Saint Guardians

Scene 10 Act2-3 胎動-Movement- 力と光溢れる存在

written by Moonstone

 フィリアとイアソン、そしてルーシェルはドルゴを東へと走らせる。
起伏が殆どない草原は相変わらず昼間だというのに薄明かり程度しか日が射さず、天に呼び戻されずに水分が溜まることで湿地帯の様相を呈している。
通常の湿地帯なら小型の水生生物や昆虫が産卵や居住のために集い、それを餌とする大型の鳥獣が集まり、生命の揺り籠となるのだが、悪魔崇拝者の
巣窟となり果てたシェンデラルド王国では地獄の一部が具現化している。
 少しでも弱ったもの−それは同じ群れでも適用対象外とならない−を目ざとく見つけ次第集団で襲いかかり、絶命して落下した獲物が骨まで気ままに
食い散らかされて放置される。白骨と肉片が散乱し、そこに蛆が湧いて蝿が舞う。けたたましい咆哮のような鳴き声を発するヴァルチャーが空に黒い帯を
描き、地上に黒い塊を作って群れ同士で威嚇し合い、時に群れ同士の戦争を勃発させる。
人間が万物の霊長ではないこの世界では、生存競争は壁の外にある日常の光景だ。しかし、此処にはそれを照らす光がない。光がないことが、尽きること
なく広がるじめじめした風景とそこで繰り広げられる光景を地獄と感じさせる最大の要因だ。
 日が西の水平線に落ち始めた頃−雲を背後から僅かに照らす光の位置で判別出来る程度だ−、町が見えて来た。ルーシェルは最も近い西側の門傍まで
躊躇いなくドルゴを走らせて止める。外敵を妨げる両開きのドアはだらしなく開け放たれ、周囲には必須の存在である見張りが居ない。中を覗き見なくても、
これくらい観察出来ればこの町も全滅に追い込まれたことが分かる。

「探るぞ。」
「はい。」

 ドルゴを降りて消したルーシェルは、躊躇うことなく町に踏み込む。イアソンはフィリアを伴ってそれに続く。
イアソンはまだしも、フィリアはこれまでの戦争や生死の認識を大きく超える出来事の連続に、心の方向性が揺らいでいる。だが、ここで1人逃げることは
フィリアのプライドが許さない。再び凄惨な光景を目の当たりにしたり悪魔に身ぐるみ剥がれて生贄にされる恐怖を感じつつも、プライドで抑え込んで
同行を続ける。
 ただでさえ少ない昼間の光が日没により弱まっていく中、町を東西に貫く大通りは人っ子1人居ない。
通常だと、日没あたりは家路を急ぐ人や生鮮食料品の在庫処分のやり取りが行き交う賑やかな時間帯だ。なのにこの町は、否、この町も通りには誰も居ない。
商店街らしい家は通りに面している商品棚に何も商品がない。各戸の玄関や窓は閉ざされているか開け放たれているかのどちらかで、開け放たれている
ところは無駄な開閉を防ぐための支えや押さえが何もなされていない。
 中には誰も居ないか、死体となった住人が放置されているか、或いは死体を食い漁る悪魔崇拝者の少々早い晩餐の場となっているかの何れかだろう。
あえてどれかを選んで様子を窺う勇気や好奇心は、フィリアとイアソンにはない。人間を手や口で直接貪り食うあの凄惨な光景は、思い起こすだけで
猛烈な吐き気を呼び起こす。あの光景を好き好んで再び見たいと思うような趣味は持ち合わせていない。

「これだけ大きい町でも、表立った司令部やアジトは置いていないか。」
「此処は何と言う町ですか?」
「リブールと言う。王国では上位10傑に入る規模の町だ。」

 リブールはシェンデラルド王国の中央やや南寄りに位置する。地理上東西の中継地でもあり、そこに町で生産した農作物を乗せて収益を上げている
豊かな部類に入る町だ。
 人間の死体を貪り食っていたことから、悪魔崇拝者の食糧事情はあまり芳しいとは言えないらしい。悪魔の僕となったことで属性は暗黒に転じて
いるとは言え、肉体を持つ以上はその維持のために食料が欠かせない。その一方で農作物生産に不可欠な日照は非常に乏しいから、特に農産物の
生産量は凶作を下回って飢饉と言えるレベルに達しているだろう。となれば、食料が豊富にあったであろうこのリブールが悪魔崇拝者の格好の標的にされ、
根こそぎ略奪されたと考えるのが自然だ。

