Saint Guardians

Scene 4 Act 3-3 困惑-Perplexity- 魔術大学での落胆、謎の魔物

written by Moonstone

 一行はドルフィンを先頭にして魔術大学の中を歩いていく。
階段を上り、廊下を歩くこと暫し。10ミム程歩いたところで細かい彫刻が施されたドアの前に来た。ドアの上にあるプレートには「学長室」とある。
ドルフィンが魔術大学の客員教授という立場を利用してまで学長に会うという理由は何なのだろうか?
 アレン達が一様に同じ疑問を抱く中、ドルフィンがドアをノックする。中からややしわがれた、しかしはっきりした声で「どうぞ」という応答が返って来る。
ドルフィンはドアを開け、「失礼します」と言って中に入る。アレン達は畏怖の念が強くてとても足が動かない。
「北のカルーダ、南のクルーシァ」と言われるほど魔術研究、教育が盛んなカルーダの魔術大学の長。当然称号はWizardだろう。
そんな大人物の個室に足を踏み入れるのは憚られる。
魔術師としての礼儀に厳格なフィリアは勿論のこと、魔術にそれなりに精通しているイアソン、魔術とは召還魔術以外縁のないアレンとリーナはカルーダの
魔術大学の学長、ということだけで足が竦んでしまっているのだ。一方のドルフィンはと言うと、普段どおり背筋を伸ばして臆することなく堂々とした態度で
中に入っていく。
 個室としては十分過ぎるほどの広さの室内に図書館を髣髴とさせるように本棚が幾つも並び、そこには本がぎっしりと詰め込まれている。
そんな部屋の奥まったところにある、これまた繊細な彫刻が施された木製の大きな机の上で、山積みになった書類にペンを走らせる老女がいた。
右手中指には、Wizardの証明であるスターサファイアの指輪が威風堂々と輝きを放っている。この老女こそ、カルーダ王立魔術大学の学長その人である。

「学長。お久しぶりです。ドルフィン・アルフレッドです。」

 ドルフィンが言うと、学長は顔を上げて驚愕の表情を浮かべ、やがてそれは満面の笑みへと変わる。

「おお、ドルフィンじゃないかい。久しぶりじゃのう。3年ぶりかな?今まで何処で何をしておったのじゃ?」
「積もる話は色々ありますので、少しお時間をいただけますか?」
「勿論構わんとも。ささ、座りなされ。」

 学長は席を立って、ドルフィンを部屋のほぼ中央にあるソファに案内する。ドルフィンはソファに案内されたところでドアに向かって声をかける。

「皆。折角の機会だ。学長にご挨拶していけ。」

 ドルフィンに言われて少しして−誰が先頭になるかで譲り合いがあった−、アレンが先頭になって「失礼します」と言いつつ、いかにも恐る恐るといった
感じで中に入ってくる。学長は尚もドアの付近で奥に進むかどうか躊躇しているアレン達を見て、ごく穏やかな表情で手招きする。

「ドルフィンの弟子かな?遠慮は要らん。こっちへ来て座りなさい。」
「ど、どうも・・・。」

 アレン達は恐る恐ると言った様子を崩さずに、ドルフィンが立っているソファの前にぞろぞろと並ぶ。

「さ、お座りなさい。今お茶を用意させるからの。」

 一行がソファに腰を下ろすと、学長は自分の席に戻って紙切れにペンを走らせ、何やら呪文を唱える。すると紙切れが中に溶け込むように消えてしまう。
学長はいそいそと一行の向かい側に腰を下ろす。
アレン達はソファの座り心地の良さよりも緊張感をはるかに強く感じる。そんなアレン達の緊張を見て、学長は微笑んで言う。

「そんなに緊張せんで良いぞよ。別に取って食うわけじゃないんじゃから。」
「は、はあ・・・。」
「ホホホ。私はこの大学の学長という立場じゃが、見てのとおりしわくちゃの老いぼれじゃ。何かと公務に追われて世間に疎い身。そなたらのドルフィンとの
出会いなど聞いて、外界のエキスを貰いたいのじゃ。」

 見た目はどう見ても普通の老女にしか見えないが、右手中指の指輪とこの大学の学長という立場の人間を前にして、アレン達は緊張でガチガチである。
ドルフィンはそんなアレン達の様子を見てやれやれ、といった様子で小さい溜息を吐いて言う。

