Saint Guardians

Scene 8 Act 2-2 決戦-Decisive battle- 真相判明後、動く者達

written by Moonstone

 シルバーカーニバルで何時も以上に賑わうフィルの町では、間近に迫ったオーディション本選に関するチラシが街頭の至るところで配布され始めた。
観光や所用のためにランディブルド王国を訪れた外国人のために、片面でオーディションの目的や過去10年間の上位入賞者13)の氏名と出身地を地図を
交えて紹介し、もう一方の片面で観光客向けに会場への略図を記載しているものもあり、市民向けにやはり過去10年間の上位入賞者の氏名と出身地の
紹介の他、今回の出場者の中から2、3名をピックアップして略歴や現況をコラム風に紹介しているものも配布されている。
そのチラシの1枚に、ルイを紹介するものがある。ルイが現役の正規の聖職者でヘブル村中央教会の祭祀部長という要職にあること、若干14歳で司教補に
昇格した全国の教会が注目する逸材であること、定数1のヘブル村予選で過去最高の得票数と得票率8割を獲得して圧勝したことなどが挙げられている。
 ルイが以前説明したように、正規の聖職者でもオーディションに出場することは何の問題もなく、現に過去にも予選出場は勿論、本選に進出した者も
数多い。ランディブルド王国の国民は、多数派のラファラ族と少数派のバライ族の両方がエルフの血を引くため男女問わず美形が多いし、とりわけ女性の
聖職者の人気は高い。非正規でもそうだから、社会的地位や名声が役人と同等以上の正規の聖職者となれば尚更注目が集まる。一村の中央教会の祭祀
部長ともなれば前評判が高まるのは必至。出場者の年齢は15歳から28歳と幅広いが、15歳のルイは最年少出場者の1人でもある。
投票権を持つ市民14)は、ルイという若い正規の聖職者に関心を寄せる。
 イアソンから、ルイの命を執拗に狙うのはやはり現時点で次期当主継承権第1位であり、フォンの実弟でもあり警備班班長でもあったホークであること、
フォンの直系傍系の家族がホーク1人しか居ないにもかかわらずフォンが次期当主としてホークを指名していないこと、それはルイがリルバン家現当主
フォンの娘であること、ルイをオーディションへ出場させることで合法的にフィルの町に呼び寄せられた可能性が高いこと、オーディション本選終了後にでも
フォンがルイと接触してリルバン家に迎えて次期当主と指名する方針だと推測されることを総合して知らされたシーナと、シーナから伝え聞いたドルフィンは
町に出て出来る限り複数の種類のチラシを入手し、ルイの略歴などを確認する。顔写真に相当するドローチュアはないが、容姿の概要の紹介もあるチラシも
あるから、アレンと事実上相思相愛になっているルイに別の観点からも関心があるのだ。

「14歳で司教補昇格、小規模とは言え一村の中央教会の祭祀部長でもある、か・・・。この国の聖職者の社会的地位を考えると、村では屈指の著名人でも
あるな。」
「そうね。彼女はこの国の少数民族で、ダークエルフの血統っていう理由で強硬派が隣国シェンデラルド王国に強制移民させようとしているバライ族の1人。
しかもお母さんが戸籍上死んだことになっていたことで凄く辛い時代を過ごしてきたけど、それを跳ね返して今の地位や名声や信頼を得たなんて、
凄いわね。」

 宿の自室でチラシを確認しているドルフィンとシーナは、まだ実際に目にしたことがないルイが絶えず辛酸を舐めさせられた時代を生き抜き、正規の
聖職者として幼い頃から厳しい修行にも耐え、現在の地位や名声や信頼を勝ち得たことに素直に感心している。
 同室で過ごしているアレンと相思相愛になっていることは、以前からアレンとの通信やイアソンの報告でも−イアソンは先にルイのことを聞いたアレンからの
情報をシーナが意図的に捻じ曲げたものを伝えられているため最初から相思相愛だと認識している−把握していたが、ただ容姿が良いだけではなく、
厳しい逆境に耐えて現在の地位を自ら勝ち取った精神力を備えていること、そしてやはりイアソンからの情報で、村屈指の存在となった今でも正規の
聖職者としての本道をひたむきに歩み、信頼や敬愛を不動のものとしていることもドルフィンとシーナは知っている。
アレンとルイが相思相愛になった理由は、アレンの少女的な顔立ちと我が身を盾としてまでルイを凶刃から守ったことと、ルイが定数1の予選で圧勝する
だけの美貌と聖職者に相応しい強く実直な心を併せ持つことが互いの気を惹いたからだろうと推測する。

