宿に入った一行は荷物を置き、部屋備え付けの水場で水を浴びて砂埃を洗い落とした後、部屋に集合した。ドルフィンが洞窟で倒した魔物から得た謎の
鉱石の解析を見るためである。街へ出たところで観光になるようなものはなさそうだし、何よりフィリアとリーナが暑苦しいペレーを着て外出することが
我慢ならないからだ。かと言って部屋を出入りする度に着替えるのは流石に面倒なので、フィリアとリーナはペレーを着てはいるが。
部屋の中央に全員が円を描くように集まり−メリア教勢力範囲ではテーブルというものがない−、ドルフィンが魔物の核だった謎の鉱石を中央に置く。
ドルフィンは両手の人差し指と中指を組んで鉱石に翳し、何やらぶつぶつと呪文を唱え始める。アレン達が固唾を飲んで見守る中、ドルフィンの両手が淡く
輝き、それに呼応するように鉱石が淡く輝く。フィリアも一応出来る
魔法解析39)だが、フィリアではまだ物質の詳細までは解析出来ない。
ドルフィンがひたすら呪文を唱える中、ドルフィンの両手と鉱石が様々な色に輝く。魔法解析が進んでいる証拠だ。その鮮やかな光景にアレン達は思わず
溜息を漏らすが、対するドルフィンは真剣そのものの表情で複雑な呪文を延々と唱え続ける。
ドルフィンの両手と鉱石が何色にも輝いた後、時間にして20ミム程経過したところでドルフィンは呪文の詠唱を止める。
「・・・こいつは・・・賢者の石とほぼ同じ物質だな。」
ドルフィンの口から驚くべき解析結果が飛び出す。
「賢者の石とほぼ同じ?!」
「ああ。それにこいつも俺達が手に埋め込んでいる賢者の石と同じく、親玉の石から分離したものらしい。」
「それじゃ賢者の石と全く変わらないではないですか。」
「否、賢者の石と違う点は、この鉱石は程度は低いが自分の意志を持っているということだ。賢者の石の代わりにこいつを身体に埋め込んだら、この鉱石に
精神を侵食されて破綻を来しかねない。」
ドルフィンが語る解析結果は、驚くべきものばかりだ。
賢者の石とほぼ同じ物質、しかも程度は低いが自分の意志を持っているという不可思議な鉱石の欠片を目の前にして、アレン達は言葉が見当たらない。
何故こんな鉱石が魔物の核となっていたのか。そもそもこのような鉱石が何故存在するのか。
鉱物の掘削中に目的とは違う鉱石を掘り出してしまうことは、それほど珍しいことではない。仮にこの鉱石が埋もれていたとしたら、掘り出された途端に
魔物の核になって人々を襲い始めたということだろうか。
不思議そうに鉱石を見詰めるアレン達に、ドルフィンは解析結果を続ける。
「こいつが賢者の石と違う点はもう一つある。今は砕けてるから効力を発揮しないが、こいつは俺達の身体と同じ成分を生み出すことが出来るらしい。」
「俺達の身体と同じ?!」
「ああ。ただ、人間のような複雑な形態を形成するのはこの鉱石では出来ないようだ。だからローパーの出来そこないみたいな形態だったんだろう。
それにこいつは、単に生物を取り込んで栄養にすることしか思考能力がないらしい。親玉はどうかは知らんがな。」
「じゃあ、共食いをしてたってこと?」
「その可能性はある。単純な思考能力しかないらしいから、生物であれば人間だろうが仲間−まあ、そんな意識はないだろうが、そんなことはお構いなし
だろう。単に捕らえて食べる。その程度の思考能力のようだ。」
生物の第一次欲求である食べるということしか思考能力がないからといって、低能だと侮ることは出来ない。そういう生物は食べるためなら身体に傷が
つこうが気にしないし気にならないから、なまじ高等な知能を持っている生物より始末が悪い。更にドルフィンがやったように、核となっている小さな鉱物を
破壊しないと倒せないし、数も多そうだから尚のこと厄介だ。
「ドルフィン殿。これは放置しておくわけにはいかないのでは?」
少しの沈黙を挟んでイアソンが言う。
「この町は金の掘削が主力産業とのこと。このまま坑道があのような魔物に占拠され続ければ、町の崩壊に繋がりかねません。」
「確かに・・・そのとおりだな。」
