Saint Guardians

Scene 9 Act 3-3 分岐-Fork- 心に潤いと安らぎを

written by Moonstone

 リルバン家邸宅での時間は、いたって平穏に流れていく。朝から晩まで就寝時間以外ずっと続いていたフィリアのルイに対する牽制が生んでいた、何処か
ギスギスした雰囲気が解消されたことが大きい。フィリアの牽制は決して暴力を伴ったり嫌がらせなど陰湿なものではなかったが、「アレンに近づいたら
ただでは済まさない」と誰もが感じる物騒なオーラを伴うものだった。そんなオーラを放っている人物が広大とは言え限られた空間である邸宅内に居れば、
邸宅全体の雰囲気も連動してギスギスしたものになる。
 邸宅内の空気を重くしていた要素がなくなったことで、邸宅で広大な情報ネットワークを形成する使用人やメイドの関心は、自ずとアレンとルイに向かう。
アレンは初めて見た者の90%以上が女と思い、残りは男か女か分からなかったほど少女的な顔立ちだ。身長は男性としては低い方で女性ならやや高い方。
体格もなで肩で、華奢ではないもののドルフィンのように厳ついものでは決してない。男と分かれば殆どのものが「美形」と表現する出で立ちだ。一方の
ルイはもはや言うまでもなかろう。そんな2人が心理的距離を大きく縮めていることは、重傷を負って絶対安静を強いられたアレンをルイが献身的に看護した
こと以外にも、専用食堂でのじれったいほどの初々しさや夜のテラスで抱き合っていた現場など、見たものに強い印象を与える事実が多数あるから容易に
把握出来る。更にパーティーの中でも非常に接しやすいイアソンやクリスから、オーディション本選出場者が滞在したホテルでアレンとルイが出逢った頃
からの急接近や親密ぶりを聞いているから、否応なしに期待は高まる。
 しかし、使用人やメイドは勿論、パーティーの面々誰もがじれったく思うほど、アレンとルイの距離がフィリアの牽制開始前より縮まる様子はない。
トレーニングでアレンの相手役になっているクリスは、ルイと長く厳しい時間を分かち合ってきた親友として双方に何度も強く促しているが、ルイは国の中央
教会総長との謁見を済ませてからとの態度を崩さないし、アレンもやはりルイとの約束を遵守する態度を崩さない。仲介役のクリス以外の誰もが「どちらから
でも良いからさっさと告白すれば良いのに」と思うものの、自分達の関係をどうするかは最終的には当人同士が決めることだ。下手に干渉すれば逆に距離を
遠ざけてしまう危険性もあるから、静観するしかない。
 当のアレンとルイは、休憩や食事の際には同じテーブルに着いて飲食しながら談笑し、就寝前にはテラスで1日の互いを労っている。抱き合ったりキスしたり
するには絶好の条件があるにもかかわらずそれに踏み出さないのは、2人がこれまで異性との交際経験ががないのもあるし、ルイがアレンに自分の気持ちを
伝えてアレンがそれを聞くとの合意を遵守していることが大きい。
 この世界における性道徳は、その場その時の欲望や快楽を満たせれば良いとする享楽主義的・動物的なものでもないが、かと言って結婚前に性的関係
どころか手を繋ぐことさえ不純とする潔癖主義的なものでもない。だが、アレンは自分の容姿に対する強いコンプレックスと「強く逞しい男性」への過度の
執着で恋愛に直面することがなかったし、ルイは物心ついた頃から品行方正を絵に描いたような生活を続けてきた。その結果道のりは違えど、2人は恋愛に
対して古風とも言える正々堂々とした態度で臨む意識が根付いたのだ。2人の仲の進展は、ルイと国の中央教会総長との謁見が終わってからと考えるのが
良さそうだ。

「総長様との謁見が終わるまで、現状維持との観測で問題ないと思われます。」
「そうか・・・。」

 場所は執務室。ロムノから報告と推論を受けたフォンは溜息を吐く。アレンとルイの動向が気になるのはフォンも同じだ。
今までに愛し合ったただ一人の女性であるローズの忘れ形見のルイは、フォンのたった1人の愛娘でもある。年頃の愛娘が特定の異性と距離を縮めることが
気になるのは、父親によく見られる心情だ。直接話を聞きたいのは山々だが、ルイとの直接の対面は職務とルイの強烈な拒否感情が許さない。そのため、
側近中の側近であるロムノから聞くしかない。
 ロムノがアレンとルイの状況を探るのは極めて容易だ。使用人やメイド、若しくは自分の部下である他の執事に尋ねるか、話の輪に混じれば良いだけなの
だから。他人の恋愛事情に強い関心を抱くのはこの世界でも変わらない。TVやゲーム、インターネットといった多彩な娯楽がないから尚更恋愛事情に関心が
向きやすい。諜報や策略を用いずとも、使用人やメイドが構築している情報ネットワークに接すれば、アレンとルイの状況は容易に把握出来る。

