Saint Guardians
Scene 1 Act2-1 突破-Overcoming- 殺人鬼か、それとも救世主か
written by Moonstone
レクス王国南部、フォンデステロ山脈の麓のギマ王国との国境では、関所がやはり首都−彼らは帝都と言っている−から派遣されて来た国家特別警察に
よって完全封鎖された。
そのため、テルサに向おうと関所にやってきた多くの難民達が立ち往生を強いられる羽目になった。
彼らは皆、部族間或いは部族内部の抗争によって土地を追われ、隣国であるレクス王国に逃げ込もうとやって来たのである。
ギマ王国は国土の4分の3が砂漠という乾燥地帯で、部族は点在するオアシスに居を構えている。
水は生命の源であると同時に争いの源ともなる。
オアシスの権利を巡って従来の部族と水を求めてやって来た部族との間で、或いは部族内部で激しい衝突が起こる。
王国の中央政府も部族間抗争の沈静化に躍起になっており、このところようやく落ち着きを見せはじめた矢先に再び激化の様相を呈し、もはや中央政府も
手が付けられない状況に陥っていた。
｢頼む！ここを通してくれ！でないと、我々は行くところがないんだ！｣
たどたどしいフリシェ語で必死に懇願する難民に対して、一様に黒い甲冑に身を包んだ兵士が怒声を返す。｢これより我が王国は、難民の受け入れを一切拒否する。とっとと失せろ！｣
砂漠は昼夜の温度差が激しく、それは難民達の生命を脅かす。夕暮れまでに関所を通ることは難民達にとって死活問題である。
関所の前には300人ほどの難民達が集い、砂漠特有の身を焦がすような熱気の中で兵士達と睨み合いを続けていた。
南の方から灼熱の日差しを背に受けて、猛スピードで向かって来るものが見えた。
それはドルゴ1)に乗った男で、皮製のマントを羽織り、褐色のゴーグルを掛けている。
男の肌は日に焼けて褐色で、筋肉は岩のように盛り上がり、右手には手綱を、左手には黒光りする鞘に収められた
ブレード2)型の細身の長剣を握っている。
その髪は砂漠の長旅のせいか、元の濃い緑色と砂埃の黄土色が交じり合っている。
｢何があったんだ？｣
男が流暢なマイト語で近くの難民に尋ねる。｢足止めだよ。今日から難民は一切受け付けないって言っていきなり関所を封鎖しちまったんだよ。｣
｢そうそう。帝都から派遣された国家特別警察だとか、訳の分からないことを言って･･･。｣
｢国家特別警察？｣
｢ここまで何とか来たって言うのに、ここで足止めを食らうなんて･･･。｣
難民が悔しそうに呟く。男は無言でドルゴから降り、ゴーグルを掛けたまま人垣を抜けて兵士達の前に進み出る。
男は人々より抜きん出て背が高く、兵士も見上げざるを得ない。
｢何物だ？貴様は。｣
兵士の一人が訝しげに言うと、男は低く芯のある声を発する。｢レクス王国の者だ。旅先から三月ぶりに戻ったところだ。通して貰おうか。｣
男は今度はフリシェ語で話した。兵士は男をジロジロと眺める。
｢信用ならんな･･･。貴様も難民共の一人じゃないのか？｣
｢一度事務所に来て貰おうか。素性の分からん奴を通すわけにはいかん。｣
兵士達はたまらず男の腕を抱えていた手を離すと、砂の上に叩き付けられる。
｢貴様らの王様ごっこに付き合ってるほど暇じゃねえんだ。どけ。｣
男は表情を変えずに倒れた兵士達を見下ろす。｢貴様！我々に刃向かう気か！｣
｢我々に刃向かうということは即ち、国家そのものに刃向かうことと同じだ！分かっているのか！｣
難民達はさらにそれを取り囲むように成り行きを見守る。
兵士達の威嚇にも全く動じることなく、男はゆっくりとゴーグルを外す。
ゴーグルの奥から顔を出した茶色の瞳の眼光は狼のように鋭く、兵士達は思わずたじろく。
