「おかしいわね・・・。自己再生能力(セルフ・リカバリー)の発動速度を考えれば、もうとっくに塞がっている筈なのに・・・。」
シーナはドルフィンのほぼ全身を覆う包帯を取り替えながら、困惑した表情で呟く。「お嬢様。お食事を運んで参りました。」
「ありがとう。薬草の入っている容器の傍に置いておいてくださいね。」
「かしこまりました。」
「お嬢様。お身体は大丈夫なのですか?この1週間殆ど寝てらっしゃらないのでは・・・。」
「1週間くらい寝ないことは修行時代にはよくあったことだから、貴方が気に病む必要はないわ。」
「そうですか・・・。では、何か御用がありましたら何時でもお申し付けください。」
「ありがとう。」
「シーナ・・・。寝ないと身体に毒だぞ・・・。」
既に目を覚ましていたドルフィンが言う。「私は大丈夫。それよりドルフィンの傷がなかなか塞がらないのが気がかりなのよ。もうとっくに回復していてもおかしくないのに・・・。」
「傷口の具合は・・・観察したのか?」
「ええ。自己再生能力(セルフ・リカバリー)が発動しているのは間違いないんだけど、傷口の塞がりが異様に遅いのよ。縫合で何とか誤魔化している、って
いう感じだわ。この調子だと、傷口が完全に回復するのに2、3ヶ月はかかりそうよ。」
「2、3ヶ月か・・・。お前と生き別れになっていた3年間を思えば・・・短いもんさ。」
「それはそうだけど・・・。ドルフィンが苦痛に苛まれる姿を見るのが辛いのよ。私が無力だったばかりに・・・。」
「お前のせいじゃない・・・。全てはゴルクスの奴の仕業だ・・・。それより一度寝ろ。幾ら何でも身体がもたないぞ・・・。」
「私の全てはドルフィンのためにあるの。だからドルフィンは気にしないで・・・。」
「おはようございます。どうですか?ドルフィンの具合は。」
「それが・・・未だに傷が回復しないのよ。」
「それはおかしいですね・・・。ドルフィン殿には自己再生能力(セルフ・リカバリー)が備わっている。如何にドルフィン殿が負った傷が深くても、もうとっくに
回復していても何ら不思議ではないのですが・・・。」
「今度包帯を取り替える時に傷口の一部を採取して、魔法解析をしてみるわ。もしかすると、ドルフィンを斬った剣に新種の病原菌が付着していたかも
しれないから。生物改造に執着していたゴルクスなら、傷口の回復を妨げる新種の病原菌を開発していた可能性があるわ。」
「ゴルクスが生物改造を?」
「ええ。あれでもゴルクスは私と同じ医師免許を持ってるの。もっともその技術を人のために使った例(ためし)は私が知る限り一度もないけどね。」
「そうですか・・・。」
「ところでシーナさん。この1週間殆ど寝てないみたいですけど、大丈夫なんですか?」
「平気よ。クルーシァに居た頃は医師と薬剤師の勉強をしてから魔術研究をする、なんてこともしょっちゅうやってたから。」
「その後で丸1日寝てただろう・・・。こんなことやってたら肌が荒れるぞ。」
「さ、さっきのは聞かなかったことにして頂戴ね。」
「聞き逃せませんよ、シーナさん。睡眠不足は肌荒れ、生理不順の原因になる女性の天敵ですよ。それに幾ら愛するドルフィンさんのためとは言え、
シーナさんが過労で倒れてしまったら誰がドルフィンさんの面倒見るんですか?私、包帯なんて巻けませんよ。包帯巻いたことないんですから。」
「俺も無理ですよ。俺は医療に関わった経験がありませんから。」
「私も同じです。」
「・・・薬の調合ならある程度出来るけど、包帯の取替えとかは・・・。」
「皆ありがとう。でも、鎮痛剤や造血剤を定期的に投与しないといけないし、包帯も定期的に取り替えないと布団を汚しちゃうからね・・・。」
「それはそうですけど・・・。一度は寝ないと本当に身体壊しちゃいますよ。」
「・・・とりあえず、次の包帯取替えまでは私にさせて頂戴。その時に傷口の近傍を採取して魔法解析にかけるから。」
「はあ・・・。」
「その時に皆を呼ぶから、私の説明を聞いて包帯の巻き方を覚えてくれないかしら?」
「それは勿論。シーナさんだけに負担をかけるわけにはいきません。」
「あたしもアレンに同じです。」
「俺も同じです。」
「ありがとう。それから・・・リーナちゃん。」
「・・・はい。」
「鎮痛剤と造血剤の調合方法を教えるから、覚えてくれる?」
「はい。」
「皆心配してくれてありがとう。良い子達と一緒に旅が出来て良かったわね、ドルフィン。」
「ああ・・・。まったくだ・・・。」
