Saint Guardians

Scene 7 Act 2-2 検証-Verification- 教義と法に隠された謎−前編−

written by Moonstone

「まず、『教書』における人間の罪をお話します。」

 ルイはいきなり本題に入らず、「教書」の内容から入ろうとする。順序だてて説明する必要があると思ったのだろう。

「古来、人間は神の座に着くための業を手にしました。その1つが、神の御力を模倣した強力な光の槍です。その槍は敵に当たると猛烈な閃光と爆音を生み、
10万の人間が一瞬にして死に絶えた、とあります。神の御力の再現ではなく模倣ですから、破壊は出来ても浄化や再生には繋がりません。ただ人間を殺し、
その地に悪魔の呪いを残すのみ、とあります。悪魔の呪いは天を鉛で覆い、黒い雨を降らし、作物を枯らし、動物が子を成すのを妨げ、悪魔が蔓延(はびこ)る
地獄を創り出すものです。神の御力の模倣は、この国がある地域で悪魔の囁(ささやき)きを聞いた者によって初めて行われた、とあります。」
「10万の人間を一撃で殺す、光の槍・・・。」

 アレンは、レクス王国で存在を知った古代文明の遺跡を思い出す。
今回の一連の事件に深く関与している可能性が高いザギが狙っていた、一発で町を灰燼(かいじん)に帰す、という途方もない破壊力を持つ兵器。魔術師で
言えばそれこそドルフィンのようなIllusionistやシーナのようなWizardしか使えない魔法の威力を、古代文明は実現出来たという。しかし、それが使われた
ことが古代文明の破滅を招いた一因だ、と意識を魔法の箱に封印していた古代人マークスが言っていた。
 マークスからその殺戮兵器の発射施設だという遺跡の破壊を託され、マークスの存在と引き換えにそれを達成した。自分の父ジルムを攫って行方を
くらましたザギは、この地に同じ兵器があることを知って動いて、若しくは配下の者を動かしているのか。

「もう1つは、神の御言葉を書き換えることです。」

 思案していたアレンに、ルイが話を続ける。アレンは再びルイの方を向く。

「これも『教書』に関連すると思われる記載があります。神はその御使いとすべく、光に息吹を吹き込んで天使を創られました。人間は、神が己の姿に似せた
土の人形(ひとがた)に息吹を吹き込んで創られた神の子です。その後、神は様々な形(かた)に神のみぞ知る御言葉を書き込まれ、息吹を吹き込まれる
ことで、様々な動物を創られました。しかし、罪に溺れし神の子である人間は、神のみぞ知る御言葉を書き換える術(すべ)を体得しました。神の御言葉は、
神のみぞ使える言葉。その言葉を書き換えられた動物は神の御手から離れ、悪魔となりました。人間も自らの身体に刻まれた神の御言葉を書き換えることで
神になろうとしましたが、神の御言葉は神のみぞ使える言葉です。その人間は神ではなく悪魔となり、神に代わって人間を、そして神がお創りになった地を
支配する道を走ったのです。」
「神のみぞ知る言葉、か・・・。」

 ルイの説明は、カルーダ王国のラマン教聖地ラマンにおける、古代文明の秘法を巡る内紛劇と重なる部分がある。
あの時、反乱軍の口車に乗って流出させそうになった古代文明の秘法とは、「人間をはじめとする全ての動物を構成するための、目に見えない情報」とやらを
記載したものだったというし、秘法流出を企てた反乱軍の背後には、ザギと盟友関係にあるというゴルクスが居たらしい。
ゴルクスはシーナの魔法で粉砕された上に結界の内部ごと異次元に叩き込まれたが、ザギと同様部下や衛士(センチネル)という側近を各地で動かしている
可能性がある。ゴルクスとの連絡が途絶えても、ゴルクスの上にはクルーシァの実権を掌握したガルシアというセイント・ガーディアンが居るから、その命を
受けて引き続き行動している可能性もある。
 シーナは、ゴルクスが猛々しい風貌からは想像も出来ないが自分と同じく医師免許を持っていて、生物改造に固執していたと言っていた。
ザギは主に古代文明の殺戮兵器、ゴルクスは主に生物改造を任務として、盟友関係であることを利用して相互協力している、と考えられる。
そうでなければ、ザギと情報交換したゴルクスの息がかかったラマン教の反乱軍が、自分の持つ剣が7つの武器の1つであることを知っている筈がない。
ザギは自分が持つ剣の所有権を主張していた。逃亡の途中でゴルクスと接触し、あわよくば、という形でも剣を奪うよう依頼していたのだろう。