｢べらべらと喧しいんだよ。権力の飼い犬め。そんな程度の低い脅し文句で俺がびびるとでも思ったか。失せろ。｣
男に侮辱されて、プライドを傷つけられた兵士達の怒りが爆発する。｢貴様！本当に死にたいのだな！｣
｢覚悟しろ！愚か者め！｣
｢ふん。｣
男はそれを鼻で笑い、ダンスを踊るかのように足を四方に突き出す。それは兵士全員の顔面を見事に捕らえ、兵士達は弾き飛ばされる。
あまりの早業に、難民達は思わず感嘆の声を上げる。
｢くっ･･･。よくもやってくれたな･･･。｣
｢貴様には国家反逆罪をくれてやる。覚悟しておけ！｣
｢覚悟するのは貴様らだ。｣
突然、兵士達の体の自由が利かなくなり、武器を持った手が大きく上に振り上げられる。｢な、何だ？！｣
｢貴様、何をしたんだ！｣
｢貴様らの命は俺の手の内にある。俺の合図一つで貴様らの喉元に武器が突き立てられる。ゆっくりとな。｣
｢俺の初歩の組み技でこんな無様な姿を晒すようじゃあ、高が知れてるな。｣
男は兵士達に追い討ちを掛けるように侮辱の言葉を浴びせる。関所脇にある建物から数人の兵士を引き連れた、口髭を生やした男が出てきた。
｢一体何事だ。騒々しいぞ。｣
｢ちょ、長官！｣
｢こいつを死刑にして下さい！我々に刃向かう愚か者です！｣
長官は、兵士達の言う｢愚か者｣を見て見くびったような笑みを浮かべる。
｢ほう。貴様が我々国家特別警察に刃向かおうとする愚か者かね。｣
男は無言で長官を見る。｢今なら間に合う。この場で跪き、私の靴を舐めろ。そして国家に忠誠を誓え。
それなら慈悲深いこの私に免じて許してやってもいいぞ。｣
｢おい、泥鰌野郎。それ以上俺の気分を損なう戯言をほざくな。次にその薄汚ねえ口開いた瞬間、貴様は死ぬぜ。｣
｢何を強がっておるか、馬鹿者が。やれるものなら･･･。｣
｢やってやる。｣
男は腕が何本にも見えるほどの速さで、右の拳を長官の全身に叩き込む。男の一撃を食らう度に長官の肉は千切れ骨は砕け、たちまち見るも無残な肉塊に変貌していく。
最後の一撃を受けた長官はぼろぼろになって護衛の兵士の一人を巻き込んで大きく後ろに跳ばされる。
長官と兵士は後方にあった石造りの建物に叩き付けられ、グシャッという嫌な音を立てて壁に血と肉で彩られた絵を描き、そこに肉片と骨片の
オブジェをばら撒く。
人間離れした男の凄まじい破壊力に見ていた兵士達は勿論、難民達も顔面蒼白になる。
｢だから言っただろう。人の忠告を無視するからだ。｣
男は舌打ちする。残りの護衛の兵士達は慌てて腰の剣を抜く。
｢何だ？まだ死にたい奴が居るのか？｣
男が兵士達の方を向いて言うと、兵士達はあまりの恐ろしさに耐えられなくなったのかレクス王国側の関所の柵を飛び越えると、ドルゴを繋ぎ止めていたロープを切り、それに飛び乗ってレクス王国の方向へ我先にと脱兎のごとく走り去った。
男は逃げる兵士達を追うことなく、先に動きを封じられた兵士達に向き直る。
｢さて、予定外の演出の後は、貴様らの処刑だな。｣
男の死刑宣告に、兵士達は生唾を飲む。｢死にたくなけりゃ、俺の質問に答えることだ。｣
｢黙れ！反逆者に話すことなどないわ！｣
｢ならば死ねや。用はねえ。｣
男が指を鳴らすと、兵士の両腕がゆっくりと喉に向かって近づき始める。その動きは兵士の意志に反するものだった。
｢う･･･ほ、本気か？！｣
兵士はゆっくり迫りくる刃先を見て、恐怖が急激に湧きあがって来るのを感じる。男は無表情に兵士の腕の動きを見詰める。
兵士はさすがに堪え切れなくなり、狂ったように叫ぶ。
｢う、うわあーっ！！た、助けてくれー！！｣
｢生憎だがもう遅い。消えろ。｣
鋭い剣先が兵士の喉にゆっくりと突き刺さる。
