジムを要した。理論では遠距離かつ放射状の探査も可能だと提唱できていたが、実証の機会はなかった。実証となると様々な条件を挙げて、それら全てで行う必要がある。理論と一致しない実証結果は何故生じたかの検証も必要だ。
 シーナの魔法探査はそういった実証試験も含めたものだったため、より時間がかかった。その間シーナは強い日差しを浴び続けていたが、汗こそかなりかいているものの疲労の色はさほど感じさせない。たおやかな外見からは想像し辛いが、シーナの体力はかなり高いことが窺える。

「先住民の居住エリアは恐らく…この辺り。1か所だけじゃなくて、大小複数の集落が近隣にあるって感じね。」

 シーナはテーブルの中央に地図を広げて、タリア=クスカ王国の国土の中央寄りやや北寄り、首都キリカから南東、パーティーが滞在するバシンゲンから北東の位置にある複数の円を指す。

「バシンゲンは此処だから…、かなり距離があるわね。大凡…600キームってところかしら。」
「うわっ、えらい遠いですねー。」
「距離もさることながら、バシンゲンから直線移動だと、問題のカーンの墓のかなり近いところを通ることになるのよ。」
「多少の危険やロスは覚悟で、迂回するしかないな。万が一にも病を罹患したら話にならない。」

 遠距離、しかも道らしいものを探すのが難しいジャングルを出来るだけ踏破して目的地にたどり着くには、直線移動が望ましい。ジャングルは昼でも薄暗いほど日差しが地表に届き難く、容易に方向感覚を失わせる。ドルフィンなら遭遇した魔物を一蹴するなどほぼ造作もないが、謎の病が相手となれば話は別だ。
 結界には外気にある毒などの害を遮断するフィルタ効果があるが、謎の病に有効であることの確証はない。病が一度変異し、しかも魔法効果らしいことからして、結界を無効化するように更に変異している恐れもある。
 バシンゲンの町ではパーティーが避難して来て以来、謎の病を罹患する人は出ていない。病の原因がパーティーでないという事実が早期に浸透したのに併せて、病の源泉がカーンの墓近辺にあるという事実も共通の認識となったからだ。その分、パーティーは病の変異などの情報を得ていない。
 ドルフィンは攻撃も防御も体力も抜きんでて高いが、生身の人間であることには違いない。負傷もすれば病も侵される危険もある。どの程度距離を置いて迂回すべきかの判断は非常に難しい。

「迂回するんが大変なら、空から近づいて魔法か何かで急降下するとかどうですか?」
「あんたねぇ…。幾らドルフィンでも空から飛び降りたらただじゃ済まないわよ?」
「…否、出来るだけ地表に近いところでフライの魔法を発動すれば良い。距離や時間の短縮は勿論、魔法などで捕捉される危険もかなり減らせる。」

 一見自殺教唆のようなクリスの提案は、我々の世界における空挺部隊の進攻方法だ。
 空はワイバーンあたりを使えば障害物がない分容易かつ高速で移動できるが、魔法で捕捉される危険はある。Illusionistのドルフィンなら大半の魔法から身を守れるし、逆に魔法反応を利用して攻撃位置を特定或いは絞り込むことも出来る。

