「今日は雨かな・・・。」
アレンは故郷テルサの町での生活を思い出して呟く。「おはようございます。アレンさん。」
「おはよう、ルイさん。」
「ルイさんは本当に早起きだね。寝過ごしたりしないの?」
「教会での生活が長いこともあって、寝過ごしたことは今まで1度もありません。正規の聖職者が全員揃わないと朝の礼拝が出来ませんし68)、そうなると
その後の職務に影響を与えますから、時間の厳守は聖職者の基本且つ重要事項とされているんです。正規の聖職者として名簿に新規登録された人は
全員、基本的な生活習慣の教育を二月かけて受けることが、教会人事服務規則に明記されています。無断欠勤などは始末書といって一種の詫び状の
提出が義務付けられていて、あまりにもそのような事例が多いと聖職者として不適格であると見なされ、教会の名簿から除名されて聖職者の資格と賢者の
石を剥奪されるんです。」
「へえ・・・。随分厳しいんだね。」
「あ、俺、今から着替えてくるよ。すっかり忘れてた。」
「はい。私は此処で待ってますから。」
「・・・ねえ、ルイさん。」
ティンルーを半分ほど飲んだところで、徐にアレンが会話の口火を切る。「はい。何でしょう?」
「この国の聖職者の人事制度とかをもう少し詳しく教えてくれないかな?例えば・・・、内部昇格の基準とか目安とかいったもの。」
「順を追ってお答えしますね。」
「各町村の教会における内部昇格は、中央教会を含む全地区の教会の総長と副総長、そして総務部長が審議して決定します。その結果は中央教会の
総長名で全地区の教会に設置されている掲示板で告示して、総務部長が決定後2週間以内に国の中央教会に届け出ることが義務付けられています。
国の中央教会は全国の正規の聖職者の名簿を作成・整備していて、報告を受けて名簿を更新するからです。」
「へえ・・・。本当に役人みたいだね。」
「この国の聖職者は役所の職員と同等の格付けがなされていて、その上国家レベルで給料など基本的な待遇などが保障されていますから、人事関係などは
役所より厳格な部分もあるんですよ。次に内部昇格の目安ですが、これは勤務実績や称号、そして対象である聖職者の将来性などを勘案します。」
「じゃあ、この称号になったら必ずこれくらいの役職に就任出来るとか、このくらい年数勤務したらこのくらい昇格するとは限らないってこと?」
「はい。王国議会議員を輩出することもあって人事異動が活発なこの町の教会は少し事情が異なりますが、多くの町村では特にその町村出身のの聖職者を
厚遇する傾向が強いようです。前にもお話したかもしれませんが、その町村で高位の聖職者を輩出することは非常に名誉なこととされていますから。
私の場合ですと、勤続年数は他の聖職者より概して短いのですが、5歳から修行を始めて14歳で司教補に昇格したことで、私を早い段階から要職に就けて
他の町村の教会からの抗議などを回避しようとしているようです。司教補ですと通常は各部の委員、勤務実績が優秀でも常任委員が一応の目安なんですが、
他の町村の教会からの抗議や私宛の異動要請が増える一方なので、中央教会の祭祀部長という名誉ある、同時に職責が要求される役職に就かせたよう
ですね。」
「本当にルイさんは聖職者の鏡だね。」
「アレンさんにそう言ってもらえると嬉しいです。」
「話は変わるけど、ルイさんには週1回休日があるんだよね?」
「はい。」
「聞いちゃいけないことかもしれないけど、休日はどう過ごしてるの?」
「『教書』を読んだり、中央教会付属の慈善施設を訪問したりしています。」
「あ、ルイさんは慈善施設で生まれ育ったんだよね。そこで生活してる子ども達の遊び相手になったりしてるの?」
「はい。私は聖職者の修行を始めて以来ずっと教会に住み込みで働いていますが、慈善施設があったからこそ私はこの世に生を受けて、母と共に暮らせて
来られたんです。慈善施設にはかなり多くの子ども達が居るんですが、特に幼い子どもの割合が高いんです。村の人の大半は農業ですから、朝早くから
畑仕事や家畜の世話をしなければならないために子どもの面倒を見られなかったり、高額の小作料を少しでも目減りさせるために子どもを慈善施設に
