Saint Guardians

Scene 7 Act 3-3 接近-Approach- 接近する2つの翳

written by Moonstone

 その日の夜。
何時もどおりアレンはルイと夕食後のデザートを振る舞い、後片付けをして最後の風呂に入った。
現時点で最も怪しいと睨んでいるリルバン家当主フォンの実弟ホークが警備班班長を解任されて別館に軟禁されているとはいえ、警備の兵士がルイの
抹殺を狙って動かないという保証はない。ホークの背後には顧問と称してあのザギ若しくはその側近である衛士(センチネル)が居る可能性が高いからだ。
 ホークの動きは封じても顧問なる人物の動きまで封じられたとは言い切れない。イアソンからも今のところ顧問に関する詳細の情報は入っていない。
危険と隣り合わせである以上、建物を損壊させる可能性がある魔法を使うより、拳と蹴りで戦えるクリスか、剣を使えるアレンのどちらかがルイと常に行動を
同じくする方が安全だ。特に服を脱ぐことで結界を張らずしても多少なりともある防御力がほぼ0になる入浴時には細心の注意を要する。
アレンとルイが2人きりになることでもめた結果アレンは1人で入浴することになったのだが、結果としては良かったと言える。
 そのアレンは入浴中だけは男に戻っている。不本意ながらも女になれるようになって久しいが、女になっているとどうも身体を洗うのに不自由を感じる
からだ。
シーナから「万が一に備えて」と渡されている、服用すると1日限り本当に女になる薬は、薬学にも秀でたシーナが効能を設計しただけあって副作用は一切
ないが、女になること自体がアレンにとっては不本意なことだ。しかし、自分が女になっているからと言ってルイが面白がることもなく変に同情することもなく
普通に接してくれることで、アレンの不満は随分和らいでいる。早く危険と醜悪な欲望が底流に蠢くオーディションが終わり、ルイに纏わりつく翳と災厄の
禍根を断ち、ルイを安全にしたいとアレンは思う。
 アレンは浴槽たっぷりの湯に浸かることで、今日も朝から晩まで料理とその後片付けをしたことで蓄積した疲労を癒す。
夜誰もが寝静まる頃に、リルバン家の屋敷に潜入しているイアソンからの通信が入る。イアソンが「敵地」で入手した情報と照合、推測することで、ルイが執拗に
命を狙われる背景に迫り、核心を掴むことが最大の目的だ。
今日はルイの指輪を間近で見て、指輪がルイの母の形見だということも改めて分かった。そしてその指輪は非常に高価なものらしく、アレン達が滞在する
此処フィルのような大きな町の、しかも王族や一等貴族御用達の宝飾店でしか入手出来ない代物らしいことも分かった。
戸籍上死んだことになっていて、輸送用の馬車に紛れてヘブル村に入って来たというルイの母ローズの謎めいた過去も気になる。イアソンが今日どんな
情報を入手したのかは聞いてみないことには分からないが、何か有力なきっかけや手がかりを掴めればとアレンは思う。

 アレンは風呂から上がり、パジャマを着て瓶に入っている小粒の薬を服用する。これでアレンは女になり、胸が張る代わりにウエストが緩くなる。
パジャマのゴムを締めたアレンは、女って結構不自由してるのかな、と思う。
浴室と脱衣室のランプを消して部屋に出ると、リーナとフィリアとクリスは既に就寝。ルイだけがベッドに腰掛けて起きている。ルイはヘブル村に居た頃
20ジム就寝の規則正しい生活を続けていたから、まだ体内時計が眠りのベルを鳴らさないのだろう。ルイはアレンが出て来たのを見て立ち上がり、アレンに
歩み寄る。

「アレンさん。今日も1日お疲れ様でした。」

 アレンがルイに対する好感を日に日に強めているのは、ルイのこうしたちょっとした気配りも大きい。
元来我侭なリーナは食事を作れ、ティンルーを出せ、と命令する一方で自分は何ら手を出さない。フィリアも料理こそ喜んで食べるしメニューにあまり文句を
言ったりしないが−生に近い魚料理だと未だに食べるまでは顔を顰(しか)める−、クリスとの食事やカジノ談義に夢中でまったく手を出さない。
クリスは重要な情報源となってはいるが、派手に飲み食いするため大量に食事を用意しなければならず、アレンの重荷になっている面は否定出来ない。
そんな中唯1人、自身もオーディション本選出場者でありながら料理は勿論後片付けも進んでするルイの存在は、アレンの心を惹き付ける。
 そして、就寝前の一言。
自分も大量の料理の仕込みや後片付けをしているのだから、幾ら故郷で当番制で手がけていたとはいえ、自身も相当疲れている筈だ。そんな素振りは少しも
見せず、アレンの1日の働きを直接労うルイがアレンの心を掴むのは必然的な流れと言える。

