Saint Guardians

Scene 8 Act 2-1 決戦-Decisive battle- 想う心と守る決意と−後編−

written by Moonstone

「私の母が昨年病気で死んだのは前にもお話したとおりです。母が倒れてからは私の居室に運んでもらって12)、職務の合間など出来る限り付き添って
いました。母を診察してくださった村の医療助手の方から、末期の癌でもう手の施しようがないと聞かされていましたし、教会の人々や村の人々からも
職務を休んで母の傍に居るよう進言されましたが、村の中央教会の祭祀部長就任直後からその職務を後回しにしてずっと母の傍に付き添うというのは職務
放棄ですし、母はそれを望んでいなかったと思ってのことです。」
「・・・。」
「母の生命の灯火が日を追う毎に急速に弱まっていく中、母が倒れて3日目の夜に、母は私に自分と私の2人きりにして欲しい、と依頼しました。その日私の
居室には祭祀部常任委員の方が1人、母を診察してくださった医療助手の方が1人、そしてクリスが居ました。クリスは母が倒れて以来私の居室で寝泊りして、
私が職務で不在の時には母に付き添ってくれて、食事を運んできて一緒に食べてくれました。私まで倒れたら母を心配させてしまう、と言って。」
「・・・。」
「居室で2人きりになった母は、私の出生の秘密を話してくれました。何故母が輸送用の馬車に紛れてこの村に入ったのか。何故母が戸籍上死んだことに
なっていたのか。」

 沈んだ口調で母ローズが倒れてからの事態の推移を話したルイの口が閉ざされる。その唇は、悲しみが声になって外に出るのを塞いでいるように見える。
アレンが見守る中、少しの沈黙を挟んでルイが再び話し始める。

「・・・母は、リルバン家の使用人だったんです。」
「使用人だったの?リルバン家の。」
「はい。」

 驚きのあまり聞き返したアレンに、ルイは短く答える。

「母はその時、現当主フォン氏と恋に落ちました。しかし、母とフォン当主の交際がリルバン家全体に広がり、強硬派の筆頭格だった先代のリルバン家当主の
激しい怒りを買いました。そこでフォン当主は母をリルバン家から密かに脱出させると共に、死亡として役所に届けるという対策を執ったんです。」
「じゃあルイさんのお母さんが戸籍上死んだことになっていたのは、フォン当主が先代当主の怒りの矛先を引っ込ませるためだったってこと?」
「言及はありませんでしたが、母を戸籍上死んだことにしてリルバン家から脱出させた理由は、そうとしか考えられません。」
「それじゃフォン当主は、次期当主の継承権獲得とルイさんのお母さんを引き換えにしたようなもんじゃないか・・・!」

 アレンの心の中で、フォンに対する怒りの炎が急速に高まり、唸りを上げる。
愛し合っていながら強硬派でその名を馳せた先代当主の怒りを買ったことを理由にルイの母をリルバン家から脱出させ、しかも戸籍上死んだこととしたと
いうのは、それこそ先代当主の怒りを鎮め、次期当主継承権を確実に得たいがためだったと考えるに十分な材料だ。
 脱出させるだけならまだしも戸籍上死んだことにするというのは、戸籍制度が頑強なランディブルド王国では生きていながら死んだとされる境遇に結びつく。
結果ルイの母ローズのみならず、その娘ルイが「死んでいる人間から生まれた子ども」と激しく攻撃される環境を構築したのだ。
アレンから見れば、フォンの行為は愛と次期当主継承権を天秤に掛け、後者を得るために愛と共に愛する相手を社会的に抹殺したという、許し難いもので
しかない。

「母を脱出させる際、フォン当主は私が填めている指輪、つまりフォン当主が母に贈った指輪がリルバン家に関係するものだから手放さないように、と言った
そうです。その指輪は何れ自分がリルバン家当主になった時、母を妻として迎えるために必要な何よりの物的証拠だとして・・・。」
「次期当主継承権欲しさにルイさんのお母さんを追い出して、その上戸籍上死んだことにしておいて、当主になった時のために指輪を手放すな、なんて
無責任そのものじゃないか・・・!それより、ルイさんのお母さんを先代当主の怒りから守るのが、本来執るべき対策じゃないか・・・!」

