オーディション本選が明後日に迫った日の夜。
リビングのランプが消されてベッドに入った全員が眠りの世界に落ちたホテルの部屋の一角にある台所で待機していたアレンの耳に、イアソンの声が届く。
「アレン。聞こえるか?」
「うん。聞こえる。」
予め送信機を耳から外しておいたアレンは、タイムラグなしでイアソンに応じる。
「いよいよ問題のオーディション本選が明後日に迫ってきた。リルバン家内部も慌しくなってきた。まずはその辺の概要を伝える。」
イアソンはひと呼吸置く。
「オーディションの中央実行委員長でもあるリルバン家当主フォン氏は、王国議会の次回開会日程が前倒しになったのを受けて、議会での陳述の準備も
並行させている。明日にはオーディション本選の各班班長や幹部をリルバン家邸宅に招聘して、最終打ち合わせをすることになっている。オーディション
本選の班長は、一等貴族の親族が担当することになっている。だが、問題の彼女がホテル内で2度も狙われた事件の責任を問われて警備班班長を解任
されたフォン氏の実弟ホーク氏のように、次期当主継承権を持つ人物は基本的に対象外とされている。次期当主継承権を有する一等貴族の親族−絶対
世襲制だから直系の子どもが大半だが、彼らは次期一等貴族当主の座を得るために各種法案の作成や当主の補佐を継続・専念するのが普通だ。一等
貴族の当主継承の優先順位は一応法律で定められてはいるが、最終的に決定するのは現当主。次期一等貴族当主に相応しい政治能力を持っていることを
アピールする必要性があるからだと考えられる。」
「そこから考えても、ホーク氏が警備班班長になったのは余程の理由があってのことだったと考えられるな。・・・今はもう分かってるけど。」
「そうだな。これは話してないかもしれないが、ホーク氏が警備班班長になったのは、ホーク氏が強く自薦したため、フォン氏が仕方なく承諾したという
経緯がある。フォン氏としてはこれまでの慣例から自分の親族、しかも現時点で唯一の次期当主継承権所有者をオーディション本選の班長にすることには
消極的だっただろうが、自分に任せれば大丈夫、とでも言って押し切ったんだろう。なのに、問題の彼女が絶対安全の筈のホテルで2度も襲撃されたと
なれば、フォン氏が激怒してホーク氏の警備班班長を解任するのは当然だ。ましてや、命を狙われた問題の彼女は、推測だが、フォン氏がオーディションを
通じてこの町に呼び寄せて、オーディション本選終了後にでも接触してリルバン家に迎え入れて次期当主に指名する意向を固めている唯一の実子。その
実子が2度も危機に晒されたとなれば、警備に不手際があったと考えるのが当然だし、ホーク氏が問題の彼女を抹殺する意図を持って警備班班長を自薦した
とも容易に推測出来る。ホーク氏をリルバン家から永久追放しても、問題の彼女をリルバン家に迎え入れれば何の問題もない。彼女は母親がフォン氏から
プレゼントされた、プロポーズの象徴とも言える両者の名前が刻印された指輪っていう、厳然たる物的証拠を持っているしな。」
「早く終わってほしいよ。こんな血みどろの薄汚いイベントなんて・・・。」
「心境は分かるつもりだ。事情があったとは言え1人の人間を戸籍上死んだことにしたために、その人物である彼女の母親と娘の彼女は、少数民族であることも
相俟って激しい迫害を受けたんだ。華やかな舞台ほど裏は陰謀や策略の泥流が渦巻いてるもんだと改めて思う。」
怒りと共にやりきれなさも感じるアレンに、イアソンも同意する。
リルバン家に使用人として潜入して情報収集を行っているイアソンも、リルバン家次期当主の座を巡る兄弟間の水面下の激しい攻防を見聞きしてきた。
それに、別館に食事を運んだ際には、夫が次期当主と信じて疑わない妻ナイキの八つ当たりを受け、他の使用人から同情された経験もある。
元々王政打倒、主権在民を掲げた反政府組織の幹部として最前線で活動していたイアソンは、財産や社会的地位がスライド式に入手出来る貴族などの
