Saint Guardians

Scene 12 Act3-2 陰謀-Conspiracy- 心と事態の変遷

written by Moonstone

 リーナはふと眼を覚ます。身体に染み込んだ薬剤師を目指す学生生活故に、リーナは寝るのは遅いが一度寝入ると身体が睡眠に満足するまで目を覚まさない。今のリーナがそうかと言うと、眠気眼で目を擦り、不満気に溜息を吐いたところから決してそうではないことが分かる。
 リーナは身体を起こして左耳に着けた受信機に手をやり、握っていた送信機を見つめて、再度溜息を吐く。

「…ちゃんと諜報活動してるのかしらね…。」

 リーナは呟くように毒づくが、普段の勢いは感じられない。リーナは送信機を口元に移してイアソンに呼びかけようとするが、一言発しようとしたところで思い留まる。
 昼夜を分かたぬ諜報活動、しかも今回は完全に敵のテリトリーに潜入しての活動が続く。その緊張は多大なものだろうし、今回は更に高温多湿という不慣れな気候条件が重なる。レクス王国は明瞭な四季がある、つまり寒暖の差がある気候だが、夏の湿度はそれほど高くない。湿度は高温と重なることで体力を確実に消耗させる悪条件になる。今は敵領内への潜入に成功して身を隠し、一時の休息に身を浸しているかもしれない。そう考えると、送信機を介してイアソンを叩き起す気にはなれない。

「…今回は勘弁してやるか…。」

 リーナの呟きの背景にある感情は、普段の主従の「主」に近い感覚のものではない。
 リーナは再び眠りの世界に入ろうとするが、やけに目が冴えて到底寝付けない。明日−時間帯から言えば今日−特段早く起きる理由も目的もないから寝つくまでベッドに転がっていれば良いのだが、何度寝返りを打っても意識が闇に沈む気配はない。
 リーナは再び身体を起こし、不満とも諦めともつかない表情で溜息を吐く。そして徐にベッドから出て、軽く見繕いをした後、部屋を出る。
 ランプがかなり広い間隔で灯る廊下はかなり暗い。リーナは無意識に左手の先端を壁に触れさせ、慎重に進む。一応トイレを済ませ、外に出る。
 街灯がないこの世界、一度深い藍色が空を埋め尽くせば、満天の星空か月影を生む月が見える。今夜は三日月がやや控えめな光を放っている。それでもうっすら月影が出来るのは、魔法を使わない技術や産業があまり進んでいないこの世界ならではの趣だろう。
 リーナは暫しぼんやりと月を眺める。やがて小さい溜息を吐いて教会の敷地を気ままに散歩する。タリア=クスカ王国最南端の都市の教会は、一時は謎の病に侵された町民の治療・療養場所となっていた。そういう事態に備えてか、敷地は建物の規模に対してかなり広い。
 気ままに歩いていたリーナは、敷地の南東にある倉庫が見えたところで脚を止める。暗闇に隠れてよく見えないが、何者かが居るのは間違いない。人影は2つ。かなり密着している。こちらに気づいていないようだ。
 リーナはよく目を凝らして人影を見ながら、教会の建物を背後にして慎重に近づく。目が月光交じりの夜に順応し、人影をギリギリ視認できる距離まで近づいたところで、リーナは最初とは異なる理由で脚を止める。

「…あれって…!」

 翌朝。諜報活動中のイアソン以外の面々が食堂に集う。この席にリーナが遅れずに出て来るのはかなり珍しい。そのリーナは寝不足らしく目を充血させ、やつれた様にも見える表情をしている。シーナでなくても何らかの身体の不調が表面化したのかと思うが、リーナは単なる慣れない蒸し暑さでの寝不足で押し通す。
 朝食の場は自動的に現状を検証し今後を見据える会議の場へと移行する。とは言え、イアソンの潜入が成功したばかりでそれ以外は膠着状態だから、特記するものはない。

