Saint Guardians

Scene 6 Act 4-1 陰謀-Conspiracy- 白昼の平穏と悪夢

written by Moonstone

『・・・漏れてた、のか。』
「うん。」

 その日の夜、夕食を終えて女性陣が揃って風呂に入ったところで、アレンはイアソンと連絡を取っていた。
アレンが最初に伝えたことは、当然と言おうか、自分が男だと見抜かれて摘み出される寸前に追い込まれたことだ。しかも警備班班長直々に。

「イアソンの忠告どおり、シーナさんから貰った薬を飲んでおいて良かったよ。まさかその翌日に乗り込んでくるとは思わなかった・・・。」
『まさか、ってことが起こりうるもんだ。こういう事態ではな。』
「それにしても、兵士まで連れて乗り込んできた警備班班長、どういう経路で情報を仕入れたんだろう?」
『それは分からん。だが、そのホテルを出るまで、すなわちオーディション本選終了までアレン。お前が女になってなきゃいけないことは確実だ。』
「確かに・・・。やっぱり怪しいのは警備班班長かな?」
『そう考えるのが自然だな。確証はないが。』

 アレンとイアソンの見解が一致する。だが、そうなるとそこから幾つかの疑問が生じる。
誰から警備班班長のホークがアレンが男だという情報を入手したのか。何故ルイの抹殺を狙っているのか。
前者は行方をくらましているザギが関与していると考えられるが、後者は未だに雲を掴もうとするような状態だ。

「イアソン。そっちの調査は進んだのか?」
『彼女の戸籍の閲覧を試みたんだが、やっぱり本人かパーソンカードを持つ家族じゃないと閲覧が許可されない。下手に食い下がると怪しまれるから速やかに
撤収した。そんなわけで今のところ、こっちの調査は行き詰ってる。』
「そうか・・・。」
『とりあえずアレン。お前が女になり続けるのは勿論だが、彼女から離れるな。警備班班長が彼女を狙ってる可能性が高い以上、どういう手を使って彼女を
抹殺しようとしてくるか分からない。魔法だと建物を損壊させて、それを口実に彼女から引き離される可能性もあるから、フィリアじゃ駄目だ。剣を使える
アレン。お前が常に彼女の傍に居て彼女を護るしかない。』
「分かった。」

 アレンは自分の双肩に圧し掛かった責任の重さを改めて実感する。ルイが狙われていることはほぼ間違いない上、警備班班長が限りなく黒に近い現状では、
ルイを無防備にしてはならない。
 今のところ幸いなのは、ルイがアレンと共に朝昼晩の食事を担当しているため部屋の外に出る機会がないことと、ルイが外に出ようとしないことだ。
料理に関する本はどういう風の吹き回しかリーナが頼まなくても図書館から借りて来るから、アレン若しくはルイが部屋から出る必要がないのもある。

「ところでイアソン。ドルフィンとシーナさんは・・・まだ?」
『今日は朝一番で役所に出向いて撤収してから、夕方までオーディションに関する情報収集をして、夕方帰って来た時には隣からの物音は途絶えてた。
朝部屋を出る時確認したら、まだ色んな声や物音が聞こえて来た。少なくとも半日はぶっ続けだったのは間違いない。』
「凄いな・・・。あ、イアソン。オーディションに関する情報ってのは?」
『おっと、報告を忘れてたな。』

 イアソンはひと呼吸置いてから報告を始める。

『オーディション本選は、各町村の人口に応じた定数分の出場者で争われる。審査員は一等貴族当主全員とオーディション中央実行委員長、今年は
リルバン家の当主フォン氏だが、彼に任命された二等・三等貴族若干名、そして結婚相手を募集している二等・三等貴族関係者だ。』
「こっちもオーディションに関する話を聞いたんだけど、貴族の子息はオーディション本選出場者を妻や側室にする傾向が強いそうだよ。」
『ああ、そのとおりだ。昨日話したとおり、一等貴族の小作人は制度の関係で生活水準はかなり安定しているが、二等・三等ではやはり搾取が横行している。
そんな関係もあって、オーディション本選出場で貴族子息との結婚や、この国で盛んな演劇や銀細工のモデルを目指す女性は多いそうだ。苦しい生活から
脱却するためだな。言い換えればオーディションは女性に華やかな道を用意することで、貴族制度に対する不満を逸らす意図もあるようだ。』
「その話はこっちも聞いた。銀細工のモデルは別として、演劇方面で何か今回の事件に関係しそうな情報はなかった?」
『演劇は男性女性問わず人気らしい。演技する方も見る方もな。俺がフィルの町を回っただけでも数箇所に舞台があって演劇が行われていた。演劇は
この国の国家体制に深く関与している教会と違って自主興行だが、演劇の小道具でこの国の主要産業の一つである銀細工を使用することが多いせいも
あって、銀細工職人の組合からの補助金もあるから資金的には潤沢だそうだし、俳優も男女問わず美形が多い。まあ、この国の国民はエルフの血を
引いてるから美形が多いのは必然的と言ってしまえばそれまでだが。』
「ということは、演劇関係と今回の事件に関係はなさそうだな。」
『そうだな。銀細工の方はさっき言ったが職人の組合があって、後継者はその組合で育成するそうだ。もっともモデルを使ったりして作品を披露したり
商品に出来るまでには相当熟練を要するらしいし、店も群雄割拠の状態らしいから、今回の事件とは関係ないと見て良いだろう。』