 事情を知ったアレンが、ルイを何としても守る、と宣言したのも頷ける一方、リルバン家現当主フォンがルイの実父であり、ルイを抹殺しようと機会を窺って
いるのがフォンの実弟でありルイから見れば実の叔父に当たるホークだということ、そしてその背後にあのザギ若しくはその衛士(センチネル)が控えていると
いうことは、重い課題だ。
 オーディションに関するチラシを入手したり、引き続き町全域を回って聞き込みを続けてはいるが、現時点ではまだ本選当日の警備がどうなるのか判明して
いない。黒幕がザギ若しくはその衛士(センチネル)なら、配下の部隊を総動員してくる可能性も高い。そうなると、幾ら警備が厳重でも「力の聖地」とも
称されるクルーシァで訓練された兵士達では到底太刀打ち出来ないことは、やはりクルーシァに居た経験を持つドルフィンとシーナには確信と言える
レベルの予想が出来る。
 ホークは警備班班長という地位を悪用してホテル内でもルイ抹殺を試みたが全て失敗し、実兄フォンの怒りを買って警備班班長解任と別館への軟禁、
オーディション本選終了後に司法委員会にかけられるという厳しい処分を下されたから、次はあらゆる手段や戦力を動員して確実にルイ抹殺に乗り出すのは
目に見えている。
 フォンにはルイを除けばホークしか、直系傍系の存在は居ない。法律で継承権が傍系より優先と位置づけられている直系、しかも唯一の実子であるルイが
リルバン家に迎えられれば、間違いなくルイが次期当主に指名されるだろうし、そうなればホークは間接的議案提出権を行使する以外は完全に手足を
縛られ、口も塞がれる立場に追い込まれる。逆に、そのルイを抹殺されれば、フォンは一等貴族の家系を存続させるためにホークを次期当主として指名
せざるを得なくなる。
 オーディション本選会場が、ルイの今後の身の安全を保障することとホークがリルバン家次期当主の座を得る野望が正面衝突する一大決戦の場になるのは
確実だ。その対策を講じるためには、本選会場の入場条件、国民と外国人の観覧場所の相違、そして警備体制や護衛の配置などを把握することが必要
だが、チラシでは本選会場の入場条件として、まず総合受付でパーソンカードの提示を求められ、続いて投票権を持つ市民とそれ以外の市民や他町村の
国民、外国人と3つに分類されて立ち入り制限が設けられることまでしか言及されていない。
 国外からの観光客も受け入れる国全体のイベントではあるが、オーディション本選の性質上、やはり素性の保証がない外国人をあまりステージに近づけない
方針だということが分かる。観覧場所についてはどのチラシにも記載がないが、入場の手続きと分類することから、ステージから最も遠い場所になると
考えられる。所定の範囲にはそれぞれ警備の兵士が陣取り、範囲外への踏み込みを阻止する体制を敷くだと考えるのが自然だ。
更に踏み込んだ情報が欲しいのは山々だが、ドルフィンとシーナは外国人である。役所に本選会場の警備を問い合わせても門前払いにされるばかりか、何か
企んでいる、と疑いをかけられて行動を狭められたりする可能性もある。最低限本選会場に入ってルイ抹殺を目論む軍勢の迎撃準備をするためには、無用な
トラブルは避けなければならない。

「イアソン君からの情報待ち、ね。」
「そうだな。」

 ルイの人物像把握に続いて、本題であるオーディション本選会場での対策を考えていたドルフィンとシーナの間で短いやり取りが交わされる。
問題は、単にこの国で社会的地位が高い正規の聖職者の安全保障だけではない。ルイに纏わり付く黒い影があのザギ若しくはその衛士(センチネル)であると
断定出来る今、その黒い影をルイから完全に引き剥がしてアレンの父ジルムに関する情報を吐かせ、そしてザギを配下とする、クルーシァを制圧している
ガルシアを頂点とする軍勢の目的が何かを掴むという、広い展望を含んでいる問題だ。
やり直しが利かないばかりか取り返しの付かない事態を招く危険性さえあるだけに、万全の対策が求められる。
 国外からの観光客という立場から出られないドルフィンとシーナでは、情報収集や対策検討にはどうしても限度がある。やはり此処は、「敵地」に潜入して
着々と情報収集を進めて逐次報告し、必要な場合は指示を出せる情報収集能力や即応性を備えるイアソンの諜報活動と、渦中の人物であるルイと最も近い
場所に居るアレンの防衛に頼らざるを得ない部分が大きい。
 イアソンは元々反政府組織の幹部兼最前線での陣頭指揮を担ってきた実績があるし、今回も諜報活動の的確さは存分に発揮されている。
一方のアレンは「7つの武器」の1つという剣を持っているし、敏捷性や運動神経はかなり高いが、防御力、特に魔術関係が非常に低い。
予想される多数の敵に応戦するには剣だけでなく魔術の重要性や効率性が高いが、アレンが使えるのは召喚魔術だけ。しかも現在使えるのはドルフィンが
与えたドルゴとアーシル、そしてカルーダ王国のラマンで偶然入手したというオーディンのみ。
ドルゴは移動用だから論外。アーシルは魔法防御では優れているが物理防御は非常に低い。オーディンは本来強力な攻撃力を持つが、魔力が低いと
まともに使えないばかりか、魔力そのものが低いアレンが使用すると魔力の完全枯渇と生命の危機を招く。
アレンの本選会場での配置場所も重要だし、アレンが剣だけでどれだけ戦えるかという非常にリスクの大きい賭けに直面しているのが現状だ。

