Saint Guardians

Scene 7 Act 3-1 接近-Approach- 心と謎の核心に迫る一歩

written by Moonstone

 時間を少し遡る。
リルバン家に仕える使用人達の慌しい1日が終わろうとしていた頃、執務室のドアがノックされる。中に居た部屋の主フォンがどうぞ、と言うとドアが静かに
開き、リルバン家の筆頭執事でありフォンの右腕でもあるロムノが失礼します、と言って入室する。ロムノはフォンが座するテーブルの前に立ち、フォンは
手にしていたペンをペン立てに入れ、背凭れに身を委ねて軽く小さな溜息を吐く。

「すまないな。こんな夜遅くに。」
「いえ。フォン様のご命令とあらば。」

 フォンはもう一度小さい溜息を吐いて、ひと呼吸置いてから口を開く。

「・・・どうだ?」
「表向きは至って平穏のようでございます。」

 声量を落としてのフォンの問いに対し、ロムノも声量を落として答える。

「・・・いかがなさいますか?」
「当面このままで良かろう。・・・もう一つの方は?」
「こちらも表向き、動きはないようでございます。いかがなさいますか?」
「動きがない以上、こちらから動くわけにもいくまい。迂闊に動けば思う壺だ。」

 フォンは難しい表情で溜息を吐く。重苦しい心境を表しているかのようだ。

「・・・やはり、オーディション本選終了まで待つのが最善の手段ではないかと。動きがあるとすれば、現状ではその時期以外考えられません。」
「そうだな。・・・しかし、どのように接触すれば良いのか・・・。」
「数々のアクシデントはありましたが、フォン様が中央実行委員長になられたこの折に巡り会えたのも、やはり神の思し召し。今は時を待つのが賢明かと。」
「うむ・・・。」

 苦渋と悲哀が混じったが故の眉間の皺は、フォンから消える気配がない。目を閉じ、何かを思い起こすような沈黙の後、フォンは酷く思い詰めた表情で
目を開く。

「私は・・・何処までも罪深い人間だ。直ぐ近くで重大なことが表面化の気配を窺っているというのに、何一つ自分で手出しが出来ないで居る・・・。一等貴族の
当主と言えど人は人。己の無力さを痛感するばかりだ。私はあの時と何ら変わっていない・・・。」
「ですが、フォン様が今まで出来得る限りの手を尽くして来られたのもまた事実。そのお心は必ずや、神の御心を動かしましょう。」
「だと良いのだがな・・・。」

 フォンは難しくもあり悲しげでもある表情を崩さずに、再び溜息を吐く。
暫し沈黙の時が流れた後、フォンが口を開く。

「・・・動きは掴めたか?」
「調査いたしましたところ、状況証拠しかない故指揮命令系統の所在の確認には至りませんでしたが、動きがあったのは確かでございます。」
「そうか・・・。」
「先程と重複いたしますが、次に動きがあるとすればオーディション本選だと思います。こちらも何らかの対策を執る必要があるかと。」
「警備班班長は何と?」
「問い合わせましたところ、従来の警備方式であれば出場者に危険が及ぶことはない、とのご回答がありました。」
「理由の核心は出しては居らぬだろうな?」
「勿論でございます。」
「やはりこれまでの警備体制で問題が生じたことがない上に本選まであと数日に迫った段階では、私の一存で警備体制を変更するのは不可能か・・・。」

 フォンはもう一度深い溜息を吐いてから言う。

「・・・動向は?」
「やはり現時点では動きを確認出来ておりません。動きがあるとすればこちらも、オーディション本選ではないかと。」
「奴が関与している可能性は高いが、確かな物的証拠がない以上はどうしようもない。逆に私の動きを封じる手に打って出るかもしれぬ・・・。」
「とりあえずオーディション本選までは、対象者の護衛と、現在宿泊施設での生活を同じくしている出場者の護衛の腕を信じるのが適切ではないかと。」
「確かにそのとおりだな。何らかの動きがあったら直ちに私に伝えてくれ。可能な限り手を尽くす。」
「承知いたしました。では、失礼いたします。」