「もう少し待って、悪魔崇拝者の指揮官クラスが出て来るのを期待するか。」
「ルーシェル殿が指揮官クラスの魔物と遭遇した経験は?」
「数回ある。大規模な町には常駐かそれに近い頻度で来訪しているようだ。」
「と言うことは、町の規模や配置に応じて命令系統の階層が形成されていると考えられますね。」
「恐らくそうだろう。無駄にワイトやダークナイトやアベル・デーモンといったそこそこの強さの魔物を呼び寄せているわけではない。」

 悪魔崇拝者は闘争本能や支配欲、征服欲を剥き出しにして略奪や殺戮や破壊を繰り広げる。自身や味方の死をものともしないから侵略の尖兵としては
うってつけだが、統率や制御がないと本能や欲望を向ける矛先が味方など内側に向かう。そうなっては元も子もないから、強大な権限を持つ者が統率の
任にあたる。強大な権限には、階級や序列以外に命令違反に対する苛烈な制裁を加える力があると威力が増す。アメリカ海兵隊の訓練で上官の命令に
絶対服従を叩きこまれたり、旧ソ連のスターリンが反対者を悉く粛清したのが典型的な例だ。
 悪魔崇拝者は悪魔に魂を捧げることで一般の倫理観や道徳を喪失すると共に、一般の魔物と同様に力の優劣による絶対的な序列意識が暗黙のうちに
備わる。群れをなした悪魔崇拝者も、通常の武器ではダメージを与えられないし魔法も強力なもの以外効き難い魔物の前にはひれ伏すか死の何れかを
選ぶしかない。悪魔崇拝者には組織化して反抗することを思いつくだけの自我や意識は存在しないから、強大な権限と圧倒的な力で抑えつけ、破壊活動を
集団の外へ向かわせるのが最も効果的だ。

「そう言えばルーシェル殿。私達の前に最初に現れた際にレジスタンスの存在を口にされましたが、レジスタンスの存在は確認しておられますか?」
「大した記憶力だな。」
「そういう点を買われてパーティーに加わっておりますので。」
「なるほど。…今のところ未確認だ。可能性として挙げているに過ぎない、と言った方が適切かもしれないな。」
「兵力差と攻守の違いにより、たとえ組織されたとしても圧倒されて潜伏する他ない、と。」
「そういうことだ。現にランディブルド王国も軍隊がまともに太刀打ち出来ずに撤退しているのだろう?」
「はい。よくご存知で。」
「なまじ各国を回っていたわけではない。悪魔崇拝者の姿形は人間だからな。普通の軍隊にとってある意味魔物以上に始末に負えない。」

 シェンデラルド王国を実質支配している悪魔が同じ魔物を使ってランディブルド王国に侵略の手を伸ばさず、戦力面では魔物より低い面が否めない
悪魔崇拝者を使っているのは、人間同士の戦争に躊躇することを狙ったものという詮索も可能だ。
 「大戦」による甚大な損失で万物の霊長の座から転げ落ちた人類は、人類より能力が上回る他種族や魔物との生存競争に打ち勝つことに長く注力
してきた。賢者の石を媒介とする様々な魔法は最大の産物であるが、強力なものを使用するほど高度な専門知識と高い魔力が必要になる魔術師とは別に、
戦闘の専門組織として各国が軍隊を所有している。各国は「大戦」後の教訓、すなわち人間同士の諍いは国力の弱体化どころか外敵による滅亡を招く
恐れもあることをかなり忠実に生かすことで、軍隊を治安維持や外敵排除以外に使用しない、言い換えれば他国侵略の道具にしないという暗黙の
国際条約を締結している。その分、人間同士の戦闘には実経験に乏しい。ランディブルド王国の軍隊が悪魔崇拝者に押されているのは、数の差も
あるだろうが人間と戦い、殺すことへの躊躇が大きい。
 そこまで想定して悪魔崇拝者を差し向けているとすれば、やはり恐ろしいことだ。
人間同士の戦争に不慣れな各国の軍隊は、悪魔崇拝者の数と力に任せた侵略の波に飲まれてしまいかねない。しかも背後により強力な悪魔、更には
ガルシア一派に制圧された力の聖地クルーシァが控えている。悪魔崇拝者で侵略への地ならしをしておいて、標的とされた国が戦争で疲弊したところに
本体である上級の悪魔や魔物、若しくはクルーシァの軍隊が乗り込んでくれば、降伏か全滅かの究極の二者択一を済ませる他ない事態が容易に見える。
 背後にあの狡猾なザギが居るなら、この恐るべき可能性は決して絵空事では片付けられない。やはりシェンデラルド王国の内情確認だけではなく、
悪魔崇拝者を根絶やしにすることが肝要だとイアソンは思う。

