片付けが終わり、先にアレンが浴室に隣する脱衣場で着替える。持っている余所行き向けの服に着替えるためだ。
ホテルに入ってからの時間の大半を食事の準備や後片付けといった油汚れや水飛沫が飛び交う作業に費やしていたし、そこでの服装は動きやすさが第一。
今までの道中で着ていた服が、女になることによって背丈が少し縮むことで丈が長くなったり、ウエストが大幅に縮むためベルトを強く締める必要が生じたり
することを除けば丁度良いため、そのまま着用してきた。
余所行きの服は、アレンが女になった時にパーティーの女性陣に面白半分で合わせられたものの1つで、白の長袖ブラウスと明るい青のベストとズボンという
最も男性的な服装で、都合上女になっているためバストとウエストが大幅に変化しているアレンが違和感なく着られるサイズでもある。腰には不測の事態に
備えて愛用の剣を帯びているが、その少女的な顔立ちも相俟って、「少し背伸びした可愛い女性剣士」という印象は覆せない。
アレンと入れ替わって脱衣場に入ったのは勿論ルイ。抱えていた服が白だったことは見ているが、どんな服に着替えるのかまでは分からない。
久しぶりの外出、しかもアレンと2人きりになれるということもあって、ルイもやはり普段着レベルの服装から着替えることにしたのだ。
ルイはスタイルええで期待しといて損はあらへんで、と酒を飲みながらクリスは茶化したが、それによって、アレンの期待が膨らむと同時に脱衣場へ向かう
ルイの後姿を睨むフィリアの視線が、触れただけであらゆるものが寸断されるような鋭さになったのは言うまでもない。
そのフィリアは、この部屋で最高権力を有するリーナに「自分の護衛」「自分に絶対服従」を念押しされているため、リーナの許可なしにはまともに動けない。
勿論アレンとルイの間に割って入り、ルイの動きを封じたいのは山々だが、今のリーナとの力関係ではそれは絶対叶わない。
アレンとルイの揃っての外出とフィリアの「足止め」を決定した張本人のリーナは、我関せずとばかりに薬学関連の書籍を読み耽っている。
クリスは早々とカーム酒のフルボトルを半分開けて、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。リーナとクリスの傍観者的態度が、フィリアの焦りと怒りを増幅させる。
それぞれの思いが錯綜する中、脱衣所のドアが開いて着替えを済ませたルイが出てくる。
アレンが目を見張り、フィリアが警戒心をより強めるその服装は、ルイが所持している聖職者の礼服。幅広の白いリボンが後ろの髪を少量束ねている。
褐色を帯びた肌と対照的な白の礼服姿は、以前見たアレンも思わず綺麗だと口にした清楚さと可憐さを併せ持っている。服装だけを見ても、ルイの
アレンとのデートに臨む意気込みが手に取るように分かる。勿論それはフィリアの視線をより鋭利にするものでもある。
「お待たせしました。」
「あ、礼服。」
「おー。ルイ、礼服やんか。何時見てもよう似合とるなぁ。」
「・・・。」
思わず感嘆の声を漏らしたアレン、普段の口調で称賛するクリスに対し、フィリアは文字どおり刺すような視線でルイを睨み、リーナは一瞥しただけで再び
視線を本に戻す。自分の許可と命令が発端なのに、完全に他人事という様子だ。
「礼服は物理、魔法双方に対して防御力がありますし、これが最適かと。」
アレン達が居るソファに歩み寄ってきたルイが、礼服を着用した理由の一部を説明する。
聖職者が着用する礼服以上の服装はその性質上、物理、魔法の両方に対して防御力を有する。
礼服でもナイフや短剣程度なら貫通を防げるほど
強力だ28)。応戦出来るだけの攻撃力はないが防御だけは完璧にしておき、戦闘発生時にもアレンのお荷物にならないようにしたい。そんな意志が働いての
選択だ。
勿論、ルイが礼服を着用したのは戦闘を想定してのことだけではない。以前アレンがそれを見た時感嘆の声を挙げたのを憶えていたからでもある。
意中の男性が良い印象を持っている服で更に心を引き寄せたい、という女性の心理は、時代や世界が違っても大差ない。
「後ろはどないなっとるん?」
「こうしてみたの。」
クリスに言われてルイはその場で横を向く。
素早い動きに少し遅れて順応した長い銀色の髪が、ふわりとたなびく。印象強い礼服姿でモデルさながらの動きを見せたルイに、アレンは更に視線を