「進展があると見受けられる場合、どうされますか?」
「・・・干渉はしないつもりだ。」

 リルバン家当主である前に父親として、フォンは自分の娘が交際しようとする男性は気になる。同じ言語を話す同じ国土に生まれても、民事に関わる民法が
大幅に改訂された現在でも尚、日本の男女の多くが意識しているかしていないかを問わず、結婚を家と家との問題と考えること−両性が成人していれば
婚姻に親の同意や承諾は不要なのに両家への挨拶や結納が今尚健在なことが代表例−でも分かるように、恋愛や結婚に対する意識は法律の裏付けが
あっても容易に変えられるものではない。建国神話に歴史が遡るため、この世界では少数派の「家」という概念の存在が強い一等貴族の人間であれば
尚更だ。
 しかし、フォンはアレンとルイの仲に干渉する意向はない。
自身が一等貴族当主継承問題の当事者となり、愛し合った女性との生き別れを余儀なくされた苦く辛い経験を持つし、話をすることすら出来ないほど底が
見えない深い断絶を抱えているから、リルバン家当主継承問題と絡めてもルイの心情を害したくはない。
アレンは現在クルーシァを制圧しているガルシアなるセイント・ガーディアンが率いるやはりセイント・ガーディアンであるザギに唯一の肉親である父を
攫われ、その父を探して救出するために旅を続けていると、先にロムノから聞いている。そこから推測すると、父親の救出が適わぬままランディブルド王国に
永住するとは思えない。
 アレンとルイが男女としての交際を始めるなら、ルイがランディブルド王国を出て外国に根を下ろす選択をすることは避けなければならない。ルイがアレンと
交際するとのかなり成立が濃厚な可能性を考える上で、フォンが最も懸念するのはこれだ。今後正室も側室も迎えるつもりはないし、その意向は国王にも
伝えている。
ルイがランディブルド王国を出て異国に定住するとなれば、リルバン家の存続は勿論王国自体に激震を走らせる危険性が高い。だが、アレンとの関係を
引き裂く方向で動けばルイの怒りは頂点を突破し、親子関係の修復は完全に不可能となるのは間違いない。
 ルイを刺激しないよう動向に関心を払うというのは、非常に微妙で精密なバランスを要求される。少なくとも健全な方向で進むのなら不干渉という原則は
貫徹しなければならない。一等貴族当主として、一人娘の父親として、フォンには非常に難しい課題だ。

「・・・当面、静観で良かろう。総長様との謁見後から動向に関心を高める必要はあるだろうが。」

 暫しの沈黙の後、フォンは無難な判断を下す。
アレンとルイの関係に進展が見られる時は、ロムノも言ったとおり国の中央教会総長との謁見を済ませてからだろう。ルイを刺激しないようにそれまでは
静観するのが賢明だ。

「念のため、動向には引き続き関心を向けておいてくれ。」
「承知いたしました。」

 「監視」と言わず「関心を向ける」と言うあたりに、フォンのルイに対する配慮が感じられる。
純粋に父として接したいがそれを許さない環境にあるフォンの心境は、当主就任まで顧問として、当主就任後は筆頭執事としてフォンの右腕となって来た
ロムノは分かるつもりだ。王国の今後を別にすれば、ホークが先代の後継となった方がフォンのためでもあったと今でも思う。そのフォンをリルバン家に
拘束してしまったというある種の負い目を持つロムノは、親としてルイに接したいフォンには勿論最大限の協力を惜しまないつもりでいる。「主人の手となり
足となれ」「主人と心を一つに」という、現在は引退40)若しくは死去した先輩執事の口癖めいた教えを実践するのみだ。
 事実上、リルバン家の親子関係の行方を委ねられたランディブルド王国中央教会総長とルイとの謁見に向けて、時は静かに流れていく・・・。
 シルバーカーニバル真っ只中のフィルの町の関心が、一斉に国の中央教会に集中する。ルイが国の中央教会総長と謁見する日を迎えたためだ。
本人は承諾していないが唯一のリルバン家当主継承権保有者であるルイが、国王と並ぶランディブルド王国の重鎮と謁見するという話は、リルバン家前での
荘厳な出発の風景を見た者から瞬く間に町中に広がった。
 出発の風景や段取りは、ルイの服装がドレスではなく国の中央教会から支給された正装であること以外は国王との謁見時と同じだ。しかし、ルイにとっては
国王の時以上に緊張する場面である。