「メンバー紹介から始めましょうか。私の隣から順に・・・アレン、フィリア、イアソン、リーナです。」
「ほほう・・・。見たところ15、6。イアソンという者は20歳くらいかな?随分若い面々じゃのう。皆ドルフィンの弟子かな?」
「いえ、彼らは私の仲間です。」
「ほう、仲間とな。一緒に旅をしておるのか?」
「はい。私はアレンとの約束を守って、彼の父親を探し出し、救出することと、フィリアの魔術鍛錬、イアソンの世界見聞、リーナの父親探しに協力して
いるのです。パーティーの決定権はアレンにあります。」

 アレンはドルフィンに代表者として紹介されたことで、緊張感を一気に最大限まで高める。
学長は興味深そうにアレンを観察する。学長の視線に晒されているアレンは生きた心地がしない。

「ほほう・・・。ドルフィンを差し置いてパーティーの決定権を有するとは、そなた、なかなかの人格者のようじゃの。」
「そ、そんなことは・・・。」
「ドルフィンは人間を階級や立場ではなく人格で区別する男。そのドルフィンに認められたのじゃ。そなたはもっと自信を持つと良いぞ。」
「は、はい・・・。」

 アレンがどうにか答えたところで、ドアがノックされる。学長がどうぞ、と応答すると、「失礼します」と言って、フィリアとよく似たローブ姿の若い女性が
二人入ってくる。その手にはカップとポットが乗った銀のトレイと、サルシアパイ33)を盛り付けた皿が乗ったトレイがある。
女性達はテーブルにカップを配置してそこにティンルー34)を注ぎ、テーブルの中央にサルシアパイの乗った皿を置き、揃って「失礼しました」と言って
一礼して部屋から出て行く。

「ささ、遠慮なく食べなされ。」
「皆、そんなに緊張しなくて良い。学長は来客に対してはとても気さくな方だ。折角のもてなしなんだから気楽に、気楽に。」
「そうじゃとも。ドルフィンの仲間とあれば尚のこと遠慮は要らん。砂漠の旅で疲れたじゃろう。ゆっくり寛ぎなされ。」

 ドルフィンと学長の勧めもあって、アレン達は緊張した面持ちでサルシアパイやティンルーにそれぞれ手を伸ばす。
サルシアパイはカリッとした歯応えと共に心地良い甘さが口に広がり、ティンルーは香りが良くてほろ苦いところがサルシアパイの甘さと良く合う。
食べ物や飲み物のお陰でようやく緊張感が解れ始めたアレン達の一人、フィリアの右手中指の指輪に学長は注目する。

「・・・フィリアと申したな。そなた、Enchanterじゃな。歳は幾つじゃ?」
「じゅ、15です。」
「ほほう、15歳でEnchanterか。なかなか優秀な魔術師じゃの。そなた、何処の出身じゃ?」
「レ、レクス王国のテルサという町の魔術学校で研究生をやってました。」
「ふむ・・・。優秀な魔術師と出会えたのう。旅を終えたらこの大学に入ると良い。これまでの研究成果次第では一気に上級研究員に就任出来るぞよ。」
「私が・・・ですか・・・?」
「レクス王国は魔術に関しては後進国。そんな環境下で15歳にしてEnchanterになったのじゃから、将来は非常に有望じゃ。自信を持ちなされ。」
「あ、ありがとうございます。」

 フィリアはカップをテーブルに置いて深々と頭を下げる。由緒あるカルーダの魔術大学の学長直々の賞賛の言葉を受けて、フィリアが嬉しくない筈がない。

「リーナと申したな。そなたは賢者の石を埋め込んではあるが、魔術は使わんのか?」
「私は召還魔術を使えますから・・・。」
「ふむ、そうか。それもまた良い。魔力の源は精神力。人や自分に甘えることなく精進することじゃ。そうすればより強い魔術が使える。」
「はい・・・。」