絶叫と血飛沫が吹き上がる。
刃は動きを止めることなく、兵士の喉を完全に刺し貫く。
兵士が完全に絶命した時、全身の硬直が解けて、兵士は後ろめりに倒れる。
｢選択は二つに一つ。残らず吐くか、死ぬかだ。｣
男の鋭く輝く瞳は脅しではない。体が硬直している兵士達は死の恐怖をひしひしと感じる。
｢俺がいない間に何があったんだ？何が目的だ？吐け。｣
押し潰されるような圧迫感のある男の言葉に、兵士の一人がなおもプライドを保ちながら言う。｢わ、分かった。何でも言うから助けろよ！｣
男はその兵士に歩み寄り、顎を鷲掴みにする。｢貴様、自分の立場が理解できてねえようだな、おい。｣
男が兵士の顎を鷲掴みにした手に力を込めると、軽々と捻り潰す。血と骨が飛び散り、兵士は絶叫する。
さらに男が兵士の腹に強烈な蹴りを与えると、空気を溜めた袋を割るように背中から血と骨と内臓が弾け飛ぶ。
男の力は兵士達や難民達の想像をはるかに越えるものだった。
兵士達は、人知及ばぬ強大な存在として恐れられる竜族3)の姿を見たような気がした。
｢残りの奴。俺に情けを期待しないことだ。一旦俺に牙を向いた以上、只では済まさん。｣
兵士達の顔面は漂白したかのように血の気を失う。言わなければ殺されるという予感が、経験したこともない恐怖として兵士達を襲う。
｢二度と言わん。吐け。｣
男がとどめの一言を浴びせると、兵士がガチガチと歯を鳴らしながら一斉に口を開く。｢こ、国王陛下の命令です。反逆勢力を押さえ、国家に対する忠誠心を養うためにと。｣
｢わ、私達は命令されてここに派遣されただけです。し、信じて下さい！｣
その瞳は背筋を震わせるほど冷たい。
｢た、助けてくれるんだろ？助けてくれよ！｣
｢ああ、助けてやる。｣
しかし、男は兵士達の体の硬直を解くことなく関所の木製の柵を蹴破り、ゴーグルを掛け直して留めてあったドルゴに颯爽と飛び乗る。
｢ちょ、ちょっと待て！待ってくれ！｣
｢話が違うじゃないか！｣
｢命は助けてやっただろう。これで文句はねえはずだ。｣
兵士達は愕然とする。体が硬直したままでは砂漠の激しい気候に生身を晒すことになるし、それよりもこのまま動けない状態が続くと、殺された兵士達の血の匂いを嗅ぎ付けて
砂漠に棲息する狂暴な肉食の魔物がやって来る。
そうなれば動けない兵士達は、無防備のままで魔物の前に晒される生け贄と同じである。
男は前に向き直り、夕暮れの光に照らされた山道の中にドルゴを疾走させていった。
｢ま、待ってくれー！｣
兵士達の叫びは男に届くことはなかった。必死に叫ぶ兵士達を横目に、難民達が待ちわびたように男に蹴破られた関所を続々と突破して行く。
難民達が去った後、硬直したまま必死に助けを求める兵士達と、惨殺された長官と兵士達の死体に、砂埃を乗せた風が吹き付ける。
その風が去った後、果てしなく続く砂の海があちこちで不気味に動いた。
太陽は西に沈み、元々太陽の光があまり届かない山道は本格的な夜の訪れより前に闇に包まれた。
星の光だけが微かに木々の間から覗くだけの山道を、男はまるで昼間の平地のように平然とドルゴを走らせる。
壁に囲まれた町や村以外には少数民族や遊牧民族、移動劇団くらいしか人間は生活しておらず、まして街灯などあるはずもない。
また、男が走る山道はレクス王国とギマ王国の唯一の交易路ではあるが、それがあだとなって交易品や現金を狙って盗賊が棲みつくようになり、昼間でも
わざわざ高い金を払って大勢の用心棒をつけて通る行商がいるほどである。
まして夜ともなれば、闇に隠れて大胆に動けるため盗賊にとっては絶好の活動時間帯となる。
それなのに男はたった一人で夜の山道にドルゴを走らせ続けている。
