「私の母が昨年病気で死んだのは前にもお話したとおりです。母が倒れてからは私の居室に運んでもらって12)、職務の合間など出来る限り付き添って
いました。母を診察してくださった村の医療助手の方から、末期の癌でもう手の施しようがないと聞かされていましたし、教会の人々や村の人々からも
職務を休んで母の傍に居るよう進言されましたが、村の中央教会の祭祀部長就任直後からその職務を後回しにしてずっと母の傍に付き添うというのは職務
放棄ですし、母はそれを望んでいなかったと思ってのことです。」
「・・・。」
「母の生命の灯火が日を追う毎に急速に弱まっていく中、母が倒れて3日目の夜に、母は私に自分と私の2人きりにして欲しい、と依頼しました。その日私の
居室には祭祀部常任委員の方が1人、母を診察してくださった医療助手の方が1人、そしてクリスが居ました。クリスは母が倒れて以来私の居室で寝泊りして、
私が職務で不在の時には母に付き添ってくれて、食事を運んできて一緒に食べてくれました。私まで倒れたら母を心配させてしまう、と言って。」
「・・・。」
「居室で2人きりになった母は、私の出生の秘密を話してくれました。何故母が輸送用の馬車に紛れてこの村に入ったのか。何故母が戸籍上死んだことに
なっていたのか。」
「・・・母は、リルバン家の使用人だったんです。」
「使用人だったの?リルバン家の。」
「はい。」
「母はその時、現当主フォン氏と恋に落ちました。しかし、母とフォン当主の交際がリルバン家全体に広がり、強硬派の筆頭格だった先代のリルバン家当主の
激しい怒りを買いました。そこでフォン当主は母をリルバン家から密かに脱出させると共に、死亡として役所に届けるという対策を執ったんです。」
「じゃあルイさんのお母さんが戸籍上死んだことになっていたのは、フォン当主が先代当主の怒りの矛先を引っ込ませるためだったってこと?」
「言及はありませんでしたが、母を戸籍上死んだことにしてリルバン家から脱出させた理由は、そうとしか考えられません。」
「それじゃフォン当主は、次期当主の継承権獲得とルイさんのお母さんを引き換えにしたようなもんじゃないか・・・!」
「母を脱出させる際、フォン当主は私が填めている指輪、つまりフォン当主が母に贈った指輪がリルバン家に関係するものだから手放さないように、と言った
そうです。その指輪は何れ自分がリルバン家当主になった時、母を妻として迎えるために必要な何よりの物的証拠だとして・・・。」
「次期当主継承権欲しさにルイさんのお母さんを追い出して、その上戸籍上死んだことにしておいて、当主になった時のために指輪を手放すな、なんて
無責任そのものじゃないか・・・!それより、ルイさんのお母さんを先代当主の怒りから守るのが、本来執るべき対策じゃないか・・・!」
「母は・・・、この指輪を私に託しました。もし私がフォン当主と会う時があったら、この指輪を届けて欲しい。せめてこの指輪だけでも貴方の傍に戻りたい、と
言って・・・。それが・・・、母の最期の言葉になりました。」
「・・・母は最期の瞬間まで、一言もフォン当主への恨み言を口にしませんでした。貴方は紛れもなく私とフォン当主の子ども。フォン当主と愛し合った結果、
神から授かったこの上ない宝物。・・・そう言いました。」
「・・・。」
「母は本当に、心からフォン当主を愛していたんです。そしてフォン当主との間に生まれた私にフォン当主から贈られた指輪を託すことで、自分の遺志を
フォン当主に伝えて欲しいと願って居たんです。私は母の遺志を黙殺したくありませんが・・・、どうしてもフォン当主が、そして私自身が許せないんです。」
「どうしてルイさん自身も許せないの?」
「キャミール教の重要な教えは、人を愛し、許すことです。その教えを守り、人々に語り伝えることが聖職者の使命です。なのに、村の中央教会祭祀部長という
要職にありながらその教えを遵守出来ない。フォン当主を許すことが出来ない。聖職者としてあるまじき矛盾を抱えるそんな自分がどうしても・・・
許せないんです。」
「・・・ルイさんがオーディション本選に出場することを決めたのは、フォン当主に会ってその指輪を渡すためだったんだね?」
「はい。」
「フォン当主に会って指輪を渡した後、どうするの?」
「指輪だけ渡して村に戻るつもりでした。アレンさんと出逢うまでは。」
「オーディション本選が終わったら、リーナさんの護衛でもあるアレンさんはこの町に留まる理由がなくなります。私もフォン当主に指輪を渡せばこの町での