「ドルフィンは腹部にも傷があってそれを縫合してあるから、そこに圧力がかかるような身体の起こし方は禁物。」
「なるべく上体を起こさないようにするということですね?」
「そう。それで上体を支えながら手早く包帯を取って・・・。」
「そして予め置いておいたガーゼで傷口から滲んでいる血を手早く拭って・・・包帯を下の方から巻いていくの。この時、ドルフィンの上体を包帯を外した時と
同じ態勢で支えておくこと。そうじゃないと包帯を巻けないからね。」
「「はい。」」
「包帯を巻く時は傷口に密着させるように、でも締め付けないように注意してね。医療の基本は患者に出来るだけ負担をかけないこと。
この基本に則れば、包帯が傷口からの出血が他に及ぶのを防ぎ、同時に患者の負担にならないように、ということになるでしょ?」
「はい。」
「包帯の取替えはこんな感じ。これからリーナちゃんに鎮痛剤と造血剤の調合方法を教えるから、ドルフィンの身体で実際に感覚を掴んでおいて。私は
魔法を使って身体を浮かしていたけど、貴方達は自分の力でドルフィンの身体を支えなきゃならないから。」
「良いんですか?」
「今は鎮痛剤が効いているから大丈夫。ただし、玩具じゃないってことだけは忘れないでね。」
「は、はいっ!」
「も、勿論です!」
「さ、始めましょうか。リーナちゃん。」
「・・・はい。」
「まずは鎮痛剤の調合方法から教えるわね。リーナちゃん。一つ聞きたいんだけど、薬剤師の実験実習はどの辺まで進んでる?」
「・・・基本調合、基本化合とその抽出、変質を伴う化合の基本まで。」
「そう。じゃあ初心者じゃないわけね。それなら安心だわ。今回教える鎮痛剤と造血剤は、基本化合とその抽出が出来れば簡単に理解出来るから。」
「あたしにも・・・出来るんですか?」
「ええ。貴方になら安心して教えられるわ。自信を持って。」
「・・・はい。」
「それじゃ早速だけど、鎮痛剤の調合方法から教えるわね。薬草は区分けしてもらったけど、間違うと大変なことになるから注意してね。」
「はい。」
「鎮痛剤はパルセルとピーガス、それからレシペルから作るの。まずは2つの擂鉢(すりばち)を用意して、パルセルとピーガスを1つの擂り鉢に、レシペルを
もう1つの擂鉢でそれぞれ等量粉末にするの。やってみて。」
「はい。」
「それじゃ次に、パルセルとピーガスの粉末を小皿に移して、煙が出るまで熱するの。匂いがしないから、煙が出たのを見逃さないようにね。パルセルと
ピーガスの混合物を長時間加熱していくと・・・どうなるんだっけ?」
「え・・・、ディルゴという化合物になります。毒性がある・・・。」
「そのとおり。だから加熱のし過ぎにはくれぐれも注意して、混合物の様子をよく観察していてね。じゃあ、やってみて。」
「はい。」
「次はその化合物とピーガスの粉末を混ぜ合わせて擂鉢で粉末にしつつ混ぜ合わせるの。」
「化合物は見たところ粉末ですけど・・・。」
「実は乾燥させた薬草のような状態になってるの。だからもう一度粉末にする必要があるの。それと、ピーガスの粉末と混ぜ合わせることで、目には見えない、
匂いも煙もないレベルの化学反応が起こって、目的の鎮痛剤が完成するってわけ。やってみて。」
「はい。」
「それで完成。あとはそれを水と合わせてドルフィンに飲ませれば良いのよ。」
「これで・・・完成ですか?」
「そう。呆気ないでしょ?」
「私が読んだ本にはもっと難しい方法が書いてあったんですけど・・・。」
「この調合方法は私が4年前に考案したものなの。だからそれ以前に発行された学会誌や本には掲載されてないわ。この方が簡単で手軽でしょ?」
「はい・・・。」
「シーナ・・・さん。歳って・・・幾つですか?」
「私?20歳よ。でもドルフィンと半月遅れで同じ年に生まれたから、あと・・・二月で21歳になるわ。」
「リーナちゃんは幾つ?」
「あ、え・・・っと、15です。あと一月ほどで16になります。」
「そう。私もその頃は必死で勉強したものよ。だからリーナちゃんも勉強すればきっと一人前の魔術師になれるわ。頑張ってね。」
「はい。」
「さて、その鎮痛剤だけど・・・、1回に飲ませる量はその量の半分くらいってところね。空気中に置いておくと酸化して効力が激減するから、作り溜めは
出来ない、と思ってもらった方が良いわ。面倒だけど必要量を1回1回調合して頂戴ね。」
「分かりました。これはこのままにしておいて良いんですか?」