 聖職者のみならず国民の尊敬の対象である国の中央教会総長との謁見が速やかに決まることはまずないことは前述のとおりだ。正規の聖職者でもフィル
以外だと謁見は非常に難しい。王国議会議員を輩出するフィルの教会に勤務し、王国議会議員となって初めて顔を合わせられると言える。無論、聖職者は
王国議会において一等貴族当主に匹敵する勢力となるし、「教書」の教えを遵守する立場から国の運営に携わるのだから、権力欲の塊では選出されることは
あり得ない。選出対象となるのは6つの地区教会と中央教会の各部の常任委員以上であるし、それに就任するには相応の称号が必要とされる。人を助け、
護る心がとりわけ大きな影響を与える聖職者の称号上昇において、権力欲は百害あって一利なしだから、選出の対象になるに達しない。
 ルイの元に毎回届く大量の異動要請の中には、将来の王国議会議員選出を見据えたものが必ず含まれている。しかし、ルイは今までヘブル村に永住する
ことしか頭になかったから、聖職者なら誰でも光栄に思うフィルの町にある教会からの異動要請を全て断り続けてきた。教会関係者なら知らない者は居ない
人物が、実は一等貴族現当主のただ一人の実子で、しかも今回は国の中央教会総長から話が寄せられたという極めて珍しい厚遇で謁見が実現の運びと
成ったのだ。キャミール教の影響が非常に強いランディブルド王国、しかも「地元」であるフィルの人間なら今回の謁見に注目しない方がおかしい。
 国王との謁見時と同様ルイに同行する騎士という位置づけで、プラチナで鍍金されたハーフプレート一式と愛用の剣を装備し、リルバン家邸宅出発から
馬車への搭乗のエスコートもこなしたアレンは、国王との謁見時とは異なる原因で生じる緊張感を感じる。礼服をバージョンアップした正装は、純白に一部
金の刺繍が施された清楚さと上品さを基調として華やかさを控えめにかもし出しており、ルイにはよく似合っていることは勿論だ。しかし、国王との謁見時は
その清楚さと上品さを併せ持った美しさに見とれるだけだったが、今回は1人の聖職者として聖職者の頂点に君臨する要人との謁見に臨む緊張感の方を
アレンは強く感じる。
 正規の聖職者であるルイにとって、国の中央教会総長は国王以上に雲の上の存在だろう。どういう話をするのか分からないし、将来性豊富とは言え称号
全体から見ればまだ中級レベルに足を踏み入れた段階のルイが称号の頂点である教皇と謁見するのだから、ルイの性格からして他の優秀な聖職者諸氏を
差し置いて自分が、という遠慮を感じているだろう。アレンはどう声をかけて良いか分からず、時折ルイに視線を向けるだけだ。

 馬車は国王一族が居住する王家の城に隣接する巨大な教会の前で停まる。此処がランディブルド王国の聖職者の最高峰、王国中央教会だ。
馬車のドアが開き、アレンがエスコートしてルイを降ろす。一挙に巨大で分厚い人垣が出来るが、厳重な警備に阻まれて見ることは出来ない。ルイは引き続き
アレンのエスコートを受けて敷地に入り、緊張した足取りで石畳を歩いていく。巨大な正門が近づいてくるにつれ、ルイの心拍数と緊張感が高まる。
 正門前に来たところで、アレンはルイから離れる。王国中央教会の正門は、不測の事態に備えて聖職者しか空けられない特殊な魔法がかけられている。
それに、王国中央教会に出入り出来るのは、聖職者の他は国王とその後継者、一等貴族当主とその後継者に限定されている。騎士役のアレンが入ることは
出来ない聖域なのだ。
 アレンが不安を抱きながら見守る中、ルイは正門両脇に居た中年の男性聖職者−彼らは門番−2名と共に右手を正門当てて目を閉じ、声を揃えて複雑な
発音の呪文を唱える。呪文の詠唱が終わると、正門が人1人入れる分だけ開く。鍵の役割も担う門番が両脇に退いて一礼するのを受けて、ルイは中央教会の
建物に入る。ルイが入り終えるのに合わせて正門は速やか且つ静かに閉じられる。ドアが閉まった小さな音を聞いて、ルイは再び歩を進める。
 多数の蝋燭が灯されている教会内部は静まり返っており、強い魔力を感じる。教会内部には総長自らが施した強力な浄化系魔術が浸透している。邪な心を
持つものは居るだけで心臓を掻き毟られるような強い痛みを感じ、最悪ショック死してしまう。悪魔など浄化系魔術に弱い魔物は踏み込んだ途端に蒸発して
しまうほどだ。
ルイは蝋燭が照らす内部を1人歩いていく。謁見の相手である中央教会総長は、建物の1階最深部に居る。規模は大きいが基本的な教会の構造は全国共通
だから、ルイは道案内を受けたり迷ったりすることはない。中央教会に勤務する聖職者のうち幹部職と準幹部職の居室はヘブル村など他の町村の教会と同じ
だが、勤務場所は2階以上にある。そのため人の出入りはあまりない。更に総長が誰かと謁見する際は謁見場所となる総長の居室もある1階は立入禁止と
なる。人の気配がないのはそのためだ。
 ルイは直進を続ける。外観からの推測以上に奥深い構造なのは、総長の居室に容易に近づけないためでもある。やがてルイは1つのドアの前に到着する。
強力な封印の魔法が施されているのをルイは感じる。これもやはり総長自らが施したもので、総長以外は使うことも解除することも出来ない。ルイは深く
ゆっくりと一度深呼吸して、緊張感を抑える。

