Saint Guardians

Scene 6 Act 3-3 強敵U-RivalU- ある聖職者の光と陰−後編−

written by Moonstone

「ルイが司教補になった翌日にな・・・。ルイのお母ちゃんが血ぃ吐いて倒れたんよ。」

 クリスの言葉で、アレンは驚きのあまり声も出ない。
苦難の時期を乗り越え、村で誰からも称賛される聖職者になったルイに突然襲い掛かった不幸は、察するに余りある。血を吐いて倒れたということは相当の
重病であると容易に推測出来る。
アレンが嫌な予感を感じる中、クリスは話を続ける。

「村は医療施設が整っとらへんのやけど、医師免許取るために勉強しとる医療助手が居るから診させたんよ。診断結果は・・・最悪やった。」
「どうだったの?」
「癌やったんよ。しかももうどないも手ぇつけられへん状態で、死ぬんを待つしかない、て言われた。」

 クリスの表情が更に重くなる。

「あたしは勿論やけど、聖職者や村の人はルイにお母ちゃんの傍に居(お)ったるように言うた。んでもルイは、祭祀部長の仕事を個人的事情でおざなりに
するわけにはいかない、言うて普通どおり仕事した。そんで仕事の合間や終わった後とかはずっとお母ちゃんに付き添っとった・・・。食事食べようと
せえへんだから、あたしが差し入れて一緒に食べたよ。あんたまで倒れてお母ちゃん心配させたら駄目、言うてな。」
「・・・。」
「倒れて3日目の夜・・・。お母ちゃんはルイを通じて、二人だけにしてくれ、て言うた。そん時ルイの部屋にはルイとルイのお母ちゃんの他に、ルイの部下の
聖職者と医療助手とあたしが居ったんやけど、勿論素直に部屋から出たよ。それから暫くルイがお母ちゃん呼ぶ声が聞こえて・・・、『お母さん!!』て
叫び声が聞こえた。急いで医療助手が入ってお母ちゃん診たら・・・死んだことが確認された。あたしも部屋に入ったけど、ルイはお母ちゃんの手ぇ握って
身体震わせとった。んでも涙は流しとらへんだ・・・。」
「ルイさんは、お母さんの最期を看取ったのか・・・。」
「そう。んでも・・・残酷なんはここからや・・・。ルイは祭祀部長。冠婚葬祭と礼拝の指揮監督と実行を任される、教会の中でも大役中の大役。」
「!じゃあ、まさか・・・。」
「そう。ルイの祭祀部長就任後初めての大きな仕事が、自分のお母ちゃんの葬式やったんよ。」

 肉親の死を看取ったばかりか、第三者的立場で肉親の葬式を指揮監督して実行しなければならないとは、ルイに悲しみに浸る余地を与えないのと等価だ。
いかに14歳という異例の速さで司教補に昇格し、非常に尊敬される祭祀部長に就任した優秀な聖職者と言えども、ルイは当時若干14歳の少女。そんな
ルイに祭祀部長としての職務をこなせと言うのは、深手を負った身体に鞭打つ行為に他ならない。

「勿論総長32)とかは、祭祀部次長とかに職務代行させるよう勧めたよ。んでもルイは、個人的事情で祭祀部長としての職責を放棄するわけにはいかない、
就任間もない私がいきなり他の人に職務を押し付けるのは怠慢だ、言うて聞かへんかった・・・。結局ルイは、祭祀部長として自分のお母ちゃんの葬式を
執行したんよ。準備の段階からな。」

 ルイが自分の肉親の死を客観的立場で見送る道を選んだことに、アレンは驚きで声が出ない。
母は自分を産んで直ぐ死んだというし、父ジルムを攫われた時でも自分の無力さを嘆き落ち込むばかりで何も出来なかった。なのに、自分と同年代のルイは、
周囲の勧めを断ってでも教会での役職を全うすることを選択したという。
アレンは、「村一番の聖職者」と言われるまでになったルイの職務に対する類稀な責任感と、普段のおっとりした様子からは想像も出来ない強靭な精神力に
ただただ驚くばかりだ。