「リーナ。イアソンから何か連絡はあったか?」
「え?…あ、まだ何も入ってない。」

 リーナは心此処にあらずといった様子。隣のクリスが何時にないリーナの様子に疑問を抱き、声をかける。

「どないしたんや?かなり具合悪いんと違うか?」
「言ってるように寝不足なだけ。昼寝でもすれば解消できるわよ。」
「それならええんやけど、何ちゅうか…、意識が別のところにあるみたいな感じやで。」
「そんな感じではあるわね…。」
「欲求不満でエロい夢でも見たんじゃないの?」

 一席空けてクリスとは逆の隣に座っていたフィリアが茶化すと、リーナが一転して鋭い目でフィリアを睨む。充血で赤くなった瞳は殺気を充満させ、普段以上の迫力を醸し出す。フィリアは思わずたじろく。

「冗談でも言って良いことと悪いことがあるのよ?」
「えーと…御免。」

 気圧されたフィリアが謝罪すると、リーナはそこから更に噛みつくでもなく、ぼんやりした表情に戻して向き直る。

「キリカの内情やマタラを筆頭とする軍の動向は、イアソンからの情報を待つしかない。その間、物資の確保と貯蔵を進めよう。」
「物資って食糧のこと?」
「食料は勿論、水もだ。」

 アレンの問いに対するドルフィンの回答は、時期未定のハルガンへの再出港と長期の篭城を同時に見込んだものだ。
 積載していた食料と水は船を沈められたことで海の藻屑と化した。次の出港がどういう経緯で実現するか分からないから、それらは自前で調達・確保するのが最も確実だ。その上、この世界は冷蔵設備が整っていないから、安定した長期間の保管が出来ない。調達した物資は一定の保管期限を設けて新規に調達したものと順次入れ替えていくしかない。
 食料もさることながら、水の保管は難しい。パーティーが滞在するヴィルグルの町は高地にあるため防衛には適しているが、水の面では不利だ。実際、町の取水は森の中にある川の上流域から引いた用水路に依存している。それを無駄にしないように、随所に溜池を作ってもいる。熱帯地域特有のスコールは鬱陶しいものだが、水の供給の面では貴重な、まさに「天の恵み」なのだ。
 その水の保管には殺菌と密閉、そして冷暗所が必要だが、それらの技術はどれも未発達。瓶詰めくらいは出来るがそれの密閉には限度がある。劣化した水は長期間の下痢など身体に深刻で長期間の悪影響を齎す。しかし、水の確保は長期間の航行では絶対条件と言うべきもの。食料は極端な話、野菜類以外は釣りで調達できるが水はそうはいかない。こまめに貯蔵しつつ入れ替えて出港の時に備えるしかない。
 それらは地道で単調な作業だが、パーティーは総勢8名。ハルガンへの渡航には相応の量の物資が必要だ。イアソンからの情報が一気に核心を突くものになると思わない方が良いから、待機組は出港か或いは軍との全面対決に備えた物資の確保・貯蔵と入れ替えを続けるのが当面の策として有効だ。

「水の確保は、各家庭から空き瓶を融通してもらってそこにしよう。水の確保は、農業用水にも関わるかもしれないから、町の行政の責任者に話を通しておいた方が無難だな。」
「食料は干物とかにして長期保管が出来るようにするのも必要ね。それは料理が出来る面々で対処しましょう。」

