Saint Guardians

Scene 9 Act 3-4 分岐-Fork- 大きな結実と新たな萌芽

written by Moonstone

 半月の淡い光を受けて、プラチナで鍍金されたハーフプレートが白銀に、艶のある赤い髪が煌きを放つ。リルバン家2階のテラスに佇むアレンは、緊張した
面持ちで時折小さい範囲で視線を彼方此方に動かす。少女的な外見から生じる劣等感の裏返しである「男らしさ」を追い求めた結果、女性との約束に臨むには
「男らしさ」を強調する剣士としての服装が相応しいと思ったのだが、剣を帯びて鎧を纏った姿はいささか物々し過ぎはしないか、ウェルダなどカジュアルな
服装の方が良かったかとあれこれ考えている。アレンの迷いとは裏腹に、ハーフプレートと愛用の剣を装備したアレンは緊張で表情が引き締まっているため
非常に凛々しく見える。
 テラスにアレンのものとは異なる人影が加わる。人の気配を感じて振り向いた先には、薄いブルーを基調にしたドレスのような服を着たルイが立っている。
こちらもかなり緊張している様子だ。

「お待たせしました。」
「あ、否、全然。」

 さらりと受け流したいところだったが、緊張のあまりアレンの受け答えはかなりぎこちない。緊張していることが丸分かりだ。しかしルイは笑ったりすることなく、
小さく一礼してアレンと腕を伸ばしたら届く位置に歩み寄り、アレンと向かい合う。オーディション本選直前に初めて見た時と同じく、見事に着映えしている
ルイは良家の令嬢と称するに相応しい気品を併せ持っている。

「その服、綺麗になったんだね。」
「使用人さんとメイドさんにお願いして、クリーニングしてもらいました。」

 オーディション本選のためにクリスが合わせたルイの衣装は、ホークとその顧問に拉致されたルイが無事救出されるまでの過程で重傷を負ったアレンの血に
染まっていた。血液は洗濯では落ち難い汚れの1つだ。合成洗剤など存在しないこの世界では通常、酷い汚れをつけた服は汚れの部分を同系統の色の
布で覆って誤魔化すか捨てるかしかない。特別に調合した薬草を混合した石鹸でかなり綺麗に出来るが、薬草の調合は当然薬剤師に依頼する必要があり、
コストがかかる。そのためクリーニングが出来るのは富裕層に限られる。
 リルバン家の後継問題に拘束されたくないルイにとって、リルバン家の力に委ねることは本意ではない。しかし、初めてその姿を見せた際にアレンが自分に
注目していたのを憶えていたルイは、あえてクリーニングの依頼という選択肢を選んだ。一言で言えば「アレンのため」に他ならない。

「俺の血で相当汚れてたから、もう着られないかもって思ってたんだけど・・・。」
「クリーニングで十分落とせると説明を受けましたし、それに・・・。」

 ひと呼吸置いたルイは、改めてアレンを真っ直ぐ見据える。

「私を助けるために大怪我をしたアレンさんの血は、決して汚れではありません。」

 ルイにとって我が身を挺して自分を護ってくれたアレンの血は、この国で生まれ育てば必ず付き纏う身分や民族を超えた「護る心」の表れであり、汚れでは
ない。もしアレンの血と服が同じ色だったら、ルイはクリーニングを依頼しなかった。それだけアレンの血はルイにとって身に染みるものだったし、国の
中央教会総長が言ったように心を潤すものだったのだ。

「月並みだけど・・・、凄く似合ってるよ。」
「ありがとうございます。この服装を・・・アレンさんに見てもらいたくて・・・。」

 ありがちなやり取りだが、恋愛初心者の2人にとってはそれぞれの気持ちを率直に表し伝える最大限の表現だ。
アレンとルイは少し視線を下に落として沈黙する。最初のやり取りはどうにかこうにか済んだから、後はルイが約束どおり自分の気持ちを話し、アレンが聞く
だけだ。約束の立場をそっくり入れ替えてアレンから気持ちを伝えても何ら支障はないし、「愛の告白は男からするもの」という時代や世界を超えた普遍的な
認識からすればその方がむしろ好ましいのだが、どちらから伝えるかはあくまで2人の問題だ。物陰から注意深く見詰める使用人やメイド、そしてリーナを
除きクリスを含めたリルバン家滞在中のパーティーの面々は、痺れを切らしながら成り行きを見守るしかない。

