Saint Guardians

Scene 7 Act 4-1 接近U-ApproachU- 果てしなき深みを呈する情報戦

written by Moonstone

 その日の夜。夕食後の後片付けを済ませて最後に風呂に入ったアレンは、ランプを灯した台所でイアソンからの通信を待つ。
アレンから通信を始めることも出来るが、イアソンは使用人としてリルバン家に潜入した立場上、使用人としての仕事を優先しなければならない。情報収集が
目的で潜入したと発覚すれば身柄拘束は勿論のこと、仲間であるドルフィンとシーナ、そして現在ホテルに居るアレン達にも影響が及ぶ可能性がある。
そうなると恐らく牢獄行きだろうし、ルイを護るのはクリスだけになってしまう。クリスの見た目からは想像出来ない武術家としての力量は十分信頼出来るが、
このホテルに入るまでの経緯と同様、何時刺客が襲撃して来るか分からないし、本選出場を間近に控えたルイの精神的重圧は増すばかりだ。そんな事態は
何が何でも回避しないといけない。
 コップに汲んだ水を少しずつ飲んで、アレンは焦燥感を抑える。
今日のクリスからの情報収集で、ルイが填めている指輪が単なる高級品ではなく、高度な技術を持つ専門の職人が受注するかどうかを決める権限を持ち、
当初の見積り額を大幅に上回る商品価値を持つ特注品ではないか、と聞いた。 更にルイが度々襲撃されるようになった、オーディション予選の前後の
時期に国軍への入隊志願者が増えるという不可解な傾向があったことも分かった。国軍の入隊試験もクリアして警備などの任務でも問題は起こらなかった
そうだが、お祭り騒ぎ真っ最中での入隊時期がかなり不自然ということが気にかかる。
 これらがどのくらい有益な情報なのかはイアソンの判断と双方の推論にかかっているが、不利な条件下で不可解な謎を解明していくには、絡まった糸を
慎重に解していかないと混乱や誤った結論に達し、ルイを護るどころか危険に晒してしまう危険性も生じる。情報収集とその分析がこれほど困難で時間と
根気が必要なものだとは想像も出来なかったアレンは、「敵地」に潜入して使用人としての職務をこなしながら絶えず情報収集と分析を続けているイアソンの
卓越した情報戦闘能力に感心せざるを得ない。

『アレン。聞こえるか?』

 待ちに待った声が聞こえて来る。アレンは先んじて耳から外しておいた送信機を口元に持っていく。

「ああ、聞こえるぞ。イアソン。」
『まずアレンの方から今日入手した情報を教えてくれ。俺も続いて報告するから、それも含めて謎の解明を進めよう。』
「分かった。じゃあ今日入手した情報を伝えるよ。」

 アレンは今日得られた情報、すなわちルイが填めている母親の形見の指輪が高級品どころか注文する際にも厳しい制約があること、そしてクリスとルイの
故郷であるヘブル村で開催されたオーディション予選の前後に国軍への入隊志願者が出て来たこと、それは通常の国軍への入隊志願が増えるの時期から
するといささか不可解だとクリスが言っていたことを伝える。

「−今日、俺が入手出来た情報はこんなところ。大した情報じゃないと思うけど。」
『否、両方共問題の彼女が執拗に命を狙われる背景は勿論、彼女の抹殺を企てていると断言してほぼ問題ないリルバン家当主フォン氏の実弟ホーク氏の
背後関係にも迫れる可能性がある。些細なことでも他の情報と重ね合わせたり別角度から切り込むことで、それまで分からなかった謎の核心に迫れることは
往々にしてあるもんだ。』
「そう・・・。なら良いんだけど。」
『次はこっちの動向や情報だが、順を追って伝える。』