 ドルフィンとシーナの提言を基本に、行動方針と役割分担が決まっていく。
 男での1人イアソンが不在なため、力仕事はドルフィンとアレンにどうしても偏り気味になる。クリスが申し出てある程度偏りは緩和されるが、ドルフィンは言うに及ばずだし、アレンも地道なトレーニングの成果で着実に筋力が増強されているから力仕事は苦にならない。
 人数が多いからこそ、協力や分担なしには物事は上手く進まないばかりか、余計な軋轢を生じやすい。次の行動が定まらないことによる倦怠感や不満などを回避するため、ドルフィンとシーナは様々な事態を想定し、それに向けて集団を動かし自らも動く。ハルガンの情報もまったく入らない今、ドルフィンとシーナは地道な努力を続けるしかない…。
 会議終了後散開し、それぞれが物資の調達や交渉へと奔走する。
 料理組、すなわちアレン、シーナ、ルイは教会の一室で調理を担う。アレンは物資の調達と運搬の一部も担うからかなりの負担だが、以前から薬剤の運搬と配給で町人と面識があるから、物資の提供は他の面々よりスムーズだ。アレンは食材と共に効果的な保存調理や味付けも教わり、早速調理に取り入れる。保存食では味のパターンが限られがちだが、赤道直下の異国の調理法は新鮮さと共に受け入れられる。消費期限が近付いた食品を教会を通じて無償配布するアレンの提案も教会サイドに快諾されたことで、食料についてはさほど苦労しなくて済む見通しが立った。
 水についてもアレンとルイが交渉に立ち会うことで、すんなりと使用が認められた。交渉相手の町長は、アレンとルイを見て「町を救った勇者達の悩みや苦しみを町の者が分かち合わない理由はない」とまで言った。アレンとルイが何度も薬剤を搬入し、配布しなければ、ヴィルグルの町の崩壊は時間の問題だった。貴重な水の割り込み的な使用の許可は、アレンとルイがヴィルグルの町と苦労や経験を分かち合ったからこその貴重な財産であり、それはアレンとルイの関係でも同じだ。
 特にルイは、出身が比較的冷涼な気候の山間部の村だから、常時続く高温多湿の環境はかなりの体力の消耗を強いられる。それをものともせず、アレンと共に蛇行する山道をドルゴを走らせ、重い薬剤の箱を何度も運搬し、教会を通じて町の人に配給した。自分が顔を出した時に町の人が見せる、旧友の訪問時のような少しの驚き混じりの温かい笑顔は、行動を共にしたアレンと共に得た無形の財産だとルイは思っている。

「ルイ。ちょっと良い?」

 しこたま調理をした料理組がその部屋で休憩を摂っていると、顔を出したリーナが申し出る。
 本来なら昼寝をしたいところだが、早速行動を開始した他の面々に引き摺られて、主に空き瓶の洗浄と水の貯蔵をして昼寝どころではなくなった。幸か不幸か動き続けたことで眠気が引っ込んだらしく、表情からは朝食時のような気だるさは概ね消失している。

「はい。何の用でしょう?」
「それは別のところで話すから、ついて来て。アレン。少しの間ルイを借りるわよ。フィリアと違って危害は加えないから、その点安心して。」
「ルイさんが良いなら。」
「私は問題ありません。ご一緒します。」

 ルイは席を立つ。あからさまに敵意を向けるフィリアならまだしも、リーナからはそういう感情を一切感じない。加えて、リーナからは普段と異なる雰囲気を感じる。明言されなくとも危害を加えるとは思えない。
 リーナはルイを先導して外に出る。昨夜リーナが三日月の光の下、散策した教会の敷地は人気もなく、やや緩んだ南国の日差しを浴びている。リーナは直射日光を避けて、教会の東の端、昨夜脚を止めた倉庫が見えるところまで来る。周囲に人影がないことを確認して、リーナはやや言い難そうに切り出す。

「…ルイ。あんた、アレンと毎晩ああいうことしてるの?」

 次の瞬間、ルイの顔がぼっと音を立てるかのように瞬間的に紅潮する。

「み…見てたんですか…?」
「昨夜、どうにも目が冴えて寝付けなくて、敷地を散策してたら、偶然。」

 リーナが倉庫の人影で脚を止めたのは、アレンとルイが熱愛の最中だったためだ。
 どうにかリーナの位置から視認できる暗闇の中、万一の事態に備えて結界が張られ、その中でルイが底の壁を背にする形で激しく求めあっていた。ルイがアレンの首に両腕を回してのキスに始まり−つまりリーナはかなり初期の段階から目撃していた−、両者が首を大きく傾けてのディープキス、そしてアレンによるルイの首筋へのキスと左胸の愛撫へと進んだ。
 フィリアの露骨なアプローチに気づかないか逃げ回るかのどちらかだったのが嘘だと思うようなアレンの行動も勿論だが、全く拒否や抵抗の素振りを見せず、アレンによる首筋と胸への攻めに幸福と快楽にどっぷり浸かる表情を浮かべたルイは、リーナには驚きだった。
 アレンの攻めが終わって何か語らい始めたところでリーナは我に返って退散したが、あまりの衝撃な場面が脳裏に焼き付いて離れず、結果一睡も出来なかった。朝食の席で茶化したフィリアを睨んだのは、アレンとルイの熱愛の一部始終を見てしまったことが寝不足の原因であって、自分が淫靡な夢を見たせいではないという反論や抗議が籠っていたためだ。

