Saint Guardians

Scene 1 Act1-1 異変-Accident- 日常、それは気付かぬ宝

written by Moonstone

 6月1)。空ばかりでなく、心まで鉛色にするような雨季が終わり、日差しが徐々に夏の雰囲気を漂わせるようになってきた。
ナワル大陸北西部に位置するレクス王国の西南端、隣国ギマ王国との国境付近にあるひっそりとした山間の町テルサにもようやく夏の便りが舞い込もうと
している。
 南に5000メール2)級の山々が万年雪に彩られた峰を連ねるフォンデステロ3)山脈が聳えるのをはじめ、周囲を険しい山々に囲まれたテルサは、
一時レクス王国最後の秘境とまで皮肉られたこともあったが、近年はギマ王国との交易路の唯一の中継点として俄かに脚光を浴び始めている。
そのため、店舗や公共の建物の看板やプラカード・インフォメーション4)にも、王国の国語であるフリシェ語5)とギマ王国の国語であるマイト語6)
そしてギマ王国が多民族国家であることを考慮してか、公用語である2、3の言語が併記されるものが目立ってきている。

 山の隙間から顔を覗かせた太陽の日差しが、町に斜めに差し込んで暫くが過ぎた。
町のほぼ中心部に位置する商店街は、新鮮な商品を少しでも早く、安く手に入れようとする人々で早くも賑わいを見せている。
 テルサは今でこそ、陸の交易路の中継点としての役割で得られる外貨によって豊かになりつつあるが、周辺の町との交流を困難にする地形が災いして
流入する人口や生活物資の量はまだまだ少なく、王国全体の中でも市民の生活水準は低い方に属する。
店に並ぶ商品も、他からの高価で上等な仕入れ品より、町の農家や職人が生産するやや貧弱とも思える商品の方が圧倒的に多い。
人々の服装も随分着古したものが多く、破れた部分につぎを当ててあるものも決して珍しいものではない。
しかし、人々はそんな品物や服装に妙な劣等感を抱くこともなく、平穏な日々の暮らしにそれなりに満足している。

 商店街を取り囲むように存在する家々では、朝食の準備をしたり、洗濯物を干したり、家畜に餌を与えたり、畑仕事に繰り出したり、家族を夢の世界から
引き戻したりする光景があちこちで見受けられる。
 町の西部のこじんまりとした家々が立ち並ぶ住宅地の、少し鄙びた感のある平屋の一軒家の玄関が開き、中から一人の少年が出て来る。
少年の名はアレン・クリストリア。
今年、クラリウス暦7)3296年の4月に16歳になったばかりのこの少年は、一見しただけでは少女としか思えない可愛らしい顔立ちをしている。
艶のある赤色の髪と新雪のような白い肌、人の手が及ばぬ泉のように透き通った大きな青い瞳とスリムな体のラインは、女性が羨むほど優美に整っている。
ラフな服装と袖を捲ることで「男らしさ」を懸命に表現しようとしてはいるものの、袖を捲ったことで細く華奢な腕が見え、健康的な少女としか思えないことに
アレンは気付いていないようだ。
その腰には優美で華奢な姿態とは妙にアンバランスな、立派な鞘に収められた長剣がぶら下がっている。
 少年は冷水のように肌に染み込んでくる朝の空気を一度大きく吸い込み、家の中に向かって言う。

「じゃあ父さん、行ってくるから。」

 中からお世辞にも似合うとは言えないピンクのエプロンを着た、髪と同じ赤色の頬髭を蓄えた中年の男が出て来る。
男の名はジルム・クリストリア。アレンの父親で今年で40歳になる。
アレンが持つ長剣は、アレンが15歳の誕生日を迎えた時、ジルムがプレゼントとして送ったものである。

「フィリアちゃんとデートか?朝帰りするならその前に連絡するんだぞ。」
「ち、違うよ。フィリアが山へ薬草を採りに行くからついて来てって言うから、仕方なく行くだけだよ。」