 イアソンは一呼吸置く。

『まずフォン氏周辺の動向だが、オーディション本選が近づいていることもあって、フォン氏は相当忙しいようだ。フォン氏を支えるリルバン家の重鎮、筆頭
執事のロムノ氏をはじめとする執事も色々動いている。一方、警備の不手際でフォン氏の怒りを買って妻ナイキ氏と顧問共々別館に軟禁されたホーク氏の
動きは今のところ全くない。やはりこれまで2度も重大な失態をやらかしたから、次の失敗は自分の処刑への許可証を発行することになると分かっているから
だろう。別館周辺は警備の兵士が厳重に包囲していて、食事を運んだりする使用人も兵士に目的を伝えた上で、部屋まで最低でも2人は同行させないと
入れないようになってる。事実上ホーク氏の動きは完全に封じられたと言って良いだろう。この点に関してはとりあえず安心出来そうだ。』
「ルイさんの護衛のクリスとも話してたんだけど、次に動きがあるとすればやっぱりオーディション本選に間違いないかな。」
『そうだな。フォン氏は中央実行委員長だから当然審査員として出席する。その間にホーク氏の背後にいる顧問って奴が一挙に行動に乗り出す可能性は
かなり高いと踏んだ方が良いな。それまで鳴りを潜めておけば、幾分でもフォン氏は警戒心と緩めるだろうし。』

 前にもリーナやクリスも言っていたが、2度も自身が責任を負う警備の不手際を重ねた結果、ホークはフォンの怒りを買って警備班班長解任と別館への
軟禁といった厳しい処分を受けたのだ。今度仕掛けて失敗すれば、フォンがその場でホーク処刑を命じても何ら不思議ではない。
先代の意向どおりリルバン家次期当主に就任する可能性が高かったにもかかわらず、先代が後継者として自分を指名する前に急逝し、法律に記載された
優先順位に沿ってフォンが次期当主と国王から指名されて当主に就任した。確証はないものの、それまで妻ナイキの実家に横流ししていた資産の流用を
完全に封じられて、結果として妻の実家は没落してしまったのだ。リルバン家の次期当主就任を確実にするなら、次こそ最大の目的であるらしいルイ抹殺を
確実に遂行しなければならない。
 この件に関してはアレンとイアソンの見解は一致した。だが、アレンにはもう1つ謎がある。ホークの背後に居るという顧問なる人物のことだ。自身もレクス
王国の王城で見たザギのように、目の部分だけ細い切れ込みを入れた仮面を着けているが、明らかに長身だったザギとは違って小柄だという。この顧問なる
人物の意向を突き止めることで、ルイ抹殺の動きをより確実なものに出来ると考えても良いだろう。

「少し話が逸れるけどさ。フォン氏がリルバン家当主就任に就任した時期の前後に招聘した顧問っていう人物が気になるんだ。前にシーナさんを通じてその
人物の特徴を聞いたんだけど、小柄でローブを着ていたっていう外見の違いはあっても、ザギと同じように目の部分に細い切れ込みを入れた仮面を着けてる
ってことは、自分の素性がばれるのを恐れてのことかな?」
『その件に関しては、俺も仕事中とかに他の使用人とかに尋ねたりしてみた。ホーク氏が何故得体の知れない人物を、自分の法案を当主に伝えさせるとかいう
重要な役職である顧問として招聘したのかとか、顧問の目的が何なのかとかな。これに関しては、前にシーナさんを介してアレンに伝えた情報よりもう少し
突っ込んだ情報を幾つか入手した。』