ドルフィンは解析が終わった鉱石を更に細かく握り潰して床にばら撒いて答える。
旅の目的、即ちアレンの父ジルムの救出、リーナの父親捜索、そしてドルフィンの婚約者シーナの捜索とはかけ離れているが、崩壊の危機に瀕している町を
むざむざ見過ごすほど冷酷なメンバーではない。
「そう言えば、魔物を全滅させた人を町長が娘の婿にするとか言ってたよね、町の人が。」
「アレン。だから何だって言うの?」
「い、いや、だからそういうこともあるって言っただけだよ。」
「アレンにはあたしが居るんだから、余計なこと考えるんじゃないわよ。」
フィリアの嫉妬と怒りが混在する鋭い視線に、アレンは思わずたじろいてしまう。
「夕食まではまだ十分時間がある。町長の家を訪ねてことの経緯を聞いてみることにするか。」
ドルフィンが提案すると、アレンが尋ねる。
「町長の家に行かなくても、町の人に聞けば良いんじゃないの?」
「誰がこの町の人間か、そう簡単に区別出来ないだろう。それに逆玉を狙って腕に覚えのある奴らが大量に流れ込んでるようだ。下手にそいつらを掴まえて
聞き出そうとしたところで、何も話さないか、根も葉もないことを吹き込まれるかどちらかだ。信頼出来る口から情報を集めるのが賢明だ。」
ドルフィンの答えは的確だ。
同じ目的、即ち町長の娘婿になることを狙って町に多数の人間が流れ込んでいることは明らかだ。そんな状況下でこの町の人間を探し出して情報を
引き出すのは難しいし、町の人間だからといって何でも知っているとは限らない。こういう時は、町の頂点に君臨する町長という存在に接触して、集約されて
いるであろう情報を入手するのが最も確実だ。
「それでは、私が町長の家を探してきましょう。」
「いや、全員で行こう。一人だと舐められる可能性もあるからな。」
「えー、またこの格好で外へ出るのぉー?」
「嫌なら此処に居れば良い。」
「うー、分かったわよ。」
リーナは頬を膨らませる。余程ペレーを着てうろつくのが気に入らないらしい。
ドルフィンが立ち上がると、アレン達はそれに続いて立ち上がる。全員が部屋から出ると、アレンがドアに鍵をかけて一行は宿を出る。
通りは大勢の人で賑わっている。少し歩いてみると、剣士や魔術師を相手にした武器防具の店がとりわけ賑わっているのが分かる。一行の先頭に立つ
ドルフィンは通りの様子を窺った後、閑散としている店へ向かう。アレン達はそれに続く。閑散としているその店は、旅行者相手の土産物や金細工などを
売る雑貨屋だった。
洞窟の魔物を倒すのに土産物は不要であるどころか、邪魔になるだけだ。それに金細工に注ぎ込む金があるなら、高価な武器や防具を買った方が良い。
そのため、この手の店からは人足が遠ざかってしまうのだ。このような店と町の平穏は切っても切れない相関関係にあると言える。
一行はドルフィンを先頭にして店に入る。掃除は行き届いているらしく店内は綺麗だが、豊富な品に対して客の数があまりにも少ない。というか、
一行以外客は居ない。店の奥のカウンターで、いかにも暇を持て余しているといった様子で
ペルベ40)を吹かしているこの店の主人らしい男性の方へ
ドルフィンが歩み寄る。横を向いていたその男性は人の気配を察したのか、面倒くさそうにドルフィンの方を向いてギョッとした様子を見せる。
久しぶりの客かと思ったら、がっしりした体格の剣士が近付いてきたのだ。びっくりしても無理はない。
「な、何だね。ここは見てのとおり雑貨屋だ。あんたみたいな剣士さんが役に立つようなものはないよ。」
「いや、武器や防具を買いに来たわけじゃない。」
「じゃあ何かね。冷やかしに来たってのかい?」
「率直に聞く。この町の町長の家を教えてくれ。」
ドルフィンと店の主人は流暢なマイト語で会話をする。イアソンは分かるが、アレンとフィリアは断片的にしか分からない。
リーナはというと、会話のことなど何処吹く風、といった様子で店内の品物を見て回っている。暫く店内をうろついていたリーナが足を止めて見入る。