 だが、事情をリルバン家当主フォンに伝えて対策を講じさせるわけにはいかない。
フォンはルイの実父であり、事情でルイの母ローズをリルバン家から脱出させると共に、戸籍上死んだことにしたという複雑且つ深刻な内部事情がある。
それをリルバン家関係者でないばかりか、一介の外国人であるドルフィンとシーナがいきなり告げれば、情報源の調査に着手されるばかりか、秘匿している
筈の内部事情を知られたとして抹殺対象にされる危険性さえある。
 戦闘そのものならムラサメ・ブレードを所持し、全身が強力な武器でも防具でもあるドルフィンと、強大な魔力と魔法攻撃力を持つシーナには楽勝だ。
しかし、戦闘で問題が解決するわけではない。むしろ事態を悪化させ、次期当主の座を狙うホークやその背後に居るザギ若しくはその衛士(センチネル)に
とって好都合になりかねない。
戦闘力に限らず、力というものは使い方やその場面を見極めることが非常に難しいものである。とりわけ戦闘することを本業とする制服組や頭でっかちの
戦争好きが主導権を握るとろくなことにならないのは、我々の世界における数々の戦争、特に近代の戦争とその背景にある関係国の政治状況を調べれば
容易に分かることだ。
 ドルフィンとシーナは強大な力を得ているが、それを行使するタイミングを見極める力、言い換えれば自己制御力も兼ね備えている。そうでなければ、
「大戦」の後に悪魔が蘇った時に備えて悪魔を撃破した力を長年にわたって継承している「力の聖地」クルーシァに入国して修行を積み、それぞれ7の悪魔を
倒した武器と鎧を受け継ぐセイント・ガーディアンを師匠とするに相応しい力を得るには至れない。
ドルフィンとシーナは、刻々と近づくオーディション本選を前に多くの課題と不安を抱えながら、出来うる範囲での情報収集を進めるべく動き始める・・・。
 同じ頃、問題の核心人物の1人であるルイが居るホテルでは、リーナが図書館へ本を返却して新しいものを借りるために部屋を出ていた。それに同行
するのはフィリアとクリス。勿論今回もリーナに護衛を命じられてのことだ。
リーナが本を選ぶ間、ロビーではフィリアは余りある苛立ちと焦りを、忙しなく揺り動かす身体と際限なく床を踏み鳴らすことで明確に表現している。
 無理もない。アレンとルイが手を取り合っている現場を目の当たりにしたのだから。
ルイがアレンに想いを抱いていることなど、フィリアは勿論知っていた。アレンとルイが食事当番をすることになっても、鈍いアレンなら大丈夫だろうと高を
括っていた。だが、そのアレンとルイの挙動が明らかにおかしくなったことで、それまで揃って料理の腕が高いアレンとルイが振舞う美味い料理で
誤魔化されてきた感があったフィリアの警戒心が一気に盛り返した。
 そんな矢先にアレンとルイが手を取り合っているのを見たことで、フィリアの警戒心は最高潮に達し、嫉妬へと変貌した。幼馴染として長く一緒に居た
自分でさえ、アレンを特別な異性として意識するようになってからは手を繋げずに居た。だが、問題のルイはアレンと手を取り合っていた。ルイへの警戒心が
嫉妬へと変貌したのは、そんな単純明快な嫉妬心もあるし、自分の時には照れもあったのだろうが敬遠されていたのにルイとは手を繋いでいた、しかも
自分が居ない時だったというある種の出遅れ感も相俟ったのもある。