 イアソンは此処で一呼吸置く。

『ホーク氏は先代と同じく所謂強硬派だが、一応職務遂行能力とかは一等貴族当主としてのものを備えていた先代と比較しても明らかに劣るそうだ。顧問を
通じて当主フォン氏に提出していた各種法案も、どうやらホーク氏じゃなくてその顧問が作成した可能性が高いらしい。リルバン家に長く仕える使用人ほど、
ホーク氏の職務遂行能力や統治能力といった、この国の行方に大きな影響力を齎し、当主として要求される能力が明らかに低くて威張ることだけには秀でて
いるホーク氏が次期当主に就任したら、使用人や小作人といった立場の弱い人民は半ば奴隷としてこき使われるようになるだろうという確信に近いレベルの
推測で共通している。だが、現時点でホーク氏が次期当主継承権第1位なのは間違いない。使用人はこれを非常に不安視している。』
「そうだろうな。一等貴族の影響力は二等三等貴族の小作料の徴収だけじゃなくて、この国全体に適用される法案を議会に提出出来る権限を持つくらい
物凄く絶大なものだ、って聞いたから。それと関係するかどうかは分からないけど、その顧問って奴はやっぱり・・・ザギかその手下なのかな。」
『これもシーナさんから聞いているかもしれないが、背格好は違うが同じ仮面を着用していることや、レクス王国の事例のように裏で強権指向の強い人物を
操るという行動を執っているようだから、謀略や策略といった悪知恵を体得しているザギ本人、若しくはその側近である衛士(センチネル)の可能性が高いと
いう見方だ。そう断言して良い段階にある。』
「それに関係するけど、ザギはレクス王国の国王を利用して、ハーデード山脈の坑道内部にあった、強大な威力を持つ古代文明の殺戮兵器の運び出しを
狙ってたし、ザギと盟友関係にあるっていうゴルクスとかいうセイント・ガーディアンは生物改造に固執していたってシーナさんが言ってた。この国には建国
神話に登場する天使に神が10人の従教徒を付き添わせて、この国にあったとされている『シャングリラ』とかいう名称の王城の地下神殿を厳重に封印出来る
4つの王冠を、リルバン家を含む4つの家系が代々受け継いでるそうだけど、顧問の目的は最終的にはその王冠なのかな?」
『その可能性はある。建国神話は俺も先に王国の図書館で読んだんだが、神の座に就くことを企てた人間の傲慢に怒った神が、天から光の槍を投げつけて
地上を焼き尽くした、とある。そして神の怒りを買った人間が、その技術や知識を後世に伝えることを目的に建設したのが「シャングリラ」という場所で、それが
王城の地下神殿に相当するらしい。神が天使に与えたという王冠が、神が放った光の槍でも滅せなかった「シャングリラ」を封印する力を持っているなら、
ホーク氏を利用するなりしてそれを奪うことで古代文明の遺産探しに乗り込むつもりなのかもしれない。』
「そうだよな・・・。」
『だが、今最優先で取り組むべき課題は、ホーク氏の顧問の素性や本当の目的を探ることじゃない。問題の彼女の身の安全を確実なものにすることだ。
顧問の動きが気にならないことはないが、優先順位の高いものから順に解決していった方が良い。・・・ってことで、話を元に戻す。』

 イアソンは拡散しかけた話の本筋を元に戻すことを宣言してから、一呼吸置く。

『リルバン家の次期当主継承権が現時点でホーク氏が第1位というのはくどいほど伝えたが、何故そうなのかについてはどの使用人も話題にしない。
このままだと先代以上の暗黒時代が到来するっていう危機的状態なんだから、当主への絶対服従を要求される使用人がもっと次期当主継承に関して
井戸端会議的にでも色々話して不思議じゃないんだが、そういう傾向もない。俺も現時点における次期当主継承権の順位を聞き出すのが精一杯だった。
当主フォン氏やロムノ氏を筆頭とする執事にはまだ接触出来てないから断言は出来ないが、少なくとも使用人は次期当主継承者がホーク氏ではないと
薄々知っていて、このままだとそれが覆ってホーク氏が次期当主に就任してしまうから、暗黒時代の再来を懸念していると考えられる。』

 イアソンの推論は、ルイが執拗に狙われる謎の核心に深く切り込むものだ。
クリスからも聞いているとおり、この国における一等貴族の権限はその家系だけでなく国家全体に及ぶ非常に絶大なものだ。その一家系、しかも建国神話
では神が天から放って地上を焼き尽くした光の槍を以ってしても焼き尽くせなかったという「シャングリラ」の封印を担っている可能性がある王冠を代々
受け継ぐ家系の次期当主の継承者が不確かなのだから、その影響を日常生活でもろに受ける使用人などはもっと不安を口にしても良さそうなものだが、雑談
レベルでも殆ど話題に上らないと言う。
 となれば、イアソンが昨夜修正の上で改めて提示した推論がより真実味を帯びる。アレンとしては信じたくないものだが、事実は人の願いを反映して覆る
ものではない。

