「いやあ、外回りは辛いよなあ。」
「全くだ。その代わり、臣民共を気ままに殴れるのが幸いだな。刃向かったら逮捕してやればいいし。」
「ここに戻ったら囚人達の拷問大会だ。それを楽しみにパトロールに励むか。」
「何事だ!」
叫びを聞きつけて駆けつけた別の兵士達も、目の前の光景に目を疑う。「警告。国家の家畜は三日以内に全囚人を解放し、この町から退去せよ。
退去しない場合は、全員この死体のようになることを覚悟すべし。
死神より愛を込めて」
「なるほど。これが奴流の警告か。」
出入り口から数人の屈強な護衛に守られて、長官マリアスが出てきた。兵士達は言いようのない恐怖を無理矢理押え込んで慌てて立ち上がり、「無残極まりない殺し方に直々のメッセージ。やってくれるものだ。」
「で、では長官、これは奴が我々をこのように殺すという?」
「逆さ十字1)に磔にするとはな。フフフ。味な真似を。」
「警備隊長は大きな間違いを犯した。奴に絡んだことだ。決して触れてはならない禁断の書物を紐解いたのだ。」
「し、しかし、我々に挑戦するとは・・・。何の得にもならないのに・・・。」
「奴がこうまでしてきたのだ。それは損得の問題ではあるまい。」
「で、では長官、奴と・・・。」
「当然だ。仮に死神であろうと、国家に牙向く者を野放しにしてはならん。」
「現在より非常事態令を発令する。臣民を外出禁止とし、総動員態勢で警戒に当たれ!そして反逆者の家を包囲しろ!」
「は、ははっ!」
「おっ、戻ってきたか。」
ドルフィンはその蝶に右手を差し出す。蝶はドルフィンの右手に乗ると、ポンと軽い音を立てて消滅する。ドルフィンは少しの間目を閉じ、何か考えるように「非常事態令まで発令しやがった。兵士達は血相変えてやがる。」
黒い蝶はドルフィンが召喚したパピヨン2)だ。「出入り口前に惨殺死体を陳列されたら、普通はびびっちゃうよ。」
アレンは昨夜までとは別人のように顔色が良くなっている。父親を救出できるという希望が持てたことで、ここまで変わったのである。「でも、家の周りは包囲されちゃったみたいだし、大丈夫なの?」
「なあに。居たけりゃ居させとけばいい。3日以内に出てかなきゃ死ぬだけだ。食料は大丈夫だな?」
「はい。十分もちます。」
「じゃあ、アレンの体調が完全回復するまでゆっくり静養していれば良い。」
「3日の間にパピヨンを奴等の本部に忍び込ませて内部構造を調べる。アレンの父親や他の囚人達の収容場所を確認しておかないと、人質を取られて
厄介なことになるかも知れんからな。」
「報復措置と言って囚人に手出ししないでしょうか?私、それが心配で・・・。」
「心配要らん。その点も召喚魔術で押さえておく。ちょっとでも囚人に手出しすれば数人死ぬように強力な奴を送り込んでやる。」
ドルフィンの計画は穴がないように練られている。戦闘能力が抜群に優れているだけでなく、戦略能力も申し分なく持ち合わせているドルフィンはまさしく「じゃあ、早速実行に移すか。パピヨン。」
ドルフィンの召喚で、先程の黒い蝶がドルフィンの前に姿を現す。「奴等の本部の建物に入って内部構造を調べろ。頭がいる場所と囚人達の収容場所は精密に記憶しろ。」
パピヨンはドルフィンの命令を聞いて、ふわふわと居間から飛び去って行く。「じゃあお次。こいつは耐性がないと危険だから迂闊に近付くなよ。アベル・デーモン。」
ドルフィンは次に、犬の頭に山羊の角を生やし、真紅の法衣に身を包んだ悪魔を召喚する。アレンとフィリアは、見ているだけで体から力が抜かれて「主よ、何用か?」
「さっきのパピヨンの後を追え。囚人達に少しでも危害がなされたら適当に兵士を殺せ。できるだけ残虐にな。」
「承知。」
