謎町紀行 第116章

蟲毒に満ちた村からの脱出、Xの追撃と誤算

written by Moonstone

 翌朝。シャルに起こしてもらった僕は、シャルが作ってくれた朝ご飯を食べて出発の準備をする。と言っても、荷物が少ないから、持ち込んだ食材をシャルが用意したクーラーボックスに入れて、その他着替えや日用品をバッグに詰め込むくらい。調理器具は勿論、水回りから床まで既にシャルがすべて洗浄済み。荷物を持ち出せば入った時と変わらないか、それ以上に綺麗になっている。
 料金は前払いだから、鍵を受付に返すだけ。そういえば、この施設の職員は村役場の職員を兼任している。僕とシャルが堂々と出ると、通信状況は兎も角、村役場に通報して、応援が来るまで僕とシャルを引き留めようとするんじゃないか?

「そんなこと、思っていても一切できませんよ。」

 シャルは悠然としている。警戒しながら受付に行くと、チェックインの時にもいた職員がいる。だけど、正面を見たまま微動だにしない。…シャルがヒヒイロカネで拘束しているな。村長らの走狗はそこでじっとしていろ、ということだろう。職員は視線だけこちらに向ける。助けてくれ、と言いたいようだけど、口も動かせない。ヒヒイロカネが体内まで侵食して、呼吸と瞬き以外はさせないようにしているのは確実だ。

「チェックアウトです。鍵をお返しします。」

 僕は鍵をカウンターに置く。職員は真正面を見たまま-かなり不気味だ-機械的に「ありがとうございます。確認します。」と言ってキーボードを操作する。施設利用の手続きは電子化されているから、追加・超過料金がなければ鍵の返却を受けてチェックアウトになる。

「確認しました。追加料金などはございません。ご利用ありがとうございました。」

 職員の挨拶はやっぱり機械的。シャルが声帯を操作して言わせているのが分かる。兎も角、チェックアウトの手続きは完了したから、施設を出るのを咎められる理由はない。荷物を持って施設を出る。このままだと部隊と鉢合わせるけど、シャルが動きを止めているというし…!

「昨夜も激しい雪でしたからねー。」

 シャルはさらっと言うけど、目の前の光景は悲惨極まりない。雪に首まで埋もれた人、人、人。駐車場で「その時」に向けて待機していたらしい部隊、すなわち村人は雪に生き埋めにされている。氷漬けにされたのと同じだし、雪が積もり、今も残るほどの低気温だから、全身の冷え方は相当なものの筈。シャルは敵とみなした相手には本当に容赦ない。

「シャル。一応聞くけど、死んでないよね?」
「勿論生きてますよ。生命維持に最低限必要な体温と呼吸は維持するようにしていますから。」

 最低限ということは、それ以上のことは出来ないレベルと言い換えることが出来る。ヒヒイロカネでがんじがらめにされて、メートル単位で積雪して出来た氷の中で全身を冷やされている。僕とシャルがこの村を出るまで一切の身動きは許さないというシャルの強烈な意志を感じる。

「シャル本体は…埋もれてる?」
「流石にゴミムシが屯している中で除雪すると集って来るのでそのままにしてあります。でも、すぐ除雪できますよ。」

 うず高く積もった雪の一部が急に溶けていく。あっという間にシャル本体が姿を現す。雪が積もっていても自分で融雪させられるとは驚きだ。この程度のこと、シャルにとっては朝飯前だろうけど、もはや雪害と言うべきレベルの積雪がある地方から見れば福音ものだろう。
 嫌味じゃなくてご丁寧にも運転席と助手席付近、そしてリアの周辺まで十分融雪されている。雪に閉じ込められている村人を他所に、荷物をラゲッジスペースに載せて、僕は運転席に、シャルは助手席に乗り込む。シートベルトは自動でセットされる。スタートボタンを押せば、HUDを兼ねたフロントガラスに進路が表示される。見ると、特定の方向だけ雪が勝手に溶けて、シャル本体が通行できるくらいの幅の道が出来る。至れり尽くせりだ。