「ルイさんも今日1日お疲れ様。ゆっくり休んで。」
「はい。でもアレンさんはこれから、外で動いている仲間の人と連絡を取り合うんですよね。・・・私のために。」
「辛い境遇に負けないで村の誰もが認める聖職者になったルイさんが、わけも分からずに命を狙われてるんだ。放っておけないよ。」

 アレンの飾らない言葉が、ルイの胸を締め付けるには余りある。
中性的、否、女性的と言うべき外見が災いしてアイドルか着せ替え人形扱いされてきたことが劣等感となり、今まで恋愛経験がなかったアレンは、わざと
言葉や態度を飾って異性を惹き付けるという手段を知らない。だが、それが幸いして心を率直に伝えることになり、ルイの想いを強くさせている。
本人が気取ったり飾ったりしていないという意識がない分その心情はより率直に言葉や態度に表れるため、ルイが深読みしなくても良いというのも大きい。

「ルイさんはゆっくり休んでよ。俺より朝が早いんだし、明日は明日でまた料理に神経を使わないといけないから。」
「はい。アレンさんもゆっくり休んでくださいね。・・・では、先に休ませていただきます。」
「お休み、ルイさん。」

 自分に一礼してベッドへ向かうルイの後姿を見て、アレンは一刻も早くルイが命を狙われる禍根を断ち、平穏無事な人生を満喫してほしいと願う。同時に、
もしそこに自分との交際の意思があるのなら旅への同行を申し出ようか、後ろ髪を引かれる思いで別れるのか、と苦悩する・・・。
 ルイが寝る前に1つだけ灯っていたリビングのランプが全て消え、アレンが居る台所だけにランプが灯る。
コップに汲んだ水を飲みつつ待っていたアレンの耳に、待望の声が流れ込んで来る。

『アレン、聞こえるか?』
「聞こえるぞ、イアソン。」

 イアソンから通信が入ると分かっているから、アレンは前もって送信機を耳から外している。

『まず、そっちで今日入手した情報を教えてくれ。』
「前に伝えたことと一部重複するかもしれないけど、ルイさんのお母さんはヘブル村に輸送用の馬車に紛れて入って来た。で、名前は言ったけど何処から
来たとか何をしていたのかとかは、役人やルイさんのお母さんを保護した慈善施設の職員にも話してないんだって。」
『なるほど・・・。他には?』
「ルイさんはお母さんの形見の指輪を右手の人差し指に填めてるんだけど、その指輪は5万か10万デルグはする高価なものらしくて、複雑なカットのダイヤも
ついてるんだ。指輪そのものの価値は高いけど魔法的な力は何も篭ってない、そういう意味ではごく普通の指輪だそうだ。」
『ふむふむ・・・。』
「あと、貴族の後継者の証みたいなものは一等貴族の中で建国神話にまで歴史が遡ると言われる王冠を持っている家系以外では特にそういうものはない
らしいんだけど、一等貴族じゃなくても次期当主の妻とか婚約者はその時に応じて指輪とかをもらうらしいんだ。で、この国では結婚指輪には必ず銀を使って
裏に自分と相手の名前を刻印するんだけど、それは『聖なる輝きにその名を刻み、永遠(とわ)の愛を誓う』って意味があって、婚約指輪は一種の通過儀礼
だから厳密な決まりはない、カップルの好き好きで浮気するな、とか、絶対結婚しよう、とかいう意味を込めて贈る場合もあるらしいんだ。」
『なるほど・・・。問題の彼女が母親の形見として身に着けている指輪がキーアイテムになりそうだな。じゃあ、こっちで掴んだ情報を伝える。』

 意味ありげなことを言葉に続き、イアソンは話し始める。

『俺もそうだが、ドルフィン殿やシーナさんもザギ本人若しくはその側近と睨んでいる、ホーク氏が重用している顧問なる人物について、もう少し詳しい事情が
分かった。顧問は一等貴族の次期当主となる可能性が最も高い直系、つまり当主の実子が王国議会に各種法案の新規提出や改定案を提出する際に
必要な存在となっている。言い換えれば顧問を通さないと次期当主継承権第1位であっても、王国議会に法案を提出出来ないってことだ。』
「それって何か意味があるのか?」
『大有りだ。』