「ルイさん。マデン書とかいう書籍に記載されていることを教えてくれない?」
「はい。まず、『教書』とマデン書の内容の相違について、概要を説明します。」

 ルイはひと呼吸置く。

「『教書』では、神の御力を模倣した光の槍を手にし、自らに刻まれた神の御言葉を書き換えることで人間は神の座に着くことを企てましたが、それが神の
お怒りに触れ、神は住まわれるところ、すなわち天から光の槍を降らせて、罪に溺れし神の子を罰せられました。その後、神から生きることを許された一部の
神の子が焼き尽くされた大地、すなわち神がお創りになった場所に住むことを許されました。しかし、神の子でありながら神の教えに背いた罰は全ての人間に
刻み込まれ、他の動物との果て無き戦いとその中での生活を命じられた37)
、とあります。一方マデン書では、悪魔が地上に失楽園を創って人間を支配
しましたが、人間が悪魔に虐げられるのを嘆き悲しんだ創造の天使が自らの生命と引き換えに神々しく輝く武器と鎧を創り出し、7人の御使い、すなわち
天使に託しました。7人の天使達は悪魔の軍団に戦いを挑み、壮絶な戦いの末に悪魔の軍団を地獄に投げ落とし、7つの大罪、すなわち傲慢、貪欲、淫乱、
憤怒、大食、嫉妬、怠惰を司る7の悪魔を6つに引き裂いて地獄に投げ落としました。7人の天使は、創造の天使が神から授かった生命と引き換えに
創り出した武器と鎧が悪魔を退けたことで、『見よ、創造の天使の生命が大いなる主の祝福を受け、地上の罪は清められた。』と言い、創造の天使の亡骸を
遠い南の地に埋め、再び地上に罪が広がり悪魔が蘇った時のために後の世に武器と鎧を伝えよ、との神の御言葉を聞いて、その地を聖地とした38)

・・・このような流れです。」
「『教書』とマデン書では、話の内容が違うんだ。」
「はい。ですからマデン書は、本来の神の教えにそぐわない、ということで神の教えを記した『教書』から除かれ、外典という形になったとされています。
ですが、マデン書など外典の内容は何時しか流出し、その一部はこの国における数多くの風習として定着しています。アレンさんも見た7の付く日の朝に
礼拝するという風習も、悪魔を地獄に投げ落とした天使の数が7人だったということに由来するのがその1つです。夕食の席でクリスと私が、キャミール教の
教えを祭祀部所属の聖職者が各家庭の依頼を受けて出向いて説く、という教会について話しましたが、その教会においても聖職者は『教書』の内容は
話しても、マデン書など外典の内容には一切言及してはなりませんし、依頼者もしてはならない、とされています。それは先にも触れましたとおり、外典の
内容が本来の神の教えにそぐわない、として『教書』から除かれたことにあります。『神の御言葉は「教書」からのみ聞け。それ以外は悪魔の囁きと知れ』
・・・『教書』の一節です。」

 ルイが、信仰を無意識のうちに前面に出して、フィリアから見れば謎の解明に消極的と映り、厳しく叱責されたのも納得出来る。
聖職者の中でも、神の教えを説く、という宗教の基本且つ重要な役割を担う祭祀部の頂点に位置するルイは、自身が言った「教書」の一節どおり、「教書」に
キャミール教の教えを求めること以外を「悪魔の囁き」とタブー視すると共に、「教書」の教えを基本とするようにしているのだ。

 これは、我々の世界でも見られることである。
例えば浄土真宗には「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえ往生するのだ。悪人なら尚更のことだろう)」という「悪人正機(あくにん
しょうき)」なるものがあるが、これを書いてある言葉のままに鵜呑みにすれば「罪人でも極楽浄土に行ける」となって、「浄土真宗では犯罪者も極楽に行ける」と
ばかりに「南無阿弥陀仏」を唱えながら悪行を繰り返す不届きな輩が出て来かねない。
この件における「善人」や「悪人」は道徳や法規に反する一般的な「善悪」に依る区別ではなく、自力の善を頼る者(善人)と阿弥陀仏の力(これを浄土真宗では
「他力」と言う)に全てを依拠する者(悪人)の区別である。
浄土真宗でも、この件(くだり)がある「歎異抄(たんいしょう)」は浄土真宗の開祖親鸞の死後、その教えと異なる主張が展開されるのを嘆き−「歎」は「嘆」と
同義−、親鸞の教えに帰るよう教義の要点を抽出した、言わば「原点回帰」を促すものという位置づけだ。
 キリスト教でも、「ハルマゲドン」など所謂「終末思想」における常用語句の拠り所となっている「ヨハネの黙示録」は長い間「異端の書」とされて来た。
「私は見た」と一人称で書かれている情景が聖書の中でも抜きん出て異様であることから、キリスト教の教えをきちんと理解していないのに「ヨハネの黙示録」を
見ると終末思想にひた走り、聖書が語るキリスト教(キリスト教では旧約新約両方を認めている。ユダヤ教は旧約のみ認めている)本来の教えから逸脱した
行動を執りかねない、というのがその理由の1つだ。
 「終末思想」を売り物にする新興宗教に限らず、重大事件などがノストラダムスの「諸世紀」や「予言(預言ではない)者」なる者の言葉や「ヨハネの黙示録」の
記述内容と一致する、世界の終末は近い、などと喧伝する現象は、キリスト教という宗教の教義を理解せずに記述表現を鵜呑みにしたり、言葉尻だけを
取り上げて大騒ぎする典型的な例である。「諸世紀」にある「1999の年」を大騒ぎした日本の「世紀末狂想曲」は記憶に新しい。「ヨハネの黙示録」が長い間
「異端の書」とされて来た理由も納得出来るだろう。