「・・・アレンさん。」

 野次馬の静かな注目が集まる中、ルイは再びアレンを真っ直ぐ見て切り出す。反射的に視線を戻したアレンは、緊張感で身が引き締まる思いだ。

「は、はい。」
「約束どおり・・・、1人の女性としての私の気持ちを・・・聞いてもらえますか?」
「も、勿論聴くよ。」
「ありがとうございます。」

 前置きは良いからさっさと進めろ、との催促が2人に向けられる注目に強く込められる中、ルイは無言の催促とは裏腹に高まる緊張感の中で口を開く。

「私は今までずっと・・・聖職者として生きてきました・・・。私がそれなりに称号と知名度を高めたことで、私に接する人々の多くが態度を大きく変えました・・・。
私との結婚を視野に入れた声も聞くようになりました・・・。ですが、それは・・・、聖職者としてそれなりに地位を高めた私との結婚で・・・表現は悪くなりますが
自分の箔としたい意思を感じさせるものでした・・・。ですから・・・、私は今まで結婚や・・・その前段階である恋愛を・・・考えることがありませんでした・・・。」

 ルイの口から改めて聞く今までの人生は、決して口調には反映されないもののルイの心に深い傷を刻み、他人全般に対する強い不信感となってルイの
意識の基盤をなすものになったことが分かる。そんな辛い時代を報復に訴えることなく懸命に生き抜き、自らを高めることで蔑みや嫌悪の言葉や態度を
180度転換させたルイの言葉を、アレンは一言も聞き漏らすまいと神経を限界まで集中させる。

「母の遺志を全うするためにこの町に来た私は・・・、初めて・・・、私を民族や出生を念頭に置かない思考や言動の男性に・・・、アレンさんに出逢うことが
出来ました・・・。それだけでも・・・私はこの町に来て良かったと思います・・・。」
「・・・。」
「ホテルに入った最初の夜・・・、兵士の人達に襲撃された私を、アレンさんは助けてくれました・・・。真っ先に私の無事を確認してくれたアレンさんに抱き締め
られて・・・、私はこの男性に助けられたんだ、護ってもらったんだ、と実感しました・・・。」
「・・・。」
「ホテルのロビーで刺殺されそうになった私を・・・、アレンさんは自分自身を盾にして護ってくれました・・・。そして・・・、オーディション本選中に拉致されて
倉庫に拘束された際にも・・・、火を放たれた倉庫に駆け込んでまで・・・私を護ってくれたのは・・・アレンさんでした・・・。今私が生きていられるのは・・・、
アレンさんの温かい心と流された血のおかげです・・・。感謝しても・・・しきれません。」
「助けたかったから・・・。護りたかったから・・・。」

 今までの出来事を回想しながらのルイの感謝に、アレンはぎこちなく言葉を返す。
深夜のホテルで武装した刺客に襲撃された時も、オーディション本選出場者を装った刺客に凶刃を向けられた時も、拉致拘束されて焼き殺されそうになった
時も、アレンを突き動かした動機はルイを助けて恩を売ろうという計算やルイとの結婚を狙った策略ではない。ルイを助けたい、ルイを護りたいという純粋で
真っ直ぐな意志だった。その結果時に生命の危機に瀕する大怪我を負った。しかし、怪我はどういうわけか自己回復能力(セルフ・リカバリー)を備える
自分にはさして深刻な負担ではない。怪我や出血でルイが助けられるなら、護れるなら、傷はどれだけでも負うし、血はどれだけでも流して良い。
 怪我は何れ治るし、男性の自分には傷跡が残っても勲章になることはあっても引け目を感じるものにはならない。だが、一度失われた命は絶対に取り戻せ
ない。ザギに攫われた父ジルムを救出するためにようやく殺人を厭わない決意が出来たアレンは、決して好戦的ではない。その顔立ちのとおり、殺人は
おろか争いも好まない穏やかな性格だ。父以外で初めて護るべきもの、護りたいものをルイに見出したからこそ、大きな事件が終わった今も自分を鍛える
ことに熱心で居られる。ドルフィンに諭されたとおり、最後に頼れるのは自分の力なのだから。今の自分の原動力は間違いなく目の前に居るルイその人だと、
アレンは改めて確信する。

「アレンさんの純粋な心に接しているうちに・・・、私は・・・アレンさんを・・・1人の男性として明確に意識するようになりました・・・。その意識が何であるかも・・・
分かりました・・・。」

 いよいよ「時」が来たと直感したアレンは−誰でも分かるが必死で意識が回らない−、ルイに意識の全てを集約する。ルイも胸の鼓動が胸に手を当てずとも
分かるほ強く高まるのを感じる。どれだけ相手の気持ちを確信していてもこのような瞬間に付き纏う不安を、ルイは全力で乗り切り、ひたすら真っ直ぐに
アレンを見詰めて、強張る唇を懸命に動かす。