「ルイのお母ちゃんの葬式には村の人間の殆どが出席したよ。村でその名を知らへんもんは居らへんっちゅうてもええ聖職者の母親の葬式、ちゅうことでな。
戸籍上死んどることになっとるっちゅうことでまともに相手されへんかった時代を考えると嘘みたいな扱いや。ルイは祭祀部長として葬式の陣頭指揮やら
追悼の言葉を言うたりして、葬式は滞りなく進んだ。参列者がすすり泣いたりしとるのに、ルイは葬式の間涙一つ零さんかった。声も普段どおりやった。
村の墓場の片隅に埋葬される時にも、祈りの言葉を最初から最後まできっちり言うた。あたしも葬式に参列したんやけど、何時ルイが泣き崩れるかと
思とったのに、その心配は杞憂に終わった。式はきちんと終わったよ。ルイは祭祀部長としての職務を全うしたんよ。自分のお母ちゃんの葬式やのにな。」
「・・・。」
「埋葬が済んで後片付けも終わって祭祀部の仕事が全部終わると、ルイは着替えて自分の部屋に戻った。参列者の中にはルイが涙一つ零さへんかったんを
訝る奴がちょいと居ったけど、それは直ぐ共通の認識に変わったよ・・・。ルイの部屋からもの凄い泣き声が聞こえてきたんよ。教会中に響き渡るくらいのな。
ルイは・・・懸命に堪えとったんよ。祭祀部長としてその職務は全うせんならん。やけど・・・自分のお母ちゃんの死を悲しみたい。ルイはその狭間のギリギリの
ところで堪えとったんよ。・・・当たり前やんな。唯一の肉親が死んだんや。それも、聖職者でなくても羨む異動要請を断ってまで一緒に居ったお母ちゃんが、
や。葬式の最中に泣かへんかったんは、そんだけルイの精神が滅茶滅茶強いちゅうことや。ルイの泣き声聞いたんは・・・、ルイが正規の聖職者になって以来
あの時が初めてや。あんだけ厳しい教会の修行でも泣かへんかったルイが、周囲に聞こえるほどの大声出して泣いたんよ・・・。泣いて当たり前やん。それまで
泣かんかっただけでも不思議やわ。」

 当時のことを思い出したのか、クリスは目を瞬かせ2、3回鼻をすする。アレンは当時のルイの心情を思うと、表情も心も重くなる。
心を引き裂かれるような悲しさを懸命に堪え、祭祀部長としての職務を全うして自分の部屋に戻ったところでようやく自分の感情を吐き出したのだ。
ルイを労わりこそすれ、咎める理由など何処にあるだろう?
 クリスは目を指で拭って溜息を吐くと話を再開する。

「泣き声は丸1日続いた・・・。で、ルイのお母ちゃんの葬式の翌々日の朝、ルイは部屋から出て来たんよ。勿論目は真っ赤やった。んで、ルイは総長に
始末書書いて提出してから、通常の職務に戻った。何事もなかったみたいにな。」
「始末書って?」
「事前の届出なしに無断欠勤したとかいう、この国の教会人事服務規則で定められとる条項に違反した時に提出せんならん、一種の詫び状みたいなもんや。
総長は勿論場合が場合やから提出せんでええ、て断ったよ。あたしも教会人事服務規則読んだことあんねんけど、始末書提出の項には『ただし、止むを
得ない事情があると判断される場合はこの限りではない』っちゅう免責条項があるんよ。自分のお母ちゃんが死んでその葬式を滞りなく進めて後始末まで
したんやで?そないな聖職者に始末書書かせる方がどうかしとるわ。んでもルイは、個人的事情で職務から無断で離れたことには違いない、言うて総長に
受け取らせた。」
「・・・。」
「それからルイは文字どおり祭祀部長としてきっちり仕事した。んでも・・・ルイが休憩の時とかに部屋に見に行ったら・・・ベッドの上で蹲って泣いとった。
声出さへんようにな。その度にルイは、目に塵が入った、言うて笑顔であたしを迎えてくれたけど・・・、見とんのが痛々しかったわ。そんで今年、シルバー
ローズ・オーディションの開催告示が出て間もなく、村の実行委員会宛にルイを出場させるっちゅう旨の申込書が差出人不明の封書で届いたんよ。」

 アレンは、クリスとルイと出逢ったその日の夜、このオーディションに参加することになった経緯を話したことを思い出す。ルイは自薦で出たのではなく、
差出人不明の封筒で勝手に申し込まれた、と言っていた。

「まさかその封書って、クリスが出したんじゃないよね?」
「んな馬鹿な。幾らあたしがええ加減な性格やゆうても、ルイの断りもなしに、しかも差出人不明の封書で申し込んだりせえへんよ。」