「総長様。ヘブル村中央教会祭祀部長ルイ・セルフェス、只今まかりこしました。」

 ルイが一句一句噛み締めるように言うと、ドアはひとりでにゆっくりと開く。やはり人1人分入れるだけ開いたドアの向こう側に、ルイは足を踏み入れる。
建物内部より更に強い魔力を感じる。総長に近い分、浄化系魔術の力が強いのだ。ルイの真正面に鎮座する巨大な机。蝋燭が照らすやはり巨大な椅子に
うっすらとシルエットが映っている。総長だと直感したルイは、緊張が頂点に達してその場で固まってしまう。

「セルフェスさん。ようこそいらっしゃいました。」

 想像よりはるかに穏やかな口調の男声が薄く響く。声の主はシルエットしか見えない総長のものだ。ルイはしかし、緊張で棒立ちになったままだ。

「捕って食べるわけではありません。目を閉じて・・・ゆっくり息を吸って・・・吐いて・・・。」

 総長の言葉に従って、ルイはその場で目を閉じて深呼吸をする。何度か繰り返すうちに緊張感が幾分和らいでくる。

「さあ、こちらに来てください。」
「・・・はい。」

 身体を動かせるほど緊張感が緩んだルイは、一歩一歩前に進む。シルエットが徐々に様々な色を帯びてくる。豊かな白い髭を蓄えた穏やかに微笑む
この白髪の男性が、ランディブルド王国の聖職者の頂点に君臨する王国中央教会総長パール・ディッシュベルである。
 パール総長の全容が見える位置まで近づき、パール総長と向き合ったルイは深々と一礼する。

「貴方が遠路はるばる訪れたこの町は、貴方が住むヘブル村とは雰囲気が大きく異なることでしょう。」
「はい。ヘブル村は農畜産業主体の小さな村ですので、町の規模も賑わいもはるかに大きなものです。」

 世間話のレベルから始まった話だが、ルイは言葉を噛まないよう細心の注意を払っている。言葉のスピードは普段の2/3ほどだ。

「住む場所は異なれど、私は貴方を知っていました。全国の教会が獲得に乗り出す確かな能力と豊かな将来性を有する、稀に見る素晴らしい若手聖職者で
ある、と。」
「勿体無いお言葉。」
「されど、貴方は生まれ育ったヘブル村に留まっている。それだけ村への愛着が強いのでしょう。」
「私は・・・生まれ育った故郷で・・・一生を過ごすつもりでした。・・・私をこの世に送り出してくれて、信仰の道を指し示してくれた母と共に・・・。」
「貴方の郷土愛は、貴方の母への愛情が発展したものでしょう。村はすなわち貴方の母・・・ローズ・セルフェスさんでもある。」
「!!!」
「貴方はそう思っているのでしょう。」

 ルイは驚きで目を見開く。村への愛着に言及されたからではない。ルイの母ローズの名を、ルイが言う前にパール総長が言ったからだ。信心深かったとは
言え、一等貴族に雇用された一介の使用人に過ぎなかったローズが、総長に謁見したとは聞いていないし考えられない。
 前総長の引退に伴いパール総長が王国中央教会総長に着任したのは、10年前。その頃既にローズはフィルの町を離れヘブル村の中央教会の下働きと
して暮らしており、自分は正規の聖職者への道に踏み込んでいる。パール総長とローズとの接点は謁見以外に考えられないが、各町村の総長クラスでも
なかなか謁見が叶わない上、バライ族に対する偏見や差別が大規模な町より強い地方の村で暮らすバライ族、しかも教会の下働きが謁見を申し出ようと
しても恐れ多いと糾弾され、窓口である王国中央教会総務部に届くことはありえない。なのに何故パール総長が母ローズの名を知っているのか分からない
ルイの頭は、たちまち大混乱に陥る。

「ローズ・セルフェスさんとは、僅かな時間ですが言葉を交わしたことがあります。私が現職に就任する前、当教会副総長時代に祭祀部長の代理として
リルバン家に教会に赴いた時のことです。」