「陸路でも空路でも、移動は夜が最も安全そうね。」
「それだけは間違いなさそうだ。困ったもんだ。」

 言葉では諦観が窺えるが、口調はおどけているようですらある。自身の強さに自信があり、しかもその裏付けに不自由しないドルフィンならではだ。微妙な立ち位置のパーティーが三つ巴の争いに巻き込まれる前に先住民族と不戦条約を締結できる度量があるのは、やはりドルフィンだけだ。
 アレンは地道なトレーニングが奏功して体力と持ち前の敏捷性は確かに強化できたが、遠くドルフィンには及ばない事実を強く認識している。ザギを倒して父ジルムを救出するため、そして何よりルイを守るため、アレンは魔力増強に向けての決意を強める…。
 その日の夜、ドルフィンはパーティーと聖職者の見送りを受けて出発した。
 街灯がないこの世界において、月明かりは夜間における強力な外界の灯り。ドルフィンは月が西の空に沈んだ時刻、この日は深夜にワイバーンを召喚して飛び立った。ワイバーンが星空に消えるまで見送ったパーティーは、それぞれの部屋に戻って改めて床に就く。
 再び館内が夜の静寂に包まれた頃、パーティーが滞在する部屋のドアが2つ、音を立てないように開く。出て来た2人はアレンとルイ。開けた時と同じく音を立てないようにドアを閉め、通用口に近いところに部屋があるルイの手をアレンが取って外に出る。
 24時間営業はおろか深夜営業もないこの世界。夜のバシンゲンの町は星空の下、時折吹き抜ける風が織り成す木々のざわめき程度の環境音のみの静寂に包まれ、夜明けを待っている。

「シーナさんからの最初の力魔術学習、どうでしたか?」
「俺が本当に魔法初心者だってことを何度も思い知らされたよ。」

 リーナが2人の熱愛の場面を目撃した−見せつけられたと言うべきかもしれない−倉庫に来た2人は、シーナによる力魔術講義と演習を話題に上げる。
 講義と演習は、夕食を終えて直ぐ始まった。急遽決まったことだからテキストなどないし、黒板もない。だが、シーナは教会から提供を受けた紙と羽ペンをアレンに渡し、今から言うことを忠実に記録するように言ってから講義を始めた。
 講義は力魔術の体系に始まり、呪文の構成、魔法の発動のメカニズムといった力魔術の基礎中の基礎だったが、3日で村の魔術学校を中退したアレンには、初めて耳にすることが殆どだった。その魔術学校の講義は「呪文を覚えておかないと使えない」という講師の方針か、呪文の暗記に徹していた。それが苦痛に感じられてならなかったアレンは、力魔術が単なる呪文の寄せ集めではなく、長年の研究と実践の蓄積によって体系化されたものだと知って衝撃を受けた。呪文も魔法発動まで明確に関連付けられたもので、一字一句正確に詠唱しないと発動できないばかりか術者に危険が及んだり、周囲に甚大な被害を与えるものだとアレンは初めて知った。
 その呪文をいかに正確かつ速く詠唱し、精神を集中するかが力魔術行使の鍵となる。
 シーナは此処まで説明した後、アレンにファイアボール26)の呪文を書いて渡し、屋外に出ての演習へと移した。
 ファイアボールは力魔術火系の魔術では最弱であり、アレンのようなNovice Wizardでも使える。しかし、そんな弱くて簡単な魔法でも力魔術のポイント、すなわち魔法の発動まで関連付けられた構成の呪文があり、威力は魔力、すなわち称号に比例する。シーナはこう説明してアレンに使用を促した。
 アレンは此処で重大な事実に気付いた。そんな簡単な魔法と言えど、呪文を知らなければ使用できないのだ、と。
 ドルフィンやシーナ、そこまで及ばなくてもフィリアのように一定以上称号を上げれば、呪文を詠唱しなくても魔法が使用できるようになる。しかし、Novice Wizardであるアレンにはそんな便利な選択肢はない。アレンは紙に書かれた呪文を間違えないように注意深く詠唱し、ようやくファイアボールを発動できた。

講義は座学。演習は実践。そういう違いはあるけど、どちらも力魔術を形作る重要なポイントよ。
簡単な魔法だから、って軽視する向きすらあるけど、それすら今のアレン君だと呪文を全て正確に詠唱しないと使えない。
ファイアボールを速く発動するには、自然と口に出るまで頭に入れて、精神集中を速める。理論はただそれだけだけど、実践は意外と難しいものなの。
アレン君の最初の訓練の目標は、そのファイアボールを使いこなせるようになること。それだけ考えてノートを読み返して、実践してみて。

 まさに「言うは易し、行うは難し」。呪文を読み違えそうになったり、発動したファイアボールの制御を忘れて隣接する森に突っ込ませたりとトラブルが続出した。しかも、そうまでして発動したファイアボールは1個ずつの30個が限度。魔力が尽きて発動できなくなったのだ。

