アレン、フィリア、リーナの三人は、道案内役のリーナを先頭にその後ろにフィリア、アレンの順に並んで、リーナの家の井戸から入った地下の取水トンネルを
潜って進む。
リーナは、アレンとフィリアがドルフィンと共にミルマに潜入する時に辿った道順をそのままなぞるように進んで行く。この町に長く住んでいるだけあってか、
譬え地下であっても方向は十分把握できるらしい。説得が難航することを覚悟で道案内を依頼したドルフィンの判断は、間違っていなかったようだ。
リーナは出発してから一言も口にしていない。アレンは、下手にリーナに話し掛けると何を仕掛けて来るか分からない以上、黙っていることにしていた。
やがて、三人は地区取水場に出た。リーナが水面に顔を出すや否や、苦々しく呟く。
「・・・ったく、やってらんないわ。ドルフィンの頼みじゃなかったら、こんな馬鹿らしいこと、絶対やってないわよ。」
夜遅くの時期の早い水浴びをしている現状に、リーナは腹を立てているようだ。それに、案内をしている相手が「敵」と思っている二人なのだから尚更だろう。
「一気に行くわよ。ドルゴ!」
リーナはドルゴを召喚する。水中に現れたドルゴが、呼吸のために水面に浮かんで来る。
リーナはドルゴによじ登るようにして跨る。水に浸った服がぴったりと体に張り付き、体の線がくっきり浮かび上がる。
胸と腰の辺りに、うっすらと下着の線が浮き出ていて、アレンは目のやり場に困る。その様子を目ざとく見ていたフィリアが、アレンの目を両手で塞ぐ。
「どうするつもりだよ。」
「聞こえなかった?一気に行くって言ったのよ。」
アレンはリーナの考えが読めた。ドルゴの推進力で取水トンネルを一気に抜けて、川に出るつもりなのだ。
水流は川の方から来るため、水流に逆らって潜って進むのは確かに困難である。しかし、ドルゴで水中を進むかどうか知らないアレンは、召喚を躊躇う。
「何ぼうっとしてんの?行くわよ!」
リーナに叱咤されて、アレンもドルゴを召喚する。浮き上がって来たドルゴに、最初にアレンが跨り、続いてフィリアがその後ろに跨る。
リーナは合図も無しに、ドルゴの手綱を叩き、長い首を掴んで水中に押し込む。
ドルゴはリーナと共に水中に潜り、ドルゴに覆い被さるような体勢で水中を走り始める。
「フィリア。大きく深呼吸して。」
「う、うん。」
アレンとフィリアは肺の全てに空気を送り込むつもりで深呼吸する。アレンは手綱を叩いて、リーナがやったようにドルゴの首を掴んで水中に押し込む。
ドルゴは二人を乗せて水中に潜り、トンネルの一つに入って行ったリーナの後を追う。リーナを乗せたドルゴは、早くも半分以上を突破していた。
水の塊を押し付けられているような感覚を覚えながら、アレンは息の続くうちにと手綱を乱打してドルゴを全力疾走させる。
ドルゴは水流に逆らいながらトンネルを疾走して行く。意外な活用法であるが、泳いで進むよりは遥かに早い。
リーナはトンネルを抜けて中央取水場に出ると、手綱を引き寄せて水面に向かう。少し遅れてアレンとフィリアもトンネルを抜けて中央取水場に出る。
水面に出たリーナは、一度大きく深呼吸すると直ぐにドルゴの頭を水面に押し付けて潜る。アレンとフィリアは、水面に出て何度か大きく呼吸する。
だが、先を行くリーナが入れ替わりに再び潜ったのを見て、後れを取らないようにハイに空気を押し込んで再び潜る。
リーナは何かに取り憑かれたように取水トンネルを走り、川に出る。そのまま後ろのアレンとフィリアを気にすることなく、水面から目だけを出して川の
向こう岸に渡る。少し遅れてアレンとフィリアも取水トンネルを抜けて水面に顔を出し、リーナの姿を追って出来るだけ音を立てないようにドルゴを走らせる。
アレンとフィリアを乗せたドルゴが川岸に付いた頃には、既にリーナは岸に上がり、川岸に沿って東に向かってドルゴを走らせていた。
「何なの?あいつ。自分独りで行くんじゃあるまいし。」
「考えても仕方ない。後を追うぞ。」
アレンはリーナに追いつこうと、ドルゴを全速で走らせる。
