『・・・漏れてた、のか。』
「うん。」
「イアソンの忠告どおり、シーナさんから貰った薬を飲んでおいて良かったよ。まさかその翌日に乗り込んでくるとは思わなかった・・・。」
『まさか、ってことが起こりうるもんだ。こういう事態ではな。』
「それにしても、兵士まで連れて乗り込んできた警備班班長、どういう経路で情報を仕入れたんだろう?」
『それは分からん。だが、そのホテルを出るまで、すなわちオーディション本選終了までアレン。お前が女になってなきゃいけないことは確実だ。』
「確かに・・・。やっぱり怪しいのは警備班班長かな?」
『そう考えるのが自然だな。確証はないが。』
「イアソン。そっちの調査は進んだのか?」
『彼女の戸籍の閲覧を試みたんだが、やっぱり本人かパーソンカードを持つ家族じゃないと閲覧が許可されない。下手に食い下がると怪しまれるから速やかに
撤収した。そんなわけで今のところ、こっちの調査は行き詰ってる。』
「そうか・・・。」
『とりあえずアレン。お前が女になり続けるのは勿論だが、彼女から離れるな。警備班班長が彼女を狙ってる可能性が高い以上、どういう手を使って彼女を
抹殺しようとしてくるか分からない。魔法だと建物を損壊させて、それを口実に彼女から引き離される可能性もあるから、フィリアじゃ駄目だ。剣を使える
アレン。お前が常に彼女の傍に居て彼女を護るしかない。』
「分かった。」
「ところでイアソン。ドルフィンとシーナさんは・・・まだ?」
『今日は朝一番で役所に出向いて撤収してから、夕方までオーディションに関する情報収集をして、夕方帰って来た時には隣からの物音は途絶えてた。
朝部屋を出る時確認したら、まだ色んな声や物音が聞こえて来た。少なくとも半日はぶっ続けだったのは間違いない。』
「凄いな・・・。あ、イアソン。オーディションに関する情報ってのは?」
『おっと、報告を忘れてたな。』
『オーディション本選は、各町村の人口に応じた定数分の出場者で争われる。審査員は一等貴族当主全員とオーディション中央実行委員長、今年は
リルバン家の当主フォン氏だが、彼に任命された二等・三等貴族若干名、そして結婚相手を募集している二等・三等貴族関係者だ。』
「こっちもオーディションに関する話を聞いたんだけど、貴族の子息はオーディション本選出場者を妻や側室にする傾向が強いそうだよ。」
『ああ、そのとおりだ。昨日話したとおり、一等貴族の小作人は制度の関係で生活水準はかなり安定しているが、二等・三等ではやはり搾取が横行している。
そんな関係もあって、オーディション本選出場で貴族子息との結婚や、この国で盛んな演劇や銀細工のモデルを目指す女性は多いそうだ。苦しい生活から
脱却するためだな。言い換えればオーディションは女性に華やかな道を用意することで、貴族制度に対する不満を逸らす意図もあるようだ。』
「その話はこっちも聞いた。銀細工のモデルは別として、演劇方面で何か今回の事件に関係しそうな情報はなかった?」
『演劇は男性女性問わず人気らしい。演技する方も見る方もな。俺がフィルの町を回っただけでも数箇所に舞台があって演劇が行われていた。演劇は
この国の国家体制に深く関与している教会と違って自主興行だが、演劇の小道具でこの国の主要産業の一つである銀細工を使用することが多いせいも
あって、銀細工職人の組合からの補助金もあるから資金的には潤沢だそうだし、俳優も男女問わず美形が多い。まあ、この国の国民はエルフの血を
引いてるから美形が多いのは必然的と言ってしまえばそれまでだが。』
「ということは、演劇関係と今回の事件に関係はなさそうだな。」
『そうだな。銀細工の方はさっき言ったが職人の組合があって、後継者はその組合で育成するそうだ。もっともモデルを使ったりして作品を披露したり
商品に出来るまでには相当熟練を要するらしいし、店も群雄割拠の状態らしいから、今回の事件とは関係ないと見て良いだろう。』
『現状で考えられる背後関係は、彼女の父親が警備班班長ホーク・リルバン氏で、何らかの事情で彼女の母親を抹殺しようとしたが逃げられた。彼女が