 ランディブルド王国の聖職者は、厳しい修行で「教書」の教えを基本に据えることを徹底されている。祭祀部は冠婚葬祭の執行を行うと共に神の教えを
説いて回るという重要な部署。ましてやルイは、その祭祀部の部長という要職。ルイが「本来の神の教えにそぐわない」との理由で「教書」から除かれた
マデン書の内容を語れるのは、それだけ信仰が深く根付いているという証拠でもある。本来の教義に基づく信仰がしっかりしているから、「教書」の内容と
食い違う外典の記述に惑わされずに居られるのだ。
 同時に、信仰心が自分と比較して薄いアレン達に外典の内容を語ることで、キャミール教本来の教えを曲解する行動を執ることを恐れたのもある。
聖職者という信仰を職務とする者であるルイにしてみれば、目前で誰かがキャミール教の教えを踏み外すのは容認出来ないことだ。その上、自分が明言
してはいないものの熱烈な求愛の意思表示をしているアレンが危険に踏み込むのを見て見ぬふりなど出来ない。そんなルイの言動が、建国の経緯の関係で
歴史的に信仰心が薄いレクス王国で生まれ育ったフィリアから見れば、「信仰第一で頭が固い」と映るのは無理もない。

「先程もお話しましたとおり、キャミール教の教えでは、天使は神がその御使いとすべく光に息吹を吹き込まれて創り出された存在です。天使は神から役割を
与えられて様々な働きをします。『創造の天使』などと天使に特定の役割が課されることはありません。ですから、『創造の天使』という言葉があるマデン書の
内容は、神の教えを記した『教書』の教えと矛盾します。そのこともマデン書の内容が外典となった理由の1つでしょう。」
「なるほどね・・・。」
「前置きが長くなってしまいましたが、マデン書には地下神殿や王冠に関すると思われる記述があります。古来、神の座に着こうと神の御力を模倣した光の
槍を手にし、神の御言葉を書き換える業を体得して神の座に着こうと企てた人間は、その光の槍を創り出す術や神の御言葉を書き換える業を地下深くに
収めた、とされています。自らが創り出した光の槍でも決して貫けぬ強固な壁に包まれたその地は、神の座に座ることを企てた人間と彼らが選んだごく一部の
人間しか入ることを許さなかった、とされています。その地の名が『シャングリラ』です。これは古代文明では『楽園』を指す単語であった、とあります。そして、
その地は悪魔の囁きに耳を傾けて光の槍を模倣した者達が住んでいた地に作られた、とあります。」

 ルイの言葉は、王家の城の地下にある地下神殿の謎に大きく迫るものだ。
この地がかつて神の教えを最も曲解して、世界を絶滅の瀬戸際に追い込むきっかけを作った、と言われている。それを象徴するようなかつての人間達の
行動の一環である「楽園」がこの地に作られた、というのだから、古代文明の遺産を狙っているらしいザギやゴルクスでなくとも、「シャングリラ」と名付けられた
その地は容易にこの国にある地下神殿を連想させるものであり、地下神殿はそれこそ「宝の山」だ。

「神の座に着くことを企てた人間にしてみれば、彼らと彼らが選んだごく一部の人間には、神の御力を模倣する術や神の御言葉を書き換える業を収めた
その地は『楽園』と称するに相応しかったのでしょう。やがては自分達が神の座に着き、その楽園に収めた術や業を欲しいままにして全てを支配出来ると
思っていたのですから。それ故に神のお怒りに触れ、神がお持ちになる光の槍で地は焼き尽くされたのです。」
「・・・。」
「そして、ここからはこの国の建国神話と一致する部分がありますが、神が天から放たれた光の槍を以ってしても、『シャングリラ』と名付けられたその地を
滅することは出来ませんでした。この国があった地が最も神の教えを曲解して罪を神が創られし場所、すなわち地に広めたことや、『シャングリラ』を
滅せなかったことを憂慮された神は一人の天使に、彼(か)の地を神への信仰篤き地にせよ、と命じられ、その天使に10人の従教徒を付き添わせて
派遣した、とマデン書にはあります。」
「確かにその内容は、建国神話と一致する部分があるね。」
「ええ。神は天使を派遣されるにあたって、『シャングリラ』に厳重な封印を施すべく、4つの王冠を天使に授けられました。その4つの王冠を『シャングリラ』が
ある彼の地に置くことで『シャングリラ』を厳重に封印出来る、と神は仰りました。その王冠の名は、レビック、クォージィ、タイロン、ザクリュイレス。建国神話では
信仰の証として天使が神から授けられた、とありますが、マデン書の内容は王冠の名前は兎も角、神の教えを記した『教書』には相応しくないものです。
それもマデン書が外典とされた理由の1つでしょう。」