 アレンが仕入れた情報とイアソンが入手した情報を総合すると、やはりオーディション本選そのもの、そして警備班班長に疑惑の矛先を向けねばならない。
ルイに関する不審な点と言えばやはり、戸籍上死んだことになっていたという母のことだが、部外者が戸籍を閲覧出来ない現状では確認しようがない。

『現状で考えられる背後関係は、彼女の父親が警備班班長ホーク・リルバン氏で、何らかの事情で彼女の母親を抹殺しようとしたが逃げられた。彼女が
聖職者として名を上げたことでホーク氏が過去の暗部の発覚や権威失墜を恐れて、警備班班長になったことを利用して彼女の抹殺を企んでいる・・・。
こんなところだな。戸籍が閲覧出来れば、彼女の母親の経歴なんかも分かるだろうが・・・。』
「イアソンの推測どおり、ルイさんのお母さんがあのホークって男と結婚してたとすると、ルイさんの姓はリルバンになるんじゃないのか?」

 レクス王国では結婚若しくは離婚の場合は役所に届け出る必要があり、結婚の場合は妻の姓が夫の姓に変わる、つまり夫婦同姓制度だ。
ランディブルド王国ではどうか知らないが、戸籍制度がレクス王国とは比較にならないほど頑強なのは確かだから、戸籍に結婚や離婚の履歴が記載されて
いても何ら不思議ではない。となると、ルイの姓は戸籍上はセルフェスではなく、リルバンであるとも考えられる。

『否、側室のように役所に届け出ていなかったら姓は変わらない。ホーク氏は、彼女の母親が彼女を身篭っていたことを知らなかった可能性がある。』
「結婚してなかったってことは・・・。」
『つまり私生児だ。』

 日本でもシングルマザーなどの美辞麗句の「普及」に伴い認識が変わりつつあるとは言え、親が役所に婚姻届を出していない状態で生まれた子ども、
つまり私生児は、何かと偏見や差別の対象となる。子どもには生存死亡は別にして両親が居て当たり前、という認識が普通のこの世界では尚更だ。
ルイが私生児となると、一等貴族当主の実弟であるホークがルイの抹殺を目論むのも納得がいく。由緒正しい一等貴族の親族に私生児が居るとなれば
権威失墜は避けられないから、ことが公になる前にルイを抹殺すべく、傭兵を雇って襲わせたり、警備の兵士に刺客を紛れ込ませたりするだろう。

『アレン。彼女への気持ちは変わらないよな?』

 思考を巡らせていたアレンの耳に、イアソンの問いかけが流れ込んで来る。

『彼女の出生の経緯がどうであれ、彼女は一人の聖職者として、否、一人の人間として現にこの世に生きてるんだ。このことを忘れるなよ。』
「・・・うん。」
『彼女の戸籍は俺の方でも何とか調査してみるからアレン、そっちは引き続き関係者から情報を入手してくれ。今のところホーク氏が一番怪しいが、
他の可能性が全否定出来たわけじゃない。彼女を護るのはアレン、お前の使命ってことを肝に銘じておけよ。』
「分かった。」
「勿論、リーナのことも忘れるなよ?」
「分かってる。」

