「まだお仕事でございますか?」
「うむ。今月は教会人事の監査請求がかなりあるのでな。」
「フォン様は、今年のシルバーローズ・オーディションの中央実行委員長でもあられます。くれぐれもご無理をなさらぬよう。」
「分かっておる。」
「・・・首尾は?」
「警備の兵士に扮装した者が深夜襲撃しましたが、隣室の出場者の護衛に助けられて辛うじて難を逃れた後、隣室の出場者の部屋で自炊して暮らして
居られるとの知らせが、福利厚生班班長様よりありました。」
「そうか・・・。」
「対象者の護衛の腕もさることながら、隣室の出場者の護衛もかなりの腕前らしいとのこと。・・・いかがなさいますか?」
「ホテルに予備の部屋はないのだったな?」
「はい。例年どおりオーディション本選出場者とその護衛の他、各班の班長、幹部、担当職員が詰めておりますが故。」
「そうか・・・。では、とりあえずこのままで良かろう。何か動きがあったら直ちに私に伝えてくれ。」
「承知いたしました。では、失礼いたします。」
「アレンさん、おはようございます。」
「おはよう、ルイさん。今日も早いね。」
「習慣になってますから。」
「アレンさん。どうぞ。」
「ありがとう。」
「・・・ねえ、ルイさん。」
半分ほどティンルーを飲んだアレンが、徐に会話を切り出す。「はい。」
「今度開かれるオーディションの本選は、女優やモデルや貴族子息との結婚への登竜門だ、って聞いたんだけど、ルイさんはそれ知ってる?」
「ええ。この国では演劇が盛んなんです。それに国の特産品である銀細工には指輪やペンダントの他、ティアラなどもありますから、オーディションとは別に
シルバーカーニバルの一環として銀細工職人の腕を競うコンテストや即売会が開かれるんです。そのコンテストに銀細工を着けて出場するモデルも女性に
人気の職業の一つなんです。もっとも、銀細工職人が自分の作品をアピールする目的がありますから狭き門なんですよ。このオーディションの本選に
出場した、というだけでもかなり有利になるんです。」
「へえ・・・。貴族子息との結婚はどうなの?」
「やはりと言うか・・・人気は高いですね。貴族の子息は、オーディションの本選出場者を妻や側室にする傾向が強いんですよ。オーディションそのものが
一等貴族の持ち回りで開催される国家的行事ということもありますから、その本選出場者、ましてや入賞者となると、貴族の子息は高い関心を寄せますね。」
「貴族の後継者は男限定なの?」
「限定ということはないですけど、男性が主ですね。特に家業の発展でその座に就く二等・三等貴族はその傾向が強いです。このオーディションの本選
出場者を妻にして、言葉は悪いですが、箔を付けるという・・・。そんな関係もあって、オーディション出場者の多くが貴族子息との結婚を狙っているのは
間違いないです。」
「嫌な質問かもしれないけど・・・、女性って男性の地位や財産に惹かれるものなの?」
「そういう傾向がまったくないとは言えません。この国は貴族制国家ですし、二等・三等貴族が小作地や収穫量の規模に応じて昇格・降格する関係で、
小作料を搾取する場合が多くて、多くの市民の生活は苦しいんです。女性にとってこのオーディションは、そんな境遇から脱する数少ない機会でも
あるんです。」
「アレンさんは、そういう女の人は嫌いですか?」
今度はルイから質問が生み出される。「人それぞれだ、っていうのは分かるつもりだけど・・・、男性そのものじゃなくて男性の付加価値に便乗するような女性は、ちょっと嫌だな・・・。俺を貴族子息に
当てはめて考えると、自分より自分の地位や財産を愛されてるような気がしてさ・・・。」
「そうですよね・・・。でも、私は違います。」
「私はクリスの勧めを断りきれなかったということもありますけど、聖職者として村という小さな世界に閉じこもっていたこれまでの生活を外から見直すきっかけに
しようと思っているんです。私は入賞は勿論ですけど本選出場はどうでも良くて、これからの人生を考える機会になればそれで良いんです。」