1個ずつの30個のファイアボール。それが今のアレン君の魔力の総量。
力魔術の性質上、魔力は突発的かつ一時的に増えることはあるけど、基本的には個人の資質と称号によって厳密に定まるものなの。
その魔力を増やすには、まずファイアボールを速く、確実に発動して、自由に制御できるまで訓練すること。それでInitiate27)にはなれるから。
それだけで?って思ったでしょ。称号の上昇は、呪文を幾つ覚えたかじゃなくて、魔法を使えるだけの魔力を備えたかどうかで決まるのよ。

 シーナを講師とした実質的に初めての力魔術の講義と演習は、アレンがいかに力魔術、ひいては魔法について無知であったかを嫌と言うほど思い知らされた。しかし、魔力上昇に向けて明確な道筋が見えた。
 闇雲に呪文を丸暗記するのではなく、1つでも現在の称号で使える魔法を使いこなし、十分な集中を素早く行えるようになること。
 それが魔力を高める重要なステップであり、称号が増えればそれだけ多くの集中を必要とする、すなわち魔力を必要とすること。
 その繰り返しで称号を高め、より強力な魔法を行使できるようになり、結界も強力になること。
 道筋が明確になったのなら、それを邁進するだけだ。来たるべきザギとの決戦に向けて少しでも魔力を高め、オーディンを何度も繰り出せるほどの称号にしなければならない。その強い動機が、アレンに正面から魔法に向き合い、取り組む決意をさせたのだから。

「自分が魔法について何も知らなかったことが分かった。だから、徹底的に知って魔力を高めるよ。無知を嘆くだけじゃ何も変わらないからね。」
「アレンさんなら必ず魔力も強くなれますよ。私はそう確信しています。」
「嬉しいな…。ルイさんにこんなに信頼してもらってるなんて…。」
「誠実なアレンさんが好きだから、信頼してるんです。今までもそうでしたし、これからもずっと…。」

 アレンがシーナの講義と演習を受けている間、ルイは礼拝堂で聖水を精製していた。「アレンが気にならないの?」とフィリアに嫌みの籠った話を向けられたが、アレンの集中を阻害しないことも彼女としての務めだ、と退けた。彼女という言葉がルイから出たことにフィリアは表情を強張らせたが、ルイは構わず聖水精製に意識を戻した。
 アレンが魔法の習得と魔力の上昇に取り組み始めた動機は、自分を守るためだと感じた。その動機が嬉しく有り難かったルイは、せめて集中を阻害しないように終わるまで聖水精製を行うことにした。
 アレンが自分のために苦手なことを克服しようとしているのだから、自分がその足手纏いや足を引っ張ることになってはいけない。ルイとてアレンが心配でならなかったが、アレンを信じて敢えて別行動を執った。それくらい出来なくてアレンの彼女を名乗る資格はない。ルイはそう思っている。

「アレンさんの気持ちを挫くつもりは毛頭ないことは、先に断っておきます。…私も結界を使えますし、いざとなればアレンさんを守ることも出来ます。私は、自分の中でかつてないほど魔力が高まっているのを感じています。ですから、アレンさんは自分を高めることだけ考えてください。」
「俺が魔力を高めれば、強い魔法や召喚魔法を使えるし、強い結界を張れる。ルイさん頼りにならないために魔法に取り組むんだ。ザギを俺1人で倒さなきゃならないって決まりはない。ルイさんと協力して倒すことも選択肢には入れてる。ただ、それが大前提にならないように、ね。」
「勿論、私は協力を惜しみません。力を合わせましょう。…2人で。」
「うん。」

 アレンとルイはどちらからともなく両手を広げ、強く抱き合う。何よりも大切に想う相手が居るから、時には不得手の克服に励み、時には座して待つ。アレンの父ジルムの救出はザギを倒すことなくしてあり得ない。そのために手を取り合い、助け合う。
 アレンとルイの互いの心に占める大きさと深さは、もはや何者も入りこむ余地のない強固な絆となって2人を結わえ、共に歩む決意を強めさせる…。
 同じ頃、再び床に就いて眠りに落ちるのを待っていたリーナの耳に、イアソンからの通信が飛び込んできた。

