Saint Guardians

Scene 3 Act 2-1 共同-Collaboration- 二つの意思に生じる断層

written by Moonstone

 ランプの光だけが昼夜問わず煌煌と照らす狭い石造りの室内に、絶え間無い鞭の音と共に時折短い苦悶の声が響く。
要塞と化したレクス王国の首都ナルビア。強権の牙城として聳える城の内部に作られた牢屋の一室からその音と声は発せられている。
自らの権力を侵そうとする者、そうでなくとも自身がそう感じたものを徹底的に排斥する為に、国王が急遽増設を命じた広大な牢屋では国王の側に立って
囚人を責め立てる兵士が振るう鞭の音と苦悶に喘ぐ囚人の声が聞こえるのは何ら珍しくない。むしろ、強権が存在する国家や集団においては形式や程度の
違いはあっても、こうした粛正の存在は常識的なものだ。権力は強大で絶対的であればあるほど、それを握るものを臆病にさせる。
 しかし、この部屋だけは少々勝手が異なる。容赦無く鞭を振るうのは他の兵士達と同じ黒色だが形状が全く異なる鎧を着た兵士であり、責苦を受けるのは
長い黒髪と大きな黒の瞳を持つ少女−リーナである。政治犯として投獄された市民の中には女性や子どもも多分に含まれるが、リーナのように毎日、
それもこれほど激しく責め立てられるようなことはない。逆に言えばそれだけ、リーナへの責苦は執拗且つ激烈さを極めているということだ。

「さあ!いい加減我々の仲間になると宣言しろ!」
「・・・嫌よ。」
「懲りん奴だな。」

 口元を歪めた兵士がリーナ目掛けて鞭を目茶苦茶に振り下ろす。苦悶の声すら上げる間も無い鞭の乱打に、苦しげにうめき、表情を歪めていたリーナは
次第にその反応が鈍くなる。兵士が鞭の手を休めた頃には、天井からの鎖で両手首を、壁からの鎖で両足首を固定されたリーナは下を向いてぴくりとも
動かない。
 兵士はリーナを気遣う様子を欠片も見せず、足元に置いてあった桶の水をリーナに乱暴に引っかける。リーナは目を開けるが顔を上げることも出来ず、
肩で息をするだけである。兵士が再び鞭を振るおうとした時、それまで壁に凭れて腕組みをして押し黙っていた仮面の男が言う。

「まったくしぶとい奴だな。他の奴はこんな事をせずとも喜んで仲間になったというのに。」
「・・・そいつらは・・・群れを・・・作らないと生きて・・・いけない・・・からよ・・・。あたしは・・・違う・・・。」
「愚かなまでの孤立主義だな。まあ、多かれ少なかれ、N計画の対象者に共通する性格だが。」

 仮面の男はリーナの元に歩み寄り、その顎を右手で持ち上げて自分と向き合わせる。顔にも鞭の直撃を何度か受けて筋状の痣が浮かぶリーナの気力
だけで持ち堪えているような顔と、表情を読み取れない仮面が至近距離で向き合う。

「前にも言ったが・・・私はお前を傷つけることが目的ではない。お前が我々と手を組む気にするのが目的だ。」
「ここまで・・・やっといて・・・よくもまあ・・・。」
「お前があまりにもしぶといからだ。素直に承諾していれば良いものを。」
「・・・拉致しといて・・・そんなこと・・・言える・・・立場なわけ?」
「私はお前の為を思って言っている。我々の仲間になれば、もう孤立することはない。他の対象者は皆、仲間が見付かったことを殊のほか喜んでいる。」

 仮面の男の言葉に、リーナの瞳に宿っていた感情が膨れ上がる。眉が吊り上り、鋭さを増したその瞳には、責苦を受け続けて来た者とは思えない程の
迫力がある。

「・・・あたしを・・・そんな弱い奴等と・・・一緒にするな・・・。」
「まだ、その気にはならないようだな。」
「あたしに・・・きちんと頼むことね・・・『お願いです。無力な我々に力を貸して下さい』ってね・・・。」