 フォンの自己保身と次期当主への執着は、アレンの中で揺らめく怒りの炎に油となって注ぎ込まれる。
自分がリルバン家当主になったら妻として迎える、と言っても先代は考え方が自分と同じフォンの実弟ホークを次期当主にする意向だったというし、それを
フォンが知らない筈がない。にもかかわらず当主になったら、という実現しそうにない前提条件を提示して指輪を手放さないように言うなど、無責任そのもの
としか思えない。

「母は・・・、この指輪を私に託しました。もし私がフォン当主と会う時があったら、この指輪を届けて欲しい。せめてこの指輪だけでも貴方の傍に戻りたい、と
言って・・・。それが・・・、母の最期の言葉になりました。」

 今にも涙が溢れ出しそうな大きな瞳を下に向けてのルイの証言は、アレンが抑えられる怒りの許容量を大きく超え、深夜という時間と寝静まっている
リーナ達を起こさないようにという状況とで辛うじて踏みとどまらせるのが精一杯とする内容だ。
そこまでして次期当主継承権が欲しかったのか。次期当主継承権は愛する相手を社会的に抹殺してでも得なければならないものなのか。
自問する毎にアレンの怒りの炎の勢いが増していく。この場にフォンが居れば、即座に腰の剣を抜いて一刀両断にするだろうとアレンは思う。
 ルイは外していたダイヤの乗った台座を指輪に戻し、右手人差し指に戻す。泣き出すのを懸命に堪えていることは、きゅっと閉じて小刻みに震える瞼と
唇、それに連動する全身の震えから痛いほどアレンに伝わる。

「・・・母は最期の瞬間まで、一言もフォン当主への恨み言を口にしませんでした。貴方は紛れもなく私とフォン当主の子ども。フォン当主と愛し合った結果、
神から授かったこの上ない宝物。・・・そう言いました。」
「・・・。」
「母は本当に、心からフォン当主を愛していたんです。そしてフォン当主との間に生まれた私にフォン当主から贈られた指輪を託すことで、自分の遺志を
フォン当主に伝えて欲しいと願って居たんです。私は母の遺志を黙殺したくありませんが・・・、どうしてもフォン当主が、そして私自身が許せないんです。」
「どうしてルイさん自身も許せないの?」
「キャミール教の重要な教えは、人を愛し、許すことです。その教えを守り、人々に語り伝えることが聖職者の使命です。なのに、村の中央教会祭祀部長という
要職にありながらその教えを遵守出来ない。フォン当主を許すことが出来ない。聖職者としてあるまじき矛盾を抱えるそんな自分がどうしても・・・
許せないんです。」

 ルイはそう言って再び瞼と唇を閉ざして俯く。膝の上の両手は硬く握られ、全身と同じく小刻みに振動している。最愛の母を失った悲しみ。その母に辛く
残酷な仕打ちを齎したフォンへの怒り。それらを懸命に抑え込んでいるのが、痛々しいほどに伝わってくる。
 ルイがこれまで自分の過去を語らなかったのは、それを口にすることで母ローズから伝え聞いた話から知ったローズのフォンへの愛とそれに応えなかった
ばかりか次期当主継承権欲しさにそれを踏み躙ったフォンへの怒りが噴出し、それがキャミール教が説く聖職者のあり方と矛盾することに耐えられなかった
からであると同時に、そんな未熟な聖職者の姿をアレンに見せたくなかったからなのだ。聖職者としてキャミール教の教えを説きながら、それに背く感情を
抱く自分を見られることで、言うことと考えていることが違う、などとアレンが自分を見る目が変わるのを恐れていたからなのだ。
 アレンはルイの肩をそっと抱く。慰めの言葉はどう捜しても見つからない。ならばせめて悲しみと怒りに打ち震えるルイの傍に居よう。アレンはそう思う。
 時がゆっくりと流れ、悲しみと怒りをどうにか抑え込んだのか、ルイが顔を上げる。激しく揺れる心を鎮めようと、遅い周期で深呼吸を繰り返す。
何度か深呼吸を繰り返したルイは、深い溜息を一つ吐いてから閉じていた目を開ける。その瞳からは何時溢れ出してもおかしくないほど涙が溜まっている。
ルイの心に築かれた悲しみと怒りの水位ギリギリの堤防を破壊しないように、アレンは静かに尋ねる。

「・・・ルイさんがオーディション本選に出場することを決めたのは、フォン当主に会ってその指輪を渡すためだったんだね?」
「はい。」
「フォン当主に会って指輪を渡した後、どうするの?」
「指輪だけ渡して村に戻るつもりでした。アレンさんと出逢うまでは。」

