Saint Guardians

Scene 10 Act3-3 激震-Major earthquake- 膠着の殻を打ち破る嘴

written by Moonstone

 王国議会を終えたフォンは、邸宅の執務室で安堵と苦悩が混濁した深い溜息を吐く。
王国議会は自分が提案代表者となった議案−避難民への物資と資金の援助を強化し、カルーダ王国から魔術師を招聘して悪魔崇拝者を迎撃撃退する
案が、採決の結果賛成多数で可決された。バライ族排斥と国軍による総攻撃を提唱した強硬派の一等貴族ファイレーン家とヌルドール家も、早期の事態
収拾のためならと採決後に同調し、出資することを表明した。これらは予想どおりだ。
散会後、議長カティスに呼び出され、改めて「お家事情」の収拾、すなわちルイとの関係正常化と後継指名を行うよう勧告を受けた。これも予想どおりだ。
王国議会で強硬派の二等三等貴族議員から「お家事情」を突いた攻撃を受けることも予想していたし、それは的中した。だが、攻撃や勧告を受けても
ルイとの関係正常化への見通しが立てられないことには変わりない。
 現在ヘブル村へ一時帰還しているルイが予定終了後すんなりリルバン家に戻り、そのまま自分の娘として、ひいてはリルバン家次期当主として生きることを
選ぶとは思えない。アレンと非常に親密であり、そのアレンが攫われた父親の捜索と救出に向けて旅を再開することは確実な以上、ルイがアレンと行動を
共にすることを選ぶことは想像に難くない。
 教会輩出の王国議会議員や王家か一等貴族の宗教顧問などエリートコース邁進が十分期待出来る聖職者としての道も、今のルイには何らランディブルド
王国に留まる理由とならない。むしろアレンへの帯同の邪魔になるとして辞職という形であっさり捨てさるだろう。かと言って、アレンとの関係に干渉しようと
すればルイの怒りと不信は一挙に頂点を突破し、リルバン家との絶縁へと躊躇いなく踏み切るだろう。静観でも干渉でも現状ではルイをリルバン家に留める
可能性が見い出せない以上、フォンには手の打ちようがない。

「…私設部隊からの報告は入っているか?」

 苦悩に歪んだ表情で押し黙っていたフォンは、傍らに待機していたロムノに尋ねる。

「キャリエール中佐配下のヘブル村駐留国軍の護衛を受けて無事ヘブル村に入られた後、ヘブル村中央教会での職務に復帰された模様です。」
「キャリエール中佐が動かれたか…。」
「はい。ルイ様に同行しているクリス様はキャリエール中佐の実子。実子がルイ様と共に帰還されるとの情報を掴み、手持ちの部隊を派遣されたのでしょう。」

 アレン達がヘブル村へ向かう最中、背後では様々な動きがあった。
国軍幹部会の指示を受けた経路上の町村駐留の国軍、クリスの父でもあるヴィクトス・キャリエール中佐を筆頭とするヘブル村駐留国軍、そしてフォン配下の
リルバン家私設部隊が、それぞれルイの身辺警護とヘブル村への曳航に向けて動いていた。
 途中からアレン達が町村から離れたコースを取ったことで、国軍は更にアレン達に接触するのが困難になった。指示を出した国軍幹部会もフォンとルイの
微妙な関係に留意して行動はフォンに伏せている。そんな中で護衛と称して強引に接触すれば、ルイが感情を害して以降の和解交渉が暗礁に乗り上げる
危険性がある。
 国軍が追跡しながらも手を出しあぐんでいた一方で、私設部隊は隠密行動に徹していた。私設部隊は性質上表立ったことは出来ない。ルイの素性が伝搬
するにつれて、ルイを狙う動きが表面化してきた。特徴を掴めば賊がルイ追跡を開始するのは当然だ。拉致すれば生死を問わずに巨額の身代金を
得られるし、人違いを躊躇っていては賊稼業は出来ない。その動きを私設部隊は秘密裏に封じてきたが、国軍よりもルイ接触から遠い位置に居た。
 そこにヴィクトスの勅命を受けたジェバージ師団長を筆頭とするヘブル村駐留国軍第1師団第1大隊がアレン達に接触し、ヘブル村までの護衛の任に
就いた。ヴィクトス命令での護衛は私設部隊にとっては朗報であったが、国軍にとっては微妙だった。国軍幹部会の命令で接触の機会を窺っていたところに
割り込まれて、そのまま護衛の任を奪われたのだ。しかし、秘密行動の上に「娘と村の聖職者役員を送迎に向かわせた」と主張されればヴィクトス配下の
国軍の方に理がある。
 複数の軍勢が水面下で静かな攻防を展開した結果、アレン達はヘブル村に無事入ることが出来た。このことは今後ルイの耳に入ることはないだろう。
軍隊が絡む隠密行動とはそういうものだ。