男の動きは当然のように盗賊の偵察隊に知られることになった。
偵察隊は驚くよりむしろ呆れた。
｢何だあの男は？夜の山道を一人で走るか？｣
｢無謀というか、大胆というか･･･。良い度胸だぜ。｣
｢まあいい。本隊に報告だ。｣
襲撃対象が近付いているという合図である。
男は構わずドルゴを走らせ続ける。
暫く走り続けると、男はドルゴを止めて降り、ドルゴの額に右手を翳す。
するとドルゴは一瞬にして消えてしまった。
｢さて。飯でも食うか。｣
男は近くの大木に凭れて腰を下ろし、砂埃の付いたマントを取り、背中に背負っていたやはり砂埃に塗れた革製のリュックから紙のような干し肉と
水の入った水筒を取り出して、簡単な夕食を取り始めた。
こんな何がいるとも知れない闇の中で、しかも一人で悠然と食事をする様は神経が図太いというのを通り越して命知らず以外の何物でもない。
合図を聞きつけて男を追い続けていた盗賊の本隊も呆れ返る。
｢馬鹿か？あの男は･･･。｣
闇の中で動いても分からないように黒一色の服を来て、やはり黒一色の胸当てを装着した盗賊達は、これまで見たこともない行動を取る男を見て一様に首を捻る。
｢こんな場所で、しかも一人でのうのうと飯を食うとは。｣
｢襲って下さいと言っているようなものだ。まあ、俺達には好都合だが。｣
獲物が無警戒になったところを集団で襲撃するのが彼らの常套手段であるが、今回はいつでも動けそうだ。
じりじりと包囲網を狭めていく盗賊達。
男は妙な行動を始めた。
干し肉を咥えながら腰の革袋に手をやり、中から何かを取り出す。
それは闇の中でも僅かな光を反射して鈍い銀色に光る針のような物体だ。
男ははそれを8本取りだし、両手の指の間に挟む。
自分達が身を隠す闇のせいで確認できないが、その動きは闇に慣れた盗賊達には何とか見える。
｢何をしているんだ？｣
｢さあ。｣
次の瞬間、針の一本一本が盗賊の眉間を正確に捉え、眉間を刺し貫かれた盗賊はゆっくりと崩れ落ちる。
ただ者ではないと盗賊達は直感した。
男は闇に潜む盗賊達を完全に把握している。
見せ付けられた離れ業はもしかすると、人間ではないかも知れないとすら感じさせられる。
｢狙った･･･。あの男、俺達の存在を嗅ぎ付けている。｣
｢こんな闇の中でどうして分かるんだ･･･？｣
対象を確認する明かりすらろくにない上に、男からの距離は優に30メールはある。
そんな男にとって圧倒的に不利な条件の下で、男は放った針で正確に対象の眉間を刺し貫いたのだ。
盗賊達が恐れないはずがない。
盗賊達は自分達より弱い対象を｢狩る｣のが常であり、間違っても自分達より強い、それも闇の中で正確に眉間を刺し貫くような得体の知れない相手を
襲うようなことはしない。
そのような相手を襲えば、待っているのは確実な自分の死であるからだ。
盗賊達は暫くの沈黙の後、一人、また一人と男から遠ざかっていった。
｢･･･逃げるか。さっきの兵士達よりは頭のできがいいようだな。｣
この計り知れない能力を持った男は、去っていく盗賊を追うこともなく、悠然と闇の中で食事を続けた。 テルサが国家特別警察の支配下に置かれてから5日が過ぎようとしていた。国家特別警察の横暴は激烈さを極め、数人で世間話をしていただけでも反乱を企てようとしていたと言い掛かりをつけられ、恋人同士がデートをしていたら
不健全であるとして連行されるという話は珍しいものではなかった。
ひどいものでは道で遊んでいた子ども達の一人が巡回中の兵士の足にぶつかり、それがけしからんとして袋叩きに遭って重傷を負わされ、その子どもの親が
監督責任を怠ったとして連行されたという話もあった。
自警団は解散させられ、町役場の職員も国家特別警察に忠誠を誓った者以外は解雇した上に反逆罪として連行し、テルサにも支部を持って活動していた