「そろそろお出ましか。準備をしておきなさい。」
「はい。」
「フィリアだったか?敵はもはや人間じゃない。人間の形をした悪魔の走狗だ。気を抜くと次の餌か再び生贄の祭壇送りになるぞ。」
「しょ、承知です!」

 フィリアが救出以後殆ど口を開いていない。此処まで来て1人後には引けないというプライドで抑えているものの、衝撃的な出来事の連続による心の
揺らぎは収まっていないことの証左だ。しかし、此処は敵の本拠地だ。不安定な精神状態では使用に集中が必要な魔法が十分な効果を発揮しないし、
セイント・ガーディアンのルーシェルが居るとは言え万が一ということもある。
ルーシェルは押し迫る夜の到来を前にしてフィリアに懇切丁寧に精神を立て直す必要性を説くより、ある種のショック療法を敢行したのだ。
フィリアは上級魔術師でもあるルーシェルの喝で心の揺らぎを圧し固め、魔法の行使に向けて自分を奮い立たせる。
 黄昏時が訪れる。普通なら一抹の寂寥感に浸れるこの短い時間は、悪魔崇拝者の活動開始を告げるラッパの音色だ。
フィリアとイアソンは警戒を最大限に強める。ルーシェルは黄金の鎧に換装することなく、剣を抜くこともなく周囲に視線を送るだけだ。見た限り戦闘を
放棄しているようだが、ルーシェルの射抜くような視線には戦闘放棄の意志は微塵もない。
 空から光が消えると、それまで閉じられていたドアが一斉に開き、開け放たれていたドアの奥からも影が続々と出て来る。一様に黒いローブを纏い、
血糊がついた短剣を握り、低い唸り声をあげる影は間違いなく悪魔崇拝者だ。
交差点で佇んでいた一行は完全に悪魔崇拝者に包囲された。悪魔崇拝者は久々の新鮮な獲物と見てじりじりと間合いを詰めて来る。それだけで身の毛が
よだつフィリアは嫌な記憶と共に焼き払う準備を整える。

「サラマンダー。」

 ルーシェルが左手を前に翳すと、燃え盛る火炎と眩い光に包まれた精霊サラマンダーが姿を現す。火炎と光という弱点の組み合わせが突如現れたことで、
悪魔崇拝者は悲鳴らしい金切り声をあげる。金属の表面を掻き毟るような甲高い声の不協和音は、フィリアとイアソンの不快感を増すには十分だ。

「奴等を全て焼き払え。1匹たりとも逃すな。」
「仰せのとおりに。」

 ルーシェルの命令を受けてサラマンダーは空中に浮き上がり、口から火を吐き全身から火の玉を迸らせる。広角に吐き出された火炎の大波は悪魔
崇拝者を丸呑みにし、豪雨の雨粒のような無数の火の玉は確実に悪魔崇拝者を捉える。天敵と言える火炎の襲撃に悪魔崇拝者はおののき逃げ出すが、
サラマンダーの吐き出す炎と発する火の玉の速度の方が圧倒的に速い。火炎に包まれて生きながら焼かれ、断末魔の悲鳴を上げる悪魔崇拝者の姿は、
地獄の業火に焼かれる罪人さながらだ。
 サラマンダーが全身から射出する火の玉は、逃げまどう悪魔崇拝者も漏らさず追尾し、捉えて焼き尽くす。フィリアとイアソンはただ呆然と悪魔崇拝者の
火炙りを見つめる。
 悲鳴と火炎が消えて肉が焦げた臭いに変わった頃には、悪魔崇拝者の姿と気配は完全に消えていた。
サラマンダーが召喚されて強大な力を行使するところは、フィリアがレクス王国で見たことがある。ザギの差し金で故郷テルサを支配した国家特別警察を、
偶然町を訪れたドルフィンが威嚇のために使ったところだ。その時でもたった1人−1匹と呼ぶのはその格の高さからして相応しくない−の精霊に兵士達は
翻弄され、心身を激しく消耗した。ルーシェルによるサラマンダーの行使はその時をはるかに凌駕する、炎の精霊に相応しい結果を見せつけた。