 ロムノは深々とフォンに頭を下げ、静かに退室する。
再びフォン以外誰も居なくなった執務室の机を前に、部屋の主であるフォンは重い表情で溜息を吐き、ドローチュア入れを手にする。フォンの瞳に今より
顔立ちが若いフォンと共にやはり若い女性の顔が映り、フォンの表情はより悲しみの色合いを濃くする。
 暫しドローチュアを見詰めていたフォンの唇が微かに動く。そこから声が漏れていたとしても、フォン自身聞こえないだろう。フォンはドローチュア入れを
机の脇に置き、執務を再開する・・・。
 時間軸を元に戻す。アレンとルイは台所で朝食作りをしていた。
武術道場に通っているため比較的朝が早い方のクリスに続いてフィリア、リーナの順で起床したのを受けて、アレンとルイがまず手をつけるのが朝食作り。
朝食に関しては、この部屋で大きな権限を持つリーナが朝遅い傾向にあり、昼食までそれほど間がないことを自覚しているのか、凝ったものや毎日違う
メニューを要求することはない。だが、肉関係は一切御免という姿勢は頑として譲らない。そのため、朝食のメニューの1つとなるサンドイッチは卵と野菜の
組み合わせになる。
 サンドイッチとティンルーという組み合わせだけではつまらない、と思ったアレンとルイは、牛乳をベースにした少量のスープを作ることにした。
少量で液状のメニューなら腹が膨れて昼食が食べられないこともある程度避けられるし、食事の良いアクセントにもなる。
 牛乳をベースにしたスープは他にミールスープがあるが、今回アレンとルイが手がけるのはそれぞれの知恵と経験を生かした創作料理だ。
ミールスープと違ってとろみ感は殆どないが、香辛料を多めに投入することで食欲を増進すると共に飲み物の1つとしてティンルーとの違いを楽しむことも
出来る。こういった料理では食べる方はそれこそ腹を括る必要に迫られるが、料理の知恵と経験が豊富なアレンとルイが手を組めば、不安は期待に変わる。
サンドイッチの材料の1つとなるレタスやトマトは、切ったり割いたりする前に水に浸しておく。卵はサンドイッチを作る直前まで割らない。野菜はまだしも
卵はあまり日持ちが良くない。たとえ火を通したものでも常温で放置すると雑菌を繁殖させて食中毒の原因になることもある。ホテルで食中毒騒ぎを起こせば
リーナとルイのオーディション本選出場が危ぶまれるばかりか、それを口実にルイと引き剥がされて刺客の凶刃にルイを晒すことに繋がりかねないから、
その種の危険は未然に防がなければならない。
 料理は煮込みに時間がかかるスープから始まる。縦横を均一に小さく切り揃えた玉葱と人参を用意し、スープの具にするにはスープに投入して煮込むだけ
では足りない人参は前もって煮込んでおく。その間に別の竈で香辛料を入れた牛乳をじっくり煮込んで、味をある程度調えておく。玉葱は食感を齎すと
同時に調理によって味が染み出すから、スープへ投入する前に味を決めてしまうと香辛料を必要以上に投入することになり、結果として癖の強い味を作って
しまう。この辺もアレンとルイは勘のレベルでこなせる。リーナがアレンとルイに食事作り一切を任せるのも、2日目の食事で2人の料理の才能を認識した
からだ。野菜の下ごしらえはルイ、牛乳の味付けと煮込みはアレンが担当し、共に手が空く。煮込みにはどうしても時間が必要だから、ここは待つしかない。

「ねえ、ルイさん。」

 煮込み加減を見ながら、アレンはルイに尋ねる。

「はい。何でしょう?」
「全然料理とは関係ないこと聞くけど、ルイさんの聖職者としての村での暮らしってどんなものなの?前にクリスが、ルイさんは忙しい、って言ってたけど。」
「日や曜日によって、それに所属する部によっても行事の数や種類が違いますから、これと言える定型はありませんが、1日の流れは概ね決まっています。」

 ルイは前置きした上で、祭祀部における教会の1日を順を追って紹介する。

 5ジム:起床。着替えた後、朝食と朝の礼拝(総長主導)。
 6ジム:「教書」の朗読と学習、下級聖職者の基本指導。
 8ジム:通達にしたがって担当地区の家庭へ教会に赴く。
 10ジム:昼食と昼の礼拝(祭祀部主導)。
 11ジム:「教書」の朗読と学習、下級聖職者の実務指導。
 13ジム:通達にしたがって担当地区の家庭へ教会に赴く。
 15ジム:夕食と夕方の礼拝(総長主導)。
 16ジム:教会の清掃。
 17ジム:「教書」の朗読と学習、下級聖職者の実務指導、
 18ジム:通達にしたがって担当地区の家庭への教会へ赴く。
 20ジム:入浴後、就寝。