「造血剤を作ってもらってから直ぐにドルフィンに飲んでもらうから、それくらいまでは十分効力は保持出来るわ。安心して。」
「はい。」
「それじゃ次は造血剤の調合方法を教えるわね。これはちょっとややこしいからしっかり覚えてね。もし分からなくなったら遠慮なく言って頂戴ね。」
「はい。」
「造血剤はヘシデン、パーケスス、チラチナ、そしてミンダオから作るの。まずはそれぞれを等量粉末にすることからね。」
「やります。」
「ここからが大事。よく聞いてて頂戴ね。」
「はい。」
「まずはヘシデンを小皿に移して、そこに等量の水を入れるの。そして沸騰するまで加熱。やってみて。」
「はい。」
「次はパーケススを小皿に移して赤く色付くまで加熱。そしてチラチナは小皿に移して等量の水と混合。ミンダオはそのまま。やってみて。」
「はい。」
「出来たわね。それじゃ次は、ヘシデンを加熱した液体とチラチナと水との混合物を混合して、水分がなくなるまで加熱するの。シューシューっていう独特の
音を立てるから音に注意してね。加熱し過ぎるとアラクラーゼっていう強い毒性を持つ物質になるから、音がし始めたら加熱は止めること。」
「はい。」
「それが完了したら、パーケススを加熱したものとミンダオの粉末と一緒に擂鉢に入れて粉末にするの。そうすると鎮痛剤の時と同じように目にも見えないし
匂いも煙も発しないレベルでの化学反応が起こって、造血剤が出来るの。・・・やってみて。」
「はい。」
「これで完成よ。あとは鎮痛剤と同じように水と合わせてドルフィンに飲ませて頂戴ね。これも空気中に放置すると酸化して効力が減少するから、1回1回
調合してね。量はこのくらいで良いから。」
「分かりました。」
「もし分からなくなったら遠慮なく言ってね。事故があってからじゃ手遅れだから。」
「大丈夫です。シーナさんの説明をしっかり頭に入れましたから。」
「じゃあ、ドルフィンのこと、お願いするわね。今回作った薬は早速今から投与してあげて。」
「はい。」
「ドルフィンの流動食は調合して瓶詰めにしてあるから、大体5ジムくらいの間隔で飲ませてあげて。1回につきスプーン10杯で良いから。」
「「「はい。」」」
「下の世話だけど・・・食事が流動食で量も少ないから排泄物は少ないけど、ドルフィンがもよおしたら誰かが世話をしてあげてくれないかしら?」
「俺がやります。」
「ドルフィンは俺のために今まで一緒に旅を続けてくれたんです。少しでもそのお礼になれるのなら喜んでやります。」
「ありがとう。じゃあ、アレン君にお願いするわね。尿瓶(しびん)はあれだから。」
「それじゃ私は一休みさせてもらうから・・・。でも、何かあったら直ぐに起こしてね。特にリーナちゃんは。」
「はい。」
「あとはお願いね。お休みなさい・・・。」
「・・・やっぱり、相当疲れてたんだな。」
「そりゃそうよ。あたし達が3人がかりでする包帯の取替え、それに加えてリーナがやってる薬の投与、更に食事に下の世話までぜーんぶ一人で、それも
1週間殆ど寝ないでやってたんだもの。倒れなかった方が不思議だわ。」
「シーナさんが休んでいる間、俺達が力を合わせてしっかりドルフィン殿の面倒を見ないといけないな。」
「徹夜の連続の後で寝たのを起こすなんて、幾らあたしでもしたくないわ・・・。イアソンの言うとおり、あたし達がしっかりしないとね。」
「すまないな・・・。俺が無様なばかりに・・・。」
ドルフィンが自嘲混じりに言うと、アレン達が口々に「反論」する。「何言ってるんだよ、ドルフィン。今まで色々助けてもらったんだから、今度は俺達が助ける番だよ。」
「そうですよ。あたし達は旅を共にするパーティーなんですから、協力し合って当然です。」
「ドルフィンは、今は自分が治ることだけ考えてれば良いのよ。気にしないで。」
「困った時はお互い様、ですよ。ドルフィン殿。」
「・・・ありがとう。」
「ちょっとドルフィン。目を開けててくれてなきゃ、薬を飲ませられないじゃないの。」
「あ、悪いな。」
「リーナ。あんた口の利き方なってないわよ。」
「構わん。さっきお前自身が言っただろ?俺達は旅を共にするパーティーだ、ってな・・・。パーティーに協力関係は必要でも上下関係は不要だ・・・。」
「そ、それは仰るとおりですけど・・・。」
「フィリア、静かに。シーナさんを起こしてしまう。」
「大丈夫だ・・・。1週間寝ないで俺の世話をしてきたんだ。そう簡単に目覚めやしないさ・・・。昔からそうだった・・・。」