「フィリア。えらい落ち着かへんようやな。」
「当ったり前でしょ!」

 普段どおりの口調で声をかけたクリスに、フィリアは怒気を交えて返す。
絶対服従を何度も口にし、我侭さと気性の荒さを兼ね備え、それらを存分に発揮出来る条件を有するリーナの命令で部屋から出たが、この間当然アレンと
ルイは2人きりだ。こうして待っている間にも、ルイはアレンに次の一手を出して迫っている可能性もある。アレンがそれを拒否しないとは言い切れない。
そんな不安と焦りが、リーナの暢気な図書館通いに命令されて付き合わされたことで苛立ちを派生している。
 リーナが召喚したラーバによって全体力を吸収され、更にリーナが所有していた睡眠薬を飲まされたことで丸1日寝ていたフィリアは、目覚めて以来アレンと
ルイに釘を刺す意味も込めて鋭い視線を向け続け、特にルイには、アレンに手を出したら承知しない、と嫉妬心を剥き出しにした刺々しい視線を突き刺して
いる。
だが、アレンはまだしもルイはその視線に動じる様子を見せない。落ち着いた様子からは余裕すら感じられる。それがフィリアの燃え盛る嫉妬の炎に油を
注ぐ皮肉な結果を生んでいるのだが、場合が場合だけに致し方あるまい。

「リーナの奴、本なんてオーディション本選が終わってからでも良いでしょうに・・・!」
「薬剤師の試験て合格率低いらしいし、こういう時やから本読んで勉強したいんと違う?」
「オーディション本選が終わってから、存分に本の海に浸かって、そのまま沈んじゃえば良いのよ!」

 図書館という、我々の世界でも静粛を要求される場所であることなどお構い無しに、フィリアは感情そのものと言える荒々しい口調で言う。
他に利用者が居ないのが幸いだが−他のオーディション本選出場者は食事時以外滅多に外出しない−、フィリアの声が図書館全体に響く声量であること
には違いない。
 今にも不満を爆発させそうなフィリアの目に、本を持ったリーナが映る。
焦りと苛立ちによる険しい表情と、それらの感情を生む原因の性質もあって殺気立っているとも言えるフィリアの視線だが、リーナはまったく意に介さない。
そのままフィリアの前を通り過ぎ、カウンターで貸し出しの手続きを済ませて−部屋番号と氏名を言って貸し出しカードに記載する−フィリアとクリスのところに
来る。

「部屋に戻るわよ。」
「・・・あっそ。」
「へーい。」

 不満剥き出しで吐き捨てるフィリアと、何時もどおり何も考えて居なさそうなクリスを従えて、リーナは図書館を出る。
廊下は所々に警備の兵士が居て、偶にホテルの職員が食器などを持って−アレンとルイが食材を取り寄せているように警備の兵士を通じて軽食などを
頼んでいる者が居る−通り過ぎるくらいで殆ど人気がなく、普段なら意識しない足音が存在感を発揮出来る環境だ。

「今日は何借りたん?」
「『薬剤の調合理論』。結構試験の出題率が高いのよ。」

 クリスの問いにリーナが答える。
薬剤師の出題範囲は代表的な薬の調合過程は勿論、薬草の栽培方法や保管方法、調合の理論など多岐に及ぶ。調合理論は理論系の問題の中でも
出題率が高い。
この世界における薬は工業的な化学合成で製造するものではなく、主に乾燥させた薬草を所定の方法で調合することで生成する。薬剤師は開業して薬を
入荷・販売するだけでなく、自身で薬草を栽培・保管して調合も行うから、調合がどのように発生するかという理論を知った上で調合しないと、高価な
薬を相手の言い値で購入せざるを得ないばかりか、自分で調合しようにも薬ではなく毒を生成してしまう危険性もある。
 ご多分に漏れず理論は単調で難解でもあるが、これを理解していなければ代表的な薬の調合過程は丸暗記する他なく、少し捻った問題を出されたら
お手上げだ。難関の薬剤師試験合格を目指すリーナは、レクス王国における薬の販売・流通に大きな影響力を持つ父フィーグの後姿を見ているから、
合格への意志は固い。そのためには単調だ、難しい、などと不満を言っていられないし、言う余地などないし、そう思ったこともない。
我侭さではパーティー随一のリーナだが、目標に向けては苦労をものともしない粘り強さを併せ持つ。それがルイへの態度となって表れているのだろう。
 最近は随分丸くなってきているとは言え、他人に対して概して激しい疑念や敵意を抱くリーナが、会って間もない相手を称賛することなどまずありえない。
幼い頃から正規の聖職者として厳しい修行や陰湿な苛めに耐え、その名を教会関係者の間では全国的なものにするに至ったルイと神の教えと聖職者の
階級に関する密度の濃い議論を展開したことで、薬剤師に向けて勉強する自分と重なる部分が多く、確固たる自分を持っている、とルイを一目置くに
至ったのだろう。

