Saint Guardians

Scene 11 Act1-3 決戦V-Decisive battleV- 戦いは直ぐには終わらない

written by Moonstone

「そうか。悪魔崇拝者は全滅したか。」
「はい。前線で我が国軍に加わった魔術師軍の先遣隊からの報告ですから、信憑性は高いかと。」

 リルバン家邸宅の執務室で始まったフォンとロムノの会話は、王国にとって久々に現状を打開する朗報だ。
悪魔崇拝者の突然の粉砕は以前にもあった。数と勢いに任せて侵攻を続けていた悪魔崇拝者が数を減らしたことでランディブルド王国の国軍は劣勢を
挽回し、悪魔崇拝者をシェンデラルド王国との国境付近まで押し返していた。カルーダ王国からの援軍である魔術師軍を加えて攻撃手段を増強したことで
一部の町村を奪還し、更に国境近くの中損の奪還と悪魔崇拝者の完全追放を目指して交戦していたところで悪魔崇拝者が一斉に粉砕した、との報告が
魔術師軍の手持ちのファオマによって国軍幹部会に続々と舞い込んで居た。
 直ちに事態の終息を宣言することは出来ないから、国軍幹部会は直ちに事実確認のために部隊を派遣しているが、これまで東の地平線に垂れこめていた
暗雲が晴れていく様子が確認出来ることから、悪魔崇拝者に致命的な損害が発生したことや、事態がランディブルド王国にとって幸福な形で終息する
可能性は高いと踏んでいる。

「早い段階で事態が終息しそうで何よりですのぉ。」
「これも、直々に多くの魔術師を率いて我が国軍を支援していただいたおかげです。学長殿。」

 フォンの執務室には主であるフォンとロムノの他、ドルフィンとシーナ、そしてカルーダ王立魔術大学の学長が居る。
今回の魔術師の援軍は、何と学長自ら率いて来た。依頼状をしたためたのが懇意にしていてその能力を高く評価しているシーナであったため、学長は自ら
国王と交渉して合意を取り付けた。そしてまず先遣隊を派遣し、続いて自ら本隊を率いてランディブルド王国へ渡り、入国後はリルバン家邸宅に滞在して
情報収集と陣頭指揮にあたっていた。

「シーナの頼みとあらば断る理由などありはしませんよ。ホホホ。」
「恐縮です。」
「それに、どうしても机上の学問に終始して社会への貢献を忘れやすい大学の魔術師には貴重な実践機会ですし、ひいては両国の友好親善にも寄与する
でしょうしのぉ。」
「学長殿の仰るとおりです。我が国の力魔術や魔術師に対する誤解や偏見を解く有効な機会にもなることでしょう。」