｢赤い狼｣も密告を元に一斉摘発され、押収された名簿から活動家の家族、機関紙｢カージェ4)｣の購読者やその家族が殆ど根こそぎ逮捕、連行された。
人々の表情から笑顔が消え、何時連行されるかとびくびくしているのと対照的に、黒い鎧の兵士達と、卑怯にも保身のために忠誠を誓った一部の人間が
町をのさばっていた。
町の自治の象徴だった自警団の詰所は、物々しい警備に守られた、抑圧者の牙城へと変貌を遂げた。
父ジルムを連れ去られたアレンはそれ以来すっかり塞ぎ込んでしまい、フィリアが心配して泊り込みで付き添っていた。
アレンは絶望と自己嫌悪から体調を崩し、寝たり起きたりを繰り返していた。
食事もろくに受け付けず、日に日にやつれていくのが手に取るように分かった。
｢ねえアレン。元気だしてよ･･･。｣
さわやかに晴れた昼下がりの気候とは対照的に、重く沈んだ表情のアレンは居間のソファに腰を下ろして俯いていた。フィリアは何とかアレンを元気付けようと優しく語り掛ける。
｢このままじゃ、アレンの体がまいっちゃうよ。｣
フィリアが言っても、アレンは首を力なく横に振るだけだ。｢俺は･･･駄目な人間なんだ。男が聞いて呆れる･･･。｣
｢そんなに自分を責めないでよ。アレンは何も悪くないじゃない。｣
｢小父様はきっと大丈夫よ。ね？だから元気出して。｣
しかしアレンは頭を抱えて蹲るように肘を膝に付ける。心の傷は想像以上に深く、アレンの健康を確実に蝕んでいた。
女性達の羨望ともなっていた白い肌は生気がない青白さが浮き出し、艶も殆ど無くなってしまった。
頬も幾分こけ、一気に何十歳も歳を取ったように見える。
｢アレン･･･。｣
フィリアはアレンの横に腰掛けて寄り添い、アレンの肩に手を置く。アレンが弱っていくのを間近で見ているのは、フィリアには辛いことだ。
ゆっくりと、重苦しい時間が流れていった。
やがて日は西に傾き、夜の訪れが告げられようとしていた。
｢確か、ここを進んでいくとテルサとかいう小さな町があったはずだ。そこで宿でも取るか。｣
紅に染められた狭く蛇行する山道を、男がドルゴを走らせていた。男がドルゴを暫く疾走させていくと、左右の森が男を追いかけるように動いた。
男は構わずドルゴを走らせ続ける。
森の動きは少しずつ男に近付いてきている。
男の瞳が左右に動き、手綱を握っていた右手をぐいと引き寄せてドルゴを急停止させる。
すると森の動きがぴたりと止まる。
男は後ろを振り返ることなく、そのまま石像のようにじっと静止する。
森ががさがさと揺れ、何かが男の背後に回り込んで来る。
鳥の囀りが微かに聞こえた。
沈黙の時間がゆっくりと流れていく。
突如として森が動き、男の背後からオークの集団が一斉に飛び出した。
オークは上等の獲物と思ったのか、目を血走らせ、涎を垂らしながら武器を振りかざして男に襲い掛かる。
しかし、男はオークの集団を一瞥することなく、左手に持っていた剣を抜く。
細くしなやかな刃身の剣を持った男の右腕が一瞬消える。
再び男の右腕が姿を現し、剣が鞘に収められた時、オークの集団の体に横一文字に赤い切れ目が走り、上半身が積み木のように前にずれて地上に落ちる。
上半身を失った下半身は数歩進んで上半身に重なるように倒れ込む。
オーク達の表情は斬られたことが分からないかのように、獲物目掛けて襲い掛かる時のものそのままだ。
｢豚か。｣
男は一度もオーク達の方を振り返らずに、一瞬の動作で一網打尽にしてしまった。数は軽く見ても50。
よくテルサの街を襲い、住人を苦しめる程度の規模である。
それをたった一人で、それも目にも止まらぬ剣の一撃で全滅させたのだ。
