Saint Guardians

Scene 3 Act 3-4 潜入U-Infiltrating U- 決死の逃走、驚愕の姿態と能力

written by Moonstone

「う、うーん・・・。」

 小さな呻き声と共にリーナがゆっくりと目を開ける。まだはっきりしない意識で目の前に広がった光景を見て、リーナは絡まった記憶を整理する。

「えっと・・・確か夜自分の部屋に居たら突然変な奴等が入って来て、あたしは後頭部を殴られて気を失って・・・。気が付いたら猿轡されて金ピカの悪趣味な
鎧を着た仮面の男のところへ連れて行かれて、協力を拒否したらぶん殴られて牢屋に連れて行かれて・・・兵士に散々鞭でしばかれて、何時の間にか気を
失って・・・。で、此処は何処・・・?!」

 リ−ナは自分の上に人が乗っているのをようやく知って、反射的に跳ね除ける。リーナの上に乗っていたアレンは、向かいの壁に叩きつけられ、しこたま
背中と頭をぶつける。その衝撃で、アレンが呻き声を上げながら目を覚ます。
リーナは上体を起こし、アレンの上半身が裸であること、そして自分が下着姿であることを知って、頬を真っ赤に染める。そして憤怒の表情を露にして
アレンの首に両手をかけて怒鳴る。

「あんた!私が気を失ってる間に何したのよ?!この卑怯者!変質者!」
「うう・・・。気が付いたんだね・・・。」
「気が付いたもへったくれもないわよ!よくもあたしの純潔を奪ったわね・・・!殺してやる!」
「そんなこと・・・してない・・・。」
「今更言い訳する気・・・って、あんた、どうしたのよ?」

 リーナはアレンの反応が著しく精彩を欠いていることに気付いて、何となくその額に手を当てる。そして思いがけないその熱さに思わず手を引っ込めて、
アレンの首にかけていたもう一方の手も離す。

「す、凄い熱・・・。あんた、大丈夫なの?!」
「あんまり・・・大丈夫じゃない・・・。骨折ったし・・・。」
「骨折ですって?!」

 リーナはアレンの右足に添え木がされているのを見る。明らかに骨折した時の応急処置だ。アレンが青白い顔で浅く速い呼吸をしていることから、
リーナは急性の熱病にかかっていると診断する。薬剤師の勉強をしているリーナは、ある程度は病気の種類を診断出来るのだ。

「病気は治せないけど、足ぐらいは治してあげるわ。シルフ!」

 リーナがシルフを召還してアレンを指差す。すると数人現れたシルフがアレンの頭上で踊るように回り始め、アレンの身体が仄かに輝く。輝きが収まり、
シルフが空気に溶け込むように消えた後、アレンの骨折は完全に回復していた。

「あ、ありがとう・・・。痛みがなくなったよ・・・。」
「そんなことは良いわよ。それよりあんた、私を助ける為に人肌で温めるって方法をとったのね?」
「それしか・・・思いつかなかったし・・・魔法が・・・使えない俺には・・・それしか方法がないと思ったんだ・・・。」
「此処は何処なの?」
「ナルビアの・・・城の崖下に広がってる森の中・・・。雨に降られて困ってたら、偶然此処を見つけて・・・。」
「じゃああんたは・・・崖からあたしを抱いて飛び降りて、その拍子に右足を骨折したっていうの?」
「・・・そう。正確には・・・叩き落されたんだけどね・・・。」
「・・・骨折した足とあんたの性格からするに、あたしが気を失ってる間に純潔を奪ったんじゃないみたいね。あたしがあの牢屋の外に居るのも・・・あんたが
助けてくれたからなのね?」
「一応ね・・・。」

 憤怒に溢れていたリーナの表情が話を進めていくうちに穏やかなものになり、そして申し訳なさそうなものになる。自分の身体を見ると、鞭で打たれて
出来た筈の無数の裂傷や痣が消えている。これもアレンが治したのだと直感する。リーナは言い難そうにもじもじして、独り言のように言う。