 アレンはイアソンとの通信を終了し、イヤリングを耳に戻して小さく溜息を吐く。
ルイが私生児である可能性が高いことがまったくショックでないと言えば嘘になる。だが、ルイに対する気持ちが変わったわけではない。
今まで抱え込んで来た劣等感を克服するきっかけを与え、ともすればリーナにこき使われるだけに終わるかもしれなかったホテルでの生活に潤いと楽しみを
与えてくれているルイ。普段のおっとりした様子からは想像も出来ない程、自分に熱烈な求愛の意思を示しているルイ。
 ルイは、このオーディション本選出場が自分のこれまでの生活を見直し、これからの人生を考えるきっかけになればそれで良い、と言っていた。
生きなければ願いや希望が叶う可能性はゼロだ。可能性を生じるための絶対的必要条件が危ぶまれているなら、何としてもそれを阻止しなければならない。
身体は女になっているとは言え、自分が剣士であることに変わりはない以上はルイを護らなければ、と気持ちを新たにしたアレンは、傍らの剣を抜く。
父ジルムから譲り受けた7つの武器の一つという剣は、ルイを襲撃した重装備の兵士達を鎧ごと切り裂いたにもかかわらず、刃こぼれ一つしていない。
ランプの光を受けて鋭い輝きを放つ刀身を暫し見詰めたアレンは、表情を引き締めて剣を鞘に収める。

「あー、ええ風呂やったわー。」

 浴室に通じるドアが開くと同時に、それまでの空気を一変させる暢気なクリスの声が響く。髪をおろしていて淡い緑のパジャマを着ているクリスに続いて、
ルイ、リーナ、フィリアの順で、それぞれ淡いベージュ、白、薄い青のパジャマ姿で出て来る。
 女性陣の風呂上りのパジャマ姿を見る度、アレンは普段着と違う雰囲気を感じる。幼馴染のためパジャマ姿を見慣れているフィリアと普段どおり髪を
ポニーテールにしているリーナもそうだが、クリスとルイは特に違って見える。クリスのおろした髪はそれなりに長く、男っぽい普段の雰囲気とはかなり違って
見えるし、ルイは水分を吸った髪の煌きが妖艶さを醸し出している。

「アレン君、風呂空いたで入りなよ。」
「ああ。そうする。」
「女なんやから一緒に入りゃええのに。」
「そ、そんなこと出来るかよ。」

 無意識のうちにルイを見ていたアレンは、頬を赤くして拒絶する。理由は他でもない。今朝見たルイの下着姿を思い出したからだ。
動揺の素振りを見せたアレンに、フィリアが駆け寄るといきなり背後からアレンの首に抱きつく。

「あたしは別に良いのよ?一緒にお風呂入った仲じゃない。」
「え?何なん?アレン君、フィリアとそういう関係やったん?」
「そうよぉ〜。アレンとあたしは裸の付き合いってわけ。」
「い、一緒に風呂に入ったのって、小さい頃じゃないか!それも10年程前の話だろ?!」
「そういやアレン君とフィリアって幼馴染やったな。んなら一緒に風呂入っとってもおかしあらへんわ。」
「身体は女でも中身は男のアレンに、裸見られたくないわ。露出狂の誰かさんとは違って。」
「誰が露出狂よ!この性悪女!」

 早速睨み合いを始めたフィリアとリーナに巻き込まれないよう、アレンは静かに且つ速やかに着替えを取りに行き、そのまま風呂場に直行する。
フィリアに再び捕まらないようにと逃げるように風呂場に向かったアレンの後姿を見送ったルイは、今朝のことを思い起こす。
 異性に下着姿を見られたのは勿論初めてだ。礼服を着ようとしたところでドアが開き、姿を見せたのがアレンだったことで驚きで固まってしまった。
我に返ったアレンが慌てていたのは確かだ。その後、その件に関しては自分からもアレンからも一言も出ていない。睨み合いを続けるフィリアとリーナを
クリスが仲裁するのを見つつ、ルイはアレンに今朝のことをどう思っているのか聞きたいと思う・・・。
 翌日、朝食を済ませたアレン達一行は揃って部屋から出ていた。発端は、リーナが護衛にも息抜きが必要だと言って自分が借りた本を図書館に返しに行く
ついでにアレンを連れ出したことにある。
そこへ、折角やから、と言ってルイを引っ張って来たクリスと、アレンとルイを自分の監視下から逃したくないフィリアがついて来たのだ。
狙われているルイを外に出さない方が良い、とアレンは言ったのだが、5人固まってれば大丈夫、というフィリアとリーナとクリスの連合軍に押し切られた。
 一行はアレンが先頭となり、その後ろにアレンに向かって左からリーナ、ルイ、その後ろをやはりアレンに向かって左からフィリア、クリスと並んでいる。
廊下は十分広いから、二列になっても向かい側の通行の邪魔にはならない。そもそも廊下に警備の兵士以外殆ど人が居ない。
アレンは万が一に備えて左手の親指で剣の柄を押し上げ、視線を絶えず動かして警戒に当たっている。ルイは勿論だが、今のアレンの護衛対象は
リーナだ。それに、ザギが一連の事件の背後に居る可能性がある以上、リーナが狙われないという保障はない。今度事件が起こったら、警備の兵士などを
通じて現時点で最も怪しい警備班班長を解任出来るが、その代償でリーナやルイに危害が及んではならない。アレンは護衛という役割が含有する重みを
その両肩にひしひしと感じつつ、先頭になって歩く。
 先に2階にある図書館に立ち寄ってリーナが本を返して別の本を借りた後−勿論その間はアレンが付き添った−、一行は1階に降りて店を回る。
1階の店はまだ昼食時には早いせいもあってか人はまばらで、アレン達は5人固まって動ける。
まず最初に入った雑貨屋でクリスが菓子や酒を買った後、一行は土産物屋に入る。商品はやはりこの国の主幹産業である銀細工が主で、種類や細工も多種
多様で見ているだけでも楽しめる。緻密な細工が施された彫像やティアラなどもそうだが、関心が集まるのはやはりと言おうか指輪やペンダント、ネックレスと
いった身近な装飾品だ。