「あたしが聞きたいのは、あんたの考えっていうか心境。」
「…それは、どういうことですか?」
「何て言うのか…、アレンがああいうこと求めて来る時やアレンとしてる時、あんたはどう考えてるのか、って言えば伝わる?」

 リーナの問いを理解したルイは、火照った頭を懸命に冷却しながら考えを纏める。リーナは急かすことも脅すこともせず、黙ってルイの回答を待つ。

「…誘いを受ける時点で、今回はこういうことをするだろうな、くらいは思っています。昨夜はこの町に滞在することになって初めてだったのもあるので…、私も期待していた面はあります。」
「してる最中はどう?」
「えっと…、殆ど何も考えてないです…ね。今これ以上進むのはちょっと、くらいは考えますけど…。それも碌に考える暇がないと言うか…。」

 慎重に言葉を選びながらのルイの回答に、嘘は感じられない。
 昨夜ルイが見せた表情はまさに何も考えていない、ただ今の幸福と快楽に浸りきっているものだった。元々巧みに嘘を吐くタイプではないが、非常にデリケートなプライベートの質問に答えるルイもまた、リーナが冷やかしやフィリアへの告げ口で混乱を扇動する意図がないと感じている。

「質問を変えるわ。…このままあんたとアレンの関係が続けば、何れ…アレンは一線を越えようとしてくる。我慢できなくて獣になるかもしれない。その時どうするか考えてる?」

 直接の単語は流石に避けたものの、リーナの仮定は決して絵空事ではない。
 一時帰還したヘブル村からリルバン家に戻った際の、フィリアの強迫に対するアレンの「ルイさんが好きだから」宣言−リルバン家のメイドの間ではこう命名され羨望の対象となった−を人伝に聞いた時、リーナはルイのアレン争奪戦完全勝利を確信した。
 幼馴染としてある意味教育されて来たフィリアの強迫に対処できなければ、遅かれ早かれアレンとルイの関係に亀裂が入るとリーナは見込んでいただけに、アレンがフィリアとイアソンとクリスの他、使用人やメイドも見守る中で「ルイさんが好きだから」と公言したことは、ルイへの愛情が優柔不断さを凌駕した結果であり、フィリアが付け入る唯一の隙だったアレンの優柔不断さが、アレンとルイの関係における弱点でなくなった以上、もはやフィリアが割り込む余地はないのは明らかと判断するに至った。
 アレンがフィリアの強迫に抗してルイへの想いを公言したことは、同時にアレンがこれまでフィリアの露骨なアプローチから逃げ回る最大の理由だった自身の容貌に対するコンプレックスを克服し、完全に男性としての自我に目覚めたと言える。となれば、何れアレンが一線を越えることを求めるのは明らか。アレンは慣れないシチュエーションの下、何時どうやってその状況に持ち込むか思案しているとすらリーナは考えている。
 それ自体に干渉するつもりは勿論リーナにはない。自分に利害が及ばなければ他人の行動には干渉しないスタンスは健在だし、対フィリアの観点ではアレンとルイの関係が続き深まる方が好都合でもある。リーナがルイに聞きたいのは聖職者の立場云々ではなく、アレンとの関係に対するルイの考えや心境だけだ。

「…考えが及ばないってことはないわよね?」
「それは…ないです…。」
「じゃあ…、その時が来たらどうするの?」
「…分かりません。でも…。」

 肌の色が変わるのではないかと思うほど頬を紅潮させたまま、ルイは沈黙する。必死に思考を整理しようとしているが、脳がオーバーヒートしてしまっている。

「…許してしまうような気がします…。」

 長い沈黙の末に、ルイは回答を絞り出す。
 ルイの回答は正直リーナには予想外だ。聖職者の立場云々はルイには足枷にすらなることは分かっているが、アレンとの交際開始までの経緯からして、アレンに身体を許すのは少なくともリルバン家の問題を解決してからではないかと考えていたからだ。