聖職者として名を上げたことでホーク氏が過去の暗部の発覚や権威失墜を恐れて、警備班班長になったことを利用して彼女の抹殺を企んでいる・・・。
こんなところだな。戸籍が閲覧出来れば、彼女の母親の経歴なんかも分かるだろうが・・・。』
「イアソンの推測どおり、ルイさんのお母さんがあのホークって男と結婚してたとすると、ルイさんの姓はリルバンになるんじゃないのか?」
『否、側室のように役所に届け出ていなかったら姓は変わらない。ホーク氏は、彼女の母親が彼女を身篭っていたことを知らなかった可能性がある。』
「結婚してなかったってことは・・・。」
『つまり私生児だ。』
『アレン。彼女への気持ちは変わらないよな?』
思考を巡らせていたアレンの耳に、イアソンの問いかけが流れ込んで来る。『彼女の出生の経緯がどうであれ、彼女は一人の聖職者として、否、一人の人間として現にこの世に生きてるんだ。このことを忘れるなよ。』
「・・・うん。」
『彼女の戸籍は俺の方でも何とか調査してみるからアレン、そっちは引き続き関係者から情報を入手してくれ。今のところホーク氏が一番怪しいが、
他の可能性が全否定出来たわけじゃない。彼女を護るのはアレン、お前の使命ってことを肝に銘じておけよ。』
「分かった。」
「勿論、リーナのことも忘れるなよ?」
「分かってる。」
「あー、ええ風呂やったわー。」
浴室に通じるドアが開くと同時に、それまでの空気を一変させる暢気なクリスの声が響く。髪をおろしていて淡い緑のパジャマを着ているクリスに続いて、「アレン君、風呂空いたで入りなよ。」
「ああ。そうする。」
「女なんやから一緒に入りゃええのに。」
「そ、そんなこと出来るかよ。」
「あたしは別に良いのよ?一緒にお風呂入った仲じゃない。」
「え?何なん?アレン君、フィリアとそういう関係やったん?」
「そうよぉ〜。アレンとあたしは裸の付き合いってわけ。」
「い、一緒に風呂に入ったのって、小さい頃じゃないか!それも10年程前の話だろ?!」
「そういやアレン君とフィリアって幼馴染やったな。んなら一緒に風呂入っとってもおかしあらへんわ。」
「身体は女でも中身は男のアレンに、裸見られたくないわ。露出狂の誰かさんとは違って。」
「誰が露出狂よ!この性悪女!」
「この指輪、良いわね。シンプルなデザインだからさり気ない演出にはもってこい、ってところじゃない?」
「あたしは武術家やから指輪は邪魔になるな。こっちのネックレスがあたしの好みやわ。胸元のアクセントにはピッタリや。」
「アレン。あたしも商品見て回るから、暫く此処に居なさい。」
「護衛の方は?」
「フィリアとクリスにさせるわ。フィリアは結界が張れるし、クリスは手足が武器だから突発事態にも即座に対応出来るし。」
「でもあの二人、商品に夢中みたいだぞ?」
「あたしも一応結界張れるし、幸いこの店には他に客が居ないからアレン。あんたはルイの護衛に専念しなさい。じゃ。」
「ルイさんは見ないの?指輪とか。」
「私は装飾品にはあまり興味がないので・・・。」
「へえ・・・。クリスと立場が逆なような気がするけど。」
「クリスは普段こそお洒落とかには無縁なイメージがあると思いますけど、結構服装とかに関心があるんですよ。」
「・・・ねえ、ルイさん。」
アレンが話を切り出す。「この国では銀細工が盛んみたいだけど、結婚指輪も銀なの?」
「え・・・。」
「あ、いや、俺の故郷では結婚指輪には普通金を使うから、この国ではどうなのかなと思って。ルイさんは祭祀部長だからその辺の事情も詳しいかな、と。」
「この国では、結婚指輪には必ず銀を使いますよ。金は専ら貨幣や纏まった財産管理に使われます。金は富裕の象徴ですから。」
「ルイさんは村で結婚式に立ち会ったことはあるの?」
「はい。今の役職に就く前にも何度か祭祀部に所属していたんですけど、その時、村の人の結婚式の準備や執行に携わりました。冠婚葬祭は教会でも
そうですけど、町や村の一大行事でもあるんですよ。結婚は『神の子が愛という絆で結ばれ、新たな神の子の揺り篭となる』とも称されるんです。」