「他で実行すると流石に怪しまれますけど、今はヒロキさんと私しかいませんから。」
「雪の中にいるけどね。」

 両側の雪、否、氷の壁の何処かに生き埋めにされているんだよな…。この積もりようだと重量も相当だろう。全身氷漬けの上に重しを乗せられているようなものだから、拷問そのものだ。自業自得だし、殺されなかっただけありがたいと思うべきだろうけど。
 慎重に運転して国道に出る。この国道だけは国か県が除雪するらしい。HUDの案内はA市に繋がる南じゃなくて、北に向かうよう出ている。Web管理者の救助と村外への搬送があるから当然か。途中の道路に小さい集落があるし、村役場の差し金の宮司の家もあるけど、シャルが制圧済みだろう。

「はい。勿論です。今回は除雪しながら参道を進まなくて良いですから、安心してください。」
「運動にはなるけど、ちょっときついからね。」

 除雪は初めて体験したけど、雪があんなに重いとは知らなかった。1回だけならまだしも、あの作業を雪が降る度にしていたら、疲労は半端じゃない。雪害と言われる理由が分かった。それがこの村の犯罪を正統化するものではないけど、メートル単位で積もる雪が生活や自治体の発展の障害になっていることは分かる。
 シャルが除雪してくれることで、集落を走る細い道も問題なく通れる。HUDの指示どおりに七輪神社の参道近くにシャル本体を止める。此処から七輪神社奥の地下牢に捕らえられているWeb管理者を救出するんだけど、除雪もなしでどうやって?
 そう思っていたら、参道の奥で何かが破裂するような音がする。少しだけど、雪と一緒に木片や石が勢い良く飛ばされる様子も見えた。…シャル、七輪神社を破壊したんだな。地下牢は文字どおり岩山の地下深くにあるし、そこから脱出するには七輪神社の本殿を経由するしかないし、その本殿は地下牢の出入り口としてカモフラージュされていた。文化的な観点からすると重大な破壊行為だけど、シャルは邪魔な障害としか認識していない。

「ご神体は退避させてあります。あちらは手配犯に繋がるかもしれない重要な物品ですから。」

 やっぱり、ご神体以外はどうでも良いと思ってる。場合が場合だけに止むを得ないか。除雪されていない、雪で埋もれた参道をどうやって案内するかと思ったけど、地下牢にはシャルの「分身」が、Web管理者の護衛と内部調査を兼ねて送り込まれているから、「分身」が先導してくるんだろう。
 参道の雪が一気に溶けて、石を並べて作られた階段を中心とする参道が姿を現す。その奥から、シャルの「分身」と、その後ろに続いて女性が下って来る。

「貴方方が…、彼女が言っていた便利屋さんの救助担当の方々?」
「そうです。貴女をこの村から脱出させて、安全な場所までお送りします。」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」

 「分身」はWeb管理者に、後部座席に乗るよう指示する。何時の間にか、後部座席にはWeb管理者の荷物がある。「分身」も後部座席に乗り込む。僕とシャルも乗り込んでシステムを起動する。HUDに案内が出る。隣のA市じゃなくて、山を越えて北隣のA県モリサキ市、そしてその北にある県庁所在地のアオサキ市が指定されている。

「かなり遠いところまで移動するんだね。」
「はい。事情があります。経路の安全は確保してありますから、運転をお願いします。」
「分かった。」

 途中で追撃されたらどうしようかと思ったけど、シャルが安全を確保してくれているなら迷うことはない。HUDに従って国道238号線を北上する。道路は除雪されているし、シャルのリアルタイム制御もある。雪が残る危険な道路でもスピードを出せる。

「取り返した貴女のスマートフォンをお返しします。」
「ありがとうございます。…確かに私のものです。」
「貴女はモリサキ市の北、アオサキ市まで送ります。そこから新幹線で東京まで出られます。チケットは確保済みですし、親御さんと地元警察には貴女が無事であることを連絡済みです。」
「ありがとうございます。何から何まで…。」

 「分身」からスマートフォンを返され、帰宅への経路も示されたことで、Web管理者は感謝しきりだ。救助しに来たと言われても、地下牢からの脱出や、村からの脱出をどうするのか不安に思っていただろう。

『昨夜眠った時に彼女の脳神経系を操作しました。私の分身のことや救助の過程など、ヒロキさんと私に関わることは次に眠った時に全て忘れるようになっています。』
『それが良いよ。それにしても、スマートフォンを取り返したり、細かいところまで手が回ってるね。』
『昨日の作戦変更で予想外に多くの時間が出来ました。村役場の機密資料の発見や調査に加えて、村長宅を急襲して制圧の上、Web管理者のスマートフォンや村の悪事に関連する証拠や資料を押収できました。それらも精査した結果、重大な事実が明らかになりました。その1つは、村全体で大麻を栽培していたことです。』
『大麻?!』