後継者争いの醜悪さをレクス王国でも見聞きしている。それが場所を変え法的根拠が確固たるものになっただけで内容は同じ、という認識で居る。
だが、貴族の後継者争いの醜悪さを批判しているだけではことは進まない。その後継者争いに意図せずして巻き込まれたルイの身の安全を保障することが
急務だ。
「話を切り替えて、アレンと問題の彼女の護衛にも大いに関係するオーディション本選における会場の警備などを伝える。」
イアソンは此処で再びひと呼吸置く。
「オーディション本選会場では、護衛は控え室まで本選出場者との同行を許可されるが、本選出場者が一堂に集う中央舞台に並ぶ前に離されて、舞台脇に
集められることになっている。周囲には警備班所属の国軍兵士が陣取ってるし、フォン氏をはじめとする一等貴族当主全員など審査員が座る最前列の席、
オーディション本選に投票権を持っているこの町の人民、そしてそれ以外の人民や観光客と、客席も3段階に区分けされて、そこにも警備班所属の国軍
兵士が構える。つまり、リーナも問題の彼女も、中央舞台では完全に無防備にされる。そこが最も危険だ。」
「・・・だよな。」
「これはさっき、シーナさんにも報告したんだが、ホーク氏は一等貴族の親族だから、本来は本選の各班の関係者でなくても来賓として出席出来る資格26)が
ある。だが、フォン氏は顧問諸共当日も別館に軟禁し続ける方針を明らかにして、別館の警備はより厳重になった。一歩たりともホーク氏と顧問を外に
出さないで、オーディション本選終了後に司法委員会にかける方針のようだ。しかし、ホーク氏は兎も角、黒幕はあのザギ若しくはその衛士(センチネル)
だと断定出来る顧問だ。これはドルフィン殿とシーナさんの推測とも一致するが、曲がりなりにも力の聖地と称されるクルーシァで特別な修行を積んで
セイント・ガーディアン若しくはその衛士(センチネル)になった存在だ。幾ら警備が厳重になったといっても所詮それは一般人民から見ての話。その気に
なれば、警備を強行突破して会場に突撃するのは造作もない。警備を突破するまでもなく、会場を襲撃させることも可能だ。」
ドルフィンと同じ内容のイアソンの指摘は的確だということは、アレンにも分かる。
ザギは戦闘能力こそセイント・ガーディアンでないドルフィンに劣ると言えど、着用している限りは事実上不死身と言う鎧を装備している。その能力を
発揮すれば、訓練は積んでいるといってもクルーシァには足元に及ばないであろう戦闘能力の警備を突破するのは容易いことだ。
しかもザギは、謀略や策略、指揮官能力といった間接的戦闘能力はレクス王国での例でも明らかなように、幾つもの目的を同時進行させたり、特殊部隊を
指揮してピンポイント且つ極めて短時間で目的を遂行させたりするなど、嫌味なほど優れている。フィルの町の何処かに潜伏しているかもしれない配下の
者に何らかの形で命じて、外部から警備を破って堂々と突破することも可能だろうし、自分の手を煩わせることなく、配下の者を指揮して会場を直接襲撃
させるかもしれない。何れにせよ、警備が厳重になったからと言っても何らの気休めにもならない。
「ドルフィン殿とシーナさんも、戦闘能力は格段に優れているが、オーディション本選では外国からの観光客でしかない。下手に装備を固めたり戦闘態勢を
見せたりすれば、それこそオーディション本選出場者や一等貴族当主に危害を及ぼす恐れがある、として会場から排除されちまう。それを実力行使で排除
しようとしたら余計に会場を混乱させて、問題の彼女を襲撃する隙をむざむざ広げちまうことにもなる。だから全身が武器であり防具でもあるから、中近接戦に
強いドルフィン殿には、本選会場で怪しい動きをしている奴が居ないかどうか警戒してもらい、広大且つ複数相手が可能な魔法を数多く使えるシーナさん
には、町全体を上空から警備するよう依頼しておいた。だが、それでも相手がどういう手段で何処から襲撃してくるかまったく不明という、こっちには圧倒的に