 アレンの確認の問いかけを、クリスは強い調子で否定する。奔放でお調子者のクリスだが、ルイを思う気持ちは確かだ。そのルイに無理強いさせるような
ことはしないだろう。

「そんことを知ったルイは勿論辞退しようとしたけど、あたし思たんよ。勝ち負けはどうでもええから、ちょいと気分転換になればええ、ってな。あたしが何度も
ルイに出場するよう勧めたから、ルイはとうとう観念して出場を決めた。前にも話したやろうけど、ルイが出場するって話が村に流れてから、今年の出場者は
ルイで決まり、っちゅう下馬評が定着したわ。ルイが出場することが分かった時点で出場を取り下げる女も居ったよ。」
「で、予想どおり圧勝したわけか。」
「そう。ルイは住み込みで働いとる聖職者やから立派な服なんて持っとらへん。教会の普段着そのままで出たよ。そんでも村の殆ど全員が投票した中で
得票率8割で圧勝や。男は彼女が出とった奴以外はほぼ全員ルイに投票したと思う。女も身内以外はまず間違いなくルイに投票したやろな。勿論あたしも
ルイに投票したけど。ルイが勝ったその場であたしが護衛するって名乗り出たんよ。ルイに出場するよう勧めたんはあたしやから、ルイを護るのは当然や
思てな。」
「・・・。」
「んで翌日、ルイはあたしと一緒に役所へ賞金受け取りに行ったんやけど、その足で賞金を中央教会付属の慈善施設に全部寄付しちゃったんよ。あたしは
その金で服とか買えばええ言うたんやけど、ルイは首横に振った。ルイは慈善施設で生まれ育ったからな・・・。それに、慈善施設は親が死んだり食い扶持
減らすために預けられたりした子どもが結構居るんやけど、経営は楽やあらへん。教会から運営金は出るけど額は知れとる。ルイの賞金額は慈善施設を
少なくとも半年は楽に出来る思う。んでも幾ら何でも余所行きの服の1枚や2枚持ってっても罰当たらへん思て、あたしがルイを被服店へ引っ張ってって、
ルイから貰うた謝礼金で服合わせたったんよ。あの娘、スタイルええんやけどミニスカート合わせるんは苦労したわ。こないな服着られへん、っちゅうてな。」
「で、此処に来た、と。」
「そういうこと。」

 クリスは溜息を吐く。アレンは壮絶なルイの過去を知ってそれを表に出さないことに改めて感服すると同時に、二つの疑問が急浮上してくるのを感じる。

「・・・なあ、クリス。」
「ん?」
「二つ聞きたいことがあるんだけど。」
「何や?」
「ルイさんから聞いたんだけど、予選が終わって此処へ来るまでに何度か襲われたんだってね。それに関して何か心当たりある?」
「否、全然あらへん。あたしは、ルイの滅茶滅茶早い出世を妬んだ何処かの聖職者の仕業やと思とる。あたしが前に倒して締め上げた兵士が、雇われた、て
言うとった。雇(やと)たんが誰なんかは、首の骨へし折れるまで絞めたっても吐かへんだけどな。」
「そうか・・・。」

 アレンはうんと考え込む。
ルイの昇格や出世のスピードは、ルイが正規の聖職者として修行を始めたのが5歳からと早かったことを除いても異例中の異例の部類に属する。聖職者と
言っても人間。何処かに心の闇はあると考えるのが自然だ。
ルイが早くから役員になり、14歳でこの国で非常に尊敬される祭祀部長という役職に就任したことや国の中央教会からの異動要請があったことなど、言わば
エリートコースを歩んでいるルイを妬んだ聖職者が、ルイの抹殺を狙って戦士崩れや傭兵などを雇ったとも考えられる。

「アレン君。もう一つは?」
「え?ああ、そうそう。忘れてた。」
「ルイはフリーやで心配せんでもええよ。」
「そうじゃなくて、ルイさんは予選の結果が出た時点で本選出場を辞退しても良かったのに、どうして本選出場を決めたの?」
「それなんやけどさ・・・。あたしも分からへんのよ。」

 クリスの口から予想外の回答が飛び出す。

「勝ち負けはどうでもええから気分転換になればええ、思て予選出場をルイに勧めたんは確かにあたしや。ルイも最初は予選に出るだけだから、て
言うとったんやけど、どういうわけか本選に行く、って態度変更したんよ。あたしも不思議に思て理由聞いたんやけど、あたしが言うたように気晴らしして来る、
言うだけやった。あの娘、普段は言うことすること一貫しとんのに、あの時に限ってころっと前言撤回したんは今でも不思議に思とる。」