 思わず声が出そうになった。村ぐるみで拉致監禁や集団強姦に手を染めていただけじゃなくて、大麻栽培まで…。あの村、犯罪者の巣窟なのか?自治体の首長や議員が悪事に手を染めていたことは今までもよく目にしたけど-それはそれでどうかと思うけど-、自治体ぐるみで数々の犯罪を犯しているのは初めてだ。人口と構成比からすると、「蟲毒の村」という通称もさることながら「犯罪者の村」という通称がしっくり来る。
 シャルの説明をダイレクト通話で聞く。人口増加策として24時間体制の空調が整備された宿泊施設-僕とシャル、Web管理者が宿泊していた施設を建設したのは事実だけど、補助金の一部を秘密裏に大麻栽培施設建設に充当した。大麻栽培は一定の温度と照明が必要とされる。宿泊施設の売りであるバイオマスボイラーによる発熱とそれを用いた発電は、大麻栽培にぴったりではある。
 その大麻栽培施設は、何と村役場の地下。宿泊施設と村役場は、小道を隔てた向かいにある。更にバイオマスボイラーは宿泊施設の隣。発熱のロスを出来るだけ抑えて大麻栽培に向けるには効率が良い。村役場の地下は、村民には知られていない。隠蔽には都合が良い立地だし、冬場の寒冷からある程度逃れることが出来る。24時間付けっ放しが必要な照明も、バイオマスボイラーの発熱を利用した発電で賄える。悪事にはとにかく頭が回るようだ。

『犯罪の巣窟だね…。』
『人口と収益の増加のためなら手段を選ばないという方針は一貫しています。それだけ犯罪に躊躇がない、人権や倫理よりも村を優先する硬直して腐敗した思考が正常とされているわけです。』

 オオジン村は救いようがないとしか言いようがないレベルで腐敗している。過疎に直面する自治体は全国に多数あるし、今まで訪れた町や村の中にも過疎のものはあった。だけど、その土地の文化を守りながら暮らしていたし、中には圧倒的な数と金の暴力に直面しながら新しい住民と共に未来を模索するものもあった。少なくとも、人権や倫理を踏み躙り、犯罪に首まで浸かることはなかった。
 オオジン村には、そういうある種の歯止めがない。村ぐるみで拉致監禁と集団強姦、奴隷労働に手を染め、更にはクローン製造や大麻栽培まで。大麻栽培は村役場の庁舎の地下を使っているというから、犯罪の巣窟と言う他ない。こんな異常な状況に誰も異議を唱えなかったのか。唱えなかったことで村ぐるみの犯罪に首まで浸かったのか。
 村ぐるみで大麻を栽培していたことが発覚して、決起集会で観測された住民の不可解な状態の謎が解けた。大麻を吸引すると、安寧を極めた精神状態になり、僅かな刺激が強い興奮と快楽を生じさせる。性行為などと合わさると強烈な快楽となることで、セックスドラッグという用語もあるくらいだ。決起集会に臨んだ住民は、村ぐるみで栽培した大麻を吸引して異様な精神状況に陥り、この快楽をもう一度得るために目的を完遂しようという心理に達したと考えられる。

『村ぐるみで大麻栽培に手を染めていたのも大概だけど、他の重大事項って何?』
『これらは村の再興に繋がる新産業と人口の創出の奇策として、5年ほど前に村を訪れた正体不明の人物によって多額の資金と共に齎されたとのこと。』
『!まさか!』

 自治体にふらりと現れ、多額の資金提供と共に不穏な取引を持ちかける人物。その人物はヒヒイロカネを得る代わりに、その自治体に悪の種を撒く。僕とシャルが最初に訪れ、ヒヒイロカネに纏わる黒い欲望の実情を知ったオクラシブ町で話に聞いた人物。オオジン村にも訪れていた可能性が濃厚だ。
 オクラシブ町は、4つの集落のうち3つが欲望の沼に嵌り、事実上壊滅。集落内外の多くの人が巻き込まれて命を落とした。オオジン村も似たようなことが起こっている。例の人物は、過疎の自治体を標的にして、ある種の実験をしているんじゃないだろうか?