 ザギ本人若しくはその衛士(センチネル)らしき人物が、リルバン家当主の実弟であるホークに取り入った理由が推測出来る。
建国神話では信仰の証とされている4つの王冠が古代文明の遺跡を封印する力を持つなら、それを1つでも奪えば地下神殿の封印が解ける可能性がある。
当主フォンではなくホークに取り入った理由はまだ分からないが、何れにせよ王冠が狙われている可能性は高まったと言える。

「夕食の席で、建国神話では10ある一等貴族のうち4つの家系に王冠が託された理由に関する言及はない、と言いましたが、それは事実です。」

 ルイは言う。

「問題のマデン書においても、4つの王冠が揃うことで『シャングリラ』を封印することが出来ると神が仰った、という記述はありますが、何故4つの家系が王冠を
持つに至ったかについての言及はありません。10ある一等貴族は何れも、神がこの地を神への信仰篤き地にせよ、と命じられて派遣された天使に
付き添わせた従教徒の末裔です。どの家系が王冠を所持していても不思議ではありません。」
「なるほど・・・。今日の仲間からの情報で、ホーク氏が怪しげな人物を顧問として重用してるって聞いたんだけど、ルイさんが話してくれた内容は明日、仲間に
伝えるよ。ホーク氏やその顧問っていう奴が何を狙ってるか、分かるかもしれないから。」
「ありがとうございます。」
「でもまだ、ルイさんが執拗に狙われる理由が分からないんだよな・・・。」

 アレンが腕を組んで、難しい表情で首を捻って呟く。
ルイの話により、リルバン家の王冠が狙われているらしい理由が別の角度から推測出来るようになった。しかし、アレンが最も懸念している事項、すなわち
ルイが何故命を狙われているかという謎の解明には至らない。
 たった一発で町を焼き尽くす強力な殺戮兵器や、不老不死やいかなる武器も魔法も効かない究極の魔物を創り出すことに結びつくかもしれない古代
文明の遺産が、力の聖地クルーシァを制圧しているガルシアを頂点とする一派であるザギやゴルクスの手に渡るのは、勿論避けなければならない。それは、
3000年もの長きにわたって古代文明の遺跡が破壊される日を待ち望んでいた古代人の1人マークスの言葉を実行することでもある。しかし、アレンには
ルイに纏わりつく黒い翳を取り除くことも忘れられない、忘れたくない重要な課題だ。
 「生きる」という、ルイでなくても未来を保障するための最低限且つ絶対的必要条件が揺らいでいるのだ。それを保障しなくてはならない。
今のところ音沙汰がなくなってはいるが、それで以って万事丸く収まったわけではない。危機が水面下に沈んだだけで、何時表面化するか分からない。
ルイを護り、ルイが晒されている危険の禍根を断つ。これが自分の使命だ、とアレンは思っている。

「もしかしたら、ルイさんが教えてくれた話から背後関係が導き出せるかもしれない。色んな情報を集めて、外の仲間と照合したりすればその情報だけでは
見えないことも見えてくるかもしれないから。・・・ありがとう、ルイさん。重要なことを教えてくれて。」

 アレンの言葉に、ルイは儚げな微笑を浮かべて首を横に振る。

「今の私に出来るのは、所有する知識をお話しするくらいです。このホテルに入ってから2度も私を助けてくれたアレンさんに、その程度のお力添えしか
出来ないのが申し訳なく思います。アレンさんに神のご加護がありますよう・・・。」

