「まず、教会の人事制度をおさらいしますね。」
ルイは、これまで断続的に説明した教会の人事制度の概要を説明する。「−このようなところです。」
「町村の中でなら、昇格や異動は教会人事監査委員会の承認を得なくても良いんだね。」
「はい。補足しますと、国の中央教会は全国の教会と聖職者の代表的存在ですから、基本的に各町村の内部人事に関しては不干渉の立場なんです。」
「ルイさんには彼方此方の町村から異動要請が来てる、って前にクリスから聞いたんだけど、各町村の教会は他の各町村の教会の人事をどうやって知るの?」
「全ての教会には総務部という部署があります。そこが他の町村の教会の総務部、若しくは全国の教会の人事を掌握している国の中央教会に、要請対象の
聖職者の現況を照会するんです。そういうこともあって、異動要請の申請推薦者には大抵その教会の総務部長が挙がります。」
「照会の場合、何か手続きとかは必要なの?この国の戸籍は本人かパーソンカードを持っている人しか閲覧出来ない、って前に聞いたんだけど。」
「戸籍に関してはアレンさんの言ったとおりです。聖職者に関しては各教会が独自に履歴を伴う名簿を作成していますので、それを照会するんです。」
「ということは教会関係者、特に総務部はルイさんの経歴をある意味自由に知ることが出来ることになるね・・・。」
「教会の名簿は、一等貴族とかが見られるの?一等貴族の当主は教会人事監査委員会の委員になるって言うし。」
「いえ。教会人事監査委員会でも、所定の手続きを経ないと教会の名簿は閲覧出来ません。一等貴族でも当主以外の親族は閲覧出来ません。教会人事
監査委員会に所属する当主と違って、教会の人事に関係する条件や権利がないからです。」
「そう・・・。」
「話が変わるけど、ルイさんはオーディションの予選が終わって出発する前から襲撃されて来たんだよね?」
「はい。」
「オーディションの予選の前とか終了直後とかに、何か心当たりはない?例えば、見たことがない人物が教会を訪ねて来た、とか。」
「・・・思い出してみても、心当たりはありません。」
「そう・・・。じゃあ、外で動いている仲間の情報を待つしかないか。」
「すみません。何も力になれなくて・・・。」
「ルイさんが謝る必要はないよ。ルイさんは事件の被害者なんだから。」
『アレン君、聞こえる?』
「あ、シーナさんだ。どうしたんだろう?」
「はい、シーナさん。聞こえますよ。どうしたんですか?」
『さっきイアソン君から通信が入ってね。アレン君に伝えてくれ、って。』
「イアソンから?」
『ええ。問題の女の子も勿論護衛を連れてるよね?』
「あ、はい。」
『その護衛の娘(こ)からも話を聞いてみてくれ、って。その護衛の娘が問題の女の子と仲が良いなら、女の子とは別の角度の視点で物事を見てるだろうし、
その娘が護衛になった経緯とかに、女の子が狙われる背景が含まれている可能性もあるから、ですって。』
「分かりました。聞いてみます。」
『あともう1つ。その護衛の娘に聞く際は一対一の方が良い、って。問題の女の子は凄く辛い過去を背負ってるのよね?』
「・・・はい。」
『女の子としてはアレン君には知られたくない、と思って隠していることが重要な手がかりになる可能性があるし、それを女の子本人に尋ねても話し難い
だろうから、護衛の娘から間接的に聞き出す方が良い。日常生活とか些細なことでも良いから聞けるだけ聞いておいてくれ、ってイアソン君が言ってたわ。』
「分かりました。」
『イアソン君の調査結果と、私とドルフィンの調査結果は夜に伝えるわ。それまではお願いね。』
「はい。」
「アレン。シーナさんから何を聞いたの?」
それまで無関心そのものの様子で、淡々と食を進めていたリーナが尋ねる。「情報収集の一環として、クリスからも話を聞いておいてくれ、ってイアソンからの伝言があったんだ。」
「ふーん・・・。」