『その疑問を解き明かすためにも物的証拠を探っていたんだが、アレンから問題の彼女の指輪について聞き出せたのは幸運だ。入手出来る条件が非常に
限定されている特注品なら、この町で有名な高級宝飾店を回って指輪の形状を元に入手経路を探り当てることが出来る。そうなれば、俺が提示した推論が
成立するかどうかが確定に向けて大きく前進するだろう。此処で1つ聞くが、その指輪についてもう少し具体的な特徴は知らないか?』
「俺もその指輪を見たことがあるっていうクリスに尋ねたんだけど、特注品かもしれないってことだけは宝飾店の主人から聞いたけど、それ以外はあまり詳しく
見てないそうなんだ。その指輪はルイさんのお母さんの形見の品だし、クリスはルイさんにオーディション本選出場を強く勧めたことで、結果的にルイさんが
絶えず危険に晒されることになったことに負い目を感じてるみたいで。」
『随分友人思いだな。勿論良い意味で。友達の看板をひけらかせば他人の内情に踏み込めると勘違いする輩は多いもんだからな。だが、指輪の入手経路を
調べるには具体的な形状とかの情報が必要だ。その辺はどうだ?』
「俺はまだルイさんから100ピセルの信頼を得られていないと思うから、護衛でもあって幼馴染でもある、ルイさんを懸命に護ってきたクリスを通じて調べて
もらう約束を取り付けた。指輪の外観とかついている宝石とか、出来るだけ詳しく調べて俺に教えてもらうように頼んである。」
『なかなか手際が良いな。これもくどくなるが。彼女はアレンが自分を見る目が変わるのを恐れて真相を隠している可能性が高い。そんな中でアレンが
いきなり彼女の過去に踏み込んだら、彼女との親密さや好感といったものが一挙に崩壊してしまう危険性がある。そうなると原因究明が遠ざかってしまう。
時間は多少かかるだろうが、アレンの選んだ選択肢は適切だ。彼女の護衛は彼女と随分親しそうだから、指輪を見せてもらうにしてもさほど抵抗感はない
だろう。その情報はシーナさんに直接伝えてくれ。俺はリルバン家で引き続き情報収集をするからな。』
「これって俺とイアソンが直接通信出来るように、ってシーナさんが魔法を変えてくれたんだろ?どうやってシーナさんに伝えれば良いんだ?」
『通信を開始する時に相手の名前を呼べば良いようになってるそうだ。俺がアレンと通信する際にアレンに呼びかけるのは、起きてるかどうかを確かめることも
あるし、アレンと直接通信すると通信機に宣言するためでもある。アレンも同じように、通信を開始する時にシーナさんの名前を言えば出来る。ただ、途中で
切り替えることは出来ない。その場合は一旦現在の通信相手との通信を切る必要があるそうだ。まあ、ドルフィン殿やシーナさんと俺とでは通信出来る時間が
違うから、切り替える必要性は現時点では殆どないと思ってる。必要に応じてシーナさんに魔法を使って切り替えてもらうようにはするが。』
「分かった。じゃあ指輪に関する情報が入り次第、俺はシーナさんに伝えるよ。」
『この件に関しては今後の方針が一致したな。次は別角度から切り込むとするか。』

 イアソンは論点を切り替えることを宣言し、一呼吸置く。

『問題の彼女が命を狙われるようになったのは、オーディションの予選が終わって、彼女と護衛が住んでいる村を出る前後からだったということ。そして
フォン氏がリルバン家当主就任直後に全国を視察して、その途中に彼女と護衛が住んでいる村にも訪れたこと。彼女がオーディション予選に出場することに
なったのは彼女の自薦じゃなくて、村の実行委員会宛に届けられた差出人不明の封書によるものだったということ。彼女は本来オーディションに出場する
つもりじゃなかったが、親友でもある護衛の強い勧めを断りきれずに出場した。そして当初は予選に出るだけだから、と言っていたのにどういうわけかある日
いきなり態度を180度変更して本選出場を決めた。護衛も疑問に思って尋ねたが気晴らしして来る、と言っただけだった。これで間違いないか?』
「ああ。間違いない。」
『今日のアレンの情報でも、彼女の態度変更の理由についてはめぼしい情報がなかった。やはり彼女の態度変更には何らかの理由があって、それは彼女が
この町に来る何らかの目的を持ったためだったと考えるのが自然だな。』
「俺もそう思ってる。その辺に関してイアソンの方で何か情報は入手出来てない?」
『間接的に聞いたから確証はないが、1つ関連すると思われる情報がある。フォン氏の側近中の側近という位置づけにあるロムノ氏が、オーディション絡みで
かなり動いているらしい。オーディションの中央実行委員長がフォン氏だということもあるだろうが、それだけじゃ説明しきれない部分もある。』
「どういうこと?」
『ロムノ氏はフォン氏の指示を受けて、オーディションに関連する形を装って別の目的で動いているらしいんだ。』