「・・・危険なことしてまで助けてくれたのは・・・感謝するわ。それに・・・疑ったりして・・・御免。あ、あんたも悪いんだからね。上半身裸で私に
乗りかかってたんだから・・・てっきり・・・純潔を奪われたかと思ったのよ・・・。予めちゃんと説明してよね・・・。」
「完全に気絶してたのに・・・どう説明・・・しろって言うんだよ・・・。」
「それくらい減らず口が叩けるなら大丈夫ね。さ、これからどうするの?」
「あ、『赤い狼』の・・・支援部隊が・・・鍾乳洞の入り口で待機・・・してるんだ・・・。そこまで・・・行かないと・・・。」
「『赤い狼』?あんた、何時あいつらと手を組んだのよ?」
「せ、説明は後で・・・するから・・・。兎も角・・・支援部隊のところへ・・・。」
「・・・分かったわ。」
「そ、それから・・・俺の皮袋にかけてある服・・・着て良いから。もう・・・結構乾いてると思うし・・・。」
「あたしの服はあの人攫い共に鞭打ちされてる間に千切れちゃったから・・・あれって、あんたの?」
「そう・・・。下着姿で・・・放っておくわけには・・・いかないだろ?」
「なかなかレディファーストがなってるじゃない。」

 リーナはアレンの皮袋に掛けられていた服を着る。上着だけだが、リーナの背がアレンより低いことが幸して、着ると腰まで隠せる。袖が長いのは適当に
捲り上げれば良いことだ。

「これで良し、っと。それじゃ、さっさとその支援部隊とかいう奴等が居る所まで案内してよ。」
「こ、この森の中じゃ・・・探すのが難しい・・・。」

 アレンの無責任といえば無責任な言葉に、リーナは表情を険しくして詰め寄る。

「あんたねえ!支援部隊か何だか知らないけど、場所分からなかったら意味ないでしょ?!」
「し、仕方ないだろ・・・。行きは支援部隊と俺が・・・入ってる潜入部隊と合同で行ったんだし・・・、そこが森のどの地点かなんて・・・聞いてなかったんだ・・・。
元々・・・俺の行動が計画から・・・外れてるんだから・・・。」

 リーナはアレンを責めようにも、身を挺して自分を助けた相手に向かってはそうし辛い。ましてやアレンは病に冒されている身。病人に鞭打つようなことは
良心が許さない。リーナはふう、と溜息を吐くと、皮袋を背負ってアレンの右腕を自分の肩に回す。皮袋は意外に重いが、そんなものを病人に背負わせる
ほどリーナは非情ではない。

「さ、立って!方向くらいは分かるんでしょ?」
「な、何とか・・・。」
「それにしても重いわね、この皮袋。何が入ってるの?」
「食料とか・・・水とか・・・薬とか・・・。」
「薬?じゃあ熱冷ましとかもあるんじゃないの?」
「そうかもしれない・・・。」
「あー、もう!だらしない男ね!しっかりしなさいよ!」

 リーナはアレンの右腕を離して壁に凭れさせると、背負っていた皮袋を下ろして紐を解く。中には食料に加えて小さな薬瓶が詰まっている。薬瓶の中には
空のものも多数ある。リーナは空の薬瓶を取り出してラベルを見る。見覚えのある筆跡で調薬した人物を瞬時に察する。

「これ・・・お父さんの字・・・。そうか・・・。あたしの傷を完全に消せるくらい効能の高い薬はお父さんくらいしか作れないもんね・・・。」

 リーナは薬瓶を弄って、「熱冷まし」とかかれたラベルのある薬瓶を取り出して蓋を開ける。調合に用いられた薬草の強烈な匂いが狭い洞窟内に広がる。
思わず口と鼻を押さえたリーナは口で息をしながら−それでも薬の匂いは感じられてしまうのだが−さらに皮袋を弄って水筒を取り出し、取り外したコップに
水を注いで薬瓶の中に入っている赤黒い粉末を放り込んで指で掻き混ぜる。そして早く浅い呼吸を繰り返すアレンの口元にコップを突きつける。