「ルイがどのくらいヘブル村に滞在するかは分かるか?」
「詳細は不明ですが、ヘブル村での御役職である中央教会祭祀部長の職務後継者が選定されるか、引き継ぎを行うまでの期間と思われます。」
「さほど時間は残されていないか…。」

 ロムノの報告にルイが聖職者を辞職する意向であることが含まれていると分かるフォンは、再び深い溜息を吐く。
正規の聖職者は何処でも慢性的な人手不足であるし、町村の中央教会の祭祀部長に就任出来るクラスの聖職者となると尚更各町村の教会は引き留めを
画策する。そんな状況だから欠員が出たことで異動要請を出してもすんなり後継が決まるとは限らないが、個人の意向を阻止することは出来ない以上、
ルイの辞職を受けて何らかの後継対策がなされるだろう。
 逆に、後継対策が完了すればルイは聖職者を辞職してヘブル村を出る、ひいてはランディブルド王国を出奔すると考えるのが自然。専任ではなく兼任で
後継対策が進むとすれば、中央教会祭祀部長という役職の性質上2週間程度で完了するだろう。ルイとの関係正常化を目指すには、フォンに残された
時間はあまりにも少ない。
 フォンとロムノが苦悩で沈黙していると、ドアがノックされる。フォンが応答するとドアが開き、一等執事の1人が入室してくる。

「フォン様。国王陛下と中央教会総長様のご連名による照会です。」
「照会…?」

 フォンは一等執事から書面を受け取り、目を通す。暫くしてフォンはペンを取り、書面に回答を記入していく。

「これを提出してくれ。」
「承知いたしました。」

 一等執事は回答が記入された照会状を受け取り、恭しく一礼してから退室する。

「…現在滞在中のパーティーの概要と、行動方針に関する照会だった。」

 沈黙の後、フォンが小声で言う。性質上、照会内容について他言するのは好ましくない。最も信用が置けるロムノだからこそ明かせるものだ。

「国王陛下と総長様がご連名で、縁があって我が邸宅に滞在中の遠い異国から来たパーティーについて照会されるとは、どういう御了見か?」
「総長様が関与されていることからして、外国人の素性調査だけではないものと思われます。」