不利な条件がある。だから最終的に彼女を守るのはアレン、お前しか居ない。」
イアソンから改めて課せられた重大な任務に、アレンは緊張で息を呑む。
「彼女の護衛もこの町に来るまで刺客から防衛してきた実力を持つが、その護衛を合わせても数の差は圧倒的にあると踏んだ方が自然だ。何せ相手は後が
ない。今度彼女を抹殺する機会を逸すれば、問題の彼女を次期当主とすべくリルバン家に迎え入れたフォン氏は迷わずホーク氏を司法委員会にかけて、
永久追放以上の厳重処罰を要請するだろうし、そうなったら、顧問はホーク氏を用済みと見なして即刻切り捨てるだろう。それを避けるために、ホーク氏は
顧問にあらゆる手段を駆使するよう要請するだろうし、顧問もホーク氏を今後も利用し続けるには彼女の抹殺が必要不可欠だから、数で力押ししてくることも
当然視しているだろう。だからアレンは全ての力を総動員してでも応戦して、彼女を守る必要がある。」
他に打つ手がない状況に追い詰められた者や国家などは、その打開のために無謀な手段も選択肢に入れるにとどまらず、それを実行に移す傾向がある。
権力や支配欲が加わると益々その傾向が強まる。「自分(達)の存亡がかかっている」という妙な危機感を急速に自己増幅させるからだ。
それは「自存自衛の戦争」を掲げて東アジア全域に侵略の手を伸ばした大日本帝国憲法下の日本がそうであるし、「(自国の)孤立化を企てる謀略に対抗する
自衛手段」「抑止力の強化」と、国家間合意に反するミサイル発射を強引に正当化する北朝鮮がそうであるし、ありもしない大量破壊兵器の存在をでっち
上げて「テロの脅威」を煽り立てて国連憲章違反の先制攻撃を仕掛けたアメリカもそうだ。各国の動向や歴史を本当に学ぶことで、そういった「共通点」が
見えてくる。
今回のホークの状況は、イアソンの表現を借りれば文字どおり「後がない」。
次期当主の座が確実かと思いきや、実兄でもある現当主フォンが、過去にリルバン家で働いていて愛し合っていたという使用人の娘を実子として迎え入れる
状況が整い、その実子を抹殺しようと企てたが悉く失敗してついにはフォンの激しい怒りを買って、警備班班長解任・別館に軟禁の憂き目に遭っている。
更には、オーディション本選終了後にでもフォンは実子であるルイと接触してルイをリルバン家に迎え入れて次期当主として指名する意向だと言うし、
ホーク自身は実子を抹殺されそうになったことで憤懣(ふんまん)やるかたないフォンの意向で司法委員会にかけられ、リルバン家から永久追放される見通し
だと言う。
今まで「現当主の実弟」としてそれなりに権威や権力を行使出来たが、リルバン家から追放されれば地位も財産も全て失ってしまう。権力という麻薬の
常習者がその麻薬を奪われるという重大な危機に迫られたら、いかなる手段を行使してでも巻き返しに打って出るのが世の常だ。
そうしなければ「後がない」のだから。
「確か、問題の彼女は正規の聖職者なんだよな?」
「あ、うん。」
話の焦点がいきなり変わったことで、アレンは一瞬当惑しながらも返答する。
「称号は?」
「司教補だ。」
「ということは、流石に物理攻撃や魔法攻撃を絶対的に遮断するような強力な防御魔法は使えないな・・・。無理に使えば魔力の大量消耗どころか、場合に
よっては生命の危機に直結する・・・。」
それは、凶刃を向けてルイを襲撃してきた刺客から身を挺して守り、返す刀で斬殺したアレンの傷をリカバーで一気に全回復させた代わりに、魔力の枯渇を
招き、一時は意識を失ってその日の午後を安静にせざるを得なくなったルイの世話をした経験を持つアレンは、何としても避けたいところだ。
ルイは衛魔術を全般的に使用出来るし、現在の称号である司教補以上の魔法も複数覚えていると聞いている。しかし、称号以上の魔法の使用は魔力の
著しい消耗を代償とし、最悪全魔力の喪失や生命の危機に結びつく重大なリスクを伴う。