 リーナが口元に強気の笑みを浮かべると、仮面の男は投げ捨てるようにリーナの顎から手を離す。支えを失ったリーナの首が再び下を向くと、仮面の男は
兵士に何やら耳打ちして部屋を出ていく。今度は兵士が、リーナの黒髪を掴んで強引に顔を挙げさせて、仮面の男からの伝言を伝える。

「仲間になりたいと言うまで、もっと痛めつけろとのお達しだ。覚悟しろよ、小娘。」

 嗜虐の悦びに目覚めたのか兵士は嫌な笑みを浮かべるが、リーナは恐怖に怯えることはない。仮面の男と同じ様に、傷だらけになったその身体の何処に
秘められているのかと思うほどの迫力で兵士を睨み付ける。

「あんたの・・・踊っているような鞭で・・・私を・・・痛めつけるなんて・・・笑えるわ・・・。」

 兵士の口元に浮かんた笑みが強張り、徐々に怒りで歪んでいく。連日鞭を振るっているにも関わらず未だ屈服の様相を見せないことは勿論、その責苦を
嘲笑すらするリーナに対する怒りだ。
 兵士は床に叩き付けるようにリーナの髪から手を離すと、撓んだ鞭を両手でぐいと引っ張る。幾度となくリーナの肌を打ち、所々に赤い斑点が浮かぶ
鞭がパシンと乾いた音を立てる。

「その減らず口が何時まで叩けるか、見物だな!」

 兵士が力任せにリーナに鞭を振り下ろすと、部屋に苦悶のうめき声が響く。鞭が肌を打つ音の感覚が広がった代わりに、その音と声は響きを大きくして
石造りの冷たい空間に広がる…。
 アレン、フィリア、そしてドルフィンの一行が『赤い狼』の本部に到着した日の夜。睡眠不足のまま蛇行する山道を高速で疾走したことで車酔いならぬ
ドルゴ酔いをしてしまったフィリアも無事回復し、一行が案内された部屋で用意された食事を摂りながら『赤い狼』との共闘関係締結の話をアレンから
聞かされた。このまま一気に敵の本拠地突入と思っていたのかフィリアは最初こそ多少意外そうな顔をしたが、事情を説明されて納得したのか何度も頷く。

「うーん・・・。確かに人質になってる小父様の身の安全や今後のことを考えたら、そういう戦略を取った方が確実よね。」
「本当はフィリアも会議の場に居てもらった上で決めたかったんだけど・・・。」
「良いわよ。だってアレンが決めたことだもん。余程無茶なことじゃない限りあたしが反対する筈ないでしょ?」

 フィリアが笑顔を見せたのを見て、アレンは内心胸を撫で下ろす。会議に同席したドルフィンからはその場で全権委任を言われたが、フィリアには何も
言っていなかったことが引っ掛かっていたのだ。

「・・・問題はこれからだ。」

 ドルフィンが口を開く。フィリアは勿論、判断を自分に一任したドルフィンがその判断にまだ異議を持っているようなことを言ったことに、アレンは少し驚くと
同時に疑問に思う。

「共闘関係を結んだことで全てが終わったわけじゃない。」
「・・・どういうこと?」
「すんなり上手く行くとは思わない方が良いってことだ。」
「それって・・・共闘関係を持ち掛けた『赤い狼』があたし達を裏切るってことですか?」
「意図的でなくても結果的にそうなる可能性もある。」

 ドルフィンの口から出た衝撃的な予測に、フィリアが驚くのは勿論、アレンに至っては思わず身を乗り出す。『赤い狼』との共闘関係の締結を決断した
当事者であるアレンは疑問を抱かずにはいられない。今回の一件を持ち掛けた『赤い狼』が自分達を裏切るとは思えないし、それよりも自分に全権を
委任したドルフィンが今になって自分の判断にけちを付けるようなことを言ったからだ。

