Saint Guardians

Scene 8 Act 4-1 帰結-Conclusion- 明らかになる暗幕の向こう側

written by Moonstone

 フォンを睨むアレンの瞳には怒りが溢れ、歯は圧し潰れそうなほど軋み、フォンを殴打した右手は爪が食い込んだ掌から血が溢れ出るほど硬い拳を形成
している。慌ててフォンを抱き起こした護衛の兵士達が武器を構える。護衛対象、しかも国の動向を大きく左右する要人が誰とも知れぬ者に殴打されたの
だから、当然だ。
 しかし、アレンは何時になく険しい表情を崩さずに左手に持っていた剣を横に一振りする。僅かのタイムラグを挟んで構えられた武器の一部が一斉に零れ
落ちる。表情も相俟って「邪魔をするな」と言わんばかりの迫力に、護衛の兵士達は思わず後ずさりする。身体を起こして口元を拭うフォンを、アレンは尚も
睨みつける。

「この・・・。」

 貫くような視線をフォンに注いだまま、アレンは煮えくり返っていた感情を徐々に吐き出し始める。

「ルイさんから全部話を聞いたぞ・・・。次期一等貴族の継承権欲しさに、ルイさんのお母さんを戸籍上死んだことにして社会的に抹殺したんだってな・・・。」
「・・・。」
「それが人のすることか!!この外人(「げじん」と読む)37)め!!」
「貴様!!フォン様に対して何と無礼な!!」
「五月蝿い!!」

 一等貴族当主の1人にぶつけられた手酷い侮蔑の言葉に護衛の兵士達が一斉に反応するが、即座にアレンが一喝する。外見からおよそ想像もつかない
猛烈な怒気を目の当たりにして、護衛の兵士達は再び後ずさりする。アレンは剣を右手に持ち直し、爆発した怒りをそのまま言葉にしてフォンにぶつける。

「ルイさんがどんなに辛い思いをしてきたと思ってるんだ!!ルイさんだけじゃない。ルイさんのお母さんもお前のせいで散々生き地獄を味わわ
されたんだぞ!!」
「・・・。」
「なのに、今になってのうのうと父親面してルイさんの前にしゃしゃり出るつもりだったのか!!ふざけるなぁ!!」

 アレンの厳しい非難の嵐を、フォンは沈痛な表情で受け止める。その口からは反論や異論は一言も出ない。ルイの証言の正確さが裏付けられたと感じ、
怒りが収まるどころか更に激しさを増したアレンは、剣の柄を両手で握り締めて斜めに振り上げる。

「ルイさんの手を煩わせるまでもない。この場で俺が地獄に送ってやる!!」

 武器を無力にされた上にアレンの迫力に気圧されて身動きが取れない護衛の兵士達の眼前で、フォンを打ち首にせんとばかりに剣を振り上げたアレン。
対するフォンは逃げるどころか、観念したように目を閉じて身動き一つしない。
 公開処刑が執行される、とその場に居合わせた誰もが思った瞬間、アレンの全身に金色のリングが幾重にも巻きついて拘束する。アレンは激しくもがくが、
びくともしない。同じく汗だくのドルフィンとシーナが、観客席から駆け寄ってくる。アレンをバインダーで拘束したのはドルフィンだ。

「止めろ、アレン。」
「何するんだ、ドルフィン!!」
「・・・フォン当主と問題の彼女に関する一連の話は、俺も昨夜イアソンから聞いた。シーナを介してだがな。」
「だったら止めないでくれ!!こんな奴、この場で殺してやる!!」
「兎に角落ち着け!彼女の話が全てだと思うな!」
「ルイさんの証言は嘘だって言うのか?!」
「嘘ではない・・・。」

 フォンの弱々しい反論が、再び勢いを増して理想像とするドルフィンにさえも激しく噛み付くアレンの意識を一瞬制する。しかし制止は一時のこと。
フォンの口から嘘でないとの告白が出たことで、一旦動きを止めたアレンの怒りの炎が激しく揺れ動く。