 学長が自ら行動を起こしたのは、依頼状がシーナによるものであったこともあるが、それだけではない。
以前学長が出国前のパーティーに語ったように、魔術大学の魔術師は1本でも多くの論文を執筆して研究業績を重ねることに執心して、実践の機会が
乏しい。魔法の創成や改良は魔術研究の産物だし、それに専念出来る環境として魔術大学がクルーシァと並ぶ世界的な魔術のメッカとして君臨しているの
だが、魔法の効用を確認し、使用出来る力量を備える王道であり唯一の道である称号の上昇には、やはり実践が必要だ。しかし、生命を危険に晒すことも
珍しくない魔物相手の実践にはどうしても及び腰になる。
 どのように実践の機会を増やし、社会への貢献で魔術師や力魔術の認知や理解を高めるか思案していたところに、シーナから実践の機会が齎された。
相手は話し合いなど一切通じない悪魔崇拝者。しかも弱点は魔術の中で扱いやすい部類に属する炎系と明瞭。安全に魔術の使用経験を積めるこの絶好の
機会を見逃すほど、学長は耄碌しては居ない。
 加えて、カルーダ王国とランディブルド王国の友好親善を深める好機でもある。文化レベルや国民レベルでは、ティンルーや銀製品の交易や各種
イベントの訪問で定期路線が就航しているが、国家レベルでは国王同士で面識があるという程度にとどまっていた。宗教の違い−カルーダ王国は首都
カルーダと近辺はキャミール教だが大半はメリア教−もさることながら、やはり主力の魔術系統が異なり、少数派魔術系統が雑用や便利屋程度に軽んじ
られていることが大きい。
 力魔術を主体とすれば衛魔術は治療費や医薬品が高価で−この世界には社会保険の概念がごく一部しかない−手が出しづらい医師や薬剤師の代替と
いう認識になりやすいし、衛魔術が主流であれば力魔術や魔術師は人を殺傷し、脅威しか生まない魔物のような存在という認識になりやすい。更に宗教の
相違は思想の根幹の相違に直結する。
 我々の世界における人権の概念は、「人は神の子である」とするキリスト教の基本思想があって、「等しく神の子」でありながら人が創り出した階級社会に
よって、王侯貴族は生まれながらに文字どおりの貴族生活に浸れるのに対し、圧倒的多数の農耕民は生まれながらに収奪と搾取の生活に甘んじることへの
疑問が生じたことが源泉だ。
 そこに「神の見えざる手」による自由経済や市場万能を説いたアダム・スミスをはじめとする自由経済理論の失敗や破綻、それまで主流であった君主主権の
概念とそれを背景にした絶対君主制から、人民主権と共和制の必然的な要請と一部の特権層に依らない法治主義を主張したルソーの思想などが加わり、
「神の子」である人は等しくあるべきとする人権という概念が生じた。「神の子」はキリスト教における唯一神との契約が前提であり、未契約の人は人権の適用外
とされたことで、中南米の先住民国家に対する収奪や滅亡、黒人奴隷など深刻な負の側面を生みだしたことは事実であるが、思想の源泉に宗教があり、
異文化の理解は宗教の理解が有効であるとされるのはそのためだ。
 「王立」の看板を掲げる魔術大学の頂点である学長は、ランディブルド王国への魔術師派遣に消極的だったカルーダ国王に、その先頭に立つことで国家
中枢レベルの交流による両国の友好親善を説いて実行に移した。その意志を汲んでいるフォンはランディブルド国王に学長を謁見させ、悪魔崇拝者撃退を
共通目標とする衛魔術と力魔術、ひいてはランディブルド王国とカルーダ王国の相互理解と友好親善の機会を説いて理解を求めた。
 未確認ながら魔術師との共同戦線の下で悪魔崇拝者が一挙に全滅し、更に工作員として潜入させたフィリアとイアソンの活躍も推し量れるには十分である
から、魔術師の有効性と悪魔崇拝者撃退を共通目標とした二国間協力は大成功に終わり、ひいては内部からも悪魔崇拝者殲滅を図ったフォンの知略や
思慮や先見性が更に人望や信頼を高めるのは必然である。

「『人脈は金脈である』との格言どおりです。是非これを契機に、両国中枢や魔術師、聖職者間の交流が深まることを願ってやみません。」
「『交流なきところに友好なし』『疎遠は誤解の源泉である』とも言いますしのぉ。ワシも国王に両国間の交流を深めるよう進言しますとも。ところで…。」

 学長は一呼吸置く。

「ワシだけでなく、ドルフィンとシーナも招集されたのは、共同戦線からの朗報の周知だけではありますまい?」
「…流石は学長殿。思慮の幅や深さは魔術だけではないですな。」

 学長にもう1つの目的、もしかするとこちらが本題であることを見透かされたフォンは、3人にソファへの着席を促す。3人が着席した向かいにフォンが腰を
降ろし、ロムノはメイドを招集して茶菓子を手配させてフォンの脇に立つ。

「ドルフィン殿とシーナ殿から聞き及んでおられるかもしれませんが、当初今回の援軍と共同を依頼することを考えていたウィーザ・ムールス殿を含む、
クルーシァの動向全般について意見交換などをしたいと考えて、ご足労いただきました。」
「シーナがウィーザ殿の弟子であることをご存じのようですな。」
「ええ。今回の依頼状執筆委任の際に、シーナ殿からお話を伺いました。」
「では、大方の認識は共通しているという前提でお話してよろしいですな。」