「…そう。」
「…リーナさんは何を知りたいんですか?」
「ほんの数か月前まで聖職者一辺倒だったあんたが、これだけ変わったことを自分自身どう思ってるか、知りたくてね…。」
「そういうことでしたか…。」

 プライベートに大きく踏み込む質問を繰り出してきたリーナの真意を汲み取り、ルイの頭は冷静な思考が出来るレベルにまで鎮静化する。

「アレンさんと出逢ってお付き合いして、見える世界が大きく変わったという実感はあります。100ピセル聖職者だった頃では見えなかったこと、考えなかったことがたくさんあって…。私自身驚いています。」
「アレンと出逢うまで、今見て感じてる世界があることは考えなかった?」
「なかったですね。そもそも、男性の視線に嫌悪感すら抱いていたくらいですから…。」

 ルイはバライ族の私生児、しかも戸籍上死んだことになっている女性の子どもであったために、幼い頃は苛烈な環境に置かれた。一方でバライ族でも珍しいハーフのダークエルフであった母譲りであろう、10歳あたりから女性の色合いが強く出始めた。それはルイの目覚ましい称号と役職の昇格開始と時期が重なるが、それがルイに別の苦悩を強いることになった。男性からの露骨な性的視線に晒されることだ。
 特に胸は、事実上の制服である礼服の構造上、ベルトを締めると胸のラインが浮き出る。着崩さずに礼服を着用することも教会人事服務規則で定められているため、ルイは存在感を強める上半身のラインを晒す形で日々村を歩き回ることになった。男性からの性的視線を振り払うため職務に没頭し、更に称号と役職が上昇したが、それがかえって男性からの注目を集め、結果的に性的視線を強める羽目になってしまった。
 「出自は卑しいが成長して良い女になった」という見下しも含んだ性的視線は、苛烈な過去が重なったルイに男性への嫌悪感を呼び起こすことに繋がった。だからルイには、恋愛や結婚はクリスの入れ知恵の範疇を出るものではなかった。顔触れが殆ど変わらないまま成長した村の男性では、そのような出来事を思い描くことはただ嫌悪感を覚えることでしかなかった。

「そんなに男を嫌っていたあんたが、アレンのどういうところを−どういうところで、と言う方が良いか、好きになったわけ?」
「イアソンさんと同じような質問ですね。」
「!イアソンも同じこと聞いたの?」
「はい。ランディブルド王国を出る少し前に。」
「…で、どう答えたの?」
「きっかけとしては、アレンさんの外見がこれまでの男性と違って明らかに男性と分かるものではなかったことがあります。ただ、それは第一印象までです。やはり何と言っても、私利私欲や駆け引きなしで何度も私を助けて守ってくれた誠実さや勇気や行動力。私の民族や職業の役職などで態度を変えたりしない公正さ。私を理解してくれて理解しようとしてくれる真摯さ。アレンさん以外に私が心を許せる男性は居ない。今後現れることはない。私はそう確信しています。…そう答えました。」