「この指輪、良いわね。シンプルなデザインだからさり気ない演出にはもってこい、ってところじゃない?」
「あたしは武術家やから指輪は邪魔になるな。こっちのネックレスがあたしの好みやわ。胸元のアクセントにはピッタリや。」

 フィリアとクリスが目を輝かせて陳列品に見入る。フィリアはまだしも、普段装飾品には無縁なイメージのクリスも目移りしている様子だ。
装飾品を着ける気はないし興味もないアレンがフィリアとクリスを見ているところに、リーナが声をかける。

「アレン。あたしも商品見て回るから、暫く此処に居なさい。」
「護衛の方は?」
「フィリアとクリスにさせるわ。フィリアは結界が張れるし、クリスは手足が武器だから突発事態にも即座に対応出来るし。」
「でもあの二人、商品に夢中みたいだぞ?」
「あたしも一応結界張れるし、幸いこの店には他に客が居ないからアレン。あんたはルイの護衛に専念しなさい。じゃ。」

 リーナはさらっと言うと、フィリアとクリスの商品談義に加わる。アレンはリーナの行動に首を傾げる。
昨日自分の正体が男だという、何処からかの情報をちらつかせた警備班班長直々に摘み出される寸前に現れ、「正規の護衛」を何度も強調して事態を回避
したかと思えば、今度はその「正規の護衛」であるアレンの元から自ら離れて商品を見て回るというのだから、アレンが理解に苦しむのも無理はない。
 店の一角で一応警戒を続けるアレンは、ふと右隣にいるルイを見る。アレンの視線に気付いたのか、ルイはアレンの方を向く。
元々身長が低めのアレンが女になっているせいで、視線の高さは若干ルイの方が高い。

「ルイさんは見ないの?指輪とか。」
「私は装飾品にはあまり興味がないので・・・。」
「へえ・・・。クリスと立場が逆なような気がするけど。」
「クリスは普段こそお洒落とかには無縁なイメージがあると思いますけど、結構服装とかに関心があるんですよ。」

 言われてみれば確かに、今のクリスは武術家で大食い大酒飲みという豪快且つ猛々しい普段からは想像出来ない雰囲気の横顔だ。武術家とは思えない
ほど細身なことや顔立ちとスタイルの良さも相俟って、何処から見ても若くて健康的な年頃の女性という雰囲気だ。一方のルイも決して華美ではない瀟洒な
服装で、こちらは聖職者らしい清楚な雰囲気を漂わせている。

「・・・ねえ、ルイさん。」

 アレンが話を切り出す。

「この国では銀細工が盛んみたいだけど、結婚指輪も銀なの?」
「え・・・。」
「あ、いや、俺の故郷では結婚指輪には普通金を使うから、この国ではどうなのかなと思って。ルイさんは祭祀部長だからその辺の事情も詳しいかな、と。」