 アレンの訝る問いに対し、イアソンは即答する。

『一等貴族はこの国の建国神話にも登場する、この地に派遣された天使に付き添った従教徒の末裔とあるから数は10で固定、しかも絶対世襲制だ。一等
貴族の当主は自動的に王国議会議員になるが、他に王国議会に出席出来る国の中央教会とこの町の6つの地区教会の代表者、そして国王に任命された
二等三等貴族とは違って、議案提出権、質疑権、議決権66)の全てを持つ。特に議案はこの国全体に適用される法律ともなると、一等貴族の当主しか
提出権がない。それだけ一等貴族の当主の地位は王国議会でも絶大なんだ。言い換えれば、一等貴族の提出した法案次第で国の運営が大きく変わる
可能性がある。』

 アレンは、この国における一等貴族、中でもその代表者である当主の権限の絶大さを改めて実感する。
数の関係で提出した法案が必ず可決されるとは限らないが、繰り返し出されたり、一等貴族の当主が多くの二等三等貴族などに影響力があったりすると、
国民からすればとんでもない法案でも可決されてしまう危険性がある。逆に言えば、兄弟であってもそんな絶大な権限を持てる次期当主の座を巡って
それこそ殺し合いになる可能性すらある。側室から生まれた腹違いの兄弟ともなれば、その子が次期当主となることで側室の出身家庭の地位が飛躍的に
上昇するから、尚のこと血で血を洗う後継者争いが展開される可能性は高まる。
 ホークは現時点でリルバン家次期当主継承権第1位だという。しかし、現当主フォンはホークを次期当主として指名していない。イアソンの前の言葉を
借用すれば、人間は何時死ぬか分からないのだから、実子はおろか側室も居ないのなら早急にホークを次期当主と指名すべきだ。しかし、ホークはフォンと
自身の実父でもある先代と同等以上の強硬派。しかも一等貴族としての統治能力などは執事の目から見ても明らかに低いと言う。先代が名立たる強硬派と
して恐れられてきたのだから、その体制を変えたフォンは現当主として、暗黒時代に逆戻りするのを阻止する必要がある。

『話をアレンの疑問に近づけていく。一等貴族の直系、すなわち現当主の実子はこの国の成人年齢である18歳から間接的な議案提出権を持てる。間接的と
いうのが、顧問を通じなければならないという意味だ。顧問を通じて当主の承認を得ることで初めて、自身の出した法案が王国議会に提出されるんだ。
ホーク氏は問題の顧問を5年前、つまり先代当主が急病を罹患して逝去して現当主のフォン氏が当主に就任した前後の時期に招聘したそうだ。以来
ホーク氏はその顧問を通じて度々、この国の人民にとってより厳しい生活を強いることになる小作料率の大幅引き上げや、前にも話した、先代も熱心だった、
この国の少数民族のバライ族の隣国シェンデラルド王国への強制移民、その他、二等三等貴族など金持ちには有利で小作人など貧乏人には不利な法案を
頻繁に提出している。勿論穏健派で農漁民など人民の大多数を占める職種の処遇改善に熱心なフォン氏が、そんな法案を認める筈がない。全てフォン氏が
封殺して来たそうだ。これは先代の時代でも立場を変えて起こっている。』

 イアソンは一呼吸置く。

『フォン氏はかなり以前から先代の方針に批判的で、先代に意見を言ったりしたんだが、それが先代との確執を生んだ。間接的議案提出権を得た18歳に
なってからは、先代が二等三等貴族の強硬派を抱き込んで可決を狙っていた抑圧的若しくは搾取的法案の対案を提出していた。その際フォン氏の顧問の
役割を果たしていたのが、リルバン家の筆頭執事にして現当主フォン氏の側近中の側近であるロムノ氏だ。先代は一等貴族としての統治能力や職務遂行
能力の面ではフォン氏を認めていたが、先にも言ったとおり深刻な確執があった。そのため、次期当主としてフォン氏を強く推していたロムノ氏がフォン氏の
顧問になることで先代との仲介役も果たしていたってわけだ。ロムノ氏は先代の在位中に筆頭執事に昇格67)した有能な執事で、流石の先代も、自分の
側近でもあるロムノ氏の進言や意見をぞんざいに扱えなかったが、フォン氏の対案は悉く封殺していたそうだ。』