「当の本人が嘘じゃないって言ってるんだ!!このリングを外して!!早く!!」
「・・・少し頭を冷やせ。」

 説得は不可能と判断したドルフィンは、掌でアレンの頭を軽く一突きする。すると、それまで荒れ狂っていたアレンががっくりと項垂れ、その場に崩れ落ちる。

「ドルフィンさん!アレンに何を?」
「頭に少量の『気』を送り込んで眠らせただけだ。一眠りすりゃ、多少は落ち着くだろう。ハーデード山脈帰りにリーナを派手に殴った時のお前のようにな。」
「・・・あ。」

 アレンが倒れたことで慌てて駆け寄ってきたフィリアは、ドルフィンの説明で記憶の浮上と共に気恥ずかしさを覚える。
ハーデード山脈深部での激しい攻防から帰還した直後、リーナがアレンを理由なく平手打ちしたことに激昂したフィリアが、先ほどまでのアレンと同じように
怒りを剥き出しにしてリーナを一方的に殴打した。その時はアレンが羽交い絞めにしたが、フィリアが今にも振り解かんばかりの勢いだったのを見かねた
ドルフィンはフィリアの脳に「気」を送り込んで眠らせた。そうでもしなければ、アレンの羽交い絞めはもたなかっただろう。
 倒れ付したアレンを、フィリアとクリスが抱き起こす。今までの暴れ様が嘘のように、アレンが男と分かっていても半ば羨ましく、半ば妬ましくも思う寝顔で
規則的な寝息を立てている。アレンに息があるのを確認してフィリアは内心安堵する。必要なら強硬手段を躊躇わないドルフィンの冷徹とも言える判断を
知っているからだ。
遅れてリーナが歩み寄ってくる。懸命の防衛にもかかわらずルイが拉致された事態を受けて、その表情は硬い。

「ドルフィンも警戒してたの?シーナさんも。」
「ああ。イアソンからの指示でな。俺は観客席で、シーナは上空。空からも進撃してくる可能性があるし、観客を巻き込んで魔法合戦するわけにはいかん
からな。」
「アレンがイアソンと情報交換してるってことは知ってたけど、本当に空からもやってきて、しかもまんまとルイを攫われちゃうなんてね・・・。相手はザギか
その衛士(センチネル)らしいっていうし、あたしの時とそっくりよね・・・。」
「ドルフィンさん。そういえばイアソンは?」
「今呼びかけたんだけど・・・、邸宅敷地どころか周辺が大混乱していてとても動けない、って・・・。」

 先んじてイアソンと通信機で交信したシーナの表情も硬い。イアソンの予想どおり空からも進撃してきた。その迎撃に追われていた隙を突かれて、ものの
見事にルイを拉致されてしまった。真っ先に迎撃すべき上空警戒担当だった責任をまっとう出来なかった罪悪感が、シーナに重く圧し掛かる。
ホークと顧問−フォンへの手紙からするにザギ本人らしいが、彼らに最も近い位置に居たイアソンは、どうやら無事のようだ。しかし、周囲が大混乱していて
身動きが取れないというのは、イアソンだけでなく周辺が相当なパニックに巻き込まれてしまっていると想像するに難くない。

「フォン様!」

 会場席の方から大きな声が響く。警備の兵士達とは異なる装備に身を包む屈強な兵士達を伴ったロムノが駆け寄ってくる。
フォンが邸宅を出た後リルバン家の職務執行を統括すると同時に別館の動向を監視していたロムノは、主フォンの身の安全を確保するため、私設部隊を
伴って会場入りしたのだ。イアソンが大混乱していると伝えている邸宅や周辺を潜り抜けてフォンの元に駆けつけられたのは、邸宅から会場までの道程
ばかりか混雑の度合いまで把握して、最も安全且つ最短のコースを瞬時に判別してのことである。