 ルイはアレンの方を向く。切なげなその表情は、アレンの視線と心を釘付けにする。

「オーディション本選が終わったら、リーナさんの護衛でもあるアレンさんはこの町に留まる理由がなくなります。私もフォン当主に指輪を渡せばこの町での
目的は達成したことになります。でも、その後どうすれば良いのか、心の整理が出来ないで居ます。」
「ルイさん・・・。」
「オーディション本選の終わりで、全てが終わるとは思いたくないんです。私はこれから何処へ行くべきか、どう生きていくか・・・。まだ心の整理が
出来ないんです。」
「ルイさんに纏わり付くものを全部片付けてから、ゆっくり考えれば良いと思うよ。そのために俺は・・・ルイさんを守るから。」

 アレンとルイはどちらからともなく手を取り合う。手から感じる互いの温もりに、アレンとルイの相手への想いは更に強く、大きくなる。何としてもルイを守ろうと
アレンは決意を更に強くし、しがらみがなくなったらアレンに自分の気持ちを伝えようとルイは固く心に決める。

『アレン。聞こえるか?』

 アレンの耳にイアソンの声が流れ込んでくる。アレンは少し名残惜しいものを感じながらルイの手を離し、送信機を耳から外して口元に持っていく。

「うん、聞こえるよ。イアソン。」
『まず、そっちはどうだ?』
「・・・ついさっき彼女が、ルイさんが全て話してくれた。どうしてルイさんのお母さんが輸送用の馬車に紛れて村に入ったのか。どうしてルイさんのお母さんが
戸籍上死んだことになっていたのか。そしてルイさんがリルバン家とどういう関係があるのか。全部分かったよ・・・。」
『話してくれ。』

 イアソンの要望を受け、アレンはルイから伝え聞いた話をそのままイアソンに伝える。聞いたことをそのまま話すだけでもアレンの心が痛む。それを経験した
ルイの心の痛みはどれほどのものかと思うと、アレンの心の痛みが更に強まる。

「−以上が、ルイさんから聞いた話全部だよ。イアソンの仮説どおりだったんだ・・・。」
『そうか・・・。彼女がアレンに話さなかったのは、この国で役人以上の社会的地位を持つ正規の聖職者としての責任感と、彼女が職務としている信仰と自分の
感情が矛盾していることをアレンに知られることで、アレンが彼女を見る目が変わるんじゃないかと恐れていたからのようだな・・・。当たって欲しい予想は
当たらなくて、当たらないで欲しい予想は当たっちまう・・・。皮肉な法則だと改めて思う。』

 イアソンは小さい溜息を吐く。

『だが、彼女が全ての真相を話してくれたことで、彼女を狙っているのは現時点で次期当主継承候補第1位のフォン当主の実弟ホーク氏だということ。
正体がザギ若しくはその衛士(センチネル)だと断定出来る顧問がホーク氏を支援していること。これらの謎と繋がりの全容が明らかになったわけだ。彼女には
感謝しないとな。』
「イアソンの方は何か掴めたのか?」
『今のところ表立った動きはない。やはり彼女が護衛から離されてステージに立つオーディション本選会場に総攻撃を仕掛けて、確実に彼女を抹殺する
つもりだろう。フォン氏の唯一の実子である彼女を抹殺すれば、次期当主は諮らずともホーク氏にせざるを得なくなる。ホーク氏が顧問の肩入れで彼女の
抹殺に血道を上げているのは、莫大な資産と絶大な権限を持つ一等貴族の次期当主という座を手中にするため。そしてフォン氏がホーク氏を次期当主と
して指名していないのは、オーディション本選終了後にでも彼女と接触して、実子としてリルバン家に迎え入れると共に次期当主に指名するため。仮説の
とおりに考えると全てつじつまが合う。』
「ルイさんをオーディションの予選に出場させるよう、ルイさんの故郷のヘブル村に差出人不明の封書で申し込んだのも、フォン当主なのか?」
『書類の出所を書庫で調べてみたんだが、それらしい記載は今のところ見つかってない。だが、フォン当主が直接間接は別として、彼女をオーディションに
出場させることで彼女がこの町に来易い環境を整備した可能性は高い。正規の聖職者である彼女を同じ正規の聖職者ではない一等貴族の当主が招聘
するのは困難だ。かと言って人事に教会人事監査委員会の監査を必要とするとは言え、決定そのものは自分達で行えるという自決権を有する教会に圧力を
掛けて、聖職者を異動させることは厳重な処罰の対象とされると法律に定められている。教会関係者の場合は賢者の石と称号剥奪の上、終身牢獄での
生活となるし、圧力を掛けた側は全ての権限や財産を剥奪されてやはり終身牢獄暮らしと相成る。その上彼女は、村への愛着が非常に強くて、エリート
コース邁進が約束されているこの町の地区教会への異動要請も断り続けている。となれば、彼女をこの町に自然な形で招聘する合法且つ最も適切な
手段は、未婚ということ以外は出場資格において職業や身分などが不問で、各町村の人口に応じて定められた定数枠に入れば無条件で本選が開催される
この町に来ることが出来るオーディションに出場させること。そう考えたんだろう。』
「それで、今まで散々辛酸を舐めさせられたルイさんへの償いになるとでも思ってるのか・・・!」
『その辺の意図は当事者と直接面会して尋問出来ないから分からない。だが、意図はどうであれ、フォン氏は彼女をリルバン家に迎え入れると同時に次期
当主に指名する意向だろうし、次期当主継承権が現時点で第1位のホーク氏は、次期当主継承権を確実に得るために何としても彼女を抹殺しようと企んで
いる。一等貴族の後継者争いに彼女がその意思とは無関係に巻き込まれちまったのは間違いない。』