預けざるを得ないご家庭が多いんです。」
「・・・。」
「私は母と一緒に暮らしていましたからずっと幸せです。親と一緒に居たい年代なのに離れ離れの生活を余儀なくされている子ども達に、少しばかりでも
生きる喜びや希望といったものを提供したいんです。」
「俺はオークとかが攻め込んで来た時に町を護るために出動したことはあったけど、基本的に毎日食事の用意をして掃除して風呂沸かして、っていう
パターンだったから、ルイさんみたいに変な言い方かもしれないけどメリハリのある生活じゃなかったんだ。今までルイさんやクリスから話を聞いてこの国の
正規の聖職者がどれだけ忙しいかは大体分かったつもりだけど、・・・毎日の過ごし方の違いって言うのかな・・・。そういうものがあっても良かったかな。
魔術学校は呪文の暗記が嫌になって3日で辞めちゃったんだけど、続けてれば魔力が増えて召還魔術も色々使えたかもしれないし。こんな中途半端じゃ
この国に生まれて正規の聖職者になろうとしたら、1日ももたないんだろうな・・・。」
「アレンさんは町の人を護るために、夜中でも飛び起きて魔物を撃退するために頑張っていたんですから、大丈夫ですよ。」
「そうかな・・・。」
「おっはよー。」
台所に少し眠気が篭った挨拶が入って来る。声の主はパジャマ姿で脇に着替えを抱えたクリス。トレードマークの1つといえるポニーテールではない髪は、「あ、クリス。おはよう。」
「おはよう、クリス。ちょっと眠そうね。」
「んー。なーんかこう、かったるいっちゅうかそんな感じ。目覚ましのティンルー入れてよ。」
「ちょっと待って。」
「あー、やっぱし朝こうやってこのティンルー飲むと、頭スッキリするわ。」
一口啜ってから満足げな表情を浮かべたくリスは、入れたてでかなり熱いにもかかわらず、勢い良くティンルーを飲み干す。胃袋の大きさや肝臓の強さのみ「ごっそさん。んじゃ着替えて来るわ。今日も美味い料理頼むな。」
空になったカップをルイに返したクリスは、すっかり目が覚めた様子で着替えに向かう。クリスが起きたら続いてフィリアが起き、最後はリーナが起きる。「今日は昨日より、ルイさんのことで突っ込んだことを聞きたいんだ。良いかな?」
「勿論ええよ。ルイを無事にするためやったら出来る限り協力する。何が聞きたい?」
「えっと・・・、まずは昨日も聞いたルイさんが右手人差し指に填めている、お母さんの形見だっていう指輪のことから。」
「昨日の夜仲間と情報交換をしたら、ルイさんが填めている指輪に一連の事件の核心に迫る謎が秘められている可能性がある、って言われたんだ。5万か
10万デルグで売れそうな指輪を持ってるなら、厳しい戸籍制度のせいで生きてるのに死んだことにされたら大変なことになるこの国に留まるより、指輪を
売って別の国に行く資金にした方が良い筈なのにルイさんのお母さんがそうしなかったのは、何かわけがあるんじゃないかって。」
「あの指輪か・・・。魔法的な力は篭ってへん、その意味では普通の指輪やけど、高値で売れるんは間違いあらへん。サイズを直した店のオヤジも言うとったし。
アレン君の仲間が言うとおり、戸籍上死んだことにされたんやったらこの国に居らんでも、別の国に行った方が良かったんと違うやろか、とはあたしも思う。」
「クリスは、あの指輪を直接見せてもらったことがある?・・・指に填めてる状態だけじゃなくて裏側とか細かいところまで。」
「うん、あるよ。流石に服喪の最中にお母ちゃんの形見の指輪観察させてくれ、なんて言えへんかったで、喪明けから少し後で見せてもろた。」
「裏側とかに、ルイのお母さんの名前は刻印されてなかった?」
「否、実際見せてもろたけど、刻印はなかったよ。サイズ直した店のオヤジも見た筈やけど、何も言わへんかったわ。」
「じゃあ、あの複雑なカットが施されたダイヤは?」
「本物のダイヤで滅茶高級なもんやちゅうことは分かったけど、宝石以外では何も変わったところあらへんかった、って店のオヤジが言うとった。」
「そうか・・・。」
「じゃあさ・・・。ダイヤや指輪の本体について何か特徴とかは知らない?例えばダイヤはある場所でしか採れないとか、そういうの。」
「うーん・・・。ちょっと待ってぇな。思い出してみるで。」