 緊張が解けたリーナは、落ち着いた口調で応答する。人間嫌いのリーナだが、学長の人柄に触れたことで強固な心の鎧を幾分軽くしたようだ。

「イアソンと申したな。そなたはThaumaturgistか。剣を持っているところからして、魔道剣士か?」
「は、はい。」
「ドルフィンも魔道剣士。魔術と武術の両立は難しいが、Illusionistにして白狼流剣術の継承者ドルフィンの例がある。精進することじゃ。」
「はい。ご指導ありがとうございます。」

 イアソンは丁寧に礼を述べる。魔道剣士とは言えドルフィンには到底及ばない未熟者だと言うことを自覚しているから、イアソンは学長の言葉をしっかり
胸に刻み込む。

「ところでドルフィン。そなたが遠路はるばるワシの元を訪れたと言うことは何かあってのことじゃな?」
「・・・はい。学長ならご存知かもしれないと思いまして。」
「何じゃ?遠慮は要らんぞよ。」

 アレン達の視線と耳が集中する中、ドルフィンはカップをテーブルに置いて問いを発する。

「シーナ・・・。シーナ・フィラネスが此処に訪ねて来ませんでしたか?」

 アレン達は、ドルフィンが口にした聞き覚えのある名を聞き逃さない。そんな中、リーナはシーナについてドルフィンから聞かされているのだろうか、
表情をやや曇らせている。
学長はカップを置いて静かに答える。

「・・・来たぞよ。」

 ドルフィンの顔が驚きで強張る。アレン達がこんなドルフィンの顔を見るのは初めてのことだ。ドルフィンは普段とは打って変わって冷静さを喪失した
様子で身を乗り出し、真剣そのものの表情で学長に尋ねる。

「で、シーナは今何処に?!」
「・・・分からん。」

 学長の沈んだ表情での答えに、ドルフィンは呆然となる。学長はティンルーを一口啜ってからカップを置いて話し始める。

「あれは3年前じゃったな・・・。彼女らしくない、救いを求めるような表情で此処に駆け込んで来た。問いはドルフィン。そなたと立場が逆なだけじゃった。
『ドルフィンは此処に来ませんでしたか?』・・・本当に切羽詰った表情で尋ねてくるもんじゃから、ワシも驚いたよ。で、ワシが来ていないと応えると、
彼女は此処での役職、客員の主任教授として教鞭を取りつつ研究を重ねておった。何日も寝ずに一心不乱に研究を続けておった。ある日、ワシが何を
研究しているのか、と尋ねると、人を遠距離から探査出来る魔法を開発している、と答えた。魔法探査の効力範囲はWizardでも10キーム程度。しかも対象を
特定するのは困難。彼女はそんな魔法探査の欠点を克服する魔術研究に打ち込み、途中で数々の優秀な研究論文を発表しておった・・・。」
「シーナ・・・。」
「「「「・・・。」」」」
「ところが2年前の秋じゃった。そなたの宿敵ゴルクスが、軍勢を率いてここカルーダに攻め込んできおった。」
「ゴルクスが?!」
「うむ。シーナはゴルクスが自分を狙っていると言うことを知っていたゆえ、ワシの制止を振り切って軍勢を迎え撃った。彼女の魔法の前に、軍勢は
あっという間にこの世から消え失せてしまった。そしてゴルクスとカルーダ上空で一騎打ちを行ったんじゃ・・・。」
「そ、それでシーナは?!」

 ドルフィンが畳み掛けるが、学長は表情を更に曇らせるだけで続きを話そうとしない。学長はティンルーを一口啜って重い溜息を吐いて、重苦しそうに
口を開く。

「・・・分からんのじゃ。」
「・・・。」
「ワシが辛うじて確認出来たのは、両者が空中で衝突して、目を開けていられない程の光を発して、それが消えた後二人の姿は何処にもなかった、
ということじゃ。あと、猛烈な魔法反応が残ったこと・・・。あれは確実に彼女が使った最上級クラスの魔法じゃ。セイント・ガーディアンのゴルクスが跡形も
なく消し飛んだんじゃからのう・・・。しかし、彼女がどうなったのかまではさっぱり・・・。」
「そうですか・・・。」
「でもドルフィン。シーナさんは生きてるんでしょ?」

