Saint Guardians

Scene 11 Act2-3 混迷-Confusion 新たな旅に向けて思うこと

written by Moonstone

 3日後。朝から激しかったリルバン家邸宅内の人の動きが、急速にエントランスに集約される。シフト体制のため持ち場を離れられない者を除き、全ての
使用人とメイドがエントランスの左右の壁沿いに人垣を作る。使用人とメイドが緊張と期待を高める中、アレンとルイが姿を現す。2人が移動するにつれて
エントランス奥の方から感嘆の感情と溜息が伝搬していく。
 アレンはプラチナのハーフプレート一式、ルイは聖職者の正装を着用している。ルイが以前国家中央教会総長と面会した時と同じ出で立ちだが、青紫の
シューチェの上に白銀の鎧、ドレスを髣髴とさせる純白の正装は清潔感と神聖さを強く感じさせるし、一直線に伸びる紅いカーペットも相俟ってバージン
ロードを歩く新郎新婦に重なる。緊張気味の表情が端正な2人の顔立ちを際立たせる。特に使用人やメイドの間で半ば伝説の存在であるローズの面影を
色濃く湛えるルイは、使用人やメイドの感涙を誘わずにはいられない。
 今回もルイの護衛の騎士役を任されたアレンは、事前の練習どおりに正面入り口に横付けした馬車の前でルイの手を取り、馬車に乗せる。続いてアレンが
乗り込んだのを受けて、馬車は国軍兵士に先導されて出発する。道行く人々が素早く道を開けて恭しく頭を下げる中、ランディブルド王国の国旗と
リルバン家の紋章を抱く旗を掲げた馬車を中心にした隊列が国家中央教会に向かって進む。
 馬車の中で、アレンは隣のルイに視線を送りながら今回の面会について推測する。先にイアソンから今回の面会にフォンは一切関与していないと
聞かされているが、ルイがフォンの一人娘であり、唯一のリルバン家後継資格保有者であることから、どうしても秘密裏にフォンが国家中央教会総長を介して
リルバン家に留まるよう働きかけたのではないか、と穿った見方をしてしまう。そんなことをしてもルイの意志は覆せないし、仮に発覚したらルイがリルバン家に
留まる可能性は完全に潰えるが、父親であるよりも一等貴族当主であることを優先するフォンに対して良い感情を持てない。

「総長様にどれだけ慰留されても、私の気持ちは変わりません。」

 やや俯き加減のルイが、徐に顔を上げてアレンを見る。

「アレンさんが皆さんの前で私のことが好きだと明言してくれたように、私は聖職者を辞職してアレンさんについて行くと明言します。」
「聖職者の頂点だから実力行使に出るとは思えないけど、もしそんなことをするようなら、俺が教会に乗り込んで助けに行くよ。」

 障害が多いほど恋の炎は強まると言われるが、アレンとルイの場合はまさにそれだ。
先にヘブル村駐留国軍の護衛でフィルに曳航された際にも現状の立場、すなわち唯一のリルバン家後継候補であり、国家中央教会総長の招聘を受ける
ほどの聖職者であるが故の窮屈さを痛感した。身分や立場に縛られることは、ひいてはアレンと引き裂かれることになるとルイは感じている。今のところ
フォンからの干渉や圧力はないが、一等貴族当主を継承させるならやはり結婚相手の出自や身分に神経を尖らせるだろうし、体裁や世間体を優先する
だろう。となれば、一介の外国人であり王侯貴族の子息ではないアレンとの結婚を歓迎するとは思えない。アレンとの交際や結婚を歓迎しないのは
構わないが、干渉されたりましてや引き裂かれるのは真平御免だし、そんなことをされるくらいなら迷わずリルバン家ともランディブルド王国とも断絶して出奔
する、とルイは決意している。
 ついに国家中央教会総長まで慰留に乗り出して来たようだが、そんな手を使っても自分の意志は曲げない、とルイは益々頑なになるくらいだから、フォンが
ドルフィンとシーナとカルーダ王立魔術大学学長の反対で当初の方針、すなわち国王と国家中央教会総長にルイの慰留を依頼することを白紙撤回したのは
賢明と言えよう。それがアレンとルイに伝わらず、むしろフォンの働きかけで今回の面会の運びとなったと受け止められ、恋の炎を強めさせているのは何とも
皮肉なことだ。
 国家中央教会の建物が馬車の正面に見えて来る。自然に手を取り合ったアレンとルイは、国家的な圧力に引き裂かれてなるものかという決意を強く感じ
させる…。
 ルイの背後で巨大な扉が音もなく閉じられる。国家中央教会の建物に入れる者は限られている。ましてや全国の聖職者の頂点に君臨する国家中央教会
総長との面会となれば、周囲にはより厳重な警備が敷かれる。もっとも建物全体を覆う強力な浄化系魔術の前には、邪な意図を持つ侵入者は心臓を掻き
毟られるような激痛に苛まれてショック死するだろうが。
 張り詰める強力な魔力と緊張を感じながら、ルイは静寂に包まれた建物を独り進む。正面に見えて来たドアに近付くにつれて、魔力と緊張がより高まるのを
感じる。ドアの前に到着したルイは、何度か深呼吸をしてから訪問を告げる。