「これがアレン君の関心に引っ掛かるかどうかは分からへんのやけど・・・。」
暫しの沈黙の後、クリスはそのままの表情で言う。「指輪本体が相当熟練した職人やないと出来へんもんで、ダイヤもあんだけ複雑なカットやと此処みたいなでかい町でしか売っとらへん、王族か一等貴族
くらいしか買えへん代物やろうっちゅうことは昨日も言うたとおりやけど・・・、店のオヤジは、もしかするとこれは特注品かも知れへんって言うとったわ。」
「同じ高級品でも、特注品だと何か違うの?」
「決定的に違うんはそれを注文出来るかどうかや。店頭に並んどるやつやったら高うても20万デルグくらいで買える。高級品ゆうてもある程度は数作れるで、
王族や一等貴族やなくても、大儲けした成金連中とかやったら買えへんことはあらへん。この町みたいなでかい町に家持っとる二等貴族くらいやったら、
1個くらいは持っとるかもしれへん。所詮成金趣味やけどな。せやけど、特注品は注文する人間が店の主人と筆頭職人69)から相当の信頼得とらへんと
注文することも出来へん。特注品作るんは筆頭職人やし、それ作るんに専念せんならんでな。成金趣味の二等三等貴族がいきなり出向いても、まず
門前払いや。仮に注文出来たとしても、全財産分捕られるくらいの覚悟はせんならん。そういうもんやから、特注品ちゅうのはえらい価値のあるもんなんよ。」
「クリスに頼みたいんだけど、ルイさんの指輪を実際に見せてもらって特徴とかを俺に話してくれないかな?」
「それやったら、アレン君が直接ルイに言うてもええんと違うかなぁ。ルイもアレン君の頼みやったら断わらへんと思うよ。」
「俺はまだルイさんと知り合って日が浅いから、まだ100ピセル信用を得ているとは思えないんだ。クリスは小さい頃からずっと苛められてたルイさんを護って
来た実績や信頼があるから、クリスから頼んだ方がルイさんも抵抗感が少ないと思って。」
「あんだけ熱烈な求愛の意思表示しとるくらいやで嫌がらへんと思うけど・・・、分かった。あたしが見せてもらうわ。指輪の外見とかそういうのを出来るだけ
詳しくアレン君に教えればええんやな?」
「うん。頼むよ。」
「ルイさんの指輪に関しては決まりとして、もう1つクリスに聞きたいことがあるんだ。」
「何や?」
「前に此処でクリスは、ルイさんのオーディションへの出場の経緯を話してくれたけど、差出人不明の封書で申し込まれたことを知ったルイさんは辞退しようと
したけど、お母さんを亡くしたことで落ち込んでいたルイさんが気分転換にでもなれば良いと思ってクリスは出場を強く勧めて、ルイさんは予選に出場した。
そして下馬評どおりに圧勝した。此処までは間違いないよね?」
「そのとおりや。」
「でも、ルイさんは当初予選に出場だけって言ってたのにいきなり本選に出場するって態度を変更して、本選が開催されるこの町に来た。ルイさんが襲撃
されるようになったのも予選が終わって村を出発する前あたりからだった・・・。」
「そうそう。」
「ルイさんに疑いの目を向けたくないんだけど、どうしてルイさんが前言撤回の上に休職届を出してまで本選に出場したのかが不思議なんだ。もしかしたら
その態度変更の経緯に何か謎があるんじゃないか、っていうのが俺と仲間の現在の見解なんだ。クリスはこの件で何か思い当たることとかない?」
「そのことか・・・。」
「あたしもあれは今でも不思議に思とるんよ。アレン君の言うとおり、ルイは最初予選に出るだけて言うとったのに、いきなり本選に出るて態度変更したんよ。
真面目と誠実を人間の形にしたようなあの娘が、ある日いきなり前言撤回して態度をころっと変えたんはあたしも不思議でしゃあない。んでも、あたしが
その理由聞いても気晴らしして来る、て言うただけなんや。せやからあたしも、ルイが何で態度変更したんかは分からへんねん。」
「そうか・・・。だとすると、クリスが部屋に戻ってから問い質してもルイさんは話さないだろうな・・・。」
「役に立てへんで御免な。あたしも聞きたいんは山々なんやけど、ルイにオーディションに出るよう勧めたんはあたしやで、どうして出る気になったんかとか、
そういうことに関してはあんましルイに言うたり出来る立場やあらへんねん。」