 少し気恥ずかしそうなものの、心境を反映するかのようにルイは明瞭に答える。
 期限付きで性転換する薬品の効力が切れたアレンを見ても、「男性」がトリガとなって発生する警戒心や嫌悪感が生じなかった。皮肉にもアレンの長年のコンプレックスの要因だった少女的な容貌が、ルイの対男性警戒システムを機能不全にしてしまったのだ。
 アレンの女性的な容貌がひとまずルイの警戒心を抑え込んだが、助ける代わりに言うことを聞けなどとしていたら、ルイは速やかに見切りを付けていただろう。そうならなかったのは、アレンの駆け引きのない真摯な態度があったからに他ならない。
 アレンと出逢った当日の夜に、これまでの行程と同じく襲撃された。これだけでも心身の負担は甚大だが、絶対安全の筈の場所でも襲撃されたことでルイはパニックに陥り、防御魔法の使用すら霧散してしまった。そこにアレンが駆け付け危機から救った。ホテル内では再度襲撃されたが、その時はアレンが自分を盾にして凶刃からルイを守った。
 ホテルでアレンと共同生活を送ることになり、更に料理担当になったことで共有できる時間が大幅に増えた。その際に遠い異国から訪れた外国人であるアレンと風習や料理手法の他、自身の境遇についても話題に上げ、認識の共有が大きく進展した。
 バライ族であることと正規の聖職者であることは、アレンにとって感嘆や称賛の要因にはなっても、駆け引きや私利私欲を満たす材料にはならなかった。それがルイには非常に新鮮で、強い感銘を齎した。そしてそれは親友のクリスにも明かさなかった自分の出生の秘密や、オーディション本選に臨むことを決めた理由を打ち明けることに繋がった。
 アレンは重大な秘密を隠していたことやオーディション本選出場の理由を偽り続けていたことを少しも非難せず、ルイの絶対的な味方であることを約束した。その約束どおり、本選ステージ上での襲撃に際してアレンはルイを背にして大立ち回りを展開し、ルイが監禁された上に火を放たれた倉庫に突入して助け、ルイが気絶している間激しい攻撃から最後までルイを守った。
 村の男性なら一目散に逃げ出すシチュエーションであっても、アレンは一歩も引くことなかった。ルイにとってこれほど新鮮で、男性に対して強い感銘と感謝を抱くことはなかった。
 だからこそルイは、アレンに対して溢れ出る愛情を全て注ぐこと、アレンとの交際の障害になるものは全て捨てることを決意した。それは、事実上母親を人質に取られて幾多の辛苦の経験の末に得た正規の聖職者という職業や社会的地位も例外ではない。それだけルイがアレンを唯一無二の存在と位置づけているということだ。
 一生独りで抱え込んでいくものと信じて疑わなかった自分の出生の秘密やオーディション本選出場の理由をアレンに明かした時点で、ルイは完全に心をアレンに許したも同然だと認識している。ルイがアレンに秘密を打ち明けるまでには様々な葛藤があった。アレンでも受け入れられないかもしれないと躊躇する気持ちは最後まで残った。しかし、アレンは無条件で受け入れた。ならば、何れアレンに身体も許す時が来るとルイは十分想定している。希望としては、シチュエーションとムードの配慮が欲しいことくらいだ。

「恋愛感情1つでそれだけ視点も世界も変わるってことか…。」

 リーナは呟くように言って溜息を吐く。それを見たルイは、リーナがプライベートに大きく踏み込む質問をしてきた意図を察する。
 リーナはイアソンの気持ちを受け入れるべきか否か葛藤している。プライドの高さではフィリアと並び劣らぬリーナにとって、これまで拒否し続けて来たイアソンのアプローチを受容することは、自らプライドを破壊する重大な変節と映る。一方で、クリスがイアソンへの接近を仄めかし始め、それが表面化して来た。イアソンが気づいているかどうかは不明だが、「自分以外あり得ない」と高を括っていたら自分の知り及ばぬところで急接近し、気付いた時には心を完全に掌握し合って割り込む余地がない状態だった事例が身近にある。プライドを取ってフィリアに嘲笑されるか、先例に学んでプライドを捨てるか、リーナは真剣に悩んでいる。

「…参考に出来るかどうかは分からないけど、貴重な話を聞けたわ。ありがとう。」
「どういたしまして。」
「…あんたみたいに、男が好きそうな可愛い女なら楽なんだろうけどね。」
「イアソンさんのタイプの女性は、必ずしもアレンさんと同じではないと思いますよ。」
「…それもそうね。」

 リーナは苦笑し、ルイは微笑する。
 性格は大きく異なる2人だが、出生や生い立ちにおける苛烈な記憶を持つことが共通している。それ故に一定の理解が成立し、共感が生まれるのだろう。
 リーナの心が迷走を続けるのか、ある結論に向かうのか、それはまだ誰にも分からない。リーナでさえも分からないのだから当然ではある…。
 その日の夜。夕食を済ませて部屋で悶々としていたリーナの耳に、イアソンの声が飛び込んで来た。