「・・・意外そうだな。」
「当たり前じゃないか!どうしてそんな予想になるんだよ?!予想するのは自由だけど、ドルフィンはあまりにも暗部を見過ぎじゃない?」
「暗部というか・・・色々な状況を考えるのは性分なんでな。」
「それって箪笥の隅を突く9)ようなものだよ!ドルフィンの言うことは正論が多いけど、今回は納得いかない!」

 アレンは何時になく激しい口調でドルフィンに詰め寄る。フィリアから見てもドルフィンへの憧れを感じさせるアレンが、初めてドルフィンと対立する
ような姿勢を見せたのだ。フィリアには少々意外に思えるが、アレンの険しい表情がこの場の只ならぬ雰囲気を悟らせる。ドルフィンはしかし、アレンから
向けられた感情に反発して同質の感情を生じさせることはなく、あくまでも普段どおり冷静である。

「俺はお前の判断に今更難癖を付けるつもりはない。判断を任せるといったのは他ならぬ俺だしな。」
「だったら・・・!」
「だが、お前が共闘関係を締結した相手は『赤い狼』の代表者であって、『赤い狼』全員じゃないってことは覚えておいた方が良い。」
「言ってる意味が分からない!ちゃんと説明してよ!」
「俺とお前二人でも簡単にこの状態だ。何百人単位の『赤い狼』でこういう状態がないと考えられるか?」
「?」
「代表者というのはあくまで肩書きだ。その肩書きを持った者の意見が全員の意見と考えるのは、大きな集団や組織になればなるほど適切じゃない。」
「・・・内部分裂の可能性があるということですか?」

 ドルフィンから投げかけられた疑問の意味がよく分からずに首を傾げるアレンに代わって、フィリアが言う。

「分裂とまでは行かんと思うが・・・決定に反する行動を取る可能性はある。」
「え?それって内部分裂と同じじゃないの?」
「分裂は完全に意図する方向が違う向きがある集団の中で発生すると起こる現象だ。これはこれまで国王勢力の激しい弾圧にも関わらず勢力を維持、
場所によっては拡大さえして来た『赤い狼』で、今それが起こる可能性は非常に低いだろう。だが、意図する方向が同じでも、その手段が違うことに
納得しかねて決定を敢えて無視したり、決定に反する行動を取ったりする可能性はある。方向性の違い故の分派行動と言うところか。」
「まだ・・・よく判らないんだけど…。」

 漠然とだがドルフィンの意味することが分かり始めたフィリアとは対照的に、アレンは未だ首を傾げている。

「じゃあ、順を追って説明するか。俺が知る限り『赤い狼』はこれまで目的が違うものと一致点を探ろうという組織じゃなかった。俺が居候させてもらっていた
リーナの家−フィーグさんが代表を務めるミルマ商工連と『赤い狼』は経済面で目指す方向は一致していたし、『赤い狼』が実際に共闘を持ち掛けてきた
ことはあった。しかし共闘が締結されることはなかった。何故だと思う?」
「・・・判らない。」
「『赤い狼』は自分達が至上のものとする目的、即ち王権打倒と主権在民で一致することが第一だと譲らなかったからだ。ミルマ商工連はあくまでも大商人や
工場主と国王勢力との癒着に反対して経済運営の公正を求めるだけで、王権打倒までは想定してなかった。俺も会合に同席したことが何度かあるが、
経済運営さえ公正になれば王権はあっても良いという意見もかなりあったくらいだ。しかし、『赤い狼』はそれを容認せず、共闘関係を結ぼう、その代わり
そちらが譲歩しろと一歩も引かなかった。フィーグさんもそういう経緯があって、ミルマ商工連としては『赤い狼』と共闘しないと言い返したことがあるくらいだ。」
「じゃあ、今の『赤い狼』のやってることは随分柔軟じゃない?俺達は父さんやリーナを救出するのが目的で、王権打倒を目指すって言う『赤い狼』とは
目的が違うのに、人質救出もするから一緒にやろうって・・・。」
「そう、それは『赤い狼』内部で大きな方針転換があったということだ。『赤い狼』が俺に付き纏ったことや今回の招聘に代表者が関わっていることからして、
恐らくそれなりの意思統一があったんだろう。だが、それが『赤い狼』全員の意志かどうかは別の話だ。」