 この世界は国家間の外交関係に依らない人の交流が比較的盛んであるが、国家レベルになると外国人の意図不明な長期滞在に敏感になることはさほど
変わらない。他国による内政干渉や反乱の扇動、技術や国民の流出や拉致など、国家を揺るがす不測の事態に繋がるリスクと位置づけられるためだ。
 移民受け入れの模範とされるアメリカでも、国家レベルの治安や諜報を担う役所であるFBI(連邦調査局)やCIA(中央情報局)はアメリカ市民権、すなわち
アメリカ国籍が必要であるし、その取得は非常に難しい。更に身辺調査が非常に厳格に行われる。捜査情報の漏洩や二重スパイを未然に防ぐためには
当然のことだが、アメリカなら移民にも平等にチャンスがあり、受け入れも積極的とする宣伝は、低賃金で働かせる単純労働者かアメリカの国力増強に繋がる
科学技術分野で博士研究員など所謂ポスドクをはじめとする任期付き研究者や学生に限ったものであることが抜け落ちている。元々移民の受け入れに
積極的な財界などが、より安い労働力を求めて移民受け入れを政府に迫っているのだからこれも当然であるが、外貨獲得や安価な労働力の供給を目的と
した外国人の受け入れと、治安や国家体制の維持の観点から見た外国人に対する警戒は別のものだし、並行して存在するものだ。
 シルバーローズ・オーディションや生誕祭、復活祭などキャミール教関連の行事が全国的に行われるため、ランディブルド王国はこの世界の中でも
外国人の受け入れに積極的な国家だ。しかし、それはあくまで観光レベルの話であり、長期滞在となると見方が変わってくる。しかも滞在先は国王にも非常に
近く、国家運営に絶大な影響力を有する一等貴族当主の邸宅。更に先の王国議会でもシーナの名前が挙がったように、議案やその実現性にも少なからず
関与するほどになっている。国王と場合によっては国王以上の存在感や影響力を発揮する国の中央教会総長が、リルバン家に長期滞在している
パーティーに警戒を含んだ関心を向けるのは当然と言えよう。
 だが、ロムノは今回の照会に治安や国家体制の維持ではない意図があると感じる。それはロムノも知るランディブルド王国のある事情が背後にあると
考えられるからだ。

「…ロムノ。引き続き外部の動向に注視してくれ。」
「承知いたしました。」

 今のフォンに課された課題には、情勢の集約と対症療法的な対策を講じることしか出来ない。一等貴族当主就任からまだ日が浅い方だが、これほど困難な事態に遭遇したことはなかったと思う。だが、ルイとの関係は非常に微妙でしかも脆い。15年の空白と断絶を乗り越えてルイと親子となるには、フォンに
残された時間と可能性はあまりにも少ない。
 再びドアがノックされる。フォンの応答後入室して来たのは、まだ若い二等執事の1人だ。

「フォン様。パン町の役所から連絡が入り、カルーダ王国から魔術師の団体が入国したとのことです。」
「来たか。」

 懸案の1つが打開に向けて大きく動き始めた知らせに、フォンは思わず席を立つ。
シーナは懇意にされている学長宛に依頼状をしたため、魔術師の社会貢献や実戦経験を重視していることから承認される可能性は高いと推察していたが、
予想よりずっと早い到着の知らせに、ルイとの関係正常化に苦悩していたフォンは久しぶりに気分が高揚する。

「現在、魔術師団体はどうしている?」
「フォン様の依頼状並びにカルーダ王国の魔術大学学長様の紹介状の確認が終わり、現在は国軍の護衛を受けながらフィルに向かっているとのことです。
恐らく一両日中に我が町に入り、フォン様への表敬訪問を希望すると思われます。」
「分かった。魔術師団体の拠点とするため、近隣のホテルを必要数確保してくれ。併せて、遠征に必要な物資と報酬を含めた資金の準備を。」
「承知いたしました。」

