ようやくそこそこのスピードが出せるようになったのは、3時間後。おかげで大幅に予定が狂ってしまって、急遽イザワ村の北東にあるトラダ市で宿をとることにした。幸い、そこそこ大きな町でホテルも選べる程度はあった。シャルの迅速な手配で、中心部の一角にあるホテルに入れた。市街地だと雪は除雪されているから、車でも行動しやすい。逆に、サワミインターからの経路は何だったのかと思う。
「夕食の店を予約してあります。今日は移動に多々問題がありましたし、十分休養してください。」
「ありがとう。そうするよ。」
シャルが案内したのは馬肉料理店。何でもこの町は馬肉料理が盛んだという。土地勘がないどころか初めて訪れる町では、シャルの情報分析と味覚センスが頼りだ。除雪された雪が歩道の隅にうず高く積み上げられている。市街地だからか除雪は行き届いているようだ。
案内された席は、奥の座敷席。掘りごたつもある。シャルと向かい合わせに腰を下ろして、シャルが2人用のフルコースを注文する。色々食べられるし、苦手なものを食べてもらったり引き受けたり出来る。2人だから出来ることは食事でもあるんだと、この旅で分かった。
『イザワ村の探索は、この町を拠点にする必要があります。』
『村に宿泊施設がないの?』
『はい。くまなく調べましたが、1件も存在しません。』
徐々に運ばれてくる料理を食べて、シャルが選んだ日本酒を飲みながら、シャルの説明を聞く。イザワ村が「キリストの村」と呼ばれ始めたのは100年くらい前のこと。村にあるキリストの墓と言われる遺物が、とあるオカルト愛好家に発見されたのがきっかけだという。その愛好家の著書は、暫くオカルト愛好家以外に話題になることはなかったが、ここ最近急にキリストの墓を見に訪れる観光客などが増えた。
原因はどうやら、オカルトを対象にする動画チャンネルの主催者。この動画チャンネルの主催者は、「キリストの墓は日本にあった!聖書考古学の真相を追う!」と銘打った探索動画を配信した。これが元々の知名度も相俟って有名動画となり、その実物を見ようと特に若年層が大挙して押し寄せるようになったようだ。
ところが、イザワ村も御多分に漏れず過疎の村で、オオジン村と違って振興策も出さないことで、過疎が着実に進行している。キリストの墓とやらも、村は観光スポットとは位置付けていないらしく、大して整備はされていない。何しろ20年ほど前にオカルト愛好家に発見されるまで、森の中に埋もれていたくらいだ。そんな状況だから、宿泊施設も緩やかに廃業していき、今は村に一か所も宿泊施設がない。
しかもオオクス地方の特色である大雪で、イザワ村に通じる国道545号線や県道451号線は頻繁に通行止めになる。最近もこれらの幹線道路が通行止めになっていて、つい一昨日に解除になったばかり。そして鉄道は1つも通っていない。この往来の難易度が、観光客の興味や関心をそそるらしく、通行止めのところを徒歩で入ろうとして、経験したことがない大雪に足を取られたり、方向感覚を喪失して道に迷ったりして、遭難する人が相次いでいる。
『-このような状況です。』
『何となく、イザワ村はキリストの墓を観光資源に使おうとしてなくて、隠そうとさえしてるように見えるね。』
『私も同意見です。発見された当初も森の中に埋もれていましたし、村はキリストの墓をネガティブに捉えていると思います。』
『隠そうとしている理由は、神聖なものだからか、あるいは忌むべきものだからか。今回は後者かな。』
『発見当初の状況からして、後者の確率が高いと思います。その理由までは分かりませんが。』
『実は、このキリストの墓とやらにヒヒイロカネが隠されている可能性が浮上しています。』
『!』
シャルの説明を聞く。僕とシャルは救出したWeb管理者をアオサキ駅へ送り届けるためにかなり北へ大回りしたから距離や方向感覚に違和感があるかもしれないけど、実はイザワ村は有名なトザノ湖を挟んでオオジン村の北東に位置する。勿論、山越えはあるし、冬場は大雪があるから移動は一筋縄ではいかないが、それは本来どの経路でも大して変わらない。整備された高速道路や幹線道路、新幹線といった移動手段があるから、この経路なら早く移動できると勘違いしやすい。