 学長は再び一呼吸置き、表情を引き締める。

「カルーダには今のところクルーシァからの攻撃はありません。ですが、此処に居るドルフィンとシーナはクルーシァを追われて生き別れになりました。
クルーシァから脱出後滞在していたシーナの存在を知ったセイント・ガーディアンの1人ゴルクスと激しい戦闘を展開しましたし、つい最近もゴルクスがマリスの
町に場所を移していたシーナの存在を突き止め、偶然立ち寄っていたドルフィンら若者のパーティーを襲撃しまして、ドルフィンが重傷を負いました。それが
なければパーティーがこの国を訪れることはなかったでしょうし、シーナを介してワシらカルーダの魔術師がこの国に招聘されることもなかったでしょうが
のぉ。」
「加えて、レクス王国における急激な強権体制の確立の背後には、やはりセイント・ガーディアンの1人であるザギが暗躍していました。」
「ザギと言いますと、アレン殿の父上を拉致した上に、一連の我が国と隣国の混乱に関与している疑いが濃厚である。」
「そうです。そのザギはカルーダ王国のラマン教にも干渉し、内部対立を先導してその隙に古代文明の遺物であるラマン教の秘法を奪おうと画策していた
ことが分かっています。リルバン家の後継争い−と言っても実質ホークとナイキによるリルバン家乗っ取りですが、その背後に居たザギの顧問がそうであった
ように、ザギとゴルクスは世界各地を飛び回って各地の内紛や騒乱に関与・扇動しています。ザギとゴルクスはどちらも現在クルーシァを支配している
ガルシアというセイント・ガーディアンの配下にあります。」

 学長に続いてドルフィンがこれまでの経緯を解説する。間違いなくザギとゴルクスが各地で混乱を引き起こしていて、そこには古代文明の圧倒的な
テクノロジーを我がものにしたり、恩を売るのと引き換えに恒常的な資金収奪を目論むなど、悪魔との契約と錯覚するような狡猾さを漂わせている。そしてその
曲者を束ねるのが、未だ姿を現さずにクルーシァに鎮座して動きを見せないガルシアだ。

「全ての混乱の原因はクルーシァにあると言っても過言ではないようですな…。」
「残念ながら。」
「既にドルフィン殿とシーナ殿には話してありますが、学長殿。クルーシァの手はキャミール教の聖地ハルガンにも及んでいる可能性があります。応答が
途絶えている聖地ハルガンはクルーシァに比較的近い。国王陛下も大変心配しておられます。」
「ふむ…。今のところザギとゴルクス、クルーシァに鎮座しているらしい首領格ガルシアを除くセイント・ガーディアンは全員所在不明。セイント・ガーディアンに
対抗出来るのはセイント・ガーディアンとそれに並ぶ資質を持つ者のみ。後者は世界的にもごく限られておる以上、本格的にクルーシァが動き始める前に
抜本的な対策を講じた方が良さそうですのぉ。」

 セイント・ガーディアンは「大戦」後に地上を支配した悪魔の軍勢を僅か7人で退けたという7の天使の力と技、そして黄金の鎧を3000年以上の長きに
わたって受け継いでいる。クルーシァ自体がセイント・ガーディアンやその衛士(センチネル)の候補者を養成し、その一環として武器防具や魔術の研究開発
にも携わる修業国家だ。クルーシァの住人に選ばれた者しか入国出来ず、その中で生活そのものが訓練をいう期間を生きる屈指の強者が多数集約されて
いるのだから、本格的に動き始めたら世界全域がクルーシァの軍門に下ることになるだろう。
 世界中の国家の軍隊を統率するのは実質不可能であり、クルーシァの軍勢とまともに対峙出来る存在はセイント・ガーディアンを師匠に持つドルフィンや
シーナなど、ごく限られている。ならば、本格的に動き始める前に禍根を断つことが、甚大な犠牲を未然に防ぐ唯一の策だ。

「学長殿には、カルーダ国王陛下にクルーシァの危険を説いて、有事の際には魔術師を動員出来るような体制作りを進言していただきたいのです。」
「承りました。学内でもワシや教授や主任教授など、指導を担当する者が先頭に立って、魔術師の社会貢献の一環として体制作りを進めてまいりましょうぞ。」
「ご理解に感謝いたします。…ドルフィン殿とシーナ殿には、パーティーを実質主導する立場にあることを踏まえて依頼したいことがあります。」

 前置きしたフォンは、ある構想について話して協力を申し出る。目的は禍根を根本的に断つことに繋がる可能性があり、聖地ハルガンとキャミール教の
危機を救う可能性もあるものだが、幾つかの危険を孕んでいる。特に1つは必ず隠匿しておかなければならない性質のもので、発覚は重大な危機に直結
する。しかもこの構想に協力することは、パーティー間で知る者と知らない者が混在することになり、仮に発覚すればパーティーの内紛、最悪内部分裂に
繋がる危険すらある。ドルフィンとシーナを執務室に招聘して構想を明かしたのも十分納得出来る。