 ようやくドルフィンの言いたいことを把握したアレンは、はっとした表情を見せる。
確かにアレンは共闘関係を締結した。しかし、それは代表者リークとの間で交わした約束事だ。それを以って『赤い狼』全員の意志が、自分達への「同化」を
第一にしていたこれまでの方針から何の未練も無しにすぐさま一転する訳ではない。
 これまでどんな弾圧を受けようとも決して信念を譲らなかったことをいきなり否定されるようなことに、違和感を抱くも居るだろう。或いは自分が
関与しない会議で、それも自分の信念を変えろと迫るような決定がなされたことに反発を感じる者も居るだろう。
代表者の意志や行動が、即ちその組織や集団全てのものであると考えるのは適切ではない。人が複数になればその数だけ意見や考え方があり、それは
目的を同じにする組織や集団であってもそれは同じなのだ。

「結果的に裏切る可能性っていうのは・・・俺達との共闘関係に不満を持つ人が作戦を無視したりする可能性があって、その時は結果として俺達に不利な
状態になるってことなんだね?」
「そういうことだ。お前の言うように箪笥の隅を突つくようなことには違いないが、実際の行動の時には用心するに越したことはない。一歩間違えれば
危機的状況に追い込まれることも有り得るからな。」
「・・・俺の判断は・・・間違ってたのかな?」

 ドルフィンの意味するところは分かったものの、それはアレンにとって自分が下した決断に対する迷いを再興させることになった。場合によっては新たに
敵を増やすことになる可能性を作った、言うなれば爆弾を間近に置くようなことを自分が決断して良かったのか?
別の意味で険しい表情になったアレンに、ドルフィンはやはり冷静さを崩さずに答える。

「それは結果でしか分からん。共闘が何ら滞りなく進むかもしれないし、突入直前で裏切りを食らうかも知れん。どう転ぶかはそれこそ神のみぞ知るって
やつだ。」
「・・・俺は・・・。」
「ただ、俺の見解として言うなら・・・現時点までの状況を踏まえれば、お前の判断は適切だと思う。」

 ドルフィンの一言を聞いて、アレンは心に立ち込めていた霧が晴れていくのを感じる。やはりアレンが一番の引っ掛かりを感じていたのは、こういう
判断を下すのに最も適任だと思うドルフィンの意志を確認せずに自分一人で判断を下したことだ。自分の判断とドルフィンの見解が一致していたことが
分かってその引っ掛かりが解消されると同時に、アレンは急に後悔の念に襲われる。
 ドルフィンの意味することが理解できなかったとは言え、自分に判断を一任しておきながら、後になって自分が下した判断にけちを付けられたと
思い込んだことで、思わず感情的な物言いになってしまった。何百人という一大組織と共闘すると言い出しながら、たった二人の仲間の一人と自ら対立の
構図を創り出してしまった。こんな自分がパーティーの行動を決断するような大それた事をしても良かったのか、とアレンは思う。

「・・・御免、ドルフィン。判断を任せるって言っておきながら今更どうして、って思ったらつい感情的になっちゃって・・・。」
「気にしなくて良い。俺も舌足らずだったから今更何を言うか、と思われても無理はなかったな。」

 ドルフィンはこれまでとは違って柔らかい表情で言う。

「今日の会議の時・・・イアソンとかいう奴が言った考察に周囲から集中的に質問や異論が出たのを覚えてるか?」
「うん。」
「だが、イアソンは決して取り乱さずに出された疑問や異議に丁寧に答えた。あれは疑問や異議が出ても仕方がないような大胆な仮説だったということも
あるが、それよりもイアソンが個人攻撃と思わなかったことが大きい。あそこでイアソンが逆上したら、とても会議どころじゃなくなってただろう。」
「・・・そうだね。」
「個人の人格に対する攻撃には怒りを感じても当然だ。だが、意見や行動は個人の人格とはまた別だ。その辺の見極めも出来るようになると良い。」