 二等執事は深々と一礼して退室する。フォンは翻ってロムノにも命じる。

「ロムノ。魔術師団体の謁見希望に備えてスケジュールを調整してくれ。併せて関係各位に物資と資金の提供を呼び掛けてくれ。」
「承知いたしました。」

 ルイとの関係正常化や後継指名は棚上げし、国土をじわじわ蝕む悪魔崇拝者の撃退のために環境を整備することがフォンにとって急務だ。
頭を切り替えたフォンはロムノが退室した後、先の議会で可決成立した緊急事態対処法案の賛同者や一等貴族当主に向けて、国難排除に向けて総力を
挙げて魔術師団体の支援を行うよう求める要請書の準備に着手する。カルーダ王国からの客人であり要人でもある魔術師団体の歓迎に向けて、
リルバン家はにわかに慌ただしくなり始めた…。
 空を覆う鉛色の雲の厚みと重みが増してきているのが分かる。昼間であることは周囲をライトボールなしで一応視認出来ることで認識出来る程度で、町を
囲む壁の向こうに見えてきた王家の城周辺の上空はそれすらも怪しそうだ。
 フィリアとイアソンは息を呑む。益々激しくなってきた悪魔を含む強力な魔物の迎撃を破り、ついにシェンデラルド王国の首都カザンを目前に見据える
位置に到達した。昼夜を問わない断続的な襲撃で十分睡眠が取れないことで、フィリアとイアソンの疲労はピークに達している。持参した薬品類の中に入って
いた強壮剤の連続服用、シェンデラルド王国とランディブルド王国の解放を一挙に実現出来る可能性に近付いたことと一種のランナーズハイと言える睡眠
不足から生じる高揚感が、疲労感を麻痺させている。
 カザンが悪魔の手に落ちたことは最早明らかだ。見張り台や門の周囲に見張りの兵士が居ない代わりに、上空にはクロウバルチャーとインプなど下級の
悪魔が多数旋回し、壁の周囲にはダークナイトとミノタウロスがたむろしている。これだけの魔物を前にして人間の生存を期待するのは楽観的を通り越して
夢想的という他ない。

「いよいよ、ですね…。」
「此処からが本番だ。」

 高揚感と焦燥感から思わず呟いたフィリアに、ルーシェルが釘をさす。
構造が全く不明なカザンの最深部に鎮座する王家の城に、シェンデラルド王国に跋扈する悪魔崇拝者と彼らを統率する悪魔の頭領が居ると推測されるが、
こちらも内部構造は全く不明。狡猾なことでは人間を上回る悪魔だから、どんな巧妙で陰湿なトラップを仕掛けているか分からない。兵力差だけを見ても
単純に突入すれば解決すると考えるのは短絡的だ。

「総攻撃をかける。お前達は私の後衛に徹しなさい。」
「「はい。」」

 話し合いの通じる相手でないし、敗北は惨殺か凌辱か生贄として宴に供されるかの選択しかない以上、徹底的な攻撃で叩き潰してねじ伏せるしかない。
フィリアは最上級の魔法、イアソンは爆弾と焼夷弾と手持ちの最上級を準備し、ルーシェルの後衛と自身に迫る文字どおり魔の手を根絶やしにすべく体勢を
整える。ルーシェルは剣を抜き、右手を高く掲げる。

「ブルードラゴン!」

 ルーシェルの頭上に蒼い鱗で全身を覆う巨大な龍が現れる。ドルフィンがレクス王国の首都ナルビアへ攻勢をかける際に召還したのもブルードラゴンだった
から、フィリアとイアソンにはルーシェルが尚更ドルフィンと重なって見える。

「目の前の悪魔共を根城と共に抹殺せよ!」
「承知しました。」

 ブルードラゴンはルーシェルの命令に丁重に応えると、巨体に似合わぬ俊敏な動きでカザンに向けて突撃を開始する。カザンに陣取っていた悪魔や
魔物は侵入者の接近を察知して咆哮や奇声を上げて身構え、迎撃にかかる。
 ブルードラゴンは突進してくる悪魔や魔物に向けて雷を吐き出す。夜と変わらない暗闇を引き裂くような轟音を伴い、雷は瞬時に駆け抜け、経路上の
魔物や悪魔を焼き尽くして粉砕する。雷を受け止めたカザンの前の大地は地面の一部が紙のように複数舞いあがり、巨大なクレーターを穿つ。

「何だ?!あの雷は!」
「あんな雷を食らったら俺達じゃひとたまりもない!」

 喋れる魔物や悪魔32)は強烈な破壊力を見せつけたブルードラゴンの雷に、驚愕と恐怖を露わにする。
悪魔は火や雷など発光を伴う魔法に非常に弱い。高電圧による衝撃と熱を生み、文字どおり光速で突進してくる雷は、悪魔にとって深刻な脅威だ。
尚も急速に迫り来るブルードラゴンに対し、空を飛べるものは自ら、空を飛べないものは武器を投げつけたり魔法を使ったりして排撃を試みる。しかし、
ブルードラゴンの全員を覆う鱗は武器や魔法をなまくらな針のように受け流し、報復に強烈な雷を吐き出す。雷は地面だけでなく、カザンの町並も容赦なく
襲い、爆発を起こして周囲を巻き込んで粉砕する。
 防衛が崩れてきたところに、ドルゴに乗ったルーシェルが突進してくる。ルーシェルは光り輝く剣を振るい、悪魔や魔物を軽々と寸断する。