「…ルイ嬢に知られずに引き留める期間を伸ばそうとするのは、正直賛同しかねます。」
「私も同じです。秘密は順守しますが、まずは親子として真摯に向き合うことから始めるべきではないかと。」
「それは分かっているが…。」

 フォンも、この構想が発覚すればルイの怒りを買って出奔されることは確実だと推測出来る。アレンと別れさせようとするものでなくとも、自分の合意なく
リルバン家に引き留めようとするものであれば、リルバン家当主の地位や名誉に一片の未練もないルイは直ちにアレンについて行き、ランディブルド王国と
リルバン家双方に絶縁状を叩きつけるのは間違いない。それだけアレンとの交際やリルバン家との関係に過敏なルイとの相互理解を深めるのは、リルバン家
当主という現在の地位に伴う職務の数々がなかなか許さない。
 だからこそ聖地ハルガンの危機を利用するような形の策を講じ、パーティーのリーダー格であるドルフィンとシーナに協力を依頼したのだが、リルバン家の
従者でもない2人にはそう簡単に賛同出来るものではない。

「横から口を挟む無礼を承知で申し上げます。」

 情勢が不利なフォンにロムノが助け船を出す。

「現状では、ルイ様が我が国に滞在する時間は残り僅かです。それまでにフォン様がルイ様と接触できる時間は更に僅かしかありません。リルバン家における
負の連鎖を断ち切るためには、現状ではルイ様とリルバン家を繋ぎとめる線を切らないこと、線を確かなものにするための時間を設けること、これらが
どうしても不可欠なのです。」

 ロムノも以前イアソンと合意したように、ルイとフォンに必要なことはリルバン家の継承やランディブルド王国の運営ではなく、親子として向き合い言葉を
交わし、誤解を説いて理解を深めることであることと、先代から続くこの国に付きまとう民族差別と貴族階級に付きまとう後継争いに纏(まつ)わる人間関係の
負の連鎖を断ち切らないことには、ルイとフォンの理解はあり得ないことは十分承知だ。しかし、何より時間がなさすぎる。
 ルイがヘブル村に一時帰郷したのは、アレンと行動を共にするために、そしてランディブルド王国やリルバン家と自分を繋ぐ足枷になると認識しているで
あろう聖職者を辞職する手続きを取るためであると見て間違いない。辞職手続きが完了したら残るはアレンの決意表明を待つばかりとなる。ヘブル村の
最新の様子はまだ伝わっていないが−私設部隊を尾行させている−、フィルに戻る前から構想を進めないと、ルイが出奔するのを指を咥えて見送るしか
なくなる。
 これまでの人生と記憶の殆どに重なる聖職者の地位と名誉、そして故郷を含めたランディブルド王国との繋がりをルイは自ら切り捨てようとしているのだ。
辞職の手続きを止めることは教会と聖職者の自律行為への干渉として厳禁だ。ならばルイとフォンやランディブルド王国との繋がりを少しでも引き延ばし、
ルイとフォンが親子として理解を深める機会を増やすこと以外に、現状では有効な手段はない、とフォンとロムノは考えている。

「僅かな時間しかないからこそ、その時間を次に生かすために使うことを考えられてはいかがですかな?」

 ドルフィンとシーナが不同意を暗喩する沈黙に徹して膠着状態に陥ったところで、学長が口を開く。

「ワシには推測の域を出ない部分が多々ありますし、フォン様のプライベートに踏み込むつもりはございません。それゆえに認識が誤っている部分があるかも
しれませんが、その辺りはご容赦くだされ。」
「…いえ、忌憚ないご意見などいただければ。」
「流石に、ランディブルド王国屈指の一等貴族当主と内外に誉れ高いだけのことはありますのぉ。」

 学長は一等貴族当主の地位に甘んじず、しかしその地位から生じる責任を逸脱することなく、可能な限り現状の打開を図るフォンの思慮の深さと、そのため
ならあらゆる意見に耳を傾けるフォンの謙虚さに内心感心して、話を再開する。