「ついでにもう一匹。外の兵士達にもプレッシャーをかけてやるか。サラマンダー3)。」
ドルフィンが召喚したのは、猛烈な光と熱を発する火の玉に包まれた、炎の槍を持った蜥蜴のような火の精霊だった。「我が主よ、用件は何か?」
「外をうろついてる兵士達を軽く脅かしてやれ。民家や一般市民にくれぐれも危害を与えないように注意しろ。」
「仰せの通りに。」
「す、凄い・・・。」
アレンは思わず呟く。「別に凄くはない。召喚魔術は魔物さえ倒して従えさせりゃ誰でもできる。俺は魔物と数多く戦うっていう普通じゃない経験をしただけだ。」
「でも、悪魔や精霊なんて、そうそう従えさせられるものじゃないよ。」
「お前達は町から離れたことがないだろう?街から離れりゃ魔物の巣窟だ。魔物と戦う機会も必然的に増える。俺はその機会を生かしただけだ。」
「アレンは召喚できる魔物は持っているのか?」
「それが、魔術が嫌いなもんで全然・・・。」
「ははぁ。魔術学校で嫌な目に遭ったんだな?大方呪文の暗記押し付けられたんだろう。」
「な、何で分かるの?!」
「魔術嫌いになるのは大抵教える人間が悪いからだ。まあ、人それぞれ好き嫌いってもんがあるから無理に好きになれとは言わんが、召喚魔術は便利だから
食わず嫌いは止めた方が良い。」
「でも、召喚魔術の相手にできそうな魔物って、この辺じゃオークくらいしか・・・。」
「オークは扱いたくないか。気持ちは分かる。あんな豚面、突進するだけでろくに役に立ちゃしねえからな。」
「別に召喚魔術は攻撃用途ばかりじゃない。日常生活でも役立つ代物もあるもんだ。例えばこれだ。ドルゴ。」
ドルフィンはテルサに来るまでに乗っていたドルゴを召喚する。「これ、行商の人がよく乗ってるやつじゃないですか?」
「そうだ。こいつは知ってるかもしれんが結構乗用として普及してる。ただ、置き場所に困ったりするから、召喚魔術にしとけば必要ないときは消せるし、
必要なときはいつでも呼び出せる。呼び出さない間は餌を食わせる必要もない。良いことばかりだ。」
「へえ・・・。でも、この町じゃドルゴはあんまり飼われてないんだよ。小さな町だし、移動する人が殆どいないしね。」
「折角会ったんだ。記念にやるよ。」
「え?いいの?」
「ああ。ドルゴはもう一匹ある4)。番(つがい)で倒して一匹余ってたんだ。それをやるよ。」
ドルフィンは召喚したドルゴを消して、もう一度ドルゴを召喚する。前のものよりやや小ぶりだが、それ以外は前のものと殆ど変わりはない。「これと今から戦うの?家の中で?」
「いや、その必要はない。契約を更新すればいい。」
「契約って、どうやってするの?俺、全然知らないんだけど。」
「ああ、そうか。じゃあ、俺が途中まで契約の呪文を唱えてやる。」
「これから機会があるかも知れんからやり方を覚えておくといい。やり方は簡単だ。まず、自分の血で相手の適当な場所に契約の証を描く。証は魔法陣でも
文字でも記号でも何でもいい。契約者本人の血なら構わない。」
「よし。じゃあ描いた場所に手を翳すんだ。そして呪文を唱える、と。」
アレンが描いたばかりの血文字に手を翳すと、ドルフィンは呪文を唱える。「我、大いなる神の名の下に彼の者と血の盟約を交わし、下僕として従わせ給え。我が名は・・・。」
ドルフィンがアレンに目配せする。アレンはドルフィンが何を言いたいか察して言う。「アレン・クリストリア。」
すると、ドルゴの額に描かれた血文字がほのかに輝き、ドルゴはゆっくりと姿を消す。「これで良し。これからドルゴと呼べば一瞬で出てくる。試しにやって見たらどうだ?」
「う、うん。ドルゴ!」
「これじゃちと無理だが、知能が高いやつはいろいろ命令することもできる。主の命令は絶対だから不用意なことは言わない方が良い。名前が分からん