「悪魔崇拝者と対峙するなら、サラマンダーが最も効率が良い。骨も残さず焼き尽くすのはサラマンダーの得意とするところだ。」

 悪魔崇拝者の気配が消えたことを感じてサラマンダーを消したルーシェルが、背後のフィリアとイアソンに話しかける。

「サラマンダーを見るのは初めてか?」
「いえ…。ドルフィンさんが使うのを見たことがあります。」
「あ、そう。ドルフィンが、ね…。」

 フィリアがドルフィンの名を出すと、ルーシェルの自信に満ちた口調が一転する。明らかにドルフィンに特別な感情を抱いているとフィリアは感じる。

「炎のサラマンダー、水のウィンディーネ、土のノーム、風のシルフ。これら4大精霊を召喚出来るようになることは、クルーシァでセイント・ガーディアンを志す
者にとっては1つの目標点。シルフとノームは人間に友好的だから簡単だけど、サラマンダーは攻撃力が抜きん出て高いから、挑んで返り討ちを食らう
ことも珍しくないからね。」
「セイント・ガーディアンへの登用や継承にはどのような条件があるのですか?」
「魔道剣士であることと、魔術師の称号がNecromancerであることが必須。口で言うのは簡単だけど、そこに達するのはクルーシァに集う者の0.1ピセルにも
遠く及ばない。だから、セイント・ガーディアンが自ら世界を巡って有能な人材を探し出し、自らの弟子として育成に注力することが主流。すなわち、
セイント・ガーディアンに見出されるだけの技量や素質を備えていることが最も近道ね。」
「継承候補となる弟子と衛士(センチネル)とはどういう関係があるのですか?ドルフィン殿も衛士(センチネル)だったと聞いたことがあります。」
「衛士(センチネル)はセイント・ガーディアンの側近のこと。弟子と衛士(センチネル)はほぼ等価関係にある。通常、セイント・ガーディアンは弟子をまず衛士
(センチネル)とするべく育成し、セイント・ガーディアンとしての技や知識、そして心構えを体得させる。弟子は1人とは限らないから、衛士(センチネル)
止まりの者も居る。最初から手駒にするべく衛士(センチネル)を養成する場合もある。それはセイント・ガーディアンの了見次第だ。私も先代の衛士
(センチネル)となり、セイント・ガーディアンの座を継承した。」
「では、ドルフィン殿はセイント・ガーディアンに見い出された後継候補だったと。」
「ドルフィンはゼント様が見い出し、自らの後継者とすべく育成された唯一の力と技の集大成。他の輩とは格が違う。」

 イアソンの推論を遮るようにルーシェルは強い調子で言い切る。
自信溢れるルーシェルが自分のことのように称賛するだけの力量や存在感は、フィリアとイアソンもよく知るところだ。それを差し引いても、ルーシェルの
称賛ぶりは突出している。隠し切れないドルフィンに対する特別な感情が、ドルフィンへの言及に際して口調の変化で生じた隙間から零れ出すようだ。

「本来なら、ドルフィンは私より先にセイント・ガーディアンになる筈だった。しかし…!」

 フィリアとイアソンの中で急浮上してきた大きな謎、すなわち何故ドルフィンがセイント・ガーディアンになれなかったのかについて語りかけた矢先、
ルーシェルは悪魔崇拝者とは別の気配を感じ、表情を引き締めて再び前を向く。
 一行の前に黒い炎が灯る。色を赤から黒に替えた拳大の炎は、残らず焼き尽くされた悪魔崇拝者の魂かと錯覚させられる。だが、そこから感じる邪悪な
気配は悪魔崇拝者の集団を上回る。