今も解析中だが、七輪神社のご神体に刻まれていた模様は、三付貴神社や銀狼神社のご神体のそれと同一の文字と断定できる確率が高い。そしてその文字は、ヘブライ語を変形あるいはアナグラムである可能性も高い。これらのことから、天鵬上人が史実と異なり、内密にオオクス地方まで足を延ばしていた可能性が十分ある。
キリストの墓とやらは、100年ほど前に発見したというオカルト愛好家が、自説を集めた著書に強引に結び付けたことで「キリストの墓」とされたというのが真相で、キリストの墓の知名度を上昇させた動画チャンネルの主催者は、その点に一切触れていない。だが、キリストの墓でイザワ村の住民が祭事をしていること、そしてその祭事は村の南東にある三岳(みつたけ)神社が取り仕切っているのは事実だ。
三岳神社は、キリストの墓から直線距離で3kmほど離れている。実際には雪で頻繁に通行止めになる県道451号線を通らないと行けない。そんな離れた場所にある、しかも宗教的には一神教と多神教で相容れない神社がキリスト教の開祖の墓での祭事を取り仕切るというのは、かなり奇妙だ。キリストの墓がオカルト愛好家に発見されるまで森の中に埋もれていたのは事実だが、村の住民以外の目に触れにくいように、敢えて埋もれるようにしていると考えることも出来る。
『そして、三岳神社のご神体もまた、奇妙な模様が刻まれた鏡と言われています。』
『!』
『天鵬上人こと手配犯が、トザノ湖を目標に東へ移動して、三岳神社を建立した可能性が考えられます。トザノ湖は火山の噴火口に出来たカルデラ湖というものです。周囲からは良く見える山の上にありますから、ランドマークとするには適しています。』
『徒歩での移動が当たり前だった時代だから、何か分かりやすい建物や自然のものを目標にするのが確実だよね。』
『はい。現代の感覚で考えがちな史学の考察の落とし穴です。』
天鵬上人の行動ルートはまだ推測の段階だけど、恐らくヒラマサ島から北上して七輪神社などオオクス地方に至ったルートが考えられる。時期の推測は本筋から逸脱しやすいから別として、オオクス地方を巡った理由の1つはやはりオオクス地方にあった金鉱脈、そして周囲の豪族の勢力や防衛線の調査、といったところだろう。そしてもう1つはヒヒイロカネの隠蔽。
知る人ぞ知るという場所にひっそり佇む神社に暗号めいたものをご神体として安置する一方で、ヒヒイロカネは天鵬上人の足取りの中に含まれていない。三付貴神社が近い逆鉾山の頂上地下にヒヒイロカネが安置されているくらいだ。ヒヒイロカネを隠す場所を探すんじゃなくて、ヒヒイロカネを隠した場所の情報を断片的にして、都がある現在の京都などから遠く離れたオオクス地方にばらまくためだろうか。有力な仮説だと思うけど、決定打に欠ける気もする。
『以降は明日にしましょう。ヒロキさんの休養になりません。』
状況説明と推測はいったん終了と相成った。渋滞の待機は時間以上に体力を消耗する。同じ姿勢を保持しないといけないことは、予想以上に体力を使うらしい。日本酒も飲んでいるし、どのみちイザワ村へ赴くのに必要なシャル本体は使用できない。今日は休養に専念しよう。明日からはまた往復でシャル本体に乗って移動することになるんだし…。長時間の渋滞を含む移動の疲れに予想以上に美味しい馬肉料理の数々と口当たりの良い日本酒を加えたことで、ホテルに帰ったら即寝てしまった。放ったからしにしたシャルには悪いことをしたのに、朝は何時もどおり優しく起こしてくれた。
シャワーを浴びて着替えてから朝ご飯のため1階のレストランへ。定番のビュッフェスタイルだけど、馬肉を使ったものが多い。機能の晩御飯にはなかった馬肉カレーを中心に数品選んで席に着く。客はまばらだ。僕も名前は知っているトザノ湖目当ての客がいそうなものだけど。
「トザノ湖目当ての人は、トザノ湖に面したホテルを使うでしょうね。此処からは交通の便があまりよくありません。」