 不意にリーナが話に入り込んでくる。
どうもリーナは、ドルフィンとシーナのことについてかなり詳しく聞かされているらしい。

「ドルフィンがかけてる銀の十字架のペンダント・・・。シーナさんとペアで持っている、どちらかが死ぬまで絶対外れないペンダント。そのペンダントが
まだ外れていないから、シーナさんは何処かで生きてるんでしょ?だからドルフィンはシーナさんを探しにミルマを出たんでしょ?」
「・・・ああ、そうだ。」
「だったら・・・探すしかないじゃない。」

 リーナは訴えるような、それでいてどこか悲しげな口調で言う。
アレンは、ドルフィンと出会った時、砂塗れになっていたいたことを思い出す。あれはギマ砂漠を縦断してきた後で、ドルフィンはシーナという女性を
探しにギマ王国に入っていたのだ、と推測する。
カルーダ王国は西側で縦に長いジェルディアス山脈35)を挟んでギマ王国と接している。ドルフィンならその国境となる険しい山脈を渡れるだろうが、
王家と癒着したミルマ経済連の嫌がらせに晒されているであろうリーナの家をあまりに長期間離れることが出来なかったのだろう。だから恐らくギマ王国を
北から南へ縦断する形で探し回り、見つからなかったため引き返す途中、偶然テルサの町に立ち寄ったのだろう。
 しかし、ドルフィンとそのシーナという女性が、どちらかが死ぬまで絶対外れないペンダントとやらを身につけているという話には、アレンやフィリア、
イアソンは驚きを隠せない。そこまでしないと外れない、そして相手の生存を確認出来るペンダントを身につけているということは、ドルフィンとシーナという
女性は単なる彼氏彼女の関係ではないという察しは容易につく。
 でも何故それを話したがらないのか。
聖地ラマンの試練の塔で見た偽者の顔は狂気に歪んではいたものの、そこらに居る女性と比べてもとびきりの美人だった。普通なら美人の彼女がいるだけで
自慢したくなるものだろうし、実際イアソンはリーナを彼女に出来たら自慢したいと思っている。なのに、普段自ら進んで語ろうとしないというのは何故
だろうか。
性格が悪いから・・・否違う。性格が悪い女なら、相手が死ぬまで絶対外れないペンダントなんて身に付けたくない筈だ。
話すのが恥ずかしいから・・・そうだろうか。
そう言えばドルフィンは今まで自分の境遇について積極的に話したことがない。自分のことは譬え仲間であっても進んで話すべきものではない、というのが
ドルフィンの哲学なのかもしれない。

「あれだけの魔法を使ったんじゃ。反動でどこかに弾き飛ばされた可能性があるのう。」

 学長が言う。

「幾ら強力な魔法の反動で弾き飛ばされたといっても、此処カルーダの反対側まで飛ばされるということはあるまい。割と近いところに居るかもしれんぞ。
ま、あまり気に病まぬことじゃ。気を病むと身体にも害がある。生きている証が存在するんじゃ。信じて探すことじゃな。」
「・・・はい。」

 ドルフィンはやや俯き加減で短く答える。その横顔は何時になく寂しげで、そして重々しい。
シーナという女性が、この大学の客員主任教授というとんでもない肩書きを得ているこの地で魔術の研究をしながら自分を探しに来るのを待っていると期待
していたのだろう。その期待が水泡に帰したとなれば、幾らドルフィンといえども、その女性を心中では必死で探しているところでは堪えるだろう。
 アレン達はドルフィンを慰める術を知らない。そんな中、リーナだけはドルフィンと同じように寂しげな表情でサルシアパイを齧っていた・・・。
 学長との面会後、魔術大学を出た一行は、とりあえず宿を取って休むことにした。
イアソンが調査して選んだ宿の受付で、ドルフィンが所持金のうち1000デルグをカルーダ王国の西側で通用する通貨ペルに変換して36)、2370ペルを得た。
これだけあれば5人が何日か宿を取ったり生活物資を購入したりするには十分だ。
 所持金を少しでも節約するため、5人全員が同じ部屋で泊まることにした。
本来なら男性女性で分けたいところだが、場合によっては再びカルーダに戻って船でトナル大陸37)に渡ることも考えなければならないため、余分な出費は
控えなければならない。トナル大陸まで渡るには安く見積もっても一人1000デルグはくだらないからだ。
 4日ぶりのまともな食事にありつけると思ってアレン、フィリア、リーナの三人は期待したが、夕食で用意されたのは刺身や煮魚だった。カルーダは海に
面した町であるため、海産物が料理に出るのは必然的であるが、魚が苦手な三人には辛いものだ。フィリアは刺身が嫌いなため食べられず、アレンと交換して
煮魚を二人分得てようやく食べられる態勢を整え、リーナはドルフィンに刺身を譲って煮魚だけ食べることにしたが、骨や皮を取り除くのに結局ドルフィンの
力を借りることになった。ドルフィンとイアソンは何の苦もなく刺身や煮魚に舌鼓を打った。