「…総長様。ヘブル村中央教会祭祀部長ルイ・セルフェス、只今まかりこしました。」

 ドアがひとりでに開き、ルイを招き入れる。ルイが入ると同時にドアはひとりでに音もなく閉まる。幾つもの蝋燭の明かりが巨大な机とその前に鎮座する1人の
人物を薄く照らす。2度目の面会だが、2回目で気楽になれるようなシチュエーションではない。

「セルフェスさん。突然の申し入れにもかかわらず、ようこそいらっしゃいました。」
「…総長様から招聘を賜り、光栄至極です。」
「先んじて断っておきますと、今回の面会にフォン当主は一切関与していません。国内外の情勢を受けた私の一存によるものです。」

 本題より前にフォンからの働きかけがないと明言するあたり、国家中央教会総長もルイの心情を害しないように配慮していることが分かる。これまで様々な
形でフォンとリルバン家の関与を感じて来たルイは、国内外の情勢という聞き慣れない言葉に疑問を抱く。
 兎も角話を聞かないことには始まらない。ルイは以前の面会の時とは違い、自ら国家中央教会総長の前に進み出る。緊張は抑えきれないが、今はそれより
多忙なスケジュールを調整してまで自分を招聘した国内外の情勢とやらを聞こうという意志が勝る。

「ハルガンをご存知ですか?」
「はい。キャミール教が開かれた聖地ですから。」
「そのハルガンからの応答が途絶えて久しいのです。」

 ルイは驚きで目を見開く。物心ついた頃から聖職者として研鑽して来たルイなら、ハルガンと聞いて連想するものは1つしかない。キャミール教信者が
一生に一度は訪問したいと思う羨望の地であり、王国教会の幹部クラスが修業のため長期派遣されるキャミール教の総本山である聖地。キャミール教第二の
聖地と称される王国と密接な交流があるハルガンからの応答が途絶えているというのはただ事ではない。

「ハルガンは力の聖地と称されるクルーシァに近く、セルフェスさんを巻き込んだ諜者もクルーシァの者だったと聞きます。更に、先ほど全面解決を迎えた
隣国シェンデラルド王国における混乱もやはりクルーシァの者に因るものであると聞きます。」
「はい。詳細は存じませんが、クルーシァの暗躍が様々な混乱を引き起こしていると聞いています。」
「そこでセルフェスさん。貴女には王国教会全権大使として、ハルガンの状況を把握し、可能なら事態の解決を依頼したいのです。」

 ルイの2つの瞳が再び驚きで見開かれる。王国教会の全権大使は文字どおり王国教会の代表として行動出来る。無論勝手に名乗れるわけではなく、
キャミール教における重大案件が発生して国家中央教会総長が対応出来ない場合に限り、国家中央教会総長が任命する。ランディブルド王国の聖職者
なら、全権大使に任命されることは将来の国家中央教会総長の座が大きく近付くことを意味するが、全権大使を任命する事態そのものが希少である。