「イアソンだ。応答してくれ。」
「!イアソン?!」
「リーナか。健気に俺からの通信を待っていてくれたんだな。嬉しいぞ。」
「へ、部屋で寛いでいたところにいきなり耳元で声がしてびっくりしただけよ。で?諜報活動は?」
「おっと、まずはそっちだな。」

 イアソンの声がリーナにアプローチする時の気取ったものから、任務に勤しむ時の冷静なものに替わる。リーナは呆れたような、それでいて不満なような複雑な心境になる。通信機越しでは到底リーナの心境を読み取れないイアソンは、これまでに把握した情報を整理して伝える。

「キリカは今も厳戒体制下だ。夜間外出禁止令が敷かれた上に兵士が彼方此方で監視しているから、人民は殆ど外に出ない。各家庭には無差別に強制捜査が行われてもいる。政権側、正確にはマタラ内相と軍は、キリカ内部若しくは周辺に昨夜仕掛けた爆発の実行犯が居ると見ているようだ。国家特別警察が跋扈していた時のレクス王国と似たような情勢だな。」
「そういうあんたは、今何処に居るの?」
「城内に居る。」

 内容に対してあまりにあっさりとした口調でのイアソンの回答に、リーナは一瞬耳を疑う。

「あ、あんた、どうやって…。」
「昨夜仕掛けた爆発でキリカ全体が予想以上の大混乱に陥った。王城の警備ががら空きになったし、深夜だったから潜入は簡単だった。」
「…内部情報はそれで掴んだってわけ?」
「そういうこと。強固な守りの内側は実は脆い。」

 リーナは自分のことを言われたような気がする。少々腹は立つが、今は声を荒らげて言い返す気にはなれない。

「…そうやって高を括ってると思わぬ逆襲を食らうわよ。」
「もっともな忠告だな。自戒する。それはさておき、幾つか疑惑が浮上してきた。」
「何?」
「まず1つ目。マタラ内相が軍を使って自作自演の王城破壊を実行したのは、複数の状況証拠からほぼ間違いない。だが、カーンの墓近傍に源泉があると思われる謎の病は、マタラ内相一派の策動とは食い違っていることが考えられる。」
「一連の事件にザギが絡んでいるとしても、どちらか一方はそうじゃないってこと?」
「そうだ。仮にザギがマタラ内相一派に関与しているとしても、謎の病はそれとは別の意志で行われている。マタラ一内相一派はそれを利用しているに過ぎないわけだ。どちらにせよ、人民にとってははた迷惑な話だが。」

 浮上してきた疑惑は、イアソンが言うとおりタリア=クスカ王国の国民にとっては迷惑この上ない話だ。
 イアソンの仮定、すなわちザギがマタラ内相一派に関与しているなら内政は事実上機能停止しているからお手上げだが、謎の病にザギが関与しているなら、マタラ内相は生産力低下や国民の減少による国力の衰退に歯止めをかけるべく、一時的にでもカーンの墓周辺への立ち入りを制限したり、病の根治に向けて全国の医師や薬剤師、そして聖職者に指示要請するなどすべきところだ。それを怠るばかりか、深刻な事態を悪用してただ自身の権力増強に邁進している。
 一方で、王城内に居る無関係の使用人やメイド、果ては支配下にある軍まで巻き込み、死傷者を出した自作自演劇とは異なる意志で行われた夜間のキリカ周辺の爆発−無論こちらは死傷者は1人も出ていない−で、過敏なまでの警戒態勢を敷いて犯人探しに躍起になっている。ザギがマタラ内相に関与しているかどうかは現時点では不明だが、マタラ内相の政治姿勢は、レクス王国の国王やランディブルド王国のホークと同様、権力欲に溺れた強権指向が本性であって、先住民族には強硬姿勢を取る一方で謎の病への対処を国王に要請していたという国民に対する姿勢はポーズでしかないと言える。醜悪なことこの上ないが、マタラ内相が権力の側が陥りやすい病か中毒症状を呈しているのは間違いない。