 食事を終えた一行は浴場で砂埃をさっぱり落とし、明日の出発に備えて早めに寝ることにした。砂漠の旅と歩き疲れが重なったせいで、アレン、フィリア、
リーナの三人はベッドに潜るなり直ぐに寝息を立て始めた。三人が寝静まったのを確認して、イアソンはドルフィンに小声で尋ねる。

「ドルフィン殿。個人的なことを伺うのはいささか気が引けますが・・・、シーナという女性はドルフィン殿にとってどういう存在なのですか?」

 イアソンの問いに、ドルフィンは部屋に備え付けのボルデー酒をくいと呷ってから小さい溜息を吐いて答える。

「・・・俺の婚約者だ。」
「何故今まで皆に話さなかったのですか?」
「話す必要がないと思ったからだ。」

 ドルフィンはボルデー酒をグラスに注ぎながら言う。

「俺の旅の目的は、あくまでアレンの父親を探し出して救出すること。そしてリーナの実の父親を探すこと。この二つに協力するためだ。俺が今日皆を
引き連れてそこらの魔術学校じゃなくてカルーダ魔術大学に立ち寄ったのは、客員教授なのに3年間も空席だったことの穴埋め。そのついでにシーナの
行方を尋ねた。それだけだ。」
「・・・ドルフィン殿はもう少しご自身のことを考えても良いのでは?」

 イアソンの言葉に、ドルフィンの手が止まる。

「アレンの父親を攫ったザギの行方は知れず、リーナの父親に至っては安否すらも分からない状態。ここでドルフィン殿がご自身の目的を加えたとしても、
パーティーの誰も文句を言わないと思いますが。」
「・・・さっきも言った筈だ。俺の旅の目的はアレンとリーナに協力することだとな。そこに個人的理由を挟むわけにはいかん。」
「お言葉ですが・・・目的が個人的なのはごく自然なことなのではないでしょうか?」

 ドルフィンがグラスを傾けてテーブルに置いたところでイアソンが言う。

「アレンとリーナの目的も個人的なもの。譬えそこにセイント・ガーディアンが絡んでいたとしても、探す対象の安否すら分からないとしても、個人的なもので
あることには変わりありません。そして私が同行させていただいているのも自分の見聞を広げるためという個人的なもの。ドルフィン殿がシーナという女性を
探す目的を加えたところで、旅の目的が一つ加わっただけのことではないかと思いますが。」
「・・・流石に『赤い狼』の幹部をやってたわけじゃねえな。」

 ドルフィンはグラスにボルデー酒を注ぎながら言う。

「確かにアレンとリーナの目的は個人的なものだ。俺がシーナを探すのも個人的なものだ。お前の論理は筋が通っているから説得力がある。・・・明日、皆に
頼んでみるとするかな。果たしてうん、と言うか・・・。」
「きっと皆反対しますまい。」