 アレンは、これまで経験したことがない激しい怒りの炎に胸が焼き焦がされるのを感じる。
愛し合っていながらその相手を次期当主継承権獲得を優先するためリルバン家から脱出させ、戸籍上死んだことにしたフォン。次期当主継承権を
得るために、不幸なことこの上ない過去を背負いながら懸命に今を生きるルイを抹殺せんと血眼になっているホーク。
実の兄弟でありながら、そして実の叔父と姪という関係でありながら、自分の思惑で1人の人生を翻弄し続けているフォンとホークが、アレンは絶対に
許せない。

『ホーク氏は過去に2度、そっちのホテルに入った彼女に刺客を差し向けて抹殺を図ったが、全て失敗に終わってフォン氏の怒りを買って警備班班長を解任
された上に別館に軟禁された。オーディション本選終了後に司法委員会に掛ける方針なのも、それを聞いた使用人達が一様に最低でもホーク氏のリルバン家
からの永久追放が避けられないという認識で一致しているのも、フォン氏が当主就任以前にリルバン家の使用人だった彼女の母親と愛し合っていたことが
知れ渡っているからで、恐らく彼女の母親が脱出させられたことも、そして彼女の母親が彼女を身篭っていたことも公然の秘密となっているんだろう。
ただ、使用人という立場上、表立って口にすることは出来ない。発覚すれば解雇どころか、内部事情を漏洩したとして処刑されかねないからな。』
「そんなに当主の座が欲しいのか・・・!この国に派遣された天使に付き添わされた従教徒の末裔だっていう一等貴族の看板なんて、そんな汚い手段で
守られてるのか・・・!」
『たとえ理不尽でも、事実は事実。問題はそれを真正面から受け止めて出来うる限りの対策を執ることだ。今回で言えば、ホーク氏とその顧問の魔の手から
彼女を完全に解放して今後の身の安全を100ピセル保障すること。アレンの気持ちは分かるつもりだが、今は彼女の身の安全を保障することに専念しよう。』
「分かった。・・・悪い、イアソン。感情が先に出てしまって・・・。」
『否。アレンが彼女を想う気持ちがそれだけ強いってことが改めてよく分かった。その想いを彼女の安全を保障するためのエネルギーに変換すれば良い。』

 感情が先走ったアレンをイアソンはあえて諌めず、諭して事態打開へ向かうよう促す。

『オーディション本選当日の警備や、アレンも含む護衛が何処に配置されるかといった詳細を今探ってる。ドルフィン殿とシーナさんが当日会場で警備を
するし、アレンは俺が探った情報を元に彼女を守る策を講じてくれ。オーディション本選まで彼女に危害が及ぶ可能性は低いがゼロとは言い切れない。
アレンは彼女から絶対に離れないようにするんだ。あのザギやその衛士(センチネル)が絡んでるんだ。オーディション本選まで大丈夫、と高を括らせておいて
ホテル内で不意打ちしてくる、裏の裏をかく策を講じていても何ら不思議じゃないからな。』
「分かった。イアソンもよろしく頼む。」
『了解。』