「本なんて、後でどれだけでも読めるでしょうが。」
「浸かって溺れられるほどの本の海に、この先出会えるかどうか分からないでしょ?」

 フィリアの不満を、リーナはフィリアの言葉を一部引用してさらりとかわす。
リーナが本を選んでいる最中にフィリアの声が聞こえてきたのだが、リーナは感情を荒立てることもなく本選びを続行した。以前なら激昂して、本選びを
中断してフィリアに殴りかかってもおかしくないのだが、そうならなかったのは、最近丸くなってきているのもあるだろうし、「自分が主役」として思うが侭の権力を
行使出来ることもあるだろう。
 何にせよ、フィリアとリーナの衝突で乱闘沙汰が起こらないのは良いことではある。今この場に居ないアレンが対応に頭を抱える必要もないし、乱闘を
口実にルイが孤立させられ、その命を狙う凶刃の前に突き出される事態へと発展しないのだから。

「それにしても、まだルイの奴が命を狙われる原因は分からないのかしらね。」
「この国で絶大な影響力を持つ一等貴族の親族が絡んでるのよ?簡単に判明する方がむしろ不思議よ。」

 不満の捌け口をルイのもう1つの事由に向けたフィリアに、リーナはこれまたあっさり回答を提示する。
フィリアとリーナのこのやり取りでは、明らかになったルイに纏わる謎のベールの向こう側が含まれていない。アレンが話していないからだ。
 ルイが執拗に命を狙われる理由は、これまでの推測と合致し、大規模且つ深刻なものだということが、当事者であるルイの口から明かされた。
それをフィリアとリーナに話すと必要以上にフィリアとリーナの警戒を生み、本選までに障害を生じかねないし、同室となれば尚更だ、というイアソンの助言も
あるが、アレンはイアソンに言われなくてもルイの謎の核心である、リルバン家との関係を含むルイの出生の秘密を口外するつもりはない。
 心から慕い、聖職者として生きる模範でもあった母を失った悲しみと、その母に耐え難い苦痛を齎したフォンへの怒り、そして聖職者として抱いてはならない
筈の怒りという感情を抱いている自分のあり方に打ちひしがれているルイの心に触れたことで、心の傷や痛みを無闇に刺激することはしたくない、という
強い気持ちが、アレンの心に広く深い根を下ろしたからだ。単に好意以上の感情をルイに向けていることや、ルイと相思相愛であることが分かったからでは
ない。

「ルイが表に出て、しかも別の事件を装ってルイを始末出来る最後のチャンスはオーディション本選。あの警備班班長をクビになった奴がルイを何としても
始末するつもりなら、その最後のチャンスまで息を潜めてるでしょうし、一等貴族の内情にはイアソンでもそう簡単に接近出来ないでしょうよ。」
「厄介やな。今あの警備班班長やった奴は別館に軟禁されとるんやったな?」
「そうよ。それに、あの男の背後には十中八九ザギが控えてる。あの悪知恵に長けたザギなら、最後のチャンスで自分の配下の部隊を総動員してでもルイを
始末しようとするだろうし、それまで尻尾を掴まれないようにするくらいの知恵は働くでしょうね。」
「ホントに質(たち)悪い奴やな。」
「でもさ。ザギが背後に控えてるなら、どうして今までルイの奴を始末し損ねたのかしらね。」

 呆れた様子のクリスに対し、フィリアはルイへの敵意を含めながらももっともな疑問を口にする。
アレンを巡る恋敵という関係やアレンとの接近状況、そしてそれを原因とする嫉妬を除けば、フィリアもルイが執拗に狙われる謎を解明しようとするだけの
客観性や冷静な思考力を持ち合わせている。提示した疑問もそこから導き出されたものだ。

「本気でルイを始末したいんだったら、このホテルに入るまでにも実力のある部隊を注ぎ込んだだろうし、その方が手っ取り早いじゃない。」
「推測だけど、ザギはこの程度で十分と思えるだけの部隊をルイが村を出てから此処に到着するまでの過程で投入した。だけど、クリスがその部隊を1人で
撃退するだけの実力を持っていることが分かって、とりあえずルイを狙う奴等の力はこの程度だと思わせる方向に切り替えてルイをホテルに入れた。」
「で、警備が万全なことが売りのこのホテルに入れて安心させといて、警備の兵士に扮装させた部隊を投入したけど、今度はアレン君に邪魔されて失敗して
もうた。アレン君を引き剥がそうとしたけどそれも出来んかったで、本選出場者に成りすました刺客を送り込んで直接ルイを殺そうとしたけど、これもアレン君に
邪魔されて返り討ち食らってもうた。それで自分が仕えとる警備班班長が実兄でもある実行委員長のフォンさんの怒り買って警備班班長解任されて別館に
軟禁されたで、次は確実にルイを殺せるようオーディション本選に向けて準備しとる。・・・こんなところか?」