 混乱のあまり言葉が出ないルイに、パール総長は事情を話し始める。パール総長が言った「教会」とは勿論、ルイが日頃の職務で大きなウェイトを占める、
各家庭に赴いて直接キャミール教の教えを説く機会のことだ。
 教会は祭祀部所属の聖職者が行うのが原則だが、急な用事が入りその際別の祭祀部所属の聖職者の手が塞がっているなどやむを得ない場合は、代理として
祭祀部以外の聖職者が赴く。その優先順位の先頭は副総長である。そういったことは、教会人事服務規則に記載されているから、勿論ルイも承知している。
接点はなかったしありえないと思っていたローズとパール総長の接点は、意外だがルイにも十分納得出来るものだ。

「その会話から、ローズ・セルフェスさんは大変信心深いと感じました。貴方が若くして聖職者としての才能を開花させ、今尚大きく豊かに育み続けて
いるのは、見事にローズ・セルフェスさんの心を受け継いだためですね。ローズ・セルフェスさん・・・貴方の母はさぞかし喜んでいることでしょう。」

 パール総長が両手を差し出す。ルイは引き寄せられるようにパール総長との距離を近づける。パール総長は身を乗り出し、両手でルイの頬を優しく包む。

肉体は滅しても魂は不滅41)です。貴方の母は、神が居られる天国から日々貴方を見守っています。今もそうです。」
「・・・。」
「ルイ・・・。隣国ウッディプール王国の神話に登場する『朝の雫』の古代エルフ語の表現ですね。私も神話を知っています。貴方には人々の心に潤いを与える
存在になって欲しいと願ったのでしょう。貴方の母も、・・・父も。」
「・・・。」

 国王との謁見時には父であるフォンに言及された途端態度を硬化させたが、今のルイはパール総長のエメラルド色の瞳に心を完全に吸い寄せられており、
声も出さずにパール総長に両方の頬を包み込まれたままじっとしている。

「貴方はバライ族の子として生まれ、更に私生児だったことで、物心つく前から厳しい時間を過ごしてきました。しかし、齎される厳しい境遇は神からそれに
耐えうる者と認められたこそのものです。厳しければ厳しいほど、神がその者を愛しておられる証拠です。貴方の母も貴方にそう諭されたことでしょう。」
「・・・。」
「戸籍を得た貴方は、正規の聖職者への道を歩き始めた。その道のりは決して平坦なものではありませんでした。幼いからといって修行が軽減されることは
ありません。無許可で辞職すれば教会人事服務規則の重大な違反となります。貴方が選んだ道は、神が貴方に望まれたことそのものです。」
「・・・。」
「今まで辛かった・・・。厳しかった・・・。悲しかった・・・。貴方が幾多の試練を乗り越え、今や全国の教会にその名を轟かせるに至ったのは、貴方が神に
望まれたことに実直に応えた結果です。貴方はまさに、神の教えを実践することを人々に示すべく、神がこの世に遣わした存在なのです。貴方の両親が、
名前に込めた願いを叶えてくれたことを、喜ばない筈がありません。先んじて天に召され、神の子となった貴方の母は尚更。」

 パール総長が紡ぐ言葉で過去を振り返ったルイの2つの瞳から、大粒の涙が溢れ出し始める。
母の死を見取り、就任間もない村の中央教会祭祀部長として葬式を執行した後、泣けるだけ泣いたつもりだった。目を覚ました時は葬式から1日過ぎていた。
涙を流すのはそれが最後だと思っていた。だが、アレンに今まで親友のクリスにさえ話さなかった自分の出生と母の謎を打ち明け、自分のことを理解
出来なくても分かろうと思う、それで自分の悲しみや辛さが少しでも楽になるならそうしたい、とアレンが自分を真正面に見据えて言った瞬間、堪えていた
涙が溢れ出した。深夜だから声こそ殺したが、一頻りアレンに身を任せて泣いた。
 これでもう泣くことはないと思っていたのに母を思うと涙は止まらないし、抑えられない。フォンと再会したいとの願い叶わず果てた母ローズの存在は
ルイにとってあまりに大きく、結果母を亡くしたことはルイの心にあまりに深い傷を残し、未だに十分癒されていないのだ。

「貴方は今まで神の教えを実践し、その名に込められた願いのとおり、人々の心に潤いを齎す存在となりました。ですが、貴方自身の心は十分潤されて
いません。貴方が今流している涙は、貴方の心を潤わせようと貴方の魂が貴方の肉体に求めることで生じているのですよ。」
「・・・。」
「今度は・・・、貴方が貴方の心を潤す時です。貴方が今愛している存在は、必ずや貴方の心を潤す力となってくれることでしょう。」