実験の結果、自治体ごと潰れても大した影響はないと踏んで。

 現時点では情報が少なすぎるから推測でしかないけど、手配犯の1人と見られるその人物は、Xかもしれない。もしくはXとは別に暗躍する別の手配犯かもしれない。Xは今のところナカモト科学大学の首脳部らを暗殺したと思しきことくらいしか表に出てきていない。一方、例の人物は過疎の自治体を標的に暗躍しているらしい。例の人物-Yと呼ぶことにする-は、この世界の人間を実験台や駒としか考えていないことは確実だ。

『クローン製造も、その人物、Yって言うけど、そいつの提案?』
『直接の提案は新創命産業株式会社ですが、その提案の説明や仲介はYが担当したそうです。当時、Yは村長の私設秘書という位置づけだったようです。』
『あの閉鎖的な村によく食い込めたね…。』
『手土産と称して多額の現金を村長に寄付したのと、それに続いて大麻栽培で莫大な利益を齎したからです。その実績と資金で村長は完全に篭絡されました。』

 狂ってる。腐ってる。色々な侮蔑の言葉が頭に浮かぶ。金に狂い溺れて無関係の他人を犠牲にして憚らない腐った性根は、村全体に蔓延っている。心ある人が脱出しようとするのを妨害したり、選挙の度に村長派と反村長派で賄賂流血何でもありになるのはある意味自然なこと。悪い意味の田舎と島国根性を煮詰めて凝縮した腐った環境と人で構成されるのが、あの村だ。

『村長宅を急襲・制圧した際、村長は言いました。「この村は私と共にその歴史を終える」と。』
『どういうこと?』
『それが、村から出来るだけ離れてもらっている理由でもあります。道中の安全は確保してあります。出来るだけスピードを上げてください。』
『…分かった。』

 村長の意図は何となく分かった。秘密が漏れるのを避けるため、村長は最悪の決断をしたようだ。国道7号線に入る。アクセルを踏み込んで出来るだけ北へ向かう。HUDの右下隅に数字が表示される。60が1秒毎に減少していく。59、58、57…。やっぱり…!

『安全圏内に入ってはいますが、念のため出来るだけ走ってください。』
『分かった。SMSAは大丈夫?』
『ヒロキさんと私が通り過ぎたポイントから順に安全圏内に退避済みです。』
『それなら良いんだ。あの村は兎も角、SMSAが巻き込まれるわけにはいかない。』

 数字が30を切った。スピードメータは150km/hを突破している。ほぼ直線の道路だから何とかなっているけど、カーブは曲がり切れないかもしれない。10を切った。9、8、7、6、5、4、3、2、1、0!
 背後にもう1つの太陽が出来たような明るさが生じる。次の瞬間、激しい衝撃と爆発音が背後から突き抜けてきた。激しい振動にハンドルを取られそうになる。しっかりハンドルを握り、減速しながら路肩に寄せる。何とか事故にならずに済んだ。車が他に通ってなかったのも幸いだった。

「な、何だったんですか?!凄い爆発!」
「落ち着いてください。振動は激しかったですが、安全に停車しました。安全が確認できたら移動を再開します。」
「は、はい。凄い爆発だったなぁ…。」
『物凄い爆発だったけど、爆弾?』
『略称MIRV(Multiple Independently-targetable Re-entry Vehicleの略。「マーブ」と読む)。英語表記をそのまま訳せば複数個別誘導再突入体。平たく言えば多弾頭ミサイルです。』
『?!ど、どこからそんなものが?!』
『K県沖に潜航中の潜水艦から発射されました。つまり、SLBM(Submarine-Launched Ballistic Missileの略)です。』
『そんなものが日本に撃ち込まれたら、大ニュースだよ!』
『撃ち込んだのがお隣の国とかなら間違いなくそうでしょう。でも、自国の潜水艦からだとしたら?』