「−このような流れです。途中10ミム程度の休憩はあります。」
「朝起きてから寝るまで、びっしり詰まってるね。それだと早く辞めてしまう人が大勢出るのも納得出来るよ。」

 アレンは、ハードそのもののスケジュールに驚愕を通り越して感嘆さえする。
朝昼晩と3食は1ジム確保されてはいるが、それ以外は「教書」の朗読と学習、祭祀部の重要な職責である教会などで埋め尽くされている。
 以前、聖職者は所属地区教会だけではなく、必要に応じて他の地区の行事に赴くことが珍しくないとルイは言っていた。その人望と知名度の高さから村の
彼方此方から教会の依頼を受けるルイは、1日中村を走り回っていると容易に想像出来る。これでは、大人でも2/3は1年で根を上げてしまうのも無理はない。
逆にそんな厳しい修行に耐えて称号と役職を上げたルイだから、他の町村の教会から毎回大量の異動要請を受けたり、未婚男性や二等三等貴族などが目を
つけたりするのだろう。

「朝から晩まで働き詰めだけど、休日はないの?」
「週1日あります。聖職者全員が一斉に休むと、例えば私が所属する祭祀部ですと冠婚葬祭が出来なくなりますから、日程は役員会議で調整するんです。」
「・・・現金なこと聞いても良いかな。」
「ええ。私が知る範囲でしたらお答えします。」
「前にクリスから、非正規の聖職者は教会にお金を払って礼拝やマナーとかを教わるって聞いたけど、ルイさんのような正規の聖職者に給料は出るの?」
「はい。国の役所の人と同様で号棒制52)という制度です。基本的に年1回昇給があって−これは昇棒と言いますが、役職や称号が上昇すると号が
上がります。他に、特に勤務実績が優秀であると認められた場合には特別に棒や号が上昇します。これらの詳細は教会人事服務規則で定められています。」
「この国は本当に聖職者の位置づけがしっかりしてるね。俺が居たレクス王国は、王族の信仰が発端になって分離独立したっていう経緯があるのもあって
全体的に信仰心は薄いし、聖職者は衛魔術を使える人っていう程度の意識しかないんだよ。」
「その国にはそれぞれの歴史がありますから、一律に信仰の厚薄を問題にするのは良くないと思います。とは言え、私も信仰を優先するあまり、自身が直面
している身の危険を十分に認識しなかったために、フィリアさんやリーナさんに叱責されましたから、大きなことを言える資格はありませんね。」
「リーナの言葉を借りるけど、幼い頃から大人に混じって正規の聖職者として働いて来たんだから、信仰心がレクス王国とは比較にならないこの国の聖職者の
ルイさんなら、信仰が無意識に先に出てしまうのは無理もないことだよ。」
「アレンさんには、本当に感謝しています。私のために夜遅くまで外に居るお仲間と情報交換をしたりしているんですから・・・。当事者である私が、何の力にも
なれないのが申し訳なく思います。」
「ルイさんが負い目を感じる必要は全然ないよ。ルイさんは被害者なんだし、背後関係も不明で心当たりもないのに一方的に狙われてるんだから。」
「ありがとうございます。アレンさん。」