 イアソンとの通信を終了したアレンは、送信機を耳に戻す。
イアソンが提示した仮説は、幾つもの状況証拠から正解に限りなく近いところまで達していた。しかし、状況証拠だけではどうしても後一歩が足りなかった。
今日ルイが、物的証拠として目星をつけていた指輪に自分と母ローズとリルバン家現当主フォンとの明確な繋がりがあることを見せ、過去を話したことで
仮説は正解の域に達し、ルイが執拗に命を狙われる真相が明らかになった。
 壮絶の一言では表現しきれない過去を話すことは、ルイにとって自らの心の古傷を抉るということより、人を愛し許すことを教義とする宗教への信仰を
職務とする自分の心の矛盾がアレンに知られることで、言行不一致などとアレンが自分を見る目が変わるのを恐れていたことや、アレンに隠し事をしている
ことの後ろめたさといったものの方がはるかに大きいものだったことも分かった。
 母が死の間際に託したという指輪を、母の意思を受けて父親であるフォンに手渡すことで、ルイがこの町に来た目的は達成される。そのためにはやはり、
フォンの実子であるルイがリルバン家に迎えられて次期当主に指名されることを阻止せんと釈迦力になっているホークとその顧問の魔の手を完全に
断ち切り、ルイの今後の安全を100ピセル保障することが何より重要だ。そのためにはザギが狙う「7つの武器」の1つでもあるという剣を抜き、ルイに襲い
掛かる魔の手を寸断することを躊躇うわけにはいかない。

「・・・ありがとう、ルイさん。話してくれて。」

 アレンはルイに静かに語りかける。

「ルイさんにとって、過去を話すことは凄く辛かった筈だし、話を聞いた俺がルイさんを聖職者として言ってることと実際が違う、と思うのが怖かったんだね。
でも、俺はルイさんを少しも嫌いになってない。それに、ルイさんが聖職者としてのあり方っていうのか、そういうものに矛盾を感じてることは、無責任に
聞こえるかもしれないけど、気にしなくて良いと思う。」
「アレンさん・・・。」
「だって、ルイさんも俺と同じ生身の人間だから。」

 アレンの言葉がルイの心に一気に深く染み透り、ルイは涙が溜まる瞳を大きく見開く。

「人間は喜怒哀楽の感情を持ってるんだ。ルイさんが正規の聖職者なら誰でも羨むような異動要請を全部断ってでも一緒に居ることを選んだのはお母さんの
ためなんだし、聖職者としてあるべき姿を説いて見せてきたお母さんの不遇を悲しむのは当然だよ。それに、それだけ大事にしていたお母さんに死刑より
残酷な仕打ちを味わわせたフォン当主に怒りを感じるのも当然だよ。キャミール教では人を愛して許すことが重要だっていうけど、それが何時でも、自分が
どんな状況でも出来るなら、後継者の座が欲しいあまり自分の姪でも殺そうとしたりしない。ルイさんはお母さんを心から慕ってたんだから、そんなお母さんに
地獄の境遇を味わわせた男を許せないと思っても、少しもおかしくなんかない。俺はルイさんのような真面目な聖職者じゃないし、元々信仰心がルイさんから
見れば朝靄(あさもや)みたいに薄いものだろうけど、ルイさんの気持ちはごく自然なものだと思うし、それを信仰を理由に無理矢理抑え込むのは身体にも
心にも良くないよ。」
「・・・。」
「ルイさんの生まれ方や民族の違いや、ルイさんが聖職者として今抱えている苦悩とかを全て知るのは難しいと思う。だけど、分かろうと思ってる。それで
ルイさんの悲しみや辛さが少しでも楽になるなら、俺はそうしたいんだ。」
「アレンさん・・・。」

 感極まったルイの瞳から大粒の涙が零れ出して頬を伝う。せめて声を出すまいとルイは口を手で塞いで俯く。
アレンがそっと肩を抱くと、ルイはアレンに身を委ね、アレンの肩に額をつける。微かに漏れる嗚咽と震える身体を、アレンは黙って聞いて見詰める。
気の利いた慰めの言葉は見つからない。ならばせめて、感情をようやく吐き出せたルイの傍に居よう。やりきれなさやもどかしさを感じながら、アレンは
自分の肩に額をつけて声を忍ばせて泣くルイを見守り続ける。