 シャルは説明する。村長宅を急襲して制圧した際、村長は「この村は私と共にその歴史を終える」と言った。村長を徹底的に尋問した結果、村からの定期通信が8時間以上途絶した場合、この村に多弾頭ミサイルが撃ち込まれることになっていることが分かった。そして、その多弾頭ミサイルは、海上自衛隊の重要拠点の1つ、K県カスガワ市の潜水艦隊所属の大型潜水艦から発射されることも。
 至急偵察衛星や通信衛星をハッキングして調査した結果、村からの通信が途絶したこと、大型潜水艦に出航準備とSLBM発射準備の命令が下っていることが判明した。村のチャチな軍勢は兎も角、村長が警察や自衛隊に救援を依頼すると面倒だと通信網を掌握していたが、それが村ごと抹殺する最悪の自決行為に繋がる仕組みになっていたとは予想外だった。
 幸いなことに、通信網は掌握し続けていた。急ぎ偽の通信を入れて潜水艦出航とSLBM発射に8時間のラグを持たせ、Web管理者の救出と村からの脱出の時間を作り、村から脱出した。安全圏に入った時には、K県沖に出た潜水艦からSLBMが発射され、着弾を待つ段階にあった。

『-経緯は以上です。村長が村を私物化していたのは勿論、Xが政権に深く関与していること、そして政権にとってオオジン村の事態は外に漏らしたくなかったことは確実です。』

 声が出ない。村長は村、否、自分に何かあったら村ごと始末するよう手筈を整えていた。そして、その条件を満たした際、手を下すのは自国の軍隊だった。しかも、潜水艦から発射されるMIRV。サイズにもよるけどミサイルが撃ち込まれたらその一帯は無事な筈がない。ましてやMIRVなら文字どおり村ごと消し飛ばすことになる。

それを、自国の自治体に躊躇なく行えるようになっている。

『東京など大都市、言い換えれば省庁や富裕層が多くいる都市部にこのフローがある確率は低いです。今回は、人口2000人弱のめぼしい産業もない、周辺自治体から疎んじられさえする鼻つまみ者だから、躊躇なくMIRVを撃ち込めたと言えるかもしれません。』
『…。』
『軍隊というのは国家、厳密に言えば、国政を動かす立場にいる支配層を守るためにあります。必要なら自国民を見捨てて抹殺することも躊躇いません。大日本帝国軍がアメリカの沖縄上陸戦で、住民に集団自決をさせたように。だからこそ、文民統制が重要ですが、それが機能していないどころか、危機を煽り立てて国民を戦争に駆り出しさえする。嘘や自作自演で侵略戦争に打って出さえする。それがこの世界の日本、ひいては、大国と言われる国の現実です。』

 僕がシャルに殺人に手を出すのを躊躇っている一方で、この国は、この国の軍隊は、自国民を自治体ごと抹殺することにも手を出した。Xが村に接触して多額の資金と犯罪行為を提示したらしいけど、ことが発覚しそうになったらこの世界から村も住民も切り捨てるつもりだった。そして、それを実行させた。
 警察や軍隊に上の命令を拒否する思考はない。上の命令は絶対だし、それが組織運営、ひいてはそれらを運用する支配層にとって重要だからだ。警察や軍隊の内部告発は、死者が出るレベルか女性が絡まないと表ざたにならない。その規模を小さくしたのが学校。学校でいじめという名の傷害・恐喝などの刑事事件が起こっても、隠蔽したり被害者の責任にする方が多い。それこそ死者が出るレベルになってようやくマスコミ報道になるかどうかだ。学校が個人の意思の尊重より命令や規則に絶対服従する精神を涵養してるんだから、内部の不祥事なんて組織≒上層部のメンツを潰すことでしかないわけだ。

『…シャル。村の人は全員…?』
『本来なら放置するところでしたが、Xやそれに寄生する、前の財務省主計官のような連中の思う壺になるのは嫌なので、人間がいるところは防衛シェルターを構成しました。全員無事です。』
『シャル…。』
『あ、あの腐った村がどうなろうとどうでも良いですが、Xやこの国の支配層の思惑どおりにしたくなかっただけです。』
『良いよ。それで十分だよ。』

