「…敵反応が消滅。撃破しました。」
15分後-映像左上のタイマーから計算した-、シャルが戦闘終了と勝利を宣言する。祭壇を覆っていたダンゴムシと蜂は僅かに断片を残すのみ。これまでにない激戦だった。弾薬増援無制限のシャルだから何とか制圧できたようなものだ。その点だけ取れば、自衛隊が捜索半ばで撤収したのは運が良かったと言える。それこそこの空間を何かの拍子に発見したら、全滅必至だ。シャルが創られた世界の兵器は、この世界の軍隊では太刀打ちできない。「損耗率35.3%。エネルギーの供給が潤沢で、供給元から近距離だったので、この程度で済みました。」
「シャルは大丈夫?」
「私本体には物理的損傷は一切ありません。少々疲れが酷いくらいです。」
「急ぎエネルギーの充填と損壊部隊の修復をしていますが、暫く横になりながら話をしますね。」
「無理は絶対しないで。話は明日でも良いから。」
「こうして安静にしていれば大丈夫です。ただ、これをお願いします。」
シャルは映像の表示位置を壁から天井に変えて説明する。祭壇を守っていた擬態兵器は、壁や天井などに擬態して敵を待ち伏せて攻撃する防衛タイプの兵器。ヒヒイロカネの代替物質で作られているから、ヒヒイロカネほどの再生や増殖は出来ないものの、能力は非常に高い。しかも空気-厳密には酸素と窒素があれば餌や食料の類は一切不要。半永久的に防衛できるから、美術品や貴重品の警備防衛に使用されている。
相変わらずジャミングが強いが、邪魔がなくなったことで接近して祭壇のスペクトルを分析すると、間違いなくヒヒイロカネが納められている。念のため罠に注意しながら祭壇を調査する。蓋のような部分を開けると、銀白色の壺と鏡と剣がある。間違いなくヒヒイロカネだ。慎重に回収して、派遣しておいた輸送部隊に引き渡す。輸送部隊はシャル本体に戻り、ラゲッジスペースにあるヒヒイロカネ収納ボックスに入れる。これで大きな目標は達成だ。
回収されたヒヒイロカネは、これまでと異なり、製造工場としての能力を有していた。無力化後のログの解析から擬態兵器を創造して自分を守らせていたこと、その制御プログラムが、ヒヒイロカネがトライ岳に持ち込まれた際に書き込まれて、閉鎖空間として成立した後から機能し始めたことが判明した。やはり天鵬上人はヒヒイロカネを随所に隠していた。しかも、ヒヒイロカネの制御プログラムを生産して転送する設備なども有していたことも確実だ。
ヒヒイロカネの制御プログラムは、悪用を防ぐため、専用の施設でないと生産や書き込みが出来ない。一方、手配犯が持ち出したもののリストには、ヒヒイロカネはあったが関連設備は一切残っていない。やはり悪用を防ぐため、専用施設の詳細は最重要機密だし、持ち出しようがないサイズだ。なのにどうやって天鵬上人がヒヒイロカネの制御プログラムを生産して転送したのかは分からない。
「-天鵬上人とヒヒイロカネに関係する謎は、ますます深まったね。」
「はい。ひとまずヒヒイロカネの回収は成功しましたし、トライ岳が人造の建造物であることが判明したのは大きいです。天鵬上人が歴史と異なり、恐らく『空白の7年間』を含めた期間に日本各地を行脚し、ヒヒイロカネや関連する情報を暗号として隠し、時にはそのために人を犠牲にしたことはほぼ確実です。」
「これだけでも歴史を覆す発見だけど、ヒヒイロカネを表に出せないから難しいかな。それに、あの祭壇に入っていた組み合わせ、何だか妙だったね。壺と鏡と剣って。」
「あの組み合わせは、祭壇独自のものではありません。所謂『三種の神器』に相当するものです。」
「?!」
これまで巡ってきた神社で、天鵬上人が何らかの形で関与や影響を及ぼしているところのご神体が、決まって壺や鏡だったことが気になっていた。七輪神社のご神体も壺で、三岳神社のご神体も鏡。意図的なものがあると感じていたところに、これらの事実の追加。更に銀狼神社の銀狼がヘブライ語を話し、解析が続くご神体の不可解な模様もヘブライ語のアナグラムか変形したものである確率が高く、オオジン村の決起集会ではヘブライ語で旧約聖書の一節が出された。ご神体が旧約聖書の影響を受けてのものだと考えると、ご神体としては不可解な形状や合理的に説明できる。
旧約聖書にも三種の神器が存在する。無論、三種の神器という呼称ではないが、十戒が刻まれた石板、マナの壺、アロンの杖-この3つが契約の箱もしくは聖櫃(アーク)に納められたとされる。その契約の箱もしくは聖櫃は、北イスラエル王国と南ユダ王国の崩壊(紀元前7世紀頃)と共に姿を消し、未だに行方が分からない。この世界で大ヒットした「レイダース失われた聖櫃」は、この聖櫃を探し求める物語だ(1981年)。