そこから回復するには、長時間の安静と十分な栄養補給が必要だ。どういう規模の戦闘になるか推測に頼らざるを得ない切迫した状況で、いたずらにルイに
強力な防御魔法を使わせることは、逆にルイを抹殺しやすくする条件を提供するようなものだ。
ならばクリスの方針どおり、「やられる前にやる」という戦闘スタイルで先手先手を打ち、ルイに必要以上の負担をかけさせずに防衛するしかない。
「やはり、圧倒的に不利な状況での戦闘を想定するしかない。ドルフィン殿とシーナさんの支援も勿論あるが、そっちのホテルであったように、本来出場者の
身の安全をより確実に保障するために配置されている警備の兵士にホーク氏や顧問の息がかかっていたりして襲い掛かってくるっていう、更に悪い状況も
想定しなきゃならない。物理的距離が離れているから、そんな状況では幾らドルフィン殿やシーナさんでも間に合わない。」
「・・・結局、俺達が圧倒的に不利な状況だってことか。」
「そうだな。それも顧問からすれば、着実に遂行されている作戦の一部かもしれない。」
「どういうこと?」
「ホーク氏は次期一等貴族当主の座が確実に届かなくなるばかりか、リルバン家からの永久追放も迫っているから色々考えてる余裕はないだろうが、顧問は
ホーク氏を支援する装いを見せておいて、自分に圧倒的に有利な今の状況を最大限利用しようと画策しているのかもしれない。そこからの推測だが、顧問は
あえて問題の彼女をホテル内で確実に抹殺するには至らない方策を執ってホーク氏を切羽詰った状況に追い込んで、更に自分への依存を高めようと
最初から企んでいたのかもしれない。」
「ちょ、ちょっと待って。それってつまり・・・、顧問にとっては、ルイさんのホテル内での抹殺失敗はむしろ作戦どおりだったってこと?」
「そういうことだ。」
事実であるなら、顧問の策略は巧妙且つ狡猾と言う他ない。だが、推論に過ぎないと片付けられない要素は十分ある。
ルイが本選出場のため此処フィルに向けて出発する前夜にクリスの家に宿泊させてもらったが、そこから早速襲撃が始まり、フィルに到着するまでも昼夜
問わず襲撃され、クリスが撃退してきた。しかしクリスは、それはルイを狙う奴らの実力はこの程度のものと思わせておいて、絶対安心を看板にする
ホテルに入って安心したところで刺客を送り込んできたのではないか、と言っていた。イアソンの推測とそのクリスの言葉には重なる部分が多い。
ザギがあらゆるものを利用するだけ利用し尽くし、用済みになったら即切り捨てるという冷徹且つ狡猾極まりない思考を有しているのは、レクス王国での
事例が証明している。
元々強権指向が強かった国王に、国家全体の強権支配の道具である国家特別警察なる組織を与えておいて権力の行使の快楽に溺れさせる一方で、その
国家特別警察を利用してアレンの父ジルムを拉致させて剣を奪おうとし、ハーデード山脈の地下深くに眠っていた古代遺跡の発掘を進め、更には首都
ナルビアの劇場を得体の知れない生物を製造する実験場に改造して、ゴルクスとは別角度かどうかまでは分からないが、生物改造を進めていた。
アレンが一騎当千の力を有するドルフィンの協力と、イアソンが所属していた反政府組織「赤い狼」と共同して主とナルビアに突入するギリギリまで王を
利用するだけ利用して、用済みとなるや一族諸共国王を切り捨て、崩壊させる仕掛けまで施しておいたらしい王家の城の崩壊を尻目にジルムを連れて
逃亡した。
普通に考えれば、ジルムが剣の在り処について硬く口を閉ざし続けるなら、一人息子のアレンを連行して目の前で拷問に掛けるなどして無理矢理吐かせる
ことも出来ただろうし、ドルフィンがアレンに協力することが判明した時点で危険を感じて撤収することも出来たはずだ。それこそ国王を見捨てて。
だが、ザギはあえて本丸である首都ナルビアが陥落する直前までレクス王国に居座り、配下の者に命じて別の目的を遂行させていた。