 ルイの感謝の言葉で、ぽこぽこと鍋の周囲が泡立ち始めた鍋を見ていたアレンの頬が微かに赤みを帯びる。日に日に好意を強めているルイから感謝
されて、嬉しくない筈がない。
 攪拌(かくはん)しながらでも牛乳が十分加熱されたところで、ルイが鍋に下ごしらえしておいた野菜を投入し、続いてサンドイッチを作り始める。
煮込み料理において加熱中の鍋から目を離すことは、火災の危険も伴うものだ。間違っても火災など起こすわけにはいかないから、アレンはスープの
煮込みに専念しなければならない。スープが出来るまでに手が空いたルイがサンドイッチを作れば、朝食はほぼ出来上がる。ティンルーを入れるために
必要な湯は、サンドイッチかスープの完成の目処がついてから鍋を加熱−既に火は入れてある−しても間に合う。この辺の段取りはアレンとルイは阿吽の
呼吸で出来る。
 スープの加熱具合を観察していたアレンは、完成が近付いたと直感してティンルーを入れるための湯を沸かし始める。クリスとルイが住むヘブル村特産の
ティンルーはフィリアとリーナにも好評で、朝食にはもはや欠かせない一品となっている。
サンドイッチも、料理に熟練しているルイの手によって素早く出来上がって、皿に美しく盛り付けられる。料理は味は勿論だが、見た目も重要な要素だ。
いかに美味い料理でも見た目が悪いと手を出し倦(あぐ)んでしまう。意外に食にこだわりのあるクリスと、お嬢様ぶりを−元々お嬢様だが−遺憾なく発揮する
リーナにも配慮した格好だ。
サンドイッチとスープがほぼ同時に出来上がり、ルイがティンルーを入れる間にアレンはトレイに皿を載せる。6人居るから2つに分ける。

「・・・ルイさん。」

 入れたてのティンルーが湯気と芳香を立ち上らせるカップを載せたルイに、先に全ての料理をトレイに載せたアレンが遠慮気味に言う。

「これから何度かクリスと話をすることがあると思うけど、それでルイさんへの気持ちが変わったりすることはないから・・・。」
「アレンさん・・・。」
「あくまでも、クリスから見て異変と思うことや、ルイさんが俺に直接言い難いことを聞いて、外で動いている仲間と情報を照合したりして、ルイさんが狙われる
背後関係を掴んで対策を練るだけだから・・・。ルイさんがどういう境遇や過去を背負っていても、それを知ったことでルイさんを嫌いになったりしないから・・・
安心して。」
「・・・はい。」

 言葉を選びながらのアレンの言葉に、ルイは瞳を潤ませて返答する。
このような場面に不慣れなアレンはイアソンの忠告にしたがって、情報収集の過程でルイへの気持ちが変わらないことをストレートに伝えてしまったのだが、
無駄に飾った言葉がない分、ルイにはアレンの心遣いが直に感じられる。美辞麗句を並べ立てるより、気持ちを素直に伝えた方が相手に感動や共鳴を
与えることはままあるものだ。
 アレンとルイは手分けして朝食を居間に運ぶ。目の前に並べられた見た目にも美味そうな朝食を見てフィリアとクリスは歓声を上げ、初めて食するスープの
美味さを褒め称える。リーナは一見淡々としているものの、満足そうな表情でペース良く食事を進めて行く。
6人の朝食の時間は賑やかに、和気藹々と流れていく・・・。
 朝食が終わって程なく、アレンとルイは昼食のメニューを考える。
リーナは部屋に居る者の中で最も朝が遅いのに、食事時間はきっちり指定している。そのため、食事を作るアレンとルイはなかなか一息吐けない。
相談の結果、今日はチェンド53)を作ることにする。これならどういうわけか肉料理をとことん嫌悪するリーナにも対応出来るし、量を多く作りやすいから、下手な
モンスター以上の食欲と胃袋を持つクリスにも対応出来る。
あと、付け合わせにタラドスープ54)を作ることにする。シンプルな味わいのスープと組み合わせることで、スパイシーなチェンドとの調和を図る計算だ。
 メニューが決まったら早速食材の調達。アレンは念のため剣を抜いてから近くの兵士に、必要な食材を列記したメモを渡して部屋に運んでもらうように依頼
する。暫くして兵士が運んで来た食材を受け取り、アレンとルイは分担して料理を作る。
タラドスープはあまり手がかからないが、チェンドは食材を均一の大きさに切り分ける必要がある。クリスの胃袋を満たすことを考えると、用意すべき食材の量は
かなりのものだ。2人がかりでないと手に負えない。
 アレンは自分と肩を並べるルイの料理の腕に感心すると共に、誰にも急き立てられることなく2人で楽しく料理を作る機会が持てることを期待している。
そのためにも、ルイが狙われる背後関係を一刻も早く掴み、禍根を断たなければならない。だが、イアソンの忠告どおり、いきなり核心に迫るような質問の
仕方は厳禁だ。ルイの古傷を抉ることになりかねないばかりか、ルイとの関係を突き崩す恐れもある。
「教書」の教えを知りたいとか周辺から徐々に詰めていけ、とイアソンはアドバイスしたが、情報戦に不慣れなアレンには適切な質問が思いつかない。焦りは
禁物だが事態は切迫している。オーディション本選まであと数日。仮にオーディション本選が無事終了しても、ルイが狙われる禍根を断たない限り、ルイの
今後の安全は保障されない。いかにルイと言えど、四六時中付け狙われながらの生活に耐えられる筈がない。
 野菜を刻んでいたアレンは、ふとルイの手を見る。浅黒いが細くて形も整った指の1つに、絢爛豪華な指輪が填まっている。
ルイは聖職者。しかも服装やアクセサリーなどには興味がないと言う。服装は清潔だがいたって質素だから、尚更指輪は浮いて見える。指輪は昨年死んだ
母の形見だ、とルイから聞いているが、この国には指輪を填める指にそれぞれ意味があるとも聞いている。話のネタには丁度良いかな、と思ったアレンは、
野菜を一組刻んだ後口を開く。