 胸の前で両手を組み、目を閉じて祈るルイの姿は、月の光に照らされてより一層神秘的に見える。
何としてもルイに纏わりつく黒い翳を取り払いたい。何としてもルイを護りたい。アレンは改めて強くそう思う・・・。
 リルバン家の壮大な邸宅の朝が始まった。
使用人達が着替えてまず自分達の食事を作って済ませ、続いて当主フォンや執事といった「上級職」用の食事を作って居室に運ぶ。イアソンはその間、昨日
命じられた書庫の整理をする。ベテランの使用人の指揮監督の下、マスクを着けたイアソンは他の使用人と共に書庫整理をする。
 リルバン家の「お家騒動」の核心に迫るべくリルバン家に潜入したイアソンにとって、書庫整理は執事や使用人の会話の傍受と同じく重要なものだ。
書庫には様々な題名の書物が眠っている。その中に、謎の確信に迫る手がかりとなるものがあっても何ら不思議ではない。我々の世界で、国や企業が機密
書類を場合によっては現金以上に厳重に管理し、その持ち出しを処罰対象とすることがあるのは、機密書類が重大な情報を記載していて、その外部漏洩が
政権崩壊や開発中の製品の盗用などの大損害になることもままあるからだ。逆に、本来公開すべき情報をあえて「機密」として、国や企業が法律や規則で
その「流出」に厳罰を課して抑圧に走ることもあるのだが。
 イアソンは指示を受けたり尋ねたり、書物を棚に運んだり入れ替えたりしながら書物を物色する。その途中、「リルバン家来訪者の記録」「王国議会議事録」
といった書物が目に入る。イアソンはそれらの場所を頭に叩き込む。当然後で中身を見るためだ。
書庫には鍵がかけられていて、それは執事の1人が管理している。しかし、ピッキングの技術を持つイアソンには鍵を持ち出す必要はない。既に書庫に入る
際に、書庫の鍵がそれほど特異な形状ではないらしいことをイアソンは見抜いている。使用人として紛れ込んだ深夜には、屋内は巡回の兵士以外は外に
出ないことも把握済みだ。だからこそ使用人の部屋に潜入して服を失敬出来たのだ。
 剣や魔法をぶつけ合う戦闘を「光の戦争」−称賛するわけではない−と言うなら、策略を張り巡らせたりその網の目を掻い潜る情報戦は「闇の戦争」と
言える。策略に長けたザギがレクス王国を大混乱に陥れて自分の目的をほぼ達成したように、イアソンも知恵と洞察力でリルバン家の謎に挑んでいるのだ。
剣先が火花を散らしたり、魔法が炸裂したりといった明らかに目に見える動きに乏しい一方、情報戦は目的が達成されるまで昼夜問わず静かに進む。
それ故の心理的重圧は凄まじい。イアソンが「敵地」に単独で潜入してからも絶えず情報やその糸口などを探せるのは、もはや天性の才能と言えよう。

「使用人は全員、正面入り口に集合せよ。繰り返す。使用人は全員、正面入り口に集合せよ。」

 廊下に大きな声が響き渡る。

「書庫の整理は一旦停止。これよりポイゴーン家当主ラミル様をお迎えする。全員身なりを整えて正面入り口に向かうように。」

 イアソンを含む使用人達は書庫の整理の手を止めて書庫から出ると、その足で急いで自室に戻る。この国における重鎮の一つである一等貴族の当主を
出迎えるのだ。埃塗れで出迎えるなど論外の所業だ。
イアソンは自室に駆け込んで、髪などについた埃を払ってから素早く別の服に−昨日使用人の長に頼んで支給された−着替えて正面入り口に向かう。
 使用人達は、高さ幅共に4メールはあろう巨大な正面入り口前に左右に分かれて整列していく。早く来たイアソンは黒の礼服を着た執事に入り口近くの
列に並ぶ39)
よう指示を受けて、素直に従う。
全使用人が左右に分かれて並び、ロムノを含む5人の執事がその奥で入り口と向かい合う形で並んで時間がゆるりと流れる。使用人と執事が並ぶ広大な
エントランスホールには、物音一つしない。独特の緊張感の中、イアソンは息を潜めて成り行きを見守る。
 ドアがゆっくりと左右に分かれ、外の光が差し込んで来る。周囲を屈強な兵士に護られた、白髪が目立つ茶色の髪と豊かな髭を蓄えた、豪華だが嫌味では
ないように身なりを整えた初老の人物が入って来る。それと同時に使用人と執事全員が頭を下げる。イアソンは周囲を見て素早くそれに倣う。
 イアソンを含む使用人全員と執事全員が頭を下げる中、その人物は兵士に囲まれたまま5人の執事の前2メールのところまで来る。そこで初めて、
その人物が兵士の壁から出て、執事の列の中央に居るロムノに1人で歩み寄る。この人物こそ、10ある一等貴族の1家系にして、リルバン家と同じく4つの
王冠の1つを代々所有するポイゴーン家の当主、ラミルである。

「当方ラミル・クォージィ・ポイゴーン。丁重な出迎えに感謝いたす。」
「リルバン家へようこそお出でくださいました。ラミル・クォージィ・ポイゴーン様。」

 ロムノが頭を上げると、ラミルが右手を差し出す。ロムノが右手を差し出して握手をする。一等貴族の慣例に則った挨拶40)が、厳粛な雰囲気の中で
行われる。勿論この間、雑談などに耽る不届き者は居ない。