それは、ザギが何れ自分が肩入れしたレクス王国が瓦解するのも、ドルフィンの協力を得たアレンが父ジルムを奪還すべく進撃してくるのも全て見越して、
配下の部隊を多少失ったりレクス王国の国家基盤がズタズタになることも作戦の一部として織り込んでいたがためだと考えることも可能だ。
その考え方に立脚すれば、みすみす失敗を繰り返すという一見片手落ちの策略の数々も、実はホークを心理的にもギリギリまで追い詰めるための作戦で
あり、ホークの自分への依存度をより高めることで、ルイの抹殺に成功した後からもホークをより巧みに利用しようと企てていると考えられる。
「何て奴だ・・・。」
「俄かには信じられないだろう。だが、戦争ってものの本質は相手の裏の裏をかくことや、部下や人民を駒として利用して使えなくなったら切り捨てたり、
自分の目的のためには第三者を蹂躙することも当然視する血みどろの策略が入り乱れることにある。剣や魔法を交える戦いは、そういった策略が蠢く中で
部下や人民、果ては第三者までとことん利用するだけ利用する過程で表面化するものに過ぎない。それが、反政府組織で情報活動を専門にしていた経験
から導き出した、俺の持論だ。目的のためには手段を選ばない。むしろ、選んだ方が負けだ。あらゆることを正当化することから戦争は始まるんだ。」
反政府組織の最前線で活動し、同時に組織の指導者自らが将来の組織運営と新政権の中核を担う有望な存在と紹介してパーティーに加えるよう依頼した
イアソンの言葉は重厚で、同時に戦争の最前線に居たがために知り得た戦争の本質を鋭く突くものだ。
かつて日本が太平洋戦争で東アジア全域に侵略の手を伸ばし、ミッドウェー海戦を境に部隊の撤退や全滅−玉砕という言葉は「天皇のために死ぬ」という
意味−の道を歩み、結果夥(おびただ)しい戦死者を出したが、その圧倒的多数は戦闘によるものではなく、餓死によるものだったという事実は殆ど知られて
いない。
元々日本が東アジア全域に侵略の手を伸ばしたのは、「大東亜共栄圏」なる天皇を頂点とする広域支配と日本本土に少ない資源確保が目的の1つだった。
しかし大本営が「大東亜共栄圏」拡大に血道をあげた結果、食料という石油や鉄にも勝るとも劣らない重要な戦略物資を支配地域に供給し続ける術を
知らず、反撃を受けて前線の部隊が撤退する際に食料が枯渇し、餓死という悲惨な死の1つを余儀なくさせられたのだ。
にもかかわらず、大本営に陣取っていた時の天皇や将校は食糧供給などの対策を執ったか?否!彼らは長野の山奥に深い穴を掘らせて自分達だけ
逃げ込み、日本本土に上陸されても自分達だけ安全な場所で「鬼畜米英打倒」を叫び続ける腹積もりだったということは、遺跡と事実が証明している。
日本マスコミ、特に反共を掲げる右翼系マスコミが悲惨な実態の報道を続ける一方「脅威」と喧伝する北朝鮮も、彼らが報道しているように自国民は勿論の
こと、前線で戦わせる兵士にもまともに食料が行き渡らない有様では、遅かれ早かれ過去の日本と同じ末路、すなわち破滅へと突き進むのは明白だ。
「指導者」だけ生きながらえても戦争をさせる兵士が戦争を出来る状態でなければ、威嚇の姿勢を見せても直ぐに虚勢と見破れる。報道は映像や記事だけ
垂れ流すものではなく、そこから得た情報を分析して判断材料を提供するという本質を知らないから、「脅威」の喧伝を繰り返すだけに終始する。
日本の右翼−保守などという生易しいレベルではない−政治家が、北朝鮮の弾道ミサイル発射実験を受けて「敵基地攻撃能力の保有」を唱える一方、
その北朝鮮と国境を接し、50年以上対峙し続けている韓国が冷静な対応を呼びかける対照ぶりは、戦争の本質を知っているかどうかによって生じるものだ。
日本で脈々と続く日本の右翼反動政治の中枢に位置する議員の多くは、かつての侵略戦争を推進し、戦争の前線に銃と彼らが愛して止まない「日の丸」を