「ねえ、ルイさん。」
「はい。」
「前にルイさんから、この国には指毎に指輪の意味があるって聞いたけど、具体的に教えてくれないかな。」
「ええ。右手から順番にお話しますね。」

 ルイは包丁を巧みに動かしていた手を止めて話す。
右手は親指が父親への愛情、人差し指が母親への愛情、中指が友情(同性異性は問わない)、薬指が交際相手が居ることを示し、小指は交際相手募集の
意味。対して左手は、親指が権威や地位の象徴、人差し指が上昇志向を示し、中指は右手と同じく友情(同性異性は問わない)、薬指は婚約若しくは既婚を
示し、小指は男性では子どもの健やかな成長を願う気持ち、女性では子どもの幸福を願う気持ちを示す。

「−こんなところです。」
「左手の薬指の指輪は、俺が住んでいたレクス王国でも既婚者を示すものだったけど、他の指は特に決まりや意味はなかったな・・・。」
「この国の風習の1つですから、信仰心の違いはあっても同じくキャミール教が存在するアレンさんの出身国にも、特徴のあるものは伝わっていると思います。」
「なるほどね・・・。」

 アレンはランディブルド王国にある様々な風習の1つを知ると同時に、1つの疑問を感じる。
ルイの右手薬指の指輪は死んだ母の形見であり、右手薬指に填めているのは母への愛情を示すためだと確認出来た。だが、ルイの母は戸籍上死んだことに
なっていたという経緯を持っていて、その子として生まれたためにルイは耐え難い辛酸を舐めさせられた。戸籍上死んだことになっていたというのも不可解
だし、クリスが言うにはルイの母は輸送用の馬車に紛れて村に入って来たと言う。そんな不可解に不可解を重ねたルイの母が、見た目にも明らかに高価だと
推測出来る指輪を購入出来たとは考え難い。ルイの母の過去には何らかの事情があり、もしかするとそこにルイが執拗に生命を狙われる背景が隠されて
いるのかもしれない。アレンの心に浮かんだ一点の疑問が波紋となって広がり、推測へと変貌する。
 だが、それを口にすることは心情的に憚られる。
ルイは信心深い母のために幼い頃から正規の聖職者となり、大人でも2/3は1年で根を上げる修行と白眼視に耐えて現在の地位と名声を勝ち得た。そんな
矢先に、唯一の肉親でもあり心の拠り所でもあったその母を亡くしてしまった。その傷が完全に癒えたとは思えない。それを端的に示すのは、先のクリスの
証言だ。クリスがルイの部屋を訪ねた時、ルイはベッドに蹲って泣いていたと言う。クリスがルイにオーディション予選参加を強く勧めたのも、母を亡くして以来
沈んでいたルイの気分転換にでもなれば良い、という思いがあったからだ。
 今尚深く生々しい傷跡を残しているルイの心を傷つけたくない、というのがアレンの正直な気持ちだ。頭では事態打開のため、当事者であるルイから情報を
引き出すことが急務だとは分かっている。だが、好意という特別な気持ちを抱いている相手だからこそ、それが出来ない場合がある。シーナも言っていたが、
辛い過去を背負っているルイは、アレンに知られたくないとあえて隠している可能性も十分ある。