「リーナ。…聞こえるか?」
「イアソン。ちょっと待って。」

 リーナは身体を起こし、横になったことで少し乱れた自慢の黒髪を手櫛で軽く整える。

「今日っていうかさっき、ドルフィンが先住民族と交渉するために出発したわよ。」
「流石に行動が早いな。それにしても場所はどうやって目星を付けたんだ?」
「シーナさんの魔法探査よ。イアソンも聞いた筈よ?」
「ああ、勿論覚えてる。こういう場面で実証の機会が出来るとは、何とも皮肉だが。」
「ドルフィンが行けば先住民族との交渉は大丈夫。言うこと聞かないなら軍に虐殺される前に殺されるだけだし。で、そっちはどうなの?」
「かなり混沌として来ている。やはりマタラ内相が一連の事態を利用して軍を動かすことで、王国における発言力や影響力といったものを強めようとしているのは間違いない。一方で、マタラ内相への不満が人民を中心に高まっている。例の病への強力な対処をした異国からの訪問者、つまり俺達に濡れ衣を着せて追放したことへの疑問や憤りが背景にある。」
「あたし達を追放した後デマを流したけど、そう思うように浸透しなかったってことね。」
「そうだ。病が流行して何ら対策が取られない状況なら効果はあったかもしれないが、総出で薬草を手配したり、調合して全国各地に配給したり、変異した後もディスペルの教授をしたりと手を尽くしてきた。その後で取ってつけたようにデマを流したところで、普通の頭を持っていればそれはおかしい、となるだろう。俺達がしてきたことは、決して無駄じゃなかったわけだ。」

 マタラは自身の野望遂行の障害になるパーティーを襲撃させ、船を沈めた。その後パーティーに国家転覆のテロ容疑の濡れ衣を着せるデマを全国に流布したが、いかんせん状況が悪かった。
 パーティーが病の対処に尽力し、南端のバシンゲンの町まで及ぶほどパーティー、特に薬剤を配送・配給するため全国を奔走したアレンとルイの顔と功績が広く深く認知された状況下では、パーティーが実は国家転覆のテロを仕掛けていたとデマを流しても、信じる方が難しい。却って、「何故自分達を救ってくれた異国からの訪問者を追放したのだ」と主導したマタラや夜間に襲撃した軍に対する怒りや不信感を募らせることになってしまった。
 リルバン家における抗争ではザギとその衛士(センチネル)に入れ知恵され、巧みに利用されたホークと比較すると、策略面ではかなり粗雑に映る。

「俺が居る首都キリカは、先の自作自演の爆破以降に敷かれた厳戒態勢の影響で、そういった不満は表に出て来ない。表に出したら投獄されるからな。だが、他の町はそうはいかない。カーンの墓への出入りが制限されていないせいで、今も病を罹患する人民は居るが、ディスペル以外の手段である有効な薬剤の配給が大幅に鈍ったらしい。どうしてあんな効き目の強い薬剤を無償で配給していた人達が国家転覆のテロを仕掛けると言えるのか、と兵士が詰め寄られることも頻発しているそうだ。」
「マタラは権力欲しさか、単純にあたし達が邪魔だったのか、どちらにせよことを急ぎ過ぎたみたいね。変な言い方だけど、ザギが背後に居るとしたらあまりにもお粗末。」
「俺も同じ見解だ。何れにせよ、マタラ内相は自分の状況が悪化していることに、かなり焦っているようだ。国王はマタラ内相に事情の説明と病への抜本的な対処を求める意向だと言うし、先住民族は先の爆破事件−あの事件は自作自演だから語弊があるが、それ以降も何ら攻撃してこない。先住民族の攻撃から首都や国家を防衛するという、マタラ内相が軍を動かす大義名分がどんどん崩壊している。だから、窮鼠猫を噛むじゃないが、次の自作自演を展開する恐れがある。」
「もう1回王城を爆破してでも、先住民族への先制攻撃に踏み出すとか?」
「そのとおりだ。そうなったら、先住民族も黙ってはいないだろう。事実上停戦状態にある王国と先住民族が再び抗争を再燃すれば、マタラ内相の方に風向きが有利になる。」