「私ルイ・セルフェスは・・・、1人の女性として・・・、1人の男性であるアレンさんを・・・。」
「・・・。」

「愛しています。」

 ぎこちないながらもはっきり発せられたルイの気持ちを表す率直な言葉は、間違いなくアレンの耳に届き、心に響く。

「・・・アレンさん・・・?」

 返答がないことに疑問を抱いたルイが恐る恐る尋ねる。アレンはルイを見詰めてはいるものの、石像のように固まってしまっている。

「・・・アレンさん?」
「・・・あ、ご、御免。」

 再度のルイの呼びかけでようやくアレンの硬直は解けるが、代わりに顔全体を瞬く間に赤く染めて俯く。ルイの中で不安が急速に膨らみ、同じく俯く。

「迷惑・・・でしたか・・・?」
「そ、それはない。少しもないよ。ただ・・・、何て言うか・・・、その・・・。」

 ルイから大きな一歩が踏み出されても尚決着がつかない展開に、物陰から注視する面々はじれったさのあまり拳を強く握り締め、早い進展を無言で強く
促す。

「こんなこと言われるのって・・・、初めてだから・・・、びっくりして頭の中が真っ白になって・・・、どうしたら良いか・・・分からなくて・・・。」
「あ、そ、そうなんですか・・・。」
「う、うん・・・。」

 アレンの意外な釈明に、ルイは若干拍子抜けする。アレンの言葉はしかし事実だ。
その顔立ちから女性、とりわけ年上の女性にもてはやされたが−女性的な顔立ちの少年に年上の女性の多くは好意的な反応を示すものだ−、「可愛い」
などと言われることはあっても、恋慕の感情を向けられたことはない。水面下で女性達が激しい牽制を繰り広げていたのもあるが、玩具のようにもてはや
されることはアレンに強い劣等感を生じさせ、その克服に向けて鍛錬に勤しませた。
 その結果、生まれ育ったテルサの村を外的から護る自警団の準団員として目を見張る活躍を見せ、益々女性にもてるようになったのだが、それが恋慕と
してアレンに感じられることはなかった。

「迷惑とか嫌だとか・・・、そんなことは少しも思ってないよ・・・。それだけは・・・誤解しないで・・・。」
「はい・・・。」

 過ぎるほど慎重に言葉を選んでのアレンの説明で、ルイの不安はある程度解消される。だが、アレンからの返事を受けなければ不安は解消されない。

「あの・・・、返事は・・・?」

 不安が解消されないルイは、やはり恐る恐る尋ねる。成り行きを見守る面々は「はっきりしろ」とアレンに向けて叫びたい衝動を抑えるのに必死だ。

「凄く・・・嬉しいよ。・・・俺を・・・1人の男として見てくれてるんだ、って分かって・・・、凄く嬉しい・・・。」

 此処に来てようやくアレンの表情が若干緩む。緊張が最高潮に達しているせいで、僅かに緩んだ表情はあまりにもぎこちない。ルイには当惑とも映る。

「アレンさんは・・・、その・・・、私のことを・・・どう思っているんですか?」

 アレンの気持ちを聞きだそうとするルイの言葉は、野次馬の面々にはあまりにも甘く生温く思う。出来ることならアレンの腕を取ってルイを抱き締めさせ、
「君が好きだ」と言わせたいところだが、此処でしゃしゃり出ることは間違いなく雰囲気をぶち壊しにするし、事前に雰囲気を壊さないよう申し合わせている
から、辛うじて抑えていられる。

「凄く・・・好きだよ・・・。男として。」

 待ち望んだ言葉は何らの飾り気もない。極論めいたことを言えば、言わなくとも分かることを表明しただけだ。しかし、月明かりで分かるだけでも髪と同じ
くらい赤く染めた頬と、緊張で強張っているが自分を見つめる瞳が透き通っていて、自分だけを映していることが分かるルイの心にアレンの言葉はストレートに
届き、今まで感じたことがない強くて優しくて温かい響きを生み出す。

「前にも話したかもしれないけど・・・、今まで俺は・・・男として見てもらえなかったんだ・・・。女っぽい顔と身長が低いせいで・・・可愛いってもてはやされることは
あっても・・・、玩具みたいに面白がっていただけで・・・。」