シャルがスマートフォンに地図を表示して、トザノ湖に繋がる道路に色を付けて分かりやすくする。山道らしいというか蛇行する国道が何本か通じている格好だ。これだと、市街地のホテルを拠点にするのは、特に雪がある時期は相当厳しい。雪を無視してノーマルタイヤで走行した結果、酷い事故や渋滞を招いた事例につい昨日遭遇したばかりだ。「イザワ村に直接行くのも現在は不可能です。」
「もしかして、雪?」
「今日はこのトラダ市で待機するしかないか。時間がもったいない気がする。」
「今日1日市内を散策しましょう。その点では、時間は十分あります。」
『偵察部隊を派遣しています。手ぶらでは終わりませんから安心してください。』
『そういえば、そういう手段も使えるんだったね。』
「えっと、行きたいところは幾つかピックアップしてあって。」
シャルは楽し気にトラダ市の行先スポットを挙げる。これだと丸1日費やすだろう。イザワ村の状況はシャルの偵察部隊に任せるしかないし、昨日はホテルに戻ってすぐ寝ちゃったから、今日はシャルの希望を叶えることに専念しよう。朝ご飯を済ませて出発。トラダ市も雪は多かったようだけど、主要道路は完全に除雪されているから、車での移動には問題ない。最初はホテルにほど近いところにある現代美術館。予想外のセレクトだったけど、奇抜な作品がたくさんあって面白かった。しかもこの手の施設としては珍しく、大半の作品が写真撮影OK。触れたりすることも出来る作品が多くて、広さも相俟ってちょっとしたアスレチックのようだった。
次は優楽郷(ゆうらくごう)。所謂植物園だけど、これがまた広い。雪が随所に残ってはいたけど、花は既に春のもの。見たこともない花が多くて、シャルに都度解説してもらった。夏頃になるとライトアップもあるそうだ。温室では熱帯植物が巨大な花を咲かせていたり、花で出来た回廊があったりと趣向を凝らした作り。中心部から離れているけど人が多い理由がよく分かった。
そして今は馬の国。この町の名物食材でもある馬が、こちらは触れたり乗ったりが出来るタイプの施設。馬の動物園といった感じ。此処で昼御飯。流石に馬肉料理はないけど-子ども連れもいるし馬肉料理は精神的によろしくないだろう-ジビエを活かしたハンバーグなど料理は至って上等。すっかり休日を満喫している。
「あの山の向こうにトザノ湖があるんだね。」
「こちらは通行制限はないようです。雪が残っているので、速度制限はありますが。」
「今から行くと、ちょっと忙しないかな。」
「ホテルに戻る時間も考えると、観光スポットのうち1つ2つに行って戻ることになりますね。」
今いるオオクス地方は、日の出日の入りが早い。つまり夜の訪れが早い。いくらシャルのHUDやナビがあるといっても、土地勘のないところを夜間、しかも雪が残る道路を走行するのはリスクが高い。僕とシャルは事故を起こさなくても事故に巻き込まれることは十分あり得る。昨日は間接的に他人が起こした事故に巻き込まれた格好だ。
「ちょっと待ってください。…トザノ湖のホテルを確保します。良いホテルが空いています。」
「どうしたの?」
「写真で凄く映えるスポットがあるそうです。」
『理由は3つ。1つはトザノ湖方面からなら国道451号線でイザワ村に入れること。もう1つは、トザノ湖に近い戸座野神社のご神体にも、不可思議な模様が刻まれているとの情報があること。そして最後は、イザワ村の西側に異常なレベルのジャミングが存在することです。』
『このジャミングは、岩殿神社周辺に存在したものと周波数帯やパターンが酷似しています。』
『!ということは、そこにもジャミング施設やピーキングアイが潜んでいる?』
『ジャミングのレベルが非常に強いので現時点では未確認ですが、岩殿神社周辺の状況からしてもその確率は高いです。』
『つまり、そのエリアの何処かにヒヒイロカネか、それに繋がる秘密の入り口とかがある確率が高い、と。』
『そのとおりです。』
寺社仏閣がランドマークと位置付けられているのは、ヨクニ地方の88ヵ所巡礼の札所などでも明らかだ。どうやって維持管理されているのか分からないような奥深い場所にある寺社仏閣も、かなりの歴史を持っていたりする。そこにご神体や宝物として情報を保管すれば、容易に人の目に触れたり持ち出されたりするリスクを大きく減らせて、風雨に晒されて破損するリスクも減らせる。しかも定期不定期に保管場所そのものが刷新されるから、保管場所の損壊の被害を受けるリスクも低い。