「ぎゃっ!!」
「に、人間だ!!人間が攻めて来たぞ!!」
「怯むな!!殺せ!!」

 ブルードラゴンの雷と接近したものへ爪や牙の洗礼に混乱を来していた悪魔や魔物は、見た目明らかにブルードラゴンより小さく弱そうに見える
ルーシェルに矛先を変えてくる。しかし、ブルードラゴンを従えるほどの力量を持つルーシェルが剣を振るうたび、身体を寸断された悪魔や魔物が哀れな
躯(むくろ)となって転がるだけだ。更に、ルーシェルの背後から火炎の竜巻と爆発、それに続く火炎の海が襲う。後衛のフィリアとイアソンの突撃により、
カザンの防衛体制は崩壊へと加速する。カザンの町は瓦礫と炎、そして悪魔と魔物の死体で埋め尽くされていく。

「王城へ突入する。ついてきなさい。」
「「はい!」」

 反撃の手が止んだところで、ルーシェルはドルゴを停めてブルードラゴンを消し、フィリアとイアソンに指示する。海に面しているカザンは、陸側の防衛網を破れば思わぬ方向からの不意打ちを食らう危険性は少ない。魔物や悪魔の数からして悪魔の頭領、若しくはそれに近い存在が居るのはほぼ確実なカザンで残された場所は王家の城のみ。ルーシェルはフィリアとイアソンを伴ってドルゴを王家の城に向けて走らせる。もはや僅か3名の侵入者を食い止めるだけの戦力は、カザンの外周と市街地には残されていない。

 王家の城に突入したルーシェル達を迎えたのは、予想に反して静寂だった。火炎がカザンの町に広がる音が微かに聞こえるが、城内には敵がまったく存在しない。3人が突入して直ぐにドアが閉ざされたことや、奥深くから感じられる比類なき邪悪な気配、そして城全体を包む膨大な魔力からして何者かが待ち受けていることは間違いないが、本拠地であるにもかかわらず迎撃も防衛もないのは不思議だ。

「悪魔の頭らしく、最深部でお出迎えか。」
「この魔力…。外に居た悪魔や魔物のものを全部足し合わせたものより大きく強く感じます…。」
「どうやら相当上の階級の悪魔が居るようだな。誰が召還したのか知らんが、大したものよ。」

 ルーシェルは皮肉と怒りを込めて呟くと、剣を抜いたまま奥へ向かって歩き始める。フィリアとイアソンは全身を内側から圧迫されるような感覚を覚えながら、
ルーシェルに続く。奥に進んでも気配と魔力は強まるものの、迎撃や防衛の兵力は1つも現れない。そのことがフィリアとイアソンには安心より警戒を強め
させる。
 魔物を従える悪魔の階級とそれに伴う上下関係は絶大かつ絶対だ。下級は上級に使役し、上級の命令への反抗はすなわち「死」である悪魔は、下級を
捨て駒に使うことなど躊躇わない。むしろ悪魔にとっては美徳の1つですらある。下級の悪魔と魔物を手当たりしだいに投入して魔力や体力を消耗させ、
有利に戦うつもりであると考えることは比較的容易だ。直前までいたって順調に撃破出来たのになすすべもなく殺されることで、より強く絶望感を味わわせる
ためでもあるとすれば…。フィリアの背筋に強い悪寒が走る。
 フィリアの脳裏には、悪魔崇拝者に捉えられて生贄として供されるために服を強引に脱がされた鮮烈な記憶が今尚焼きついている。アレンには強引とも
取れる熱烈なアプローチを向けるフィリアだが、キャミール教の信者である両親の影響を受けたため純潔意識は意外に強い。恋愛感情とそこから派生する
欲情は肯定するが、それらを恋愛や夫婦の関係とは異なる方向に向けることが不実と戒められるのがキャミール教の恋愛観であり、それはフィリアより
キャミール教の概念がより深く浸透しているルイを見れば分かるだろう。そういった恋愛観があるため、フィリアはアレン以外の異性に裸を晒すことは強く
忌避している。悪魔崇拝者により服を剥ぎ取られたことは、フィリアにとって純潔を奪われることに近いショックとなるには十分だ。
 悪魔が人間では悪とされる行為を善とする、人間にとっては理解出来ない道徳や価値の基準を有していることは嫌と言うほど分かっている。奥深くに控えて
いるであろう悪魔の頭領は、自分達を殺す前には性的にも存分に弄り尽くすだろう。悪夢の再現を恐れるフィリアは急速に恐怖心と嫌悪感が膨らんでくるのを
感じる。