「シーグのアジトを潰したのは貴様らか…。人間風情が小癪な真似を…。」
「地上は悪魔やその取り巻きが蔓延る世界ではない。わざわざ追って来たのならご苦労なことだ。」
「生意気な…!」

 遠隔発声で心臓をこねくり回すような声を直接一行にぶつけて来た黒い炎が急に勢いを増し、その中から声の主が姿を現す。赤黒いローブを纏い、
目深に被ったフードから不気味な輝きを放つ瞳だけが存在する能面のような顔を覗かせた魔術師風の悪魔と思しき魔物だ。見るだけで生命力を急速に
吸い取られるのを感じ、フィリアとイアソンは反射的に視線を逸らせる。

シャフト26か。久々に大物のお出ましだな。」
「久々…?ああ、貴様か!各地のアジトを潰すだけでは足らず、我らが同胞をも抹殺している不埒な輩は!」
「悪魔風情が同胞を語るとは、お笑い沙汰だな。」
「おのれ!貴様を弄った後、魂ごと引き裂いてくれるわ!」

 シャフトは発音すら不明な呪文を唱える。シャフトが翳した稲妻を象ったいびつなロッドから、巨大な黒い球体が生じて一行にぶつけられる。
だが、ルーシェルが形成した結界で阻まれ、結界の表面に沿って黒い波動がヘドロの波のように伝う。波動は地面に落下すると激しい異臭を発して消える。

「禁呪文の1つか。さすがは悪魔と言おうか、魔術師崩れが垂涎ものの魔法を使う。」
「我が魔法を阻む結界…。貴様何奴?」
「悪魔風情には、語るより見せた方が理解が速かろう。」

 ルーシェルの全身が眩い閃光を発する。閃光が消えるとルーシェルはセイント・ガーディアンの象徴である黄金の鎧に包まれていた。それを見た
シャフトの目の輝きが驚愕で強さを増す。

「貴様、セイント・ガーディアンか…!」
「選べ。親玉の所在と貴様らの目的を語るか、殲滅か。」
「語る筈がなかろうが!」
「その選択は殲滅と同じ。無に還るが良い。」

 ルーシェルは剣を抜く。背後で見ていたフィリアとイアソンは、ここで初めてルーシェルから感じていた違和感の正体に気付く。ルーシェルが剣を持つ
手が左であることだ。
 この世界において左手で武器を扱うことは、リザードマン27)と同じであるとしてタブーとされている。我々の世界でかつて左手で箸を扱うことが行儀が
悪いとされて矯正されたのと同じで、この世界では武器を扱う際は利き手が左であっても両手か右手で扱うよう強く矯正される。ルーシェルはこの世界の
タブーを堂々と破っているのだ。

「ルーシェル殿。左手で剣を…。」
「だから何だと言うのだ?」

 シャフトを見据えたルーシェルは、視線の端でイアソンを睨みつける。鋭い視線はイアソンを竦ませるに十分だ。

「右手で剣を持てば、お前でもシャフトを倒せるとでも言うのか?」
「う…。」
「私にタブーを諭すなら、私を凌駕してからにしろ。この剣、エクスカリバーは主の利き手で力を弱めたりはしない。」

 ルーシェルは左手の剣、エクスカリバーを垂直に構える。闇を突き破り引き裂く黄金の光が刀身から溢れ出す。
光の洪水は暗黒属性の魔物、とりわけ悪魔が最も嫌悪するものだ。シャフトは嫌悪と憎悪を最高潮にして、心臓を握り潰すような雄たけびを上げて
ルーシェルにロッドを突き立てんと襲いかかる。ルーシェルはシャフトの急速接近にも全く動じず、黄金の光を放つエクスカリバーで斜めに振り下ろす。
袈裟切りにされたシャフトは破れた風船のように形を大きく歪め、切り口から黒いガスのように蓄積していた魔力を噴き出す。魔力は悪魔にとって生命力の
源泉だ。エクスカリバーの一閃で高い防御力も難なく破られたシャフトは、咆哮を上げながら形を更に歪めて闇に溶けていく。

