「アレンさん。今日も1日お疲れ様でした。」
アレンがルイに対する好感を日に日に強めているのは、ルイのこうしたちょっとした気配りも大きい。「ルイさんも今日1日お疲れ様。ゆっくり休んで。」
「はい。でもアレンさんはこれから、外で動いている仲間の人と連絡を取り合うんですよね。・・・私のために。」
「辛い境遇に負けないで村の誰もが認める聖職者になったルイさんが、わけも分からずに命を狙われてるんだ。放っておけないよ。」
「ルイさんはゆっくり休んでよ。俺より朝が早いんだし、明日は明日でまた料理に神経を使わないといけないから。」
「はい。アレンさんもゆっくり休んでくださいね。・・・では、先に休ませていただきます。」
「お休み、ルイさん。」
『アレン、聞こえるか?』
「聞こえるぞ、イアソン。」
『まず、そっちで今日入手した情報を教えてくれ。』
「前に伝えたことと一部重複するかもしれないけど、ルイさんのお母さんはヘブル村に輸送用の馬車に紛れて入って来た。で、名前は言ったけど何処から
来たとか何をしていたのかとかは、役人やルイさんのお母さんを保護した慈善施設の職員にも話してないんだって。」
『なるほど・・・。他には?』
「ルイさんはお母さんの形見の指輪を右手の人差し指に填めてるんだけど、その指輪は5万か10万デルグはする高価なものらしくて、複雑なカットのダイヤも
ついてるんだ。指輪そのものの価値は高いけど魔法的な力は何も篭ってない、そういう意味ではごく普通の指輪だそうだ。」
『ふむふむ・・・。』
「あと、貴族の後継者の証みたいなものは一等貴族の中で建国神話にまで歴史が遡ると言われる王冠を持っている家系以外では特にそういうものはない
らしいんだけど、一等貴族じゃなくても次期当主の妻とか婚約者はその時に応じて指輪とかをもらうらしいんだ。で、この国では結婚指輪には必ず銀を使って
裏に自分と相手の名前を刻印するんだけど、それは『聖なる輝きにその名を刻み、永遠(とわ)の愛を誓う』って意味があって、婚約指輪は一種の通過儀礼
だから厳密な決まりはない、カップルの好き好きで浮気するな、とか、絶対結婚しよう、とかいう意味を込めて贈る場合もあるらしいんだ。」
『なるほど・・・。問題の彼女が母親の形見として身に着けている指輪がキーアイテムになりそうだな。じゃあ、こっちで掴んだ情報を伝える。』
『俺もそうだが、ドルフィン殿やシーナさんもザギ本人若しくはその側近と睨んでいる、ホーク氏が重用している顧問なる人物について、もう少し詳しい事情が
分かった。顧問は一等貴族の次期当主となる可能性が最も高い直系、つまり当主の実子が王国議会に各種法案の新規提出や改定案を提出する際に
必要な存在となっている。言い換えれば顧問を通さないと次期当主継承権第1位であっても、王国議会に法案を提出出来ないってことだ。』
「それって何か意味があるのか?」
『大有りだ。』
『一等貴族はこの国の建国神話にも登場する、この地に派遣された天使に付き添った従教徒の末裔とあるから数は10で固定、しかも絶対世襲制だ。一等
貴族の当主は自動的に王国議会議員になるが、他に王国議会に出席出来る国の中央教会とこの町の6つの地区教会の代表者、そして国王に任命された
二等三等貴族とは違って、議案提出権、質疑権、議決権66)の全てを持つ。特に議案はこの国全体に適用される法律ともなると、一等貴族の当主しか
提出権がない。それだけ一等貴族の当主の地位は王国議会でも絶大なんだ。言い換えれば、一等貴族の提出した法案次第で国の運営が大きく変わる
可能性がある。』
『話をアレンの疑問に近づけていく。一等貴族の直系、すなわち現当主の実子はこの国の成人年齢である18歳から間接的な議案提出権を持てる。間接的と
いうのが、顧問を通じなければならないという意味だ。顧問を通じて当主の承認を得ることで初めて、自身の出した法案が王国議会に提出されるんだ。
ホーク氏は問題の顧問を5年前、つまり先代当主が急病を罹患して逝去して現当主のフォン氏が当主に就任した前後の時期に招聘したそうだ。以来
ホーク氏はその顧問を通じて度々、この国の人民にとってより厳しい生活を強いることになる小作料率の大幅引き上げや、前にも話した、先代も熱心だった、
この国の少数民族のバライ族の隣国シェンデラルド王国への強制移民、その他、二等三等貴族など金持ちには有利で小作人など貧乏人には不利な法案を
頻繁に提出している。勿論穏健派で農漁民など人民の大多数を占める職種の処遇改善に熱心なフォン氏が、そんな法案を認める筈がない。全てフォン氏が