「ルーシェル殿?」

 イアソンが足を止めて疑問の声を上げる。先頭を走っていたルーシェルが不意に足を止めたのだ。
悪寒に震えながら進んでいたフィリアは、ルーシェルの異変に気づくのが遅れて危うくぶつかりそうになる。

「ルーシェル殿…?」
「お出ましだ。」

 ルーシェルの短い状況説明で、フィリアとイアソンに緊張が走る。沈黙が重苦しさで硬直し、氷河のように極度の低速で時間と共に流れていく。気配と邪悪は
周囲から包み込むように存在しており、何処から襲ってくるか分からない。それがフィリアとイアソンの緊張と恐怖を天井知らずに増大させていく。
 表情も動きも完全に硬直したフィリアとイアソンの前で、ルーシェルは剣を抜いて静かに、しかし飲みこもうとするような気配と魔力に抗する強い気迫を
みなぎらせている。

「我らの失楽園にようこそ。人間風情が。」

 何処からともなくしわがれた声が響く。その声には心臓を直接舌で舐(ねぶ)られるような気持ち悪さがあり、フィリアとイアソンは強い悪寒で身体が硬直する。
ルーシェルは意に介さず、暗闇のある一点に視線を集中させている。

「わざわざ来たのだ。丁重に我が将への生贄としてくれよう。この私、アバドンがな。」

 吐血したようなくぐもった音の後、凄まじい臭気を伴う煙が立ち込め始める。フィリアとイアソンは、鼻と口を押さえて煙の侵入と吐き気の増幅を懸命に
堪える。微動だにしないルーシェルの視線の先に、煙に包まれた異様な姿の巨体が現れる。
 馬のような身体を持ち、長い髪の頂点に飾り立てた冠を被り、頑強な作りらしい胸当てを装着し、身体の芯から揺るがすような嫌らしい低い振動を伴う羽音を
立てる無数の羽と蠍の尾を持つ、かろうじて人型に近いと認識出来る姿の巨大な魔物。キャミール教の外典に世界の終末に姿を現すと記載されている悪魔
アバドンである。

「なるほど。悪魔崇拝者が跋扈するに相応しい臭気と邪気の大玉だな。」
「まずその肉体を覆う邪魔な服から毟り取ってくれる。」

 アバドンが右手を掲げると、煙の向こうから不気味な羽音が幾つも聞こえて来る。黒い塊となってルーシェル達に急速接近してくるのはイナゴの大群だ。
単体では片手で潰せるイナゴも集団になると途端に威力が増す。我々の世界でも大量発生したイナゴが草原や作物を瞬く間に食い荒らすことが発生する
ように、塊に見えるほど大量発生したイナゴは人間にとって十分脅威だ。臭気と煙を堪えるのがやっとのフィリアとイアソンは、身構えることすら出来ない。

「ファイア・イクスプロージョン。」

 ルーシェルが非詠唱で火炎を伴う巨大な爆発を発生させる。火球がイナゴの大群を一瞬で飲み込み、爆砕して焼き尽くす。
爆発で発散されたエネルギーが充満していた煙を周囲の壁や柱ごと吹き飛ばす。フィリアとイアソンはようやく体勢を整えることが可能になる。