奪われる。その視線は、ルイの後頭部でさり気ない存在感を醸し出す白の幅広のリボンに集約される。リボンを着けたルイは初めて見るからより新鮮で
印象的だ。
「おー、リボンやんか。」
「服の色に合うし、丁度良いと思って。」
「ルイさんがリボンを着けたのって初めて見るけど、よく似合ってるね。」
アレンの称賛に、ルイは照れと嬉しさが入り混じった笑みを浮かべる。好意を抱く異性に褒められればやはり嬉しいものだ。無論アレンはお世辞や社交
辞令の類で言ったのではない。思ったままを口にしただけだ。
これまで恋愛とは意識的に距離を置いてきたアレンは、意図的に女性の気を惹く言葉を言ったりする術を知らない。だが、その分発する言葉に裏表がない。
ルイもアレンの今までの心境を知っているから、アレンがお世辞を言ったりするタイプではないと分かっている。それだけにリボンを着けたルイの喜びは
増すし、自分の眼前でアレンに褒められたルイにフィリアが猛烈な嫉妬の炎を燃やす。
「アレン君。ルイのリボンは、村出る前にあたしが被服店へルイを引っ張ってった時に、服と一緒に合わせたったもんなんよ。」
「そうなんだ。」
「住み込みで働いとる正規の聖職者やし、服らしい服全然持っとらへんだでな。服合わせたるついでにリボンも幾つか合わせたったんよ。」
「へぇ・・・。」
「此処に到着するまで一度も着けたことあらへんかったのに今日になって着けたっちゅうことはルイ、バッチリ決める腹積もりやな?」
「変な言い方しないでよ。」
そうは言うものの、ルイの顔は照れ笑いのままだし、口調も決してクリスを咎めたりするものではない。ルイの言動は明らかにアレンを意識してのものだと
分かる。分からないとすればアレンくらいのものだろう。
脱衣場での様子は誰も知る由もないが、ルイが最も時間を費やしたのはリボンを着けることだったりする。
クリスが言ったとおり、ルイは住み込みで働いている正規の聖職者、しかもファッションなどにはてんで縁がない生活と志向を続けてきた。オーディションの
予選で圧勝して本選出場を決めた際に、クリスはルイの服を合わせるついでにリボンも幾つか合わせた。
今までリボンを着けたことがなかったルイは、意外にもファッションに鋭敏な面があるクリスにリボンの着け方を教わったが、これまで着ける機会も意志も
なかった。だが、今回は熱烈な求愛の意思表示もしている相手であるアレンとのデート。今まで見せたことがないリボンはより印象強いものとなるだろう。
そう思って、リボンで髪を結わえては横を向いて位置や輪を描く部分の大きさを修正、とまさに試行錯誤して着けたリボンがアレンの称賛を得られたのだ。
ルイにとって嬉しくない筈がない。もっと前に見せれば良かった、と若干の後悔すら覚えるほどだ。
アレンはふと隣のフィリアに視線を向ける。その瞬間、背筋に強烈な悪寒を感じる。
フィリアの視線はルイに向けられているが、それは「見る」というものではなく「睨む」と言う他ないものだ。しかも、ギリギリと音を立てて軋ませているように
しか見えない奥歯を覗かせている。その横顔は鬼神や般若という表現があまりにも相応しい。
このままではフィリアが暴発しかねない、と思ったアレンは、恐怖から目を背けるのも兼ねてフィリアから視線を離して立ち上がる。
所持金は既に分割して残りをリーナに渡してある。アレンもルイも浪費とは無縁な堅実そのものの生活感覚を持ち合わせているから、所持金が底をつく
恐れもない。剣もきちんと装備している。少しでもルイを狙う動きがあれば、迷わず鞘から抜いて刃の錆にする心構えも出来ている。
アレンとルイは並んで部屋を出て行く。
アレンが女になっているため身長差が少しだが逆転していることもあって、ぱっと見た感じではややアンバランスとも言えなくもないが、2人が織り成す
雰囲気を読み取れば、見てくれなど関係ないことは誰でも分かる。それだけ仲睦まじい様子だということだ。
ドアが閉まった後、部屋には沈黙の雲が漂う。リーナは悠然と本を読み続け、クリスは酒を入れたグラスを傾ける。フィリアは両膝の上で拳を震わせている。
何度目かの並々と酒を注いだグラスを一気に傾ける動作を終えたクリスは、俯き加減で身体を小刻みに震わせるフィリアを見て、声を掛ける。