 パール総長の終始穏やかな口調の言葉で、声は出さずに涙を流し続けるルイの脳裏にアレンが浮かぶ。
全てが終わった後、1人の女性として1人の男性に自分の話を聞いてもらう。アレンとはそう約束した。それが愛の告白を予約するものであることは、ルイ自身
分かっている。そのために言ったのだから。今回もアレンは騎士役として自分をエスコートしてくれて、今は建物の外で待ってくれている。
 初めて自分を最初から護ってくれた男性であるアレン。人種や出生の違いをものともしないアレン。護り護られるうちに自分はこの男性を愛していると確信
した。自分が今愛しているのはアレンであり、アレンが自分の心を潤す力になってくれると、ルイは改めて確信する。

「さあ・・・、お行きなさい。貴方が今愛している存在の元へ・・・。貴方が改めて大きく羽ばたく時まで、貴方の魂に潤いと安らぎを与えなさい。それこそが・・・、
今の貴方に何よりも必要なことなのですから・・・。」

 パール総長の優しい促しに、止め処なく涙を流すルイは小さく頷く。パール総長がルイの頬から手を離すと、ルイは最初にパール総長と向き合った位置へ
引き寄せられるように戻る。それでも尚ルイの涙は止まらない。声を伴わない涙を流しながら、ルイはパール総長に向かって深く一礼し、国王との謁見時とは
違ってゆったりした動作で踵を返し、やはりゆったりした足取りで退室していく。
 入室時とは異なりルイが手の届く位置まで近づいたところでドアが人1人が入れるだけ開き、ルイを出して静かに閉まる。退室したルイはようやく沈静化して
きた涙の流れはそのままに、目を閉じながらゆっくりと天井を向く。ルイは自分の心に広く深く存在した何かが静かに形を換えていくような気がする。
何度か眠り最中のような速度で深い呼吸を繰り返したルイは再び前を向いて目を開け、正装の右ポケットから純白のハンカチを取り出して涙を拭う。
ルイはもう一度深呼吸をする。喉の奥で涙の後の残響が生じる。ハンカチを仕舞ったルイは静かに中央教会の建物から退出していく。その表情は、建物に
入る時のものから緊張感を取り除いた、しかしフォンに言及された時に見せる憤怒はない、普段のものに戻っている・・・。
 アレンとルイを乗せた馬車が、厳重な警備に護られながらリルバン家への帰途を緩やかに走る。
アレンはルイにチラチラと視線を向ける。中央教会から出て来たルイは表情こそ普段のものだったが、頬には涙の痕跡があり、瞳は赤く充血していた。
アレンは当然気になったが、エスコート役を投げ出すと無用な混乱を招きかねない。無難に馬車に乗り込む際のエスコートを済ませて共に馬車に乗り込んだ
今も、ルイに何があったのか気がかりだがどう話しかけて良いか糸口が見出せないで居る。互いに好感以上の感情を向けているのは既知なのだから臆せず
話しかければ良いのだが、ルイと交わした約束を遵守することが頭にあるのと、思い切った決断が出来ない生来の優柔不断のせいで踏み込めない。
 何度目かの視線の先に、ふとルイの右手が座席に出ているのが映る。ずっと膝に乗せていた筈なのに馬車の揺れで落ちたのかと思い、続いて少し見ていて
自分で膝の上に戻せないほど脱力か忘失してしまっているのかと思う辺り、アレンの恋愛経験がいかに少ないかが分かる。改めてルイを見る−ここでも窺う
ようなものだ−。ルイはやや俯き加減だが、悲しんだり憤っていたりしている様子はない。再び右手を見る。無造作ではないが座席に置かれたままなのは
変わらない。純白の礼服の袖から出ている浅黒いが細くて整った手は、アレンの心を惹き付ける。アレンはルイの右手に視線を釘付けにされ、心拍数が上昇
していくと共に握ってみたいという欲求が強まってくる。
 他人が見たらじれったいを通り越してイライラして2人の手を取って繋がせたくなるシチュエーションが暫く続いた後、アレンは徐に左手を動かし、恐る恐る
ルイの右手を覆うように手を乗せる。ルイは驚きも抵抗もせず、ややぎこちないながらもアレンの指の隙間に自分の指を通し、軽く握る。ルイに拒否されずに
手を握られたことに安心したアレンは、ルイを横目で見て不快感を抱いたりしないように細心の注意を払いながら、ルイの手を軽く握る。
抱き合っておいて手を握ることにこれほど躊躇するのは他者から見れば歯噛みするほどじれったいことだが、昼間と夜間で異性に対する行動が違って
くるのはよく見られる傾向だし、抱き合ったのは夜間だったし周囲に誰も居ないと思っていたテラスだったから出来たことだ。