担いで我先にと躍り出ずに済んだ、大政翼賛会の一員であった議員の二世三世議員だ。前掲の表現を使えば、財産や社会的地位をスライド式に入手出来る
立場に浸れるからこそ、戦争の本質を知らずに「自衛」を叫ぶのだ。
戦争に不可欠な食料生産の根本を他国に牛耳らせるという売国行為に手を染めておきながら。
理由はどうあれ人殺しは人殺し。それをどうやって正当化しても無駄だ。
殺し合いに目的はあっても正義は無い。この事はよく覚えておくことだ。
アレンの脳裏に、父ジルムを奪還すべく行動を起こそうとしたアレンにドルフィンが静かに語った言葉が、鮮明に蘇ってくる。
ルイを巻き込んで展開されている血で血を洗う後継者争いでアレン達が幾度も直面した戦闘は、ルイを守るか抹殺するかという目的の違いはあるが、
アレン達にとっての「正義」はホークや顧問にとっては「邪悪」であり、ホークや顧問にとっての「正義」はアレン達にとっては「邪悪」。立場が違うだけでこうも
簡単に「正義」の内容や方向性が違ってくる。
目的のためには誰かを抹殺することさえ由とする容赦なさでさえも、ホークや顧問にとっては「正義」。これが戦争の本質なのだ、とアレンはドルフィンの
言葉の意味を身体の芯まで痛感する。
「相手がどういう手段に打って出るか分からない以上、こちらもあらゆる手段で応戦して、何としても問題の彼女を守らなければならない。」
戦争の本質を改めて実感していたイアソンが、静かに告げる。
「フォン氏はオーディション本選の中央実行委員長だから当然、当日は会場入りする。その間も別館の警備は続くが、会場襲撃は確実だ。アレン。お前は
当日、今同室に居る顔触れ以外は全て敵と思うだ。」
「知ってる顔以外は全て敵、か。そうとでも考えないと対応出来そうにないよな・・・。」
「そのとおりだ。ホーク氏と顧問は警備の兵士に扮装させてきたばかりか、オーディション本選出場者を1人抹殺して入れ替わらせた刺客をも送り込んで
きたんだ。当日の会場の何処にどんな形で敵が潜んでいるか分からない。常に周囲の動向に目を光らせ、少しでも動きがあったら、オーディション本選の
遂行を度外視して彼女を守ることを最優先するんだ。」
「分かった。」
「彼女の存否如何に関わらず、リルバン家現当主が過去に使用人と愛し合って、私生児という形で生を受けた唯一の実子を迎え入れて次期当主に指名する
意向だということは何れ白日の下に晒される。私生児を自分の実子と明らかにして、建国神話にまで歴史が遡るという伝統を持つ一家系の次期後継者として
迎え入れる覚悟くらい、フォン氏は当然固めている。だから、オーディション本選の完遂なんか関係ない。手段を選んでいる余地もない。よく覚えておくんだ。」
「ああ。分かった。」
イアソンの言うとおり、手段を選んだり躊躇したり出来る余地などない。それこそ手段を選ばずにルイを守らなければならない。
決意を改めて強固にしたアレンは、力強く応答する。
「イアソンは当日、どうするんだ?」
「俺は別館の動向を監視する。少しでも動きがあったら直ちにドルフィン殿とシーナさんに伝えて、戦闘態勢に移ってもらう。俺も可能な限りホーク氏と顧問の
動きを抑えるが、俺の戦闘力じゃゲリラ戦的な妨害行動が関の山だ。しかし、何もしないよりはましだ。少しでも動きを止められれば、その分ドルフィン殿や
シーナさん、それに会場に居るアレン達が対応しやすくなる。妨害も戦闘行為の一環だ。」
「そうか・・・。イアソン、絶対に無茶はするなよ。相手がザギかその衛士(センチネル)ならまともに戦ったら返り討ちにされるのがオチだから。」
「一応分かってるつもりだ。俺は引き続き動向を探る。アレンはオーディション本選当日までも絶対気を抜くんじゃないぞ。」
「分かった。」
アレンはイアソンとの通信を終了する。送信機を耳に戻してコップに汲んだ水を一気に飲み干したアレンは、張り巡らされた謀略や策略の複雑さと深さ、
そしてそれらの上に成立する戦争の本質を噛み締める。