「どうしたんですか?アレンさん。」
「あ、いや、海を渡ると、同じキャミール教がある国でも随分違うもんだな、と思って。」

 黙りこくったアレンに声をかけたルイを、アレンはどうにか言い繕う。確かに存在する宗教は同じだが、その規模や浸透の度合いは圧倒的に異なる。
アレンが不思議に思うのは無理もない。ルイはアレンを疑うことなく、料理を再開する。アレンもひとまず思考を中断して包丁を動かす。
 大量の仕込が終わった後、アレンとルイは何度もフライパンを煽ってチェンドを大量に作る。フライパンは一般的な大きさのものしかないから、クリスの
底なし胃袋に対応するには何度かに分けないといけない。その上タラドスープも作るのだから、大仕事だ。アレンとルイが汗だくになった頃、6人分の料理が
出揃う。クリスの分だけチェンドが山盛りなのは言うまでもない。途中味見をしたが、香辛料を効かせているだけあって食欲をかき立てられる。タラドスープは
シンプルに仕上がり、チェンドと良い組み合わせになった。
 アレンとルイは手分けして料理を居間に運ぶ。居間では悠然と読書をしていたリーナと暇を持て余していたフィリア、暢気に酒を飲んでいたクリスが待って
いる。出された料理にリーナは最初こそ怪訝な顔をしたが、食べ始めると香辛料が効いた旨みに満足そうな表情に代わる。フィリアはペース良く、クリスは
相変わらず豪快な食べっぷりを見せる。それぞれの特徴が出る食べ方を見て、アレンとルイは共同で作った料理を満喫して、ひと時の平穏を楽しむ・・・。
 昼食の後、アレンはラウンジに赴いた。相手はルイではなくクリス。「聞きたいことがあるんだ」と言ったらクリスは快諾し、リーナはフィリアに後片付けを
命じてアレンの外出を許可した。昨日と同じ流れだ。
ラウンジにはやはり人気はない。本当に他に出場者が居るのかと首を傾げたくもなる。

「突然引っ張り出して御免。でも、クリスじゃないとちょっと聞き辛くて・・・。」
「ルイのことやな?」
「・・・うん。」

 照れくささから少し肯定に躊躇したアレンに、クリスは部屋での破天荒ぶりからは凡そ想像出来ない落ち着いた口調で言う。

「ルイだって、アレン君に話すと自分見る目が変わってまうんと違うか思て言わへんこともあるやろうし、アレン君の性格からして、相手に無理強いさせてまで
ことを進めようとは思えやんやろうな。そういう場合はあたしに言うてくれればええよ。あたしもルイを何とか安全にしたいし、そのためやったら出来る限りの
ことするわ。ルイにオーディションに出るよう勧めた責任もあるでな。・・・で、何から聞きたい?」
「単刀直入だけど、ルイさんのお母さんが村に入って来た経緯とかを知ってる限り話してくれない?」
「ルイのお母ちゃんのことか・・・。それやとルイに直接聞きとうないやろな。」

 クリスは難しい表情をして、一呼吸置いてから話し始める。

「前にも話したやろうけど、あの娘のお母ちゃんは戸籍上死んどることになっとった。輸送用の馬車は大体夕方に到着するんやけど、その荷物の中に人が
居るってことで大騒ぎになってな・・・。輸送用の馬車には他の町村からの品物とかしか入っとらへんで、不審に思ぅた荷主がルイのお母ちゃんを役所に
連れてったんや。そんでルイのお母ちゃんが戸籍上死んどるっちゅうことが分かって、幽霊やゾンビやてアホみたいに大騒ぎしてな・・・。行く宛がなかった
ルイのお母ちゃんを、村の中央教会付属の慈善施設が保護したんよ。その頃はまだあたしも小さかったで、あたしのお母ちゃんから聞いたんやけどな。」
「輸送用の馬車に紛れて入って来たってことは、何らかの事情で何処かから逃げて来た可能性があるな・・・。」

 戸籍上死んだことになっていたというのは勿論、本来荷物しか載せられない輸送用の馬車に紛れていたということも異常だ。ルイの母は何らかの事情で
何処かから逃げ出し、逃げられたことで秘密や内情などの暴露を恐れた何者かが役所に圧力をかけて、ルイの母を死んだことにして社会的抹殺を図ったとも
考えられる。戸籍制度が頑強なランディブルド王国において戸籍上死んだことにされることは、ある意味死刑より残酷な仕打ちだ。