 イアソンが言うと、ドルフィンは笑みを浮かべ、グラスを一気に傾ける。
ドルフィンとイアソンの語らいは夜遅くまで続いた・・・。
 ドルフィンの不安は杞憂に終わった。朝食の席でシーナとの関係、そしてシーナを探す目的を加えたいとドルフィンが申し出たところ、全員一致で
賛成した。アレンとフィリアは、普段から世話になっているのだから気兼ねしなくても良かったのに、とドルフィンをやんわり嗜めた。
そんな中、リーナだけは賛成こそしたものの表情が微妙に曇ったことをイアソンは見逃さなかった。
リーナはドルフィンがシーナという女性を探すことに対してあまり良い気分がしないらしい。それはドルフィンに対する恋心か。そう思うとイアソンの胸が
ズキリと痛んだ。
 朝食を終え、洗顔や歯磨きを済ませた一行は、早速カルーダを出て西へ向かってドルゴを走らせ始めた。ドルフィンが張り巡らせた結界によって、一行は
安全に西への旅を勧めることが出来る。途中偶然発見したオアシスで−勿論隊商などはその位置を熟知しているだろうが−水分を補給し、水を確保して、
一行はひたすら西へ向かう。
砂埃の向こうにたまに町らしきものが見えるものの、一行は軽く立ち寄ってシーナに関する情報を探してから−全く得るものはなかった−、直ぐに町を出て
ひたすら西へ西へと進む。
 カルーダを出て1週間。一行は通過がデルグからペルに変わる地域に入った。フィリアとリーナは直射日光が照りつける中、先に立ち寄った町で購入した
ペリー38)で身体を包み込んでいる。勿論汗だくだ。
ペルが通用するカルーダ西半分はメリア教の勢力範囲で、女性が顔以外の肌を出すことは戒律で禁じられている。メリア教は戒律が厳しいことで知られる
宗教で、戒律に違反すると譬え旅行者といえど只事では済まない。ドルフィンはそのことを知っていたため、渋るフィリアとリーナにペリーを着させたのだ。
 更にフィリアは珍しく髪を後ろで束ねている。これもメリア教の戒律によるものだ。
メリア教で髪を束ねていない女性は売春婦であり、束ねた髪を解かれることはその相手に全てを委ねるということを−勿論、身体もだ−意味する。メリア教
勢力範囲内に入ったところで、フィリアはアレンに向かって頻りに束ねた髪を解くように迫り、アレンは逃げ回るしかないでいる。イアソンはリーナのリボンを
解こうとも思ったが、その場で殺される可能性が極めて高いので想像の範囲に留めている。

 カルーダを出て10日目の昼過ぎ。右手の方から徐々に切り立った崖が詰め寄ってきた。
一行は先日立ち寄った町で気になる情報を得ている。何でもマリスの町の主力産業である金の鉱山に得体の知れない魔物が現れ、採掘が出来なくなって
しまっているというのだ。聞くところによるとその魔物は日光を浴びると溶けて死んでしまうが、夜間は洞窟から外に出て彼方此方を徘徊し、町の人々の
恐怖の的になっているらしい。厄介なことにその魔物は、剣で切ると分裂してしまい、強力な魔法でないと倒せないらしい。
 その情報を聞いたドルフィンは、ナルビアでの正体不明の生物との戦闘を思い出した。あの魔物は中心にあった賢者の石らしい固形物を破壊するまで、
バラバラにしても直ぐに元どおりに復活した。その魔物と共通性があるかもしれない、と思ったドルフィンは、マリスの町に立ち寄る前にその洞窟に立ち寄って
みようと言い出した。フィリアとリーナは生理的嫌悪感から躊躇したが、あわせて得た、町の存亡がかかっているという情報を鑑みて、渋々承諾した。
 太陽がかなり西に傾いてきたところで、一行はマリスを視界内に収めた。しかし、一行はマリスに入らず、崖沿いに問題の洞窟を目指す。
やがて問題の洞窟らしいものが見えてきた。洞窟の周囲は間隔の狭い木の柵で囲われ、近くの看板にはマイト語で「危険!近寄るべからず!」と書かれて
いる。町の人々が恐れているということは、問題の魔物はこの間隔数セム程の柵をすり抜けて来れるということだろう。となれば、スライムかローパーの
類であり、一般人の手に負えるものではない。
 一行は柵の前でドルゴから降り、ドルフィンを先頭にして柵を越えて中に入る。柵はかなり高く作られているため、ドルフィンとEnchanterに昇格して
使えるようになったフィリアがフライを使って全員を柵の内側に運ぶ。全員揃ったところでドルフィンが先頭になり、イアソンがライト・ボールを使って
注意深く中に入っていく。
日光が届かなくなったところで、ジュル・・・ジュル・・・という液体状のものが這いずり回るような嫌悪感を誘う音が聞こえてきた。ドルフィンは一行の前進を
制して単独でライト・ボールを使って奥へ進んでいく。