「馬鹿みたい。」
「同感だ。もう1つ。謎の病に同じく侵されている筈の先住民族が、全滅せずに生存しているらしい。」
「どうして?あたし達がやった薬剤配布の恩恵がないのに。」
「現時点では不明だ。しかし、複数の兵士が確認しているから先住民族の生存は事実だ。加えて、先住民族は一切攻撃を仕掛けて来ない。これも王城爆破が自作自演劇だったことの証左だが、何者かが先住民族を救い、恩義に感じたか統率されたかで先住民族が少なくとも現在は戦闘の意志はないようだ。」

 何らかの形でザギが関与している確率が濃厚なマタラ内相や謎の病の影響を受けているのは、タリア=クスカ王国の国民だけではない。やはりカーンの墓を訪れる先住民族も同様だ。しかも、リーナが言うようにパーティーが精製・配布した薬剤を得ていない。本来ならなす術もなく全滅していても不思議ではない。しかし、生存していることが事実なら、一連の事件にザギともマタラ内相とも異なるもう1つの意志が関与している確率が高い。
 謎の病はパーティーが入国するまで対症療法しか出来ず、抵抗力が低い乳幼児や高齢者を中心に少なからず死者が出ていたのだ。先住民族も例外ではない。しかも先住民族の居住地はジャングルの中など、タリア=クスカ王国の町村より劣悪だ。より多くの死者が出ていても不思議ではないし、緩やかな全滅に向かっていたとも考えられる。

「先住民族生存の事実が意味するものは何か。考えられることは、第3の勢力の介在だ。」
「先住民族に何者かが肩入れしてるってこと?」
「そのとおりだ。一連の事件を意識しているかどうかは不明だが、先住民族を支援する勢力、しかもパーティーの医療分野に肩を並べるかもしれない能力を有すると見られる勢力が存在する確率はかなり高い。」

 イアソンの仮定が事実であれば、事態がより混迷する危険性が浮上する。
 マタラ内相一派は、パーティーの追放や王城爆破、そして現在の厳戒態勢をすべて先住民族を口実の材料としている。実際は謎の病の蔓延で先住民族も戦闘どころではなくなり、一時は鎮魂祭も再開されたのだが、先住民族が生存し、しかも先住民族が強力な支援を受けているとなれば、先住民族がキリカに一大攻勢を仕掛ける恐れがある。そうなれば、嘘を100回吐けば何とやらを待つまでもなく、マタラ内相一派の主張が事実となってしまう。
 マタラ内相一派はそれ見たことかとばかりに先住民族への攻撃を仕掛けるだろう。先住民族の側も今度は強力な支援とジャングルという地の利を生かして徹底抗戦するだろう。内戦が泥沼化すればパーティーの国外脱出はより困難になるばかりか、パーティーも内戦に巻き込まれる危険すらある。

「最悪、あたし達も含めた三つ巴、それ以上の込み入ったの争いになるわね…。」
「そうなったら最悪だ。そのためにドルフィン殿に依頼して欲しいことがある。」
「何?」
「先住民族への接触と交渉だ。先住民族にタリア=クスカ王国への攻撃を行わないよう要請して欲しい。」

 イアソンの依頼は驚愕すべきものだ。
 所在地が不明な先住民族を広大なジャングルから捜索し、しかも先祖代々の土地を奪って今も自分達を苦しめるタリア=クスカ王国への攻撃停止を要請することは、ただならぬ困難を伴う。先住民族からタリア=クスカ王国の手の者と見なされる危険が非常に高い。
 しかし、第3の勢力の存在の確率が高く、その出方次第で泥沼の内戦が勃発する。内戦の泥沼化・長期化は外部勢力の干渉や支配を容易にする。ザギやその背後に控えるクルーシァが世界支配の突破口にすべく、タリア=クスカ王国侵略に手を伸ばす恐れすらある。そのためには、マタラ内相一派の主張、すなわち一連の事件が先住民族によるものであるという口実が確証になる前に、先住民族を足止めすることが急務だ。

「…分かった。ドルフィンに頼んでおくわ。」
「頼んだぞ。俺は王城で引き続き情報収集と分析を進める。」

 イアソンは通信を終了する。リーナはどうにもしっくりこないような、漠然とした不満のような気分を覚える…。
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