「どないしたん?フィリア。震とるで。」
「どうしたもこうしたもないわよ!!」
空気を読んでいないと言われても仕方ない、クリスのあまりにも脳天気な問いかけがトリガとなって、フィリアは極限まで溜め込んでいた怒りを爆発させる。
「ルイが着てた服って、聖職者が着るやつでしょ?!そんな服着てデートなんて、自分の立場分かってての挙動?!」
「礼服は防御力持っとるで襲われてもある程度自前で防御出来るし、分かっとるからあれにしたんやろ?」
「聖職者がデートで礼服着る?!普通!!」
「ルイにとっちゃあ29)礼服の方が着慣れとるやろうし、せやからあれにしたんと違うかなぁ。」
「デートなんてふしだらよ!!不謹慎よ!!あの破戒聖職者!!」
「いや、別に聖職者は恋愛してええし、所帯持ちの正規の聖職者は現に村にも居るし。」
「五月蝿いわね。静かにしてくれない?」
説得しているようで実際は怒りを煽っている感のある応答を続けるクリスとは違い、視線だけ本からフィリアに向けたリーナは、一言でフィリアを黙らせる。
口調がフィリアとクリスと違ってほぼ常時淡々としている分、リーナの発する言葉には存在感がある。更にフィリアには力関係もある分、威力が増大する。
「アレンとルイの外出はあたしが許可したこと。あんたが異論を挟む余地は欠片もないわ。」
「だからってねぇ・・・!!」
「まだ分からないの?あんたはオーディション本選が終わるまであたしには絶対服従の立場。しかもパーティーの金食い潰してまであたしの護衛になったん
だから、尚のことあんたはあたしの命令に逆らえる立場じゃないのよ。」
「ぐ・・・。」
「もう一度だけ言うわ。静かにしなさい。」
殺気すら感じさせるリーナの止めの一言で、フィリアは歯噛みしながら怒りを押さえ込む。
リーナの我侭さや気性の荒さ、そして容赦なさはフィリアも良く知るところだ。ハーデード山脈での行動はそれを顕著に示していた。
そんな性格に加えて、限定的とは言え絶対的な権力を手にしている今のリーナの神経を迂闊に逆撫ですることは、それこそ殺害という選択肢を提供する
ようなものだ。同じパーティーの人間だろうが何だろうが、その気になれば殺人など何ら躊躇しない。そのこともフィリアは良く知っているから、大人しく
するしかない。
フィリアを沈黙させたリーナは、視線を本に戻す。クリスは空になったグラスになみなみとカーム酒を注ぐ。この部屋ではごく当たり前にもなった午前の
ひと時が、フィリアにだけは強い焦燥感と危機感を募らせるものとなって流れていく・・・。
「これはどうですか?」
「これもなかなか・・・。胸のワンポイントが良いね。」
アレンとルイが居る場所は、意外にも服飾店。ルイに似合う服が売ってるか見てみようか、とアレンが持ちかけたことがきっかけだ。
自分に似合う服を見繕ってもらえるというのだから、ルイが拒否したりする筈がない。1つ返事でルイが了承したことで服飾店に足を向けたというわけだ。
最初はアレンがルイに似合いそうな服、具体的には明るい色のワンピースやブラウスといったものを見ていたのだが、やがてルイがアレンの服を探すようにも
なった。
客はやはりと言おうか、オーディション本選出場者が必要な時以外は外に出ない傾向が強いせいもあって、アレンとルイしか居ない。
アレンは服薬によって身体は女になっているし、声も女性らしく高めに変化している。だが、顔形にはまったく変化がない。そのアレンに、ルイは男性向けの
服を見せたりしている。一見アレンの正体を暴露するような行動だが、店員は大して疑問視しない。
当初はどうして男性向けの服を選ぶのかと少し首を傾げたが、客の嗜好に口出しするほど店員は馬鹿ではない。それに男性向けの服は女性が着ても、
逆の事例ほど大きな違和感を生じない。アレンのように髪が短いとむしろ男性向けの方が似合うこともある。身体が男の時にも、男性向けの服を着ていて
尚「可愛い」ともてはやされた経験を持つアレンだ。身体が女になっている今はある意味無理がないとも言える。
ルイが自分に女性向けの服を合わせないことが、自分を変わらず男性として見てくれている、とアレンの好印象を増している。
アレンにとって屈辱的なことは、男性らしくあろうとして剣を振るったり勇ましく活躍したりしても「可愛い」とアイドル視されることだ。ましてやこのホテルに