どうやら品物の中に興味を引かれるものがあったらしい。
一方、ドルフィンに尋ねられた店の主人は、明らかに突き放した感じの表情でペルベを吹かして、その煙をドルフィンに吹きかける。相当煙い筈だし、
客を客とも思わない失礼な態度なのにもかかわらず、ドルフィンは顔色一つ変えない。店の主人はペルベを加えながら、横を向いて言う。
「ただで情報を仕入れようなんて、甘いんじゃないか?兄ちゃん。」
「これで足りるか?」
ドルフィンは腰の皮袋から100ペレの金貨をカウンターに置く。だが、店の主人は金貨を一瞥すると、ペルベを大きく吹かして嘲った口調で言う。
「たったこれっぽっちで情報を入手しようなんて、兄ちゃん、身体の方は発達してても頭の方はちと、これだな。」
店の主人はそう言って頭の横で握った手を広げる。それは無知を馬鹿にする嘲りの行動である。それまで顔色一つ変えなかったドルフィンのこめかみが
ぴくっと動く。
「情報が欲しいんなら1000ペレ。それが相場ってもんだ。」
「…貴様の意思に関わらず口を割らせることが出来るとしてもか?」
「はあ?何ボケたこと言ってんだ。やれるもんならやってみな。」
店の主人が再びペルベの煙をドルフィンに吹きかけた次の瞬間、ドルフィンの人差し指が店の主人のこめかみに突きたてられる。
あんぐりと口を開けた店の主人からドルフィンが指を離すと、店の主人は身体を小刻みに震わせ始め、加えていたペルベを口から落とす。
「町長の家は何処だ?」
「・・・だ、誰が・・・は、はが・・・ちょ、町長の家は通りに出て・・・この店から西に向かったところにある十字路を・・・南に行けば見えてくる・・・。周囲に塀があって、
立派な門があるから簡単に分かる筈だ・・・。」
何と、ドルフィンの問いに対して店の主人が答え始めた。ドルフィンは「気」を店の主人に送り込んで脳神経を操作して口を割らせたのだ。
「町長に会うために必要なことはあるか?」
「う・・・け、剣士か魔術師か、何れかの職業であることを・・・証明出来るものを持っていれば良い。・・・町長は一刻も早い鉱山の復興を望んでいる・・・。多少
身なりが崩れていようが・・・剣士や魔術師なら喜んで会ってくれる筈だ・・・。この町に居る剣士や魔術師も・・・一度は町長に会った筈・・・。」
「よく分かった。」
ドルフィンが指をパチンと鳴らすと、店の主人の身体の震えがぴたりと止まり、店の主人は何が起こったのか分からない様子でおろおろする。
「な、何で?!何で口が?!」
「言った筈だ。貴様の意思に関わらず口を割らせることが出来る、とな。」
「あ、あんた、一体何者だ・・・?」
店の主人は顔面を蒼白にしてドルフィンを見る。
ドルフィンの口元が微かに吊り上がると、店の主人は恐ろしい魔物でも見たかのように壁際まで後ずさりする。
「ただの剣士だ。その金はくれてやる。情報料だ。」
ドルフィンは無表情でそう答えると、くるりと背中を向けてその場を離れる。
その時、リーナが何かを手に持ってドルフィンの元に駆け寄ってきた。その手には細かい彫刻が施された、羽根をあしらった金の髪飾りが握られている。
「これ・・・町長の家に行く時に持って行った方が良いんじゃない?」
「必要ない。剣士か魔術師かどちらかだということを示せば良いらしいからな。」
「違うわよ。これを町長の娘とやらにプレゼントするのよ。そうすれば何か特典が得られるかもしれないじゃない。」
リーナが言うと、ドルフィンはリーナから髪飾りを受け取ってしげしげと眺める。少し眺めた後、ドルフィンは店の主人に見せたそれとは違う穏やかな
笑みを浮かべる。
「なるほどね・・・。リーナ、なかなか冴えてるじゃねえか。」
「へへへ・・・。」
ドルフィンに誉められて、リーナは照れくさそうに笑う。普段の無表情で見る者全てを敵と思うような視線は全く消え失せ、年頃の女の子らしい表情を
浮かべている。
リーナの子のような表情を初めて見るアレン、フィリア、イアソンは、一様に驚いた表情を浮かべる。特にイアソンは、そのあどけない笑顔に胸がぎゅっと
