「よ、アレン。」
不意に後ろから声がした。「イアソンか。どうかしたの?」
「いや、リーナを『俺と一緒に大海原を見ながら語り合わないかい?』って誘ったんだけど、『大海原と好きなだけ語り合ってれば』ってあっさり
断られちゃってさぁ。」
「・・・またふられたの?懲りないなぁ。」
「失敗を恐れずに果敢にアタックし続ければ、いつか彼女も分かってくれるさ。これが恋のロマンってやつなんだよ。」
「で、そっちはどうなんだ?アレン。」
「どうって・・・何が?」
「やだなぁ。恋だよ、恋。アレンは恋をしてないのか?」
「ドルフィン殿とシーナさんがラブラブって話は聞いたことがあるけど、まさかあれほどとは・・・。いやあ、良いよねえ。羨ましい。本当に羨ましい。
・・・って思わないか?」
「その場に居辛いなぁ、とは思う。あんなアツアツの場面を毎度毎度見せられちゃあ、ねぇ。」
「ああいうの見てるとさ、よーし、今度は自分も、って思わないか?」
イアソンの問いに、アレンはもう一度首を傾げてから答える。「今は・・・あんまり思わないなぁ。」
「えー?何で?どうして?」
「うーん・・・。何で、って言われても・・・。」
「いけないね。恋は人生を彩る素晴らしいイベントだよ。時には甘く、時には切ない自分の気持ちをどうやって相手に伝えるか、いや、それ以前に
その気持ちを伝えるべきか、それを考えることもまた素晴らしいことじゃないか。」
「は、はあ・・・。」
「恋に恋する愚か者、と言う輩も居るけれど、それは恋のロマンを知らない人間の戯言だね。恋は人の心を豊かにし、人生に張りを齎す素晴らしいこと。
一度恋をすれば、どんな豪傑も、どんなクールな人間もたちまち瞳潤ます詩人に変わる。これこそまさに恋のロマン、ってやつじゃないかい?」
「多くの詩人が恋を詠うのは何故か?それは恋がそれだけ素晴らしい世界を秘めているからさ。そして多くの人が共感出来る、或いは共感したいと思う
題材でもある。自分で体験すればより一層深まる神秘に満ちたもの、それが恋ってもんじゃないか?俺はそう思うね。」
「いやあ、どうもどうも。ありがとうございます。」
イアソンは観客の拍手に笑顔で手を振って応える。アレンは呆れた様子でイアソンに尋ねる。「・・・言ってて恥ずかしくない?」
「・・・ちょっとね。」
「でもさ、本当に恋は良いぞ。自分の心が何時も新鮮でいられるから。」
「ふーん・・・。」
「もしかしてアレンって、女の子に興味がないのか?」
「そんなことはないよ。俺も一応男だしね。ただ・・・、相手が居ないと恋は出来ないだろ?」
「相手って、フィリアやリーナじゃ駄目なのか?あ、リーナは駄目だぞ。俺が先に目をつけたんだから。」
「リーナのことは知らないよ。それに駄目とかそういうんじゃなくって・・・、今まで恋らしいことをした憶えがないから、そういうのはよく分からないんだ。」
「ええ?!恋をした覚えがないだって?!」
「そんな大袈裟に驚くようなことじゃないだろ。」
「驚くさ。恋は人生にはつきものだぞ。アレンだって、小さい時に近くのお姉さんや学校の先生に初恋をしただろ?」
「・・・憶えがないんだ、本当に。学校は3日で辞めちゃったし・・・。シーナさんは綺麗だなぁ、って思うけど、どちらかって言うとお姉さんって感じがするし・・・。」
「そ、そんな・・・。それは勿体無いぞ。さあ、アレンも今直ぐ恋をしようぜ。」
「だから相手が居なきゃ出来ないだろ?それに・・・そんなに急がなくても良いんじゃないの?この長い旅の途中で出会いがあるかもしれないし。」
「そうそう、今度行くランディブルド王国は優秀な聖職者を数多く輩出している国なんだが、美人が多い事でも有名なんだ。」
「そうなの?何で?」
「ランディブルド王国は北で国境を接するウッディプール王国の国民で、長寿と美貌で名高いエルフ2)の血を引いているからな。聖職者の女性は特に人気が
高いんだ。この『赤い狼』随一の情報屋が言うんだから間違いない。」
「ドルフィン殿の治療中に教会を回ってみれば?一人や二人、お気に入りの娘が見つかるぞ、きっと。」
「教会ってお見合い相手の紹介所じゃないだろ?そんな目的で教会に出入りするなんて・・・。」
「いやいや、男女の出会いもまた、神の思し召し。それに聖職者が全部が全部上級クラスを目指して修行に没頭している訳じゃない。心身の鍛練や
花嫁修業の一環として通ってる人も大勢居る。」
「気が向いたらそうするよ。」
「是非そうしなよ。自分の人生に華やかな彩りを齎す出会いは、自分から探さないとな。じゃ。」
イアソンが一人満足げに去って行った。恋は人生につきものだぞ
イアソンの言葉が妙にアレンの心にこびり付いていた。「あれが・・・初恋だったのかな・・・。」
アレンは呟く。『何処の娘だろう。一緒に遊ばないのかな?』
少女はアレン達を遠くから眺めていた。『君誰?一緒に遊ばない?』