「ご無事でございましたか。」
「私はな・・・。」

 沈痛な表情のままのフォンの言葉で、会場での経緯をロムノは即座に察する。

「フォン様のご命令で別館の監視を継続していたのですが、別館の壁が爆破されてその直後にホーク様と顧問様が脱出しまして・・・。申し訳ありません。」

 ロムノの謝罪に、フォンは小さく首を横に振る。自分の罪の深さと重さに比べれば微々たるもの、と思うが故だ。

「して、彼らは?」
「・・・フォン・ザクリュイレス・リルバン様。この場をお借りしてご挨拶いたします。」

 ロムノがフォンに尋ねると、クリスが妙にかしこまった口調で進み出る。これまで方言丸出しの口調しか聞いたことがないフィリアとリーナは、食あたりでも
したかと一瞬思う。汗を拭って頬にまとわりついた髪を払い、服を調えたクリスはしかし、いたって真剣な表情でフォンの前で右膝をついて屈み、右腕を
胸の前で横にして頭を下げる。ランディブルド王国国軍の敬礼の一式38)を見たフォンとロムノ、周囲に居た護衛の兵士達は、クリスが国軍関係者の子女だと直感する。

「ヘブル村駐留国軍指揮官ヴィクトス・キャリエール中佐39)が娘、クリス・キャリエールにございます。」
「おお・・・。かのキャリエール中佐のご令嬢ですか。」
「はい。此処フィルにおける全国駐留国軍指揮官総合会議に出席した父に同行した折、将校各位にはご挨拶いたしております。」

 警戒から一転して敬意を含ませたロムノに対し、クリスは敬礼を崩さずに応える。
呆れるほどの大酒のみで大食らい、その上何も考えていないようなクリスの見違えるような品行方正ぶりは、今までのクリスしか知らないフィリアとリーナに
とっては大きな違和感を覚えさせるものだ。だが、以前父の出張でこの町に何度か来たことがある、とクリスが言っていたことから、少なくとも嘘は言って
いないと思う。

「キャリエール中佐の名は、私も聞き及んでいる。その長けた武術と指揮能力故一般兵卒から佐官に昇格した、優れた軍人であると。」
「光栄でございます。」
「此処までそなたがルイの護衛をしてくれたことはロムノから聞いている。・・・そなたの多大な貢献には深く感謝している。」
「ルイ嬢のヘブル村におけるオーディション予選出場を強く勧めたのは私であり、そのルイ嬢が本選出場されるに際しては、私が護衛をするのが当然の
責務でございます。」

 フォンの称賛や感謝に対して方言を完全に封印し、一人称も「あたし」ではなく「私」と言うクリスは、冷静になってきたフィリアとリーナには目を疑う豹変ぶりに
映り、2人は口を塞いで懸命に呼び起こされた笑いを堪える。だがクリスは、一村の治安を維持し、外敵から人々を守る駐留国軍を統率する指揮官の娘と
して、王国の国家運営に深く関与する一等貴族の当主への礼儀を守ることへと完全に切り替えている。この臨機応変ぶりからも、クリスが武術家として心身
共に強く正しく鍛えられてきたことが分かる。
 ランディブルド王国の国軍の階級には下から、兵、曹、尉、佐、将とある。兵と曹はやはり下から二等、上等、一等に、尉と佐と将は小、中、大と3段階ある。
佐官以上への昇格は通常、王国直轄の士官学校で一定の教育と訓練を積み、認定試験に合格した士官候補生が対象となる。その士官学校でも訓練の
厳しさ故に大量の脱落者が出るから、同期生で士官候補生になれるのは10ピセルほど。一般兵卒から佐官以上に昇格する割合は更に少なく、同期生の
1ピセルにも満たない。当然、本来なら士官学校で得られる筈の武術や指揮官能力−教育を受ければ必ず得られるものではないが−は自分で獲得するしか
ない。逆に言えば、クリスの父ヴィクトスはそれらを自ら獲得して中佐にまで上り詰めた類稀な軍人と言える。フォンやロムノが名前や武勲を知っていても
不思議ではない。

「フォン様。我々は一旦邸宅に戻りましょう。キャリエール嬢もご同行ください。」
「私と共にルイ嬢の護衛を行ってくれた方々も、お願いします。」
「それは勿論です。」
「ありがたきお言葉。」