 続いて推論を述べたクリスの確認に、リーナは無言で首を縦に振る。同じ内容だったからだ。
一度ならず二度までもアレンにルイ抹殺を邪魔された以上、ホークの背後に居るらしいザギは、今度はアレン諸共抹殺することも厭わずにルイ抹殺へと
乗り出すだろう。ルイを抹殺すれば、自身が顧問として仕えている−素振りを見せているだけだろうが−ホークは時期リルバン家当主の座を手中に出来るし、
アレンもルイと道連れにさせれば、ザギがレクス王国で王を利用して壮大な陰謀の網を張り巡らせた要因の1つであるアレンの剣も手に入る可能性もある。
 今までの謀略が失敗したからといって、焦ってホテルに実力の高い部隊を突入させるような強硬措置に乗り出さず、新たな謀略を生み出す。今度は一石
二鳥も目論んで息を潜めてその時を待っていると考えられる。それがザギの強(したた)かさだ。
謀略には嫌味なほど優れているザギならそれくらい十分許容範囲内だろうし、ホークが急かしても説き伏せることなど造作もないだろう。

「ま、本選会場にはドルフィンとシーナさんが出向いて警戒するそうだから、ザギの企みどおりにいくとは限らないけどね。」

 アレンは、ドルフィンとシーナが本選会場で警戒に当たることは話してある。それはルイの心の瑕を抉ることには繋がらないと判断してのことだ。
それに、発言したリーナだけでなく、ドルフィンとシーナの類稀な戦闘力を知っているフィリアも、それには十分納得出来る。
 ザギがルイを抹殺せんと送り込んでくるであろう選りすぐりの部隊であっても、刃を触れずして寸断する「見えない刃」とも言うべき威力を持つムラサメ・
ブレードを持ち、肉弾戦となっても全身がそこいらの武器や防具を凌駕する拳や蹴りと強靭な肉体を持つドルフィンと、魔術師の最高峰Wizardに相応しい
絶大な魔力と攻撃力を有するシーナを相手にしては、ムラサメ・ブレードの錆かドルフィンの拳や足に付着する血のりにされるか、シーナの魔法の餌食に
なるのがオチだ。

「でも、相手があのザギだからね・・・。何考えてるか、分かったもんじゃないわ。部隊を操って有無を言わさずルイを始末させようとするかもしれないし。」

 ザギも一応クルーシァの人間だから、ドルフィンとシーナの戦闘能力の高さは十分承知している筈。だからフィリアの不安どおり、ドルフィンとシーナに
部隊の一部を差し向けて文字どおり人間の盾とさせ、それで時間を稼がせておいて、ルイとあわよくばアレンの抹殺を狙って機動力に特に優れた部隊を
差し向ける可能性も考えられる。
 限られた時間でピンポイントで任務を遂行するといった軍事作戦には、攻撃力もさることながら機動力の高さが要求される。それは、レクス王国のミルマの
町で、自室で1人になったリーナをあっという間に拉致して逃走したザギ直属の特殊部隊と思われる一団の手際の良さにおいても既に実証されている。
ザギが他にそのような部隊を配下にしている可能性は高い。レクス王国での戦いでアレンがかなりの数を倒してはいるが、このランディブルド王国に別の
部隊が潜んでいる可能性や、クルーシァから援軍が送り込まれている可能性も考えられる。
一方で、一般市民を巻き込むことは承知の上で、高い攻撃力で本選会場を制圧し、ルイに加えてアレンの抹殺を図る可能性もある。目的のためには手段を
選ばず、他人を捨て駒にすることも当然視するザギなら、それくらいのことにはいささかも躊躇するまい。
 先んじてザギの動きを封じられれば良いのだが、それは事実上不可能だ。
ザギは現在別館に軟禁されているホークと行動を共にしている。ザギの動きを事前に封じるにはザギがホークを利用して陰謀を企てているということを、
リルバン家の最高権力者である当主フォンにその旨を伝えて対策を講じてもらう必要があるが、ホークがルイの命を狙っていることには、リルバン家の内部
事情が絡んでいる可能性が高い。リルバン家に潜入しているイアソンも、ドルフィンとシーナも一介の外国人に過ぎない。そんな人物がいきなりリルバン家
邸宅に乗り込んで推定しているホークとルイの関係を挙げて対策を講じるよう要求しても証拠がなければどうしようもないし、逆に一等貴族の看板に泥を
塗った、と抹殺対象にされる危険性がある。そうなったら、邪魔者が期せずして消えることになるからザギの思う壺となるだろう。それは避けなければ
ならない。
 ホークとその顧問として背後で操るザギが別館に軟禁されたとは言え、状況は総合的に見るとアレン達に不利であることにはあまり変わりない。
オーディション本選が最終決戦の場になると断言出来る以上、それにどう備えるかをリルバン家に潜入中のイアソン、そしてドルフィンとシーナとも十分
相談し、会場での体制を万全にすることは勿論、最もルイに近い位置に居られるクリスとアレンの迎撃能力に賭けるしかない。
聖職者のルイが衛魔術を使えることも有効ではある。だが、能力が高いといえど司教補のルイが使用出来る魔術は限定されている。無理に使えば生命の
危険に直面する。先手を打てないままどんな規模で襲撃してくるか、どんな策を使ってくるか分からないまま迎撃態勢を整えなければならないというのは、
心理的にもかなりの負担となる。
華やかさの裏で蠢く黒い翳と陰謀との対峙は着々と迫ってきている。フィリアもリーナもクリスも、オーディション本選の無事終了と事態の解決を願って
止まない・・・。
 その日の午後。部屋の台所では、アレンとルイがサルシアパイを作っていた。勿論、読書のお供として口にするティンルーと共にお茶菓子としてリーナが
要求したからで、逆らうわけにはいかないからアレンとルイが手がけている。
 サルシアパイは我々で言うところのアップルパイとよく似ている。小麦粉や牛乳をベースに生地を作り、林檎ではなくサルシアの実をペースト状にして
整形した生地に注入し、竈で焼けば晴れて完成となる。
このように説明すると簡単そうだが、サルシアパイに限らず、菓子作りは時に料理以上の手間と時間を要する。オーブンなどないから、竈の火加減を上手く
調節しないと炭か何か分からないものになったり、半生の生地を口にする羽目になる。勿論そんなものをリーナが我慢して食べる筈がない。
 サルシアパイは、ランディブルド王国では此処フィルのような大都市に居を構える貴族や大商人など上流階級の茶菓子という位置づけだ。そのため
ルイには馴染みがない。だが、アレンはこれまで何度か食したことがあるし、ルイもリーナが先に借りてきている菓子専門のレシピを見れば、作り方は十分
分かる。料理経験豊富なアレンとルイは共同してサルシアパイを作る。リーナがサルシアパイを要求したのは、アレンとルイの料理の腕を信頼してのことだ。