「・・・アレンさん。」

 手を繋ぎ合って少し後、ルイが少し顔をアレンの方に向けて話を切り出す。その頬が赤く染まっているのは言うまでもなかろう。

「今夜・・・、2階のテラスに来ていただけますか?」
「あ・・・、う、うん。勿論。」

 動揺を隠せずに答えるアレンの頬も赤く染まっている。

「総長様との謁見は終了しました・・・。私に課せられた任務や使命は全て済ませたことになります・・・。次は・・・、聖職者でも、・・・リルバン家時期後継候補の
対象者でもない1人の女性として・・・、アレンさんとの約束を果たしたいんです・・・。」

 アレンを映す2つの大きな瞳が、溢れるアレンへの情愛を反映して涙とは違うもので潤んでいる。恋慕という特別なバンドパスフィルターを介してのみ見える
ルイは、アレンには愛しくてならない。
 アレンとルイの互いの手を握る力が俄かに強まった時、馬車が減速を始める。ルイ側の覗き窓から見える風景は、巨大で荘厳なリルバン家邸宅本館で
埋め尽くされている。タイミングが悪いのかアレンとルイがあまりにも億手なのかは分からない。何れにせよ、2人きりの密閉空間が終了間際なのは間違い
ない。アレンとルイは名残惜しく思いながら手を離し、ルイの中央教会総長との謁見の最後を締め括る心の準備を急ピッチで進める・・・。
 その日の夜。場所はフィルの町より西に走ったところにある中規模の町レシェナ。宿の食堂でフィリアは肉料理を食べつつカーム酒を口にする。
ランディブルド王国の法律では18歳未満の未成年は飲酒禁止だが、宿や外国人は適用除外とされている。加えてフィリアには同行しているイアソンと共に、
途中の必要経費を一切無料にする効力を併せ持つ越境許可証がある。国境付近の危機的状況を受けてか越境許可証を持つフィリアとイアソンへの対処は
徹底されており、フィリアとイアソンはいたって快適な旅を続けていられる。
 フィリアはまだ観光気分が残っているが、イアソンは完全に臨戦態勢を執っている。越境許可証を最大限利用して爆弾の製造に必要な火薬や容器を追加
したり、国軍兵士や町村の役場で精力的な情報収集を行っている。国境が近づくにつれ、状況の深刻さが色濃くなっている。既に一部の町村では守備を
断念し、国軍が撤退したところもあるという。防衛に当たる国軍が撤退すればその土地は侵入する悪魔崇拝者に蹂躙される他ない。井戸や畑には毒が
撒かれ、家々には火が放たれる。残るは数年ぺんぺん草もろくに生えることがない荒廃しきった大地だ。
 大規模な穀倉地帯を抱える町村が壊滅していけば、遅かれ早かれランディブルド王国の食糧事情は危機に瀕する。国外との交易でいきなり大量の食料品
買い付けは難しいし、足元を見られてぼったくられる危険もあるからおいそれと出来ない。フィリアと向き合っているイアソンは、情報を書き込んだ地図を
難しい表情で見詰めている。食事は殆ど進んでいない。

「情勢はかなり深刻だな・・・。」
「でも、爆弾いっぱい作れたんでしょ?それぶつけちゃえば簡単に吹っ飛ばせるんじゃないの?」
「普通の人間なら、な。相手は訓練された国軍兵士でも手を焼く悪魔崇拝者だ。爆弾が効くかどうかは未知数だ。霍乱や目くらましくらいには使える
だろうが。」
「遠慮なく蹴散らしちゃって良いじゃない。相手は話し合いなんか通じるわけないんだから、こっちも徹底的にやっちゃえば良いだけよ。」
「・・・気楽だな。」

 酒が入ったのもあって至って楽天的なフィリアに、イアソンは呆れ半分で溜息を吐く。
悪魔崇拝者を蹴散らすだけなら確かに魔法なり爆弾なりで粉砕すれば良い。だが、それだけでは悪魔崇拝者が国土を支配するようになった事情や、悪魔
崇拝者の総本山の位置を聞き出せない。一部は死なない程度に痛めつけて、口を割らせることも視野に入れておかなければならない。
 本格的な諜報活動は今回が初めての上、観光気分が抜けきらないフィリアの身の安全を保障しつつ、シェンデラルド王国の実情を把握し、可能なら打開
する策を講じることは、事実上イアソンの双肩にかかっている。諜報活動に慣れているとは言え、フィリアが足手纏いにならないかとイアソンはその方が
不安だ。

「フィルを出てもう1週間が過ぎたんだよねー。アレン、どうしてるかなー。」

 酔いが回ってきたフィリアは、焦点が泳ぎ気味のやや虚ろな目でフィルの町に残してきたアレンを思う。
出発前にアレンとルイには強く釘を刺しておいたが、意外に積極的な一面を持つルイがアレンにアプローチを開始していないとは限らない。ルイの立場を
考えれば不可能ではあるが、アレンを引っ張り込めないなら代わりにルイを引っ張り出してアレンから隔離したかった、というフィリアの本音は健在だ。