締め付けられるような気分になる。
ドルフィンは髪飾りを持ってカウンターへ引き返す。冷や汗を流していた店の主人は、再び顔面を引き攣らせて壁際まで後ずさりする。ドルフィンの得体の
知れない力を受けて、今までに感じたこともない恐怖に晒されているのだろう。
「これは幾らだ?」
「い・・・要らん。金は要らん。・・・た、無料(ただ)で良い・・・。」
「まあ、そう言うな。さあ、幾らだ?」
「い、要らんといっておるだろう!さっき100ペル貰った!それで十分だ!」
店の主人は完全に怯えているらしく、ドルフィンの申し出を頑なに拒否する。指をこめかみに突き立てられた後で、身体の自由が聞かなくなり、男の質問に
口が勝手に動いて回答したのだ。これが恐怖にならない筈がない。ドルフィンは無表情のまま、納得したように小さく何度も首を縦に振って言う。
「それじゃ、これは頂戴するぜ。後で請求しに来るなよ。」
「だ、誰がするものか!」
店の主人は首を激しく横に振りながら、怯えきった様子で否定する。ドルフィンは踵を返してカウンターから離れ、髪飾りを胸ポケットに仕舞うとアレン達と
共に外に出る。
「ドルフィン。何があったの?」
マイト語でのやり取りだったためよく分からなかったアレンが尋ねる。
「なあに。ちょっとした商談だ。金の髪飾りは無料でくれてやるとさ。」
「へえ。なかなか太っ腹だね。結構高いんじゃないの?そういうのって。」
「この店の主人はなかなかサービス精神旺盛のようだ。その割に繁盛していないのが残念だな。」
マイト語が分かるイアソンは、ドルフィンの肝心の部分を隠した答えに思わず苦笑いする。
「町長の家も教えてもらった。此処からそう離れてはいないらしい。」
「へえ。もっと郊外にあるのかと思ったけど。」
「さて、早速行くとするか。」
一行はドルフィンを先頭にして町長の家へ向かう。混み合う通りを西に向かって歩いて、十字路に差し掛かったところで左折して南へ向かう。
すると人通りがめっきり少なくなり、比較的大きな住宅が並ぶ通りに出る。どうやらこの町の高級住宅街のようだ。煉瓦造りの家はどれも塀が高く、砂嵐を
防ぐようになっているのが砂漠の町らしいところだ。
一行はひたすら南へ進む。すると、数並ぶ大きな住宅の中で一際大きな家と門構えが正面に見えてくる。門の両脇にはこの暑い中フルプレートで身を
覆った、門番らしい重装備の兵士が立っている。一行が近付くと、兵士が持っていた身長の二倍はある槍を構える。不審者と思われたのだろう。
ドルフィンは左手の剣を掲げて言う。
「俺達一行は、鉱山の魔物の噂を聞いてこの町に乗りこんで来た旅の者だ。町長と面会させていただきたい。」
すると兵士達は槍を元に戻し、揃って頭を下げる。門の前まで近付くと、兵士達が制する。
「お待ちください。門を開けるのは中の兵士の役割です。」
兵士の一人がそう言って、背後の小窓に顔を突っ込む。今度は門の内側から兵士が何人も姿を現し、そのうち一人が門を開ける。
「どうぞお入りください。ただし、町長は現在ご不在。暫しお待ちください。」
「分かった。」
ドルフィンは短く答えると、一行の先頭になって敷地内に入る。庭には大きな泉が湧いていて、空の青を見事に映し出して青い鏡面を作っている。
兵士達に両脇を固められて石畳に沿って歩いていくと、家というより屋敷の前に辿り着く。兵士達の一人がドアをノックする。少し間を置いて、はい、という
応答が返って来る。その声は若い女性のもののようだ。
「どちら様ですか?」
「お嬢様。鉱山の魔物の噂を聞いてこの町に来たという者達をご案内しました。」
「どうぞ、ドアを開けて下さい。」
「承知しました。」
兵士がドアを開けた時、一行の表情が一斉に驚きに変わる。ペレーに身を包んで、長い金髪をポニーテールに束ねているその女性は、紛れもなく
ドルフィンが探していたシーナその人だった。
「ようこそお越しくださいました。父は留守にしていますが、直ぐに戻りますので中でお待ちください。」
「・・・シーナ・・・。」