 ランプが照らす台所からの嗚咽が、次第に数を減らしていく。
アレンの肩に額をつけていたルイが、悲哀を表す身体の震えを少し残しつつもゆっくりと顔を上げる。浅黒い頬に光る2つの光り輝く筋。その源泉となった
2つの大きな瞳は充血して真っ赤に染まっている。アレンは指でルイの涙の跡を拭う。涙の跡を消しても、泣き腫らしたルイの顔はあまりにも痛々しい。

「・・・少し、外を見に行かない?」

 アレンは話を持ちかける。少しでもルイの気分転換になれば、と思ってのことだ。
ルイは小さく頷く。アレンはルイと共に席を立ち、ランプを消して台所を出る。
 明かり一つない部屋は闇一色だ。ネオンなどは勿論街灯もないこの世界において、夜はランプの明かりが頼り。それがなければ多少の濃淡を加えた
闇一色となる。時折クリスが寝言を言う中、アレンとルイは音を立てないように窓際へ向かう。
 アレンはカーテンを少し開ける。外の景色も闇一色で、夜景でロマンチックなひと時などとお世辞にも言えるものではない。だが、人間の手による光が
ない分、空に輝く無数の星が描く夜空の風景は絶品だ。大きく輝くものから控えめに輝くものまで、色も様々な星が煌いている。

「こんな大きい町でも、昼間の賑わいとは大違いだね。」
「本当にそうですね。町全体が寝静まっている・・・。」
「・・・オーディション本選が終わったら、ルイさんと昼間の通りを歩いてみたいな。」
「私もです。・・・出来れば・・・ずっと・・・。」

 婉曲的にデートを申し込むアレンの言葉に対するルイの言葉の後半は、元々の無声音に音量を絞ったことで小さな虫の羽音のようになる。だが、静まり
返った部屋で至近距離に居るアレンの耳には届いた。
ルイの意志を改めて知ったアレンは、そっとルイの肩に手を伸ばし、軽く抱く。ルイは何ら抗うことなく、アレンの肩に頭を乗せる。
 今のアレンの身体は薬を服用していないため本来の姿である男のものだが、ルイと殆ど身長差がない。少女的な顔つきと共にこれまでアレンの劣等感の
原因となって、リーナの護衛という口実で散々玩具にされたことで男としての自信を喪失しかけていたアレンを初めて立派な1人の男性だと思っていると
明言し、1人の男性として意識しているとも言ったのはルイだ。身長や顔つきに関係なく自分を1人の男性と認めてくれているルイを、アレンは好意以上の
感情を向ける1人の女性として更に強く意識する。

「アレンさんに・・・、1つお願いしたいことがあるんです。」

 少しの沈黙の後、アレンの肩に凭れ掛かっていたルイが、頭の角度はそのままにアレンの方を向いて言う。

「俺に出来ることなら、言って。」
「アレンさんにしか出来ない、して欲しくないことです。」

 ルイはアレンの肩から頭を起こし、窓と並行になる形でアレンに顔だけでなく全身を向ける。アレンはルイの肩から手を離してルイと向かい合う。
2人の距離は互いの顔しか見えないほど近い。そして2人の意識も向き合う相手だけに向いている。

「オーディションというしがらみがなくなった後、・・・アレンさんに・・・聞いて欲しいことがあるんです。1人の女性として、1人の男性に聞いて欲しいことが。」
「聞かせてもらうよ。必ず。ルイさんを守って、ルイさんに纏わり付く醜い翳を全て取り払って、ルイさんがこれからの人生を考えることに専念出来るように
して、ね。」

 アレンはルイを抱き寄せる。抱き寄せられたルイは少し驚いたように目を見開くが、直ぐに心地良さや安堵感を表す表情へと変わり、目を閉じる。
アレンの背中にルイの腕が回り、ルイはアレンに身を委ねる。ルイが自ら密着してきたことで、愛しさが更に増したアレンはルイを強く抱き締める。
身長差が殆どないためルイの顔はアレンの肩より上に出る。胸に顔を埋めるという構図ではないが、アレンの存在を間近に感じられることにルイは安らぎを
感じる。