オオクス地方のように雪深い場所でも、近隣集落の住民や宮司などによって除雪や清掃が施されている。天鵬上人はそれを見越して、寺社仏閣のご神体や宝物としてヒヒイロカネや関連情報を隠したんだろう。これまでの文明と隔絶された世界に逃げ込んだとは思えない頭の回転ぶりだ。僕が同じ立場に置かれたとしたら、狼狽するか絶望するかのどれかだろう。
『ジャミングは多数の地点に存在しますが、全体としてトライ岳を覆う形になっています。』
シャルはスマートフォンに地図を表示して、そこに薄くジャミングのエリアを重ねる。大小の薄い赤い円がジャミングのカバー範囲か。トライ岳は初めて聞く名前だけど、此処がジャミングされているということは、トライ岳に何かある確率が高い。『このトライ岳、オカルト愛好家の間ではピラミッドではないかと言われている有名どころです。』
『!』
『その説も、キリストの墓とやらを喧伝したオカルト愛好家が自著の正統性を担保するためのものですが、無線通信が一切使えないなど、ジャミングの存在が知られていないことでその説の正当性が高まっています。文明の進歩がオカルトを裏付けてしまうとは皮肉な話です。』
『天鵬上人が生きていた時代にはジャミングの対象自体がなかったから、後々のことを考えてのことだろうね。』
『その確率が高いです。遠隔通信はこの世界で可能になってから200年も経っていません。無線通信が可能になるのを見越して、妨害工作を仕込んでおいたと考えられます。』
歴史全体から見れば、無線通信がなかった時代の方が圧倒的に長い。その時代にジャミングなんて無意味でしかない。無線通信が当たり前の文明水準になってようやくジャミングが本領を発揮する時代が訪れた。これも天鵬上人が見通していたとなれば、頭の回転はずば抜けているとしか言いようがない。こういう人物との敵対は非常に厄介だ。暴力での攻撃は一目散に逃げるという手段が使えるし、武術の心得があっても逃げることが最善とさえ言われる。一方、知恵や策略での攻撃は何処に罠が張られているか分かりづらいし、罠だと分かった時には非常に不利な状況に陥っている場合もある。
兎も角、イザワ村に入れる見通しが立った。拠点を程近いトザノ湖付近に移して、ジャミングが隠すものを捜索する必要がある。ホテルは確保できたそうだから、一旦今のホテルに戻ってチェックアウトしてから移動だな。
『イザワ村への移動ですが、一筋縄ではいかないようです。自衛隊が検問を敷いています。』
『自衛隊が?』
『この辺りは県境が少々入り組んでいて、国道451号線の西側の一部は、オオジン村があるA県の県域です。検問を敷いている自衛隊はA県から入り込んだようです。』
『私も同感です。自分を村そのものと思い込んだ愚かな村長の契約や司令部の命令と言えど、自国民が現に生きている村にMIRVを撃ち込む組織が正常とは思えません。縦社会の構造が厳格であればあるほど、上層部の腐敗と暴走は深刻化するものです。末端や外部からの異論や諫言を危険分子と見なして排除・粛清する性質が普通になりますからね。』
『…シャル。検問を敷いている自衛隊の動向を調査できる?』
『勿論です。既に偵察部隊と諜報部隊を派遣しています。』
『ひとまずシャルが確保してくれたトザノ湖のホテルに移動しよう。』
『はい。周辺の警備と防諜体制を強化します。』
シャルの希望の乗馬を体験した後、トラダ市のホテルに戻ってチェックアウトして、その足でトザノ湖のホテルに移動。雪の影響で冬用タイヤかチェーン必須で、それでも事故原因の片側交互通行があったけど-この雪でもノーマルタイヤで走行したがる理由が分からない-、シャルの予想とほぼ同じ時刻にホテルに到着。駐車場から早速トザノ湖が一望できる位置にある。
「良いお部屋ですねー。」
「ありがとうございます。オフシーズンですので館内設備をゆったりお使いいただけます。どうぞお寛ぎください。」