 リルバン家における先代当主と現当主フォンとの深刻な確執が窺える一方、ロムノの執事としての有能ぶりも窺える。
ワンマン体質の人間が上位にある時、下位の者は進言や異論を言えなくなる。少しでも言葉や行動に示せば追放などの粛清が待っている。ロムノは名立たる
強硬派としてその名を馳せた先代の在位中に筆頭執事に昇格し、その先代の方針と正反対の対案を提出する動きをしていたのだ。普通なら罷免どころか
処刑されかねない行動だが、そういった動きを見せていた人物が抑え込まれなかったのは、それだけその人物の働きや能力が心情を差し置いて認めざるを
得ないものだったということでもある。
 フォンがロムノにオーディション担当者を決定する際に相談役とするなど、深い信頼を寄せている理由や背景は分かった。同時に、一等貴族当主の
権限には国民の行方を左右する重大なものもあり、先代が考え方を同じくしていたホークを次期当主に指名する意向だったことや、今尚自分が招聘した
顧問を通じてその考えを反映させようと目論んでいることも判明した。
 だが最大の焦点はやはり、ルイが執拗に命を狙われる背景だ。
昨夜の段階でイアソンは仮説を提唱している。アレンも今日クリスから話を聞いて、その仮説にかなりの信憑性を感じつつある。だがもしそれが本当だと
すれば、ホークをどうにかしない限り、ルイはオーディション本選が終わってからも命を狙われ続けることになる。それ以前に顧問を介して、オーディション
本選までにそれまで潜めていた牙を剥き出しにして襲い掛かってくるかも知れない。
アレンは嫌な予感とそれが杞憂に終わることを心の底で願いつつ、話を切り出す。

「リルバン家の人間関係は詳しく分かった。確認すると、名立たる強硬派だった先代と現当主フォン氏との間には深刻な確執があった。考え方が同じだと
いうことでホーク氏を次期当主に指名する意向だった先代に進言したり、フォン氏の顧問を買って出て先代との仲介役を果たしていた。そして、先代が
急病を罹患して逝去したから法律の優先順位に沿って長男のフォン氏が当主に就任して、ホーク氏はフォン氏の就任前後の時期に今の顧問を招聘した。
・・・要約するとこんなところだよな?」
『そのとおりだ。』
「じゃあ問題の核心に入るけど・・・。」

 アレンは冷や汗が頬を伝うのを感じて、次に出す言葉を出しあぐむ。

「ホーク氏が招聘して今も重用している顧問は、今表に出て来てないのか?」
『今のところ表に出ている様子はない。恐らくホーク氏は問題の顧問の助言を受けて、まず自身が統括していた警備班所属の兵士に刺客を紛れ込ませ、
次にオーディション本選出場者に成りすました刺客を送り込んで問題の彼女を抹殺しようとした。しかし何れもアレンが彼女を護ったことで失敗に終わった。
外部から隔離されている筈のそっちのホテルで2度も不審人物の侵入を許したことでホーク氏はフォン氏の怒りを買ってその場で解任、別館に軟禁された。
警備班所属の兵士の中にはまだホーク氏か顧問の息がかかった奴が紛れ込んでいるかもしれないが、今度しかけてしくじったら、フォン氏は間違いなく
ホーク氏を処刑させるだろう。だから今は、確実に問題の彼女を抹殺出来るタイミングを窺っていると考えられる。』
「それってやっぱり・・・オーディション本選かな。」
『そう考えるのが妥当だな。フォン氏がホーク氏に下した処分は、オーディション本選終了後まで別館に軟禁の他、司法委員会っていう、この国の裁判所に
相当する組織にかけるというものだ。他の使用人は、普段温厚なフォン氏の怒りの凄まじさから、ホーク氏は最低でもリルバン家からの永久追放が
避けられないとの見方で一致している。一等貴族当主の実弟という看板を外されたら兵士を動かせない。資金がないことには兵士崩れの傭兵を雇うことも
ままならないし、顧問がザギ本人若しくはその衛士(センチネル)なら、レクス王国の例も考えると、一等貴族の次期当主の看板を失ったホーク氏を用済みと
見なして切り捨てる可能性が高い。だからオーディション本選に的を絞って確実に仕留めるつもりだろう。それまで息を潜めていれば、問題の彼女やアレンが
油断するだろうと踏んでいるのもあるかもしれないが。』
「・・・その話とも関係するけど・・・、一等貴族は絶対世襲制で直系優先なんだよな?」
『そのとおりだ。』
「現時点で次期当主継承権第1位のホーク氏がリルバン家を追放されたら、継承権は後ろにずれ込む。だとすると、リルバン家には他に当主継承権を持つ
人が居るのか?例えばフォン氏から見て叔父とか叔母とか。」
『彼方此方探りを入れたが、先代の傍系に当たる、アレンの表現を借りればフォン氏の叔父や叔母は1人も居ない。実は俺も、アレンの言いたいことが気に
なってたんだ。ホーク氏をリルバン家から永久追放したら、実子も居なければ側室も居ない、おまけに叔父や叔母も居ないから一等貴族の家系を絶やす
ことになっちまうが、それは絶対許されない。それにドルフィン殿とシーナさんに調べてもらったんだが、一統貴族では養子縁組は禁止されている。
なのにフォン氏がホーク氏を永久追放して当主継承権を持っている人物を居なくすることに、他の使用人や執事が動揺したりしないのは何故か、ってな。』