入るまで、薬で身体が女になれるようになったことで散々、パーティーの女性陣の玩具にされた苦い経験をする羽目になったのだ。身体が女になっている
今でもルイが自分に男性として接することが、劣等感に苛まれ続けてきたアレンにとって嬉しくない筈がない。
「アレンさんは、シンプルなものが好きなんですね。」
「元々服装に気を配る方じゃないし、剣を使って先制攻撃っていう戦闘スタイルだから、動きやすさ第一で服を選ぶんだよ。だから飾りとかがついたものは
ちょっとね・・・。」
「剣を振るう時に襟元や袖口でひらひらされたんじゃ、邪魔になるだけですよね。」
服選びとして何ら違和感がないアレンとルイの談笑の様子を見て、店員は随分仲の良い出場者と護衛だな、という印象を持つ。
オーディション本選出場者が雇う護衛は、金次第で動くという非常にドライな思考を持つ傭兵や、武術の腕を磨くことで貴族や大商人など富裕層の専属
ボディガードを目指す武術家が殆どだ。仮に友人に剣士や武術家が居ても、道中の危険に晒したくないなどの理由で護衛にすることはまずない。
クリスがルイの護衛となったのは、自分がルイにオーディションの予選に出るよう強く勧めた以上はその安全を保障するのが当然だ、という強く篤い友情と
責任感に基づくとは言え非常に稀有な例である。
そのルイと親友の間柄にあるクリスはファッションに敏感だが、クリスが選ぶ服はポロシャツやズボンなど、武術家としての動きを阻害しないものだ。
ルイに服を合わせる際に渋るルイにミニスカートを半ば強引に進めたクリスは、ミニスカートをはじめスカートを着ない。「邪魔だから」というのが理由である。
丈が長いフレアスカートは論外だが、ミニスカート、特にタイトスカートは着ない。「ハイキックを繰り出すのに邪魔だから」というのがその理由。その一方、
蹴りを放つ時に下着が見えかねないことに関しては気にしていない。見た次の瞬間に相手をノックアウトする自信があるからだ。
上も目立つものでワイシャツ程度。戦闘の結果ボタンが弾けてもまったく気にしない。裁縫も得意なルイが直すし、胸元を見た次の瞬間に倒せる自信が
あるのもある。
女性としての恥じらいといったものがかなり欠落しているクリスに対し、ルイが選ぶ服はワンピースやブラウス、フレアスカートなどいたって女性的だ。
ルイの肌の色を考えて、アレンはベージュや白など明るい色を中心に服を選ぶ。褐色の肌と対照的に服が映える。更にクリスが我がことのように自慢する
スタイルの良さもあって、ルイに選ばれる服はどれも魅力的な印象を抱かせるには十分だ。
「この白のブラウス、ルイさんに似合いそうだね。袖口と襟元の刺繍がお洒落だし。」
「刺繍の色が服と同じで、綺麗ですけど控えめで、上品ですね。」
「ルイさんのイメージにぴったりだと思うんだけど、どう?」
「アレンさんにそう言ってもらえると嬉しいです。」
屈託のない笑顔を浮かべるルイに、アレンの心は益々引き寄せられる。
ルイはリルバン家に関すること以外では隠し事や裏表がない。意中の相手であるアレンに称賛されて率直に喜びを表現する。
フィリアが見たら激怒するのは間違いないアレンとルイの服選びは、いたって和やかに繰り広げられる・・・。
暫しの服選びの後それぞれが最も気に入った服を1点ずつ購入したアレンとルイは、昼食に向かった喫茶店で向かい合って座る。
丁度昼食時ということや、これまで自室で3食を作っていたため更に顔を合わせる機会がなかった他のオーディション本選出場者と護衛の姿もちらほら
見られる。もっとも、入賞ともなればモデルや女優、そして貴族子息との結婚といった華やかな道が開けるオーディション本選に臨む出場者と、金で雇われて
護衛するだけの関係でしかない他の出場者と護衛の間には殆ど会話はない。ましてや、オーディション本選出場者同士の交流など存在しない。
そんな緊迫感と見えない敵対心が交錯する店内で、食事をしながら談笑するアレンとルイは非常に浮いて見える。
談笑と言っても甲高い笑い声を上げたり、畳み掛けるように言葉が連続するわけではない。ゆったりしたリズムで言葉が交わされる、穏やかなものだ。
毎年この期間に見られる重く張り詰めた空気の中に突如現れた親しげな雰囲気に、店員達も安らぎやほのぼの感を感じる。