封殺して来たそうだ。これは先代の時代でも立場を変えて起こっている。』
『フォン氏はかなり以前から先代の方針に批判的で、先代に意見を言ったりしたんだが、それが先代との確執を生んだ。間接的議案提出権を得た18歳に
なってからは、先代が二等三等貴族の強硬派を抱き込んで可決を狙っていた抑圧的若しくは搾取的法案の対案を提出していた。その際フォン氏の顧問の
役割を果たしていたのが、リルバン家の筆頭執事にして現当主フォン氏の側近中の側近であるロムノ氏だ。先代は一等貴族としての統治能力や職務遂行
能力の面ではフォン氏を認めていたが、先にも言ったとおり深刻な確執があった。そのため、次期当主としてフォン氏を強く推していたロムノ氏がフォン氏の
顧問になることで先代との仲介役も果たしていたってわけだ。ロムノ氏は先代の在位中に筆頭執事に昇格67)した有能な執事で、流石の先代も、自分の
側近でもあるロムノ氏の進言や意見をぞんざいに扱えなかったが、フォン氏の対案は悉く封殺していたそうだ。』
「リルバン家の人間関係は詳しく分かった。確認すると、名立たる強硬派だった先代と現当主フォン氏との間には深刻な確執があった。考え方が同じだと
いうことでホーク氏を次期当主に指名する意向だった先代に進言したり、フォン氏の顧問を買って出て先代との仲介役を果たしていた。そして、先代が
急病を罹患して逝去したから法律の優先順位に沿って長男のフォン氏が当主に就任して、ホーク氏はフォン氏の就任前後の時期に今の顧問を招聘した。
・・・要約するとこんなところだよな?」
『そのとおりだ。』
「じゃあ問題の核心に入るけど・・・。」
「ホーク氏が招聘して今も重用している顧問は、今表に出て来てないのか?」
『今のところ表に出ている様子はない。恐らくホーク氏は問題の顧問の助言を受けて、まず自身が統括していた警備班所属の兵士に刺客を紛れ込ませ、
次にオーディション本選出場者に成りすました刺客を送り込んで問題の彼女を抹殺しようとした。しかし何れもアレンが彼女を護ったことで失敗に終わった。
外部から隔離されている筈のそっちのホテルで2度も不審人物の侵入を許したことでホーク氏はフォン氏の怒りを買ってその場で解任、別館に軟禁された。
警備班所属の兵士の中にはまだホーク氏か顧問の息がかかった奴が紛れ込んでいるかもしれないが、今度しかけてしくじったら、フォン氏は間違いなく
ホーク氏を処刑させるだろう。だから今は、確実に問題の彼女を抹殺出来るタイミングを窺っていると考えられる。』
「それってやっぱり・・・オーディション本選かな。」
『そう考えるのが妥当だな。フォン氏がホーク氏に下した処分は、オーディション本選終了後まで別館に軟禁の他、司法委員会っていう、この国の裁判所に
相当する組織にかけるというものだ。他の使用人は、普段温厚なフォン氏の怒りの凄まじさから、ホーク氏は最低でもリルバン家からの永久追放が
避けられないとの見方で一致している。一等貴族当主の実弟という看板を外されたら兵士を動かせない。資金がないことには兵士崩れの傭兵を雇うことも
ままならないし、顧問がザギ本人若しくはその衛士(センチネル)なら、レクス王国の例も考えると、一等貴族の次期当主の看板を失ったホーク氏を用済みと
見なして切り捨てる可能性が高い。だからオーディション本選に的を絞って確実に仕留めるつもりだろう。それまで息を潜めていれば、問題の彼女やアレンが
油断するだろうと踏んでいるのもあるかもしれないが。』
「・・・その話とも関係するけど・・・、一等貴族は絶対世襲制で直系優先なんだよな?」
『そのとおりだ。』
「現時点で次期当主継承権第1位のホーク氏がリルバン家を追放されたら、継承権は後ろにずれ込む。だとすると、リルバン家には他に当主継承権を持つ
人が居るのか?例えばフォン氏から見て叔父とか叔母とか。」
『彼方此方探りを入れたが、先代の傍系に当たる、アレンの表現を借りればフォン氏の叔父や叔母は1人も居ない。実は俺も、アレンの言いたいことが気に
なってたんだ。ホーク氏をリルバン家から永久追放したら、実子も居なければ側室も居ない、おまけに叔父や叔母も居ないから一等貴族の家系を絶やす
ことになっちまうが、それは絶対許されない。それにドルフィン殿とシーナさんに調べてもらったんだが、一統貴族では養子縁組は禁止されている。
なのにフォン氏がホーク氏を永久追放して当主継承権を持っている人物を居なくすることに、他の使用人や執事が動揺したりしないのは何故か、ってな。』