「え?どうして私の名を・・・。」
「探したぞ。」
ドルフィンは剣を手放してシーナをぐっと抱き締める。普段のドルフィンからは想像もつかない大胆な行動に、リーナを除くアレン達は驚きの様相を強める。
「此処に居たのか。」
「ちょ、ちょっと。何をなさるんですか?!」
「何?」
ドルフィンが思わずシーナを離すと、パン、という乾いた音がする。ドルフィンの顔が僅かに右に傾いて、シーナが泣き出しそうな顔で右手を前で
震わせている。シーナがドルフィンの頬を叩いたのは誰が見ても明らかだ。
ドルフィンは勿論、アレン達は首を傾げる。この女性は間違いなくシーナその人だ。当人自身が肯定したのだから間違いない。だが、目の前に居るシーナは
婚約者に抱きしめられたのにも関わらず、それを振り払い、挙句の果てには頬を打った。ドルフィンは頬の痛みを忘れてシーナに詰め寄る。
「シーナ!俺が分からないのか?!俺だ、ドルフィン・アルフレッドだ!忘れたとは言わせんぞ!」
そう言ってドルフィンは懐を弄り、銀の十字架のペンダントを見せる。どちらかが死ぬまで決して離れないといういわくつきのペンダントを目にして、
シーナは目を丸くする。
「どうして・・・私と同じペンダントを・・・。」
「同じに決まってるだろう!これは俺とお前の婚約の証なんだから!」
「婚約・・・?貴方と私が・・・ですか?」
「シーナ!冗談も程々にしろ!俺が分からないのか?!」
いまいち噛み合わない会話に苛立ったのか、ドルフィンは何時になく語調を強める。しかし、シーナは不思議そうに首を傾げ、ドルフィンに言う。
「貴方・・・、誰ですか?」
その一言は、ドルフィンを深淵に叩き込むには十分過ぎるものだった…。
一行は屋敷の中に通され、広大な客間に案内された。メイド達がティンルーの入ったカップを、一行とシーナ、そして程なくして戻ってきた町長とその夫人の
前に置いて部屋を出て行く。部屋の中には兵士達が陣取っていて、不測の事態に備えている。
「そなた達で何人目かのう。鉱山の魔物を退治に来たという旅の者は。」
「あの・・・それは一先ず置いておいて、そちらの女性はシーナさんですよね?」
「いかにも。娘の名はシーナ・アルビアディスじゃ。」
「シーナ・アルビアディスですか・・・。」
イアソンが町長から回答を引き出すが、ドルフィンは俯いたまま力なく首を横に振る。
「違う・・・。シーナは・・・シーナ・フィラネスが本名だ・・・。」
「客人よ。そなた、人違いをされているのではあるまいか?」
「人違いなんかする筈がない。その顔、その髪、そのペンダント。3年経った今でも忘れる筈がない・・・。」
ドルフィンのうめきにも似た言葉は重苦しく、マイト語が分かるリーナとイアソンにはその苦悩ぶりが嫌と言うほど感じられる。断片的にしかマイト語が
分からないアレンとフィリアも、シーナの姓が違うことにドルフィンが困惑していることは分かる。
「アルフレッドさん。」
「・・・何だ?」
「貴方の名前・・・聞いた覚えがあるような気がするんです。」
シーナの言葉に、ドルフィンはばっと顔を上げて畳み掛ける。
「聞き覚えがあって当たり前だ!俺とお前は幼馴染!小さい頃から名前を呼び合ってきた仲でもあるんだぞ!」
「そう言われても・・・思い出せないんです。」
「これを見てもまだ思い出せないのか?!俺とお前が婚約の時に身に付けたペアのペンダント。どちらかが死ぬまで絶対に離れないように祈りを込めた
特製のペンダントだ!このペンダントの裏には互いの名が刻まれている!見てみろ!」
ドルフィンに圧されたシーナは、恐る恐る胸元を弄ってペンダントを取り出し、裏側を見る。そこには確かに「ドルフィン・アルフレッド」と刻まれている。
それを見詰めるシーナにドルフィンは詰め寄り、自分のペンダントの裏側を見せる。そこには「シーナ・フィラネス」と刻まれている。ドルフィンの言うとおり、
互いの名が刻まれているという事実を突きつけられて、シーナは当惑の表情を浮かべる。