 ジルムがからかい調子で言うと、アレンは少し動揺したように頬をほんのり赤く染める。
フィリアとはアレンの幼馴染の少女で、年は同じ16歳である。

「行動する時は先のことも考えるんだぞ。近頃の女の子は随分積極的だそうだしな。」
「・・・もう、勝手に言っててよ。行ってきます。」

 アレンはジルムとの会話を早々に切り上げて、早朝の路地を走って行く。
人通りが殆どない幅3メールほどの入り組んだ路地を抜けて、アレンは閑静な住宅地とは対照的に、活気に満ち溢れる商店街のある、町のほぼ中央を
南北に貫く大通りに出る。
フィリアとは商店街の中心部に位置する噴水で待ち合わせる約束をしている。
威勢の良い店の人の掛け声があちこちから聞こえる中、アレンは巧みに人を避けて走る。
 アレンはそのたおやかな外見のイメージとは裏腹に、超人的な敏捷性と運動神経を持ち合わせていて、走るアレンに追いつける者は少なくとも
町にはいないと評判である。
腕力がずば抜けているわけでもないアレンが、持つためにそれなりの腕力を必要とする長剣を持っているのは、いざという時に剣を両手で持って
盾が使えなくても、その敏捷性と運動神経で十分カバーできるということを知っているからである。
生まれながらの女性的な外見にどうしようもない劣等感を持つアレンにとって、他人よりはるかに優れた運動能力は数少ない自信の源となっている。
 走るアレンの視界に、町の唯一のシンボルとも言える大理石で作られた大きな噴水が入る。
豊かな水を噴き上げ続ける噴水の側のベンチに、一人の少女が座っている。
そわそわした素振りで正面に見える町役場の壁の大時計と周囲に交互に視線を移すその少女こそ、アレンが待ち合わせの約束をしている相手、
フィリアである。

「フィリア!」

 アレンが呼びかけると、フィリアはその声の方を向く。
アレンの姿を見つけると、今まで苛立ちの色を濃くしていた表情が一瞬にして嘘のように晴れやかになり、立ち上がってアレンに向かって大きく手を振る。
アレンが到着すると、フィリアは不満を示すように口を尖らせる。

「遅ーい。何やってたのよお。」
「遅いって、待ち合わせの時間までには十分間に合ったじゃないか。」

 アレンはフィリアの不満を怪訝に思って大時計を指差す。
待ち合わせの時間は7ジム8)であり、大時計の針はそれまでにあと10ミムのところを指している。
フィリアが時間に厳しいことを知っているアレンは十分間に合うように家を出てきたのに、それにもかかわらず遅いと文句を言われたのだから、
怪訝に思うのも当然だ。
 すると、フィリアは右手の人差し指を横に何度か振る。

「駄目駄目、駄目ねえアレン。いい?女の子との待ち合わせには50ミムは早く来るのがエチケットって言うものなのよ。」
「・・・誰が決めたんだよ、そんなの。」

 今度はアレンが不満そうに口を尖らせる。

「エチケットに誰が決めたも何もないじゃない。そんなこと言ってるようじゃあ、繊細で複雑な女の子のハートを掴むにはまだまだ難しいわね。」
「・・・大きなお世話だよ。」
「さ、折角日曜日に朝早く起きたんだから、早く薬草摘みに行こうよ。」

 フィリアは最高の微笑みをアレンに向ける。
フィリアは濃い緑色のやや細い瞳と白い肌をしていて、肩口で切り揃えた亜麻色の髪にはライトブルーのリボンを着けている。
二人の身長の差は頭半分ほどアレンの方が高い程度である。
もっともフィリアが特に長身というわけではなく、アレンが同年代の少年より小柄なためである。
 このフィリア、温厚でおっとりした性格のアレンとは対照的に直情的で、性別逆転の典型と囁く者もいる。
その服装はいかにも年頃の女の子という感じのもので、ともすれば自分よりも女性的に見えるアレンより自分を女性としてアピールする思惑が感じられる。
 事実、アレンは2年前の町の感謝祭9)で、フィリアやその友人達に実験と称して半ば強制的に女装させられた時、
あまりの美しさに全員が仰天し、さらに街をしばらく歩いてナンパされた回数を競ってみたら、アレンがずば抜けて一番多くナンパされ、その娘は男の子だ、と
言われるまで誰一人として識別できなかったという
「経歴」−本人には当然のことながら、忌まわしい過去でしかない−を持っている。
 そのことでフィリアは女性としての危機感を一層強め、アレンといる時はより女の子らしく見せようとしている。
もっとも女の子とアピールするのは、それだけが目的ではない。
 フィリアはアレンの左腕にさっと腕を回す。

「な、何するんだよ。」
「堅いこと言わない、言わない。」

 突然のフィリアの行動に戸惑うアレンに、フィリアは悪戯っぽく微笑む。

「たまにはいいじゃない。気にしない、気にしない。」
「それはこっちの台詞だって。第一、一緒に何処か行く度に、腕組んでるじゃないか。」
「さ、早く行こうよ。こんなところでもたもたしてたら日が暮れちゃうわよ。」