 取り繕うようにアレンが理由を説明すると、ルイは少し驚いた様子だった表情を元に戻す。

「この国では、結婚指輪には必ず銀を使いますよ。金は専ら貨幣や纏まった財産管理に使われます。金は富裕の象徴ですから。」
「ルイさんは村で結婚式に立ち会ったことはあるの?」
「はい。今の役職に就く前にも何度か祭祀部に所属していたんですけど、その時、村の人の結婚式の準備や執行に携わりました。冠婚葬祭は教会でも
そうですけど、町や村の一大行事でもあるんですよ。結婚は『神の子が愛という絆で結ばれ、新たな神の子の揺り篭となる』とも称されるんです。」
「だから、そんな儀式の陣頭指揮を任される祭祀部長の権威が高いんだね?」
「はい。」
「此処でこうして突っ立ってるのも何だし・・・、ちょっと見てみない?」
「はい。ご一緒します。」

 アレンとルイは賑やかな品評会を展開するフィリア、リーナ、クリスと距離を置いて商品を見て回る。
天使や馬に乗った騎士の像といった、緻密でいかにも高価そうな−実際値段は高い−品物を軽く眺めた後、店の陳列品の大半を占める装飾品関係を見て回る。
細かい細工が施されたものや一風変わったデザインのものもあれば、シンプルで飽きの来ないタイプのものまで品揃えは豊富だ。値段的にも随分こなれて
いて、アレンとルイがそれぞれ管理している手持ちの遊興費で十分買えるものが多い。
 そんな商品の中で、アレンとルイは一つの指輪に注目する。円を描くごく一般的な形で、側面の片側一部が燻し加工されているものだ。値札を見ると
30デルグとかなり安価で、手持ちの遊興費で買える品だ。

「これ、良いですね。」
「そうだね。」

 アレンとルイは、注目していた品が同じだったことで思わず顔を見合わせ、照れ隠しの笑みを浮かべる。改めてその指輪の陳列表示を見ると、「結婚指輪、
ペアリングとしてもお勧め」と書いてある。
 遊興費は正規の護衛であるアレンが管理している。食材を運んでもらう際に材料費を支払っているが日持ちする材料もあるため、資金はかなり余裕がある。
アレンは視線を賑やかな方に向ける。フィリア、リーナ、クリスがガラスで覆われた商品陳列棚の前で品評会を続けている。アレンは指輪の陳列表示に
視線を戻す。その心の中では、ルイと指輪がしっかり結びついている。
 ルイからは明言こそないものの、熱烈な求愛の意思が示されている。アレン自身長年背負ってきた劣等感の克服が始まり、それを契機としてルイの意思に
素直に向き合えるようになって来ている。
フィリアとは故郷で互いの誕生日に料理を振舞って祝った。だが、元々生活水準が高いとは言えない田舎町での暮らしにプレゼントをする余裕はなかった。
そんな背景もあって、誕生日などにプレゼントを贈るという習慣に縁遠かったアレンだが、プレゼントを、しかも特定の異性に贈ることに特別な意味と意思が
必然的に込められることくらいは分かる。指輪となれば尚更だ。

「アレンさん。」

 思考の渦に嵌まり込んでいたアレンに、ルイがそっと声をかける。

「あ、ど、どうしたの?」

 動揺を彼方此方から染み出させながらも応対したアレンの大きな2つの碧眼に、どこかもどかしげなルイの顔が映る。

「・・・ルイさん?」
「アレンさんは、誰かに指輪を贈ったことってありますか?」
「え、否、ないけど。」
「この国では、指毎に指輪の意味があるんです。」

 ルイは右手をアレンに差し出す。やや褐色を帯びた細い手の人差し指には、中央にダイアモンドを乗せた、緻密な彫刻が施された指輪が填まっている。

「この指輪が母の形見だってことは、今朝お話しましたよね?」
「うん。」
「右手の人差し指に指輪を填めることは、母親からの愛情を示すんです。母がずっと大切にしていたこの指輪をこの指に填めることで、私という存在を
この世に送り出してくれた母への、教会の下働きになることを条件に私の戸籍を作ってくれた母への感謝の気持ちを忘れないようにしているんです。」
「正規の聖職者になるのは大人でも1年で2/3は根を上げるほど厳しい、ってクリスから聞いてるけど、あえてその道を選んだのはお母さんのためなんだね?」
「はい。母が私を産んでくれなかったら、母が居なかったら私という存在は今この世にあり得ません。神が与えてくださった命を育んで私という存在を
この世に送り出してくれた母に少しでも安らぎを与えられるようになるために、修行の成果が率直に心に反映される聖職者になろう、と思ったんです。」
「ルイさんのお母さんはきっと、天国で今のルイさんを見守ってるよ。」
「私もそう思っています。」