「ちょっと苦いけど、効き目はそれなりにあるから我慢して飲みなさい。」
「あ、ああ・・・。」

 アレンは薬を飲もうとするものの、火照り続ける全身からは完全に力が抜けていて、手どころか口を動かすのがやっとという状態だ。その鈍重な動きに
痺れを切らしたリーナは、アレンの口を開かせて頭を後ろに傾け、薬を溶かした水をアレンの口に流し込む。匂いに負けずとも劣らない強烈な苦味がアレンの
口いっぱいに広がるが、アレンは我慢して飲み込む。
 アレンが全て飲み込むまでコップを傾けたリーナは、コップに水を再び注いで軽く振って水を捨てる。薬の匂いがコップに残るのを防ぐ為だ。コップを
水筒に取り付けて空になった薬瓶と共に皮袋に仕舞い、それを背負ってリーナはアレンに問い掛ける。

「どう?多少は楽になったでしょ?」
「前よりは・・・。で、でも・・・身体に力が入らない・・・。」
「えーい!どこまでもだらしない男ね!しっかりなさい!ほら、立つのよ!」

 リーナはアレンを叱咤しながらその右腕を自分の方に回し、アレンを懸命に立たせる。アレンはリーナに右半身を引っ張り上げられるように身体を起こす、
否、起こされる。リーナは歯を食いしばりながらアレンを支えつつ洞窟を出る。周囲を見回してみるが、追っ手らしい人影は見当たらない。

「ドルゴが使えりゃ良いんだけど・・・この森じゃ無理ね・・・。」

 リーナは悔しそうに呟く。木々がびっしりと生い茂るこの森の中でドルゴを使って走ろうものなら、たちまち幹と正面衝突してしまうだろう。スピードを
落としたとしても、この木の間隔では方向制御が精一杯で歩いていくのと大差ない。

「仕方ない。歩くしかないわね。あんた、方向はどっち?」
「む、向こうの方・・・。」

 アレンは洞窟の穴が口を開けている方向と正反対の方向を指差す。

「分かったわ。あんたも少しは力入れなさいよ!重くて仕方ないじゃないの!」
「そ、そうは言っても・・・。」
「ったく、だらしないわね!そのうち楽になってくる筈だから、しっかり歩きなさいよ!死にたくなかったらね!」
「わ、分かった・・・。」

 息も絶え絶えという状態のアレンはそう言うのが精一杯だ。リーナは背中と左半身に掛かる重さに翻弄されながらも、懸命にアレンが指し示した方向へ
歩を進める。歯を食いしばりながらリーナは後ろを振り返り、追手が居ないのを確認することを繰り返す。
 折れた右足を引き摺り、皮袋を背負い、更に自分を抱えて此処まで来た上に、骨折の激痛に耐えながら−自分には経験がないから想像の域を
出ないのだが−自分を介抱したアレンに一言労いの言葉を掛けたいと思うが、どうしてもそれが喉から出て来ない。それよりも叱咤する言葉がすらすら
出て来る自分が、リーナはやけに嫌に思えてならない。こんなもどかしい感情は初めての経験だからだ。
 何故そこまでして自分を助けたのだろう?自分の父親を見捨ててまで−実際は止むを得なかったのだが−。
アレンにしてみれば、自分は攫われる直前に口論し、挙句の果てには頬を殴打し合った、憎むべき存在の筈だ。なのに、満身創痍の身で自分を助け出し、
介抱までした。服まで貸してくれた。リーナにはアレンの行動が理解し辛く、その理解不能の感情が胸の中でモヤモヤと漂う。単なるお人好し、と片付ければ
済むことだろう。でも、そうはしたくないと思う自分が確かに居る。
 自分自身、アレンを見捨てて逃走する術を考えることなく、アレンの骨折を治し、熱冷ましを飲ませ、現にこうして引き摺るようにではあるがつれて
歩いている。今までの自分だったら、こんなことはしなかった筈だ。なのに何故・・・アレンを介抱して重さに耐えてまでつれて歩いているのだろう?
リーナは理解不能な自分の感情と行動を疑問に思わずにはいられない…。
 暫く進んだところで−距離にしてみれば20メール進んだかどうかというところだろうが−、熱冷ましの効力が本格的に発揮され始めてきたのか、アレンの
足に力が入り、リーナに支えられてではあるがどうにか歩けるようになった。左半身に掛かる重みがかなり減ったことで、リーナは進む速度を速める。
自分自身体力溢れる方かと問われればそうではないと言う他ない程度だし、少なくとも自分より背も高く、体重もあるアレンを引き摺って進むのは辛い。
そんな時に「負荷」のアレンがどうにか歩けるようになったことは、リーナにとって幸いなことこの上ない。