「ご健勝で何よりでございます。ラミル様。」
「ロムノ殿もお変わりなく。」
「ありがたきお言葉。」

 ロムノは小さく頭を下げる。そしてロムノとラミルは手を離す。

「では、フォン様のお部屋へご案内いたします。」
「ご配慮に感謝いたす。」

 ロムノを先頭にして再び兵士達に周囲を固められたラミル、残る4人の執事が続き、フォンが居る執務室へ向かう。ちなみにこれも一等貴族の慣例である。
イアソンはまだパピヨンを放たない。人が多いこの場でパピヨンを召喚すると、誰かに見つかる危険性が高いからだ。時刻は9ジム。昼食は10ジムから1ジムの
間執務室で行われ、それまでに何かしらの話があるだろうから、パピヨンを放つのはその時だ。
 ラミルと執事5人が廊下の角を曲がって消えた後、使用人達が様子を窺いながら頭を上げる。その後、わらわらと元の職務に戻る。勿論イアソンも書庫
整理に戻る。その途中、イアソンは急いで執務室の方へ向かい、ラミル一行と執事以外周囲に誰も居ないことを確認してからパピヨンを召喚する。

「あの一行を室内まで追って、全ての会話を記録しろ。」

 イアソンが小声且つ早口で言うと、パピヨンはイアソンの掌からひらひらと舞い上がり、ラミル一行の後に続く4人の執事の後ろに着く。
それを見届けることなく、イアソンは素早く書庫がある2階に向かう。遅れは疑惑を招く可能性があるから、急がなければいけない。これは戦略という
レベルではない。始業時間に遅刻したら咎められたり、デートの待ち合わせに遅れたら何をしていたのか、と訝られるのと同じだ。
 イアソンが書庫に戻って他の使用人達と書庫整理を再開した頃、執務室のドアがノックされる。机に向かって教会人事監査委員会から寄せられた書類の
処理をしていたフォンが手を止めて、どうぞ、と応対する。ドアが開いて、失礼します、と前置きしてからロムノが入室してフォンの机の前に立つ。

「フォン様。ラミル様をご案内いたしました。」
「ご苦労。」

 フォンはすっと席を立ち、他の4人の執事の案内で中に入って来たラミルを部屋の中央で出迎える。兵士は部屋の前で待機している。

「フォン様。お出迎えありがとうございます。」
「ラミル様。ようこそお越しくださいました。」

 ラミルが左手を差し出すと、フォンは左手を差し出して握手する。そしてフォンがラミルをソファに案内する。フォンが着席してラミルに着席を促すと、
ラミルは着席する。ロムノをはじめとする5人の執事は、失礼します、と言ってから執務室を出る。執務室にはフォンとラミルしか居ない。
一等貴族の当主同士の会談はその特質上41)、我々の世界でいうところの閣僚会談や与党幹部会談以上の重要性を持つ。その席に使用人は勿論、ラミルを
護衛していた兵士やリルバン家の執事も同席出来ない。勿論、執務室周辺では邸宅内外問わず屈強な兵士達が警備に当たっている。
 フォンとラミルが挟む緻密な彫刻が施された木製のテーブルには、フォンの側に書類の束が置かれている。ラミルは抱えていた書類の束をテーブルに置く。

「フォン様。今月は偶然にも教会人事の監査請求が多く、しかも貴方は現在開催中のシルバーカーニバルの中心イベントであるシルバーローズ・
オーディションの中央実行委員長でもあられるご多忙の身。その折に当方の議案説明の申し入れを快諾してくださり、大変ありがたく思っています。」
「国家運営の中軸の1つを成す一等貴族当主として、国家運営を左右する議案の提出に先立つご説明は、受けなければなりません。」

 フォンとラミルは、書類の束を広げる。

「ラミル様が提案される銀商業品品質基準法改正案を拝読しました。近年、銀製品取扱商人を中心に粗悪な銀商業品が取引されているため、銀商業品
製作職人組合42)
を中心にかなりの苦情が役所に寄せられていることからも、このご提案は非常に重要且つ喫緊のものであると思います。」
「ご指摘のとおり、銀商業品製作職人組合は近年の粗悪な銀商業品の流通により生産利益のみならず、信用という無形利益も著しく侵害されています。
銀商業品が我が国の主要産業の1つであり、国内外で高い評価を受けていること、並びに銀を掲げる国を挙げての行事が行われることからも、この提案は
成立が急がれる性質を有するものであると思います。・・・では、提案の詳細をご説明します。」

 フォンとラミルの会談が本格化する。ランディブルド王国建国以来の歴史を有する一等貴族の当主2人の会談を聞くのは、天井で音もなくはためく小さな
黒い蝶のみだ・・・。
 その頃、アレン達が宿泊しているホテルでは・・・、