「期間を引き延ばしても、その期間で結果が出るとは限りません。むしろ、期間を引き延ばしたことによる安堵が『これで駄目ならまた引き延ばせば良い』と
いった安易な考えを生み、不本意であったり、本来得られる筈だったものより悪い結果を生む危険すらあります。」
「…。」
「人の心は思いどおりにはならぬ者。それは親子でも変わりませんし、距離と時間が離れていれば尚更のこと。じゃが、距離と時間が離れていても通じ合う
こともあります。その1つが、ワシの隣に居るドルフィンとシーナです。」

 ドルフィンとシーナはガルシア一派のクルーシァ制圧に伴いクルーシァを脱出したが、執拗な追撃を受けた末に生き別れた。それから3年の年月が流れ、
ドルフィンはレクス王国にあるリーナの実家に住みつき、シーナはカルーダ王国のマリスの町の町長夫妻の娘として暮らしていた。
 アレンに同行していたドルフィンがマリスの町に入ったことで2人は再会し、紆余曲折を経てシーナの記憶は復活して今に至る。シーナはゴルクスとの
決闘で記憶を封印されていたが、駆け落ち同然にドルフィンに連れ出されて旅を続けるうちに記憶を封印される前と同じ気持ちを抱き、メリア教の戒律を
承知の上でドルフィンに全てを許した。
 記憶の有無に関わらずドルフィンとシーナの心が結びついたのは、それだけ互いを理解し不可欠の存在と認識していて、心の最深部に根を降ろしている
からだろう。

「2人の関係は無からいきなり生じたものではありません。幼い頃から少しずつ、クルーシァに渡ってからも言葉と心を通わせ続けることで育んだものです。
基礎である根の部分から時間をかけて育んだからこそ、距離と時間を隔てても揺るがない絆の花が咲くのです。フォン様とルイ様−確か隣国ウッディプール
王国の神話における『朝の雫』という意味でしたな、お2人の絆には根が殆どないようにお見受けします。そこから花を咲かせようとしても、愛情や信頼という
栄養が行き届かないがために良い花は咲かないでしょう。無理に咲かせようとすれば僅かな根も腐り、二度と花を咲かせることは叶わぬでしょう。」
「…。」
「ルイ様は一度はこちらに戻られるとのことですから、その時、もう一度此処に戻りたい、フォン様と話をしてみたい、という気持ちをルイ様の心に生じさせる
ことを考えられる方が良いでしょう。そのお気持ちは心を土壌とする絆の種です。親子という心の植物もそこから大切に育んでいくことが肝要でしょう。」

 ルイとの和解交渉の機会を増やすために策を講じるより、残りの時間でルイに望郷や親子関係への憧憬を抱かせ、和解交渉に応じたいと思わせることが
大切という学長の意見は、ドルフィンとシーナの心境を代弁するものだ。
 どうしてもフォンやロムノは親子関係の涵養よりリルバン家の継承やランディブルド王国の運営が前面に出てしまう。職務ならそれで問題ないが、ルイは母
ローズが不遇なままこの世を去った原因を作ったリルバン家とフォンに対する怒りを解消してはいないし、今ではアレンとの交際に干渉されることに非常に
敏感になっている。ルイの怒りや警戒心、そして不信感を取り除かないままリルバン家やランディブルド王国云々を持ち出して親子関係の構築を求めても、
ルイの怒りを買うことはあっても合意や納得を得ることはまず不可能。まかり間違ってもあってはならないが、万が一アレンとの交際にリルバン家や
ランディブルド王国を持ち出して干渉しようとすれば、ルイは「母と同じ悲しみや苦しみを味わわせるつもりか」と迷わずリルバン家やランディブルド王国に後ろ
砂をかけることを選ぶ。そうなったら親子関係の構築は絶対不可能になる。
 ルイを引き留めようと躍起になるのではなく、ルイが自ら戻ろうと思うようにする。勿論容易ではないが、気づいたら先代と同じ立場で同じ轍を踏む最悪の
連鎖を作らないためには、やはり一足飛びの成就を狙わず「始めの一歩」から進めていくことが必要だ。
 父親でありたいとは思うものの父親になりきれていないフォンが、自意識の理想と現実のずれに苦悩する日々はまだまだ続きそうだ…。
 舞台をシェンデラルド王国に移す。
 重苦しく空を覆っていた黒雲は陽光に切り裂かれて青空に溶けていく。風もないのにこれだけ急激に空模様が変わるのは、シェンデラルド王国を覆って
いた黒雲が気象によるものではなく悪魔召還によるものだったことは間違いない。上級悪魔1人を召還することで国1つを覆うほどの黒雲が現れるのだ。
モレクが復活を願う7の悪魔が再び地上に現れるようなことになれば、一度も太陽を見ることなく一生を終える環境が出来てしまうだろう。