｢さて、行くか。｣
男はオーク達の死骸をちらりとも見ずに、再びドルゴを走らせ始める。狭い山道を抜けると、開けた場所に出た。
ここを暫く進めばテルサの町に到着する。
男がドルゴを走らせていくと、前方に何か黒い塊が見えた。
近付いていくと、それは夥しい数の人間の死体だった。
男は死体の側までドルゴを走らせ、ドルゴを停止させて死体を見る。
死体は100体は下らないほど横たわり、魔物や烏達に食い荒らされたのであろう、無残にも骨だけになっているものが多い。
腹を食い破られたもの、手足をもぎ取られたもの、上半身が消えているものなど、五体満足なものは一つもない。
猛烈な腐敗臭が漂ってきたが、男は全く表情を変えずに死体を観察する。
死体はどれもぼろぼろの衣服の切れ端を身につけている。
大人らしいものもあれば明らかに子どもと分かる小さなものもある。
襲撃された痕跡を探しても、それらしいものは見当たらなかった。
男はこれらの死体が難民達のものだと理解した。
行く宛もなく、飢えと寒さで力尽きたのか。
町を取り囲む塀の外は、無防備な者にはあまりにも過酷である。
男は死体に手を翳して呟くように言う。
｢ファイア・ストーム5)。｣
すると猛烈な勢いの炎の塔が死体を包み込む。間もなくして炎の塔が消え去った後には、一片の骨も残ってはいなかった。
男はこれ以上哀れな魂を魔物達や烏達に晒さないように、乱暴ではあるがその場で火葬したのである。
死体を全て葬るにはあまりにも数が多い。
これが男が今できる最大限の追悼の行為であった。
男は再びドルゴを走らせる。
手綱を数回波打たせてドルゴのスピードを上げる。
ドルゴは最大限のスピードで殆ど闇に包まれた草地を滑り続ける。
暫く進み、完全に周囲が暗闇の世界になった頃、前方に微かな明かりが見えた。
行商や旅人に町の場所を知らせる合図になる見張り塔の松明の光である。
男は明かりを目指してドルゴを走らせる。
暗闇に微かに浮かび上がるように町を囲む壁が見えたところで、男はドルゴを止める。
やけに警備の兵士が多い。
通常、壁の外部の警備は夜間の出入りを監視することと襲撃をいち早く察知する為に門の傍に二人程度配備されるのであるが、まるで町全体を
包囲するかのように黒い鎧を身に付けた兵士達が巡回を続けている。
男は関所での出来事を思い出した。
見慣れない威張りくさった兵士達が自分達を国家特別警察と名乗っていたことを。
男はゴーグルを外すと、そのまま町の方へドルゴを走らせる。
その頃、兵士達は小声で話していた。
｢なあ。あいつらの言ってたことって、本当なのか？｣
｢一昨日逃げ込んできた、ギマ王国の関所警備部隊が言ってたことか？どうも信じられんね。｣
｢拳や蹴りで人間を粉砕するなんざ、化け物以外考えられないって。｣
｢結局奴等は職務命令違反、職場無断退出の罪で帝都送りだろ？多分死刑だな。｣
｢陛下の命令は国家の命令だからな。まあ、当然だろう。｣
｢ん・・・？何か来るぞ。｣
兵士達は剣や槍を構えて身構える。
現在、民間人に対して夜間の外出や町への出入りを禁止する命令が出されている。
万が一にも侵入を許すようなことになれば、自分達も職務怠慢として帝都送りになり、厳重に処罰されるだろう。
その恐怖を存分に知らされているだけに、兵士達は自分に近付く異変に過敏なまでに反応する。
男を乗せたドルゴが兵士達と10メール程の間を取って急停止する。
それを見計らって兵士達が一斉に走り出し、男を遠巻きに包囲する。
兵士達が身構えながらじりじりと間合いを詰めるが、男は別段動揺する素振りを見せない。
｢なるほど。ただでは町に入れてやらんというわけか。｣