「ちょっとは良くなってきたみたいね。」
「ああ・・・。身体に多少力が入るようになってきた。」
「お父さんが調合した薬は効能抜群だからね。あんたの病気がどの程度のものかまでは医者じゃないから詳しくは分からないけど、あの薬飲んでこうして
歩けるようになったところを見ると、それ程重症じゃないと思うわ。あとは安全なところへ行って、もう一回さっきの薬飲んで温かくして充分休養を取れば
大丈夫だと思う。」
「へえ・・・。詳しいね。」
「一応、薬剤師目指して勉強中の身よ。その辺の凡人とは違うわ。」
「成る程・・・。」

 そうこう言って前進を続ける二人の耳に雑音が届いてきた。雨はすっかり上がっている。動物や魔物が動いて生じる音ではない。明らかに人間の声が
混じっているからだ。

「・・・だ?・・・ちは。」
「居ない。・・・おくへは逃げられない・・・だが・・・。」

 アレンとリーナは、それが追っ手の声だと直感する。一刻も早く逃げないことには、見つかって追撃を受けるのは火を見るより明らかだ。
二人は懸命に声が聞こえなくなるところまで逃げようとするが、それより物音が近付いてくる速さの方が圧倒的だ。無理もない。アレンは多少回復したとは
いえ、まだ自力では歩けない状態だし、それを支えて歩くリーナはスイスイ進めるというには程遠いのだから。焦る二人の不安はやがて現実のものになる。

「あっちを見ろ!赤と黒が見えるぞ!」
「間違いない!例の二人だ!追うぞ!」
「魔術師は後方から二人を足止めしろ!殺さない程度にな!」
「了解!」

 リーナが後ろを振り返ると、重装備の兵士達がじりじりと迫って来るのが見える。事態は最悪へ刻一刻と迫っている。だが、病気に冒されたアレンを
支えて前へ進むのがやっとのリーナはどうしようもない。歯噛みするリーナに、アレンは助言する。

「・・・しょ、召還魔術で奴等を追い払うんだ・・・。」
今あたしが使える召還魔術じゃ、木が邪魔になって思うように迎撃出来ない21)わよ・・・。」

 現状では唯一の迎撃手段であるリーナの召還魔術が満足に使えないとなると、黙って捕まるしかないのか?そんな嫌な予想が現実味を帯びてきた
ところで、二人は後方から魔力の集中を感知する。生い茂る木々が次々となぎ倒され、アレンとリーナの背後がほぼ完全にがら空きになる。魔術師が
魔法で、障害物である木々を除去して追撃を容易にしたのだ。さらに二人は魔力の集中を感知する。恐らく、否、間違いなく自分達を狙っているのだろう。
 木々の間に隠れようにも、満足に歩けないアレンとそれを支えるリーナでは間に合いそうにない。リーナが張れる結界の強さでは、来るであろう魔法を
相殺出来そうにない。レイシャーで迎撃しようにも、横に広い陣形で詰め寄ってくる追っ手を撃退するには時間がかかるだろう。どれだけの数だか
分からない。迎撃している間に残った追っ手に追いつかれてしまう危険性もある。ローウォーで防御したら解除しない限りその場から動けないから、追っ手の
思惑どおり足止めを食らうことになる。
 火の玉や光の弾丸、それに雷が一斉に二人目掛けて飛んで来る。直撃する、とリーナが思った瞬間、アレンがリーナの腕を払い除け、木々の陰に
突き飛ばす。次の瞬間、アレンが放出された魔法全ての直撃を正面で浴びて、身体の彼方此方から黒煙を上げつつ声もなく前のめりに倒れ伏す。
 リーナは突然のことに少し戸惑ったが、アレンがうつ伏せになって彼方此方から黒煙と白い煙か湯気のようなものを同時に噴出しているアレンを見て、
慌てて駆け寄りアレンの身体をひっくり返す。ハーフプレートの彼方此方に皹(ひび)が入っていて、素肌が剥き出しの顔や腕、それに足からと全身隈なく
魔法を浴びた痕跡がある。リーナはその惨状に愕然とすると同時に、魔法の直撃を受けて重度の火傷や外傷を負った部分が、白い煙か湯気のようなものを
立ち上らせながら徐々に治癒していくのを見て我が目を疑う。それは紛れもなく自己再生能力(セルフ・リカバリー)が発動している証拠だからだ。