「ドルフィン、気をつけて・・・。」

 リーナが後ろから不安そうに声をかける。ドルフィンは左腕を上げてそれに応える。
ジュル・・・ジュル・・・という音が近付いてくる。ドルフィンは躊躇なく音の方へ歩を進める。
 程なくライト・ボールの照明範囲内に音の主が入ってきた。魔物は触手がないローパーといった感じの外形をしており、体色は青色だが気泡のようなものが
彼方此方にある。魔物はゆっくりとドルフィンに近付いてくる。
しかし、ドルフィンは剣を抜こうとも、魔法を使おうともしない。代わりに右拳に力を込める。剣も効かない相手に素手で挑もうというのだろうか?
魔物がある程度近付いたところで、ドルフィンは目にも留まらぬ速さで駆け出して魔物に接近し、右拳を叩き込む。ドルフィンは拳を叩き込んで終わり、
ではなく、魔物の内部に見える赤い物体を掴んで握り潰す。すると魔物は、まるで水が入れ物から溢れ出すようにドバッと身体を崩して床に広げてしまう。

「スライムタイプの魔物か・・・。それにしちゃ、核の感触が違う。鉱石か何かか・・・?」

 ドルフィンは白煙が立ち上る右腕を気にもせず、その手で握り潰した赤い物体を観察する。溶けないところからすると、やはり生命体ではなく、何らかの
固形物のようだ。
ドルフィンは再びナルビアでの正体不明の魔物との戦闘を思い出す。これはザギの手によるものなのか?だとすると鉱山からある日突然湧き出してきた
理由の説明がつかない。
 洞窟は更に奥へ伸びている。元が鉱山だから奥深いことは十分想像出来る。再びジュル・・・ジュル・・・という音が聞こえて来る。しかも今度は複数だ。
背筋が寒くなるような嫌な音が洞窟内にこだまする。ドルフィンは更に奥へ進むかと思いきや、踵を返してアレン達のところへ戻って来る。

「ドルフィン・・・。」
「この物体の解析をしよう。今回は引き上げだ。」

 一行は魔物に追いつかれないうちに−もっとも魔物の進む速さは異様に遅いが−、洞窟から脱出した。
 柵を越えた一行はマリスの町に入った。町は活気に溢れている。此処はオアシスから発展した町らしい。砂漠でのオアシスは貴重な水資源の補給場所で
あると同時に、砂漠における公益の拠点や交流点ともなる。
 一行はプラカード・インフォメーションを見て手頃な宿への道を記憶して、ドルフィンを先頭にして進む。賑わう通りを進んでいくうち、一行の耳にある
共通した話が飛び込んで来る。

「本当にあの魔物はどうにかならないものか・・・。」
「町長は魔物を全滅させた者を娘の婿とするというが・・・、如何に町長の娘が美しくても、命には代えられん。剣が効かんのだからな・・・。」

 どうやら町の賑わいは、逆玉を狙う剣士や魔術師達で成り立っているらしい。主力産業の一つが不能になって活気が維持出来る筈がないが。
一行は、久しぶりのまともな食事と寝床にありつくべく、一先ず宿へ向かう・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

33)サルシアパイ:広葉樹のサルシアの実を使って作られた、アップルパイのようなもの。甘くて美味であるため、特に女性に好まれる。

34)ティンルー:カルーダ王国に群生するチャライという背丈1メールほどの常緑樹の葉を乾燥させて、湯を入れて(こ)濾して出来る飲み物。紅茶のような
もので、チャライの種類や収穫時期、混合するハーブなどによって様々な味が楽しめる。


35)ジェルディアス山脈:フリシェ語で「険しい」という意味の縦長の山脈。北ではハーデード山脈に繋がっている。

36)通過ペルに変換して:この世界での通貨変換は主に宿屋で行われる。その際手数料を取られる上、宿屋によって微妙に相場が違うので、旅行者は
それらを知った上で通貨を返還しないと思わぬ損をすることになる。


37)トナル大陸:サオン(フリシェ語で「静寂」の意味)海を挟んで、レクス王国やカルーダ王国などがあるナワル大陸の東に位置する大陸。

38)ペレー:メリア教勢力範囲で女性が着用するツーピースの普段着。上半身をすっぽり包む形で、下半身は裾が踝まである。

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