 少し儚げでもあるルイの微笑みは、アレンの心をより一層引き付ける。所持している遊興費から指輪を買ってプレゼントしたいと思う。だが、切り出し方が
見当たらない。単にプレゼント、と言うだけではインパクトに欠ける。だが、求愛への返事と言うのは露骨な感じがする。プレゼントすることに不慣れなアレンは、
指輪を目の前にしてどうすべきか思考が混乱する。

「・・・他の指にも意味はあるの?」
「はい。アレンさんの国でもあるかもしれませんが、左手薬指に指輪を填めることは婚約若しくは既婚であることを意味します。」
「宝石は・・・必要?」
「いえ。その代わりと言うと語弊があるかもしれませんが、裏側に自分と相手の名前を刻印します。『聖なる輝きにその名を刻み、永遠(とわ)の愛を誓う』。
・・・そういう意味合いがあるんです。」

 ルイの熱烈な求愛の暗示は、少なくとも恋人同士になりたいという意思が込められていることくらい、こういったことに鈍いアレンでも分かる。それに応じる
形とは言え、左手薬指用に指輪を買うのは少し抵抗がある。指輪はかなり目立つし、フィリアが見たら目の色を変えるのは容易に予想出来る。だが、ルイの
求愛に何らかの形で応えたい、という気持ちがあるのは事実。それを形に示す一番の近道は、目の前に陳列されている指輪だ。
 今は立場も外見も女だから、ペアリングとしても買うことには躊躇いがある。女同士でお揃いの指輪、というのはアレンに違和感を抱かせる。女でなくても
良くなる時、すなわちオーディション本選終了後にでも出逢った記念としてプレゼントするのが良いか、とアレンは思う。

「オーディション本選が終わると、シルバーカーニバルも終わるの?」
「いえ。オーディションはカーニバルの中の一大イベントですけど、カーニバルそのものはオーディション本選後も1週間ほど続きます。シルバーカーニバルは
外国からの旅行者も歓迎する国家的な祭典ですから。」
「じゃあ、このホテルにある店以外でも指輪とかは売ってるんだ。」
「はい。同じものが売っているかどうかまでは分かりかねますが。」
「まだ婚約や結婚とかはイメージ出来ないけど・・・、ルイさんと出逢った思い出の品は欲しいと思う。」
「アレンさん・・・。」
「俺はオーディションが終わったら父さんを探す旅を再開するつもりだし、ルイさんにそれについて来てくれ、って言える立場じゃないことは分かってる。
でも、ルイさんは自分の容姿に持っていた劣等感を克服する足がかりを提供してくれた。ルイさんと一緒に料理を作ったり話をしたりするのは楽しい。
ルイさんにはルイさんの人生があるし、それを束縛する権利なんてない。だけど・・・、ルイさんとの出逢いは・・・。」
「アレン。行くわよ。」

 アレンが懸命に思いを紡いでいたところに、リーナの呼び声がかかる。アレンは複雑な気持ちを抱えつつ、ルイと共にリーナ達が居る場所へ向かう。

「何か買うの?」
「良いな、と思ったものは幾つかあったけど、クリスに聞いたら結構ぼったくってるらしいから、オーディション本選後にフィルの町を案内する、って。」

 アレンの問いにフィリアが答える。

「クリスって、この町に詳しいの?」
「あたしの父ちゃんが村に居る国軍の司令官やから、父ちゃんの出張とかで一緒に何度かこの町に来たことがあるんよ。ひととおり案内は出来るで。」
「そうなんだ。」
「このオーディションだけがシルバーカーニバルやないし、あんた達がこの国に来てあたしやルイと知り合ったんも神様の思し召しや。あたしにはあんた達が
余所者ちゅう感じが全然せえへんし、オーディション本選が終わって直ぐに出発するんやなかったら、一緒に遊ぼや。」
「そうだね。折角知り合えたんだし。」
「んじゃ、次の店行こかー。」

 アレン達は土産物屋を出て次の店に向かう。最寄の店はカジノ。看板を目にした瞬間、フィリアとクリスの瞳が熱意で輝く。

「熱いドラマはカジノからや。フィリア、どや?」
「勿論よ。この前の雪辱、何としても果たしてみせるわ!」
「ちょ、ちょっと二人共・・・。」

 アレンの制止をまったく聞かず、フィリアとクリスはやる気満々の様子でカジノに突入していく。

「アレン、ルイ。あんた達が管理している遊興費を100デルグばかり頂戴。」

 唖然としていたアレンとルイに、リーナが右手を差し出す。

「あの馬鹿二人を体力使って引き摺り出すのも馬鹿馬鹿しいし、所持金がなくなったら嫌でも出なきゃならないから、100デルグ程で遊ばせておくわ。」
「その間リーナと俺とルイさんはどうする?」
「あたしはサラマンダーに護らせるわ。アレン。あんたはルイとその辺をぶらついてなさい。あんたとルイは金銭感覚がしっかりしてるし、店を回るのが飽きたら
部屋に戻って昼食の準備をしておいて。参考になるかは保障出来ないけど、これを渡しておくわ。」