「温いな。」
「うがああああああーっ!!お、おのれーっ!」
「遺言があるなら聞いてやっても良いが。」
「セイント・ガーディアンがこの地に紛れ込んでいたとは…不覚!」

 シャフトは完全に闇に溶けて消える。肉体を持たないシャフトが消滅した後は何も残らない。残留していた魔力も消滅すると、一行の周囲はただ主を
失った家々が闇に無言で佇むだけの死に絶えた町しか存在しなくなる。

「アジトや指揮官クラスをちまちま潰していっても、埒が明かないか。」

 ルーシェルは再び一瞬全身を閃光で包み、カーキ色の服装に戻す。エクスカリバーを鞘に納めると背後に向き直る。

「此処で野営して、翌朝から首都カザンを目指す。十分休んでおきなさい。」
「「は、はい!」」

 アベル・デーモンより上級の魔物であるシャフトの魔法を結界で防ぎ、高い防御力も意に介さずに一刀両断にしたルーシェルの能力は圧倒的だ。
たった1人で悪魔崇拝者が跋扈するシェンデラルド王国に潜伏し、アジトを壊滅させてシャフトなど指揮官クラスの魔物を殲滅してきたらしいことも十分
納得出来る。魔物に捉えられ危うく生贄にされそうになった経験も踏まえれば、この地で生き残るにはルーシェルの指示に従う以外に生き残るための
選択肢はないとの判断に至るのはごく当然の成り行きだ。
 野宿のためにフィリアとイアソンは交差点の真ん中にテントを張る。強烈な闘争心を消したルーシェルが見る先は、闇の向こうにある首都カザンだろうか、
それとも…。
 舞台は国境を隔てた西側、ランディブルド王国ヘブル村に移す。
ヘブル村に戻りクリスの家で一晩休んだアレン、クリス、ルイの3人は、朝食を済ませて村の中央教会に赴いた。総長の居室に向かったルイを見送った
アレンとクリスは、控室で待機している。クリスの家から中央教会までの、直線にすれば500メールほどの移動の間に数多くの視線に晒されたアレンは、
出発直後から落ち着けずに居る。視線からは好奇と疑念、そして敵意が感じられた。
 クリスの父ヴィクトスが直々に懐刀の第1大隊を派遣したことからも、ルイが村に戻ったことやルイにクリスと自分が同行していることも知れ渡って
いるとは思っていた。辺境の村という条件や環境は、アレンが「レクス王国最後の秘境」と長く皮肉られたテルサの町の出身だから理解出来なくもない。
 外部との交流が少なく、その分外部からの人や物資の流入も少ないため自給自足が生活の大原則になると、思考は生活環境の維持が最優先になる。
言い換えれば保守的になるから、たまにある外部からの流入、とりわけ人に関しては敏感になる。テルサの町の場合、隣国ギマ王国との交易拠点としての
位置づけや認識が近年拡大していることで、外部からの流入が飛躍的に増えた。数人規模なら「余所者」で片付けられるが、月に百人規模に膨れ上がると
それを当て込んだ対応へと切り替えた方が収入の上昇も望める。両方からの流入に対応するため、町にはフリシェ語とマイト語の併記が普及した。
ギマ王国の内戦が再び激化したことによる難民の避難場所ともなり、目立ったトラブルもなく併存していた。
 そんな環境だったから、テルサの町は地理的には辺境でも外部との交流では、アレンの近年の記憶を辿るとかなり活発であり、それへの対応も保守的とは
言えない領域に入っていた。しかし、ヘブル村で人の出入りと言えば派遣軍や村長の交代、そして教会人事くらいのものであり、外部の人間に対して
過敏な面は顕著に存在する。
 その上アレンは、ルイに同行して村に入った見知らぬ男性でもある。ルイの村での圧倒的な人気はクリスからよく聞いていたが、将来の村の中央教会
総長とも目される聖職者としての高い資質と、先のシルバーローズ・オーディションの予選で8割の得票を得た美貌を持つ年頃の未婚女性に一介の外国人
男性が同行してきたとあれば好奇が疑念に変わり、更に「嫁にしたい」という妄想が何処の馬の骨とも知れぬ男性に粉砕される危機感が加われば敵意へと
変貌するのは容易だ。
 アレンは自分が外国人であること、そしてルイの人気や注目度の高さを改めて強く実感する。それは村に滞在している間にルイとの交際が知られることが、
かなりのリスクを伴うという確信に近い予感でもある。