「だから、オーディション予選の賞金を全部教会の慈善施設に寄付したんだね?」
「はい。慈善施設は町や村の中央教会付属の施設で福利部の管轄下にある、事実上の公的施設なんですけど、経営は決して楽ではありません。親が死んで
他に扶養者が居なかったり、小作料の支払いに伴う家計圧迫を少しでも改善するために預けられた子どもが多いんですが、全員に十分な生活水準を提供
出来るだけの財政基盤がありません。教会への寄付や国からの運営金でも賄いきれないのが現状です。村の中央教会の祭祀部長という重要な役職に
任じられた以上は、そういう苦しい経営状況にある慈善施設やそこで暮らす子ども達の生活水準の向上に、出来る範囲で貢献すべきだと思うんです。」
「ルイさんは本当に聖職者の鏡だね。」
「そう言っていただけると嬉しいです。」
「おっはよー。」
やや眠気が混じった声が台所に入って来る。見ると、パジャマ姿で髪をおろし、小脇に服を抱えたクリスが顔を覗かせている。「クリス、おはよう。」
「おはよう。眠そうね。」
「んー、ちょっとね。とりあえず眠気覚ましにティンルー頂戴よ。」
「ちょっと待って。」
「あー、美味いわ。やっぱ朝飲むティンルーはこれやないとな。」
「そう言えば、クリスも朝早いね。」
「道場の朝稽古があるで、ルイ程やないけど朝は早いんよ。師範代以上になると下の拳徒教えやんならんし。」
「あー、美味かった。んじゃ着替えて来よっと。美味い飯作ってな。」
「分かってるよ。」
「ねえ、ルイさん。」
アレンが会話の糸口を掴む。「はい。」
「こんな時にこんなこと聞くのはちょっと気が引けるけど・・・、クリスについて聞きたいことがあるんだ。」
「何でしょう?」
「今別行動を取ってる仲間と、ルイさんを此処に来るまでにも襲撃して来た連中について調べてるんだけど、関係者から出来るだけ情報を入手してくれ、って
その仲間から言われてるんだ。何か糸口が掴めるかもしれないってことで。」
「そうなんですか。わざわざありがとうございます。」
「ルイさんを襲撃した奴等が何者かに雇われたって話は昨日クリスから聞いたんだけど、クリスに関してはルイさんの幼馴染だってこと以外は知らないから。
あ、クリスに疑いをかけてるわけじゃないよ?クリスはルイさんを此処まで護衛して来た実績があるし、良い人間だと思ってる。ただ、ルイさんの生い立ちが
ルイさんへの襲撃に何か関係している可能性が否定出来ないから、クリスの生い立ちや家族構成なんかに関しても何か糸口があるんじゃないかと思って。」
「私の生い立ちは、昨日クリスが買い物にアレンさんを連れ出した時にクリスが話したんですね?」
「うん。俺が甘えてるってことを思い知らされたよ。」
「人の境遇は、その人がそれに耐え得るだけの資質を持っていると神に認められたからこそ課せられるものだと思っています。ですから隠したりそれを汚点と
思ったりはしません。アレンさんの言うとおり、私と長く関わって来たクリスについて知ることで、何か事件解決の糸口が見つかるかもしれませんね。」
「ルイさんにとっては、大切な幼馴染に疑いをかけられて良い気分はしないだろうけど・・・。」
「いえ、アレンさんの気持ちは分かるつもりですし、必要なことだと思いますからお話します。」
「クリスのお父様は、村に駐在している国軍の指揮官をなさっています。お母様は村の役所に勤務されています。」
「指揮官ってことは、軍隊の最高幹部か。いきなり質問だけど、この国の軍隊の組織や任務はどうなってるの?」
「国軍は国内の各町村を魔物や盗賊などの襲撃から防衛することと、各町村の治安維持が任務です。この町フィルに常駐する国軍最高司令官は国王に任命
されて、国軍最高司令官が議長を務める幹部会が、各町村の規模や土地条件に応じて軍隊を派遣しています。その軍隊はある年数で異動するんですけど、
それとは別に各町村には軍隊が常駐していて−これを常駐軍と言いますが、派遣されて来た軍隊と常駐軍を統括・指揮するのが各町村の軍隊の指揮官