 アレンは少し恥ずかしそうに頷く。まだまだ人を引っ張っていくには程遠いことを実感すると同時に、感情的になった自分に大して同じように感情的に
応戦することなく理論的に自論を展開したドルフィンの度量の大きさを改めて実感する。
 年齢はそれ程違うわけではない。一般に言えばドルフィンもまだまだ「若僧」と時に軽んじられる年齢だ。しかし、ドルフィンを見ていると、年齢と人格が
必ずしも正比例しないものだとアレンは思う。満年齢で5つの差がこれほどの内面の差を生じるのはどういう時なのだろう?アレンは自分が今のドルフィンの
年齢に達した時、果たして同じ様な度量を身につけているのか疑問に思う。
少なくとも・・・ただ待っているだけではどうにもならないことは分かる。自分から進もうとしない限り自分が望むことが起こり得る可能性は限りなく
ゼロに近いことは、ドルフィンと手を結んだ時で既に明らかだ。
 もしかしたらドルフィンは、自分が人を率いるだけの度量を身に付けさせるきっかけとして、敢えて自分に今回の決断を委ねたのかもしれない。
常にドルフィンと行動を共に出来るとは限らない。それは今回の共闘で行われるであろう作戦も例外ではないのだ…。
 翌日、フィリアの体調が回復したことを受けて、早速だが作戦会議を行いたいとリークの名前で一行へ申し出があった。随分急な話ではあったが、
場合が場合だけにあまりのんびりしているわけにはいかないことが嫌というほど分かっているだけに、アレンはそれを承諾した。
ドルフィンは引き続き、今回の共闘の件に関してはアレンに判断を一任すると公言している。勿論、アレンのパートナーを自称するフィリアは言うに
及ばない。
 作戦会議の為に大会議室という部屋に案内される一行に、周囲の『赤い狼』の視線が集中する。特に『赤い狼』が目的を異にする者との共闘という
大幅な方針転換を図った要因ともいえるドルフィンには、そのずば抜けた体格もあいまって期待と疑問の声が交錯している。

 此処『赤い狼』の中央本部でも、竜族を彷彿とさせる比類無き腕力と魔力を兼ね備えていると言われるドルフィンとの共闘で、一気に王権打倒という目的が
実現できると歓迎する者も居れば、自分で見ていないだけにドルフィンの実力を疑問視したり、共闘を優先させるあまり、これまで幾多の犠牲を払いながらも
維持して来た「唯一の反政府組織」という自分達の自負を変節させられることに対する疑問や不満を持つ者も居る。
 だが、テルサ、ミルマ支部からの報告と申し出を受けた緊急の幹部会で決定されたことだけに、表立って異論を表明するものは居ない。
今回の共闘は『赤い狼』の最高意思決定機関である幹部会が決定したことであり、代表であるリークの名前で全構成員に向けて通達が行われたからである。
 これまではそれで良かった。国家権力からの弾圧や市民の無理解を乗り越えて、全ての町や村に支部を置いて一部の町では住民の多数が支持に回る
までに『赤い狼』を成長させたという共通の価値観があり、それが自分達の目的とする「圧政を敷く王権打倒」は自分達でしか出来ないという反政府組織たる
自負の根源にもなっていた。
 しかし、今は『赤い狼』の価値観にずれが生じている。同じ志を抱いた者が結集し、それこそ文字どおり命を賭して守ってきた主義主張と『赤い狼』の
存在を自分自身と同化させている者も少なくない。活動歴が長いほど、活動に深く携わる者ほどその傾向は強い。その分、その主義主張の浸透より部外者と
共闘する道を選んだことに対する疑念は強まリ易い。組織の団結を至上のものとしているが故に疑念を口にするのは憚られるし、場合によってはそれこそ
組織破壊者の烙印を押されかねない。そんな不満が『赤い狼』の何処かで確かに渦巻いている、とドルフィンは思う。実際に見聞きしたわけではないが、
自分に向けられる視線がそれを如実に物語っているのを感じ取っている。