「貴方は私の名を知っている・・・。ペアのペンダントを身に付けている・・・。でも・・・私には何も思い出せない・・・。自分の名前以外は・・・。」
「シーナ・・・。」
「・・・どうやら、もはや隠し事は出来んようじゃな。」
町長がティンルーを啜って溜息を吐く。
「あれは・・・2年程前じゃったか・・・。出先から帰る途中で砂に半分埋もれていたこの子を偶然見つけて救出したのは・・・。砂漠の熱で酷い脱水症状を
起こしていて、更に高熱を出しておった。ワシは急いで近くの町に駆け込んで医師と聖職者を呼んで治療させたんじゃ・・・。懸命の治療の甲斐あって
3日後に意識を回復した。しかし、この子が覚えておたのは自分の名前、シーナという名前だけじゃった・・・。」
「記憶喪失ですね・・・。」
「うむ・・・。子どもが居らんワシは、行く当てもないこの子を娘として我が家に迎え入れた。この子は非常に素直にワシら夫婦を親と呼んでくれるようになった。
しかし、このまま老い先短いワシら夫婦を見とらせるだけではあまりにも不憫。折りしも1年ほど前から鉱山に得体の知れぬ魔物が現れるようになった。
そこでワシは、得体の知れぬ魔物を倒すだけの力と勇気を兼ね備えた者にこの子を託そうと考えたのじゃ・・・。」
イアソンは興味深そうに聞き、アレンとフィリアに通訳して事情を伝えた。リーナは話を聞いているのかいないのか、無言のままティンルーを時折啜るだけだ。
ドルフィンに至っては、俯いたままでティンルーに口を付けようともしない。
町長は事情を話し終えると、ティンルーを一口啜って一行に言う。
「此処で会ったのも何かの縁。そなたら、この家に泊まるが良い。魔物を倒せば、噂にも聞いて居るじゃろうが、娘の婿としようぞ。」
「どのように証明すれば良いのですか?」
「鉱山を掘る際には、最深部に我らが神ルー41)の像を置くようにしておる。この世の全ての恵みは我らが神ルーによって齎されるものじゃからの。」
「つまりは、最深部にある筈のその像を持ってくれば良いと・・・。」
「そのとおりじゃ。今のところ、行って帰って来なかったという話はよく聞くが、未だ本物の像を持ってきたものは居らん。」
「本物?」
「鉱山に置く洞窟には、鉱脈を最初に発見した者、即ちワシの名を刻んである。ワシの名は外部に漏らさんようにしておる。町の雑貨屋で我らが神ルーの
像を買い求めて持ってきた輩も居ったが、偽物と分かったその場で斬り捨ててくれたわ。我らが神ルーを欺く行為は許されざる大罪じゃからの。」
町長はきっぱりとした口調で言う。戒律に厳しいメリア教の唯一神であるルーを使い、偽って目的を達しようとしたのだから、その行為は当然といえば
当然のことだ。
「我々は先に宿を取っておりますので、一旦宿に戻って荷物を持ってくることにしますが、よろしいでしょうか?」
「うむ、構わんぞ。」
町長の了解を得たイアソンは、アレンとフィリアに通訳して会話の内容を伝えた後、ドルフィンに言う。
「ドルフィン殿。行きましょう。」
「・・・ああ。」
ドルフィンはゆっくりと立ち上がる。その動きは緩慢で、何時もの機敏さは見る影もない。アレン達も立ち上がり、客間を出て行ったところで、最後に
残ったドルフィンは、胸ポケットから金の髪飾りを取り出してシーナに差し出す。
「これはプレゼントだ。受け取ってくれ。」
「・・・はい。」
シーナはドルフィンから髪飾りを受け取る。それを見たドルフィンは、重い足取りで部屋を出て行く。自分のことを婚約者だという男性が現れたことに
シーナは戸惑いつつ、プレゼントされた髪飾りとじっと見詰める・・・。
用語解説 −Explanation of terms−
39)魔法解析:魔力を物質に照射することで物質の特性や構成を把握する能力。Phantasmistから出来るが、称号によって解析の度合いが異なる。
40)ペルベ:この世界での煙草の名称。戒律で酒が禁止されているメリア教では、嗜好品としてよく用いられる。
41)ルー:メリア教の唯一神。開祖アリアベルはこの神からの預言を受け、メリア教を興したと言い伝えられている。