 感慨に打ち震えるルイに、アレンは自分語りを始める。普通だと顰蹙を買いかねないが、ルイは今度は自分の番とばかりに聴くことに注力する。

「悔しくて・・・何とか男らしくなろうと努力したけど・・・、男とは認められなかった・・・。リーナの護衛役になったけど・・・、この町に向かう道中で女物の服や下着を
合わせられて・・・恥ずかしかったし・・・、悔しいっていう気持ちもあった・・・。」
「・・・。」
「だけど・・・、ルイさんは・・・俺を1人の男性として見ているって言ってくれた・・・。ルイさんを何度か助けたのは・・・、ルイさんを助けよう、護ろうって思った
から・・・。助けたかったし、護りたかったから・・・あれこれ考えるより先に・・・身体が動いたんだ・・・。」

 アレンが自分を助け護った背景に計算や打算がなかったことを改めて実感したルイは、微笑みながら無言で小さく頷く。

「ルイさんが・・・、1人の女性として俺を・・・1人の男性として見てくれて・・・、好きって言ってくれたのは・・・凄く嬉しいよ。本当に・・・。」
「・・・。」
「この先どうすべきか・・・まだ決まらないけど・・・、その・・・、付き合ってください。」
「…は、はいっ。よろしくお願いします。」

 返事をする時とは打って変わって意外なほどすんなり飛び出した交際の申し出に、ルイは一瞬驚いたものの即答で快諾する。初めて抱いた恋心が
想い人に通じたこと、想い人も自分と同じ気持ちを抱いていたことが分かったルイは、溢れ出す嬉しさと幸福感で心震わし、火照ってきた顔を下に向ける。
勢いで交際の申し込みまで言ったアレンは、ルイを抱き締めるどころか手を握ることすら出来ずに顔をこれ以上ないほど真っ赤に染めて視線を下に落とす。
 声は全部を聞き取れないし−気づかれないよう当然距離を置いている−2人揃って俯いて黙り込んではいるが、ルイからの愛の告白は無事アレンに受託
されたと感じた野次馬の面々は、無用に長かった時間と緊張感から解放されて揃って安堵の溜息を吐く。祝福したり冷やかしたりしたいところだが、手探りで
自分達の仲を続けていこうとしているアレンとルイの空間に割って入るほど野暮ではない。アレンとルイに気づかれないよう、静かに散会する。2人から
十分距離を置いたところで、美形同士で似合いのカップル成立だと口々に評論する。
 ルイが聖職者ではない人生に向き合えることを一際望んでいたクリスは、2人に手向けて共に交わす祝杯の代わりと弾んだ足取りで専用酒場に赴く。
途中、アレンが外見から生じる劣等感から脱却することを期待していたドルフィンとシーナと合流する。酒豪のドルフィンに対しシーナは嗜む程度だが、
考えていたことはクリスと同じだ。アレンとルイのじれったさ、特にはっきりしなかったアレンの態度をやや辛口に評価するものの、2人の気持ちが無事に
通じ合ったことを素直に祝福したい気持ちはやはり同じだ。
 ただ1人アレンとルイの動向に無関心を決め込んでいたリーナは、居室以上に滞在時間が長いと言っても過言ではない実験室で、ドアの向こうから聞こえて
くる喧騒で結果を察する。一様に歓喜溢れる声の調子から、不発若しくは失敗に終わったと思うほどリーナは鈍感ではない。だが、結果が分かっても祝福や
歓喜を伴う人々の輪に加わることなく、リーナは一旦止めていた実験の手を再び動かし始める。なかなか変化しない表情には、心なしか僅かに影が差して
いるようにも見える。
 使用人とメイドの輪に入って結果を聞いたロムノは、報告のためフォンが居る執務室へ向かう。一等貴族当主として、そして父として2人をどう見守るか、
これからがフォンにとって正念場だと分かっているロムノの心境は複雑だ。程なくロムノから結果を伝え聞いたフォンは「そうか」と呟いて溜息を吐く
だけだ・・・。

その頃、隣国シェンデラルド王国へ向かう途中のフィリアはというと・・・。

「んー・・・。アレーン・・・。」
「駄目だ。完全に寝こけちまってる。」

 テーブルに伏して寝言でアレンの名を呼んでいた。酒は好きだし飲めるとは言えさほど強い方ではないところに大量に飲んだため、寝入ってしまったのだ。
フィリアを起こそうと身体を揺すっていたイアソンは起こすのを断念し、呆れて溜息を吐いてフィリアの左腕を自分の肩に回し、部屋へ引っ張っていく。