 アレンが言いたかったが言えなかった課題をイアソンが代弁する。
次期当主継承権第1位にして唯一の継承者を永久追放してしまえば、一等貴族の家系を絶やしてしまう。だが、それは決して許されない。その上養子縁組も
禁止されている。なのに、他の使用人や執事がリルバン家消滅を何ら問題視しないのはあまりにも不可解だ。しかも、使用人はホークのリルバン家からの
永久追放は不可避との見解で一致していると言う。
本来なら雇用の喪失はおろか、建国神話にまで歴史が遡るという由緒正しい一等貴族の家系の消滅は、この国の信仰の根深さを考えればただ事ではない
筈だ。

『昨日の仮説に修正を加えれば、リルバン家の次期当主継承に関する疑問は、ホーク氏とその顧問の関係を除けばほぼ全て合理的に説明出来る。』
「・・・。」
『俺はリルバン家に潜入したが、周囲に疑われないようにするよう使用人としての職務を優先していることやフォン氏を実際見たことがないのもあって、内情に
あまり深く突っ込めない部分がある。だからどうしても別の角度から切り込む必要がある。そこでアレンに頼みがある。』
「俺に?」
『ああ。背景も交えて言うからよく聞いてくれ。』

 イアソンは一呼吸置く。アレンは緊張のあまり思わず息を呑む。

『問題の彼女の母親だが、戸籍制度が頑強なこの国で生きているにもかかわらず戸籍上死んだことになっていたというのは、あまりにも奇妙だ。やはり
何者かが彼女の母親を死んだと届け出たか、或いは役所に圧力をかけるなりして、生きているにもかかわらず死亡とした可能性が高い。奇妙な経緯で村に
紛れ込んできた彼女の母親が、この町のごく限られた階級しか買えないような豪華な指輪を填めていたのも奇妙な話だ。素人が見積もっても5万か10万
デルグはするというその指輪を売り払って、国外への脱出資金にした方がずっと良い。他の国の戸籍ってのはせいぜい税金をどれだけ取れるかの指標に
しかなってないんだからな。そうせずにこの国に留まって問題の彼女に託したということは、その指輪に謎の核心が秘められている可能性が高い。』
「・・・。」
『だからアレン。お前は彼女の指輪をよく調べてくれ。』
「調べるって・・・。俺は宝石の鑑定とかは出来ないぞ。」
『アレンは言ったよな?この国では結婚指輪に必ず銀を使う、そしてその裏側には自分と相手の名前を刻印する、それは「聖なる輝きにその名を刻み、
永遠(とわ)の愛を誓う」って意味があって、婚約でも結婚への誓いや浮気防止のために釘を刺す意味で同様のことをするカップルが居るって。』
「ああ。」
『だからアレンは、彼女が填めているその指輪をしっかり見せてもらうんだ。表だけじゃなくて裏側とかもな。』

 イアソンの言葉はいよいよ最大の謎の核心に突入するものだ。
強い婚約の意思を表すために贈った指輪なら、その裏側に結婚指輪と同様のことが施されている可能性は高い。母から受け継いだその曰くつきの指輪を
所有していることが何らかの経緯で知られた結果が、ルイへの執拗な追撃となっているということだ。何らかの手段で状況証拠をどれだけ入手していても、
1つの物的証拠には及ばない。

『前にも言ったと思うがいきなり、その指輪を外して見せてくれ、って言うような依頼の仕方は厳禁だ。彼女はアレンの自分を見る目が変わるのを恐れて、
あえて真相を隠している可能性がある。指輪に関する情報の入手先が彼女の護衛なら、護衛は彼女と相当親しい筈だ。彼女が填めている指輪の実情を
それなりに知ってるんだからな。だから、彼女の護衛から間接的に聞き出すか、彼女の護衛に依頼して指輪を調べてもらうという手段が考えられる。』
「なるほど・・・。」