です。指揮官は各町村の評議委員会42)の推薦を受けて国軍の幹部会に任命されます。任期は5年ですが再選が認められています。任命対象となるのは、
国から派遣される軍隊で10年以上の勤務実績があり、指揮官として相応しい実力と人望を併せ持つ人です。クリスのお父様は連続3期、村駐在の国軍の
指揮官に任命されています。」
「ということは、村での知名度は高いんだね。」
「はい。クリスが武術家として幼い頃から武術学校に通っているのは、心身共に強くなければならない、というお父様の教育方針に因るものです。」
「クリスのお母様は生まれも育ちもヘブル村で、異動して来られたクリスのお父様と結婚されたんです。」
アレンの心を見透かしたかのように、ルイはクリスの母についての説明を始める。「職務の関係上戸籍の編集や加筆修正を行われますが、その度に村長の承認を得なければなりません。村長は国の役所から派遣されて来ていて、
その行動は同行している秘書団を通じて国の役所に報告されています。ですから、クリスのお母様が戸籍を無断で操作したりする余地はほぼないと
言えます。そうでなくても戸籍の無断操作や偽造などは厳重な処罰の対象ですし、クリスのお母様も敬虔なキャミール教徒です。不正をされるような方では
ありません。」
「ルイさんの保障があるから、クリスの両親が誰かと結託してルイさんの抹殺に手を貸すようなことはしないだろうね。警備の兵士に扮装してまでルイさんを
襲撃して来たってことは、やっぱりオーディション本選関係者による内部犯行と考えるのが自然だな。仲間もそういう見解だし。」
「私は正規の聖職者ですし、異動要請が国の教会人事監査委員会の承認を得ていることからも、私の存在そのものは教会関係者なら大抵知っていると
思います。」
「でも、異動要請が殺到するくらい優秀な聖職者を、教会関係者が抹殺しようとする理由が見当たらないな・・・。」
「ルイさんは、お父さんに関して何も知らない?」
「・・・はい、知りません。何も・・・。」
「このまま何事もなしに、オーディション本選が終われば良いんだけどね。」
「・・・オーディションが終わったら、アレンさんはどうするんですか?」
「え?」
「攫われたお父様を探す旅を再開・・・されるんですよね。」
「あ、そ、そうだね。」
「このままずっとこうして居られたら良いのに・・・。」
蚊の鳴くようなルイの呟きを聞いたアレンは、ルイを見詰める。ルイはゆっくりと切なげな表情をアレンに向ける。「アレン・クリストリア殿。よくこのホテルに潜り込みましたな。その努力は褒めて差し上げよう。」
「何の話だ!」
「とぼけても無駄ですぞ。貴方が男だという匿名の情報を小耳に挟みましてな。警備の責任者として無視するわけにはいかないんですよ。」
「離せ!」
「そういうわけにはいかないんですよ。女装してまでこのホテルに潜り込んだ策略は評価しますが、規則違反には違いありません。賞金その他没収並びに
暫く牢獄で過ごしていただきましょう。」
「先にあんたが地獄に行くことになっても?」
「あたしの正規の護衛に随分な真似をしてくれるわね。とりあえず、どういう了見か伺おうかしら。」
「こ、この赤毛の人物が実は男だという情報が入ったので・・・。」
「アレンはこのホテルに入った時、女だってことを堂々と証明したのよ。衆人環視の前で。」
「こんな風にね。」
さらっと言ってのけたリーナの行動に唖然とするアレンとルイを尻目に、リーナはホークを見据える。その眉は最大限に吊り上っている。「オーディション本選出場者のあたしも羨む立派な胸を持つこの護衛が男だっていう証拠が何処にあるって言うのかしら?明確な証拠を示して頂戴。」
「う・・・、いや、情報では・・・。」
「情報?その情報を何処から仕入れたのか知らないけど、デマかどうかの検証もろくにしないで、あたしの正規の護衛を摘み出そうとしたわけ?随分な
狼藉じゃないの。」
「さて・・・。オーディション本選出場者が予選突破の謝礼金で雇った正規の護衛を、出場者のあたしが居ない間に摘み出そうとした罪、どう償ってくれる?」