「こんなだらしないところを見たら、アレンに逃げられるぞ・・・。」

 やけに重く感じながら1人ごちるイアソンの懸念を他所に、フィリアは眠り続ける。にやけているところからするに良い夢を見ているようだ・・・。
 翌日。リルバン家は終焉の気配が見え始めた夏がリルバン家邸宅内限定で新規に始まるかと思いきや、フィリアとルイの間で生じていた一触即発の緊張感
から解放された平穏な空気に大きな変化はない。朝食の準備のためいち早く起床して持ち場に出た料理人や厨房担当の使用人42)が目にしたアレンと
ルイは仲睦まじいものの、想像していたイチャイチャやベタベタはなく、1日の最初の挨拶の後、パーティー向けの朝食を作り始めるという、これまでと何ら
変わりがない光景だった。
 野次馬散会後に喧嘩をしたのかと思ったが、親しげに話しているところからそんな険悪さは微塵も感じない。親愛が強まった水準に留まっている。
暑苦しい光景を楽しみにしていた−無論職務の合間の話のネタになる−側面すらある邸宅内の人間には、いささか物足りなさを感じさせる。ドルフィンと
シーナくらい目立っても良いと思う。

「2人共、何遠慮しとんねん。」

 口にするのは憚られた邸宅内の人間の思いを代弁したのはクリスだ。このような時、クリスの大胆さは大いに役に立つ。クリスと同じテーブルに着いて朝食を
食べ進めていたアレンとルイは、唐突なクリスの疑問の提示に思わず口にしていた料理を噴出しそうになる。

「遠慮せんでもええんやで。」
「え、遠慮って何を・・・。」
「誤魔化しても無駄やでー。」

 当惑の色を隠せないアレンに、クリスはにやけながら軽く突(つつ)く。流石に告白とカップル成立の一部始終を見物していたとは言わないが、クリスの表情と
口調からルイとの関係の変化に感づかれるものがあったかとアレンは思う。格好の見物対象になっていたと察しないあたり、アレンの鈍感さが垣間見える。
 経緯を見届けた野次馬が散会して暫く後、アレンとルイは1つの合意に至った。「他人が不快に思うような親密さは慎む」というものだ。
アレンもルイも初めて特定の異性に恋心を抱き、それがめでたく成就したのは良いが、この先どうするかは未知の領域だから模索するしかない。それに、
アレンもルイも割と他者の心情や迷惑を重要視するタイプだ。自分達にとっての幸福が他人からして鬱陶しく思うことはよくあることだから、基本これまで
どおり仲良く付き合おうという考えで合意したのは、賢明且つ堅実な判断と言えよう。

「クリス・・・。もしかして・・・見てたの?」
「ん?見とらへんよ。んでも43)ルイとアレン君の雰囲気見とったら、それなりに分かるて。」

 クリスのハッタリはルイの疑念を消せないが、アレンはそんなものかなと思う。これではフィリアが手を焼くのも無理はない。表面化しないようにしていたつもり
でも、態度には出てしまうことは往々にしてある。隠すのは早くも限界か、とアレンとルイは思うが、あえて公言しない。

「良かったな、ルイ。」
「あ、え、ええ・・・。ありがとう。」

 率直な祝福の言葉に、ルイは戸惑いつつも感謝を述べる。
激しい偏見と差別に晒された幼少時から身体を張って護り続けてくれたクリスは、ルイが躊躇や計算なしで頼れる希少な存在だ。アレンとルイは冷やかしや
からかいの嵐が始まることを覚悟していたが、クリスは率直に祝福しただけで手を引く。
 互いに我が身のリスクに躊躇することなく身を挺して護り合い、ランディブルド王国に生まれ育てば必ずついて回る民族の違いやルイの肩書きを超越した
相互補完関係の延長線上に成立しているアレンとルイの愛情の融合は、クリスだけでなく他の面々にも好意的な印象を与えるものだ。無闇に突いたり
冷やかしたりして2人の仲をぎくしゃくさせるほど無粋ではない。

「イチャつくんは2人きりの時にでも思う存分すりゃええとして、ルイ。一旦村へ帰るんか?」
「・・・ええ。この町での用事は済んだし。」

 話題はルイの帰省に替わる。
ルイの村での役職である村の中央教会祭祀部長と評議委員会委員の職をいたずらに空けておくことは、それぞれの運営からも好ましくない。今後の身の
振り方についてはまだ方向性が定まっていないが、イアソンを介してフォンに突きつけた帰省の許可と警備の同行取り止めの要求は受け入れるとの回答が
得られている。フィルの町での用件は飛び込みで入ったものを含めて全て完了したから、リルバン家に拘束されたくない意思も作用しているルイは帰省に
前向きだ。