 言葉では同調するものの、アレンの心境は消極的だ。
クリスから直接聞きだすのは、クリスがルイの安全の保障のため協力に積極的だからまだ比較的抵抗感はないが、クリスに頼んでルイの指輪を調べてもらうと
いうのは、ルイだけでなくクリスをも利用するような気がしてならない。
 クリスは普段こそ破天荒そのものだが、ルイの安全や未来を願うその真摯な気持ちの基は「親友だから」の一言では片付けられない、強く篤いものだ。
ルイの今後を保障するために必要だとは言え、クリスのその真摯な気持ちをも利用することに、アレンはどうしても及び腰になってしまう。人の良さや義理
人情といったものは、非情や相手の裏をかくことを由とする情報戦では特に遂行の妨げとなる。アレンの場合はそれがもろに出た格好だ。

『指輪に証拠がなくても、彼女が狙われるにはそれ相応の物的証拠がある筈だ。一等貴族の次期当主の継承権欲しさに状況証拠だけで怪しい人物を全て
抹殺しようとする可能性もなくはない。レクス王国の国王にせよホーク氏にせよ、強権的な人物はそういう行動を執る傾向にあるからな。だが、この国が国を
挙げて実施している、しかも外国からの旅行者の飛び入り参加も受け入れるオーディション本選出場者の宿泊施設警備を統括する任務を担いながらも
あえて彼女に的を絞って命を狙ってるってことは、それだけの確証、つまり物的証拠を把握しての行動と考えるのが自然だ。そうでなければ自分の地位を
貶(おとし)めるようなことをしてまで彼女を抹殺しようとはしないだろう。権力やその行使に固執したがる強権的な人物なら尚更な。』
「・・・つまり、ルイさんやクリスから引き続き徹底的に情報を聞き出せ、ってことか。」
『そういうことだ。気が進まない気持ちは分かる。だが、時と場合ってもんがある。彼女の命を脅かす禍根を絶たないことには、彼女には遅かれ早かれ抹殺
されるという運命が待っている。それが嫌ならアレン。お前は心を鬼にして情報収集を最優先するんだ。』
「分かった。」

 アレンは苦渋の決断を下す。
ルイの古傷を抉るようなことはしたくない。だがそうしなければルイを護れない。そんなジレンマがアレンの心に重く圧し掛かる。

『俺からアドバイス出来るようなことがあるなら、勿論する。アレン。今まで入手した情報の中で、俺に伝えてないものはあるか?』
「えっと・・・。ちょっと待ってくれないか?」
『ああ。焦る必要はない。じっくり思い出すんだ。』

 アレンはこのホテルに入ってからのやり取りを思い出す。
ルイに関する情報の中心となって来たのはクリスだ。クリスはルイがアレンに想いを寄せていることを知ったから、アレンとの会話の前に自分が話したことを
ルイから聞いていないことを理由にルイを嫌わないでと頼んだり、このオーディションが終わってその気があるならルイを連れて行ってくれと頼んでいる。
アレンは懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。何か今までの会話の中で重要なものをイアソンに伝えていないものはないか、ひたすら記憶の引き出しを弄る。
 暫しの沈黙の後、アレンはクリスが言ったことを思い出す。

「イアソン。待たせて悪い。」
『否、それは良い。どうした?』
「2つある。1つは前と重複するかもしれないけど、フォン氏がリルバン家就任直後、だから5年前か?その時にルイさんとクリスが住んでるヘブル村に視察に
訪れた時、ルイさんはフォン氏を出迎える列に加わったんだって。」
『フォン氏は就任直後に全国を視察したって言ってたな・・・。1つ聞くが、彼女と護衛が住んでる村の規模とかはどうなんだ?』
「農業と牧畜が主産業の辺境の村で、教会は中央の他に東と西があるそうだ。あまり人口は多くないらしくて、教会付属の慈善施設や武術道場の経営も
フォン氏がリルバン家当主に就任するまでは相当厳しかったらしい。」
『ふむふむ・・・。で、もう1つは?』
「ルイさんはオーディションの予選出場を辞退するつもりだったけど、クリスに強く勧められて断りきれなくなって出場を決めた。」
『ふむ。』
「最初は予選だけってルイさんは言ってただけど、途中になって急に本選に出場する、って態度を変更したんだって。」
『・・・その彼女の性格は、アレンから見てどうだ?あと彼女の護衛の視点もあればそれも。』
「正規の聖職者、それもこの国で凄く尊敬される祭祀部長ってことを実証してるみたいに、真面目で穏やかな性格だよ。クリスはルイさんのあの態度変更が
不思議で仕方ないらしい。確かに俺も普段のルイさんを見てるとそれは不思議に思うけど。」
『・・・アレン。その件について彼女の護衛から詳細を聞き出すんだ。態度を変更したのが何時なのか、態度を変更したきっかけは何だったのかを。』
「態度変更の時期ときっかけか。俺も気にはなるけど、それって重要なのか?」
『非常に重要だ。』