「ちょ、ちょっと、あんた、大丈夫なの?!」
「・・・。」
「しっかりなさいよ!こら!傷がちょっとずつ治っててるじゃないのよ!」
「・・・。」
「ちょっと!ねえ!しっかりしてよ!アレン!」
「・・・は、初めて名前呼んでくれたね・・・。」

 リーナの呼びかけに、ようやくアレンが応答する。リーナはまたしても我が身を挺して自分を守ったアレンに向かって叫ぶ。

「馬鹿!名前呼んだからってどうなるっていうのよ!」
「・・・リーナ。こ、これを・・・持って・・・逃げてくれ・・・。」

 アレンは腰に装着してある愛用の剣を鞘ごと取り外してリーナに手渡す。

「これは・・・奴等に渡しちゃならないんだ・・・。頼む・・・。早く・・・逃げて・・・。」
「け、剣一本と引き換えにあんたを見捨てて逃げろって言うの?!」
「奴等の真の目的は・・・その剣を奪うことらしいんだ・・・。だから・・・それを持って・・・早く逃げて・・・。」
「自分がどうなっても良いの?!あたしに剣を託して安心して捕まるつもり?!」
「俺は・・・病気にかかって足手纏いになるだけ・・・。さ、早く・・・。迎撃が来る前に・・・。」

 アレンはそう言い残して気を失う。リーナは剣を抱え、アレンに軽蔑の視線を向けながら吐き捨てる。

「とことん馬鹿な奴。自分を犠牲にすれば良いと思ってるんだから・・・。お言葉に甘えてこの隙に逃げさせて貰うわよ。」

 リーナは立ち去ろうとするが、心からの問いかけが足を止める。

『それで良いの?』

「・・・良いに決まってるじゃない。こいつがそう言ったんだから。」

 心からの問いかけにそう呟くことで答えて立ち去ろうとするが、どうしても心からの問いかけが足を掴んで離さない。それどころか、頭の中に次々と
これまでの記憶や話に聞いた光景が映像となって鮮明に浮かび上がってくる。
アレンが気を失っていた自分を抱え、折れた右足を引き摺って更に皮袋を背負って雨の中を歩く様子。
アレンが骨折の激痛に耐えながら自分の傷を綺麗に治療する様子。
それらの映像と倒れているアレンが重なった瞬間、リーナは真剣な表情で追っ手の方を向く。そして何を思ったか、アレンを後ろに回す形で仁王立ちして、
リボンを取ってポニーテールを解く。長い黒髪がふわりと宙に舞い、腰にまで達する。水分を含んだそれが木漏れ日を乱反射して鮮やかに輝く。
 足止めのための魔法がリーナ目掛けて突進してくる。しかし、魔法はリーナの1メールほど手前で結界もないのにかき消されてしまう。リーナはフン、と
鼻で笑った後、屈んで後ろを振り返り、アレンの様子を窺う。アレンの身体からは黒煙が殆ど消え、相変わらず白煙のようなものが彼方此方から立ち上って
いる。数回軽く頬を叩くが全く反応はない。完全に気を失っているようだ。リーナはそれを確認して再び立ち上がり、迫り来る追っ手を睨みつける。
追っ手はリーナが観念したのだと思い込み、悠々とリーナに近付く。
 数ミム後、追っ手の兵士達がリーナと3メールほどの間隔を置いて対峙する。魔術師達もその背後に勢揃いする。兵士達はリーナの足元後方にアレンが
倒れているのを見て、勝利を確信した嫌らしい笑みを浮かべる。

「良い子だねぇ。逃げられないと思って観念したか?お嬢ちゃん。」
「御生憎様。あんた達に降伏するくらいなら豚の餌になった方がましよ。」
「おいおい。まさかその格好で俺達を倒すつもりなのかい?」
「そのまさかよ。」

