「私とローズの交際は秘密裏に行われた。在任中だった先代は、肌の色の違い、民族の違いを理由に排他的言動を取る強硬派の代表格だった。そして
先代と思考を同じくし、先代の威光を背景にしたホークが我が物顔でリルバン家を席巻していた。そんな中で、バライ族の使用人であるローズが、
曲がりなりにも次期当主継承候補者の資格を有していた私と交際していることが耳に入れば、ローズはただ事では済まないと思ったからだ。」
「ローズ殿が居られた頃には既に、リルバン家の次期当主継承候補者はフォン様とホーク様しか居られませんでした。フォン様が次期当主継承権を返上
すれば、先代の意向どおりホーク様が次期当主に就任することが確定してしまいます。」
「次期当主継承権を返上することは可能なのですか?」
「はい。当主に申し出て国王の承認を得れば可能です。しかし、王国議会議員ともなる教会幹部諸氏や他の一等貴族当主は、ホーク様が次期当主に就任
されることを大変懸念しておられました。この国の方向性を事実上決定する一等貴族当主としての執務遂行能力はフォン様の方が間違いなく優れて
おられるというのは、思想の相違はあっても理性ある王国議会議員関係者の共通の認識でした。そのため、私からもフォン様にはリルバン家の次期当主
継承権を返上されませんよう、度々お願いしておりました。」
「フォン当主とローズ様の関係は、リルバン家以外に知られていたのですか?」
「いえ。秘密を貫いておりました。教会幹部諸氏や他の一等貴族当主の方々は、リルバン家の次期当主継承候補者がフォン様とホーク様しか居られない
ことで、フォン様の次期当主継承権返上を懸念事項として居られたのです。」
「次期当主継承権を返上しないならしないで、お見合いとかで表面上正妻を娶っておけば良かったんじゃないのか?」
眉間に深い皺を刻んだアレンが、考えられる妥協策を言う。「交流会40)で二等貴族や三等貴族の令嬢と出逢う機会は十分あった。しかし、ローズを差し置いて別の女性を正妻として迎えることは心情的に
出来なかった。交流会に出席する二等貴族や三等貴族の令嬢は、どれも一等貴族直系男子との結婚を目論んだ欲を豪華絢爛な衣装で飾り立てていた。
私にはそれは嫌悪感を呼ぶものでしかなかった・・・。」
「先んじてホーク様が、当時三等貴族だった貿易商の家庭からナイキ殿を正妻として迎えられました。そのため、先代からフォン様に早期に正妻を迎えるよう
指示が度々発せられるようになりましたが、フォン様はナイキ殿のリルバン家への御入家(「にゅうけ」と読む)41)以後の傲慢な言動を見聞きしておられたことも
あり、成り上がり者が多数を占める二等貴族や三等貴族から正妻を迎えることには尚更躊躇されるようになられたのです。」
「ローズとの関係を・・・掴まれてしまったのだ。ナイキめに。」
フォンから出された重要人物の名は、先代の威光を笠にしたホークの正妻としてリルバン家に陣取ったことで傲慢さを増したと容易に想像出来る人物の「元々ナイキめは、ローズを初めとするバライ族の使用人を塵屑以下に扱っていた。それに耐えられず、使用人を辞める者が後を絶たなかった。そんな中で
ほぼ唯一使用人を続けるローズに、ナイキめはより激しく当たった。しかし尚もローズが使用人を辞めないことで、ナイキめはローズが辞めざるを得ない材料を
掴もうとしていたのだろう。自身でローズを、そして私を監視していた。」
「何故監視されていると分かったのですか?」
「ローズ殿の周辺で制服が紛失するなど不審な出来事が頻発するようになったのを知った私が、別の使用人に命じてホーク様とナイキ殿の身辺を探らせると
同時に、活動資金の使途目的を記載する帳簿である資産管理簿を精査いたしました。その結果、ナイキ殿がホーク様に支給されていた活動資金を一部流用
してごく一部の使用人に与え、フォン様とローズ殿を対象にした諜報活動が行われていることが判明したのです。」
「ナイキめは私とローズの交際を即座に先代に伝えた。強硬派の先代が、リルバン家の後継候補者と使用人の交際、しかもバライ族の女性との交際を認める
筈がない。先代は私を執務室に呼び出し、即ローズと離別し、交流会で正妻を娶るよう命じた。しかし、私はその命令を拒否した。先代と私が対峙するように
なって直ぐ、ローズに対するホークとナイキめの態度は殺害を予告するものへと変貌していった。」
「「「「「・・・。」」」」」
「殺害、ですか。」
「リルバン家にバライ族の者が居ること自体、ナイキ殿は激しく嫌悪されておられました。憎悪対象の1人であるローズ殿が夫の実兄であるフォン様と婚姻
すれば、ローズ殿はナイキ殿の義姉になります。リルバン家の一員となられていたナイキ殿にとってそれは耐え難い恥辱であり、ローズ殿の存在そのものを