旧約聖書の聖櫃というと、日本では馴染みが薄いが、この聖櫃とそこに納められた3つの神宝-石板、マナの壺、アロンの杖は、旧約聖書、つまりはユダヤ教とイスラエル、そしてキリスト教とそれを事実上の国教とする世界各国にとっては重大な関心ごとだ。3つの神宝を三種の神器、旧約聖書を日本書紀、ユダヤ教を神道、イスラエルを日本と置き換えれば良い。建国神話と国民の歴史、王家の正当性を証明する貴重な物証と言えば分かるだろう。
本来、物質を神聖化することを禁忌事項とするユダヤ教からすると、神宝というものは存在しえない。物質を崇めるのではなく心で神を信じ従うこと、すなわち偶像崇拝の禁止がユダヤ教、そしてキリスト教の根幹だ。ところが、この3つの神宝が重要視され、今も捜索が続けられているのは、旧約聖書を読むと分かる。
旧約聖書で特に有名な創世記は、神による天地創造、アダムとイブの創造と堕落による楽園追放、人類最初の殺人であるカインとアベルの兄弟の話、ノアの箱舟、バベルの塔、ソドムとゴモラの滅亡といったユダヤ教・キリスト教圏外でも知られる有名な物語に続いて、アブラハム、イサク、ヤコブと続く3代の族長の物語がある。やはり有名なアブラハムは、バニロニア(現在のイラク南部の沖積平野一帯)を出発して、「約束の地」であるカナン(現在のイスラエル/パレスチナ)に到着した。そこで神から祝福を受け、諸民族の父になるという約束を与えられた(創世記12:2)。
アブラハムの息子イサクは、子孫が栄えることを約束され(創世記26:24)、イサクの息子でありアブラハムの孫にあたるヤコブは、神と契約し、ヤコブとその子孫にカナンの土地を与えると約束された。そしてその契約でイスラエルと改名し、ヤコブ、すなわちイスラエルの子孫がイスラエル人と呼ばれることになった(創世記32:29,35:10)。ヤコブは12人の男子と数人の女子をもうけ、12人の男子がイスラエル12支族の長とされている(創世記29-30)。
このようにイスラエル人、つまりはユダヤ人にとってカナンは「約束の地」とされ、非常に重要な地理的ポイントとなった。現在も続くイスラエルとパレスチナの争いは、「約束の地」カナンを巡るものであると知らないとユダヤ教・キリスト教圏外には意味不明でしかないし、二枚舌どころか三枚舌と揶揄される八方美人的外交で両者を押し込んだイギリスの狡猾で無責任な外交の責任は重大だと分かる。
話を元に戻すと、創世記に続く出エジプト記では、ヤコブの末子ヨセフの時代(創世記37-50)にエジプトに移住したイスラエル人が、王朝の変化によって迫害されるようになった(出エジプト記1:1-14)。その時、有名なモーセが神からの命令を受けて蜂起し、イスラエル人を率いてエジプトを脱出し、神が約束した「乳と蜜が流れる」カナンの地を目指して40年間シナイ半島を放浪する(出エジプト記15:22-40:38と民数記)。
放浪の期間中、モーセとイスラエル人は、シナイ山で神から十戒の他、祭儀規定や倫理規定、法律を授かる(出エジプト記20:1-16、19:1-34:35)。この十戒を基に神はイスラエル人全体と契約を結んだ。このように、十戒は神とイスラエル人との契約内容であり、それを刻んだ石板は神との契約書だ。
アロンの杖とマナの壺も、モーセ率いるイスラエル人のエジプト脱出と放浪に密接に関係している。ヤコブがもうけた12人の男子が長となった12支族がそれぞれ杖を取り、部族の名を杖に書いたところ、翌日にレビ族のアロンが持つ杖だけが芽を吹き、蕾を出し、花が咲き、あめんどうの実を結んでいた(民数記17)。以降、アロンの杖と呼ばれるようになったその杖は、アロンの弟であるモーセがこのアロンの杖で、エジプトに10の禍をもたらして出国を認めさせたり(出エジプト記7:8-11:10)、有名なシーンである海を割って道を開く(出エジプト記13:17-30)など様々な奇跡を起こし、イスラエル人を約束の地カナンに導く重要な役割を果たした。
更に、放浪中は神から与えられたという、夜毎に白い謎の食糧が現れたことでイスラエル人は飢えを凌いだ。この食料がマナと呼ばれ、モーセによって壺に納められた(出エジプト記16)。これがマナの壺であり、言わばイスラエル人が辛く厳しい放浪の旅を続ける際に命を繋いだ食料保管庫だ。つまり3つの神宝は、イスラエル人が奴隷状態に置かれたエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指して放浪を続ける中で、奇跡によって道を開き、神と契約し、飢えを凌いだ記録であり、神との契約や神に守られた証だ。