 クリスの進言はロムノに快諾される。
会場で群がり来た捨て駒の兵士達と戦闘を繰り広げたフィリアとリーナはクリスがフォンとロムノに紹介し、ドルフィンとシーナはクリスに委託されたフィリアが
同じくフォンとロムノに紹介し、全員がリルバン家に案内されることになった。
脳に「気」を送り込まれて意識を失ったアレンは、フォン自らが邸宅へ案内するように言う。フォンをいきなり殴打したため護衛の兵士達が躊躇っていると、
ドルフィンが背負う。アレンもそれなりに体重があるし、軽い方だとは言え武器と防具を装備している。ある程度の力がないと運べない。
 フォンは護衛の兵士を伴い、アレン達一行と共に会場を後にする。会場周辺は元より町中が大混乱しているため、それを回避して安全に帰還出来るよう、
ロムノが同行させた私設部隊と伴って先導する。負傷者や犠牲者が、総出で事態の収拾に当たっていた総務班と福利厚生班の職員に運び出されていく。
滅茶苦茶になった会場は、警備班の兵士が主導して整備に着手している。オーディションの華やかさは最早、見る影もない・・・。
 会場同様大混乱が続いていたリルバン家邸宅も、夕方になってようやく落ち着きを取り戻し始めた。
ロムノと同じく別館を監視していたイアソンを含む使用人が、国軍から派遣された兵士と共に総出で壁が爆破された別館の整理に当たると共に、ホークと
顧問が脱出した後に残された、邸宅内警備を担当していた兵士達の斬殺死体を運び出した。人間の死体、しかも血を流して死んでいるという生々しさに、
特に女性の使用人が躊躇したが、イアソンが率先して搬出した。
 邸宅本館、応接室に案内されたアレン達一行は、此処へ来て初めて、オーディション本選出場者の1人でもあったルイが滞在場所のホテル内で
深夜深夜襲撃されるという異常事態の調査のためにリルバン家に調査要員を送り込んだこと、それが使用人として働いているイアソンであることを明かした。
イアソンの正体と潜入の事実を明かしたのはドルフィンだ。ドルフィンはイアソンに関する事実を明かす前に、自身がパーティーの実質的な責任者であること、
アレンが特殊な薬品の力で肉体を女性化した男性であること、そこまでしてアレンがホテルに入った目的はやはりオーディション本線に出場することになった
リーナの護衛として必要な女性の剣士か武術家がパーティーに居ないためだったことを説明する。そして、閉鎖空間のホテルと外部とのやり取りには特殊な
魔法で作成した通信機を用いたこと、それによって事件の背景に警備班班長だったホーク、ひいてはリルバン家が絡んでいると推測して調査要員を
送り込んだことを話す。
このような場に慣れていないフィリアやリーナでは、舌足らずで誤解を招いたり、あらぬ混乱を呼び起こす恐れがある。しかし、何故自分達がリルバン家の
内情を知るに至ったかを説明しておかないと、ホークと顧問の配下ではないかという、これまたあらぬ誤解を招く恐れもある。
 この過程で、フィリアとリーナ、そしてクリスは、ルイがリルバン家現当主フォンの実子だと知る。薄々ルイがリルバン家にとって重要人物ではないかと
思っていたが、事実を確認して驚きより納得を感じる。ルイが私生児であること、ルイがリルバン家との関係について話そうとしなかったことからして、
重大な秘密が隠されていると考えるのが自然だし、ルイはその事実を知っていてあえて話さずに居たと考えられるからだ。

「−このような流れです。」
「左様ですか・・・。ルイ様を護衛してくださったことに、私からも感謝申し上げます。」
「イアソンは?」
「もう間もなく来られるかと。」

 ロムノは、アレン達の応接に当たった使用人に、イアソンがアレン達の仲間であることを告げてイアソンに応接室に来るよう伝えさせている。
応接室は優に普通の家1件分の広さがあり、ソファもゆったりした配置で複数置かれている。まだ意識を回復していないアレンを寝かせておくことも十分
可能だ。
 ドアがノックされる。ロムノが応答すると、ドアがゆっくり開いてイアソンが入ってくる。服は使用人のものから、潜入時に着用していた迷彩服に着替えている。
到底防ぐことは出来なかったし止める間もなかったとは言え、ホークと顧問の別館からの脱出を許してしまったことに対する責任を感じ、イアソンの表情は
硬い。