抹殺する方向に向かわせることになったのでしょう。」
「使用人の仕事をしている最中には、階段を上り下りすることが多い。ローズが多数の食器や衣類を抱えて階段を上り下りしているところに、ホークとナイキ
本人、若しくは奴等の息がかかった使用人めがローズを突き飛ばした。階段から転げ落ちれば無事では済まない。その度にローズは負傷した。ローズへの
危害が深刻になり始めたのと時を同じくして、私は先代から一等貴族当主の職務の補佐を頻繁に命じられるようになったことで、尚更私はローズの身の
安全を確認したり、ホークとナイキの動きを抑えたり出来なくなった。ホークやナイキめと同じく強硬派だった先代は、ホークとナイキとは別角度から、
私とローズを別離させようとしていたのだろう。だが、ローズは度重なる危害に屈せず、私の元に居てくれた・・・。」
「じゃあ、どうしてローズさんをリルバン家から追放したんだ?しかも、戸籍上死んだことにしてまで。」
「ローズが・・・ナイキめに・・・ナイフで胸を刺されて・・・殺されかかったのだ。」
「「「「「「!」」」」」」
「階段から突き落とすだけでも一歩間違えれば大惨事になりかねない。だが、それではローズがリルバン家から出て行かないと思ったのだろう。ローズが
深夜に私の部屋を訪れるのを待ち伏せしていたナイキが襲撃したのだ。殺害の予告が口先だけではなく本当に実行に移されたことは、ローズにも私にも
衝撃だった。ナイキ自らが手を下したのだから。」
「よく・・・命を落とさずに済みましたね・・・。」
「ローズが寝間着の胸ポケットに入れていた、私が贈った指輪にあしらわれたダイヤが刃先を防いだのだ。指輪を填めていては目に付くということで、ローズは
填めない代わりに自身が着用している服の胸ポケットに常に入れていたのだ。」
「ですが、ナイキ殿によるローズ殿の殺害未遂事件は深夜だったこともあり、大騒動になりました。ナイキ殿は、ローズ殿が日頃の恨みから犯行に及んだとの
嘘を先代に直接報告しました。激昂された先代は、フォン様にローズ様を明朝処刑するよう命じられたのです。命令に従わなければ自分が処刑する、と
付け加えられて。」
「ローズを殺すことは私には出来なかった。出来る筈がなかった。だが、このままではナイキめの報告を鵜呑みにした先代にローズが殺されてしまう。
私はローズを伴ってリルバン家から出ようとも思った。しかし・・・、先代の後継者がホークと確定し、ホークがリルバン家当主として権勢を振るうことによる
国民への深刻な影響を考えると、ホークにリルバン家次期当主継承権の白紙委任状を与えることも出来なかった・・・。」
「フォン様がリルバン家を出られることは、先ほども申し上げましたとおり、教会関係者をはじめとする理性ある王国議会関係者にとって大きな懸念事項
でした。先代は在位中から基本税率42)引き上げ法案など、国民の多数に負担増を強いる法案の可決成立の陣頭指揮を担っておられました。二等三等貴族
出身の王国議会議員の多くが先代の威光を背景にしていたため、先代の後継に先代と思想を同じくするホーク様が座ることは、勢いだけでそれらの法案が
可決される決定打になりかねません。」
「そこで、私は1つの提案をしました。・・・ローズ殿を秘密裏にリルバン家から出し、ローズ殿を処刑したと偽ることを。」
追い詰められたフォンにロムノが提示した案は、アレンがルイから聞いたローズの戸籍上の死亡と重なる部分がある。「その日は偶然、リルバン家邸宅には明朝出発する輸送用の馬車が来ておりました。輸送用の馬車がどの町村をどの順に回るかは、積載されている荷物の
行き先や量で運送主が決めますので、馬車そのものを追跡しなければ足取りを追うことは出来ません。死亡となれば尚のこと。」
「ローズ様をその馬車に乗せてリルバン家から脱出させよう、と。」
「左様でございます。」
「ローズを殺したくない。しかし、私がリルバン家を出ることでリルバン家当主をホークに無条件に託せば、多くの民が更なる重税に苦しむことになる。悩んだ
末に私は・・・、ロムノの提案を受け入れた。ローズには荷物運搬用の木箱に入ってもらい、ロムノには緊急の荷物が生じたとして運搬追加の手続きを依頼
した。」
「私は料理人の1人に、豚を1匹内密且つ緊急に捌くよう命じました。併せて心臓を洗浄せずに持参するように、とも。併せてローズ殿には、髪を切るよう依頼
しました。」
「脈打つ血まみれの心臓と、ローズ殿の髪を併せて先代に提出することで、ローズ様の処刑が完了したと見せかけるためですね?」
「左様でございます。」
「ローズ殿の死亡はその夜のうちに先代に確認を受け、ローズ殿が隠れた木箱は輸送用の馬車と共にリルバン家を出ました。私は先代の命令で役所に