場合は、契約してから種族名を言えと言ってやれば頭に思い浮かんでくる。」
「うん。ありがとう。大事に使わせてもらうよ。」
「ドルゴ一匹でこれほど感謝されるとはな。こっちもやった甲斐があるってもんだ。」
「ドルゴの乗り方は簡単だ。この一件が片付いたら教えてやろう。」
「これって何人くらい乗せられる?」
「そうだなぁ。余程の体重じゃねえ限り、あの大きさなら二人くらいは乗せられるだろう。」
「フィリアはどうする?欲しけりゃ何かやるぞ。」
「よろしいんですか?」
「ああ、遠慮することはない。どんなやつが欲しい?」
「魔術師が使う力魔術は攻撃用途が殆どでしょう。これは魔術の特性ですから仕方がないんですが、防御、特に武器の攻撃を防げるようなものがいいかなと。
兵士達との戦闘に備えるという意味もありますし・・・。」
「成る程。それならいいやつがある。ノーム5)。」
「何か御用ですかい?旦那。」
「今から契約を更新する。新しい主に従うように。」
「分かりやした。では、どうぞ。」
「おや、新しい主は若いお嬢さんですかい?こいつは嬉しいことで。」
「お上手ね。これからよろしく。」
「へい。こちらこそ。」
「呪文は知っているな?」
「はい。魔術学校で教わりました。」
「我、大いなる神の名の下に彼の者と血の盟約を交わし、下僕として従わせ給え。我が名はフィリア・エクセール。」
ノームの帽子に描かれた血文字がほのかに輝く。「姐さん。今後ともごひいきに。」
ノームはそう言ってゆっくりと姿を消していく。「愉快な精霊ですね。」
「ちょっと変わった奴でな。まあ、威力は確かだからせいぜい使ってやってくれ。効力の範囲はミドルレンジ7)だ。」
「はい。どうもありがとうございます。」
「これで準備はほぼ整ったな。あとは3日間、奴等の動きをゆっくり眺めるだけだ。出て行かねえなら警告通り皆殺しだ。」
ドルフィンは余裕たっぷりに言う。それは慢心から来るものではなく、絶大な実力と綿密な計画に裏打ちされた自信から来るものだ。「冗談じゃないよ・・・。」
アレンの家の周囲を包囲している兵士の一人が呟いた。「片手で人間の頭を砕くような化け物とどうやって戦えっていうんだ。無茶にも程がある・・・。」
兵士の呟きを咎める他の兵士はいない。口には出さないまでも、包囲する兵士の誰もがそう思っていたからである。包囲網の責任者である警備隊長「貴様、何という不謹慎なことを言うんだ!」
今までならこれで終わったのだが、もはやそのような抑圧は無効果だ。その兵士は隊長代理を睨み付けて言い返す。「じゃああんた、あの家に突っ込んでみろよ。出来るか?」
「貴様、上官に対してその口は何だ!」
「喧しい!」
「こんなこと、命令じゃなけりゃやってられるか!わざわざ死刑台に上りに行くようなもんだ!」
「上の命令を垂れ流すだけの奴が、偉そうに言うな!」
「そうだそうだ!」
「わ、私だって立場があるんだ。理解してくれ。」
「五月蝿い!幹部達に言ったらどうだ!奴と戦って勝てるもんならやってみろってな!」
「あーあ。喧嘩始めたよ。」
「だろうな。脅しをかけて、何もしない幹部と危険に晒される部下、そしてそのパイプ役の中堅幹部の間に確執が生まれるのを狙ったが、やはりうまく
いくもんだ。上役の圧力で動く組織なんざそんなもんだ。」
「恐らく本部の幹部連中以外は、戦闘意欲が喪失しているだろう。こんな窒息しそうな状況は御免だと思っているさ。苛立ちの捌け口の拷問も出来ないし、
溜めざるをえない不満は精神を徐々に蝕んでいく。」
「そんなことまで計算してたのか。凄いなあ。」
「戦いは武器をぶつけ合うことが全てじゃねえ。むしろ、心理戦や情報戦、駆け引きの重みの方が大きい。戦争ってのは正義や聖なるとか体のいい枕詞を