「シェンデラルド王国は王家が全滅し、国土全体も非常に荒廃しているとの情報があります。国土の浄化には聖職者が生成する聖水が効果的ですが、
セルフェスさんもご存じのように聖水の生成には非常に時間がかかるため、我が国が併合するにしても多大な負担となります。元々教会は慢性的な人手
不足ですから、はるか遠方のハルガンの状況を把握するために赴くだけの余裕はありません。」
「…。」
「仮にクルーシァによりハルガンが陥落、或いは周囲と連絡が取れない状況にあるなら、事態は非常に切迫しています。クルーシァは『教書』外典等で
語られる世界的な戦乱と悪魔の支配による人類滅亡の危機を救った7の天使達が築いた力の聖地です。それ故に世界に対する暴力の毒牙とならないよう
自らに厳しい掟を課して、力と技の伝承と研鑽にのみ注力する修業国家としての地位を確立しています。そのクルーシァが掟を覆し、世界に侵略の手を
伸ばし始めたことが、セルフェスさんも巻き込んだ謀略であり、隣国を事実上滅亡に追い込んだ悪魔崇拝者の急激な隆盛であり、聖地ハルガンの孤立で
あるとすれば、看過出来ません。」
「…そのような大役には、教会幹部の方々こそ相応しいのではないでしょうか?」
「教会幹部諸氏には、所属教会の管理運営の職務があります。その上、私が通達を出した聖水の生成も加わります。我が国の教会の職務から離れている
セルフェスさんしか担い手は居ないのです。」

 ルイの遠回しの辞退を国家中央教会総長は正面から退ける。
ルイも正規の聖職者の多忙を肌身で感じてきた身だ。悪魔崇拝者に侵攻された町村の畑や井戸を浄化するための聖水生成に非常に時間がかかることも
体験している。シェンデラルド王国が事実上滅亡したことで放置すれば、ある意味魔物より性質が悪い賊が住み着き、絶えず近隣町村は略奪に脅える日々を
過ごすことを強いられる危険性がある。併合するかどうかは別として、早い段階で浄化して人が住める状況に戻さなければ悪魔崇拝者と同等のリスクを抱える
ことになる。日々の職務をこなしながら広大な隣国の国土浄化も担うとなれば、ハルガンの状況は心配だがとても対処に乗り出せないことくらいルイには
分かる。

「先にヘブル村教会総長から、セルフェスさんが大司教に昇格したと聞いています。聖職者の称号2階級昇格は希少なことです。心の闇の制御を体得し、
目覚ましい伸張を望めるセルフェスさんを全権大使に任ずることは、能力とのバランス面からも適任であると考えます。」
「…。」
「非常に有望な聖職者が職を辞することは残念でなりませんが、最後の職務として全権大使の任を全うしてもらいたいのです。これは我が国だけでの問題
ではありません。キャミール教全体、ひいては世界の存亡がかかっている可能性すらあるのです。」

 最後の職務という言葉で、ルイは国家中央教会総長が慰留のために面会を望んだのではないと確信する。
全権大使に任命することでリルバン家との関係の「延命」を図り、それはフォンの働きかけによるものではないかという疑念がルイにはあった。遠回しに任命を
辞退しようとしたのは、国家中央教会総長の慰留でも意志を曲げないという暗喩でもあった。しかし、国家中央教会総長は、全権大使の任務を聖職者と
しての最後の職務とすることを是とした。ルイは疑念を解消すると共に、根拠なしに疑念を向けたことを恥ずかしく思う。

「どうでしょう?我が国の教会の代表として、全権大使の任を受託してもらえませんか?」
「…全権大使の任そのものは謹んで拝命したいと思います。ですが、私1人では手に負えない水準であることが懸案事項です。」
「その点に関しては、セルフェスさんが信用を置ける人物に協力を依頼するのが良いでしょう。教会や国軍が選抜するより、セルフェスさんも行動しやすい
でしょう。」