「アレン君。堂々としときぃ。」

 隣に座るクリスが静かに言う。

「アレン君は、今まで男や恋愛に何も興味示さんかったルイが惚れ込んだ男や。『ルイを狙っとったのにそっぽ向かれて、挙句外国人の自分にあっさり
取られて悔しいか』とでも言うてやればええ。男連中、さぞかし悔しがるやろうな。」
「それって、単に自慢と挑発にしか捉えられない気がする…。」

 ほくそ笑むクリスに対し、アレンは言った場合の修羅場を思い起こして冷や汗が流れる。

「それはアレン君をあたしに置き換えた場合の想像やから、ちょこっと飛躍しとるかもしれへん。けど、アレン君がルイの心を開いて掴んだんは事実や。
10何年同じ村に住んどる筈の男連中が誰1人出来へんかったことを、アレン君はやってのけたんよ。自信持ってええ。」
「…。」
「アレン君がこの先父ちゃんを探す旅を続けるんなら、ルイは間違いなくアレン君についていくわ。仮に村で嫌な思いさせられても負け惜しみとでも思っとき。
どうせ村から出たら何も出来へん連中なんやから。」

 アレンは、クリスから聞いたルイの苛烈極まりない生い立ちを思い返す。

 バライ族の私生児、しかも戸籍上死んだことになっている女性を母として生まれたことで、物心つく前から激しい差別と苛めが日常茶飯事だった。
 正規の聖職者として5歳から修業を始め、14歳で司教補昇格そして村の中央教会祭祀部長就任と急成長するまでにも、筆舌に尽くせない嫌がらせや
苛めを受けた。
 生まれてから少なく見積もっても14年もの間続いた差別や苛め、嫌がらせにもルイは決して屈せず、聖職者として大きく成長することで逆に称賛や
求婚へと180度転換させた。

それに比べれば、アレンがヘブル村に滞在する期間はせいぜい一月、長くても3カ月に満たない。それくらい耐えられなくては男としてルイに顔向け
出来ないばかりか、今後の旅の継続すら怪しい。ルイに1人の男性として認められたことを喜び、誇りに思うのなら、ルイの強い想いに応えずして
思い描いてきた「あるべき男」とは言えない。
 予想される閉鎖空間での嫌がらせへの不安で揺らいでいたアレンの心は、ルイへの想いと男性としての誇りで強く補強される。アレンの表情から不安が
消えて精悍さが戻ったことで、クリスは安堵する。同時に、ルイの幸せを損ない、その心を傷つけることに等しいアレンへの嫌がらせなどに対しては、
これまで同様実力行使を含む断固たる態度で臨むことを決める。

「よく戻りましたね。ルイさん。」
「長く休職した私を温かく迎えていただいたことに感謝いたします。」

 総長室に入ったルイは、総長の歓迎に一礼する。
ちなみにルイは礼服を着用している。非公式とはいえ村の聖職者の頂点に位置する存在との会談であるから、礼服を着用するのがマナーとされている。
ルイもリルバン家で着た色とりどりの様々なドレスより礼服の方が馴染んでいるから着心地も良く、安心出来る。
 ルイが正面に着席した後、総長が話を切り出す。

「ルイさんの事情については、国の中央教会からの通達で把握しています。」
「そうですか…。」
「この場では、その点はひとまず脇に置いて今後について協議したいと思います。…ルイさんは今後の方針を決めていますか?」
「確定はまだですが…、辞職させていただこうという方針です。」

 ルイの口から辞職という単語が明確に出される。予想されていたとはいえ、全国指折りの有力な若手が辞職する方向に動いていることは、総長にとって
大きなショックだ。表情に出さないようにするのはかなり難しい。