 ある種の緊張感が漂う中、一行は大会議室に通される。昨日寝込んでいてこの部屋に初めて入るフィリアは、想像とは違う質素な空間をきょろきょろと
部屋の中を見回す。全国的に組織の網を展開する反政府組織の本部の、それも重要な作戦会議を行う部屋とは思えない殺風景なものだからだ。
広大な空間は灰色一色で、そこに入り口から向かって逆U字を描く形でテーブルが並べられ、そこに一定の間隔で椅子が並んでいるだけで装飾品の類は
一切ない。敢えて装飾品らしいものといえば、丁度一行から正面奥の壁に貼られた、赤地に白で交差させた鍬と剣、その間に狼をあしらった『赤い狼』の
旗と、その右隣に掛けられた柱時計くらいのものだ。

「おはようございます。」

 中に通された一行を最初に出迎えたのは、昨日見事な立ち回りを演じて見せた−勿論、フィリアは初対面−情報部第1小隊長のイアソンである。

「おはよう。」
「「おはようございます。」」
「そちらの方は・・・はじめまして、も必要ですね。『赤い狼』中央本部情報部第1小隊長、イアソン・アルゴスと申します。」
「あ、フィリア・エクセールです。はじめまして。」
「さあ、こちらへどうぞ。」

 イアソンは一行を上座の方へ案内する。昨日とは違って共闘関係を樹立したせいか、ドルフィンは下座に座ろうとせずに、そのままイアソンの案内に
したがって旗を背にした席に一番近い上座の席に座る。アレンとフィリアはその後に続いて並んで座る。
 他の席には既に腕に赤いリボンを巻きつけた人間がかなりの数座っているが、旗を背後にした席にはまだ誰も座っていない。恐らくそこに中央本部
代表であるリークや最高クラスの幹部、若しくは会議の補佐役が座るのだろう。

「代表と他数名は資料を揃えて間もなく到着しますので、暫くお待ち下さい。」

 イアソンはそう言って、一行の向かい側の席に座る。昨日も最も上座の席に座っていたし、今回の作戦でもやはり重要な任務を任されているのだろう。
ドルフィンは腕組みをして無言で座っている。その体格とそれが醸し出す迫力からか、誰も目を合わせようとはしないがイアソンだけは一行の方を向いて
じっと座っている。別段睨み返すわけでもない、ただ普通に前を見ているだけだが、イアソンは虎をも萎縮させるようなドルフィンの迫力−ドルフィンとて
睨んでいるわけではないが−にも動じる気配がない。
昨日の激しい質問異論の集中砲火にも臆したり激昂したりするようなこともなく、あくまでも冷静に自論を展開して周囲を納得させた経緯からしても、
飄々とした風貌とは違ってかなり度胸が据わっているようだ。
 程なく閉じられていたドアが開き、数名に囲まれる形でリークが入って来る。それまで座っていた人間は別に一斉に起立して礼をしたりすることもなく、
リークの方を向いて会釈する程度である。民主主義など一部の学識者の概念でしかない世界の反政府組織として主権在民や王権打倒を唱え、それ故に
受ける弾圧に対抗する為に軍隊的組織を形成しているとはいえ、彼らはあくまでも政治体制の転換を図る政治結社なのだ。
 リークは一行の予想どおり旗を背後にした席に座る。そしてリークを囲んでいた内の数人がその横に並んで座る。そしてそのうち二人がテーブルの上に
紙の束を置く。多分、会議用の資料だろう。他の面々もそれぞれの席に座り、これで全ての席が埋まった。いよいよ会議の始まりである…。

用語解説 −Explanation of terms−

09)箪笥の隅を突く:我々で言うところの「重箱の隅を突く」と同じ意味。重箱というものが存在しないのでこのように表現している。

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