運ばれてきた食事を口に運びながら、アレンとルイは主に料理の話をする。
元々娯楽が少ないこの世界。その上アレンとルイはそれぞれの故郷でも、カジノや飲酒とは無縁の生活を送っていた。カジノに出向く気もない2人に共通する
話題と言えば、ライフワークの一部でもあり、趣味の一環ともなっている料理。出された料理の食材や味付けを推理したり、自分が作るならこうする、と
いった話は、2人なら十分盛り上がれる。
流石に幼い頃から包丁を握り、味付けを体感してきただけあって、アレンとルイの推理や提案は厨房に居る料理人が冷や汗を流すほど的確だ。
出場者はまだしも、傭兵や富裕層の専属ボディガードを目指す武術家が雇われるのが普通の護衛が料理の話をするのは、極めて特異な事例ではある。
しかし、客が来たと思えば張り詰めた空気が横たわるこの期間の食事時に内心嫌気が差していた店員達には、アレンとルイの作り出す雰囲気はありがたい
くらいだ。
「教会では全員揃って食べてたの?」
「原則はそうですが、職務の関係で−例えば国の中央教会に移動要請許可申請書を作成するといった場合のように、食事時間に教会にある食堂に行けない
人も居ます。教会内に居る場合は下働きの人が居室まで運んで、職務通達で不在の場合は戻ってから食べられるように保存されるんです。」
「ということは、村の彼方此方から教会の依頼があったルイさんは、食事は教会の食堂でゆっくり、ってわけにはなかなかいかなかったんだね。」
「中央教会の祭祀部長に就任してからは、特にそういう場合が多いですね。出来るだけ同じ時間帯には同じ地域を回れるようにスケジュールを調整
するんですが、教会は人々が神の教えを自宅で学ぶ機会ですから、特に指名を受けた場合はこの時間はこの地域に居るから出向けない、という理由で拒否
出来ませんから。」
若干14歳にして司教補昇格と同時に村の中央教会の祭祀部長に就任したルイには、教会の依頼が殺到していたと容易に推測出来る。前にクリスから
聞いているが、当事者の話は過密と言えるスケジュールで村を駆け回っていた様子を想像させるに十分だ。
「村って結構広いんじゃない?農業と牧畜が主産業だそうだし。」
「広いですね。郊外は一面畑や牧草地で、その中に家が点在するという風景です。」
「前にクリスから聞いたんだけど、昼間はドルゴを使えないんだよね?教会人事服務規則の関係で。」
「はい。心身鍛錬の一環という位置づけで歩くことを推奨されていますから。」
「確か村の教会の管轄は中央教会を除くと、東と西の2つなんだよね?」
「はい。」
「単に東西2つだけって言っても村が広いから、場合によっては村の端から端まで歩くってこともあったんじゃない?」
「ありました。でも、歩くことも修行の一環ですし、教会で指名されることはそれだけ信頼が向けられているということでもありますから、光栄なことです。」
教会で指名を受けられるのは、祭祀部の常任委員以上。その祭祀部は冠婚葬祭は元より、人々に神の教えを説くという重要な部署でもある。
その部署の頂点でもあり、将来の村の中央教会総長候補と目されているルイは、それこそ教会のために1日中村の隅々まで歩き回っていたと推測出来る。
しかし、自分への指名を信頼の証と受け止め、率先して足を運んでいたルイに、溢れんばかりの聖職者としての使命感が感じられる。
「本当にルイさんは、聖職者の鏡だね。」
「ありがとうございます。」
感嘆を交えたアレンの称賛に、ルイははにかんだ笑顔を浮かべる。何度も贈られた称賛の言葉だが、特別に意識する相手であるアレンからのそれは、
ルイにとって金のモールも及ばない価値あるものだ。
「女性の聖職者は人気が高いって聞いてたけど、働き者のルイさんの毎日を見ている村の人達がルイさんに注目するのは当然だよね。」
「注目・・・されてはいました。教会の指名も非常に多かったですし。」
ルイの口調が若干沈む。名誉ある地位を獲得したことで、それまで自分と母ローズを散々罵り、蔑んでいた人々の態度が完全に一変したことが胸に
引っかかっているからだ。未婚の男性やその親の、自分との結婚願望を幾度も耳にしたが、それがルイに恋愛への関心を抱かせるに至らなかった大きな要因
でもある。