 国家中央教会総長の回答は、ルイがアレンを同行させることを承認するものだ。フォンや王家など王国中枢からの働きかけがあるとすれば、自分達の目が
届かない場所へ同年代の異性を同行させることには少なくとも消極的になる。
 人選が自由であることはルイにとっては好都合だ。アレンだけでなく、圧倒的な戦力を誇るドルフィンと衛魔術と相互補完出来る医学薬学に長けている
シーナ、そして親友のクリスや裏方として尽力してくれたイアソン、冷徹な思考を有しシーナに続く薬学の担い手になるであろうリーナ、アレンを巡る恋敵とは
言え隣国も巻き込んだ策動を阻止したフィリアという強力な伝手(つて)がある。監視されるような窮屈さもないし、王国の関係者が関与することで王国との
繋がりが維持されることを懸念する必要もない。ルイには好条件と言う他ない。

「全権大使である以上、必要な物資や資金は教会から供与します。…どうでしょう?」
「謹んで拝命いたします。全権大使の任に恥じないよう全力で職務遂行にあたります。」
「ありがとうございます。人選と物資や資金の見積もりは並行して進めてください。港湾地区教会に申し出れば船を手配出来るよう手筈を整えておきます。」
「よろしくお願いいたします。」

 ルイは深々と一礼する。
聖職者としての人生にピリオドを打つのは当面先の話になった。しかし、キャミール教や王国の枠を超え、世界全体を暗雲が包もうとしていることは、アレン達
との出逢いを通じて感じている。ハルガンの状況を把握することは、その原因を形成している可能性が高いクルーシァの一員であるザギの所在を掴み、
ザギに攫われたアレンの父ジルムを救出出来る可能性もある。責任感に篤いルイの意志は、はるか南の地にある聖地ハルガンに向けられる…。
 翌日、ルイから滞在中のパーティーとクリスに聖地ハルガン渡航への同行が申し入れられた。
アレンは国家中央教会との面会からの帰路でルイから伝えられその場で快諾している。クリスは勿論その場で快諾。ドルフィンとシーナ、そしてイアソンも快諾
した。そのため1日経たずに残るはフィリアとリーナの2人だけになった。
 フィリアはルイと顔を合わせたくないこと以前にアレンがルイを選んだショックが未だに尾を引いて体調が優れず、部屋に閉じこもり続けている。ルイの面会
要請も使用人を通じて断ったが、自分に渡航への同行を申し入れるルイの思考はフィリアには理解し難い。
 言うまでもなくルイはアレンを巡る恋敵だ。アレンの公言により敗れはしたが、アレンを諦めたわけではない。自分を放置してハルガンに渡航すれば、道中
自分の逆襲を警戒する必要もなくアレンをより独占出来る。少し考えれば自分が同行しない方が好都合なのにみすみすその機会を逸する状況をお膳立て
する思考が、フィリアにはどうにも理解に苦しむ。
 回答には2週間の期限がある。ハルガンからの情報が何1つなく、クルーシァに攻められている可能性があるし物資の集約や積み込みの時間も必要だから
あまり長く待てないというのがルイの説明だ。それでも2週間の猶予は十分長いと言える。そこまでして回答を求めるルイの考えもやはりフィリアには理解
し難い。だが、今は気分が重く沈んでいて思考が碌に働かない状況だ。思考が可能になるまで不本意ではあるがルイが与えた猶予に甘えるしかない。
 リーナが返答しないのは考えが纏まらないためだ。今までなら「世界を救うとか仰々しいお題目と心中するつもりはない」などと一蹴するところだが、どうもそう
する気になれない。だが、その場で応諾する気にもなれず、回答を保留している。
 ある命題に対してこうも自分の意志を明瞭に出来ない期間が長引くのは、リーナにとって初めての経験だ。その意志表明も協力や団結、同意や賛同を
求めるものなら例外なく「NO」だったが、今回はそうすることに及び腰になっている自分が居る。そのくせ結論を出すために思考を巡らせても結論には結び
付かず、応諾と拒否を忙しなく往復したり、そもそもどうしてこうも思考が定まらないのかという根本へと飛躍してしまう。そんな不可解な自分が理解出来ない
ため、リーナはルイの申し出について考えないようにしている。
 その日の昼下がり、リーナは専用食堂でぼんやりしていた。どうも調合実験をする気になれず、自室で薬剤師試験の過去問題を解いていたがどうも捗らず、
気分転換にと専用食堂に赴いた。出されたチョコレート味のアイスクリーム−最近のリーナのお気に入りデザート−を少量ずつ口にするが、これも休息を彩る
ひと時とはならない。どうにも打開の糸口が掴めない思考の混迷に翻弄され続けることに、リーナは苛立ちより当惑を強く感じる。