「今は生きて帰ることだけ考えておけ。生還しないことには話にならないからな。」
「分かってるわよ。」

 本当に分かってるのか、と突っ込みたいところだが、イアソンはあえて言わない。
終日自分を牽制していたフィリアが不在となったのなら、ルイがアレンにアプローチを再開するのは容易に想像出来る。イアソンは食事をボツボツ進めながら
今後のルートを思案する。
 生還することはイアソンにも共通する課題だ。リーナは相変わらず素っ気無いが、愛想も何もないわけではなくそれなりに感謝を言ったりはする。粘り強く
アプローチを続けていれば、やがて心を開く可能性はある。リーナへのアプローチ再開のためには生還が絶対不可欠。イアソンはフィリアという大きな荷物を
抱えながら、ルート選定と情報分析を進める・・・。

 同じ頃、フォンの町にあるリルバン家邸宅本館は、俄かに色めき立っている。中央教会総長との謁見を済ませたルイとエスコートしたアレンからぎこちなさが
かなり消えて、終始距離を詰め続けているからだ。
 ルイがこの町を訪れた表向きの理由であるシルバーローズ・オーディション本選は中止となり、真の目的だった母の形見はフォンに渡した。飛び込みで
入った国王と国の中央教会総長との謁見も無事終了した。残すはアレンとルイのカップル成立だ。
 パーティーの面々は勿論、使用人やメイドの関心はアレンとルイに集中している。その中にはロムノも居る。直接ルイに尋ねたり出来ないフォンに代わって
アレンとルイの状況を把握するためだ。和やかさと親密さが久しぶりに強まり、度合いが濃くなったことから、近いうちにどちらからか愛の告白がなされると
いうのがほぼ全員の観測だ。叩き上げの正規の聖職者でありリルバン家現当主フォンのただ1人の実子と、我が身を挺してルイを護った頼もしい剣士の男女と
しての関係成立は何時どのようになされるか、使用人やメイドは予想に花を咲かせる。
 パーティーでは、ドルフィンとシーナはカップル成立は時間の問題と観測している。リーナは知らぬ存ぜぬに徹している。正式にパーティーに参入しては
いないが実質的なメンバーであるクリスは早期カップル成立を待望している。使用人やメイドは現場を見物したいが雰囲気を壊さないようにと申し合わせる。
ロムノは冷静に行方を観察する。フォンの心配を他所に愛を育むルイの今後がロムノには複雑に映る。

「アレンさん。」

 同じテーブルで夕食を摂っていたルイは、少し先に夕食を済ませたアレンに声をかける。

「・・・待ってますね。」
「うん。必ず行くから。」

 短いが強い信頼と今後の成り行きをほぼ確実なものにするやり取りを済ませ、アレンは先に席を立つ。服装を整えるためだ。ルイも少し遅れて食事を
済ませ、やはり服装を整えるべく自室に戻る。
 アレンとルイが動き始めたことで、リルバン家邸宅の関心は最高潮に達する。気づかれたり雰囲気を壊したりしないよう細心の注意を払いながらアレンと
ルイの動向を窺うべく、一斉に、しかし静かに行動を開始する。
 アレンとルイは暫くしてそれぞれの服装に着替えて部屋から出てくる。アレンは今日のルイの謁見の際のエスコートにも着用したプラチナ鍍金のハーフ
プレート一式と愛用の剣。ルイはオーディション本選で着用したドレスを思わせる清楚で上品且つ豪華な衣装だ。
 互いに男性と女性としての魅力を前面に押し出した2人は、待ち合わせ場所の2階テラスに向かう。リーナだけが無関心を決め込む中、アレンが先に
テラスに到着してルイを待つシチュエーションが出来上がる。人々が注視する中、ルイが姿を現す。2人の時間と関係は、今まさに始まろうとしている・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

40)引退:ランディブルド王国の貴族や富裕層が雇用する執事や使用人やメイドには通常、定年はない。一定年齢(主に60歳)以降、体力や気力の限界に
達したと自ら判断し、使用人とメイドは雇用を担当するそれぞれの長や筆頭執事に、執事は直接当主に辞職を申し出て受理された場合、「辞職」ではなく
「引退」とするのが慣例。一等貴族ではとりわけ側近とする筆頭執事の引退にあたっては相当額の慰労金を支払う。ちなみにこの世界において退職金という
概念はごく少数派である。


41)肉体は滅しても魂は不滅:キャミール教の教えでは、肉体と魂が別個に存在するという所謂「心身二元論」が根幹の1つを成している。「死」は後のパール
総長の言葉にも出て来る表現である「神の子」となるために肉体から魂が分離することと位置づけられている。


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