 イアソンの情報はかなり衝撃的なものだ。
ロムノがリルバン家の執事の最高位である筆頭執事であり、今では当主フォンの側近中の側近としてオーディションに関わる相談に乗ったりとかなり深く関与
しているということは知っているが、それとは別にそれこそイアソンのように諜報的活動を行っているとなると、フォンも何らかの意図を持っていると言える。
 オーディション本選実行委員長でもあり、リルバン家当主という立場上自ら動けない代わりに、自身が当主の座を継承するまで顧問として深刻な確執が
あった先代との仲介役という重要な役割を担い、今では自身の右腕として絶大な信頼を寄せるロムノがそのような動きをしているとなれば、益々事態は
情報戦の様相を濃くしていると言える。ホークが顧問の助言や支援を受けるなどしてルイ抹殺を果たすべく血眼になり、フォンもロムノに指示して何らかの
動きを示しているなら、リルバン家では水面下ではあるが兄弟間で激しい情報戦を展開しているということになる。

『この辺に関しては間接的だし、使用人としての仕事を優先させている関係もあってロムノ氏の行動を観察することはほぼ不可能だ。だが、先にドルフィン殿と
シーナさんに傍受してもらった、リルバン家と同じく建国神話にも登場する王冠を代々所有する一等貴族であるポイゴーン家当主ラミル氏とフォン氏の、
リルバン家執務室における会話の内容は解析を完了した。その内容は殆どがこの国の主要産業である銀製品の粗悪品の流通を阻止することと、事実上
野放し状態の二等三等貴族の小作料徴収に一定の歯止めをかけること、そして実践能力に長けた魔術師をカルーダ王国から招聘して王国の国境防衛を
強化することを提案するための打ち合わせで占められていて、今から説明していたら何時終わるか分かったもんじゃない。』
「法案の詳細なんかは俺も聞いてると寝てしまうだろうから聞かないけど、最後の魔術師のカルーダ王国からの招聘っていうのはどういうこと?そう言えば
この国にはあまりというか殆ど魔術師が居ないようだけど。」
『その件に関するフォン氏とラミル氏の打ち合わせは、この国の基本方針に関わる重要法案だからだ。』

 イアソンは前置きした上で事情を解説し始める。

『この国では、教会による各町村の地区管理制といった形に代表されるようにキャミール教が国家体制に深く関与していて、聖職者、特に高位だったり有能な
聖職者となれば下手な役人よりずっと社会的地位は高いし人望も厚い。だが、魔術師の社会的地位は俺達が居たレクス王国や、魔術研究や魔術師養成の
一大拠点としてクルーシァと肩を並べるカルーダ王国とは逆に、存在感や社会的地位やかなり低い。それは建国神話と関係がある。』
「建国神話との関係?」
『そうだ。今までにも話したとおり、この国の建国やキャミール教との密接な関係は、この国のある地域がかつて最も神の教えを曲解して世界を絶滅の瀬戸際に
追い込んだことを憂慮した神が、この地を神への信仰が篤い国にするために1人の天使に10人の従教徒を付き添わせて派遣したことに端を発する。魔術師が
使う力魔術が当然ながら殺傷性が強いことや、無から有を作り出すという神でしか成し得ない業を神の名を語ることなく当たり前のように使うことから、
力魔術を使う魔術師は神を冒涜する者、として忌み嫌われる傾向にあるそうだ。リーナが予選を突破して役所に賞金とかを受け取りに言った際に、役人が
護衛として魔術師と武術家と剣士を挙げたが、武術家や剣士を護衛にする傾向が強いというのはそういう背景もある。実際魔術師がオーディション本選
出場者の護衛になることはまずないと言って良いくらいらしい。』
「なるほど・・・。どうりでこの国に入って以来、魔術師の事務所とか殆ど見当たらなかったわけだ。」

 アレンは聖職者と魔術師という、一言でその性質を表現するなら攻撃と防御と対極的立場にある存在から見える国情の違いを改めて実感する。
レクス王国は魔術研究では後進国に含まれるが、魔術学校が識字教育も行う一種の学校としてきちんと存在していたし、フィリアも魔術学校卒業後も
研究生として在籍して、将来的には魔術学校の講師に着任出来るところまで進めていた。
カルーダ王国では、もはや魔術大学を抜きに国の概要を十分語れないという程の魔術や魔術師が高い存在感を示していて、魔術大学の上級研究職は
尊敬を一身に受けることも、ドルフィンやシーナが出入りする際などで垣間見ている。
 これまで国外どころか故郷の町を出る機会すらなかったアレンにとって、魔術や魔術師は自分の好き嫌いを除けば、存在が当たり前だった。しかし、
キャミール教第二の聖地とも称される此処ランディブルド王国では、聖職者と比較して魔術師は日陰の存在そのものだ。同じ世界と同じ時間に存在しながら、
場所が違えば大きな違いがあることを知ったアレンは、世界の広さと自分の世界観の狭さを痛感する。