 イアソンの具体的なアドバイスに首を傾げたアレンの問いに、イアソンは即答する。

『彼女がオーディションの予選に出場することになったのは自薦じゃなくて、差出人不明の封書で申し込まれたことだった。そして当然と言うか、正規の
聖職者で仕事熱心な彼女は辞退するつもりだったが、彼女の護衛の強い勧めに押し切られる形で予選に出場した。そうだよな?』
「ああ。」
『なのに彼女が前言撤回の上に本選出場を自ら言い出したってことは、彼女は何らかの目的を持ってこの町に来た可能性が非常に高い。態度変更の
きっかけの内容によっては、彼女に何者かが何らかの形で接触して、オーディション本選出場を機会にこの町に来るよう要請した可能性も浮上する。』

 イアソンの言うとおり、ルイの予想外の態度変更は謎の解明に別の角度から深く切り込む可能性をも孕んでいる。
回想してみると、ルイがオーディション本選出場の経緯を話した際にその目的についてフィリアに突っ込まれたが言葉を濁していた。あの時は「何か事情が
あるのだろう」くらいにしか思っていなかったが、クリスから気晴らしして来る、という理由を聞き出した。その理由にも、イアソンの解説を受ければ大きな
疑問が浮かぶ。
 昼間クリスから聞いた逸話からも、ルイは非常に仕事熱心で村への愛着も強いことが分かっている。なのに、クリスに強引に予選出場へと押し切られた
オーディション本選に、「気晴らしして来る」などと安易な−この場合の定義−理由で、しかも常に言動一致と貫徹の道を走るルイが、前言撤回という無責任な
行為の上に休職届けを出してまで村を離れることはまず考えられない。イアソンの解説を踏まえて考えると、ルイがフィリアの突っ込みに言葉を濁したのは、
何らかの理由、しかも表立って言えない理由があってこの町に来たためだと合理的に説明出来る。しかも、それはイアソンの仮説を更に裏付けするものとも
なる。

「・・・ルイさんが何らかの目的を持ってて、あえて隠している可能性があることは分かった。だけど、誰かがルイさんと接触してこの町に来るように要請
したのなら、その背後に居たのはホーク氏かその顧問って可能性もあるんじゃないか?」
『その可能性もなくはないが、かなり低い。既に彼女は予選終了後から度々襲撃されているという経歴があるからだ。仕事熱心で村への愛着も強い彼女の
関心を村の外に向かわせるような要請をしたりして誘い出しておきながら、彼女を昼夜問わず襲撃するというある意味分かりやすい行動を執るとは考え難い。
この町に来るよう誘い出したのならそっちのホテルに入ってからでも十分間に合うし、むしろホテルまで平穏無事に出向かせることで油断を誘うことが出来る。
本当の悪人って奴は、自分が明らかに手段を行使したと分かるようなことはしない。自分の手を汚さないように汚さないように他人を利用するもんだ。』

 流石に情報戦や工作活動に秀でているだけあって、イアソンの言うことには説得力がある。
ホークやその顧問が首謀者なら、ホテル内で警備の兵士や別の本選出場者に扮装した刺客を送り込んで抹殺を狙うという手の込んだ手段を執る一方で、
村からこの町のホテルに到着するまでに度々襲撃させるといった分かりやすい手段を執るとは考え難い。
 そもそもルイの抹殺を狙うなら、オーディションが始まる前の普通の生活を送っていた頃に手を下した方が抹殺の理由が分かり難くなる。オーディションの
予選終了後から襲撃が始まったということは、オーディション絡みと考えるのが自然だ。

「となると、気晴らしして来る、っていうルイさんのオーディション本選出場の意思表示は表向きのことで・・・。」
『本当の目的は別にある、と考えられるな。』

 アレンとイアソンの見解が一致する。だが、アレンとしては一致して欲しくなかった。好意を抱く相手が自分に隠し事をしていると知って良い気分はしない
ものだ。益々現実味を帯びてきたイアソンの仮説も踏まえると尚更、どうして自分に話してくれないのか、と思えてならない。