 アレンは一度ため息を吐いて、呆れたという表情で首を傾げる。
会話のペースは必ずと言って良いほどフィリアに握られてしまうことに、アレンは情けない気分になる。

 二人は人の量が目に見えて増えてきた大通りを南に進み、町の南側の高さ5メールはあろう巨大な鉄製の正門から街を出る。
この時代において人類は少しずつ生活範囲を広げてはいるものの、万物の霊長ではなく、数多くある種族の1つにすぎない。
町はどんなに規模が小さくても、どんなに貧しくても必ず高い壁と深く幅の広い堀に囲まれ、人々や物資は魔物などが攻めてきた時には閉じる頑丈な
門からしか出入りできない構造になっている。
人間の生活は壁に囲まれた範囲内で辛うじてその安全を保証されているのである。
 それなのにあえて危険だらけの町の外へ、それもきちんとそれなりの装備を整えているのならいざ知らず、普段着そのままの服装で出るというのは
常識知らずと言われても反論できない。
それでもフィリアには、街を出なければならない理由がある。

 フィリアは家業の中規模の農業を手伝う傍ら、魔術師10)となる勉強のために町の魔術学校11)に通学している。
魔術師と聞くと何やら怪しげなイメージが先行するが、この世界での魔術師は決して日陰の商売ではなく、習得した魔術で町へ攻めて来た魔物などを
撃退したり、一般市民に読み書きを教えたりする社会的評価の高い職業である。
魔術師の力量は魔術に対する習熟度や魔術を生み出す原動力である精神力の大きさによって決まり、それを示すものとして称号が与えられるのであるが、
フィリアは現在Phantasmist12)の称号を得ている。
Phantasmistとなると、触媒を用いる古代魔術系13)が使用できるが、それらの魔術を使用するためには触媒14)が必要となる。
触媒としてよく利用される薬草は魔術学校や薬品店などで入手できるのであるが結構な値がつくため、フィリアの家庭の経済事情がテルサでは比較的
豊かであるとは言え、おいそれと買うことはできない。
そこでフィリアは町の外へ出て、必要な薬草を無料で入手しようと考えた。
 現在のように人間の生活範囲が地上の隅々にまで広がっていないため、手付かずのままの自然が随所で見られるから、危険に晒されるというリスクに
目を瞑ればそれなりの成果は期待できる。
アレンを伴っての何回かの探索で、大量の薬草が生える穴場を見つけたフィリアは、定期的にそこへ出向いては有り余るほどの薬草を入手していた。
 しかし、一人で出向くには不安もあるし、何より年頃の娘が一人で町の外へ出ることに両親が反対するのは目に見えているから、その護衛役として、
必ずアレンを誘っている次第だ。

 別に護衛をさせるだけなら、フィリアは交際範囲が広くて男友達には不自由しないから、その内数名を連れて行けば済むのであるが、フィリアは
この時は必ずアレンだけを誘う。
それはアレンが幼馴染ということで気兼ねなく行動できることもあるが、最大の理由はフィリアがその心に秘めるアレンへの想いがあるからである。
幼馴染として長い間側にいたことが、フィリアのアレンに対する感情を自然に恋へと変えていった。
フィリアがその変化した気持ちに気付いたのはそれほど最近のことではなかったが、口にする勇気がいざとなると急に萎えてしまうことと、口にした時の
アレンの返事に対する不安があって、未だその想いを口にしたことはない。
 口にすることでこれまで続いてきた幼馴染という関係が男と女の関係になってしまう。
 もし断られたら、今まで続いていたこの関係も崩壊してしまうかもしれない。
それがフィリアには怖かった。
だが、日に日に募っていくアレンへの想いにもう少し浸っていたい。
そんな気持ちも心の何処かにあるのかもしれない。
 二人は豊かな緑に覆われた山の中に分け入る。
不規則な地面の凹凸とやや傾斜のきつい勾配を一歩一歩進む。
鬱蒼と生い茂る木々に覆われているために薄暗く、アレンはいつ来るかもしれない魔物などの襲撃に備えて剣を鞘から抜いて、神経をあらゆる方向に
向ける。
以前にも何度か途中で巨大なオーク15)の襲撃に遭っている。
町から一歩でも外へ出ればそこは人知及ばぬ別世界である以上、油断は絶対禁物なのである。

「ねえアレン。手繋いでいい?」

 フィリアは甘えた口調で場違いなことを聞いて来る。

「あのなあ…。ここが何処で俺達がどういう状況にいるか分かってるの?」

 アレンは呆れてフィリアに答えを返す。
町を出てからは、剣を両手に持つアレンの邪魔にならないように、フィリアはアレンの腕から手を離していたが、ここに来て何を思ったか手を繋ぎたいと
言ってきたのだから、アレンが呆れるのも無理はない。
何時牙を向くとも知れない危険と隣り合わせにいて、それにいつでも対応できるように警戒し続けているのに、わざわざそれを妨げるようなことをする方が
どうかしている。