 先祖代々の土地とやらも、村役場も農協も、何もかも破壊されただろう。全てが村で完結していた、完結させていたあの村の住民は、よりどころにしていたものがすべてなくなったところから生活を再開する必要がある。この機会に村を離れるか、あえて村に、先祖代々の土地にしがみつくかは住民次第だ。
 シャルは補足説明で、接収した資料のコピーと共に所轄のA県県警に通報したこと、同じく資料のコピーをSNS経由で拡散したことを明らかにする。既にA県県警はA市にも伝わった激しい衝撃波や-A市の建物の窓ガラスの半分以上が割れたらしい-強烈な閃光で、隣のオオジン村が何かやらかしたのでは、という疑問や通報がA市市役所やA県県警、各警察署に殺到していて、A市の職員とA県県警が現地に急行しているとのこと。
 シャルの各種解析で、地表に面していた建物は役場から住宅まで跡形もなく壊滅。七輪神社なども例外じゃない。一方、地下の施設を破壊するような貫通能力まではなかったらしく、役場地下の大麻栽培施設や村はずれのクローン製造施設は無事。これらの存在を示す資料を警察への提出以外にSNSでも拡散しているから、自衛隊も手を出せないだろう。
 警察が介入することで、これらの施設建設に関与あるいは容認したことが明確な村長や区長などは勿論、村の人間の多くもWeb管理者などの拉致監禁や集団強姦に関与・加担していたから、同じく逮捕連行は避けられない。自衛隊が改めて抹殺に乗り出そうにも、A市やA県全体を狙えば流石におかしいとなる。

『残念ながら、Xによると思われる自衛隊潜水艦からのMIRVによるオオジン村の抹殺は、村長の口頭だけで証拠がないので、Xや自衛隊を表に引きずり出すことは難しいです。ただ、MIRVで村長をはじめ、住民を1人も抹殺できなかったことで、Xは少なからず動揺するでしょう。』
『MIRVの直撃を受けて建物は壊滅したのに、どうして住民は全員生存しているのか、って疑問に思うよね。』
『はい。私にとってはMIRVの直撃は小石を軽くぶつけられた程度。マフィアのボス気取りで約2000人の住民をまとめて抹殺できると踏んでいたXには脅威に映るでしょう。』

 安全圏にいてもあれだけの衝撃を出したMIRVの直撃も難なく受け流したシャルの能力の高さには驚きだ。以前、シャルは核ミサイルの直撃でも表面が多少損害を受ける程度だと言っていたけど、それを間接的に実証した。恐らく、この世界の武器はシャルに致命傷を与えるには至らない。それはXやXが深く関与する政権にとっては脅威でしかない。
 シャルがMIRVによる住民の抹殺を無効にしたことで、XやXが深く関与する政権は、重大な脅威が存在することを知らざるを得ない。当然、シャルの正体を掴み、排除すべく動くだろう。自分達の地位を脅かす危険が高いとなれば、取り込むより排除する方向に走るのは、権力の座にいる者によくある話だ。
 シャル単独なら、自衛隊や警察は勿論、世界中の軍隊でも兵器でも大したダメージを与えられることなく制圧できるだろう。となれば、僕の排除や抹殺に乗り出すだろう。僕自身に戦闘力はないと言っても良い状況だから、せめてシャルの足手まといになることは避けないといけない。

『ヒロキさんは決して足手纏いではありませんし、その事態はあり得ません。ヒロキさんなくしてヒヒイロカネの捜索と回収という本来のミッション遂行は不可能であり、むしろ私がヒロキさんの洞察や検討を妨害しないように注意する必要があります。マスターも同じ認識です。』
『…。』
『戦闘力とは物理的な行為の遂行能力だけでなく、情報の分析、私では実力行使による制圧に向かいがちな対策への対案提示といった洞察力、言い換えれば頭脳戦の能力も必要不可欠です。情報戦の成否が戦争の勝敗を決することは、文明が進歩するほど顕著です。この世界も例外ではありません。』

 僕が銃火器を持ってもまともに使えないだろうし、物理的な戦闘力は期待できないことは変わらない。だけど、XとXが深く関与する政権との戦いは、ヒヒイロカネの捜索と回収のために避けては通れない。ならば出来ることをするしかない。僕は僕の意志で、僕の意志と選択で生きられるこの旅に出ることを選んだんだから。