 リーナの言葉に、兵士達と魔術師達は大笑いする。

「あーはっははははは。冗談にしてはなかなか面白いねぇ。」
「でも無理な話だよ。この鎧をどうやって切り裂くんだい?まさか鋏(はさみ)でなんてこと言わないよね?」
「鋏なんか使わないわよ。あんた達なんてこの手一つで充分。」

 リーナが右手を掲げて言うと、兵士達の表情が次第に険しくなる。

「お嬢ちゃん。冗談も程々にした方が良いぜ。俺達の装備が見えないのか?」
「少々痛い目に遭ってもらって、大人の厳しさを理解してもらわないといけないな。」
「大人?だから何だって言うの?何も出来ないくせに。ぎゃあぎゃあ喚いてないで、とっととそのお飾りの武器構えてかかって来たら?」

 リーナの挑発的な言葉に、兵士達の怒りが一気に頂点に達する。兵士達が各々武器を構えてリーナ目掛けて突進してくる。

「このガキ!覚悟しろ!」

 しかし、リーナは何ら臆することなく、右手を広げて斜め下に向ける。そして兵士達がリーナとの距離を2メール以下に縮めた瞬間、リーナが右手を
右から左へと大きく払う。リーナに襲い掛かった兵士達の上半身に、横に5本の線が走り、兵士達はリーナの前でバラバラになって地上に崩れ落ちる。
残された後衛の兵士達と魔術師達が、崩れ落ちていく兵士達の身体の向こうに見えてくるリーナの姿を見て驚愕する。リーナの爪は象牙色に長く鋭く伸びて
死神の鎌のように湾曲し、頭には冠のように象牙色の角が生えている。右手の指からは鮮血が滴り落ち、リーナが何をしたかを雄弁に物語っている。

「何も出来なかったわね。言ったどおり。」
「な、何だ?あいつは・・・。」
「あ、あの長い爪、あの角・・・。ま、まさか・・・あの小娘は・・・。」
「あたしがどうして拉致されたか知ってれば、この場で命落とさずに済んだのにね。」
「こ、殺せ!全力で殺せ!」

 魔術師の号令で兵士達は一斉にリーナ目掛けて突進し、魔術師達は自分が使える最強の魔法の呪文を唱える。リーナは冷たい笑みを浮かべて
突撃する。
 それはまさに一瞬だった。
リーナとすれ違う瞬間に兵士達は鎧ごとズタズタに切り刻まれて地上に散開し、呪文詠唱中の魔術師達は魔法を発動させることなく瞬く間にリーナの爪の
餌食になった。あたりには血の匂いが立ち込め、兵士達と魔術師達の肉片が血の海に島のように浮かんでいる。
 リーナは周囲を見回して他に追っ手が居ないのを確認して、爪と角を引っ込めてアレンの元へ戻る。アレンの傷はかなり回復しているが、まだ意識は
戻っていない。リーナは小さい安堵の溜息を吐いて立ち上がって呟く。

「あの姿になったのは10年ぶりくらいかしらね・・・。アレン、あんたには結果的に悪いことしたけど、あんたにあの姿を見られるわけにはいかないのよ・・・。
もう・・・化け物扱いは御免だから。」

 リーナの表情からは険しさや冷たさが消え、悲しげななものになっている。リーナは気を取り直して、サラマンダーを召還して命令する。

「左腕に赤いリボンを巻いた『赤い狼』って名乗る集団がこの森の何処かに居るらしいから探して頂戴。探し出したら此処まで案内して。」
「仰せのとおりに。」

 サラマンダーはふわりと宙に浮き上がり、あっという間にリーナの視界から消える。リーナは髪をポニーテールに戻すことなく、アレンの傍で『赤い狼』が
救援に来るまで周囲の警戒を続けることにした。血の匂いを嗅ぎつけてどんな動物や魔物が来るか分からないからだ…。

用語解説 −Explanation of terms−

21)今あたしが使える召還魔術じゃ、・・・:リーナがこの時点で使える召還魔術で最強の召還魔術は恐らくレイシャーだと思われる。レイシャーは光同様、
直進するタイプの魔物であるから、鏡など光を反射するものでないと方向を変更出来ない。


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