目的は達成したことになります。でも、その後どうすれば良いのか、心の整理が出来ないで居ます。」
「ルイさん・・・。」
「オーディション本選の終わりで、全てが終わるとは思いたくないんです。私はこれから何処へ行くべきか、どう生きていくか・・・。まだ心の整理が
出来ないんです。」
「ルイさんに纏わり付くものを全部片付けてから、ゆっくり考えれば良いと思うよ。そのために俺は・・・ルイさんを守るから。」
『アレン。聞こえるか?』
アレンの耳にイアソンの声が流れ込んでくる。アレンは少し名残惜しいものを感じながらルイの手を離し、送信機を耳から外して口元に持っていく。「うん、聞こえるよ。イアソン。」
『まず、そっちはどうだ?』
「・・・ついさっき彼女が、ルイさんが全て話してくれた。どうしてルイさんのお母さんが輸送用の馬車に紛れて村に入ったのか。どうしてルイさんのお母さんが
戸籍上死んだことになっていたのか。そしてルイさんがリルバン家とどういう関係があるのか。全部分かったよ・・・。」
『話してくれ。』
「−以上が、ルイさんから聞いた話全部だよ。イアソンの仮説どおりだったんだ・・・。」
『そうか・・・。彼女がアレンに話さなかったのは、この国で役人以上の社会的地位を持つ正規の聖職者としての責任感と、彼女が職務としている信仰と自分の
感情が矛盾していることをアレンに知られることで、アレンが彼女を見る目が変わるんじゃないかと恐れていたからのようだな・・・。当たって欲しい予想は
当たらなくて、当たらないで欲しい予想は当たっちまう・・・。皮肉な法則だと改めて思う。』
『だが、彼女が全ての真相を話してくれたことで、彼女を狙っているのは現時点で次期当主継承候補第1位のフォン当主の実弟ホーク氏だということ。
正体がザギ若しくはその衛士(センチネル)だと断定出来る顧問がホーク氏を支援していること。これらの謎と繋がりの全容が明らかになったわけだ。彼女には
感謝しないとな。』
「イアソンの方は何か掴めたのか?」
『今のところ表立った動きはない。やはり彼女が護衛から離されてステージに立つオーディション本選会場に総攻撃を仕掛けて、確実に彼女を抹殺する
つもりだろう。フォン氏の唯一の実子である彼女を抹殺すれば、次期当主は諮らずともホーク氏にせざるを得なくなる。ホーク氏が顧問の肩入れで彼女の
抹殺に血道を上げているのは、莫大な資産と絶大な権限を持つ一等貴族の次期当主という座を手中にするため。そしてフォン氏がホーク氏を次期当主と
して指名していないのは、オーディション本選終了後にでも彼女と接触して、実子としてリルバン家に迎え入れると共に次期当主に指名するため。仮説の
とおりに考えると全てつじつまが合う。』
「ルイさんをオーディションの予選に出場させるよう、ルイさんの故郷のヘブル村に差出人不明の封書で申し込んだのも、フォン当主なのか?」
『書類の出所を書庫で調べてみたんだが、それらしい記載は今のところ見つかってない。だが、フォン当主が直接間接は別として、彼女をオーディションに
出場させることで彼女がこの町に来易い環境を整備した可能性は高い。正規の聖職者である彼女を同じ正規の聖職者ではない一等貴族の当主が招聘
するのは困難だ。かと言って人事に教会人事監査委員会の監査を必要とするとは言え、決定そのものは自分達で行えるという自決権を有する教会に圧力を
掛けて、聖職者を異動させることは厳重な処罰の対象とされると法律に定められている。教会関係者の場合は賢者の石と称号剥奪の上、終身牢獄での
生活となるし、圧力を掛けた側は全ての権限や財産を剥奪されてやはり終身牢獄暮らしと相成る。その上彼女は、村への愛着が非常に強くて、エリート
コース邁進が約束されているこの町の地区教会への異動要請も断り続けている。となれば、彼女をこの町に自然な形で招聘する合法且つ最も適切な
手段は、未婚ということ以外は出場資格において職業や身分などが不問で、各町村の人口に応じて定められた定数枠に入れば無条件で本選が開催される
この町に来ることが出来るオーディションに出場させること。そう考えたんだろう。』
「それで、今まで散々辛酸を舐めさせられたルイさんへの償いになるとでも思ってるのか・・・!」
『その辺の意図は当事者と直接面会して尋問出来ないから分からない。だが、意図はどうであれ、フォン氏は彼女をリルバン家に迎え入れると同時に次期