町が遠くに浮かんで見えるようになったところで、リーナはドルゴを止めて降りた。間もなく、アレンとフィリアも追い付いた。
「遅かったわね。てっきり逃げたのかと思った。」
露骨な嫌みにアレンとフィリアはいい気分がしない。
「さ、行くわよ。ここから坑道まで一直線に行けるからね。」
「ちょっと待った。それは止めた方がいい。」
アレンが言うと、リーナは如何にも不機嫌そうな顔で言い返して来る。
「ほう。道案内のあたしの言うことが聞けないって言うの?」
「そうじゃない。警備の兵士がいっぱいいそうな行くなんて無茶だから、森の中を抜けようって言ってるんだよ。」
「結局、あたしには従えないってことね。」
リーナの横柄な態度に、フィリアがずいとアレンの前に進み出る。
「従うとかそんな問題じゃないでしょ。わざわざ危険なところを通る必要なんてないって言ってるのよ。」
「あたしの言うことが聞けないってことには変わりないでしょ?」
「聞き分けの悪い奴ね。森の中を抜けた方が安全だって忠告してるだけよ。」
鉱山に突入する以前で、突入方法を巡って早くもフィリアとリーナの対立が再燃した。アレンはまたしても繰り広げられる対決に頭を抱えたくなる。
「誰かいるのか!」
不意に森の方から声がした。
「こんな時間にうろついているとは、さては『赤い狼』か!」
声と同時に足音が幾つか近付いて来る。近くを警備中の兵士にやり取りが聞こえてしまったのだ。
「しまった!見つかったみたいだぞ!」
「あんた達があたしの言うことを素直に聞かないからよ。」
「今はそれどころじゃない!」
異常を察したのか、森のあちこちから草を踏み分ける音が一行に近付いて来た。
「どうすんのよ!あんたが余計なことで我が侭言うから!」
「うっさいわね!決まってるでしょ!強行突破よ!」
リーナは再びドルゴに跨る。細い山道を、黒ずくめの兵士達が下って来るのが見える。
リーナは兵士達に人差し指を向けて叫ぶ。
「レイシャー13)!」
リーナの人差し指から眩い幅広の光線が迸り、一瞬にして兵士達を串刺しにする。
アレンとフィリアは驚きで声が出ない。戦闘能力はないと思っていたリーナが、強力な召喚魔術を使用できたのだ。
強力で広範囲の効果を発揮するものが多く、さらに面倒な呪文の詠唱や触媒の準備が必要ない召喚魔術の使い手が居るとなれば、戦力は格段に
上昇する。しかし、まさか剣や魔術の心得もないと思っていたリーナが、召喚魔術を使えるとは予想もしなかったことだ。
「さ、行くわよ!死にたくないでしょ!」
リーナはドルゴに颯爽と跨って手綱を叩く。警備の兵士に手を出した以上、もはや後戻りはできない。
アレンとフィリアも覚悟を決めて、ドルゴに跨って急いでリーナの後を追う。傾斜はかなり急で、アレンとフィリアの二人を乗せて登るのは、ドルゴにはやや
荷が重いのか、思うようにスピードが出ない。
途中、胸板に大穴を開けた兵士達の死体が転がっていた。道中には兵士達が数メールおきに待ち構えていたが、リーナは連続してレイシャーを召喚して
兵士達を蹴散らしながらどんどん上へ上へ駆け上って行った結果だ。兵士達を殺すのも、リーナは全く躊躇する様子がない。
「退かないと死ぬわよ!」
リーナは鬼のような形相でドルゴを走らせる。
侵入者を阻止しようと立ち塞がった兵士達も、猛スピードで突進して来るドルゴにたじろいて思わず道を開けるか、ドルゴに跳ね飛ばされて弧を描いて
森に消えるか、レイシャーに射抜かれるかのどれかだ。
「侵入者だ!!戦闘態勢につけ!!」
ただならぬ事態を察した警備の兵士が、入り口付近を警戒する兵士達に大声で告げる。それまで暇そうにしていた兵士達も、敵の来襲の知らせに緊張した
表情で身構える。
山道の頂上付近で待機していた兵士達が、下から突進して来たレイシャーに射抜かれて、山の斜面に叩き付けられる。相当の衝撃らしく、兵士達の背面の
岩に亀裂が走る。
「来たぞ!!」
猛攻を続ける侵入者を待ち構える兵士達の目の前に、リーナを乗せたドルゴが山道を登り詰めて現れる。煌煌と燃え盛る焚き火に照らされたその姿は、