「んーもう。ケチなんだから。」
「フィリア・・・。いい加減にしろよなあ。俺は護衛なんだぞ。油断してるとオークに頭から齧られるかもしれないんだから、こんなところで訳の分かんないこと
言うなよ。」

 アレンは苦虫を噛み潰したような表情を向ける。

「今はデートしてるんじゃないんだぞ。薬草を摘みに来たんだろう?まさか…忘れてないよな?」
「勿論忘れてないわよ。じゃあ、デートなら手繋いでくれる?」

 フィリアは少しも堪えていないようだ。

「・・・デートする関係と状況になったらね。」
「約束よ。」
「はいはい。」

 アレンはどうもフィリアのペースに乗せられているような気がしてならない。
この薬草摘みの護衛にしても、最初は山へピクニックに行こうと持ち掛けられた。
それが回を重ねるごとに薬草探しの様相を表し始め、いつの間にやら薬草摘みの護衛役として定着してしまっている。
こんな調子では将来、気が付いたらフィリアと結婚していたという事態になりかねないとアレンは日々不安を感じている。

用語解説 −Explanation of terms−

1)6月:この世界の暦は日数こそ365年で4年に1度の閏年もあるが、1年は10ヶ月で、1,3,5,7,10の月が37日、他が36日である。
よって我々の世界と混同しないように注意。ちなみに閏年に追加される1日は6月である。


2)メール:手紙や電子メールではない。この世界の長さの単位で1メールは0.8mに相当する。

3)フォンデステロ:フリシェ語で「壮麗な」の意味。フリシェ語については5)を参照のこと。

4)プラカード・インフォメーション:都市にある役場や宿屋などの公共的施設、特産品の紹介や町の略図などを初めての来訪者のために紹介する
立て看板のこと。町の入り口や公共的施設などにある。


5)フリシェ語:この世界の言語の一つ。アルファベット言語で言語形態は独立語(英語や中国語のように語順で文法が決定する言語)に属する。
本文中では特に断りのない限り、フリシェ語での表記を使用する。


6)マイト語:この世界の言語の一つ。アルファベット言語で言語形態は膠着語(日本語のように助詞で変化する言語)に属する。

7)クラリウス暦:「大戦」終結を元年とする暦表記。本文中ではこの表記を使用する。

8)ジム:この世界の時間の単位。この世界は十進法が基本で、1日は20ジム、1ジムは100ミム、1ミムは100セムと細分化されている。

9)感謝祭:キャミール教の年間行事の一つで、一年の収穫を神に感謝する祭り。この日は町の住人が総出でお祭り騒ぎに酔い、役場や店舗も
一部を除いて休業する。


10)魔術師:解説の一部は本文中にも登場するが、無から有を創造する術である魔術を使える職業である。
職業、つまり、収入を得るための手段とはいかないまでも、生活を便利にする手段として魔術を取得する人が多い。
補足すると、魔術とは効果、または属性別(火、水、など性質を示すもの)に系統立てて分類したもので、そのうちの一つ一つが魔法と呼ばれる。


11)魔術学校:魔術師を養成する学校。この世界では教育制度が普及していないので、大抵の国や地域において教育機関としての役割も担っている。
(当然のことながら、魔術の呪文が掲載されている魔術書を読むには文字の読み書きが必要)
運営は生徒からの授業料と国や町村からの寄付金で賄われている。
国も教育に対する投資抑制の思惑や魔術師の反対運動を警戒して、財政支援には比較的積極的でそのため授業料も安価なのが一般的である。


12)Phantasmist:魔術師の称号の一つ。
魔術師、及び後述する聖職者はその技量と経験の度合いによって16段階の階級に分けられ、魔術学校の講師や本文中にも登場する聖職者の冠婚葬祭の
立ち会い、教会行事の遂行などにはある階級が必要とされる場合が多い。
ちなみにPhantasmistは10番目(低い方から。以下同様)で、地方魔術学校の講師レベル。フィリアは年齢を考えるとかなり優秀な魔術師なのである。
称号の詳細については別の機会に紹介する。


13)古代魔術系:魔術系統の一つ。本文にもあるように、使用には触媒が必要。
「大戦」以前に存在した奇術などを具現化したものとされており、空中に浮かんだり姿を消したりと特異な効力を発揮するものが多い。


14)触媒:古代魔術系に使用される魔術実現の媒介物質。薬草の他に魔法陣、札、などさまざま。

15)オーク:RPGでお馴染みの豚の頭を持つ魔物。知能は低く闘争本能と食欲、征服欲が全てを支配する。
主に洞窟に群れを成して棲み、時折別種族を襲う。


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