 アレンは再びクリスとルイと出逢った最初の日の歓談を思い出す。最初は不承不承といった様子だったのに結局本選に出たということをフィリアに
突っ込まれ、ルイは回答出来なかった。ルイが言っていたが、予選の賞金を受け取ってから出場辞退は出来ないからか、とアレンは思う。

「ま、あたしは此処に来て良かった思とるよ。」

 クリスは溜息を一度吐いてから言う。

「今までルイは、小さい頃自分苛めた悪ガキ含めた村の人とお母ちゃんのことしか考えとらへんかった。もうあの娘も15や。自分のこと考えてもええ。異動
要請は今でも来とるし、この機会に他の町や人に触れて自分の生きる道を考えてええんよ。異動要請受けて出世コース走ってもええし、好きな男見つけて
付き合(お)うてもええ。ま、その点はもう心配要らへんみたいやけど。」

 ニヤリと笑うクリスを見て、アレンは思わず身体を引く。何度か見ているが、クリスのこういう笑みはかなり気味が悪い。

「さ、そろそろ行こか。あんまり遅なると昼御飯の準備遅れるし。」
「あ、ああ。そうだね。」

 クリスが席を立ったのに続いてアレンも立ち上がり、自分達の部屋へ向かう。
部屋までもう少し、というところになって、アレンが一つの疑問を思い出してクリスに尋ねる。

「あのさ、クリス。朝聖職者がティンルーを誰に渡すかってことに何か意味あるの?」
「正確には聖職者やなくて女からで、誰に、は男やけど、意味は大有りやで。」

 クリスはこれまた薄気味悪い笑みを浮かべる。

「ど、どういう意味だよ。」
「あのさ、アレン君。朝起きて直ぐに出来たてのティンルーを渡して飲める男と女の関係って想像出来へん?」
「え・・・!」
「そんだけ特別な関係ちゅうことや。ちなみにそれも風習。」
「お、俺は・・・。」
「アレン君が知らへんのは無理あらへん。この国の人間やないし、風習についてまで調べとらへんやろうしな。んでもルイがその気やっちゅうことは覚えといた
方がええんちゃうかなぁ〜。アレン君もまんざらでもあらへんやろ?」
「ん・・・。」

 クリスの突っ込みに、アレンは言葉を濁す。その表情が照れではなくむしろ困惑というべきものであることに、クリスは表情を硬くする。

「アレン君。ルイのこと嫌いなん?」
「否、嫌いじゃない。凄く良い子だと思う。」
「そんなら・・・。」
「だけど、そんな辛い過去を背負っての真摯な思いに、俺みたいな敗者は応えられないよ・・・。」

 アレンは悩んでいた。
ルイの自分への気持ちが少なくとも好意に属するものであることくらいは幾ら鈍いアレンでも分かる。アレン自身、ルイには好感を抱いている。だが、ルイの
壮絶な過去を知り、その上自分に真剣な想いを寄せていることにアレンの心は耐えられないのだ。
男として敗者でしかない自分が恋愛をするなんて早過ぎる、と。

「アレン君が何で自分のことを敗者言うんかは分からへんけど、自分の気持ちに正直になった方がええで。」
「そうしようと思えばするほど・・・、自分が恋愛出来る状態じゃないって思い知るだけだよ・・・。」
「・・・アレン君・・・。」

 苦悩の色を強めるアレンに、クリスはかけるべき適切な言葉が見当たらない。アレンは劣等感に苛まれていて、それ故にルイに一人の異性として向き合う
自信を持てないで居る、とクリスは察する。
 こういう時一方的に叱咤激励しても逆効果になるだけだということくらい、クリスには分かる。普段は破天荒を地で行く言動を取るクリスだが、実は他人を
思いやる気持ちは非常に強い。アレンが何とかして自信を持ってルイと向き合って欲しい、とクリスは願うばかりだ・・・。
 アレンとルイは台所で昼食作りに取り掛かっていた。
クリスがアレンを連れ出してなかなか帰って来なかったことにフィリアが疑惑を向けたが、「調子に乗って彼方此方アレン君引っ張りまわしちゃってさぁ〜」と
能天気に答えて事なきを得た。クリスはこういう咄嗟の時に機転が利くのが心強い。その直後運び込まれた食材をアレンとルイが食事に変えていっている。
 今回のメニューはパッシュ33)ミールスープ34)。煮込むのに時間がかかるミールスープの火加減に注意しながら、アレンとルイはパッシュの具を用意する。
「主役」の一人であるリーナが肉嫌いなため、具には鶏肉や牛肉ではなく、さっぱりしている白身魚を捌いてさっと茹でたものを使う。昨夜の夕食などでも
目にしたが、ルイの包丁裁きはアレンと肩を並べる。パッシュの食感を決める具の千切りも手馴れた手つきでこなす。これまでの野宿生活ではよくシーナと
一緒に料理をしたが、その時以上に気分が軽いのをアレンは感じる。