『その魔術師関連の法案の詳細は説明を省略するが、法案提出の目的は、隣国シェンデラルド王国の国情に関係しているようだ。』
「シェンデラルド王国っていうと確か・・・、この国では少数民族のバライ族が多数派の国だよな。」
『そうだ。何でも国境付近の町村にシェンデラルド王国からかなりの数の悪魔崇拝者や魔物が雪崩れ込んで来て、これまでのように武器だけを扱う軍人だけ
じゃ迎撃しきれない危機的状況に陥りつつあるそうだ。かと言っていきなり徴兵制を敷いて人民をかき集めても戦闘出来るようにするには間に合わないし、
無駄に人民の命を落として国力の衰退を招いちまう。国家運営の基幹は農業などの食糧生産だ。その中心的担い手である男性を失えば食糧生産力が
がた落ちして、結果的に小作料を搾取している二等三等貴族ばかりか、王族や一等貴族も甚大な被害を受けるし、国家存亡の危機に直結する。』

 イアソンの解説のとおり、国家運営の基幹は根本的には食糧生産に行き着く。前述のとおり、人間は食べなければ生きていけないからだ。
徴兵制を敷いたり軍隊の装備を近代化するなどして軍事力を増大させても、軍隊を維持するだけの食料や資源がないと、最終的には自滅の道を歩むことに
なる。
 太平洋戦争で日本が「生命線」として東南アジアに侵攻したのは、「大東亜共栄圏」構築の一環であると同時に、拡大させた植民地を支配する軍人の食料や
石油などの資源を確保するためでもあったし、アメリカがイギリスなどと「有志連合」を結成して大量破壊兵器の存在疑惑をでっち上げ、イラクに先制攻撃を
仕掛けたのも、OPEC(石油輸出国機構)を構成する主要石油産出国であるアラブ各国や、アメリカがキューバと並んで敵視し、親米派の財界やマスコミに
公然と資金援助して政権打倒を企てるベネズエラ−南米の石油産出国にしてOPEC加盟の有力石油産出国の1つでもある−などからの自国で大量に消費
する石油の供給が不足していたため、「悪の枢軸」と事前に表して目星をつけておいたイラクの豊富な石油資源を強奪するためでもあった。
それは、イラク侵略戦争終結後に、アメリカから多数の石油関連企業がイラクに入国したり、ブッシュ米大統領の地元が石油産業が盛んなテキサス州で
あることなどから窺える。
 ランディブルド王国では聖職者が高い社会的地位を有する。しかし、聖職者が使用出来る衛魔術は回復や防御、攻撃支援といった効力が圧倒的多数で、
雪崩れ込んで来るという悪魔崇拝者や魔物に応戦するのは結局戦士だ。幾ら強力な衛魔術が使えても、「雪崩れ込む」と表現されるほどの悪魔崇拝者や
魔物に応戦する戦士の数が不足していては、どうしても限界がある。そのため、フォンとラミルは即戦力としてカルーダ王国から魔術師を招聘する法案を可決
されやすい共同提案70)
の方向で動く相談をしていたと考えられる。

『同じくドルフィン殿とシーナさんに傍受してもらった王国議会での審議内容の解析はまだだが、フォン氏がラミル氏と昼食を共にした際の会話は
聞き取った。基本的に雑談だったが、その中には俺の仮説を裏付けそうなものがあった。』
「何だよ、それ。」