「じゃあ、一対一の方が良いわね。アレン。片付けはフィリアにさせるから、あんたはクリスと外に出て話して来なさい。」
「な、何であたしが後片付けしなきゃならないわけ?!」
[文句あんの?」
「ルイ。アレンがクリスと一対一になるのは不安だろうけど、アレンに二股かける甲斐性なんてないし、クリスは背が高くて筋骨隆々の男を倒して下僕に
するのが夢だから、どう見たってその対象外のアレンに接近することは万に一つもないから安心しなさい。」
「それからもう1つ。アレンはあんたが命を狙われている背後関係を掴んで、それを消去するために外の仲間と情報交換してるんだから、アレンの行動を
深読みしないことね。アレンがクリスと話すのは、あんたがアレンに言いたくないことをクリスから間接的に聞き出すため。そうでしょ?アレン。」
「う、うん。」
「そういうことだからルイ。あんたは食事が終わったらこの部屋で寛いでなさい。」
「分かりました。」
「リーナも言うとったけど、ルイはアレン君に知られたくないて思とることがあるやろうで、あたしから話聞いた方がええやろな。」
朝っぱらから酒を飲んでいたにも関わらず、クリスの口調は落ち着いている。「せやけどアレン君。これだけは頼むわ。ルイが今までアレン君に話さへんだことをあたしから聞いても、ルイを嫌わんといて。」
「分かってる。ルイさんは今まで色々苦労して来たんだから、誰にも言いたくないことがあっても不思議じゃないよ。」
「それ聞いて安心したわ。あたしと話したせいでアレン君がルイを避けるようになったら、ルイに申し訳立たへんでな。・・・で、何から聞きたい?」
「そうだね・・・。教会の人事制度に関することから聞こうかな。」
「今日の昼食を作ってる時に、ルイさんからこの国の教会の人事制度を聞いたんだ。ルイさんが大人でも2/3は1年で根を上げてしまう程厳しい正規の
聖職者として働いて来て、今では彼方此方の教会から異動要請を受けたり、地位も名声も高い祭祀部長に就任するまでになった、てことは前にクリスからも
聞いたけど、教会の人事を当事者のルイさんが知ってるのは兎も角、どうしてクリスも知ってるの?」
「この国の正規の聖職者は、下手な役人よりずっとか格上や。それに教会人事監査委員会っちゅう、国の組織の監査受けるほど厳密やで、各町村の教会の
人事異動や聖職者に対する異動要請とかは、各地区の教会にある掲示板に張り出されるんよ。それを見るんに制限あらへんで、誰でも分かるっちゅう
仕組みや。」
「じゃあ、クリス以外の村の人も、ルイさんの人事異動やルイさんへの異動要請とかの内容は知ってるんだ。」
「そう。前にも話したやろうけど、ルイが聖職者の修行始めたんは5歳からやった。最初の頃はあんなガキに何が出来るか、って陰口叩く奴もようけ居ったけど、
ルイが称号上げてってたり異動要請が来るようになったりしていくうちに、そないなこと言う奴はどんどん減ってったわ。今じゃルイ宛の異動要請が掲示板に
張り出されると、特に男連中や未婚の息子持つ二等三等貴族連中なんかが、ルイが異動要請受けて村出てかへんかって滅茶不安がるくらいや。」
「女性の聖職者は人気が高いんだよね。」
「そう。俄か聖職者でも人気高いんや。ましてやルイは14歳で司教補昇格、村の中央教会祭祀部長に就任した、有能な聖職者や。しかもルイは15歳やから
当然やけど未婚、その上フリーや。男連中とかが目ぇ付けへんわけあらへん。結婚した聖職者には原則として異動要請は出来へん。どうしてもっちゅう場合は
特任職45)になるで数年で戻って来るし、異動先によっては対象者の相手の職とか収入とかを確保してから受け入れる、っちゅうことになっとるでな。ルイを
捕まえたら、場合によっては村よりもっとでかい土地とか、ええ立地条件の店とか持てる可能性もある。」
「・・・各町村の教会での人事異動は、原則自由なんだよね?」