「さて、お前達のことだが。」

 すっかり開けた空の下、ルーシェルが口火を切る。

「何処から来た?」
「最後に立ち寄ったのは、ランディブルド王国側のライラという町です。」
「ほぼ中央部か。ワイバーンでシェンデラルド側の国境付近まで届けてやろう。」
「ご厚意に感謝します。」

 イアソンはまだモレクの発した声や臭いのダメージから完全に立ち直れないフィリアの代わりも含めて、ルーシェルに謝意を表する。
悪魔崇拝者は全滅しただろうし、何処からかやって来て住み着いていたクロウバルチャーなど悪魔に近い忌まわしい魔物も退散しただろうから、ドルゴでも
移動は容易だろう。そこに移動速度と高高度飛行を加えれば、より安全だ。しかも、ワイバーンを召還出来てアバドンやモレクなど中級〜上級の悪魔も倒せる
ルーシェルが居る。ワイバーンは竜族の亜種ということで弱いと思われがちだが、竜族には及ばないものの魔物の中では非常に強い部類に属する。
ワイバーンを召喚出来る=一度は倒したことがある実力を持つルーシェルが居れば、1000人の兵隊に護衛されるより心強い。
 本当のところ、ルーシェルには自分達を送り届けて終わりではなく、このまま自分達に同行して首都フィルに入り、パーティーに合流して欲しいところだ。
セイント・ガーディアンの1人であるルーシェルは、武器であるエクスカリバーの能力を差し引いても攻撃・防御共に最高クラス。パーティーに参加すれば
間違いなく強大な戦力になる。
 だが、ルーシェルは現在のパーティーの実質的な中核であるドルフィンを慕っている。そのドルフィンはシーナと婚約中で、やはり実質的には夫婦関係に
ある。ルーシェルはそのことを知っているだろうし、ルーシェルが加わることでシーナとの対立が生じる可能性がある。
 現在のパーティーは、アレンとルイが交際を始めたことでフィリアがルイに激しい嫉妬心を向けている。アレンはルイをパーティーに加えるだろうから、内部
対立が常に付きまとうことは確実。そこにパーティーを能力面でも精神面でも主導するドルフィンとシーナにルーシェルという対立の火種が加われば、
パーティーの内部分裂の危険もさることながら、当事者以外は生きた心地がしないだろう。
 恋愛感情に纏わる揉め事は、往々にして激情や劣情を生む。嫉妬は勿論、嫌がらせや策略によって仲違を企てるなど、恋愛絡みでは珍しくない。ドラマ
など自分が完全に第三者として観覧出来るものならハラハラドキドキの展開を楽しめるが、パーティーのメンバーとして当事者の一部になるとなれば、思わぬ
被害を受けることを覚悟しなければならない。ルーシェルが単独行動を続ける意向なのは、自分がパーティーに加わることで内部分裂を引き起こさないため
だろうし、そのくらいの思考は働くと見て良い。

「ランディブルド側も悪魔崇拝者を押し返していただろうから、早いうちに合流出来るだろう。その後のことはお前達次第だ。」
「はい。惜しむらくは、今回もザギの居場所を突き止められなかったことです。影はしばしば見られるのですが本体はなかなか姿を現しません…。」
「影が動くより早く動くか、影を作る光を消すかだ。影は本体なくして存在し得ない。」
「深いお言葉ですね。」
「褒めてもザギは姿を現さないぞ…!」

 ルーシェルは何かを感じたらしく、反射的な速さで後方の空を見上げる。かなりの高度で西に向かって飛行していくものが見える。

「まさか、あれはザギ…?」

 イアソンが言うが早いか、ルーシェルの左手に黄金の光が長槍を成し、それをルーシェルが投げつける。非詠唱によるライトニング・スロー5)は青空に
向かって猛スピードで駆け上がり、見事に飛行物体を捉える。爆発が起こり、数秒のタイムラグの後に爆発音が届き、飛行物体が落下していく。ルーシェルは
素早くワイバーンを召喚して飛び乗る。