二等三等貴族などもこぞって自分を教会に指名し、その際に多額の寄付が舞い込んだが、教会に赴いた際のもてなしぶりは「へりくだる」という表現そのもの
だった。人は全て神の子である、というキャミール教の教えが骨身に染み込んでいるルイには、自分の地位や立場の変化で態度を180度変えた人々の姿勢に
違和感や聖職者の職務に時折根本的な疑問を抱かせるものでもあった。
キャミール教の教えを説くことやキャミール教の信仰が形式的なものに陥ってはいないか、と。
決して自分の境遇を嘆いたりしなかった母の背中に聖職者としてあるべき姿を見出し、聖職者の理想像を追い求めてきたルイならではの葛藤だ。
「そんなルイさんには、これから生きる方向を存分に模索して欲しいし、これからの人生を生きたいように生きて欲しいな。」
アレンの言葉で、口調と連動して少し沈んでいたルイの視線が直ぐにアレンに向けられる。
「今までルイさんは、俺が想像も出来ないような厳しい時代を懸命に歯を食い縛って生き抜いてきた。そして、一人前の聖職者として名誉と地位を確立した。
聖職者の仕事を否定するつもりはまったくないけど、ルイさんは聖職者としてもう十分働いてきたと思うんだ。だからオーディション本選が終わってからは、
聖職者以外の道も選択肢に入れて良いと思うし、それを選んだからといって誰も咎めたりする権利はないと思う。ルイさんの人生はルイさんのものだから。」
「アレンさん・・・。」
「その邪魔をするのは絶対に許さない。邪魔しようとする手は俺の剣で叩き斬るから。」
「・・・はい。」
改めて自分に言い聞かせるのも兼ねたアレンの強い決意表明に、ルイは心が奥底から感動で打ち震えるのを感じる。
自分の立場の変遷で態度を一変させた村の人間と違い、一貫した態度を示すアレンはルイにとって新鮮で印象深く、何より深い安心感を抱かせる。
オーディション本選を終えたら聖職者ではなく1人の女性として自分の気持ちを伝えたい。ルイは改めて強くそう思う・・・。
昼食を済ませたアレンとルイは続いて図書館へ赴いて、ランディブルド王国の全容を記した地図を基にルイがフィルの町とヘブル村の距離や隣国
シェンデラルド王国とウッディプール王国との位置関係をアレンに教えたり、
「教書」別冊30)を基に神が世界や人間を創造する過程を同じくルイが話したり、
世界地図を基にアレンがレクス王国からランディブルド王国にたどり着くまでの道のりを語ったりして、互いの知識や経験を共有しあった。
飛行機など概念すらなく、海を渡る手段と言えば殆どの場合船しかないこの世界では、アレンとルイが生まれ育った場所は遠い異国の地そのものだ。
それを教え合うということは遠い国に住む人間の出逢いという奇跡的確率の出来事を再確認するものでもあり、その確率で互いに惹かれ合っている現況に、
文字どおり奇跡を感じるものでもある。
図書館で長い時間を過ごしたアレンとルイは、ランディブルド王国全域の特産品を集めた雑貨店で地域の特色を見て感じ、目に留まった木彫りの髪飾りを
アレンがルイにプレゼントして、ルイはその場で頭の右側に飾りつけて見せた。緻密な彫刻が施された羽根を象った髪飾りは、木が持つ温かみも相俟って、
ルイの清楚で気品のある美しさを更に引き立てるものとなった。
続いて赴いたのはトレーニングルーム。明日が全ての策略と戦力がぶつかる総力戦でもあることは忘れていないし、忘れてはならないことだ。
付け焼刃的な感は否めないが何もしないよりはまし。アレンは腕力を鍛える鉄アレイを持っての肘の屈伸運動に続け、腕力と胸の筋肉を同時に強化する
ベンチプレス、アレンの攻撃力の要の1つでもある瞬発力の基となる膝の強化のための、バーベルを両肩に抱えてのスクワットなど、出来ることを全て行った。
デートとはおよそ縁遠いものだが、その重要性が自分に大いに関係するものだと分かっているルイはアレンのトレーニングを見守り、一旦終了したところで
直ぐにヒールを非詠唱で発動させてアレンの肉体疲労を回復し、アレンのトレーニングを間接的に支援した。
肉体疲労の回復に要する時間が、ルイのヒールのおかげで大幅に短縮されたことで、アレンはトレーニングに専念出来た。
存分に汗を流した後は、レストランに赴いて夕食。やや混み合っているが相変わらず一触即発の空気の中で、アレンとルイは話に花を咲かせた。