「・・・申し訳ありません。ホーク殿と顧問を逃がしてしまいました・・・。」
「いえ。ホーク様と顧問殿の脱出は、あれだけの警備を突破されてのことです。ホーク様と顧問殿の脱出を許したのは、私も同じですが故・・・。」

 イアソンの謝罪を、ロムノがやんわり制する。アレン達と共に別角度からルイの安全を保障するために活動していた功労者だから、態度は既に接客のものに
変わっている。イアソンはロムノの案内を受けて、ドルフィンとシーナが座るソファに座る。その向かい側にフィリア、リーナ、クリスが座っている。
口元に絆創膏を張ったフォンは沈痛な表情のまま、アレン達が座るソファを側面から一望する豪華な執務机の前に座っている。ロムノはその隣に立っている。

「現場に残された手紙には、フォン様1人で今夜10番埠頭に来るよう書かれていました。」

 イアソンを加えてルイを護衛した面々が勢揃いしたのを受けて、ロムノが話を切り出す。

「現在は、ルイ様の安全が最優先課題です。ホーク様と顧問殿の要求にどう対処すべきか・・・。」
「・・・彼らの目的は、残された手紙に沿って現れたフォン様を、ルイ嬢と共に抹殺することでしょう。」

 ロムノの提案に、イアソンが恐るべき推測を提示する。

「フォン様には正妻も側室も居られず、加えて実子はルイ嬢お1人。ルイ嬢を抹殺すれば次期当主継承権は当然ホーク殿が完全に掌握することに
なりますが、それだけでは足りません。フォン様も抹殺することで、次期当主継承権を傍系家系より優先的に得られる実子が新たに誕生する可能性を完全に
絶ち、名実共に唯一のリルバン家の正統後継者となる。そうすれば、国王陛下からの関与からも自分を守れます。」
「な、何なのよ、それ・・・。」
「だが、その可能性が一番高いことは否定しようがない。」

 驚愕の色を隠せないフィリア達に対し、ドルフィンは静かに追認する。
確かに、フォンにはルイ以外実子は居ない。そしてイアソンの言うとおり、正妻も側室も居ない。ルイを抹殺してもフォンが居る限りは新たな実子が誕生する
可能性がある。そうなったら、フォンは家系断絶を企てたとして迷うことなくホークを処刑させるだろう。しかし、フォンもルイも抹殺すればリルバン家の家系を
継承する者はホークしか居なくなり、次期当主指名がない場合に次期当主を指名する権限を有する国王もホークの当主就任を承認せざるを得ない。
狡猾なことこの上ない策略だが、これまでの経緯からしても、手紙にその名を記したザギとホークがそう企んでいる可能性は極めて高い。

「問題の10番埠頭に、兵士などは派遣していないだろうな?」
「はい。ルイ様の安全がかかっていることです。それをみすみす冒すようなことはしません。」

 ドルフィンの確認にロムノが応える。
次期当主として迎え入れる意向のルイが攫われたことに動揺し、ルイを救出させるために兵士などを向かわせればホークと顧問は速やかにルイを抹殺し、
返す刀でフォンの抹殺に向かうだろう。ロムノとてルイを救出したいのは山々だが、焦るあまり最悪の事態を招いてはならないと強い自制心を働かせている。

「ん・・・。」

 くぐもった声を上げて、アレンが目を覚ます。ドルフィンに「気」を注入されたため意識がプッツリ途絶えた後、最初に目に入った光景が豪華なシャンデリアを
伴う天井であることを怪訝に思いながら、アレンは身体を起こす。

「此処は・・・?」
「リルバン家邸宅の応接室よ。」
「リルバン家?!」

 フィリアの答えで、少しぼやけていたアレンの意識が一挙に覚醒する。怒りの炎を再び燃やしたその瞳にフォンが映った瞬間、アレンはソファから飛び出す。
アレンが剣を抜こうとしたことで、慌てて他の面々がアレンを止める。此処で刃傷沙汰を起こしては話にならない。