「よっ、リーナ。」

 不意に声がかかる。リーナはびくっと身体を脈動させて声の方を向く。予想外の反応に驚いた様子のイアソンを見て、リーナは固まってしまう。

「勉強の合間の休憩か?丁度俺も打ち合わせが終わって休憩するところなんだ。相席良いか?」
「…良いわよ。」

 何時もなら鬱陶しそうな顔をしたり、「勝手にすれば」と酷く投げやりな態度に終始するリーナが予想外にすんなり承諾したことをイアソンは不思議に思う。
だが、リーナに相席を承諾されたことは嬉しいし、変化しやすい自分の感情を最優先するリーナが心変わりしないうちにリーナを正面に捉える場所を確保
するに限る。
 イアソンが向かいに座っても、リーナはさして関心がなさそうな様子だ。これは何時ものことだが、あからさまに存在を無視するのではなく敢えて関心がない
素振りをしているように見える。

「ルイさんから、ハルガン渡航への同行の話があったよな?」

 ティンルーを頼んで早速イアソンが水を向ける。何時もなら無関心そのもののリーナがイアソンの方を向く。

「…イアソンは承諾したの?」

 リーナの反応が珍しいなと思いつつイアソンが話を続けようとすると、リーナから話のボールが投げ返される。自分が話す時はなかなか終わらないが他人が
話す時は基本的にそっぽを向く極めて厄介なタイプであるリーナが、これほど早期に会話を成立させるのは滅多にないことだ。イアソンも予想外の事態に
言葉を忘れてしまう。

「どうなのよ?」
「…あ、ああ。俺は承諾した。俺は世界を廻って知識を広げて深めることが目的だからな。キャミール教の聖地なんてまず行ける機会なんてないし。」
「そう…。」
「リーナはどう回答したんだ?」
「私はまだ。…考えが纏まらなくてね。」
「期限まで2週間を設定したそうだから、じっくり考えて自分で納得できる回答をすれば良いさ。」
「そうね…。」

 活発とは言い難いが、リーナとイアソンの間で会話が成立している。リーナは断片的な言葉の節々に何か言いたげな雰囲気を滲ませている。イアソンに何か
言おうにも適切な言葉が見つからず、苦肉の策で少ない手持ちから出しているように思える。イアソンと目を合わせようとして思い留まることを繰り返すような、
定まらない視線もリーナの揺れ動く心境を表している。
 会話のさざ波が消え、出方を探るような沈黙が続く。イアソンが注文したティンルーが運ばれ、イアソンはそれを口にしながら次の話題を考える。

「…イアソンは…不安とかないわけ?」

 リーナから会話再開の口火が切られる。ティンルーを飲んでいたイアソンは思わず動きを止める。

「何事もなく帰れるわけない。この国に来る時は大型の定期客船だったけど、今度もそんな上等な船が用意されるって期待出来ない。渡航の途中で魔物に
襲われる危険もある。ハルガンはクルーシァに近いっていうから、ガルシアだっけ?そいつが直接攻めて来る危険だってある。ドルフィンとシーナさんなら
戦えるだろうけど、あたしは絶対安全なんて保証は何処にもない。ほんの一瞬の隙を突いて攫ったりするのは、あたしも経験したし。」
「…。」
「世界を廻って知識を広げて深めるって言うけど、そんな危険を冒してまでする意味あるの?大体、シェンデラルド王国への潜入で散々危険な目に遭ったん
でしょ?もう懲り懲りとか思わないの?この国まででも十分レクス王国と違う世界を見聞出来たんだから、それを手土産にするって考えはないの?」
「順不同で答えていく。」