「総長様はご存知かもしれませんが…、私はオーディション本選が開催された首都フィルで1人の男性と出逢いました。私は、その男性についていこうと
思っています。」
「休職の継続はどうでしょうか?」
「男性の目的−クルーシァで伝承されている最高峰の存在であるセイント・ガーディアンの1人に拉致された男性のお父様を探し出す旅は、何時終着点を
迎えるか分かりません。私が休職を延長することによって、村の中央教会祭祀部長の職務が滞ることは決して好ましくありません。何時終わるか分からない
私の休職の終了で手をこまねかせるより、辞職することで外部からの招聘や次代の登用を図る方が教会全体にとっても有効と考えています。」
「ルイさんの言うことは至極正論ですが…、ルイさんが次代の登用と言うのは時期尚早の感が強いですね。」

 総長はルイが辞職に大きく傾いているショックを隠すのも兼ねて苦笑いする。
15歳のルイは村の正規の聖職者では最年少。ルイが辞職した後で登用出来るだけの「次代」が村の聖職者に存在しない事実もある。
 基本的に農業や牧畜で生活が可能であるし、機械化が全く手つかずで大家族による集団営農だから就職にあぶれることもないため、村の若年人口比率は
それほど低くない。職を求めて大都市に出て行く若者も居るには居るが、一念発起して職人に弟子入りするかこの国で盛んな劇団に入団する者はごく
少なく、聖職者と同様身分も安定した職業である国軍に入隊する者の方がまだ多い。それ以外は、村に領地を構える二等三等貴族の没落で失職し、次の
奉公先を求めるメイドや使用人くらいだ。
 一方で、正規の聖職者になる若者は少ない。門戸は広く開放されているが修業が厳しいため早々に脱落していくのもあるし、女性だと花嫁修業は非正規で
十分という認識が一定以上の収入の家庭でより強い。そのため若手の正規聖職者が多いのは、基数が多い大規模な町に限られてしまう。
 ルイの後継となるだけの資質を備えた村の聖職者は、皮肉にもルイと同等以上の役職である部長や各地区教会の総長、副総長くらいのものというのが
実情。しかも彼らは軒並み40代以上とルイの倍以上の年齢だ。ルイに称号も役職も追い抜かれた他の聖職者は言うに及ばず。ルイが次代を言うには
あまりに早過ぎるというのは、総長だけの主観ではない。

「『有能な者ほど新天地を自ら見出し、未来への旅立ちに際して現在に執着しない』。…格言が身に沁(し)みますね。」
「恐縮です。」
「ルイさんが辞職するとなれば国の教会全体の重大な損失ですが、本人の意志を妨げることは出来ません。辞職を確定させるかどうかはルイさんに
委ねるとして、それまでは祭祀部長の職務に復帰してもらえますか?」
「はい。それは勿論です。」

 祭祀部長復職の依頼をルイは快諾する。
辞職する方向だとしてもそれまでは村の中央教会祭祀部長であることには変わりない。ルイは最後まで職務を全うする姿勢は貫徹するつもりでいる。
休職に続く男性との出逢いでルイの聖職者としての心構えが失われていないことに、総長は安堵すると同時にやはり惜しいと思わずにはいられない。

「併せて総長様。臨時職1名の採用を私の推薦で申し出ます。」
「臨時職の推薦、ですか。慢性人手不足の教会としてはありがたいですし、ルイさんの推薦なら人物に問題はないでしょうが、どなたですか?」
「アレン・クリストリアさん。…私がついていこうと決めた男性です。」

 ルイは初めてアレンの存在を他人に明かす。その表情は少し赤らんでいるものの今までにない晴れやかなものであると、背景を察した総長は思う…。

用語解説 −Explanation of terms−

26)シャフト:強力な魔法を行使して悪魔や魔物を従える魔界の上級魔術師。高い知能は専ら悪徳を積むことにのみ発揮される。手にするロッドは先端が
鋭利であり、槍としても機能する。暗黒属性であり肉体を持たないため、通常の武器や弱い魔法は全く効果がない。


27)リザードマン:RPGで有名なトカゲの戦士。独自の文化を築くほど高い知能と闘争心を併せ持ち、人間やエルフと最も激しく対立する種族の1つである。
本文にも出て来るとおり左手で武器を操ることとリザードマンとの種族間闘争の歴史と記憶から、この世界で左手で武器を操ることはタブーとされている。
水属性であり水系魔法を多彩に操る。


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