「ねえ、ルイさん。」
「はい。」
「料理が出来る男って・・・どう思う?」
「凄く素敵なことだと思いますよ。アレンさん、本当に料理上手ですし、料理を任されているのは皆さんに信頼されてるからですよ。」

 笑顔で答えるルイを見て、アレンは嬉しく思う。料理が得意なことを良いように使われていたと思う時もあったが、好感を抱く相手から自分の腕を誉められて
嬉しくない筈がない。
 アレンはフライパンに溶き卵を広げ、ひっくり返しながら卵の層を作っていく。これがパッシュ作りで最も難しいところなのだが、アレンにとっては手を
焼かされるレベルではない。本を読んだだけで初めての魚捌きもこなすくらいアレンは器用だ。しかも今回は自分の地元の料理だから、それこそ鼻歌を
歌いながらでも出来る。
同じく卵の層を作るルイは、アレンの華麗と言っても過言ではない料理の上手さに驚嘆の視線を向ける。

「・・・あのさ、ルイさん。」
「あ、はい。」
「聖職者って・・・恋愛して良いの?」
「ええ、勿論ですよ。『神が己に似せて創られたその子である人を愛することは、神を愛することに通ずる』というのがキャミール教の重要な教えの一つです。」
「ということは、聖職者の・・・何て言うのかな・・・職場結婚とか、聖職者が他の職業の人と結婚したりとかするの?」
「ええ。私とクリスが住んでいる村の教会でも夫婦が聖職者という人が居ますし、夫が農業で妻が聖職者という夫婦も居ます。夫婦の一方が聖職者という場合、
原則として異動要請は出来ません。家族を引き離すことは出来ませんから。止むを得ない場合は期限付きだったり、聖職者でない方に職を確保してから
異動、といった具合ですね。その場合は辞職した方に退職金や特別慰労金、旅費などが支給されます。これはこの国の教会人事服務規則で決められて
います。」
「へえ・・・。俺の国じゃ、聖職者は独身ばかりだったような・・・。」
「この国では教会の人事は国の役所の人と同等ですから、異動などもそれに準じた規則になっているんです。どちらかと言うと、教会の規則を国の役所が
真似たという感じですけどね。」

 アレンとルイはミールスープの火加減を調整しつつ、パッシュの仕上げに入る。クリスが大食いなのを考慮して、作る量は8人分だ。二人で手分けしないと
間に合わない。
 たっぷりの具を挟んだ卵の層が焦げないうちに手早く具を重ねて卵の層を被せ、白ワインをまぶして蒸し焼きにする。弱火にした後、アレンはパッシュの
ソース作りに入り、ルイはミールスープの仕上げに取り掛かる。

「ルイさん。質問ばかりで悪いけど、良いかな?」
「ええ、構いませんよ。」
「今朝クリスから聞いたんだけど、7のつく日は礼拝するのが風習なんだってね。」
「はい、そうです。」
「戒律と風習ってどういう具合に違うの?」
「戒律は7つです。『汝、奢るなかれ』『汝、欲に溺れるなかれ』『汝、構わず淫れるなかれ』『汝、怒るなかれ』『汝、妬むなかれ』『汝、意のままに食すなかれ』
『汝、怠けるなかれ』。これがこの国の法律や教会人事服務規則などの基(もとい)になっています。」
「何か・・・こう言っちゃ悪いけど、戒律って言う割には数も少ないし、抽象的だね。」
「『汝、奢るなかれ』を例にしますと、自信過剰極まった傲慢は他人を見下し、自分が神より上だと錯覚することさえある不遜な考えです。しかし、自信がく
ないと卑下になり、神から与えられた自分という存在とその生命を否定することに繋がります。神が常に自分の傍に居られることを意識して行動すれば、
自ずとその行動に自制が働くものです。戒律とは人間の行動を縛る鎖ではなく、人間の行動を自ら律するためにあるものなのです。」