「何故、ルイ嬢を取り巻く状況が現在のようになったのか・・・、フォン様。お話しいただけないでしょうか?」

 怒り心頭のアレンに代わって、イアソンが言う。
ルイが戸籍上死んだことにされたローズの元で生まれなければ、ルイを身篭っていたローズを戸籍上死んだことにしなければ、このような事態には
ならなかった。その責任を痛いほど感じているのか、沈痛な表情で視線を落としていたフォンは、小さく頷く。リルバン家の内情が明かされることを
ロムノは制しない。
 当事者の1人であるフォンから事情が話されると説明してどうにかアレンを鎮め、ロムノを除く全員は再び着席する。
静寂が支配する室内で全員が注目する中、フォンは沈痛さを増しつつ口を開き始める。

「・・・16年前の、私が19歳を迎えた年の春・・・。私はある光景に出くわした・・・。ホークがナイキと、共に1人の使用人に口汚い罵りを連発しているところを・・・。」

「ほら!さっさと食べなさい!こんな食事を口に出来るだけでも、ありがたいと思いなさい!」
「お前が汚した食事だ!残さず始末しろ!」

 廊下の曲がり角の影などから使用人が見詰める中、着飾ったホークとナイキが1人の女性使用人に罵声を浴びせる。銀の長い髪を後ろで束ねたバライ族
特有の褐色を帯びた肌を持つ若い使用人の顔や服は、料理の残骸で汚れている。ホークとナイキが、バライ族の使用人であるこの女性に食事を運ばれた
ことに立腹し、食事を投げつけたられたのだ。女性は懸命に床に落ちた料理を集めて口に運ぶ。ホークとナイキはあろうことか、床に落ちた料理を足蹴に
して女性使用人の下に集めても居る。
 人間の尊厳を踏み躙るホークとナイキの陰険な行為に、次の対案提出準備に向けて資料を運ぶ途中だったフォンは、強い怒りを感じる。名立たる強硬派の
現当主、すなわちフォンとホークの実父の威光を借りて、ホークとその妻に迎えられたナイキはバライ族の使用人を酷く苛めているとフォンは聞いたことが
あるが、目の当たりにしたその行為は、肌の色の違いで人間の価値は決まらないと思うフォンには到底許せるものではない。

「何をして居るか!!」
「これはこれは兄上。見てのとおりですよ。黒い人間に食事を与えてやっているだけです。」
「黒い人間は、こんな食事を口に出来るだけでも感謝すべきですわよ?お義兄様。」
「馬鹿を言うな!!」

 フォンの一喝に、ホークとナイキは怯み上がる。健気に食事を拾って食べていた女性使用人は、驚いて顔を上げる。

「使用人は我々の暮らしを支えているのだぞ!!しかも、自身に運ばれた食事を粗末にするとは何事だ!!」
「食事など、命令すれば何時でも出て来るではありませんか。」
「食事も金も無から生じるものではないことすら分からんのか!!」

 不満そうに弁明したホークを、再びフォンは叱り付ける。特権階級であることに溺れた傲慢な態度は、フォンには決して許せない。
食事の基となる数々の食料は、農漁民に課された税金−現物納付である−が源泉だ。それらは決して何もせずに生産されるものではない。国民の圧倒的
多数を占める農漁民の生活が非常に苦しいものであることは、18歳になって間接的議案提出権を得てから現当主でもある父に対案を提出し続けている
フォンは、町にある小作地の視察などで十分把握している。その苦労の末に生み出された食料を粗末にすることは、誰であろうと許されない。

「ナイキ。お前は先ほど『このような食事を口に出来る』とかほざいたな。」
「は、はい。」
「ならば、お前が床に落ちたこの食事を食べて見せろ。」
「そ、そのような汚らしい行為が出来る筈ないではありませんか!」
「お前はその『出来る筈がない』ことをさせていたのだぞ!」
「ですが、それはこの者がバライ族の使用人でありますから・・・」
「民族や肌の色の違いで、人に人がしないことを強要して良い筈がなかろうが!」

 しつこく食い下がるナイキの言葉を、フォンの一喝が遮る。憤怒溢れるフォンの顔も相俟って、ホークとナイキは怯んで身を縮こまらせる。

「黙していても食事が運ばれてくると信じて疑わず、人に人がしないことを強要している間があったら、一等貴族直系の1人として政治経済の学習に
取り組め!!使用人は終日多様な職務があるのだ!!お前達のくだらぬ虚勢に付き合わせるだけで、リルバン家の職務遂行を滞らせていると自覚しろ!!」
「・・・ったく、運の良い奴だ。この場は見逃してやる。」