 アレンの疑問に、イアソンはフォンとラミルの問題の会話を話す。それを聞くうち、アレンの表情は驚愕から愕然へと変遷していく。

『−こんなところだ。やはり彼女が命を狙われるにはそれ相応の理由があって、彼女もそれを知っているがアレンに話すことで自分を見る目が変わることを
恐れて話せないで居る、と考えた方が自然だ。』
「・・・だったら、このまま情報のやり取りを続けていても解決を遅らせるどころか、オーディション本選でルイさんが襲撃されるのをわざわざ待たないと
いけないんじゃないか?リルバン家に乗り込んで顧問共々ホーク氏を片付ければ、問題は解決するんじゃないか?」
『落ち着けアレン。そんな強硬策は絶対執っちゃいけない。』
「どうしてだよ!」
『ホーク氏の顧問はザギ本人若しくはその衛士(センチネル)だと断言して良い。だとすると、ドルフィン殿とシーナさんもこの町に居ることを掴んでいて、
ドルフィン殿とシーナさんがリルバン家に乗り込んだのを合図にアレンが居るホテルに配下の部隊を突入させて、彼女を抹殺する手筈を整えている可能性が
高い。レクス王国全体を巻き込んだ策略を張り巡らせていたザギだ。それくらい想定している方がむしろ当然と考えた方が良い。』

 ルイの身を案ずるあまり、強硬策を否定するイアソンに思わず声を荒らげたアレンに、イアソンは客観的且つ合理的な理由を説明する。

『ホテルの警備が幾ら厳重とは言え、それは一般人民のレベルから見てのこと。力の聖地と称されるクルーシァで訓練された軍隊を送り込まれたら、とても
歯が立たないだろう。警備の兵士もホーク氏やその顧問の息がかかっている可能性が否定出来ないから、アレン達は圧倒的に不利な戦いを強いられる。
剣士のアレン、召還魔術が使えるリーナ、Enchanterの称号を得ているフィリア、そして問題の彼女の護衛−剣士か武術家のどちらかだと思うが、そんな
小規模の戦力でクルーシァで訓練された精鋭軍をぶつけられたらひとたまりもないだろう。それこそむざむざ彼女を抹殺する機会を提供するだけだ。』
「た、確かに・・・。」
『アレンが彼女の身の安全を保障したい気持ちは分かる。だが、焦って強硬手段に打って出たら取り返しのつかない事態を招くことだってある。俺が使用人と
してリルバン家に潜入したり、ドルフィン殿とシーナさんに各種法体系の調査や王国議会の傍受を依頼したのも、彼女に危害が及ばないように黒い翳を
取り除くという目的の一環だ。勿論、こうしてアレンと今情報交換をしているのもな。確実に裏付けを取った上でフォン氏に事実を伝えて、ホーク氏とその
顧問を確実に排除して二度と彼女に手を出せないようにするよう対策を執ってもらうのが最も安全だ。前にも言ったと思うが、急ぐことと焦ることとは違う。
そのことを念頭において、引き続き情報収集をしてくれ。』
「分かった。」
『シーナさんにはアレンから事情を伝えてくれ。俺は昼間殆ど使用人の仕事で手がいっぱいだし、アレン達はそっちのホテルに事実上軟禁状態だから、
指輪の出所とかこの町での調査はドルフィン殿とシーナさんに任せるしかない。俺を通じて伝えるより、アレンが直接伝えた方が欠落とかがなくて安全だ。』
「分かった。俺も昼間はずっと料理とかしてるから、クリスから何か情報が入ったりしたらシーナさんに伝えて、ドルフィンと一緒に動いてもらう。」
『よし。じゃあ頼んだぞ。』