「必要ならあたしも同行するで、遠慮せんと言うてな。」
「ええ。その際はお願いね。」
「勿論や。で、アレン君はどないする?」
「え?」

 いきなり話を振られたアレンは少々戸惑う。
ルイの「正体」は物流と共に故郷の村にも知れ渡っている可能性があるし、いくら想いが通じ合ったとは言えこの国にとってはシルバーカーニバルの最中に
入国した外国人であることには変わりない。そんな自分が「村で嫁さんにしたい女No.1」との称号も得ているというルイの凱旋帰国に同行して良いものかと
アレンは躊躇する。

「ん・・・。俺自身は嫌じゃないけど、俺が同行するのは色々と問題があるんじゃないかな・・・。」
「その辺は気にせんことや。ルイの出世で態度ころっと変えた村の男共と違うて、アレン君は身体張ってルイを護った剣士や。堂々としとりゃええ。」

 軽い調子はそのままだが、クリスのアドバイスに誇張やおだての要素はない。クリスから見ても、アレンは思惑や計算なしにルイを懸命に護った勇敢な
剣士だ。国王や国の中央教会総長とルイが謁見する際に同行する騎士役を担った実績からも、アレンがルイの帰省に同行することにクリスは全面的に賛成の
立場だ。

「村に帰るんやったら、何時でもええで遠慮せんと言うてや。責任持って護衛すんで。」
「ええ。」
「アレン君に言うの、忘れたら駄目やでー。」

 頃合を見計らって、クリスはアレンとルイを突く。幼馴染で親友でもあるルイが掴んだ聖職者としての立場以外での幸せは、聖職者の職務以外に興味や
関心を向けてこなかったルイの「活性化」の観点からも好ましいことだ。リルバン家継承問題は勿論クリスにとっても懸案事項だが、少なくとも今後の身の
振り方を確定させるまでは、全国的に注目されている聖職者やリルバン家現当主の一人娘という枠を超えて1人の年頃の女性として、ルイにはこれまでとは
違う人生を満喫して欲しい。その人生の一翼を担うアレンには引き続きルイ専属の騎士として活躍して欲しいところだ。
 クリスの冷やかしにアレンとルイは照れ笑いを浮かべ、チラッと顔を見合わせる。見ていて嫌味のない初々しいカップルは、予想と異なりやや淡白だが
強い絆で結ばれていることは間違いないようだ。一方で「父の心子知らず」な状況に変わりはないのもまた事実・・・。
 その日の昼過ぎ。邸宅の主であるフォンが多くの時間を過ごす執務室には、フォンの他に2人の招聘対象者が居る。1人はフォンの側近中の側近ロムノ。
もう1人はドルフィンだ。
 昨夜ロムノからアレンとルイのカップル成立を伝え聞いたフォンは、アレンの今後の動向に関心を高めている。リルバン家に拘束されることを嫌う一方で
アレンを特別視しているルイは、アレンの後を追ってランディブルド王国から出国することを躊躇わないと考えられる。国王からはルイの安全保障を命じ
られているし、リルバン家当主よりも父としてルイに接したいフォンは、アレンの今後の動向を把握すべくパーティーの実質的リーダーでありアレンに大きな
影響力を持つドルフィンを執務室に招いて、今後の対応を協議するつもりだ。
 個性が強いパーティーを統率してきたドルフィンは、改めて一から説明されずともフォンの意向は分かる。アレンがルイを伴って出国するとなると伝統と由緒
あるランディブルド王国一等貴族の後継問題が深刻化するし、ルイとの間に未だ埋める見通しがまったく立たない深刻な断絶を抱えたままのフォンは尚更
愛娘の動向が気になるところの筈。ドルフィンはアレンとルイの関係に干渉するつもりはないが、フォンへの協力を惜しむつもりもない。

「・・・今後、アレン殿がどう行動するか、ドルフィン殿は知っているか?」
「現在では未定です。イアソンとフィリアが情報収集のために向かっているシェンデラルド王国の状況次第で選択肢が生じるでしょう。」

 国境を越えて侵入しては破壊の限りを尽くす悪魔崇拝者に乗っ取られた可能性が濃厚なシェンデラルド王国には、アレンの父ジルムを攫って行方を
くらましているザギが潜伏している可能性がある。潜入に向かっているイアソンとフィリアからの情報でザギの所在が判明すれば、アレンは早速シェンデラルド
王国へ向かおうとするだろうし、アレンに協力すると約束しているドルフィンは無論協力を惜しむつもりはない。
 逆に、ザギの居場所が掴めない限り、アレンがザギの足取りを追うために動き始める可能性は低い。先のホークの顧問との戦闘で殆ど歯が立たなかった
ことを悔しく思っているアレンは、雪辱に向けて日々トレーニングに勤しんでいる。実力試しに町を出るのは危険を伴うし、それをザギやその配下の者が
虎視眈々と狙っている可能性は否定出来ない。アレンの旅の目標を未完で頓挫させないためにも、ドルフィンはザギの行方が判明するまでアレンをフィルの
町に留めさせる方針で居る。