「お前達は此処でじっとしていなさい。足手纏いだ。」

 ルーシェルは瞬時に結界を張り、自分は迷わず外に出る。臭気と煙から解放されたフィリアとイアソンは、ルーシェルが残した結界から高い魔力を感じる。
アバドンに向かって歩を進めるルーシェルが黄金の閃光に包まれ、光が消えた後はセイント・ガーディアンの証である黄金の全身鎧に包まれたルーシェルが
歩みを止めずに剣を構える。

「セイント・ガーディアンが何故此処に…。」
「その台詞、セイント・ガーディアンを悪魔に替えて貴様に返してやる。」

 ルーシェルが構えた剣、エクスカリバーが強い光を放つ。壁が破壊されたことで空気が外と連結するが、昼夜の区別がかろうじて可能な程度の光しか
届かない。闇が圧倒的な中でエクスカリバーが放つ光は、夜明けで闇を瞬時に切り裂き取り込む太陽そのものだ。フィリアとイアソンは反射的に目を閉じ、
アバドンは苦手な光が強力な勢いを伴って出現したことに苦悶の声を上げる。

「おおお…!禍々しい!禍々しい光を伴う者め!!その肉体を弄り、引き裂き、魂を食らってくれる!!」
「地上は悪魔風情が蔓延る場所ではない。光にひれ伏し、闇の奥底に帰るが良い!」

 ルーシェルはフライの魔法を非詠唱で使って浮かび上がり、地上を走るかのような勢いでアバドンに突進する。
不倶戴天の存在である光を伴い、否、光に包まれて突進してきたルーシェルに対し、アバドンは嫌悪を憎悪を剥き出しにして猛烈な方向を上げる…。
 アレンはこの日3度目の薪割りを終えて、噴き出る汗を拭う。薪の材料となる木材の運搬と薪割りは専らアレンの仕事となっている。木材の運搬は勿論、
薪割りも木材を寸断するだけの重量を持つ斧−斧は「切る」より重量を生かした「割る」威力が強い−を扱う腕力が必要だ。教会で使用される薪は多く、その分
薪割りの回数も通常の家庭より増加する。継続的に薪割りが出来る腕力と体力を持つアレンは、別の方面からも下働きの間で人気を上昇させている。

「さて、次は倉庫に運ばないと。」

 ひとしきり汗を拭ったアレンは、周辺に乱雑に積み重なった薪を集めて運搬用の台車に乗せる。薪は教会脇の倉庫に集約され、そこから下働きや各種
当番が持ち出して使用する。使用量が多いから、薪割りを済ませたら早めに運び込まないと最悪教会の行事を滞らせる恐れがある。アレンは台車に薪を
詰め込むと台車を押して倉庫に向かう。
 アレンは断続的に突き刺さるような視線を感じる。物陰以外に教会周辺の通行人を装ってうろつく男性が、アレンに刺すような視線を向けている。
アレンが臨時職として働き始めてから、アレンが村に入った経緯とルイとの関係が村全体に伝搬した。女性には総じて高い人気を伴って歓迎されたが、
男性には総じて怒りと嫉妬で受け止められた。単に少女的な容姿だけなら軽視くらいで済んでいただろうが、ルイが赴いた首都フィルで出逢い、そのまま
ルイと恋仲になってルイと共に村に入ったことがルイを狙っていた男性の怒りや嫉妬を呼ばない筈がない。しかも、ルイは中央教会祭祀部長を辞職する意向
という話も流れて来ている。実質的に村の聖職者のナンバー3である社会的地位をあっさり捨てようとするのは、アレンの存在以外要因が考えられない。
教会周辺に屯する男性達は、ルイの心を手中にしたアレンに私的制裁を加える機会を虎視眈々と窺っている。教会の敷地に無断で入ることは処罰の対象に
なるし、教会の領域を侵すことへの忌避感から、男性達はアレンが木材を運搬する時に焦点を絞っている。
 アレンは専ら男性達から逃げ続けている。武器である剣はクリスの家に預けてあるし、下働きの職務を優先させるべきと思っているからだ。アレンは身の
危険より呆れや煩わしさを感じつつ、薪を満載した台車を押して倉庫に向かう。
 台車を倉庫の前に着けたところで、乱打される鐘の音が響き渡る。この世界ではほぼ共通の、外敵の来襲を知らせる警報だ。町をパトロールしていた駐留
国軍兵士も急いで警報の方向、町の北側に向かう。
 アレンは嫌な予感を感じつつも、下働きである以上職務を放り出すわけにもいかず、倉庫の通用口を開けて薪を運びこむ。薪の運搬は数の関係から1回
では終わらない。しかもアレンは一介の外国人に過ぎない。下手に目立つことを避けるためにも外敵の排除は国軍に任せるのが賢明だ。