このオーディション本選と同じく、金と欲が底流で蠢く思惑に嫌なものを感じながら、アレンは尋ねる。「そう。各町村の教会の総長・副総長、あと総務部長全員で決定するんや。勿論、その結果は国の中央教会に届け出やな駄目や。他の町村の教会は総務部
使って、国の中央教会に異動要請したい聖職者の現況を照会するんや。まあ、普段から総務部は各町村の聖職者の人事とかを調べとるけどな。」
「ルイさんの現職とかは、常に教会関係者は把握してるってことか。」
「総長とかは、ルイの待遇不相応っちゅう抗議を避けようと必死んなっとる。待遇不相応って国の中央教会が判断したら、直接乗り込んで引き抜いてまう。
各町村の教会の人事異動は自由やけど、待遇不相応とかになると国の中央教会が是正しに来るんや。それには絶対従わんとあかへん。ルイは今まで大体
2年毎に称号上げて来とる。このままのペースやと、来年くらいに司教46)に昇格する。それでも祭祀部長のままやったら彼方此方の教会から抗議が来る
やろうで、総長とかはどないしてルイを引き止めようかって思とるやろな。特にこの町の6つの地区教会の何処かが、毎回47)ルイ獲得に名乗り上げとるし。」
「一等貴族とかが、教会の人事に介入することは出来る?」
「否、それは出来へん。各町村の教会の内部昇格や異動は教会の総長とかが決めることやで、二等三等貴族とかは勿論やけど誰も口出し出来へんねん。
教会には自決権っちゅうて、自分達のことは自分達で決めるっちゅう権利が確立されとるでな。それに、他の町村が別の町村の聖職者に異動要請する時は
教会人事監査委員会の承認が必要やけど、その委員になる一等貴族の当主とかも承認の可否は決定出来ても、誰かを異動させろとか教会に言うのは
禁止や。もしそないなこと言うて来たら、司法委員会に即刻訴えることになっとる。そないな場合は教会の自決権干渉っちゅうことで、厳重に処罰
されてまう。」
「仲間から、教会人事監査委員会は成り上がり者が多い二等三等貴族が金とかで自分の子どもを教会の要職に就けさせたりしないかとかを監視する権限が
ある、って聞いてるけど、クリスの説明だとその機能が果たせないんじゃないか?」
「アレン君は外の仲間から聞いとるかもしれへんけど、教会人事監査委員会は一等貴族の当主全員と国の役人で構成される。つまり教会とは一線
画しとるんや。教会には自決権があるのは間違いあらへんけど、教会人事監査委員会はその自決権と同等の格付けがされとる。せやから、教会の人事は
きっちり監査されとる。それに、さっき言うたことと重複するけど、教会の内部昇格とかは教会の総長とか上の方が決める。総長とかになれるんは、相当の
称号持っとる聖職者や。聖職者の称号は魔術師と違って、魔法の使用回数重ねて魔力上げたら上がるっちゅう簡単なもんやあらへん。品位とか道徳心とか、
そういうもんも必要や。金とか圧力とかに屈した時点で、そいつは聖職者失格や。仮に発覚したら、称号と賢者の石剥奪は勿論、一生牢獄で過ごさんならん。
勿論相手もな。」
「クリスの話を聞いた限りでは、今のところ最も怪しいと踏んでるリルバン家当主フォン氏の実弟ホーク氏が、教会を操ったりしてる可能性は低いね・・・。」
アレンはうんと考え込む。やがてその頭に、小さな疑問が浮かんで来る。「ルイさんは『村で嫁さんにしたい女No.1』とか言われてて、二等三等貴族とかが目をつけてるって言ってたけど、クリスから見てその辺の事情はどう?」
「ようあんだけ48)勝手なこと言えるもんやと思うわ。ルイが小さい頃はゾンビの子とか死人の子とか言うて散々苛めとったのに、ルイが聖職者として有名に
なって、美人になったらころっと態度変えよった。ルイを捕まえたがっとる男共の中にも、ルイが小さい頃苛めとった奴が居る。ルイがああいう性格で
聖職者やからそいつらの命があるんや。あたしやったら、迷わず頭と手足引き千切って粉々にして、ゴミ箱に叩き込んだるところやわ。」
「ルイさんがこのオーディションに出場することになったことを、村の人達はどう思ってる?」