『昨日の仮説に修正を加えれば、リルバン家の次期当主継承に関する疑問は、ホーク氏とその顧問の関係を除けばほぼ全て合理的に説明出来る。』
「・・・。」
『俺はリルバン家に潜入したが、周囲に疑われないようにするよう使用人としての職務を優先していることやフォン氏を実際見たことがないのもあって、内情に
あまり深く突っ込めない部分がある。だからどうしても別の角度から切り込む必要がある。そこでアレンに頼みがある。』
「俺に?」
『ああ。背景も交えて言うからよく聞いてくれ。』
『問題の彼女の母親だが、戸籍制度が頑強なこの国で生きているにもかかわらず戸籍上死んだことになっていたというのは、あまりにも奇妙だ。やはり
何者かが彼女の母親を死んだと届け出たか、或いは役所に圧力をかけるなりして、生きているにもかかわらず死亡とした可能性が高い。奇妙な経緯で村に
紛れ込んできた彼女の母親が、この町のごく限られた階級しか買えないような豪華な指輪を填めていたのも奇妙な話だ。素人が見積もっても5万か10万
デルグはするというその指輪を売り払って、国外への脱出資金にした方がずっと良い。他の国の戸籍ってのはせいぜい税金をどれだけ取れるかの指標に
しかなってないんだからな。そうせずにこの国に留まって問題の彼女に託したということは、その指輪に謎の核心が秘められている可能性が高い。』
「・・・。」
『だからアレン。お前は彼女の指輪をよく調べてくれ。』
「調べるって・・・。俺は宝石の鑑定とかは出来ないぞ。」
『アレンは言ったよな?この国では結婚指輪に必ず銀を使う、そしてその裏側には自分と相手の名前を刻印する、それは「聖なる輝きにその名を刻み、
永遠(とわ)の愛を誓う」って意味があって、婚約でも結婚への誓いや浮気防止のために釘を刺す意味で同様のことをするカップルが居るって。』
「ああ。」
『だからアレンは、彼女が填めているその指輪をしっかり見せてもらうんだ。表だけじゃなくて裏側とかもな。』
『前にも言ったと思うがいきなり、その指輪を外して見せてくれ、って言うような依頼の仕方は厳禁だ。彼女はアレンの自分を見る目が変わるのを恐れて、
あえて真相を隠している可能性がある。指輪に関する情報の入手先が彼女の護衛なら、護衛は彼女と相当親しい筈だ。彼女が填めている指輪の実情を
それなりに知ってるんだからな。だから、彼女の護衛から間接的に聞き出すか、彼女の護衛に依頼して指輪を調べてもらうという手段が考えられる。』
「なるほど・・・。」
『指輪に証拠がなくても、彼女が狙われるにはそれ相応の物的証拠がある筈だ。一等貴族の次期当主の継承権欲しさに状況証拠だけで怪しい人物を全て
抹殺しようとする可能性もなくはない。レクス王国の国王にせよホーク氏にせよ、強権的な人物はそういう行動を執る傾向にあるからな。だが、この国が国を
挙げて実施している、しかも外国からの旅行者の飛び入り参加も受け入れるオーディション本選出場者の宿泊施設警備を統括する任務を担いながらも
あえて彼女に的を絞って命を狙ってるってことは、それだけの確証、つまり物的証拠を把握しての行動と考えるのが自然だ。そうでなければ自分の地位を
貶(おとし)めるようなことをしてまで彼女を抹殺しようとはしないだろう。権力やその行使に固執したがる強権的な人物なら尚更な。』
「・・・つまり、ルイさんやクリスから引き続き徹底的に情報を聞き出せ、ってことか。」
『そういうことだ。気が進まない気持ちは分かる。だが、時と場合ってもんがある。彼女の命を脅かす禍根を絶たないことには、彼女には遅かれ早かれ抹殺
されるという運命が待っている。それが嫌ならアレン。お前は心を鬼にして情報収集を最優先するんだ。』
「分かった。」
『俺からアドバイス出来るようなことがあるなら、勿論する。アレン。今まで入手した情報の中で、俺に伝えてないものはあるか?』
「えっと・・・。ちょっと待ってくれないか?」
『ああ。焦る必要はない。じっくり思い出すんだ。』
「イアソン。待たせて悪い。」
『否、それは良い。どうした?』
「2つある。1つは前と重複するかもしれないけど、フォン氏がリルバン家就任直後、だから5年前か?その時にルイさんとクリスが住んでるヘブル村に視察に
訪れた時、ルイさんはフォン氏を出迎える列に加わったんだって。」
『フォン氏は就任直後に全国を視察したって言ってたな・・・。1つ聞くが、彼女と護衛が住んでる村の規模とかはどうなんだ?』