『・・・彼女は私生児だ。しかも母親が戸籍上死んだことになっていたがために、壮絶な過去を背負ってる。噛んだ唇から血が溢れ出るほどの思いも幾度となく
経験した筈だ。それこそ無数にと言って過言じゃないほどにな。』

 暗い気持ちになりかけていたアレンの耳に、イアソンの冷静な声が流れ込んで来る。

『そんな、普通なら何もかも投げ出したくなっておかしくない逆境を跳ね返して、彼女は村の誰もが認める地位と名声と信頼を勝ち得たんだ。その彼女を
真剣に想ってるならアレン。お前は彼女が自分に隠し事をしていることも含めて彼女を真正面から受け止めてやれ。』
「・・・うん。」
『前にも言ったが、彼女はお前が自分が見る目が変わるのを恐れて真相を隠している可能性がある。今回の情報の突き合わせでその可能性はより高まった。
たとえ何があっても、彼女が何であろうとアレンの気持ちに変わりはない、と彼女が100ピセル確信すれば、彼女は自分から真相を話してくれるだろう。
きっと彼女も、その時を待っている筈だ。・・・辛い過去を癒すのは時間だけじゃない。心から信頼出来て辛い過去を話せる相手も必要なんだ。』

 少ししんみりした口調でのイアソンの言葉が、アレンの胸に深く大きな残響を生む。アレンは目を閉じてルイとの日々を思い起こしてみる。
ルイをホテルのロビーで初めて見た時、胸が締め付けられるような感じがした。
その日の夜、警備の兵士に扮装した何者かに襲撃されて自分に救いの手を求めるルイの叫びを聞きつけて必死の思いで駆けつけ、敵を全滅させた。
その時大粒の涙を零しながら自分の胸に飛び込んで来たルイ。そのルイを安心させるべく抱き締めた時の感触と温もりは今でも思い出せる。
 以来1日の大半を同じくするようになり、リーナにこき使われているという不満は不思議と解消されている。いきなり至近距離から刺殺を狙った凶刃から
ルイを身を挺して護ったのは、ルイを護りたい、という気持ちが反射的に身体を動かしたからだ。その気持ちは、民族の違いや肌の色の違いで変わっては
いない。私生児と知ってショックは受けたが、やはり変わってはいない。
今こそ自分が目指していた「男」に近づく試練の時ではないのか?
ルイが自分を見る目が変わるのを恐れているのに、自分までそれを恐れていてどうするのだ?
 アレンは目を開く。その大きな2つの瞳からは迷いは消えている。

「・・・俺は引き続き情報収集を進める。イアソンのアドバイスどおり、ルイさんの態度変更の時期とか詳細を探ってみる。あと、指輪も。」
『決心出来たようだな。ドルフィン殿も安心するだろう。』
「どうしてドルフィンが?」
『俺がさっき言った言葉は、俺がこの国の法体系を伝え聞いた際にドルフィン殿から言伝されたものだ。必要になった時アレンに伝えろ、って補足と共にな。』
「そうなんだ・・・。」
『俺も引き続き行動する。頼んだぞ。』

 イアソンとの通信を終えたアレンは、送信機を耳に戻す。そしてリビングの方を見る。暗闇一色で見えないが、ルイはひと時の安らぎに浸っているだろう。
そして明日自分が起きた時には、これまでと同じように明るい微笑みで迎えてくれるだろう。
迷う必要はない。迷っている余裕はない。何としても真相を突き止め、ルイに纏わりつく黒い翳を払い除けなければならない。
決意を新たにしたアレンは残りの水を飲み干し、台所のランプを消して眠りに就くためにリビングへ赴く・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

66)議案提出権、質疑権、議決権:イアソンの情報の補足になるが、議案提出権と質疑権を持つのは一等貴族当主と教会代表者、議決権は一等貴族当主と
教会代表者、そして二等三等貴族と定められている。国全体に関わる法案の議案提出権は一等貴族の当主のみ有する。


67)筆頭執事に昇格:一等貴族の執事の階級は上から順に筆頭、一等、二等となっている。全体の人数は当主の裁量に依るが、筆頭は1人と定められて
いる。ちなみに執事の任免権一切は当主が有する。文中にもあるように、ロムノの手腕は思想の違いを超越するものだと考えられる。


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