「宿泊は1日の1/3くらいを過ごす重要な場所です。金銭面に不安がないなら妥協する必要はありません。」
「その金銭面は、カード会社や銀行に怪しまれないかな?かなりの出費が連続していると思うけど。」
「勿論大丈夫です。財務省子飼いの税務署やその飼い犬の税理士なども追及できないように対策されています。安心して使ってください。」
「それなら良いんだけど、このホテルも今まで使ったことがない金額だろうから、ちょっと気になって。」
「金銭や医療といった後方支援は私やマスターがなすべきことです。ヒロキさんが今出来ること、大きな目標であるヒヒイロカネの捜索と回収に専念できるように。」
カード決済や電子マネー決済で便利になった一方、金銭の移動が常時企業や政府機関に監視されるデメリットもある。不特定多数の金銭移動がビッグデータと名を変えて吸い取られ、知らぬ間に売買されたり商品展開の道具にされたりする。ビッグデータはそれを売買して儲ける人間や企業以外は誰も得にならない。ブラックマーケットや反社会的組織への金銭移動を監視したいなら、その手の組織を潰せば良いこと。それこそ地球を何度でも滅ぼせるという核兵器なりを使ってでも。
金銭についてはシャルやマスターが対策済みだというから信用する以外にない。となれば、改めて本題、目下最大の謎や疑惑が蠢くイザワ村に戻る。全面通行止めと発表されている国道451号線の西側は実は自衛隊が検問を敷いている。この時点で何かあると思わざるを得ない。検問を敷くのは警察の仕事。自衛隊が検問を敷くのは外国の戒厳令のような、軍事行動が前面に出る事態。専守防衛が建前の日本では起こり得ないことだ。
「強行突破はシャルなら簡単だろうけど、後々に影響するから、この手は最終手段。ひとまずシャルの偵察部隊でイザワ村の状況を把握するのが先かな。」
「それが良いと思います。イザワ村はかなり広大な上、大半が山林です。ジャミングの位置特定にも時間を要します。」
「ジャミングの位置特定と並行して、自衛隊や警察の展開や連携の状況についても調べられる?」
「勿論可能です。イザワ村を丸裸にします。」
「丁度良い時間ですから、晩御飯にしましょう。」
シャルが話を切り替える。偵察部隊からの情報を待つのは何時になるか分からない。イザワ村はかなり広大だというし、僕が出来ることは待つこと。「今日はホテルのレストランを予約しておきました。行きましょう。」
「うん。」
2人用の洋食フルコースを注文して待つ。こういうコース料理は2人以上とか人数制限があることが多い。旅に出る前は手が出なかったけど、今はシャルと一緒に食べられる。些細なことだろうけど、カップルや夫婦ならではの特別な領域だと思う。
「指輪もしてますから、攻守両面で完璧ですね。」
「攻守って。でも、指輪は想像以上に目立つものだってことは実感したよ。」
「遠目で見たら分かるかどうかのサイズなのに、よく目立つね。」
「手は素肌だけなのが普通なところに、金属という異質なものがピンポイントであるからだと思います。均質なところにピンポイントで存在するものは際立って見えやすいようです。」
「言われてみれば確かに。」
店内は客もまばらで、物凄く静かだ。大きな声で騒いでいるわけでもないのに、大声を出しているような錯覚を覚える。少しずつ運ばれてきた料理を食べながら、トザノ湖周辺の観光を中心にシャルと話をする。流石に少ないとはいえ他の客や従業員もいる中で、トライ岳やイザワ村の話は少々憚られる。何処で聞き耳を立てているか分からないというのもある。
シャルがスマートフォンに地図を出して説明してくれる。トザノ湖は思った以上に広い。その岸に沿うように国道544号線や国道451号線が走り、それらに沿ってホテルや旅館、飲食店、小規模な集落がある。夏は避暑や釣り、観光で賑わうけど、冬は深い雪に阻まれて、冬山登山など限られた人しか来ない。今年はようやく雪解けというところに時期外れの大雪に見舞われ、しかも国道451号線の通行止めでキャンセルが相次いでいる。