「早く乗れ!」

 怒声に近いルーシェルの命令に、イアソンはまだ回復途上のフィリアを抱きかかえ、ルーシェルの後ろに飛び乗る。アレンにされることが夢だった「お姫様
抱っこ」をイアソンにされたことをフィリアは残念がるが、自分と現在の状態を考えれば文句を言える場合ではない。
 フィリアとイアソンが態勢を整える間もなく、ルーシェルはワイバーンを飛び立たせる。急な加速を伴う上昇は強いGを生む。モレクの強烈な残滓の影響から
まだ十分脱しきれていないところに全身に圧迫感を加えられるのはたまらないが、今体勢を崩せば急速に遠ざかる悪魔の牙城跡に真っ逆さまだし、
ルーシェルの救助は望めない。文字どおり死にたくなければひたすらワイバーンの鱗にしがみつくしかない。
 3人を乗せたワイバーンは垂直に近い角度で急上昇し、水平飛行に移行してもスピードを落とさずに西へ猛進する。森から影が飛び出し、森すれすれの
低空飛行で西に飛び去っていく。黒煙を立ち上らせている影は次第にワイバーンとの距離を広げていく。ルーシェルは影の正体を目視出来たものの、
ワイバーンで追跡しきれない6)ことを悟って歯を軋ませる。

「おのれ…!逃げ足の速い…!」
「ルーシェル殿。あれはやはり…?」
「ザギだ!お前達には悪いが、このまま奴を追う!」
「如何様にも!」

 ルーシェルとの短いやり取りで、イアソンはルーシェルの本気を察して行動を委任する。
イアソンにとって、ルーシェルがザギを追跡し続けることは、レクス王国以降姿を現すことなく各地で暗躍するザギを捕え、囚われの身となっているアレンの父
ジルムを救出することへと繋がる可能性が高まる。ルーシェルの実力はこれまでの戦いの数々で嫌と言うほど見せつけられた。セイント・ガーディアンの実力
格差は不明だが、ザギと一騎打ちに持ち込めば勝算は十分ある。それに、ルーシェルが単独行動を続ける意向であるから、ルーシェルと行動を共に出来る
この機会を逃すと、次にザギと邂逅出来るのは何時になるか分からない。ルーシェルをある意味利用する形ではあるが、可能な時に一気に進めて
おかなければいけない場合もある。
 ルーシェルがザギの追跡に執念を燃やす理由は語られていない。母国を悪魔とそれらが発する毒気に蹂躙されたことに対する怒りか?或いは「大戦」後に
地上を支配した悪魔の軍勢を倒した力と技を受け継ぐセイント・ガーディアンにあるまじき悪魔召還に手を染めたことへの制裁のためか?正解を知る術は
今のところない。しかし、ルーシェルは母国を蹂躙していた悪魔崇拝者の首領である悪魔モレクを倒して終わりではなく、この事態を作りだしたザギを追って
いる。セイント・ガーディアンと戦えて勝利出来る可能性がある存在はごく限られている。ルーシェルはそれを分かっているからこそ、ガルシアの先兵として
各地で深刻な事態を引き起こしているザギに抹殺と等価と見て良い粛清を行うべく追っているのかもしれない。
 影−ザギはルーシェルが操縦するワイバーンから更に距離を置き、ついには見えなくなる。しかし、ルーシェルはまるで見えているかのように追跡の手を
緩めない。ワイバーンは国境を超える。国境を越えた先は言うまでもなくランディブルド王国。ルーシェルも、その背後で懸命にワイバーンの鱗にしがみつく
フィリアとイアソンも知る由もないが、航路がこのまま直進するとある地点に出る。その地点とは…。

用語解説 −Explanation of terms−

5)ライトニング・スロー:力魔術の1つで雷系に属する。術者の掌に雷を凝縮し、槍の形態として対象に投げつける。対象に強い衝撃を与えると同時に数十万
ボルトの高電圧が襲う。光速に近い速度で飛行するため、回避は非常に困難。Enchanter以上で使用可能。


6)ワイバーンで追跡しきれない:セイント・ガーディアンは、鎧によってフライの魔法に相当する自由飛行の能力を得ている。この飛行速度はワイバーンを
上回る。この能力はゼロレンジ、すなわちセイント・ガーディアンのみ働くため、他人を抱えるなどして飛行することは出来ない。


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