「ザギとか言うセイント・ガーディアンの実力は、客観的に見ていかほどのものなのだ?」
「物理的な戦闘力は低い方です。しかし、謀略や策略といった情報戦に関しては非常に優れていますから、総合すれば相当高いと言えます。」

 レクス王国の首都ナルビアでの最後の攻防でザギと直接対峙したドルフィンは、戦闘力そのものは自分より明らかに低いと確信した。しかし、低い戦闘力を
二重三重に罠を仕掛けたり陽動作戦を指揮するなど非常に高い情報戦の能力で補完している。戦争における情報戦の重み強みを知っているドルフィンは、
決してザギへの警戒を緩めては居ない。

「ドルフィン殿もご存知かと思いますが、ルイ様は生まれ育ったヘブル村に一時帰還される方針です。その申し出には、自身の帰還に際して道中に警備を
伴わせないようにとルイ様から要求がございまして、フォン様は思案の末に要求を受託されました。ルイ様が何時ヘブル村に帰還されるかはまだ不明
ですが、国王陛下と国の中央教会総長様との謁見も済ませられたルイ様は、近いうちにヘブル村に一時帰還されるものと思われます。」
「ふむ・・・。」
「一方で国王陛下からは、ルイ様の安全には万全を期すようにとの勅命を賜っております。ルイ様の身に万が一のことが生じれば、リルバン家のみならず我が
国全体を大きく揺るがす事態に発展する恐れが極めて高いのです。一方で先ほど申し上げましたとおり、フォン様はルイ様を刺激しないためにとルイ様の
一時帰還に際して警備を同行させないと回答されました。しかし、ルイ様の安全を考えますと回答を言葉どおりに遵守するわけにはまいりません。しかし、
警備の同行がルイ様に知られることとなれば、リルバン家後継問題は勿論のこと、フォン様とルイ様の関係修復に深刻な影響を与えるのは必至。どのような
対策が適切か、ドルフィン殿のご意見をお聞かせください。」

 ロムノの依頼に、ソファに深く座ったドルフィンは腕を組んで難しい表情で考え込む。
アレンとルイの関係と今後の動向は、パーティーの行動と密接な関係がある。終わりが不明瞭な旅の大きな目的は、ザギに攫われたアレンの父ジルムの
居場所を突き止め、救出することだ。ザギの配下が顧問としてホークに取り入った真相は、文字通り「死人に口なし」だから知る術はない。しかし、ザギの
命令を受けたとの自白内容やランディブルド王国の王家の城地下にあるという地下神殿の「価値」を考えると、さほど遠くない位置で情報収集や指揮命令を
行っている可能性がある。
 現時点で最も可能性が高いのは、フィリアとイアソンが向かっている隣国シェンデラルド王国だ。ランディブルド王国では少数民族のバライ族を扇動して
民族意識をいたずらに高揚させ、悪魔崇拝に抱き込むことでランディブルド王国における混乱を企図している、とイアソンは推測したし、ドルフィンもその
可能性は十分考えられると思う。シェンデラルド王国に潜伏しているなら比較的話は簡単だ。アレンを自分の下から離さないように注意しつつ、ザギの身柄を
拘束してジルムの居場所を吐かせれば目的は達成されるだろう。しかし、配下の部隊を駆使して世界各地に謀略や策略の罠を張り巡らせ、古代文明に
纏わる現在では想像もつかない高度なテクノロジーを我が物にすべく活発に行動しているらしいザギが、一箇所に長期間留まっている可能性は低い。
 ザギの居場所次第ではランディブルド王国からの出国は当然視野に入れなければならない。しかし、アレンとルイは予想どおりカップルとなった。攻撃に
大きく偏っているパーティーの戦力から見ても、衛魔術を多数使えて今後の能力向上も十分見込めるルイは即戦力となる。だが、ルイはフォンのただ1人の
実子であり、ランディブルド王国で絶大な影響力と存在感を併せ持つ一等貴族の1家系リルバン家のただ1人の後継候補者だ。ルイをパーティーに加える
ことは、戦力のバランスを考えると手放したくはないが、ルイの立場がそれを許さない。
 ところが、ルイがアレンと交際を始めたから、アレンはルイを同行させたいだろうし、リルバン家に束縛されたくないルイはアレンに同行したいだろう。
アレンが同行を申し込めばルイは迷うことなく快諾するだろうし、ドルフィンはアレンに協力するという位置づけだから、明らかに危険を伴うものや常軌を逸した
ものでない限りアレンの方針を阻害するのは心情の面から憚られる。ルイと顔を合わせることすらままならないフォンでは到底手に負えない重い課題をどう
打開するか、難しいところだ。