トザノ湖に入るには、東からだとイザワ村を通過する国道451号線を通過するのが最も早い。そのルートが閉ざされると、今回僕とシャルが走った国道544号線か、西側のルートである国道113号線だけになる。この国道113号線は、トザノ湖の南西と北西に分岐していて、南西側はMIRVの衝撃を受けたA県オオガタ市で、北西側はAo県アオサキ市に通じている。ただ、南西と北西のルートは道が蛇行していることから、あまり使用されていない。その点でも、国道451号線の通行止めは、トザノ湖の観光に及ぶダメージが大きくなりやすい。
『-これらの交通事情に加えて、県境が入り組んでいることが、警察と自衛隊の混在に繋がっているかもしれません。』
シャルはマップに県境を表示する。トザノ湖上で「く」の字を描く形でA県とAo県の県境がある。更に、国道451号線は、トザノ湖沿岸ではAo県の県域だけど、イザワ村からの一部でA県の県域にある。県域が異なるということは、警察の管轄が異なることでもあり、これが警察の移動を難しくしている確率が高い。警察は警察庁が頂点であるのは勿論だけど、大半の業務は各都道府県警本部が統括している。上位下達の一方で現場は各都道府県警に委任されている組織形態と言える。そのため、県域をまたぐ捜査や追跡は、基本的に都道府県警の合意がないと出来ない。大型事件や容疑者の逃亡で都道府県警の合同捜査本部が設けられるのはそのためだ。
今回の歪な通行止めと自衛隊の検問は、A県とAo県の警察の連携が不十分で、結果的に自衛隊が先行して検問を張ったと見られる。距離的にトザノ湖から近いアオサキ市とモリサキ市に自衛隊の駐屯地がある。警察の連携が進まない状況下で、先に自衛隊がアオサキ市やモリサキ市から部隊を派遣して、あまり使われていないルートである国道113号線からイザワ村に入った確率が高い。
警察も自衛隊も上意下達の組織でメンツを重視するから、検問を自衛隊に「奪われた」ことは、イザワ村があるAo県の県警にとっては面白くない筈。ここを突く手があると良いんだけど、武器を持つ組織同士が対立すると周囲が巻き添えになる危険がある。出来る限り戦闘は避けた方が良いだろう。
『警察と自衛隊は、双方が西と東で国道451号線を封鎖していることは把握しています。やはりというか、警察は不快感を抱いています。』
『自衛隊が前面に出て来つつあるような気がする。』
『その方向性は否定できません。警察が数々の不祥事で針の筵状態なので、まだ類が及んでいない自衛隊を動かす方向にシフトしたとも考えられます。』
『それだけ、Xが政権中枢に深く食い込んでいる、ってことだね。』
『はい。少なくとも首相や大臣に直接提言できるレベルでしょう。』
今するべきことは、イザワ村の状況把握が最優先。続いて自衛隊が検問を張る意図、というところか。イザワ村は謎が多い。直線距離で3km離れた神社が祭祀を取り仕切っているキリストの墓、その祭祀を取り仕切る三岳神社の不可思議な模様が刻まれているらしい鏡のご神体、以前遭遇したものに酷似したジャミングがあるトライ岳。雪深い過疎の村に何かあると思わせる要素が多い。
食事を終えて部屋に戻る。あまりにも静かすぎて何となく緊張感を感じたレストランから、一転して気が安らぐ場所に戻った気がする。今日は…このまま寝て待つしかないかな。外は止んではいるけど雪が多いし、景観を考えてかあまり街灯がないから、下手に歩くと方向感覚を見失う。雪が存分に残るだけの寒さで道に迷ったら、最悪生命に関わる。シャルがいるとはいえ、迂闊な行動は避けるべきだ。
「お風呂に入りましょう。今日は移動も多かったですから、ゆっくり休んでください。」
シャルの言葉に甘えて、入浴することにする。ハイクラスの部屋だけあって、部屋の風呂も広い。僕が旅に出る前に住んでいたアパートの風呂の倍以上はある。ホテルでよくある洗面台やトイレと同じ空間じゃなくて、きちんと区切られていて脱衣場もある。服を脱ごうとして、隣にシャルがいることに気づく。もしかして一緒に入る…?僕が見つめる中、シャルは髪を束ねて服を脱ぎ始める。僕とシャルは夫婦って体だし、一緒の風呂はオクセンダ町でもオオジン村でも経験済み。しかもすることはしている。今更緊張するまでもない…筈なのに、何だろう?この緊張感は…。