 マタラが軍を動かす大義名分は、国家の安寧を脅かす先住民族からの防衛だ。しかし、長年の泥沼の抗争で国民の間に厭戦機運が広がり、先住民族にも謎の病が蔓延したためか事実上の停戦状態に移行した。久しぶりの平穏を破るかのように王城爆破事件が勃発したものの、それ以来先住民族からの攻撃はない。
 そもそも同じくカーンの墓への墓参を欠かさない先住民族も謎の病に罹患したと考えるのが自然だし、パーティー発の薬剤やディスペルの教授がない以上、王城爆破に向ける戦力もないと考えるのが自然。となれば、王城爆破で俄かに活性化したマタラ内相を筆頭とする軍に疑惑の目が向けられるのは必然だ。
 掲げた大義名分が崩れ、自身の立場が危うくなった強権指向者が打つ手段は、先制攻撃による大義名分の復活だ。
 ブッシュ米大統領がイラクに国際法違反の先制攻撃を仕掛けたのは、イラクが大量破壊兵器を保有していて、世界平和が危ないという大義名分があった。しかし、イラクは国連の調査団の報告でも大量破壊兵器は存在しないと結論付けられていた。
 実際のところ、当時のアメリカはカリフォルニア州などで大規模停電が発生するなど深刻な原油不足に陥っていて、その背景には新米保守二大政党から政権交代したOPECの有料産油国でもあるベネズエラが、アメリカ言いなりから脱却を始めたことにある。
 アメリカ資本の巨大石油産業が牛耳っていたベネズエラの原油産出がベネズエラの国有化によって安価な原油供給が出来なくなり、超大国という触れ込みからはあるまじき大都市の長時間停電に陥るほどの原油不足に至った。
 そしてブッシュ米大統領の地元は、石油産業が盛んな南部テキサス州。宗教間対立を深刻化させ、隣国シリアを泥沼の内戦に叩きこみ、巨大なテロ集団を跋扈させる要因となったイラク侵略戦争の実態は、石油産業の圧力と民間軍事産業の本格参入による軍業務の肩代わりを狙う軍部の意向を受けた、世界の超大国を掲げるブッシュ米大統領の大義名分のテコ入れだったのだ。
 イラク侵略戦争が国際法違反の先制攻撃であることが明らかになっても、未だにアメリカの判断に間違いはなかったと白を切る自民・公明政権は、白痴としか言いようがない。

「ドルフィン殿の交渉が締結されるのを期待しているが、それまでマタラ内相が動かないという保証はない。ちょっと行動を開始する。」
「破壊工作でもする気?」
「それだとマタラ内相の思う壺だ。撹乱や陽動は実力行使以外の方が多い。リーナはドルフィン殿からの連絡を待って、適時俺に伝えてくれ。」
「分かった。…せいぜい気を付けなさい。あんたが今敵のど真ん中に居ることを忘れないことね。」
「ありがたい忠告だ。肝に銘じておく。名残惜しいがお休み。」
「…お休み。」

 通信を終えたリーナは複雑な表情で溜息を吐き、ベッドに身体を横たえる。目を閉じても表情以上に複雑な心境は収束しそうにない…。

用語解説 −Explanation of terms−

24)行かんと:「行かなくても」と同じ。方言の1つ。

25)基礎魔法学:魔術学校で最初に受ける講義の1つ。魔法の概念や結界の効力、称号と魔力の関係など、力魔術の基礎を網羅した学問。

26)ファイアボール:本文にあるとおり、火系の魔法では最も簡単なもの。Novice Wizardから使用可能で、力魔術初心者の多くが最初に取得に向かう魔法の1つ。扱いやすく、称号の上昇によって連射できる数と威力が変わる。

27)Initiate:魔術師の下から2番目の称号。これでもNovice Wizardより魔力や魔法の威力が上昇する。魔術学校では通常ひと月〜3カ月程度で得られる称号とされる。

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