当主に指名する意向だろうし、次期当主継承権が現時点で第1位のホーク氏は、次期当主継承権を確実に得るために何としても彼女を抹殺しようと企んで
いる。一等貴族の後継者争いに彼女がその意思とは無関係に巻き込まれちまったのは間違いない。』
『ホーク氏は過去に2度、そっちのホテルに入った彼女に刺客を差し向けて抹殺を図ったが、全て失敗に終わってフォン氏の怒りを買って警備班班長を解任
された上に別館に軟禁された。オーディション本選終了後に司法委員会に掛ける方針なのも、それを聞いた使用人達が一様に最低でもホーク氏のリルバン家
からの永久追放が避けられないという認識で一致しているのも、フォン氏が当主就任以前にリルバン家の使用人だった彼女の母親と愛し合っていたことが
知れ渡っているからで、恐らく彼女の母親が脱出させられたことも、そして彼女の母親が彼女を身篭っていたことも公然の秘密となっているんだろう。
ただ、使用人という立場上、表立って口にすることは出来ない。発覚すれば解雇どころか、内部事情を漏洩したとして処刑されかねないからな。』
「そんなに当主の座が欲しいのか・・・!この国に派遣された天使に付き添わされた従教徒の末裔だっていう一等貴族の看板なんて、そんな汚い手段で
守られてるのか・・・!」
『たとえ理不尽でも、事実は事実。問題はそれを真正面から受け止めて出来うる限りの対策を執ることだ。今回で言えば、ホーク氏とその顧問の魔の手から
彼女を完全に解放して今後の身の安全を100ピセル保障すること。アレンの気持ちは分かるつもりだが、今は彼女の身の安全を保障することに専念しよう。』
「分かった。・・・悪い、イアソン。感情が先に出てしまって・・・。」
『否。アレンが彼女を想う気持ちがそれだけ強いってことが改めてよく分かった。その想いを彼女の安全を保障するためのエネルギーに変換すれば良い。』
『オーディション本選当日の警備や、アレンも含む護衛が何処に配置されるかといった詳細を今探ってる。ドルフィン殿とシーナさんが当日会場で警備を
するし、アレンは俺が探った情報を元に彼女を守る策を講じてくれ。オーディション本選まで彼女に危害が及ぶ可能性は低いがゼロとは言い切れない。
アレンは彼女から絶対に離れないようにするんだ。あのザギやその衛士(センチネル)が絡んでるんだ。オーディション本選まで大丈夫、と高を括らせておいて
ホテル内で不意打ちしてくる、裏の裏をかく策を講じていても何ら不思議じゃないからな。』
「分かった。イアソンもよろしく頼む。」
『了解。』
「・・・ありがとう、ルイさん。話してくれて。」
アレンはルイに静かに語りかける。「ルイさんにとって、過去を話すことは凄く辛かった筈だし、話を聞いた俺がルイさんを聖職者として言ってることと実際が違う、と思うのが怖かったんだね。
でも、俺はルイさんを少しも嫌いになってない。それに、ルイさんが聖職者としてのあり方っていうのか、そういうものに矛盾を感じてることは、無責任に
聞こえるかもしれないけど、気にしなくて良いと思う。」
「アレンさん・・・。」
「だって、ルイさんも俺と同じ生身の人間だから。」
「人間は喜怒哀楽の感情を持ってるんだ。ルイさんが正規の聖職者なら誰でも羨むような異動要請を全部断ってでも一緒に居ることを選んだのはお母さんの
ためなんだし、聖職者としてあるべき姿を説いて見せてきたお母さんの不遇を悲しむのは当然だよ。それに、それだけ大事にしていたお母さんに死刑より
残酷な仕打ちを味わわせたフォン当主に怒りを感じるのも当然だよ。キャミール教では人を愛して許すことが重要だっていうけど、それが何時でも、自分が
どんな状況でも出来るなら、後継者の座が欲しいあまり自分の姪でも殺そうとしたりしない。ルイさんはお母さんを心から慕ってたんだから、そんなお母さんに
地獄の境遇を味わわせた男を許せないと思っても、少しもおかしくなんかない。俺はルイさんのような真面目な聖職者じゃないし、元々信仰心がルイさんから
見れば朝靄(あさもや)みたいに薄いものだろうけど、ルイさんの気持ちはごく自然なものだと思うし、それを信仰を理由に無理矢理抑え込むのは身体にも
心にも良くないよ。」
「・・・。」
「ルイさんの生まれ方や民族の違いや、ルイさんが聖職者として今抱えている苦悩とかを全て知るのは難しいと思う。だけど、分かろうと思ってる。それで
ルイさんの悲しみや辛さが少しでも楽になるなら、俺はそうしたいんだ。」
「アレンさん・・・。」
「・・・少し、外を見に行かない?」