「だから、そんな儀式の陣頭指揮を任される祭祀部長の権威が高いんだね?」
「はい。」
「此処でこうして突っ立ってるのも何だし・・・、ちょっと見てみない?」
「はい。ご一緒します。」
「これ、良いですね。」
「そうだね。」
「アレンさん。」
思考の渦に嵌まり込んでいたアレンに、ルイがそっと声をかける。「あ、ど、どうしたの?」
動揺を彼方此方から染み出させながらも応対したアレンの大きな2つの碧眼に、どこかもどかしげなルイの顔が映る。「・・・ルイさん?」
「アレンさんは、誰かに指輪を贈ったことってありますか?」
「え、否、ないけど。」
「この国では、指毎に指輪の意味があるんです。」
「この指輪が母の形見だってことは、今朝お話しましたよね?」
「うん。」
「右手の人差し指に指輪を填めることは、母親からの愛情を示すんです。母がずっと大切にしていたこの指輪をこの指に填めることで、私という存在を
この世に送り出してくれた母への、教会の下働きになることを条件に私の戸籍を作ってくれた母への感謝の気持ちを忘れないようにしているんです。」
「正規の聖職者になるのは大人でも1年で2/3は根を上げるほど厳しい、ってクリスから聞いてるけど、あえてその道を選んだのはお母さんのためなんだね?」
「はい。母が私を産んでくれなかったら、母が居なかったら私という存在は今この世にあり得ません。神が与えてくださった命を育んで私という存在を
この世に送り出してくれた母に少しでも安らぎを与えられるようになるために、修行の成果が率直に心に反映される聖職者になろう、と思ったんです。」
「ルイさんのお母さんはきっと、天国で今のルイさんを見守ってるよ。」
「私もそう思っています。」
「・・・他の指にも意味はあるの?」
「はい。アレンさんの国でもあるかもしれませんが、左手薬指に指輪を填めることは婚約若しくは既婚であることを意味します。」
「宝石は・・・必要?」
「いえ。その代わりと言うと語弊があるかもしれませんが、裏側に自分と相手の名前を刻印します。『聖なる輝きにその名を刻み、永遠(とわ)の愛を誓う』。
・・・そういう意味合いがあるんです。」
「オーディション本選が終わると、シルバーカーニバルも終わるの?」
「いえ。オーディションはカーニバルの中の一大イベントですけど、カーニバルそのものはオーディション本選後も1週間ほど続きます。シルバーカーニバルは
外国からの旅行者も歓迎する国家的な祭典ですから。」
「じゃあ、このホテルにある店以外でも指輪とかは売ってるんだ。」
「はい。同じものが売っているかどうかまでは分かりかねますが。」
「まだ婚約や結婚とかはイメージ出来ないけど・・・、ルイさんと出逢った思い出の品は欲しいと思う。」
「アレンさん・・・。」
「俺はオーディションが終わったら父さんを探す旅を再開するつもりだし、ルイさんにそれについて来てくれ、って言える立場じゃないことは分かってる。
でも、ルイさんは自分の容姿に持っていた劣等感を克服する足がかりを提供してくれた。ルイさんと一緒に料理を作ったり話をしたりするのは楽しい。
ルイさんにはルイさんの人生があるし、それを束縛する権利なんてない。だけど・・・、ルイさんとの出逢いは・・・。」
「アレン。行くわよ。」
「何か買うの?」
「良いな、と思ったものは幾つかあったけど、クリスに聞いたら結構ぼったくってるらしいから、オーディション本選後にフィルの町を案内する、って。」
「クリスって、この町に詳しいの?」
「あたしの父ちゃんが村に居る国軍の司令官やから、父ちゃんの出張とかで一緒に何度かこの町に来たことがあるんよ。ひととおり案内は出来るで。」
「そうなんだ。」
「このオーディションだけがシルバーカーニバルやないし、あんた達がこの国に来てあたしやルイと知り合ったんも神様の思し召しや。あたしにはあんた達が
余所者ちゅう感じが全然せえへんし、オーディション本選が終わって直ぐに出発するんやなかったら、一緒に遊ぼや。」
「そうだね。折角知り合えたんだし。」
「んじゃ、次の店行こかー。」