「農業と牧畜が主産業の辺境の村で、教会は中央の他に東と西があるそうだ。あまり人口は多くないらしくて、教会付属の慈善施設や武術道場の経営も
フォン氏がリルバン家当主に就任するまでは相当厳しかったらしい。」
『ふむふむ・・・。で、もう1つは?』
「ルイさんはオーディションの予選出場を辞退するつもりだったけど、クリスに強く勧められて断りきれなくなって出場を決めた。」
『ふむ。』
「最初は予選だけってルイさんは言ってただけど、途中になって急に本選に出場する、って態度を変更したんだって。」
『・・・その彼女の性格は、アレンから見てどうだ?あと彼女の護衛の視点もあればそれも。』
「正規の聖職者、それもこの国で凄く尊敬される祭祀部長ってことを実証してるみたいに、真面目で穏やかな性格だよ。クリスはルイさんのあの態度変更が
不思議で仕方ないらしい。確かに俺も普段のルイさんを見てるとそれは不思議に思うけど。」
『・・・アレン。その件について彼女の護衛から詳細を聞き出すんだ。態度を変更したのが何時なのか、態度を変更したきっかけは何だったのかを。』
「態度変更の時期ときっかけか。俺も気にはなるけど、それって重要なのか?」
『非常に重要だ。』
『彼女がオーディションの予選に出場することになったのは自薦じゃなくて、差出人不明の封書で申し込まれたことだった。そして当然と言うか、正規の
聖職者で仕事熱心な彼女は辞退するつもりだったが、彼女の護衛の強い勧めに押し切られる形で予選に出場した。そうだよな?』
「ああ。」
『なのに彼女が前言撤回の上に本選出場を自ら言い出したってことは、彼女は何らかの目的を持ってこの町に来た可能性が非常に高い。態度変更の
きっかけの内容によっては、彼女に何者かが何らかの形で接触して、オーディション本選出場を機会にこの町に来るよう要請した可能性も浮上する。』
「・・・ルイさんが何らかの目的を持ってて、あえて隠している可能性があることは分かった。だけど、誰かがルイさんと接触してこの町に来るように要請
したのなら、その背後に居たのはホーク氏かその顧問って可能性もあるんじゃないか?」
『その可能性もなくはないが、かなり低い。既に彼女は予選終了後から度々襲撃されているという経歴があるからだ。仕事熱心で村への愛着も強い彼女の
関心を村の外に向かわせるような要請をしたりして誘い出しておきながら、彼女を昼夜問わず襲撃するというある意味分かりやすい行動を執るとは考え難い。
この町に来るよう誘い出したのならそっちのホテルに入ってからでも十分間に合うし、むしろホテルまで平穏無事に出向かせることで油断を誘うことが出来る。
本当の悪人って奴は、自分が明らかに手段を行使したと分かるようなことはしない。自分の手を汚さないように汚さないように他人を利用するもんだ。』
「となると、気晴らしして来る、っていうルイさんのオーディション本選出場の意思表示は表向きのことで・・・。」
『本当の目的は別にある、と考えられるな。』
『・・・彼女は私生児だ。しかも母親が戸籍上死んだことになっていたがために、壮絶な過去を背負ってる。噛んだ唇から血が溢れ出るほどの思いも幾度となく
経験した筈だ。それこそ無数にと言って過言じゃないほどにな。』
『そんな、普通なら何もかも投げ出したくなっておかしくない逆境を跳ね返して、彼女は村の誰もが認める地位と名声と信頼を勝ち得たんだ。その彼女を
真剣に想ってるならアレン。お前は彼女が自分に隠し事をしていることも含めて彼女を真正面から受け止めてやれ。』
「・・・うん。」
『前にも言ったが、彼女はお前が自分が見る目が変わるのを恐れて真相を隠している可能性がある。今回の情報の突き合わせでその可能性はより高まった。
たとえ何があっても、彼女が何であろうとアレンの気持ちに変わりはない、と彼女が100ピセル確信すれば、彼女は自分から真相を話してくれるだろう。
きっと彼女も、その時を待っている筈だ。・・・辛い過去を癒すのは時間だけじゃない。心から信頼出来て辛い過去を話せる相手も必要なんだ。』
「・・・俺は引き続き情報収集を進める。イアソンのアドバイスどおり、ルイさんの態度変更の時期とか詳細を探ってみる。あと、指輪も。」
『決心出来たようだな。ドルフィン殿も安心するだろう。』
「どうしてドルフィンが?」
『俺がさっき言った言葉は、俺がこの国の法体系を伝え聞いた際にドルフィン殿から言伝されたものだ。必要になった時アレンに伝えろ、って補足と共にな。』
「そうなんだ・・・。」
『俺も引き続き行動する。頼んだぞ。』