 リーナはアレンとルイから100デルグずつを受け取るのと引き換えに、図書館から借りてきた本のうちの1冊をアレンに手渡す。その本はランディブルド王国の
各地の郷土料理のダイジェスト版で、作り方の紹介はページ数の関係もあってか文章が殆どだが、料理を得意とするアレンとルイならさしたる問題に
ならない。

「リーナさん。良いんですか?」

 アレンに本を渡してカジノに入ろうとしたリーナをルイが呼び止める。

「アレンさんはリーナさんの正規の護衛なのに、護衛から離れるのは安全上問題があるんじゃ・・・。」
「さっきも言ったでしょ?あたしはサラマンダーに護らせるって。それよりルイ。狙われてる可能性が一番高いのは他ならぬあんたなんだから、あたしのことより
自分のことを心配することね。アレンは無料で貸すからしっかり護らせなさい。」

 昨日の事件でリーナは、アレンを自分の正規の護衛だということを前面に押し出して、警備班班長を崖っぷちに追い込む立ち回りを演じて見せた。
と思ったら、その正規の護衛を無料で貸すからルイに自分のことだけ考えろ、と他人事のように言うリーナの180度の方向転換に、アレンは首を傾げる。
最近は随分丸くなってきているとは言え、リーナはどうも掴み所がない。寒気がするほど理論的に迫るかと思えば、感情を露にして掴みかかったりもする。
感情の起伏が激しいだけなのか計算ずくのことなのか未だに分からないアレンを尻目に、リーナは召還したサラマンダーを侍(はべ)らせてさっさと店内に
消える。
 護衛対象が一人居なくなったアレンは、この先の行動を考える。リーナが本を借り替えてきたということは、この中から若しくはレパートリーから美味しい
料理を選んで作れ、という暗示だ。指輪の件は、オーディション終了後にクリスがもっと良い店を案内してくれるそうだから、それを待ってからでも良いだろう。
何れにせよ、命を狙われているルイを長時間部屋の外に出すのは好ましくない。警備班班長が最も怪しい以上、その部下である警備の兵士も信用
出来ない。ならば、出来るだけ早く部屋に戻るのが得策だ。

「ルイさん。昼食の準備もあるから、部屋に戻ろうか。」
「はい。」

 ルイが快諾したのを受けて、アレンはルイと共に部屋へ戻る。警備の兵士が彼方此方に居るが、警備班班長が今のところ最も怪しいこともあって、
アレンは警戒態勢を怠らない。
 アレンとルイは店舗エリアを抜けてロビーに出る。広大なロビーに点在するソファには、出場者らしい女性とその護衛らしい体格の女性が何組か居る。
一息入れるほど疲れてはいないから、アレンはロビーを通り過ぎて階段に向かう。
 アレンとルイが並んで歩いていると、前から一人女性が近付いてくる。服装はかなり華美で、アレンは綺麗だとは思うが馴染めないものを感じる。
護衛を伴っていないからオーディション本選関係者か、と思ったアレンとその女性との距離が2メールを切った時、女性が素早い動作で腰に手を伸ばす。
と思ったら、女性は手にした短剣を構えてルイめがけて突進してきた。

「危ない!!」

 アレンは咄嗟にルイの前に立ち塞がる。次の瞬間、アレンの胸に激痛が走る。アレンは胸の中央部に短剣を突き立てられ、鮮血を迸らせる。短剣と言えど
13セムはある刀身がアレンの胸に深々と突き刺さったのだから、激痛が走るのは当然だ。

「こ、この・・・!」

 アレンは渾身の力を込めて剣を抜き、迷わず女性を斬る。至近距離の上、刀身が短剣より圧倒的に長いアレンの剣は、女性を斜めに切り裂く。
女性が鮮血を噴出しながら声もなく後ろめりに倒れる一方、アレンは胸に突き刺さった短剣を抜いて胸を両手で押さえ、その場に両膝を突く。