何時以来かの、準備や後片付けが不要な夕食を食しながらの話は、それぞれが思い描く将来像が中心となった。
アレンは敬遠してきた魔法を習得すると共に、筋力と瞬発力を強化して誰からも信頼される強い魔道剣士になること。
ルイは人を助け、守るという信条を深めてより高度な魔法を使えるように称号を上げ、聖職者の頂点である
教皇31)を目指すこと。
教皇になることは決してランディブルド王国の国家体制により深く関与する立場を目指すためではなく、自己鍛錬の結果として得られる無名の勲章、と
補足した。
生きることを放棄しても、暴力と報復の嵐に身を投じても何ら不思議ではなかった時代を生き抜き、村の誰もが認め、平伏するだけの存在となったルイなら、
聖職者の頂点に到達することは決して夢物語ではない、とアレンは言い、ルイは心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
日々の生活の中で聖職者としての職務や信仰のあり方に疑問を感じることも時折あったルイだが、黙して背中を見せたキャミール教徒の模範でもあった
母の遺志を受け継ぎ、自分が信じた信仰の道を迷わず進もうと思うようになっていた。それがひいては、信仰に限らず人間が行動するための原動力でもある
「自分への信頼」を強め、周囲に惑わされずに信仰を貫くことに繋がる、とも思い始めていた。
ルイに欠けていたものは「自分への信頼」だ。不遇極まりない生い立ちがあってのこととは言え、「自分への信頼」がないと自分の行動ばかりか自分の存在に
まで疑問を抱くことにもなる。それが進行すると自己否定に陥り、最悪の結末として衝動的な破壊行動に走る。自分に向けられた場合は自傷行為や自殺で、
他者に向けられた場合は傷害や殺人である。
これまで聖職者として実績や地位を押し上げることで存在感を増してはきたが、それは必ずしもルイの「自分への信頼」、言い換えれば自己肯定感を
確立することには結びつかなかった。聖職者の職務に勤しみ、信仰に徹するが故に直面するキャミール教の教えと現実の深い矛盾に、信仰を第一義的位置
づけとしてきたルイは聖職者としてのあり方のみならず、聖職者である自分自身にまで懐疑心を抱くことにもなっていた。
アレンとの交流で聖職者としてだけでなく、女性としてのものの見方や考え方が出来るようになったことで、視野が多角的になり、結果として「聖職者である
以前に自分は1人の人間であり、1人の女性である」という、本来得ているべきだった自己認識を得るに至った。
それが得られただけでも、ルイにとってアレンとの出逢いは意義があったと言えよう。
デザートも含めた−自分達が作るのではないデザートが食べられるとは思わなかったとアレンが言って2人で笑った−夕食を済ませた後は、1階の
ラウンジへ。
トレーニングをしたい気持ちはあるが、食後の運動は消化不良を起こしたりするから良くない、とクリスから言われているし、無理をして当日動けなくなっては
笑い話にもならないから、残りの時間はラウンジで寛ぐことにしたのだ。
いよいよ明日がオーディション本選。リルバン家次期当主の座を手中にするために、ホークが顧問に依頼して会場を襲撃させるのは確実と言って良い。
相手が目指すは勿論、現当主フォンの唯一の実子であり、その物的証拠も携えているルイの抹殺。それを何としてでも防ぐのが自分の役目。
ホークと顧問の汚れた野望の手を完全にルイから切り離し、ルイにこれからの人生の行く先を十分に考えて欲しいとアレンは願わずには居られない。
もう1つ、忘れてはいない約束がある。オーディション本選が終わってから、ルイが聞いてもらいたいという話を聞くこと。それが何であるかは、恋愛ごとに
とことん鈍いアレンでも分かる。だが、先立ってその話を今、この場で聞くつもりはない。
ルイに纏わりつく黒い翳をなぎ払い、ルイの安全を100ピセル保障するのが先決。そうでなければ何も解決しない。問題を解決してから、オーディションとか
正規の聖職者とか誰それの護衛とか、そういった肩書きを一切外して、純粋に1人の男性として1人の女性からの話を聞く。
それがけじめだとアレンは思っている。
人気のない、ランプだけが静かに存在感を囁くラウンジ。そこでアレンとルイはソファに座って向かい合い、見詰め合う。