「武術家の応援を呼べ!!大至急だ!!」

 暫くしてアレンが次の薪の運搬へ向かおうとした時、北から兵士が血相を変えて走ってくる。兵士も負傷している。
アレンは以前クリスから聞いた話を思い出す。元々魔物が少ない方だったこの国でも最近魔物が多くなり、国軍だけでは手に負えなくなってクリスのような
武術家が駆り出されることがある、と。
 少しして武術家らしい男女が別の兵士に先導されて走ってくるのが見える。その中にはクリスの姿もある。楽天家の典型例のようなクリスの険しい表情から
して、事態はかなり深刻らしい。立ち止ったアレンは少しの沈黙の後、外へ向かって走り出す。

「待っとったぞ!」
「邪魔だ!!」

 教会の敷地から出たのを察知して男性達が包囲しようとするが、アレンの一喝で思わず怯んで道を開ける。アレンは真っ直ぐクリスの家に駆け込み、
居合わせたメイドに頼んで預けておいた剣を持ってきてもらい、受け取るとすぐさま外に駆け出していく。全速力で走るアレンは先を走っていた武術家の
集団を追い抜く。クリスはアレンの存在に驚くが、その意思を察して気を取り直して加勢のため現場へ急ぐ。
 村の北側入り口付近では、駐留国軍とオークの集団との間で激しい戦闘が展開されていた。仲間の屍を乗り越えて次から次へと押し寄せるオークの集団に
駐留国軍は押され気味だ。アレンは走りながら剣を抜き、走ってきた勢いを助走に変えて大きくジャンプし、上方からオークの集団に切り込む。
 不意を突かれたオークの集団は成す術もなくアレンの剣で縦に横に寸断され、混乱で足並みが乱れる。アレンの登場に面食らった駐留国軍だが、オークの
攻撃を巧みにかわして一太刀を浴びせるアレンに促され、反転攻勢を開始する。そこに到着した武術家の集団が加わり、形勢は人間側に大きく傾く。
 オークは獰猛さと集団による威圧感が先行するが、個々の戦闘力は兵士より低い。明確な統率者も存在しないから一度勢いを削がれると体勢の立て直しは
極めて難しい。生命の危険を感じて退散を始めた頃には、殆どのオークがもの言わぬ死体となって横たわってしまっていた。

「君は確か…。」
「俺、戻りますから。」

 敗走するオークの生き残りを見やった兵士の1人がアレンを呼びとめようとするが、アレンは踵を返して走り去る。本来の職務である下働きに一刻も早く
復帰するためだ。遠ざかるアレンの後ろ姿を見たクリスは、1週間後の結末を予感して笑みを浮かべる…。

用語解説 −Explanation of terms−

32)喋れる魔物や悪魔:魔物も知能がある程度高ければ、人間と同様に言葉を話し理解出来る。悪魔は全体的に他の魔物より知能が高いので言葉を話す。
もっとも悪魔や魔物の命令伝達は言葉ではなく、咆哮や先頭に立ってのジェスチャーなど言語が通じない相手でも理解出来る方法で行われることが多い。


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