 厳しい修行と理不尽な攻撃に耐え、村の教会役職の中で中央教会の総長と肩を並べる知名度や人望を得たものの、耳に入る男性の自分との結婚願望は
村屈指の著名人となった自分と結婚することによる箔付けを狙ってのことだと感じていた。かつて自分を苛め、罵っていた男性達まで態度を一変させたことが
証拠の1つだ。
だから男性との交際を考えることはなかった。興味を抱くこともなかった。ただ母の遺志を受け継ぎ、聖職者としてあるべき道を邁進することに没頭してきた。
 だが、親友のクリスの強い勧めに押し切られる形で出場したオーディションの予選で勝利し、滞在場所であるこの町のホテルで出逢ったアレンは、他の
男性とは違った。
薬品の効果が切れて男性に戻ったアレンの顔形に思わず目を奪われた。肌の白さと艶やかな髪が羨ましく、触り触れるうちに引き込まれていった。
その夜、自分の助けを求める叫びを聞いてアレンは部屋に突入して危機を払い除け、続いて自分を狙った凶刃から身を挺して助けてくれた。
民族の違いや肌の色など本人の内面とは関係ない。それらを口実にして人を差別する方が悪魔の祝福を受けている。アレンはそう断言した。
アレンもまた、自分と同じく劣等感を抱いていた。それはやはり自分と同じく生き続けて来たことで重みを増していたものだった。
だが、自分にとってアレンは間違いなく1人の男性であり、この男性とずっと一緒に居たいと迷わず、しかも即決とも言える速さで決意させる温かい心の
持ち主だった。
リルバン家のお家騒動に巻き込まれた自分を何としても守る、と目の前で宣言してくれたこの男性のお荷物になりたくない。アレンの生命に危機が迫ったら、
今度は自分が喜んで盾となる。アレンの温もりを感じながらルイは強く決意する。
 アレンは自分に好意以上の感情を示し、自分を男性として認め、意識してくれているルイが愛しくてならない。
同年代の男性が歳を重ねる毎に身長を伸ばす一方、自分は声変わりこそしたものの同年代の女性を辛うじて上回る程度にしか身長が伸びないで居た。
ドローチュアでしか顔を知らない母サリアの生き写しと客観的にも判断出来るその顔立ちは、女性からもてはやされる格好の材料となった。
しかし、もてはやされるといってもそれは男性としてではなく、アイドル視してのこと。どんなに剣を振るって活躍しても男性として扱われず、逆に「可愛い剣士」
などとアイドル視されることに拍車を掛ける結果になるばかりだった。
どれだけ「男」を目指しても空振りに終わり、リーナの護衛となったために着せ替え人形のように扱われる羽目になり、誰も自分を男性として認めてくれないと
落胆していた。
 だが、不本意な容姿で潜り込んだこのホテルで出逢ったルイは、自分を1人の男性として認めてくれている。自分を頼ってくれても居る。
当初は熱烈な求愛の意思表示に戸惑いもした。想いを向けることを自ら諦めようとした。しかし、日を重ねるうちに、ルイと言葉と心を交わすうちに、
ルイの想いを真正面から受け止め、その意志に応えたいと強く思うようになった。
再びルイに狂気の刃を向けてくるのなら、父から譲り受けた「7つの武器」の1つであるというこの剣を、否、全身を鮮血で染めることも厭(いと)わない。
ルイの温もりと独特の弾力を感じながら、アレンは固く決意する。

オーディション本選が終わったら、2人でこの町を歩いて回りたい。
オーディション本選出場者や護衛といった看板なしに、純粋に1人の男性(女性)として、彼女と(彼と)一緒に過ごす時間を楽しみたい。

 口にこそ出さないものの同じ願いを強めるアレンとルイは、静かな闇の一角で強く抱き合う・・・。
 同じ頃、イアソンが潜入しているリルバン家の執務室にはまだランプが灯っていた。
現当主であるフォンが、黙々と机に向かって書類にペンを走らせている。自身が中央実行委員長であるオーディション本選が間近な上、王国議会で審議中の
法案の次回審議に向けて論点整理や意見陳述の準備が重なっているため、こうして連日多忙な毎日を送っている。
 ドアがノックされる。フォンがどうぞ、と応対すると、失礼します、と言ってフォンの側近中の側近である筆頭執事ロムノが入室する。ロムノはフォンの
机に向かい、恭(うやうや)しく一礼してから脇に抱えていた書類を「未処理」のラベルが貼られた箱に入れる。