「ルイさんのお母さんが何処から来たのかとか、そういうことは聞いてる?」
「否、全然聞いとらへん。あの娘のお母ちゃん、自分の名前は言うたけど、何処から来たのかとか何をやっとったのかとか、そういうことに関しては役人には
勿論、慈善施設の職員55)にも話しとらへんねん。それで余計不審がられてもうた感はあるけど、深い事情があったんやろうと思う。」
「うーん・・・。」

 ルイの母が村に入った状況や実態と合わない戸籍も不可解だが、名前以外は自分の素性を明かさなかったという行動も極めて不可解だ。
やはりルイの母に何かが隠されているようだ。となれば、その手がかりを探して掴んで感触を確かめ、手応えがあれば引っ張り出すことが必要だろう。

「ちょっと話が逸れるけど、ルイさんが右手の人差し指に豪華な指輪を填めてるのは知ってる?」
「ああ、あの指輪のことか。そりゃ勿論知っとるよ。あれはルイのお母ちゃんの形見やでな。」
「ルイさんのお母さんが戸籍上死んだことになってたこともそうだし、輸送用の馬車に紛れ込んでいたのもそうだけど、そんな奇妙な状況にあったルイさんの
お母さんが、あんな見た目にも高価そうな指輪を持ってたってのが引っかかるんだ。・・・ルイさんのお母さんに疑いの目を向けたくないけど、ルイさんの
お母さんってどんな女性(ひと)だったの?クリスから見て。」
「ルイのお母ちゃんは滅茶敬虔なキャミール教徒やった。何処で何しとったんかは知らへんけど、重労働の教会の下働きをきっちりこなしとったし、礼拝は
1回も欠かさへんかった。ルイがあの年齢で司教補まで昇格したんは、お母ちゃんの影響が大きい。ルイもお母ちゃんを模範にしてる、って言うとるし。」
「ということは、少なくとも彼方此方で犯罪をして逃げ回るような人じゃないな・・・。」
「ルイのお母ちゃんが妙な状況で村に入って来たんは事実やけど、人間としての資質はあたしでも保障出来る。犯罪やらかして逃げ回るような輩やあらへん。
戸籍で死んどることになっとらへんかったら、親子揃って引っ張りだこの聖職者になっとった筈や。」

 ルイ自身、母を模範として修行に邁進して来たと言っていた。重労働という教会の下働きになってでもルイの戸籍を作り、ルイに黙して背中を見せたルイの
母が犯罪を重ねて逃げ回るなど、クリスの言うとおりとても考えられない。やはり問題はルイの母ではなく、ルイの母に関係した事情だろう。
とすれば、どうしてもルイが母の形見というあの指輪の出所が気になる。あの指輪に何らかの秘密が隠されているとも考えられる。ある名家の継承者の証か
魔法的なものかは分からないが、指輪の出所を探ることは無駄ではないだろう。

「クリスは、ルイさんが填めている指輪を間近で見たことはある?」
「うん。えらい56)立派な指輪でな。あれを宝飾店で買お思たら5万、否、10万デルグはすると思う。指輪の台座の彫刻は、相当熟練した職人やないと
出来へん。おまけにあのダイヤや。あないな複雑なカットのダイヤなんて、此処みたいな大きな町の宝飾店、それも王族や一等貴族御用達の店くらいしか
売っとらへんわ。」
「俺も少し見せてもらったけど、凄く豪華な指輪なんだよな・・・。あの指輪に何か魔法の力が篭ってるとか、そういうことを聞いたことはある?」
「否、それはあらへん。ルイのお母ちゃんが死んだ後、ルイが自分の指に合うように村の宝飾店でサイズ変更してもろうた時あたしも一緒に行ったんやけど、
高価なんは間違いあらへんけど魔法的な力とかは全然あらへん、その意味では普通の指輪や、て店のオヤジが言うとった。」
「うーん・・・。ということは、指輪は必ずしも一連の謎を解明するキーアイテムとは限らないってことか・・・。」