「アレンさん。ちょっと味見してくれませんか?」
「うん、良いよ。」

 サルシアの実をペースト状にする作業をしていたルイが、生地作りをしていたアレンに頼む。アレンは手を休めてスプーンでサルシアのペーストを少し掬って
口に運ぶ。サルシアパイの出来を左右する要素の1つである、「控えめな甘さと果肉を含むが故の軽い歯応えを伴う食感」が見事に調和して、アレンの口
いっぱいに旨味を広げる。

「凄く美味しく出来てるよ。」
「ありがとうございいます。」
「こっちも生地が出来たし、整形して焼こうか。」
「はい。」

 アレンとルイは手分けして生地を整形し、その中にサルシアの実のペーストを注入し、サルシアパイの原型を作り出す。
今回は20個分を用意している。大食らいのクリスは5個、他は2個ずつだから計13個が今回の分だ。残りの7個のうち5個は今日の夕食のデザートに出し、
2つはアレンとルイが、明日の休憩がてら2人だけ内緒で食べる分に充てる算段である。
サルシアパイに使うサルシアの実のペーストには、砂糖を使わない。サルシア自体が十分な甘みと旨味を持っているから不要なのだ。砂糖を含まないことが、
サルシアパイが体重を気にする傾向にある女性に特に好まれる理由の1つである。
 パイの原型を作り終えた後、これから出す分の13個を竈に入れて焼きにかかる。残りは紙に包んで備え付けの収納箱に入れる。各部屋の台所に備え付け
られている収納箱は、特殊な断熱加工が施されているため、周囲の気温が高くても箱の内部に殆ど影響を与えずに、内部に投入する氷のみで約
10パーセ15)を約2日維持出来るという優れた耐熱・保温機能を有する。我々の世界で言うところのクーラーボックスのようなものだが、これがあることで生もの
などのある程度の保管が可能となっている。
 アレンが竈の火加減を調整した後、アレンとルイは暫しの休憩のため並んで椅子に座る。同室とは言え距離も離れていてリビングから直接監視出来ない
位置にある台所で、アレンとルイが2人きりになることには勿論フィリアは警戒しているが、様子を見に行ったり、ルイをアレンに接近させないよう台所に
向かうことは出来ない。リーナが「護衛の分際であたしの許可なくのこのこうろつくな」と睨みを利かせているからだ。
立場上フィリアはリーナの命令には絶対服従を余儀なくされているし、下手に逆らえばその場で殺すか警備の兵士に摘み出させるかする。リーナなら同じ
パーティーの一員だろうが自分の護衛だろうが、その気になればそうすることくらい何ら躊躇しないだろう。その意味ではザギと同等の難敵と言える。