向かい、ローズ殿の死亡届を提出しました。」
「・・・ローズさんが戸籍上死んだことになってた理由は、一応分かったよ。だけど、ルイさんを身篭らせておいて・・・!」
「ローズが子どもを、ルイを身篭っていたということは知らなかった。ローズからも一言も聞いていなかった。」
「じゃあ、どうしてルイさんが自分とローズさんの子どもだって分かったんだよ。」
「ローズが度々言っていたのだ・・・。もし女の子を授かったら『ルイ』と名付けたいと・・・。」
「『朝の雫』ですね?」
「『朝の雫』って?」
「この国、ランディブルド王国と北で国境を接するウッディプール王国に伝わる神話で描かれている、世界の破滅と再生の場面に登場する重要なアイテムだ。」
はるか昔、人間が神々43)との契約を一方的に破棄したことで、神々は烈火のごとく怒り狂った。
神々は自分達の住居である天から、地上に向けて火を伴う光の雨を降らせた。
火を伴う光の雨は瞬く間に地上を焼き尽くし、そこに居た人間をも残らず焼き尽くした。
しかし、大地の根幹である生命の大樹は、神々の降らせた火を伴う光の雨でも焼かれることなく残った。
生命の大樹の陰に逃げ込んだ先人(「さきびと」と読む)44)達も、焼かれることなく逃げおおせた。
しかし、焼き尽くされた地上に先人達の食料は何1つなく、先人達は飢えと乾きに苦しんだ。
そこに、生命の大樹がその葉に蓄えていた雫が齎された。
雫は赤黒くただれた大地に緑を戻し、暗く澱んだ海や川や湖を清め、先人達の乾いた喉を潤し、飢えた腹を満たした。
夜が続いていた地上に再び朝が訪れた。
光と潤いに満ちた地上で、先人達は生命の大樹の恵みと自然の豊かな生命に歓喜し、涙した。
「−この神話の中で、新しい世界の来訪を告げて先人達の飢えと渇きを癒した、生命の大樹が蓄えていた雫が、ウッディプール王国の言語であるエルフ語の
古代形で『ルイ』と表記されている。現代のエルフ語では『朝の雫』と訳される。」
「信心深かったローズは、自身がバライ族でも珍しいハーフのダークエルフということもあってか、ウッディプール王国の神話もよく知っていた。人々の心に
潤いを齎す存在になって欲しいから女の子にはルイと名付けたい、とローズは言っていた・・・。」
「先代は5年前、急病を罹患して逝去した。何故か先代が次期当主を指名していなかったため、法律で規定された優先順位に従って私がリルバン家の
当主に就任した。その直後から、ロムノの協力を受けて必死にローズの行方を捜した。しかし、足取りを追うのは困難を極めた。戸籍上死んだとなっている
ため、仮に戸籍を閲覧出来たとしても今何処に居るのかを掴むのは不可能だっただろう・・・。」
「「「「「「・・・。」」」」」」
「邸宅に居座っていては埒が明かないと判断した私は、視察を兼ねて全国を回ることにした。その途中、希望が落胆に変わりかけていた時に訪れた
ヘブル村で、私を迎える列の中に一際背の低い、明らかに子どもだと分かる礼服姿の聖職者が目に入った。頭を下げていたため顔を見ることは
適わなかったが、髪の色はローズを髣髴とさせるに余りあるものだった・・・。私は案内を担当した時の村の中央教会総長に、私を迎えた列の中に1人子どもが
居たようだが、と話を向けた。総長が明らかにしたその小さな聖職者の名前は・・・ルイだった。」
「「「「「・・・。」」」」」」
「この町に戻った私は、直ちに教会人事監査委員会委員の権限を使ってルイという名の聖職者の履歴を請求して閲覧した。セルフェスという姓、生年月日と
一致しない戸籍登録日、そしてルイという名前・・・。あの小さな聖職者が、私とローズの子どもであると察するには十分だった・・・。しかし、正規の聖職者で
あるルイを正当な事由なく招聘することは出来ない。教会が自律の元で決定した人事に介入することも出来ない。事実確認だけでも手をこまねいている間に
時間だけが悪戯に流れていった・・・。流れていく時間の中で・・・、ローズが・・・昨年・・・本当に死んだことを知った・・・。ルイの聖職者の履歴を精査する名目で
入手した戸籍で・・・。」
「今年になって、リルバン家がシルバーローズ・オーディションの中央実行委員長を担当する番になった。私はシルバーローズ・オーディションを口実にルイを
この町に招聘出来ないかと考えた。オーディションの担当者決定の際に相談に乗ってもらったロムノにその話を持ちかけたところ、ロムノは妙案だと賛同して
くれた。」
「そこで、私がヘブル村の実行委員会宛に、ルイ様の予選出場を申し込む封書を差出人を記載せずに発送したのです。フォン様が記載したと判明しますと
オーディションの公平性を疑われますし、何より、問題の性質上、事を大きくするわけにはまいりませんが故。」