 アレンは深い溜息を吐いて腕組みをして考え込む。
指輪に謎解明の鍵が隠されている可能性がゼロになったわけではないが、魔法敵地からが篭められていないとなると、魔術師や聖職者との関係は薄れる。
となると、他に考えられる有力な線は、指輪が名家の継承権の証という可能性だ。
 継承権を得たが他の親族の妬みを買い、身の危険を感じるようになったため逃げ出したが、発覚を恐れたその親族がルイの母を死んだと役所に届け出た。
こうすればルイの母を社会的に抹殺出来るし、それを形見という形で受け継いだルイが聖職者として名を上げたことで、ルイの母がルイを産んだことをその
親族が知り、過去の暗部の発覚を封じるために新たにルイを狙うようになった。
こう考えると筋が通るし、昨夜聞いたイアソンの仮説にかなり近い。その可能性についてクリスに聞いてみる価値は十分あるだろう。

「なあ、クリス。」
「何や?」
「貴族の後継者って、何かその証明みたいなものを継承する?王冠とか以外で指輪とか。」
「うーん・・・。成り上がり者が殆どの二等三頭貴族連中の後継者の決め方とかは何も決まっとらへんけど、一等貴族は当主が存命のうちに継承者を指名して
国王に報告せんならん義務があるんや。実際に当主の座が継承されるのは式典なんやけど、そん時にその家系独自のミドルネームを受け継ぐ、ってことに
なっとるらしいわ。あたしはあんまし57)法律とかに詳しうないでよう知らへんのやけど、建国神話にも登場する王冠を代々受け継いどる4つの家系以外は、
特に継承の証とかそういうもんはないと思う。」
「・・・じゃあさ・・・。」

 核心に迫る質問を口にする緊張感が俄かに高まって来たアレンは、言いかけてひと呼吸置く。

「・・・一等貴族の当主や次期当主の妻とかは、何かをもらうことになってる?」
「特に決まりはあらへんけど、そん時の関係に応じて婚約指輪か結婚指輪贈るやろうな。それは一等貴族に限ったこと違うけど。」
「前にルイさんから聞いたんだけど、結婚指輪には必ず銀を使って、裏側に自分と相手の名前を刻印するんだよな?」
「そう。『聖なる輝きにその名を刻み、永遠(とわ)の愛を誓う』っちゅう意味があるでな。」
「・・・それって、婚約指輪でも?」
「婚約は一種の通過儀礼やで厳密な決まりとかはあらへん。まあ、そのカップルの好き好きやな。浮気すんな、とか、絶対結婚しよな、っちゅう意味込めて
結婚指輪と同じことするカップルも居るよ。」
「そうか・・・。」

 アレンの中で、ルイが填めている指輪に焦点が絞られる。イアソンの仮説と自分の推測の共通項を取れば、ルイの指輪に謎の核心がある可能性が高い。
ルイの指に燦然と輝くあの指輪。指毎に意味を持つ風習との兼ね合いも含めて更に情報収集を進めようとアレンは思う・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

52)号棒制:本文中にもあるように、その内容は日本の公務員などの給料制度と同じ。ランディブルド王国では聖職者が役人と同等以上の格付けのため、
基本的待遇は保障されている。


53)チェンド:マルフィ(Scene6 Act2-3で紹介したようにこの世界での米の呼称)をベースに、野菜と卵を使った炒め料理。我々の世界のチャーハンに相当
する。ランディブルド王国東方の郷土料理で、文中にもあるように香辛料をふんだんに使ったスパイシーな一品。


54)タラドスープ:少量の食塩(勿論塩田で作ったにがり入りのもの)のみで下地を作り、ワカメなどの海藻類を入れて煮込んで作るスープ。チェンドと同じく
ランディブルド王国東方の、海に面した地域の郷土料理。ちなみに食塩は我々の世界より一般に割高である。


55)慈善施設の職員:ランディブルド王国の各町村の教会は慈善施設や武術学校を管轄下においているが、その施設の職員は聖職者ではなく町村の職員。
慈善施設を管轄する福利部、武術道場を管轄する教育部は、経営指導など管理運営の支援や運営資金の供与など事務処理を行う。


56)えらい:「凄く」「とても」と同じ。方言の1つ。

57)あんまし:「あまり」と同じ。文中のように程度を表す文法で用いる。方言の1つ。

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