「・・・今朝の食事の席で、ルイ嬢は故郷のヘブル村に一時帰還する意向を仄めかしました。」

 長く重い沈黙の後、ドルフィンは口を開く。

「一時帰還としているところからするに、ルイ嬢は今後の身の振り方を模索している段階と考えられます。フォン当主との関係修復を考慮した場合、ルイ嬢の
感情を刺激するのは避けるべきです。選択肢が生じる余地は最大限残しておくべきでしょう。」
「では、仮にルイが我が国からの出国を選択肢の1つとした場合、どうすれば良いのだ?」
「フォン当主との関係が現状から改善されない場合、出国を妨げることはルイ嬢のフォン当主に対する感情に致命的損害を与える可能性が極めて高い
です。」

 ルイがランディブルド王国を出国する選択肢を選ぶことを邪魔すべきではないとの意味を含ませたドルフィンの回答に、フォンとロムノは「やはりか」と
言いたげな表情で深い溜息を吐く。
 ルイとフォンの関係修復は極めて困難だし、下手にルイを刺激すれば関係修復の可能性が完全に消滅することは容易に想像出来る。国王や国民からの強い
批判を覚悟でルイの出国を容認するしかないか、との推測はフォンとロムノには悲観的なものでしかない。

「その仮定が現実のものとなるより先に、フォン当主はルイ嬢との関係改善を図るべきでしょう。」
「どのように?」
「フォン当主自ら直接ルイ嬢に話すのです。ルイ嬢の母であるローズ女史への愛情が今も健在であること。ローズ女史をリルバン家から脱出させるまでに
どのような経緯を辿ったか。ローズ女史がルイ嬢を身篭っていたことは知らなかったしローズ女史から知らされても居なかったこと。今後1人たりとも正室
側室を迎える意向もなく、自身の子どもをもうける意向もないこと。そして・・・、自分の妻は生涯を通してローズ女史ただ1人であり、自分の子どもは生涯を
通してルイ嬢ただ1人であること。全てを自らの口でルイ嬢に直接話すのです。」

 ロムノに詳細を求められてのドルフィンの回答には、一等貴族当主という立場に無意識に固執しているフォンを批判し、一等貴族当主の枠から踏み出す
ことを求める意思が含まれている。
 父としてルイと向き合いたいと言う一方で、ルイとの初の対面に至るまでにもアレンやロムノを介して間接的に来るよう求めたし、アレンの説得によって
実現しても一等貴族当主と招聘客との立場やしきたりを踏襲していた。これではルイに父として向き合いたいと言っても説得力に欠ける。
フォン自ら一等貴族の枠を超え、純粋に1人の父として向き合い、ルイ以外の面々に話した事実を包み隠さず自らの言葉で全て話し伝えること。
これがルイとの接触にあたって最もフォンに求められることだ。

「・・・ルイは今何処に居る?」
「恐らく居室かと。ルイ嬢は空き時間を活用して聖水の作成に尽力していますので。」

 少しの沈黙の後、何かを決意したかのようなフォンは、ドルフィンに申し出る。

「案内してもらいたい。ルイの居る場所まで。」

 フォンが我が意を汲んだと察したドルフィンは、満足そうに一度だけ、しかしはっきりと頷く。
ロムノは一等貴族のしきたりを打破しようとするフォンを制することなく、ドルフィンに謝意を込めて小さく一礼する。筆頭執事としてフォンの手となり足となる
ことで、フォンの誤りを指摘して正すことが出来なかった自分への戒めを含んだものだ。
 ドルフィンとフォンは揃って席を立つ。フォンはドルフィンの案内を受けてルイの居室へ向かう。ロムノはフォンに随行する。フォンの表情は並々ならぬ
決意に満ちている。一等貴族当主と後継候補ありきではなく、まず父と娘として向き合い、言葉を交わすことが必要だ。出発前にイアソンはそう呟いていた。
それぞれの地位や立場を超えて純粋に相手と向き合うことの大切さを、ドルフィンはフォンを先導しながら改めて噛み締める・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

42)料理人や厨房担当の使用人:使用人は邸宅内の雑務全般を担当し、料理人は使用人と同じ職階だが料理を専門とする。何れも使用人の長や筆頭
執事、果ては一等貴族当主の管理下にある。


43)んでも:「それでも」「そんなことしなくても」と同意。方言の1つ。

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