付けたところで本質は同じ、泥臭くて卑らしいもんだ。正義の戦争や聖戦って言葉は所詮、それを言う人間が自分の主義主張の正当化のために使うもんだ。」
「・・・正義の怖さですね?」
「そうだ。正義とか善とか秩序とか、耳障りのいい言葉を頻繁に言う人間は信用しない方がいい。その典型的な例が今、この町でお目にかかれるはずだ。
国家への忠誠、秩序回復を言いながら奴等がやってることは何だ?単なる自己顕示と抑圧だ。これでも奴等にとっては正義だ。それが正義という言葉の
恐ろしいところってわけだ。」
「ドルフィン。俺、思うんだけどさ。ドルフィンの言うことが正しいなら、この世には善も悪もないってこと?」
「極端な物言いをすりゃあ、善や悪は人の数だけ存在する。世間一般の道徳や躾や規律なんてものは、最大多数の人間に共通し得るルールと言っていい。
そのルールに則った言動が正義で、その逆が悪となるわけだ。だから、そのルールが一部の人間の都合の良いように解釈されたり、作られたりすると大きな
歪みが生まれるってわけだ。」
「それに正義を守る為、悪を倒す為だからと言う枕詞も要注意だ。悪の側にいる人間を正義の為と言って虐げて、そのための行為は人殺しでも構わない。
そうなればそれも結局正義の側の言う悪と同等だ。ルール違反で相手を悪としておきながら、自分はルール違反をしても構わないって言うんだからな。」
「・・・俺達が今からしようとしてることって、何なの?」
「お前の父親を救出するための行動だ。場合によっては殺し合いも辞さない。」
アレンとフィリアは息を呑む。「理由はどうあれ人殺しは人殺し。それをどうやって正当化しても無駄だ。殺し合いに目的はあっても正義は無い。この事はよく憶えておくことだ。」
二人は事の重大さを改めて認識する。「今から動くのはアレンの父親の救出のため。それだけを考えればいい。」
二人は一度だけ小さく頷く。「じゃあアレン。主役のお前が行動開始を宣言してくれ。」
ドルフィンが言うと、アレンは一度咳払いをして緊張した面持ちで宣言する。「行こう!父さんを救出する為に!」
一行は気を引き締める。アレンは愛用の剣を持ち、鉄製のハーフ・プレート8)を身につけている。フィリアはこんな事態を予想していなかった為、「全員集合だ!!」
隊長代理が面目を保とうと号令をかける。さすがに兵士達も全員玄関前に集結して、一行と睨み合う。ドルフィンがゆっくりと剣を抜く。その刃の妖しい「死刑執行だ。」
ドルフィンの一言に、兵士達は口々に悲鳴を上げる。「な、何をしておる!!怖じ気つくな!!」
隊長代理が懸命に兵士達の士気を煽ったが、恐怖に震える兵士達には全く無効果だった。兵士達は武器すら構えられずに顔面蒼白で震えている。「そこのお前。」
ドルフィンが隊長代理を剣で指す。「他人に命令する前に、まず自分が手本を見せろ。」
隊長代理の顔が引き攣る。周囲を見回すと、兵士達が疑いの眼差しを向けている。「ドルフィン・アルフレッド!国家反逆罪で貴様を逮捕する!!神妙にしろ!!」
「くっくっく。虎の皮を被った狐の分際で、随分立派に言うじゃねえか。」
「おのれ!嬲るかっ!」
隊長代理が剣を振り上げて突進を始める。ドルフィンは剣を十字に掃う。すると隊長代理が十文字に分離して地面に転がる。「う、うわあーっ!!」
堰を切ったように兵士達は絶叫を上げる。「次は誰だ?自殺志願者は前に出な。」
ドルフィンが兵士達を睨んで言うと、兵士達は首を横に振って、口々に悲痛な叫び声を上げる。「い、嫌だ。嫌だあーっ!!」
「こんな化け物、相手にできるかあーっ!!」
「案の定。これでまとめて片がつけられるってもんだ。」
「じゃあ急ごう。」
「よし。」