殺し合いに目的はあっても正義はない、というドルフィンの言葉どおり、ルイを守るという目的のためにあえて殺し合いに臨むのだ。腰に帯びた剣を鞘から
抜いてその輝きに一転の曇りがないことを確認したアレンは、剣を鞘に収める動作を通じることで自分を戒める。
決戦の日は近い。逃げも隠れも許されないし、するつもりは毛頭ない。今を懸命に生きて今を築き上げたルイには、これから歩む今を十分考え、満喫して
ほしい。そこで浮上する選択肢の中に自分の旅への同行があれば良いな、と少し願いつつ、アレンは遅い床に就く・・・。
夜が明けて、オーディション本選前最後の日が始まる。
これまでどおり早く起床したアレンとルイが作ったサンドイッチとヘブル村特産のティンルーという朝食を済ませたところで、口を
ナプキン27)で拭ったリーナが
口を開く。
「アレン、ルイ。片付けが済んだら部屋を出て良いわよ。」
指名されたアレンとルイは勿論、満足したふぃリアと何時もどおり大量のサンドイッチを平らげて早くもカーム酒の蓋を開けたクリスと予想だにしない言葉に
驚く中、リーナは表情を変えることなく淡々と告げる。
「明日はオーディション本選だからこのホテルを出る準備をしなきゃならないだろうし、ずっと食事を準備してきたあんた達も多少は気分転換が必要よ。
昼食と夕食は喫茶店かレストランで済ませるから、明日支障が生じない程度の時間に戻ってくれば良いわ。それくらい、あんた達なら分かるでしょうけど。」
「ちょ、ちょっとリーナ!どういうつもりよ!」
フィリアが当然異議を唱える。強い口調と険しい表情が、その心情を如実に物語っている。
日を重ねるに連れてアレンとルイの心理的距離が縮まっていることくらい、フィリアは十分把握している。しかも、今まで自分の恋愛ごとに消極的だった上に
元来の鈍さで散々フィリアの手を焼かせてきたアレンが、明らかにルイを特別な異性として意識していることは、フィリアの危機感を強めるに余りある。
そんな状態で、リーナはアレンとルイを2人きりでホテル内を散策させる、しかも夜も自分達で判断出来る時間に戻って来れば良いというのだ。
2人をより親密にする時間を認めることなど、「アレンのパートナー」を自称し、アレンとの仲を幼馴染から恋愛関係に発展させたいフィリアが容認出来る筈が
ない。
「ルイは命を狙われてるのが明らかなのよ?!」
「そんなこと、あんたに今更言われるまでもないわ。」
「命を狙われてることが明らかな当事者をいきなり部屋の外から出すなんて、正気の沙汰とは思えないわ!!」
「少なくとも、あんたよりは冷静なつもりよ。」
「しかも今までずっと1日3食の準備をさせてきておいて、今日になって自由行動をさせるなんて、どういうつもりよ!!」
「聞いてなかったの?多少は気分転換が必要だ、って。」
「どういうつもりか、きちんと答えなさい!!」
「ずっと食事の準備をしてきたアレンとルイにも、多少は気分転換が必要。町1つ詰め込んだような設備や施設が揃ってるこんなホテルに泊まれる機会
なんて、この先ある筈ないんだから、報酬代わりに自由行動を許可する。それだけよ。」
危機感と殺意とも言える嫉妬心が急速に自己増幅して語気を荒らげる一方のフィリアに対し、リーナはつとめて淡々と答えて、視線だけフィリアに向ける。
元々の視線の鋭さにアングルも相俟って、リーナが発する威圧感は感情が暴走寸前のフィリアの口を止めさせる。
「念のため言っておくけど、あんたはオーディション本選が終了するまであたしには絶対服従の立場よ。だったらどうすべきか・・・、分かるわよね?」
「ぐっ・・・。」
この部屋における最高権力と絶対服従の印籠を突きつけられたフィリアは、これ以上反撃のしようがない。
リーナの気性の荒さはフィリアもよく知るところだ。それに加えて現状の立場や力関係を考えれば、リーナに刃向かうことは生命の存亡の選択肢も迫られる。