 フォンの至極最もな内容の叱責に反論の糸口を見い出せなくなったホークは、跪いたままの女性使用人に捨て台詞を吐いて足早に立ち去る。ナイキも
忌々しげにその後を追う。権威を振り回せる格好の場を奪われると、この手の輩はその場に居られなくなるものだ。
 立ち去る途中にも目に入った使用人に怒鳴りつけるホークとナイキの声が遠ざかっていく中、フォンは抱えていた資料を床に置いてハンカチを取り出し、
料理を投げつけられた痕跡が残る女性使用人の顔を拭く。当然と言おうか、女性使用人は驚いてフォンの手を止めようとする。
片や使用人の1人。片や一等貴族の直系でしかも法律上の継承権優先順位が高い長子。身分の違いは接し方への違いとなって表れるところだが、フォンの
行為はそれに反する。ホークやナイキが身分の違いを武器にするのに対しても、フォンの行為は場違いに感じられて当然だ。

「フォン様にそのようなことはさせられません。」
「何を言う。人を助けることに身分の違いはない。」

 フォンに窘められて、女性使用人は緩かった抵抗を止める。幸いフォンが持っていたハンカチが大きめだったことと料理の痕跡が比較的少なかったため、
ハンカチ1枚で女性使用人の顔は綺麗に拭われる。身分の違いを意識していたため、フォンから見て丁度汚れていた右頬を向けたままだった女性
使用人は、恐る恐る顔を上げてフォンと向き合う。茶色の大きな瞳を携えた彫りの深い顔は、エルフの血統を強く感じさせる。

「−これが彼女との、ルイの母となるローズとの出逢いだった・・・。」
「ローズ殿はその年の春、リルバン家に使用人として雇用されたばかりでした。ローズ殿は王国の別の町に居を構えていた三等貴族のメイドをしていたの
ですが、当主の事業失敗によりその三等貴族は貴族の資格を失いました。職を失ったローズ殿は決死の覚悟でこの町に移り、役所でリルバン家の使用人
新規募集のチラシを見て応募しました。メイドとして働いていたために職能が秀でていたので、当時から使用人の雇用を実質的に任されていた私が採用を
決めたのです。」
「では、私の顔は・・・。」
「はい。見覚えがありませんでした。」

 ロムノの言葉に含まれた暗喩に、イアソンはやられたという様子で頭を掻く。
ロムノは、イアソンが使用人として活動を開始し始めた当日の朝食を運んだところで、イアソンが外部の人間だと見抜いていた。先代の時代から使用人の
雇用を任されているのだ。当然自身が採用の是非に関与する使用人の顔は全て覚えているから、それと照合すれば容易に分かる。
 しかし、少し観察したところ、イアソンがホークと顧問と違ってルイの抹殺に向けて行動していないと判断し、イアソンの行動によりホークや顧問の行動が
炙(あぶ)り出される可能性もあると考え、あえて泳がせておいたのだ。勿論、イアソンが使用人として文句のない働きぶりだったため、この有能な人員を
摘み出すのは惜しいと踏んだのもある。
 パーティーの諜報戦では今回でも主導権を握ったほど頭の切れるイアソンだが、ロムノはイアソンに勝るとも劣らぬ切れ者だ。リルバン家当主の頭脳行動の
中核を担う執事の1人として各種政策立案、それに必要な国家状況把握に尽力してきて、その手腕を買われて筆頭執事に昇格したという経歴を持つ。
先代がフォンとは正反対の強硬派だったことを考えれば異例の抜擢であり、思想の違いを超えて評価せざるを得ない存在だったということでもある。

「私は・・・彼女に恋をした。一目惚れだった。」

 静かに、しかし率直にフォンの口から当時の心境が語られる。ルイとローズの顔が良く似ていたとクリスから聞いたことがあるアレンは、自身の経験もあって
フォンの言葉は納得出来る。美女が多数集っていたロビーに現れた場違いな組み合わせの片割れであるルイを見て感じたのは、間違いなく一目惚れ
だったと思う。