アレンが言うと、少女は俯いたり、横を向いたりと落着かない様子を見せた。そして少女は何か言った。しかしその言葉は思い出せない。『アレン!何やってんのよぉ!』
遠くからフィリアの苛立ったような声がした。少女がまた何か言ったが、やはりその言葉は思い出せない。『あの娘・・・何処の娘だったんだろう・・・。』
アレンは自然と視線を下に落とす。「わっ?!」
アレンが驚いて振り向くと、そこにはシーナが立っていた。「シ、シーナさん…。」
「そんなに驚かなくても。」
「ドルフィンは?」
「今、鎮痛剤を飲んで寝てるわ。ずっと付きっきりだったから俺が寝てる間に外の空気を吸って来い、って言われてね。」
「そうですか。そうでもない限り、シーナさんが愛しのドルフィンの傍から離れたりしませんよね。」
「いやぁね。からかわないでよ。」
「それはそうと・・・アレン君、何か悩み事でもあるの?」
「どうしてですか?」
「アレン君らしくもない暗い顔してたから。」
「そんなに・・・暗い顔してました?」
「してたわよ。もし良かったら、私に話してみて。」
「シーナさんとドルフィンって、幼馴染ですよね?」
「そうよ。」
「初恋の相手もドルフィンだったんですか?」
「そう・・・ね。初恋の相手よ。もっとも、それに気付いたのはかなり後になってからだけどね。」
「何時頃ですか?」
「何時・・・って言われると難しいわね・・・。一緒に遊んだりしているうちに、何となくこの人は特別な感じがするって思うようになって、それが暫くして、ああ、
私はこの人が好きなんだ、って思うようになってた・・・って言えば答えになる?」
「はい。あともう一つ聞きたいんですけど・・・。」
「何かしら?」
「恋って・・・、良いものですか?」
アレンが尋ねると、シーナは回答を整理すべく暫く考え込んでから答える。「結構鋭い質問ね・・・。そりゃあ、勿論良いものよ。時には辛いこともあるけど・・・。」
「辛いことって何ですか?」
「ん・・・。例えばね・・・、自分の気持ちを伝えたくてもチャンスがないとか、他の女の人にとられたりしないかって疑心暗鬼になったりとか、些細な誤解で
お互いを傷付け合ったりとか…。でも、そういうのって、人間同士の気持ちのやり取りだし、まして相手を一人占めしようっていう思いがだんだん強くなって
来るものだから、必然的だと思うけど・・・。」
「そうですか・・・。」
「アレン君の悩みって、恋そのものについてでしょ?」
「ど、どうして分かるんですか?」
「質問から簡単に想像出来るわよ。」
「アレン君は初恋をはっきり意識しないで子どもの頃の思い出の一つとして心の中に仕舞ってきたのね。だから恋した時の気分が分からないし、恋そのものが
どんなものなのかっていうイメージが思い浮かばない。そんなところでしょ?」
「は、はい・・・。」
「でも後で、ああ、あれが初恋だったのかな、って思うことがあれば、それがそうなんじゃないかしら。恋する気分に理論的な裏付けを要求するなんて無理な
話よ。恋のとらえかたそのものも、人それぞれだし。それに、これからアレン君が生きていくうちに何時か、この人の存在が他の人より特別に感じる、って
女の人と巡り合うと思う。その時に自ずと恋する気分が分かると思うわ。」
「結局は、自分で経験するしか分かる方法はないんですね?」
「恋は人それぞれの価値観の問題だから。1+1=2みたいに一律に決定出来るものじゃないし、そうするものじゃないわ。」
「やっぱり、恋愛ごとはシーナさんに相談するとすっきりしますよ。ドルフィンとの豊かな経験に裏打ちされているだけありますね。」
「もーっ、からかわないでったらあ。」
「とか何とか言いながら・・・、実は結構からかって欲しいんじゃないんですか?」
「そんなわけないじゃないの。」
『不思議な感情なんだな。恋って…。』
もっとからかって欲しそうなシーナを見て、アレンはそう思う・・・。「船から降りるからね。」
「分かった・・・。」
「もうすぐイアソンが戻ってきますよ。」
アレンがドルフィンとシーナに言う。イアソンは一足先に、宿泊先と呪詛を解除するために赴く教会を探しに行ったのである。「お待たせしました。宿と教会を手配してきました。」
「ありがとう、イアソン君。」
「私とドルフィンは早速教会に行くから、私とドルフィンの荷物を宿へ運んでおいてくれないかしら?」
「分かりました。教会へはこの略地図を見ていただければ行けると思います。」
「宿もその略地図に併せて書いてあります。手配した中央教会はさほど宿から離れていません。」
「分かったわ。後は私がするから、みんなは先に宿で休んでて頂戴。」
「「「「はい。」」」」
「ドルフィン。もうすぐ楽になるからね。」
「ああ・・・。」
「しっかり掴まっててね。」
ドルフィンが頷くと、シーナはイアソンから貰った略地図を広げて教会の位置を確認し、手綱をパシンと叩く。二人を乗せたドルゴは、空中を滑るように