アレンは話を持ちかける。少しでもルイの気分転換になれば、と思ってのことだ。「こんな大きい町でも、昼間の賑わいとは大違いだね。」
「本当にそうですね。町全体が寝静まっている・・・。」
「・・・オーディション本選が終わったら、ルイさんと昼間の通りを歩いてみたいな。」
「私もです。・・・出来れば・・・ずっと・・・。」
「アレンさんに・・・、1つお願いしたいことがあるんです。」
少しの沈黙の後、アレンの肩に凭れ掛かっていたルイが、頭の角度はそのままにアレンの方を向いて言う。「俺に出来ることなら、言って。」
「アレンさんにしか出来ない、して欲しくないことです。」
「オーディションというしがらみがなくなった後、・・・アレンさんに・・・聞いて欲しいことがあるんです。1人の女性として、1人の男性に聞いて欲しいことが。」
「聞かせてもらうよ。必ず。ルイさんを守って、ルイさんに纏わり付く醜い翳を全て取り払って、ルイさんがこれからの人生を考えることに専念出来るように
して、ね。」
オーディション本選が終わったら、2人でこの町を歩いて回りたい。
オーディション本選出場者や護衛といった看板なしに、純粋に1人の男性(女性)として、彼女と(彼と)一緒に過ごす時間を楽しみたい。
「フォン様からご依頼を戴いておりました、前回の王国議会における銀商業品品質基準法改正案並びに国境警備強化対策法案の質疑応答内容を整理
いたしました。」
「うむ。何時も迅速な上に的確な資料作成には感謝している。」
「いえ。我が国において重要な位置づけであられる一等貴族の筆頭執事として、当然の職務でございます。」
「重要な位置づけ、か・・・。」
「フォン様の前回議会における現実打開に即応する意見陳述には、銀商業品品質基準法改正案をフォン様と共同提案されたポイゴーン家当主ラミル様は
元より、他の一等貴族当主の皆様や議会議員の大勢を法案可決に向けて大きく前進させました。ラミル様他、教会輩出の議員諸氏からも多数の感謝が
寄せられております。」
「私は一等貴族当主として、この国を支える国民の生活や安全を守ることを重視せねばならない。民なくして国王陛下一族も貴族も生活出来ぬのだからな。」
「・・・オーディション本選が間近に迫ってまいりましたが、現在のところホーク様並びに顧問様には何ら動きはありません。」
ロムノは声量を落としてフォンに現状報告をする。部屋が静かなだけに小声でも十分聞こえる。「町全体を巡回中の兵士やホテル警備を行っている兵士にも動きはありません。ホーク様と顧問様は、オーディション本選に的を絞っていると考えて間違い
ないと思われます。現実問題として、対象者がホテル滞在中に再び危険に晒されることになれば、それまで警備班班長であられたホーク様に疑惑が
及ぶのは必至。ホーク様は護衛や警備の兵士が対象者から距離を置かれるオーディション本選、特に本選会場のステージに総攻撃を仕掛けてくると
考えられます。」
「そうだろうな。ホークがあの顧問の入れ知恵を受けているのは間違いない。更にこれまでロムノが把握した数々の水面下の動きも、あの顧問や配下の者共が
一斉に動いてのことに他なるまい。そうでなければ、ロムノの指摘のように水面下で並行して幾つもの動きを展開させることは出来まい。」
「仰るとおりでございます。」
「警備班班長は昨年までの警備体制を変更するつもりはないと聞いたし、事実昨年までその警備で何ら問題はなかった・・・。警備班班長を動かすには
それなりの事実提示が必要だ。しかし、ことがこと故オーディション本選が終わるまでは口外出来ぬ・・・。」
「ホーク様や顧問様も、フォン様の現在の立場を逆手にとっていると考えるのが自然かと思います。もっともホーク様がそれだけの手腕や策略を発揮出来る
とは考えられません。やはり顧問様が主導権を握っており、ホーク様は顧問様の力を借りていると思っておられるだけで、現実には顧問様がホーク様を利用
しているものかと。」
「・・・元を辿れば全て過去に我が身が振り撒いた芽。しかしそれを自ら刈り取ることが出来ぬこの無力。・・・やはり私は何も変わっては居らぬな・・・。」
「フォン様が苦渋の末に選択されたこと。以前にも申し上げましたが、あの時代ではやむを得なかったのです。どうかお気に病まれませぬよう。」
「うむ・・・。」
「ロムノ。引き続きホークと顧問、そして周辺の動向の調査を継続してくれ。奴等のことだ。目的のためとあらば手段を選ぶようなことはするまい。」
「承知いたしました。」