 リーナが質問づくしなのは極めて異例だ。そんな事態に直面してもイアソンは妙に茶化したりせず、リーナに視線を固定して回答する。

「不安は勿論ある。何度か渡航経験がある俺もハルガンは初めてだ。ハルガンはクルーシァに近いから、危険もその分強まることも当然だと思ってる。
ドルフィン殿やシーナさんが一緒だが、それでも万が一ってことはある。数で押されて不意を突かれるってことは、オーディション本選での刺客との乱闘でも
経験したし。」
「だったら…。」
「だけど、その分好奇心も強い。2、3度来たことがあるこのランディブルド王国だって、建国神話や『教書』の外典を図書館で読み漁ったり、カーニバル
真っ最中の賑わいの中でリルバン家邸宅に潜入したりして、過去の渡航では全く見えなかった事情や歴史や文化を体感出来た。それは書籍や伝聞じゃ
掴めない、生の声や空気が創り出す生の生活の複合体だ。それはキャミール教の聖地ハルガンなら全く異なるものだと考えて良い筈だ。俺はそれを体験しに
行きたい。」
「…。」
「俺は『赤い狼』の幹部として世界を見聞することで見識を深めることが任務という体裁だ。それは勿論変わらないが、それ以上に今だからこそ出来ること、
体験出来ることをしておきたい。パーティーの一員として交渉や情報収集といった面でそれなりに働けるっていう実感もある。『赤い狼』に居るだけじゃ体験
出来なかった、誰かに必要とされてるっていう充実感や満足感が確かにある。もっとこの『赤い狼』に居た頃の日常と違う非日常の世界を見聞したい。その
気持ちが不安や恐怖を凌駕してる。」
「…。」
「シェンデラルド王国への潜入は、正直洒落にならない危険に遭遇した。あと一歩で命を落とすところまで追い込まれた。それでも、生きている今は貴重な
経験だ。宗教が町村どころか地区単位で浸透して役所に代わって地域社会と人民を管理運営する組織構造が出来ていても解消出来ない民族差別の存在。
民族意識を敵対へ扇動することによる全体国家への変貌。どれもレクス王国−王家が滅亡したから王国じゃなくなるが、王侯貴族やそれと癒着した大商人に
依拠しない政治を構築するために、貴重な経験として生かすべきことばかりだ。この経験を更に広げて、帰国して新たな国の政治に生かしたい。1つの大きな
目標だな。」

 レクス王国王家がザギに誑かされて切り捨てられたのを受けて、暫定政権を樹立した「赤い狼」。今後の政治運営には様々な課題があるが、最大の課題は
「赤い狼」の範囲の組織運営から脱却出来るかどうかであるとイアソンは考えている。
 比較的東西に長い国土を有するレクス王国−王国ではないが便宜上この呼称を継続する−はミルマを中心とする鉄工業、沿岸部の首都ナルビア、
ナルビアに近いエルスとバードに代表される漁業、隣国ギマ王国との交易拠点になりつつあるテルサ以外は基本的に農業と牧畜が主産業の町村が点在して
いる。「赤い狼」はその中でエルスとバードを最大拠点とし、大都市のミルマとナルビアに一定の勢力を築いてきたが、それ以外の町村では少数派の反政府
勢力だ。
 今までは反政府勢力として一方的な収奪や王侯貴族と一部の大商人の癒着を批判し、国家権力の弾圧に対抗するため武力で反撃したり、国軍の施設を
破壊したり情報を混乱させて機能不全にしたりといったゲリラ活動をしていれば良かった。議会があっても多数の国民にとって機能しない状態で国家体制を
大きく変革するには武力闘争しか手段がないのは、フランス革命などにも見られる。
 今まではそれで良かったが、「赤い狼」自身が敵対していた国家権力を行使する側に立った以上、これからはそうはいかない。反対勢力に武力行使する
ことは国家権力による弾圧とされる。議会は機能不全とか自分達で決めた方が効率が良いと「赤い狼」だけで政治を運営すれば独裁とされる。自分達が
今まで反対したり批判の対象として来たことが、今度は自分達が反対されたり批判の対象とされるのだ。
 立場が激変することに「赤い狼」がすんなり対応出来るかは疑問符がつく。代表のリークをはじめ、中央本部の幹部は国外の民主主義勢力や反政府勢力と
交流したり、「民主主義の学校」と称されるサクシアル共和国に渡航して民主主義の理念や政党の必要性などについて学んだ者が多い。「赤い狼」はそう
いった交流や渡航をきっかけにレクス王国にも民主主義政権を樹立したいと思った者達が一堂に会し、結成された団体だ。しかし、各町村の支部に在住する
活動家は、出生から体感してきた王国の収奪や抗議への弾圧に反発したり、生まれながらに搾取するかされる側かが決まる社会体制を疑問視したりして、
そこからの脱却を目指して加入・活動している者が圧倒的多数を占める。理念が先か実情が先かの違いであるが、目指すものの範囲や程度が異なってくる
可能性があり、そこから「赤い狼」の崩壊が始まる可能性もある。