「あーっ、もう退屈ーっ!」

 ・・・と、フィリアが不満の声を挙げていた。
無理もない。この国特産の銀細工を見て回るにしても、ホテル内にある店の数が少ないし商品の入れ替えなども殆どないから何度か見れば見飽きて
しまうし、フィリア自身、特別アクセサリーに興味がある方ではないから何度も見に行こうとは思わない。
カジノに行きたくても、所持金一切を管理するアレンから「この先どのくらい食費がかかるか分からないから駄目」と釘を刺されている。その上、「護衛の
分際で、のん気にカジノに熱中してて良いとでも思ってるの?」とリーナに皮肉を込めたとどめを刺されているから、どうしようもない。
 そのリーナは、朝食後直ぐにフィリアとクリスを引き連れて図書館に赴いて薬学関係の本と料理の本を借りて戻り、アレンとルイに入れさせたティンルーを
飲みながら悠然と薬学関係の本を読んでいる。難解な薬学関連の本を読んで時間を過ごすことなど、リーナには何の苦にもならない。むしろ、勉強に没頭
出来てありがたいくらいだ。
 これまでの旅では次の町を目指すことと食事で手がいっぱいで、リーナが目標としている薬剤師の免許取得に必要な勉強などとても出来なかった。
このホテルの図書館には、ホテルの一施設とは思えない程、実に様々な書籍が揃っている。料理の本から薬学、医学、哲学など幅広い。リーナにとっては
目的の本があればそれで良いのであり、普段利用されているのかどうか、といった背景などは知ったことではないのだ。ティンルーを口にしつつ薬学関連の
書籍を読むリーナは、いかにもお嬢様という雰囲気を醸し出している。
 クリスはリーナの向かい側で朝食後早速、昨日大量に買い込んだカーム酒を飲んでいる。テーブルに置かれたつまみは、勿論アレンとルイが作ったものだ。
フィリアが何度目かの不満の声を挙げたことで、それまで書籍に向けていたリーナが顔の向きはそのままに視線だけ隣のフィリアに向ける。

「五月蝿いわね。静かにしなさい。」
「そりゃあんたは良いわよね!そうやって朝から晩まで本読んでりゃ、暇潰せるんだから!」
「だったらあんたも、あたしと一緒に図書館に行った時に魔術関係の本でも借りて読めば良いじゃないの。」
「あんなの基礎理論のうんちく並べただけで、何の面白みもありゃしないわ!あたしがとっくに知ってることばっかりよ!」

 図書館には魔術関係の本があるのだが、フィリアの言うとおりその内容はごく基礎的なもので、魔術学校卒業後も研究生として残り、将来的には魔術学校の
講師に着任出来るところまで迫っているフィリアにとっては、あまりにも初歩的過ぎて、面白みも何もあったものではない。

「そならフィリア。あたしと一緒に酒飲まへん?」
「あんたと飲んでたら、とっくに潰れてるわよ!」

 既にフルボトル1本を空けたクリスの誘いを、フィリアは激しい勢いで拒否する。腹の中にモンスターでも飼っているのか、と思いたくもなるクリスの食事と
飲酒の量に合わせるのは、むざむざ潰してください、と言うようなものだ。

「あー、もう!暇よ暇よ暇よ!」
「・・・ったく五月蝿いわね、この田舎者。」
「まあまあ、暇やったら酒飲んどればええやん。そのうち昼ご飯やしさ。」
「この部屋で食べてばっかりいたら、太っちゃうわよ!それに、あんたみたいに朝っぱらから酒なんて飲めないわよ!」
「・・・ったく、どうしようもない奴ね。」