「アレンさん!!」

 突然の惨劇でロビーが騒然となる中、ルイはシャツを真っ赤に染めて赤い液体を滴らせるまで出血しているアレンに手を翳して早口で呪文を唱える。

「ナルシェン・ローア・エルケル・フィースト!大いなる神よ!その御力で彼の者を癒したまえ!リカバー44)!」

 鮮血で絨毯を血の海に変えるアレンの身体が眩い銀色の光に包まれ、瞬く間にアレンの傷を完全に癒す。出血と共に痛みが消えたアレンは、不思議そうな
顔で真紅に染まった胸に手を当てて見る。シャツを染める血はまだ水分をたっぷり含んでいる。だが、出血と痛みが完全になくなったのは間違いない。
 その傍でルイが両膝を突く。全身から大粒の汗が滴っていて、疲労感を否応なしに感じさせる。優秀な聖職者とは言え、司教補で大僧正以上が使える
魔法を使ったのだ。称号以上の魔法の使用は、全魔力の喪失ばかりか生命の危険にまで及ぶ。

「ルイさん!大丈夫?!」
「わ、私は大丈夫です…。それより・・・アレンさんは?」
「俺はもう何ともないよ。」

 アレンは剣を鞘に収め、今にも倒れそうなルイの身体を両手でしっかり支える。

「何があったの?!」

 人垣を掻き分けて、血相を変えたフィリア、リーナ、クリスがアレンとルイの傍に駆け寄る。騒ぎを聞きつけてカジノから飛んで来たのだ。
フィリア達は絨毯に広がる真新しい鮮血の海と、シャツを真っ赤に染めたアレンと、疲労感を滲ませるルイを見て、ただならぬ事件が起こったのだと察する。

「ちょ、ちょっと!どうしたのよ!」
「アレン君!血まみれやんか!」
「俺は大丈夫。ルイさんが魔法で治してくれたから。」
「一体何があったの?」

 リーナの問いに、アレンはルイを支えながら事情を説明する。アレンの説明を聞くうち、リーナの眉が吊り上っていく。

「−というわけなんだ。」
「で、アレンの前に倒れてる死体が、ルイを狙った奴ってわけね?」
「ああ。」
「二度目はないわ。警備の兵士以外なら誰でも良いから、オーディション本選関係者はこっちに来なさい!」

 リーナが怒鳴ると、ウェルダに身を包んだホテルの従業員が人垣を掻き分けて複数駆け寄ってくる。凄惨な光景に思わず目を逸らす従業員に、リーナは
強い口調で命じる。

「オーディション中央実行委員長にこの事件を報告しなさい!そして警備班班長を即刻解任するように伝えなさい!良いわね?!」
「しょ、承知いたしました。」

 ホテルの従業員が立ち去った後、アレンはルイを抱きかかえて立ち上がる。

「ルイさんは、俺の傷を治すために高度な魔法を使ったんだ。」
「大量の発汗、速い呼吸・・・。魔力消耗の典型的な症状ね。部屋で休ませた方が良いわ。」

 リーナの助言を受けたアレンは、意識を失ったルイを抱きかかえて他のメンバーと共に現場を後にする・・・。

「この馬鹿者が!!」

 リルバン家の執務室に怒声が響く。ホークがびくっと身体を震わせて縮こまる。ホテルの従業員からの通報を受けたフォンが、警備班班長で実弟でもある
ホークを執務室に呼び出したのだ。

「デマに踊らされて出場者の護衛を連れ出そうとしたばかりか、前回の深夜襲撃事件に続いて出場者を襲撃させる機会を与えるとは貴様、警備班班長という
職責を何と心得て居るのだ!!」
「も、申し訳ありません、兄上。しかし・・・」
「言い訳など聞きたくないわ!!リルバン家当主並びにオーディション中央実行委員長として命ず!!今此処で貴様の警備班班長の任を解き、
オーディション本選終了まで別館に軟禁とする!!その後司法委員会にかける!!最低でもリルバン家からの永久追放を覚悟しておけ!!」
「あ、兄上!お慈悲を!」
「連れて行け!!」

 フォンの命令を受けて、兵士達がホークの両腕をがっしり掴んで執務室から連れ出して行く。
ドアが閉まったのを見届けてフォンは深い溜息を吐き、机に置かれているドローチュア入れを手に取って見詰める。フォンと共に映る若い女性を見る
その瞳は、先程までの烈火のごとき怒りとは打って変わって悲しげでさえもある。
昼食が運ばれて来るまで、フォンは微動だにせずドローチュア入れを見詰めていた・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

44)リカバー:衛魔術の一つで回復系魔術に属する。体力・魔力全回復に加えて外傷を完全に治癒する。キャミール教では大僧正以上が使用可能。

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