 理念が先行する者は各町村や地域の実情や利害調整より国家全体あるいは世界規模での進展の度合いを重視するし、実情が先行する者は国家全体や
世界規模の動向より居住する町村や地域の問題解決や現状打開を重視する。民主主義は国家全体そして世界規模で進展しなければ国家間・民族間の
軋轢を生じたり、他国の干渉で後退する危険があると見ることも出来るし、その観点からすれば町村や地域の実情や利害調整は誤差の範囲若しくは大局的
視点からは度外視すべきものとされる。
 一方で、町村や地域にはまぎれもなく人が住み、そこに理想−この場合は民主主義と乖離した不条理や問題が多々あるから、そこから解決しなければ
国家全体、ましてや世界規模での理想の実現などおぼつかないと見ることも出来るし、その観点からすれば町村や地域の実情を見ず解決を図らないのは、
町村や地域ひいてはそこで地道に活動してきた活動家の切り捨てと見なせる。
 反政府勢力、我々の世界で普遍的に言うところの野党である限りは、ひたすら政府側・体制側の批判や抵抗で「政府打倒・民主主義政権樹立」という1つの
目標に向けて邁進できたが、今度は自分達が政府側・体制側となったことで、そういった方向性や立脚点の違いが深刻な内部対立となって表面化する
可能性がある。
 内部対立は組織内の問題であり、どのような形態であれ組織では存在することだから組織外の者にはどうでも良いことだ。しかし、それが政治の停滞や
不毛な権力争いとなると、組織外の多くの国民生活に重大な支障を来す。これは反政府勢力や野党に限ったことではないことは、財界の肝いりで構築された
「二大政党」である自民・民主両党に公明党が加わり、国会でまともな議論をせずに事前の談合で法案成立への筋書きを決める体たらくや、二大政党制の
代表格であるアメリカが民主・共和両党が相変わらず多額の資金集めに奔走する一方、FTAやTPPで他国に更に露骨な内政干渉を進め、イラク侵略戦争の
後はイランに戦争を仕掛ける構えを見せていることなどでも明らかだ。
 しかし、反政府勢力や野党が政府側・与党側になることで、方向性や立脚点の違いが時に国民を巻き込んだ深刻な悲劇を生む。旧ソ連におけるレーニンの
死後大粛清を遂行したスターリン、中国における多数の死者と文化財の破壊、外交関係の冷却などを齎した文化大革命、カンボジアにおける原始共産
主義に基づき「異なる者」を根こそぎ粛清し大量の犠牲者を出したポル・ポトを筆頭とするクメール・ルージュなど、反政府勢力・野党から政府側・与党側に
なったことで激しく醜い権力闘争が勃発し、反対派のみならず組織外の者まで「反乱分子」「敵対分子」として徹底的に排撃する例は多い。それは組織内部や
離脱した元同志に限らず無関係の一般市民も巻き込み、しかも流血を伴う惨事となりやすい。そこまで行かなくても、指導部への批判を「反乱分子」などと
して組織的排除や除名・追放したり、運動や理念は同一の方向性ながら組織が違えば敵とばかりに批判合戦を展開することは、左翼運動や市民運動では
常態化している。
 日本共産党への根強い抵抗感や疑念は、反対行動のみが目立つことで−消費税増税やTPPなど国民生活をより窮乏させる政策に反対するのは必要で
あるが−反対ばかりでは政権側・与党側になるのは無理と認識されていることや、「共産党」の名称に固執することで、旧ソ連や中国、そして北朝鮮など
比較的近距離でもある国家で同一あるいは類似した名称の政党がしでかした最悪の事例と重なり、政権側・与党側になったらあの事例と同様に反対派は
悉く粛清されると認識されていること、そして「戦いの組織者」と自らを位置付けて自らが中心的存在として人々を組織・指導しようとすることに、日頃企業や
地域で組織による束縛や圧迫に苛まれているところに前述の連想や認識が重なり、「企業や地域から離れて一個人になっても尚組織にがんじがらめに
される」と拒否感情を抱かれていることが大きな要因だ。名称の変更も視野に入れることも含めてそれらを克服しない限り、日本共産党が政権側・与党側に
なることはあり得ない。