かくしてヨルダン川東岸から約束の地カナンを望んだモーセは、ヨシュアを後継者に指名してモアブの地で没し(申命記)、ヨシュアがイスラエル人を率いてカナンの諸都市を攻略し、移住していく。この様子を描いたものがヨシュア記だ。ヨシュアに続いて、デボラ(士師記4-5)、ギデオン(士師記6-8)、サムソン(士師記13-16)など士師と称される軍事指導者が登場し、時には神の意向を伝える預言者として活躍する様子が士師記で描かれる。最後の士師サムエルの時代で、イスラエルの部族連合体が王制に移行する(サムエル記)。このサムエルが王に指名したのがサウルであり(サムエル記上9-10)、その次に王に指名されたのが、有名なダビデだ(サムエル上16:1-13)。
サウルとダビデの確執の後(サムエル記上16-30)、サウルがアマレク人との戦いで神の意向に背き(サムエル記上15)、最後に戦死したことで、ダビデが王国を継承する。まず南部ユダの王となり(サムエル記下2:1-7)、更に北部イスラエルの王となる(サムエル記下5:1-5)。そしてエルサレムに遷都する(サムエル記下5:6-12)。その息子ソロモン王の時代に、王国は最盛期を迎える。
サムエル記に続く列王記では、ソロモン王は父ダビデがエルサレムに運び込んだ聖櫃を安置するための壮麗な神殿を建築し、エルサレムをユダヤ教の中心地として確立したこと、そして自らの豪華絢爛な宮殿を造営したことが記されている。しかし、これらの豪華な神殿や宮殿は過酷な重税によって賄われたものであり、特に北部の反感を買った。これが遠因となり、ソロモン王の死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。イスラエル王国は短命な王朝が続き、最後はアッシリアに滅ぼされた。聖櫃を安置した神殿はユダ王国にあったが、バビロニアに滅ぼされた際に破壊され、多くの国民が連行された(バビロン捕囚)。しかし、この時聖櫃は姿を消していて、以降現在に至るまで行方は分からないままだ。
「-このように、杖と壺と石板は、旧約聖書やイスラエル人、ユダヤ教における非常に重要な意味合いを持つものです。ヘブライ語を習得し、キリスト教にも接触していた確率が高い天鵬上人こと手配犯が、ヒヒイロカネを隠し、あるいは探す行脚の際に、ランドマークとした神社に3つの神宝を模したご神体を納めたと考えられます。」
「十分筋が通った推論だと思うし、僕もそう思う。」
「1つ疑問があるんだけど。」
「何ですか?」
「天鵬上人は興した天道宗は仏教の一宗派。だけどヒヒイロカネやその情報が隠されているのは神社。どうしてかな、と思って。」
「考えられるのは2とおり。1つは明治維新まで神仏習合が普通だったこと。もう1つは神社の方がご神体としてヒヒイロカネや情報を隠蔽するには好都合な面があることです。」
明治維新前までは、寺の中に神社があること、逆に神社の中に寺があることは珍しくなかった。武家社会の開闢(かいびゃく)である鎌倉幕府の頃から、寺にも神社にも寄進することは頻繁に行われていた。まさに八百万の神々の世界だった。廃仏毀釈は明治維新後の国家神道絶対の方向性で強行された、文化と歴史の破壊行為だ。この廃仏毀釈によって、多くの歴史的・文化的価値のある建造物や所蔵物が失われた。
天鵬上人は、神仏習合の中で、自身が興した天道宗の寺院と共に神社も建立し、ヒヒイロカネに関する情報は基本的に神社のご神体として隠蔽したと見られる。神社のご神体は一般人では出入り禁止、宮司なども礼拝など限られた時以外は立ち入らない聖域。人目に触れることも殆どない上に、宮司や氏子などによる維持管理もある。更には一定周期で遷宮という名の建て替えもある。情報の長期的な隠蔽には好都合だ。
加えて、前掲の廃仏毀釈による破壊や流出を防ぐには、明治維新で国家神道として庇護を受ける体制が出来た神社の方がより確実。天鵬上人がトザノ湖となる火山の噴火を知っていてそれを悪用して棟梁の集団を抹殺した確率が濃厚だから、特に「空白の7年間」と見られる期間に行脚したオオクス地方では、後の廃仏毀釈を回避するためヒヒイロカネや情報を神社に配置したと考えられる。
「-一方、88ヶ所巡礼の札所は、廃仏毀釈でも廃寺になることはありませんでした。天道宗の勢力と民衆支持の拡大という観点が強く、天鵬上人が前面に出て建立したことが影響していると思います。」
「色々策を講じてたのが見えてくるね。この世界の歴史を知ったうえで、悪用してるのが何とも。」
「天鵬上人に成り代わったことで、この世界の歴史をヒヒイロカネの隠蔽に悪用したのでしょう。」
「…謎が謎を呼んでる感じだけど、緊急性の高いものを優先しよう。現状だと最優先すべき事項は、矢別さんのお父さんの消息を追って、監禁されているなら救出すること、だね。」
「賛成です。既にAo県の自衛隊駐屯地に諜報部隊を派遣しています。全域の調査は1日、いえ、この夜の間で十分です。」
「無理はしないでね。シャルの代わりはいないんだから。」
「んー。嬉しいです。」