到底承服出来ないがこの場で殺されるか摘み出されるかの究極の二者択一など御免だから、フィリアは怒りの矛先を引っ込めるしかない。
フィリアを沈黙させたのを確認して、リーナはアレンとルイに言う。
「アレン、ルイ。あたしとフィリアとクリスの昼食と夕食の分、それから娯楽施設でそこそこ遊べる程度の金を見繕って、あたしに渡して頂戴。金銭管理が
しっかり出来てるあんた達なら浪費はしないし出来ないだろうから、あんた達が必要と思う分だけ確保して、残りを渡すっていう感じでも良いわ。
その辺もあんた達に任せるから、先に片付けだけ済ませて頂戴。」
「あ、うん。分かった。」
「分かりました。」
「じゃあ、そうして頂戴。」
アレンとルイが了承したのを受けて、リーナは何食わぬ顔で読みかけの薬学関連の本を開き、文面を目で追うことを再開する。
アレンとルイは食器を手早く重ねて台所へ運び、後片付けを開始する。食器の数は少ないから、2人がかりですれば直ぐ終わる。
「リーナ、いったいどういう風の吹き回しなんだろう・・・?」
後片付けを終えて手を洗ったアレンが、至極もっともな疑問を口にする。
昨日まではルイが女性特有の生理現象に見舞われても、自室での食事を譲らなかった。なのに今日になって食事は外で済ませるから自由行動を許すと
言う。相変わらず掴み所のないリーナの言動を再び目の当たりにして、アレンは首を傾げるばかりだ。
「今まで、食事は俺とルイさんに作らせるのが当然だと言わんばかりだったのに・・・。」
「・・・リーナさんが、気を利かせてくれたんだと思います。」
同じく手を洗ったルイが言う。
やや控えめな口調は、アレンと2人きりで行動出来る機会が出来たことに対する喜びやそれを含む緊張感が表面化するのを抑えようとしてのものだ。
しかし、その表情と顔色には抑えきれない喜びが漏れ出している。感情が顔色に出やすいタイプだから、隠し事をするのは難しい。
「そう・・・なのかな。リーナが気を利かせるなんて、あんまり思えないんだけど・・・。」
「私は、リーナさんの今回の方針を聞いた時には驚きましたけど、完全に予想外じゃありません。前に・・・。」
予想外のリーナの方針に関して何か言いかけたところで、ルイは言葉の流れを止める。
「リーナと何かあったの?」
「あ、いえ。リーナさんと前にお話して、深いところに思考が及ぶタイプだと分かったので。」
「俺はリーナと一緒に旅をしてきたんだけど、どうも掴み所がないんだよな・・・。理性的なのか感情的なのかも分からないし。」
再度首を傾げたアレンだが、今まで台所にほぼ1日缶詰状態だっただけに、今日の午後からだけと限定的とは言え、羽を伸ばせるのは素直に嬉しい。
ましてや単独ではなく、アレン自身相思相愛と感じられる相手であるルイと2人きりで過ごせるのだ。屋内とは言え初めてのデートであることには違いない。
「ルイさんは、此処に行きたいっていうところとかある?」
「色々見て回りたいです。」
エスコートには程遠いアレンの問いに、ルイは普段とは異なる積極的な回答を示す。口調も弾んでいるように感じるのは、決してアレンの気のせいではない。
ルイも、オーディション本選が終わってからとその時を待ち望んでいたアレンとのデートを前に、現況を考えれば不謹慎なのを承知で楽しみたいと思って
いる。
身体も男だったら、と少し残念に思うが、ルイと2人で自由なひと時を過ごせる時間がアレンには待ち遠しい。それは勿論、ルイも同じだ・・・。
用語解説 −Explanation of terms−
26)来賓として出席出来る資格:来賓席は、一等貴族当主全員が並ぶ最前列と、警備の兵士を挟んで直ぐ後ろの列にある。他に、結婚相手を募集している
二等三等貴族当主やその次期当主(こちらは既に指名されて国王と王国議会に報告されている必要がある)もこの席に着席出来る資格を有する。投票権は
ない。
27)ナプキン:この世界で使われるナプキンは主に木綿製。高級レストランや王族や貴族など上流階級の食卓では絹が使われる。