 リークがイアソンをパーティーに同行させたのは、パーティーと巧みに共同して王政打倒に貢献した若手幹部であるイアソンの将来性を踏まえ、王政打倒・
民主主義政権樹立の統一目標を達成した後の政権担当組織としての「赤い狼」の運営に、幅広い視野角を持って臨めるようにするためだ。イアソンはリーク
から説明を受けているし、政府側・体制側となってからの「赤い狼」の運営はこれまでどおりではいけない、と認識していたからこそイアソンはリークに
パーティーへの参入を推挙された。
 次々と開けてくる未知の世界とその世界に息づく人々の生活とそれらの構造体である文化や歴史。それらを出来る限り見て回り、様々な人が居て様々な
考えや価値観があるという当たり前のことを、王政打倒・民主主義政権樹立一辺倒だったがゆえにそれ以外のことは不要と見なす危険がある「赤い狼」の
これからの運営に生かしたい。イアソンはそう考えている。

「ルイさんのハルガン渡航に同行することは、キャミール教の根幹そのものに触れるまたとないチャンスだ。渡航には距離の関係で何度か近くの国に寄港する
筈だし、そこではまた違う人々や文化に触れる機会が出来る。同行しないって選択肢は俺にはない。」
「そう…。」
「アレンは承諾しない筈がないから別として、承諾するには相応の目的や意志があってのことだろうから、リーナはリーナでじっくり考えて結論を出せば
良いさ。」
「ん…。」

 短い返事の後チョコレート味のデザートを摘むリーナは、アンニュイな雰囲気だ。何時もなら「大それたことを」と鼻で笑うか聞き流すところだが、そうならない
あたりやはり様子がおかしい。だが、下手な詮索はリーナの感情を逆撫でし、激しい折檻を受ける羽目になる危険すらあるため逆効果。ルイの申し出を受託
するかどうかはあくまでリーナが決めることだし、別の角度からどうも「らしく」ないリーナを元気づけようとイアソンは思う。

「気分転換に、ちょっと外に出ないか?美味いケーキのある店に案内するぞ。」
「ナンパのつもり?」
「そういう意思もないわけじゃないが…、気分転換は必要だと思うぞ。このところ元気ないし。」
「元気、ね…。」

 リーナはスプーンを置き、小さい溜息を吐く。

「…これを食べ終わってからにして。」
「あ、ああ。それは勿論。」

 再びアイスクリームを摘み始めたリーナを見ながら、イアソンはじわじわ湧き出してきた歓喜に打ち震える。これまでどれだけアプローチを仕掛けても悉く
一蹴されてきた。ところが今回はすんなりOKを得られた。これがイアソンにとって嬉しくない筈がない。
 リーナを連れ立って外出出来ることで目を輝かせるイアソンの前で、リーナはアイスクリームを食する。何処となく食べるペースが速いように見える…。
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