 本場の本職であるルイの説明は、アレンにも良く分かる。戒律とは、あれはしてはならない、これをしなければならない、という強制力を伴うものではなく、
あくまでも生きる指針として活用するものらしい。

「それじゃ、風習っていうのは?」
「キャミール教の教えを記した『教書』に由来するものもありますが、この国で古くから続いていることです。例えば今朝の祈りは7のつく日の朝礼拝するという
ものですが、これは人間を支配した悪魔を地獄に投げ落とした天使が7人だった35)ことに由来するものです。ですが、仕事の関係などで礼拝出来ない人も
居ます。例えば家事の真っ最中だったり、病気などで起き上がれないとか。そういう場合はしなくて良いんです。出来ない人に無理強いしたり、無理にする
ことが神の愛に応えることではありません。神はそのようなことを人間に望んではおられません。」
「へえ・・・。」
「私は礼拝用の正装を着て、クリスは今でも白のシャツを着ていますが、それは私が聖職者として持って行くべきと思ってそうしたもので、クリスは着たいから
着ただけです。礼拝では聖職者は礼拝用の正装で、礼拝する者は白のシャツを着なければならない、ということはありません。無償の神の愛に応えることが
礼拝の目的ですから、服装がこうでなければならない、場所は此処でなければならない、ということはありません。それに、農業で朝早くから畑を耕したり、
家畜の面倒を見たりしなければならない人が、礼拝のために白い服に着替えるのは理に敵いません。そういう人はその時の服装で祈れば良いんです。
大切なことは神がそれを信じる者と常に傍にあられ、無償の愛を与えられているということを自覚するかどうか、ということなんです。」
「なるほどね・・・。」

 ルイの解説は非常に明快で、アレンの心にストンと落ちる。
建国の歴史の関係で宗教心が薄い国で生まれ育ち、カルーダ王国で厳しい戒律のメリア教に接した経験を持つアレンは、戒律と聞いて半ば拒絶反応を
起こしていたが、キャミール教における戒律というものは人間をあれやこれやと束縛するものではなく、生きる規範とすべきものなのだと知る。

「アレンさん。スープの準備は出来ました。」
「ソースも出来たから火を止めよう。」

 アレンとルイは竃の火を止め、皿に料理を盛り付ける。二人が手がけたパッシュとミールスープは見た目にも美味そうで、湯気と共に立ち上る香ばしい
香りが食欲をそそる。
二人は手分けして料理をリビングに運ぶ。フィリアとクリスが料理を前にして歓声を上げる。特に大食漢のクリスは早くも食べる気満々だ。
全員が揃ったところで、賑やかな昼食会が始まった・・・。
 その頃、フィルの中央教会は賑やかになっていた。若い女性の聖職者が昨日からの来訪者を話題にしているのだ。

「ねえねえ、知ってる?昨日から解呪に来てるっていう男の人。」
「勿論よ。もの凄い長身で筋肉質。しかもルックスも良いっていうんだから、知らない方がおかしいわよ。」
「私、実際に見たんだけど、本当にカッコ良いわよ。あの逞しい腕に抱かれてみたいわぁ〜。」
「ええ?見たの?良いなぁ〜。あたし、まだ見たことないのよねぇ。」
「中央処置室に居るんでしょ?見に行かない?」
「え!行く行く!」
「でもその男の人、女の人が付き添ってるわよ。」
「ああ、知ってる。眼鏡かけた長い金髪の女の人でしょ?あの女性(ひと)って、オーディションの本選出場者じゃない?凄い美人よね。」
「オーディション出場者ならもうホテルに入ってるわよ。もしかしてあの男性(ひと)、コブつきなのかな?」
「左手薬指に指輪填めてなかったらしいけど、恋人同士みたい。」

 彼女らはクリスが言うところの「俄か聖職者」なのだが、花嫁修業のために教会に出入りしている彼女達が目ぼしい男性に注目するのはある意味当然だ。
その男性が居る中央処置室では、何人もの高位の聖職者が、上半身裸で祭壇のようなものに横になっている男性に手を翳して難しい呪文を唱えている。
男性の肉体から立ち上っていた黒煙が徐々に薄まっていく。
 程なくして黒煙が完全に消えると、男性の分厚い胸板にあった傷が白煙を上げながら見る見るうちに塞がっていく。
目を開けた男性に、聖職者の一人が言う。