「あ、いや、その・・・。」
「サラマンダーで丸焼きにしたら多少は食べられそうね。もっともあたしは肉は嫌いだからパスさせてもらうけど。」
「ちょ、ちょっと・・・。」
「いっそ焼却処分するのも手ね。自分が管轄する警備に部外者を易々と侵入させた上に今回の狼藉・・・。生きながら火炙(あぶ)りにするのが最も適切ね。」
「ご、ご勘弁を・・・。」
「許して欲しければ、この場に最高責任者を呼んで来なさい。今直ぐよ。」
「い、今直ぐ?!」
「出来ないならこの場で丸焼きにするまでよ。」
「わ、分かりました・・・。さ、最高責任者はじ、自邸で執務中ですが故、しょ、少々お時間をいただきたいのですが・・・。」
「まず、後ろに居る木偶の坊から、アレンを解放させなさい。」
「しょ、承知しました。お、お前達!は、早くアレン殿を解放しろ!」
「あんたが連れて来たこの木偶の坊集団とあんた自身が人質。あんたにはサラマンダーを追わせるから、さっさと最高責任者を連れて来ることね。
サラマンダー。その男の後を追って最高責任者を此処に連れて来るまで監視しなさい。逃げようとしたり攻撃しようとしたら、その場で焼き殺しなさい。」
「仰せのとおりに。」
「ひ、ひいっ!」
「アレン。フィリア。クリス。此処に居る木偶の坊集団を包囲しなさい。日が暮れるまでにあの男が戻って来なかったら、あたしの合図で殺して良いわ。」
「分かった。」
「そうする。」
「了解っと。」
「お、お連れしました・・・。」
「あんたが最高責任者?」
「はい。本年度シルバーローズ・オーディション中央実行委員長を任じられております、フォン・ザクリュイレス・リルバンでございます。」
「聞けば、我が愚弟が貴方様の護衛が男性というデマに基づき、護衛を連れ出そうとしたとのこと。」
「そのとおりよ。」
「お怒りになるのはもっともでございますが、今回のところは私に免じて、どうかご容赦くださいますようお願いいたします。」
「あんたの礼儀正しさに免じて、今回だけは見逃してあげるわ。」
「ありがたき幸せに存じます。」
「その代わり、今度こんなふざけたことになったら・・・。」
「警備の兵士などを通じて私にご報告くだされば、直ちに愚弟の警備班班長の任を解き、本選終了まで自邸別館に軟禁いたします。その後厳重な処罰を
科すべく、司法委員会43)に掛けることをお約束いたします。」
「最高刑は?」
「死刑でございます。」
「最低の場合は?」
「一等貴族の家系からの永久追放でございます。」
「そう。厳正な処分を期待しておくわ。」
「併せて今回の不始末、自邸にて愚弟に厳重注意を行います。」
「分かったわ。」
「では、失礼いたします。ホーク!来い!」
「は、はいっ!兄上!」
「ありがとう、リーナ。助かったよ。」
「正規の護衛に抜けられちゃ、あたしが困るからね。早く戻って来て良かったわ。」
「それにしても、アレンが男だっていう情報をあの男、何処で入手したのかしら?」
「後ろに誰か居るね。多分アレン君が男やっちゅうことを知っとる奴が。」
「・・・まさか・・・。」
「顧問殿。あの小僧は女でしたぞ!」
フォンに厳重注意を受けた後自室に戻ったホークは、白銀のローブを纏った魔術師らしい小柄な人物に向かって怒鳴る。その人物が顔を目の部分だけ細く「兄上には厳重注意を受けた上、今度同じようなことになったら警備班班長を解任されてしまう!そうなったらもう手の出しようがなくなる!その前に何としても
手を打たねばならない!顧問様も同じでしょう?!にも関わらず偽の情報で我々を不利な状況に追い込むとは・・・!」
「お怒りは重々承知しております。何らかの方法であの小僧が本当に女になっているとあっては、別の手を講じなければなりますまい。」
「ホーク様は警備班班長。警備の兵士を動かすのは簡単でございましょう?」
「それがどうかしたのですかな?!」
「急(せ)いてはことを仕損じる、と言います。今度こそ確実に始末させましょうぞ。」