 かなりヒステリックになっているフィリアに読書を邪魔されるのが嫌なのか、リーナは舌打ちして本をテーブルに伏せて立ち、台所に向かう。
台所では、アレンとルイが昼食の準備をしながら話をしていた。
アレンとルイは長年の生活習慣で早起きだが、リーナの起床は7ジムと遅い。昼食は10ジムとリーナが決めているから、朝食後程なく昼食の準備に取り掛かる
必要がある。火を起こすのに時間がかかるのもあるが、料理そのものに時間がかかるのもある。
 リーナは「主役」の看板をひけらかして、借りて来た料理の本をアレンに押し付けて「これを作って」と、アレンとルイが手がけたことがない料理を要求
−強制と言うべきか−するようになって来ている。「一度食べたものの繰り返しは嫌」というのがその理由だ。元々小食なリーナは太ることを気にする必要が
ないのだろう。つまり、「量より質」を重視しているのだ。
 リーナは命令するだけだから良いが、料理を作るアレンはたまったものではない。料理経験豊富で高い技術も持つアレンだが、本を突きつけられて
見たこともない料理を美味く作れ、と言われるのはやはり厳しい。大食いのクリスの胃袋を満たすことも考慮した上でその分の食材を運んでもらわないと
いけないし、当然下ごしらえの量も増える。
実のところ、料理は焼いたり煮込んだりといった「メイン」より、味付けなどの下ごしらえが重要でしかも「メイン」より時間を要することが多い。料理人の修行で
食器洗いなどの雑用の他、食材の下ごしらえを任されるのは、料理における下ごしらえの重要性や必要性を体得させるためでもある。
 そんな料理特有の事情に、リーナが今日の昼に要求−命令と言うべきか−したのはリュリンの照り焼き43)。リュリンを捌くところから始めないといけない。
さらに照り焼きだから、捌いたリュリンの身に−リーナは骨や皮を選り分ける手間を嫌がる−しっかり味を染み込ませないといけない。勿論料理はこれだけ
ではない。自分と同等の料理経験の蓄積と高い技術を持つルイが居るからどうにかこなせているのだ。

「アレン。」
「何?今リュリンを捌いたばかりで、照り焼き用の漬け汁とオーギャ44)のソースを作ってる最中だよ。」
「フィリアを黙らせるから、50デルグくらい頂戴。隣でぎゃあぎゃあ騒がれちゃ、おちおち本も読んでられやしないわ。」
「50デルグか・・・。まあ、そのくらいなら良いか。」
「クリスも行かせるから、ルイ。あんたも50デルグくらい頂戴。」
「分かりました。」

 アレンとルイは手を休めて手を洗い、台所の片隅に置いてあるそれぞれの皮袋から50デルグを取り出してリーナに手渡す。

「リーナはどうする?」
「あたしは部屋で本読んでるわ。フィリアとクリスが戻って来なくても、10ジムには昼食を出して頂戴。じゃ。」

 金を受け取ったリーナは、素っ気無く言って身を翻す。暇を持て余して自分の隣でヒステリーを起こしているフィリアと、向かい側で朝っぱらから酒の匂いを
漂わせているクリスを追い出すつもりなのだろう。
程なくフィリアとクリスの歓声が上がり、ドアを開け閉めする音がして、静まり返る。手を洗ったアレンは内心胸を撫で下ろす。

「これで良し。1ジムほど切り身に味が染み込むのを待ってから焼く、と。」
「ソースも出来ました。オーギャを茹でるための湯を沸かしますね。」

 ルイは2つの大きめの鍋にたっぷりの水を張り、それを竈にかける。クリスが大食いなため、こうしないと対応出来ないからだ。
一息吐ける状態になったところで、アレンとルイは手を洗って並んで腰掛け、中断していた話を再開する・・・。」

用語解説 −Explanation of terms−

37)神の子でありながら・・・:我々の世界におけるキリスト教の「原罪」に相当する。キリスト教では全人類の祖であるアダムとイブが神の言いつけに背いたことが
原罪、すなわち人間が生まれながらにして抱えている罪と定義されているが、キャミール教では文中にあるように、神の教えに背いて神の座に着こうとした
ことが原罪に相当する。キリスト教で神の座に着こうとして反乱を起こして敗れ、地獄に投げ落とされたルシファー(ルシフェル)の立場が人間そのものに
置き換わっている、と考えると分かりやすいだろう。


38)創造の天使が・・・:Prologueの末尾にある一節と同じ内容。ルイの話の方が詳細なのは、マデン書の内容を熟知しているからだろう。

39)入り口近くの列に並ぶ:ランディブルド王国では、出迎えの際は奥に行くほど地位が高い者が並ぶという風習がある。

40)一等貴族の慣例に則った挨拶:来訪の場合は自分から名乗り、訪問先の筆頭執事(リルバン家の場合はロムノ)が代表で出迎え、来訪側から右手を
差し出して筆頭執事と握手と言葉を交わす、という流れになっている。招待や相手が国王一族の場合は別の機会に説明する。


41)特質上:ランディブルド王国の王国議会議員は、全員が全ての権利を有するわけではない。これは別の機会に説明することになるだろう。

42)銀商業品製作職人組合:これまでのアレンとイアソンの通信で出て来た「銀細工職人の組合」の正式名称。

43)リュリンの照り焼き:リュリンとは水深50メール程度の沖合いで獲れる体長2メール程度の大型の魚。文中にあるように照り焼きの他、煮つけや刺身など
用途は広い。ちなみに高級な部類に入る。この世界における照り焼きは薄味で、別途用意する果汁に浸して食べるという形式。我々の世界での魚版
ステーキ、といったところか。


44)オーギャ:この世界におけるパスタの呼称。ランディブルド王国があるトナル大陸南部の郷土料理。

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