「ヘブル村とは比較にならん規模のこの町に来ることで、何処かの男に捕まらへんかとか余計な心配しとる奴も居るけど、ルイは国の中央教会からの異動
要請も断って、今でも掲示板で束にせんと張り出せへんほどようけ来る異動要請を全部断っとるんや。ルイが本選で入賞するかどうかは兎も角、終わったら
戻って来ると思とるわ。ルイを本当に村から出しとうなかったら、予選でルイがあんだけ票取れる筈あらへん。」
「・・・。」
「総長とかも、将来的にはルイに村の中央教会の総長に就任してもらおう思とるし、知名度とか人望とかの面でも遜色あらへんしな。年齢的にも十分やし。」
「でもな・・・。あたしとしては、ルイがこのオーディションきっかけに村を出た方がええと思とる。」
「どうして?ルイさんが村を出たら、クリスとも離れてしまうじゃないか。」
「あの娘は今までの人生を全部、自分を散々苛めた奴含めた村の人のため、そしてお母ちゃんのために注いで来た。もうそれで十分や。ルイはもう自分のこと
考えてええんよ。そりゃ、あたしかてルイと離れるんは寂しいけど、あたしにルイの人生束縛する権利なんてあらへん。ルイには今まで苦労してきた分だけ、
今まで流して来た汗と涙の分だけ、否、それ以上に幸せになって欲しいんよ。」
「ルイがアレン君に示しとる態度は本気や。あの娘は冗談であんなことする娘やない。今まで聖職者一筋で生きて来て、色恋話に少しも興味示さへんかった
あの娘があんなに真剣に想とるんや。アレン君がこの先何処行くんかは知らへんけど、ルイを連れてくつもりがあるんやったら、連れてったって。あたしは
絶対文句言わへんし、村の人間が文句言うてもあたしが黙らせる。ルイには・・・これからの人生存分に満喫して欲しいんよ。今までの分以上にな。」
「・・・今は・・・まだ何とも言えない。」
「・・・。」
「だけど・・・、ルイさんの気持ちは凄く嬉しい。その気持ちを足蹴にするようなことはしたくない。それだけは・・・分かって欲しい。」
「分かった・・・。」
「話は変わるけど、ルイさんはオーディションの予選が終わって出発する頃から狙われてるんだよね。」
「そのとおりや。」
「予選の前後で、ルイさんの周辺とか村とかで、何か変わったことはなかった?」
「うーん・・・。」
「ちょっとしたことでも良いから、気になることがあったら教えて。」
「あたしのお母ちゃんからちょこっと聞いたことやで、本当かどうかは保障出来へんけど・・・。」
「村の役場に、教会人事監査委員会からの委任状持ったおっちゃんが数名来たらしいわ。」
「それって何時頃の話?」
「えっとな・・・。うーん・・・。あれは確か・・・。リルバン家の当主にフォンさんが就任して間もない頃やったと思う。」
「その人達は何をしに来たのか知ってる?」
「御免。そこまでは分からん。あたしのお母ちゃんもそういう話があった、っちゅう程度しか聞いとらへんでな・・・。」
「そうか・・・。」
『アレン君、聞こえる?』
アレンは洗いかけの食器を置いて、泡と水が付いた手をタオルで拭ってから赤いイヤリングを外して口元に近づける。「はい、聞こえますよ。シーナさん。」
『先にイアソン君に一等貴族に関する法体系と、今日開かれた王国議会の内容を伝えたんだけど、イアソン君から「夜中まで待っていてください」って
言われたのよ。私を介してだと正確に伝わらない可能性があるから、私が着けている通信機の魔法を変えて、イアソン君と直接通信出来るようにしておくわ。
だからアレン君は、イアソン君から通信が入るまで起きていて。』
「分かりました。イアソンの方で何かあったんですか?」
『イアソンらしくなく、焦ってるのか急いでるのか分からない口調で直ぐ通信が切れたから分からないけど、何か重要なことが判明したんじゃないかしら。』
「そうでうか・・・。じゃあ俺は、イアソンからの連絡を待ちます。」
『お願いね。』