「熱いドラマはカジノからや。フィリア、どや?」
「勿論よ。この前の雪辱、何としても果たしてみせるわ!」
「ちょ、ちょっと二人共・・・。」
「アレン、ルイ。あんた達が管理している遊興費を100デルグばかり頂戴。」
唖然としていたアレンとルイに、リーナが右手を差し出す。「あの馬鹿二人を体力使って引き摺り出すのも馬鹿馬鹿しいし、所持金がなくなったら嫌でも出なきゃならないから、100デルグ程で遊ばせておくわ。」
「その間リーナと俺とルイさんはどうする?」
「あたしはサラマンダーに護らせるわ。アレン。あんたはルイとその辺をぶらついてなさい。あんたとルイは金銭感覚がしっかりしてるし、店を回るのが飽きたら
部屋に戻って昼食の準備をしておいて。参考になるかは保障出来ないけど、これを渡しておくわ。」
「リーナさん。良いんですか?」
アレンに本を渡してカジノに入ろうとしたリーナをルイが呼び止める。「アレンさんはリーナさんの正規の護衛なのに、護衛から離れるのは安全上問題があるんじゃ・・・。」
「さっきも言ったでしょ?あたしはサラマンダーに護らせるって。それよりルイ。狙われてる可能性が一番高いのは他ならぬあんたなんだから、あたしのことより
自分のことを心配することね。アレンは無料で貸すからしっかり護らせなさい。」
「ルイさん。昼食の準備もあるから、部屋に戻ろうか。」
「はい。」
「危ない!!」
アレンは咄嗟にルイの前に立ち塞がる。次の瞬間、アレンの胸に激痛が走る。アレンは胸の中央部に短剣を突き立てられ、鮮血を迸らせる。短剣と言えど「こ、この・・・!」
アレンは渾身の力を込めて剣を抜き、迷わず女性を斬る。至近距離の上、刀身が短剣より圧倒的に長いアレンの剣は、女性を斜めに切り裂く。「アレンさん!!」
突然の惨劇でロビーが騒然となる中、ルイはシャツを真っ赤に染めて赤い液体を滴らせるまで出血しているアレンに手を翳して早口で呪文を唱える。「ナルシェン・ローア・エルケル・フィースト!大いなる神よ!その御力で彼の者を癒したまえ!リカバー44)!」
鮮血で絨毯を血の海に変えるアレンの身体が眩い銀色の光に包まれ、瞬く間にアレンの傷を完全に癒す。出血と共に痛みが消えたアレンは、不思議そうな「ルイさん!大丈夫?!」
「わ、私は大丈夫です…。それより・・・アレンさんは?」
「俺はもう何ともないよ。」
「何があったの?!」
人垣を掻き分けて、血相を変えたフィリア、リーナ、クリスがアレンとルイの傍に駆け寄る。騒ぎを聞きつけてカジノから飛んで来たのだ。「ちょ、ちょっと!どうしたのよ!」
「アレン君!血まみれやんか!」
「俺は大丈夫。ルイさんが魔法で治してくれたから。」
「一体何があったの?」
「−というわけなんだ。」
「で、アレンの前に倒れてる死体が、ルイを狙った奴ってわけね?」
「ああ。」
「二度目はないわ。警備の兵士以外なら誰でも良いから、オーディション本選関係者はこっちに来なさい!」
「オーディション中央実行委員長にこの事件を報告しなさい!そして警備班班長を即刻解任するように伝えなさい!良いわね?!」
「しょ、承知いたしました。」
「ルイさんは、俺の傷を治すために高度な魔法を使ったんだ。」
「大量の発汗、速い呼吸・・・。魔力消耗の典型的な症状ね。部屋で休ませた方が良いわ。」
「この馬鹿者が!!」
リルバン家の執務室に怒声が響く。ホークがびくっと身体を震わせて縮こまる。ホテルの従業員からの通報を受けたフォンが、警備班班長で実弟でもある「デマに踊らされて出場者の護衛を連れ出そうとしたばかりか、前回の深夜襲撃事件に続いて出場者を襲撃させる機会を与えるとは貴様、警備班班長という
職責を何と心得て居るのだ!!」
「も、申し訳ありません、兄上。しかし・・・」
「言い訳など聞きたくないわ!!リルバン家当主並びにオーディション中央実行委員長として命ず!!今此処で貴様の警備班班長の任を解き、
オーディション本選終了まで別館に軟禁とする!!その後司法委員会にかける!!最低でもリルバン家からの永久追放を覚悟しておけ!!」
「あ、兄上!お慈悲を!」
「連れて行け!!」