何を言うまでもない。互いの想いは既に分かっている。ならば、その想いを何の邪魔も入れさせずに伝え、聞くのみ。
振り返ってみればあっという間だった、2人きりの時間も残すところあと僅か。その次は自分達次第で決まる。ルイと交わした約束を守るには、ルイを
何としても守ることが絶対条件だ。そのためには父から譲り受けた剣も、全身も鮮血で染めることも厭わない。アレンは決戦に向けて決意を新たにすべく、
目を閉じて一度深くゆっくり息を吸い込んで吐く。ルイは無言で見守る。
少しの沈黙の後アレンは目を開け、静かに立ち上がる。ルイもそれに続く。
2人はどちらが言い出すまでもなく、部屋に向かう。ルイは明日に向けて十分睡眠をとり、アレンはリルバン家に潜入中のイアソンと最後の情報交換を行う。
敵も明日に向けて息を潜めているかもしれない。だが、何か動きがあったかもしれない。それはイアソンから聞かないことには分からない。出来る限りのこと、
考えられる全てのことを行って、万全の体制で明日に臨む。それが、圧倒的に不利な状況に置かれるアレンに出来る唯一且つ重要なことだ。
警備の兵士が点在する、ランプが明るく照らす廊下を並んで歩いていき、アレンとルイは部屋の前に到着する。部屋のドアの鍵は開けておく、とリーナが
言っている。アレンは一応ノックしてから静かにドアを開ける。
「何やぁ、帰ってきたんか。」
2人を迎える第一声は、呑んではいるが素面の時と変わらない口調でのクリスのものだ。アレンはルイを中に入れて、ドアの鍵を掛ける。
「このまま朝まで帰ってこぉへんのと違うか、て言うとったんやけど、リーナが言うたとおり、風呂入る時間までには帰ってきたなぁ。」
「明日はオーディション本選だってことくらい、分かってるよ。」
「朝帰りしようにも、他に泊まる場所あらへんもんなぁ。」
「何言ってんだよ。」
からかい調子一辺倒のクリス。どうやら先走った展開を思い描いていたらしい。リーナは相変わらず素知らぬ様子で本を読んでいる。
クリスの冷やかしで頬を赤らめたアレンの目に、ふとフィリアが映る。その瞬間、アレンの顔から血の気が失せる。
両肘を膝につけた、前に屈み気味の姿勢で視線だけアレンとルイに向けているフィリアは、砕けるほど強く歯を軋ませている。鋭利な刃物としか喩えようの
ない視線は、アレンとルイの双方に向けられている。憤怒と嫉妬が燃え滾(たぎ)る黒い炎が見えるような気がしてならない。
あまりの恐怖に、アレンは視線を逸らして逃げるように台所へ向かう。
一方のルイは勿論フィリアの視線に、嫉妬をはるかに通り越して殺意に変貌していると言っても過言ではない気持ちを感じるが、動じることはない。
幼い頃に散々侮蔑と敵視やそれを含んだ視線に晒され、理不尽な攻撃を受けたルイは、そういった面ではアレンよりはるかに耐久力が高い。
オーディション本選以上に激しい視線の衝突と爆発が炸裂する不穏な空気の中、クリスは酒を飲み、リーナは本を読む。この2人の度胸強さも相当のものだ。
様々な思いが交錯する夜はゆっくりと更けていく。気を取り直したアレンは、イアソンとの最後の情報交換を行うべく、耳から送信機を外す・・・。
用語解説 −Explanation of terms−
28)礼服でも・・・:治癒や支援、防御を中心とする衛魔術を使用出来る聖職者の礼服以上の服装には、それぞれの段階に応じた防御効果を生む製造方法に
加え、聖職者による防御魔法が施されている。儀装や正装ともなると、市販の武器くらいなら防御魔法なしで完全に遮断出来る防御力を有する。
29)とっちゃあ:「とっては」と同じ。方言の1つ。
30)「教書」別冊:「教書」は神の教えを列挙したものであるのに対し、別冊は我々の世界で言う旧約聖書のように天地創造や人間の創造など、神の行動が
時系列で記されている。「マデン書」に代表される外伝は、「教書」や別冊とは完全に切り離されている。
31)教皇:キャミール教における聖職者の称号の最高位。性質上、攻撃を主体とする力魔術を使用出来る魔術師の頂点であるWizardと対極に位置すると
言える。聖職者の称号上昇が魔術師より遅いこともあって、教皇に昇格出来る聖職者は非常に少なく、ランディブルド王国などキャミール教の影響が強い
国家ではWizard以上に尊敬を集める存在でもある。