「ルイさんは、村で菓子作りをしたことはある?」

 アレンは、ルイが狙われる原因であるリルバン家とは無関係の話題を持ち出す。
ルイとリルバン家、特に現当主フォンとその実弟であるホークとの関係が判明したから、あとは最大の決戦場となるであろうオーディション本選会場での警備を
どうするか、リルバン家に潜入して情報収集に当たっているイアソンと、観光客としてやはり情報収集をしているドルフィンとシーナからの情報を待ち、
最善の策を講じるという課題に専念するのみだが、それは簡単なことではない。情報源が分散していて収集力に格差があるからだ。
 諜報活動で主役を担っているイアソンがアレンと情報交換が出来るのは、使用人として紛れ込んでいる関係上深夜に限定される。ドルフィンとシーナの
情報収集はイアソンの指示に依るところが多いし、外国からの観光客だから行動には限界がある。かと言って、その間アレン達がホテルに滞在している
オーディション本選関係者を虱(しらみ)潰しに当たって情報収集をするわけにはいかない。それを逆手に取られてルイから引き剥がされては元も子もない。
事態は切迫しているが待つ時は待たなければならないのは、これに限ったことではない。
勿論、ルイの心の古傷に触れたくないというアレンの心情もある。

「はい。主に休日に。普段は職務の他に、当番で正規の聖職者全員の食事の準備17)があったりしますから。」
「俺はおやつとか近所の人に振舞ったりするために時々作ってたんだけど、ルイさんは作った菓子をどうしてたの?」
「教会付属の慈善施設に居る子ども達への差し入れとして持って行ったのが大半で、クリスの家へ教会でお邪魔する際に挨拶代わりに持って行くことも
あります。」
「ルイさんに菓子の差し入れを貰って、慈善施設の子ども達は喜んでたんじゃない?」
「はい。凄く喜んでくれます。美味しそうに食べてくれて、また作って、と頼まれて・・・。それが一番嬉しいんです。」

 その時の光景を思い出しているのか温かい微笑を浮かべるルイを見て、アレンの胸の鼓動が俄かに高まる。
ルイが、アレンが自分を見る目が変わることを恐れて隠していた真相と、その後ろめたさを全て吐露したことで、ルイの心は一時悲しみに溢れたが、アレンが
オーディション本選終了後に自分の告白を受ける姿勢を表明し、アレンと抱き合ったことで、ルイの心は随分楽になった。
フィリアの殺気さえ篭っている視線の鋭さは感じているが、アレンへの想いに揺らぎはないし、それでアレンを諦めて身を引くつもりは毛頭ない。
それに、アレンが真相を明かしてからもそれまでと変わらない態度で接することに、深い安心感を得ている。
それがフィリアにとって憎々しく思えるほどの余裕となって無意識のうちに表面化しているのだが、アレンにとっては安堵し、発奮する材料となっている。
 覆い隠してきた心の傷を晒すことでルイが塞ぎこんでしまわないかとアレンは心配していたのだが、ルイがこれまでどおり甲斐甲斐しく笑顔で行動を共に
していることで、強い精神力に敬服すると同時に、今まで体験してきた苦労や屈辱の分だけ幸せになって欲しいし、それが自分との触れ合いであるなら
尚嬉しい、とアレンは思う。
オーディション本選まであと僅か。その残された貴重な時間の一部が特製サルシアパイとなって、全員に振舞われることになる・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

13)上位入賞者:シルバーローズ・オーディション本選では、各町村の予選の第1位で授与される額の3倍という多額の賞金と「シルバーローズ」の称号を
授与される最高位の「シルバーローズ賞」の他、第2位、第3位、入賞、審査員特別賞がある。入賞と審査員特別賞の受賞者数はそれぞれ1〜10、1〜3で
変動があるが、他は1人しか受賞出来ない。本選出場だけでも十分な栄誉と金銭を得られるが、本選上位入賞となるとモデルや女優、貴族子息との結婚
などの華やかな道が開けるのはそれも理由である。


14)投票権を持つ市民:予選は各町村の市民の他外国人でも会場に居れば投票出来るが、本選は観客が数万人に達することや上位入賞者が特に貴族子息
との結婚候補者になる可能性が高いことなどから、事前に役所に申し込んで戸籍を調査された上で、無作為抽選で投票権を得た市民だけが投票権を持つ。
ちなみに投票権を得られるのは10000人。倍率は例年4〜5倍である。


15)10パーセ:我々の世界における摂氏を意味する温度の単位。1パーセは1℃に相当し、0パーセが水の凝固点(氷の融点)と定義される。

16)正規の聖職者全員の食事の準備:正規の聖職者にはScene7 Act3-1でルイが紹介しているように食事が配膳されるが、非正規の聖職者はその性質上、
自宅や食堂などで食事を摂る。食事当番は正規の聖職者にはあるが、非正規の聖職者にはない。


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