「フォン様からご依頼を戴いておりました、前回の王国議会における銀商業品品質基準法改正案並びに国境警備強化対策法案の質疑応答内容を整理
いたしました。」
「うむ。何時も迅速な上に的確な資料作成には感謝している。」
「いえ。我が国において重要な位置づけであられる一等貴族の筆頭執事として、当然の職務でございます。」
「重要な位置づけ、か・・・。」
「フォン様の前回議会における現実打開に即応する意見陳述には、銀商業品品質基準法改正案をフォン様と共同提案されたポイゴーン家当主ラミル様は
元より、他の一等貴族当主の皆様や議会議員の大勢を法案可決に向けて大きく前進させました。ラミル様他、教会輩出の議員諸氏からも多数の感謝が
寄せられております。」
「私は一等貴族当主として、この国を支える国民の生活や安全を守ることを重視せねばならない。民なくして国王陛下一族も貴族も生活出来ぬのだからな。」

 フォンは書類に走らせていたペンをペン立てに入れ、顔を上げて溜息を吐く。

「・・・オーディション本選が間近に迫ってまいりましたが、現在のところホーク様並びに顧問様には何ら動きはありません。」

 ロムノは声量を落としてフォンに現状報告をする。部屋が静かなだけに小声でも十分聞こえる。

「町全体を巡回中の兵士やホテル警備を行っている兵士にも動きはありません。ホーク様と顧問様は、オーディション本選に的を絞っていると考えて間違い
ないと思われます。現実問題として、対象者がホテル滞在中に再び危険に晒されることになれば、それまで警備班班長であられたホーク様に疑惑が
及ぶのは必至。ホーク様は護衛や警備の兵士が対象者から距離を置かれるオーディション本選、特に本選会場のステージに総攻撃を仕掛けてくると
考えられます。」
「そうだろうな。ホークがあの顧問の入れ知恵を受けているのは間違いない。更にこれまでロムノが把握した数々の水面下の動きも、あの顧問や配下の者共が
一斉に動いてのことに他なるまい。そうでなければ、ロムノの指摘のように水面下で並行して幾つもの動きを展開させることは出来まい。」
「仰るとおりでございます。」
「警備班班長は昨年までの警備体制を変更するつもりはないと聞いたし、事実昨年までその警備で何ら問題はなかった・・・。警備班班長を動かすには
それなりの事実提示が必要だ。しかし、ことがこと故オーディション本選が終わるまでは口外出来ぬ・・・。」
「ホーク様や顧問様も、フォン様の現在の立場を逆手にとっていると考えるのが自然かと思います。もっともホーク様がそれだけの手腕や策略を発揮出来る
とは考えられません。やはり顧問様が主導権を握っており、ホーク様は顧問様の力を借りていると思っておられるだけで、現実には顧問様がホーク様を利用
しているものかと。」
「・・・元を辿れば全て過去に我が身が振り撒いた芽。しかしそれを自ら刈り取ることが出来ぬこの無力。・・・やはり私は何も変わっては居らぬな・・・。」
「フォン様が苦渋の末に選択されたこと。以前にも申し上げましたが、あの時代ではやむを得なかったのです。どうかお気に病まれませぬよう。」
「うむ・・・。」

 フォンは苦悩と悲しみが混在した表情で溜息を吐く。そして机の脇に置かれたドローチュア立てを見やる。その瞳は悲哀に満ちている。
少しドローチュアを見詰めた後、フォンはロムノに向き直る。その表情からは悲哀などは消え、由緒正しい一等貴族当主としての威厳や風格に溢れている。

「ロムノ。引き続きホークと顧問、そして周辺の動向の調査を継続してくれ。奴等のことだ。目的のためとあらば手段を選ぶようなことはするまい。」
「承知いたしました。」

 ロムノは深々と一礼して、失礼しました、と言ってから部屋を退出する。広大な執務室は再びフォン1人だけの空間となった。
フォンは深い溜息を吐いて徐に視線を上に向ける。天井を見詰める悲しみと切実さを湛えた瞳に映るものは、天井ではないようだ・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

2)母が倒れてからは・・・:ルイの母ローズのような教会の下働きは、教会の地下で集団生活をしている。下働きが正規の聖職者の居室に入ることを
許されるのは清掃や食事を運ぶ時くらいだが、ルイが14歳で司教補昇格と村の中央教会祭祀部長就任を同時に果たした逸材ということと、その実母である
ローズが末期癌で死を待つしかないと診察されたため、特別に居室に滞在することを認められたという経緯がある。


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