男は呟く。その表情に変化はない。兵士達が突進するような素振りを見せると、男は手を前に翳す。
｢バイモン6)。｣
男の前に、黒いガスの中央に蜥蜴のような顔のある不気味な魔物が現れた。魔物が口を大きく開けると、夜の暗闇よりもさらに暗い、文字どおり暗黒が吐き出される。
その気体は瞬く間に男とそれを包囲していた兵士達を飲み込む。
男を拘束する機会を窺っていた兵士達は、突然漂い始めた闇に驚き戸惑う。
魔物が口を閉じて消えると、男は腰の革袋から森で盗賊達に投げつけて射殺した金属の鋭い針を一本取り出す。
兵士達には男の姿は勿論、割と近くに居た筈の隣同士の姿すら見えない。
暗黒以外何も見えないという猛烈な恐怖で、兵士達は完全にパニックに陥った。
｢な、何が起こったんだ？！｣
｢何も見えんぞ！どうなってるんだ？！｣
｢明かりを早く点けろ！｣
｢ぎゃっ！！｣
突然、暗黒の何処かで悲鳴が上がった。それを合図とするかのように、あちこちで悲鳴が上がる。
｢何だ？！｣
｢この野郎！！姿を現せ！！｣
兵士達は暗黒の中で言いようのない恐怖感と殺気を感じる。
｢だ、誰だー！！｣
兵士の一人が悲痛な叫びを上げる。その兵士の剣が突然弾き飛ばされ、驚いた兵士の首に冷たく鋭い感覚が走る。
｢動くな。｣
兵士の背後から低い声がした。兵士は凄まじい恐怖感に襲われ、全身が凍り付いたような気がした。
｢貴様ら、国家特別警察とかいう奴等か？｣
｢そ･･･そうだ･･･。｣
｢何故ここにいる？｣
｢国王陛下の･･･勅命だ･･･。テルサを･･･いや、国家全てを監視下に置くようにと･･･。｣
｢ここの頭は何処だ？｣
｢ま、町の中央部の･･･支部施設の最上階･･･のはずだ。｣
｢最後に一つ。難民達を追い出したのは貴様らか？｣
｢そうだ･･･。王国に他国の人間は不要だと･･･国王陛下の勅命で･･･。｣
｢国家の命令となら何でもするのか？｣
｢そ、それが国家の忠臣たる我らの使命・・・き、貴様は･･･何者だ！｣
｢死神だ。｣
その言葉と同時に、兵士の首に鋭い針が突き立てられる。兵士は声にならない叫び声を上げる。
赤く染まった針が抜かれ、口を塞いでいた手が離されると、兵士は支えを失ったように前のめりに崩れ落ちた。
用語解説 −Explanation of terms−
1)ドルゴ：竜族(解説は3を参照)の亜種で、体長は3〜5メール、草食で大人しい為乗用や運搬用として広く使用されている。地上１メール程を滑るように60〜80キーム(距離の単位。１キーム＝100メール)／ジムの速度で飛行する。あまり急な斜面を超えることはできない。
2)ブレード：剣の中で、片側だけに刃があるもの(日本刀のイメージ)を総称して言う。両側に刃があるものはソードと呼ぶ。
3)竜族：｢大戦｣後に誕生した新種族。所謂｢ドラゴン｣の総称で、数こそ少ないがそのパワーは絶大。
4)カージェ：フリシェ語で｢平等｣の意味。週刊となっている。
5)ファイア・ストーム：力魔術の一系統、炎系の魔法の一つ。数千度の火柱で対象を包み込む。本来は呪文を必要とするのだが、ある条件を満たしていると
呪文無しでも使用できる。その条件についてはいずれ本文中で紹介する。
6)バイモン：暗黒の属性を持つ魔物。顔以外は実体のない気体で通常の攻撃ではダメージを与えられない。口から完全に視界を遮断して声も全く漏らさない
暗黒空間を作り出す気体、通称ダークミストを吐き出す。暗黒空間は１ジムの間持続する。
ご意見、ご感想はpj.ro.teni-nus@oidutssmまでお寄せください Please send e-mail to pj.ro.teni-nus@oidutssm.スパム防止のため、メールアドレスは上記アドレスを手入力してください。