さながら血に飢えた魔獣のようだ。
「女?!」
兵士達は一様に驚く。山道を警備していた兵士達を蹴散らして現れたのが、歴戦を潜り抜けたいかつい傭兵ではなく、あどけなさが残る少女だったのだ。
意外に思うと同時に、外見からは想像もできない戦闘力と凄まじいまでの迫力に兵士達は恐れさえ抱く。
「レイシャー!」
リーナは問答無用でレイシャーを兵士達に向けて召喚する。リーナの人差し指から迸った光線が、一気に数人の兵士達を射抜いて後ろに弾き飛ばす。
ようやく、アレンとフィリアを乗せたドルゴが山道を登り詰めて姿を現す。
「遅いわね、相変わらず。」
「あんたが早すぎるのよ。」
毒づくリーナに、フィリアはそれだけ言うのが精一杯だった。
「な、何て奴だ。こちらより先に手を出して来るとは・・・。」
兵士達も、躊躇なく攻撃を仕掛けて来るリーナに、近寄り難い威圧感を感じているようだ。
リーナは胸の前で両手を組んで何やらぶつぶつと呟く。それを見てチャンスと思ったのか、兵士達が武器を振りかざして突撃して来た。
「パピヨン!」
リーナが両手を掲げると、掌から異常繁殖したかのようにパピヨンが現われて、兵士達に纏わりつく。兵士達は黒い蝶に全身をびっしりと覆われる。
「ぐわーっ!何だこれは!」
「く、苦しーっ!」
パピヨンは生物に纏わり付いてその生気を吸い取る力もある。一羽ならまだしも、全身を覆い尽くすほどのパピヨンに絡まられたら、助かる術はない。
生気を吸い取られてもがき苦しむ兵士達に、リーナは冷たい瞳で言い放つ。
「そこでのたれ死ぬのね。」
その瞳には、一片の情も感じ取れない。焚き火に照らされたその横顔は、生け贄の断末魔を味わう悪魔のようにすら見える。
リーナは呆然と兵士達を見ていたアレンとフィリアに向き直る。
「あんた達も、下手にあたしに牙向けたら、こうなるわよ。よーく覚えとくことね。」
リーナはそれだけ言うと、くるっと向き直り、ドルゴの手綱を叩いて坑道に突入する。アレンとフィリアは、別の恐怖を感じつつリーナの後を追う。
一行が居なくなった後、黒い蝶パピヨンに纏わりつかれた兵士達は、声もなく次々に息絶えていった。パピヨンが消えた後には、骸骨に皮をぴったり
張り付けたような死体が残されただけだった…。
それから暫くして、町から兵士達の巡回の目を掻い潜ってミルマを抜け、鉱山に突入するべく森を分け入って来た
『赤い狼』の一団は、入り口の無残な光景を見て思わず息を呑む。武器や鎧はそのままに干からびた死体、胸に大きな穴を開けた死体など、まともな死体は
一つたりともない。
「こ、これは・・・?」
「一体何が・・・。」
『赤い狼』の活動家達は、死体を見て首を捻る。
「相当の魔法の使い手が我々と同様、この鉱山を目指して来たというのか?何のために・・・?」
「代表。もしかすると、あのドルフィン殿では・・・。」
彼らはテルサからの情報で、ドルフィンが国家特別警察の一支部を全滅に追い込んだということを知っている。勿論、ドルフィンの存在を確認した場合は、
共同戦線を張るように交渉することを依頼されており、これがドルフィンの行動だとすれば願ってもないチャンスである。
ドルフィンであれば、魔術の心得を持った者が相手でも苦にはならないだろうし、そうなれば自分達の目的である、国家特別警察の遺跡調査の妨害も
容易になる。さらに、ここで共同戦線を張れるようであれば、今後の共同を申し入れる交渉もやり易くなるだろう。
「ドルフィン殿であれば、まさしく千載一遇の機会。是非とも共同を実現しよう。突入だ!」
「赤い狼」の一行は、坑道に続々と入って行く…。
用語解説 −Explanation of terms−
13)レイシャー:光の属性を持つ魔物。普段は光の玉のように丸まって浮かんでいるが、獲物を見つけたり攻撃を仕掛けられたりすると、光線のように突進して
対象を貫く。威力は強力だが、原則として突進中に方向転換することができない。また、鏡や水面など、反射や屈折をする媒体には、通常の光と殆ど同様の
動きをする。