「それは仕方ないよ。じゃあルイさんから直接話を聞くのは止めて、別の方向から切り込んでみようかな。」
「前にクリスから、フォン氏がリルバン家の当主に就任した前後あたりに教会人事監査委員会の委任状を持った人達が村の役場を訪ねたらしい、って話を
聞いたけど、それ以外で何かルイさんの周辺でおかしなこととか起こってない?特にルイさんが狙われるようになった村を出発する時期あたりに。」
「うーん・・・。ちょいと待ってな。」
「些細なことでも、関係なさそうなことでも良いから。」
「・・・あたしのお父ちゃんが言うとったことなんやけど・・・。」
先程より長い沈黙の時間が経過した後、クリスが慎重に言葉を選ぶ様子を見せながら話し始める。「村のオーディション予選開催前後あたりで、急に入隊志願者が出て来たって。」
「そう言えばクリスのお父さんは村駐在の国軍指揮官だっけ。でも、軍隊への入隊志願者が出て来るのは別におかしくないんじゃないの?この国に徴兵
制度があるのかどうかはしらないけど。」
「この国の軍隊は徴兵制やなくて志願制なんよ。お父ちゃんとお母ちゃんが教えてくれたんやけど、それはこの国の戸籍制度が絡んどる。何処の馬の骨とも
分からん奴を国の軍隊に入れると、商人に武器とか横流しして金稼いだり、下手すると王族や一等貴族当主とか、高位の聖職者とかの暗殺に乗り出したり
するかも知れへんっちゅうことでな。金稼ぐくらいやったら小作料ようけ取っとる二等三等貴族と大して変わらへんでまだええけど、この国の国家体制に
えらい影響力持っとる王族や一等貴族当主とか、王国議会議員にもなる高位の聖職者とかが暗殺されたら洒落にならへん。お父ちゃんが国軍に入隊した
時も入隊試験を受ける前に戸籍の写しを提出するよう言われたし、お父ちゃんは今はお母ちゃんと結婚したのもあって村に根付いとるけど、国軍の派遣軍で
全国を異動しとった頃は、その町に住むたんびに戸籍調べられたって言うとったわ。」
「ということは、別の国から流れ込んで来てそのまま国軍に入れることはないってことか。」
「そういうことや。それに、入隊志願者は農作物が不作で、特に二等三等貴族連中に雇われとる小作人やとまともに生活出来へん年とか、そういう時に
増えるんが普通なんやけど、今年は今のところ結構豊作らしいし、オーディションの予選開催前後っていう村全体がお祭り騒ぎになる時期に入隊志願して
来るんは、時期的にもちょっと変なんよ。で、お父ちゃんは役場に入隊志願して来た奴らの戸籍を調べてもろうたんやけど、戸籍はちゃんとあるっちゅう報告
受けて試験受けさせたら全員合格したでそのまま入隊させた、ってお父ちゃんが言うとった。」
「各町村に駐留している軍隊を統括するのが、クリスのお父さんのような国軍指揮官なんだよね?」
「そう。各町村に駐在する軍隊はその町村単位で幹部会を組織して、そこで誰が何時何処を警備するかとか、そういうのを決めるんよ。幹部会の議長は
各町村の国軍指揮官、あたしとルイが住んどるヘブル村やと、あたしのお父ちゃんや。オーディションの予選前後に入隊志願して来た奴らも勿論任務を
与えられたんやけど、問題は起こらへんかった。まあ、盗みでもやらかそうもんたら即刻クビやし、入隊試験でも面接で倫理観とか道徳心とか、そういうもんは
しっかり問われるで、問題起こす方が珍しいんやけど。」
「入隊そのものに関しては問題なかったけど、時期が変だってことか・・・。ちょっと気になるな・・・。」
「前にも話したかもしれへんけど、ルイを殺そうと襲ってきてあたしが倒した兵士の1人を締め上げたら雇われた、って言うたで、少なくとも国軍の兵士や
ないとあたしは思とる。あたしの推測はあんまし当てにならへんで聞き流してええよ。」
「否、クリスから聞ける話は重要なものが多いから、その兵士が急に入隊志願して来たのにも何か理由があるかもしれない。その辺は外で動いてる仲間と
情報交換して詳しく調べてみるよ。他に何か思い当たることとかない?」
「うーん・・・。御免。今はちょっとよう思い出せへん。思い出したら直ぐアレン君に言うわ。」
「頼むよ。じゃあ、今回はこのくらいにして部屋に戻ろう。」