「これで解呪は完了ですじゃ。悪しき呪詛は完全に消え失せましたぞよ。」
「そうか。ようやくだな。」

 男性−ドルフィンは上体を起こし、聖職者から渡された服を着て、立てかけてあった剣を手に取る。そして腰の皮袋から金貨を一掴み、聖職者に手渡す。

「そなたに神のご加護があらんことを・・・。」

 聖職者の祈りの言葉を受けてドルフィンは悠然と退室する。ドアが開くと、それまで微動だにせず座っていたシーナが顔を上げて立ち上がる。

「ドルフィン。もう大丈夫なのね?」
「ああ。呪詛は完全に解けた。」

 シーナは満面の笑みでドルフィンに駆け寄る。ドルフィンはシーナの肩を抱く。その瞳と笑みは柔らかく、愛しさに満ちている。
二人の様子をドアの隙間などから犇(ひしめ)きあいつつ覗いていた俄か聖職者達は、一斉に諦めの篭った溜息を吐く。

「宿に戻ろう。イアソンの調査結果を待たないといけない。」
「そうね。」

 シーナと腕を絡めたドルフィンは中央教会を後にする・・・。
 その日の夜。夕食の準備に取り掛かろうとしたアレンの耳に、応答を促す声が飛び込んで来た。

『アレン。聞こえるか?』
「イアソン?」

 不思議に思ったアレンは、右耳のイヤリングを外して応答する。

「イアソン。アレンだけど、シーナさんはどうしたの?」
『・・・今、立て込み中だ。』
「立て込み中って・・・。ドルフィンの呪詛解除が思うようにいかなかったとか?」
『否、呪詛解除は成功した。ドルフィン殿とシーナさんは宿に居る。』
「それじゃどうして?」

 アレンの問いかけに、イアソンは少し間を置いて答える。

『・・・昨夜、シーナさんは強力な精力剤と媚薬を作ったそうだ。』
「・・・。」
『ついでにもう一つ。ドルフィン殿と一緒に部屋に入る前、「3年間愛してもらえなかった分の埋め合わせをする」と言っていた。』
「は、ははは・・・。」
『此処まで言えば分かるだろ?!』
「分かる。もしかしてイアソン。ドルフィンとシーナさんの部屋の隣?」
『ああ。運の悪いことにな。壁に耳当てりゃ色んな音や声が聞こえてくるぞ。何なら聞かせてやろうか?』
「い、否、遠慮しておく。」

 アレンは今朝ルイの下着姿を見てしまったことを思い出して頬を赤くし、丁重に辞退する。今朝のアクシデントに関しては、アレンもルイも一言も言及して
いない。しかし、アレンの脳裏に強烈に焼きついていることには変わりない。「その」物音を聞くことで妄想を呼び起こしてしまいそうな気がしてならないのだ。

「シーナさん、妊娠の方は大丈夫なのかな・・・。」
『その辺はシーナさんのことだ。避妊薬を作るとか何とかしてるだろう。そんな事情で立て込んでいるシーナさんに代わって俺が報告する。』

 本題に入ることを仄めかしたイアソンの声に、アレンは表情を引き締める。イアソンは一呼吸置いてから、昨日からの調査結果を告げ始める・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

32)総長:教会の最高責任者。その下に副総長が2、3名居て、ランディブルド王国ではその下に総務部、福利部、教育部、祭祀部の4つの部がある。
祭祀部長のルイは、その重要性から事実上のNo.3と言える。


33)パッシュ:茹でた肉や魚、人参やジャガイモ、生キャベツを千切りにして何重かに重ね、厚手の卵で挟んで蒸し焼きにしたレクス王国の庶民料理。
オムレツとハンバーガーの中間的な食べ物で、濃い口のソースなどをかけてフォークとナイフで切り分けて食べる。


34)ミールスープ:牛乳を主体にした、少しとろみのあるランディブルド王国の一般的なスープ。コーンを入れる。微塵切りにしたハーブを混ぜて
よく煮込むのが美味しくする秘訣。


35)人間を支配した悪魔を・・・:詳細はPrologueの最後「キャミール教経典『教書』外典マデン書」を参照のこと。

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