「しかし、当時は強硬派でその名を轟かせた先代−私の実父でもあったが、その在位中だった。意向を同じくするホークと、ホークが妻に迎えたばかりの
ナイキが邸宅内で幅を利かせる中では、尚更1対1で会うのは困難を極めることだった・・・。」
「そこで私が、ローズ殿にフォン様に関連する職務を出来るだけ多く回すようにしました。職務とあれば、必然的に顔を合わせて話をすることになります故。」
「フォン様からの相談を受けてのことですか?」
「いえ。フォン様のローズ殿への態度を見て、私がそう配慮したまでです。」

 イアソンの問いに答えたロムノの粋な配慮と言えるが、危険と背中合わせだったことには違いない。
事情が先代の耳に入ればフォンはまだしも、ロムノは筆頭執事を免職になり、処刑されていたかもしれない。そんな危険を冒してでもフォンがローズと会う
機会を多く作れるよう仕向けたのは、ロムノがリルバン家次期当主としてフォンを強く推していたこともあるし、ホークに一等貴族当主としての器がないと
早々に見切りをつけていたのもある。
 先代は強硬派とは言え、職務遂行能力など一等貴族当主としての能力は確かだった。その当主の代から側近として働いていたロムノは、次期当主に
誰が相応しいか判断出来るだけの能力を持ち合わせている。間接的議案提出権を得てから先代との対立を承知で対案を作成・提出するなど勉強熱心、
仕事熱心だったフォンに対し、ホークは威張ることだけ秀でて能力を向上させようとしなかった。元来ホークはフォンより能力が劣っていたが、先代が自分を
次期当主に据える意向であると知ったことで、天狗ぶりと無能に拍車がかかっていた。となれば、ホークを見切るのは簡単だ。

「ロムノの配慮もあって、私は彼女と、ローズと話をする機会が増えた。身分の違いを意識していたローズはなかなか心を開いてくれなかった。しかし、
徐々にローズは私と打ち解けてくれた。時を重ねるにつれて、私の気持ちは強まっていった・・・。」
「「「「「「・・・。」」」」」」
「その年の晩春の夕暮れ時に、私はローズに想いを告げた。ローズは身分の違いを気にかけたものの、私と同じ気持ちだと応えてくれた・・・。更に時を経て、
私とローズは互いを強く意識するようになり、人目を盗んで逢瀬を重ねた・・・。将来の婚姻を約束して、私はロムノの紹介を受けて宝飾店に特注品の指輪を
作らせてローズに贈った・・・。逢瀬はやがて・・・、夜の私の部屋にローズを招き入れるようになった・・・。」

 沈痛な中に少しばかり感慨を滲ませたフォンの言葉から、ローズに特注品の指輪を贈ったこと、フォンとローズが深い関係になったことを知る。
後者に関しては婉曲的な表現だが、2人の身分の違い、先代とホークとナイキが幅を利かせる邸宅内で人目につかないように出来る場所と言えばフォンの
自室しかないし、妙齢の男女が夜に2人きりになる、しかも場所が相手の自室となれば、2人が夜を共にする関係になったと想像するのは容易だ。
 これでフォンとローズが恋仲になっていたこと、ローズがフォンとの子ども、すなわちルイを身篭るに至った経緯は分かった。
フォンの顔から感慨が消え、沈痛さが増す。少しの沈黙を挟んで、話はアレン達全員の注目が集まる問題の核心に及び始める・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

37)外人:「(お前は)人ではない」を意味する、この世界で最悪の部類に属する蔑称。使いどころによっては殺し合いに発展することもある危険な言葉で、
人付き合いにおける禁句の1つである。


38)ランディブルド王国国軍の敬礼の一式:軍隊の敬礼は本来、訓練や本文中に登場する士官学校での教育で得るものだが、やはり本文中にあるように、
クリスが「父が出席する会議に同行」する際に他の将校の失礼にならないよう、父が教えたものである。


39)中佐:町村の駐留国軍の指揮官クラスは、少佐以上が選出資格(前述のとおり選出するのは各町村の評議員会)を有する。

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