 アレンはイアソンとの情報交換を終了する。そして、情報戦の難しさを改めて実感したが故の小さい溜息一つ。
ルイの安全を願うあまり強硬策を提案してそれを却下されたことで頭に血が上ったが、冷静になってみるとイアソンの言うとおりだ。あのザギのことだ。
こちらが実力行使に踏み切れば、待ってましたとばかりに配下の軍をこのホテルに突入させて来るに違いない。
ザギの配下の兵士とは、レクス王国の首都ナルビアにおける最終決戦での王家の城の最上階で対峙したことがあり、その時は倒せた。だが、今度も倒せると
いう保証はない。選りすぐりの精鋭部隊、それこそドルフィンのような武術に長けた戦士やシーナのような高位の魔術師が束になって襲い掛かってきたら
とても太刀打ち出来ない。そうなれば、殺される順番がルイより先か後かを競うだけという空しい結末を招いてしまう。
 剣と魔法、言い換えれば力と力がぶつかり合うことが戦いだと思って来た。少なくとも故郷テルサの町ではそうだった。しかし、レクス王国全体を巻き込んだ
壮大な策略、ラマン教の聖地におけるまんまと反乱軍に利用されてしまった件、そして再びザギの姿が見えてきた今回を思い起こすと、力と力が対峙する
場面は戦闘の一部に過ぎず、重要な部分は情報戦や策略といったことが占めていることが分かる。
 相手がルイを狙っていることが確実で、しかも渦中の人物であるルイが隠す謎も全容が判明しつつある。だが、それだけ分かっていてもルイの安全を保障
出来ないのは、アレンにはあまりにももどかしい。
 今出来ることは2つ。
1つはクリスを通じてルイが填めている指輪に関する情報を集めてシーナに伝え、出所を掴んでもらうこと。もう1つはルイの信頼を確固たるものにすること。
最大のヤマ場と見込まれるオーディション本選まで残すところあと数日。それまでに真相を掴みたいのは山々だが、イアソンが忠告したとおり、一時の焦りが
取り返しのつかない事態を招いてしまうこともあり得る。そうなってから後悔しても手遅れだ。
 アレンは静かに立ち上がり、ランプを消してリビングに向かう。深い闇の中に浮かぶベッドの上に出来ている盛り上がりの1つ。初めて自分を1人の男性と
して意識していると明言してくれ、長く抱いていた劣等感の克服に向かうきっかけを作ってくれたルイ。
何としてもルイを護り、これからの人生を満喫して欲しい。アレンはそう思わずには居られない・・・。
 アレンがイアソンと情報交換をしている頃、問題のリルバン家の一角にある広大な執務室には、ランプが灯っていた。
王国議会での審議に掛けられた法案の幾つかは継続審議となり、質疑権を持つ一等貴族当主全員と教会代表者が持ち帰っている。部屋の主であるフォンも
その例外ではなく、オーディション本選に向けた最終準備の他、法案の次回審議に向けて質疑の準備をしているのだ。
 何枚かの書類を書き終えたフォンは、ペンをペン立てに入れて溜息を吐き、肩の力を抜いて椅子の背凭れに体重をかける。執務室のドアがノックされる。
小休止していたフォンは姿勢を元に戻してどうぞ、と応答する。
失礼いたします、と言って入室して来たのはフォンの右腕のロムノだ。その脇には書類の束が抱えられている。

「フォン様。銀商業品品質基準法改正案の質疑内容を整理した書類をお持ちしました。」
「ご苦労だったな、ロムノ。こんな夜遅くまで。」
「いえ。リルバン家の当主であられるフォン様をご支援するのが我々執事の仕事でございますが故。」

 ロムノはフォンの机にある「未処理」と書かれた箱に書類の束を入れる。読むだけで頭が痛くなるような量だが、こういったことをこなす能力が要求される。
先代当主、すなわちフォンの父がフォンとの間で深刻な確執があったとは言え一等貴族当主としての力量の面ではフォンを認めていたことや、特にロムノが
次期当主としてフォンを強く推していたのも納得出来る。

「フォン様。例の件でございますが・・・。」

 ロムノは声量を落として話を切り出す。

「国軍兵士の中に、時期をほぼ同じくして不審な動きを見せていた者が居たとの知らせが先程入りました。」
「やはりか・・・。」
「相手はかなりの切れ者のようでございます。縦横に網を張り巡らせ、並行して動かしていることからして、相当巨大な組織が背後に控えているものかと。」
「隣国の動きとも重複するな・・・。だが、時期が時期だけに臨時建議会71)の召集にまでは手が回らぬ・・・。」
「現在では対象者と、同部屋で生活を共にしている者の力量を信じる他ないかと。」
「そうだな・・・。では、引き続き動向を調査して逐次報告してくれ。何かあれば出来る限りの策を講じる。」
「承知いたしました。では、失礼いたします。」

 深々と一礼してから静かに退室するまでロムノを見送ったフォンは、ドアが綴じられた直後に小さい溜息を吐く。
そして、机の片隅にあるドローチュア立てに視線を向ける。その瞳は寂しげでもあり悲しげでもあり、何処か懐かしさをも感じさせる・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

70)可決されやすい共同提案:国の基本方針に関わる議案提出権を有する一等貴族の法案は、単独より共同で提案する方が可決されやすい。
ランディブルド王国で大きな影響力を持つ一等貴族当主の多くがそういう認識で共通しているという印象を与えるためだと考えられる。


71)臨時建議会:ランディブルド王国における臨時議会。通常の王国議会と異なり、出席出来るのは一等貴族当主全員と教会代表者のみである。
臨時建議会の召集には、一等貴族当主3名以上若しくは全構成員の1/4以上の発議が必要。


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