「道路の安全を確認しました。移動を再開しましょう。」
「うん。分かった。」

 後方に車がいないことを確認して、慎重に移動を再開する。Web管理者はアオサキ市の新幹線駅まで送り届けることになっている。あと…120kmか。長距離運転だ。再びMIRVが飛んでくることはないと思いたい…。
 Web管理者をまだ雪深いアオサキ駅へ無事送り届けた。MIRVが飛んでこないか気が気じゃなかったけど、潜水艦の出撃命令は出ていないし、仮に出撃してもMIRV発射前にハッキングして基地に撃ち込ませるか自爆させるかするとシャルが言うから、大丈夫だと自分に言い聞かせて運転を続けた。
 移動の間に連続してオオジン村関係のニュースが入ってきた。国道238号線は彼方此方に巨大な穴が開いて全面通行止め。村役場も農協も、宿泊施設も、集落も跡形もなく壊滅。なのに住民は大なり小なり負傷してはいるが、全員生存。建物部分が全壊した村役場の地下から、大麻栽培施設が露出していた。
 現地入りした警察は、通報と同時に送付された機密資料のとおり大麻栽培施設が村役場の地下に存在したことから、A県県警は大麻取締法違反で村長らを逮捕連行。他の住民も大麻取締法違反や逮捕監禁、誘拐、強制性交などの容疑で逮捕連行。凍傷や衰弱が激しい者は、回復を待って送検する方針を表明した。
 「蟲毒の村」と悪名高かったオオジン村の異様な実態と謎の壊滅に、SNSなどでは「ソドムとゴモラの再現」「田舎者の集団自決」など手厳しい意見が連続している。A県は知事が緊急の記者会見を開き、情報からオオジン村は完全に壊滅したと言えること、県北や北隣のA県に通じる国道238号線以外は復旧が困難であるとの見解を示した。自分が村そのものと思い違った村長の村を巻き込んだ自決行為は、間接的に達成されそうだ。
 遠目に、東京行の新幹線が出て行くのが見える。あの新幹線にWeb管理者は乗っている。シャルの脳神経系の操作によって、車内で眠ると同時に記憶は改竄され、村で拉致監禁されていたところを、見張りのスキを突いて脱出して夜の闇に隠れて移動し、オオジン村の東の端にあるオオバネ線の駅からアオサキ駅まで移動して、東京行の新幹線に乗り込んだ、となる。警察の事情聴取や捜査のつじつまが合うように、駅のカメラなどに映像を加えるなどの改竄も完了している。

「今回もヒヒイロカネはなかったけど、関連するかもしれない情報は得られたね。」
「はい。七輪神社のご神体の模様は完全にコピーして解析中ですが、やはり銀狼神社のご神体などと酷似しています。同一人物もしくはその配下の者によってランドマークあるいは暗号として配置されたと見て間違いないでしょう。」
「そしてその人物は、天鵬上人こと手配犯の1人である可能性が高い。」
「はい。歴史と異なり、天鵬上人は渡航を早々に切り上げたり、あえて歴史から姿を消すなどして、ヒヒイロカネの捜索あるいは隠蔽のために日本各地を行脚していた可能性が高いです。そして、その軌跡はここオオクス地方にも及んでいると考えられます。」

 通信手段が非常に乏しい時代に、遠く離れた場所の事柄が一致あるいは酷似する確率はほぼゼロ。ましてや神社における最重要アイテムで、外部とは厳重に隔離されるご神体の模様が一致あるいは酷似することは、共通する人物が関与していると考える方が自然だ。
 天鵬上人こと手配犯の1人は、僧侶という不逮捕特権を有する事実上の国家公務員という立場を巧みに利用して、日本各地、そして海を渡った中国を渡り歩いて、ある時はヒヒイロカネの情報を残し、ある時はヒヒイロカネを隠蔽した。それだけヒヒイロカネは天鵬上人こと手配犯の1人にとって重要だったわけだ。
 今のところ、僕が感じている疑問というか謎は大きく分けて2つある。1つ目は、Xの正体と意図。恐らく手配犯の1人でこの世界に残るヒヒイロカネの掌握と悪用を狙っているようだけど、いまいちどちらも明確じゃない。外部に目的を明確に表明して悪事を進めるのはゲームやフィクションの分かりやすい悪役でしかないとはいえ、ヒヒイロカネの能力からするとかなり動きが鈍いように思える。
 2つ目は、天鵬上人こと手配犯の1人の正確な足取りと、彼が残したと思しきご神体などの模様の意味。情報が乏しい上に、史実と大きく異なる面が浮上しているから、足取りを追うには推理がより必要になるだろう。そして、その推理では、ご神体などの模様を解析して、何が書かれているかを把握することが重要になる。
 3つ目は、何故この世界にかなりの数のヒヒイロカネが残されているのか、ということ。かつてこの世界にあったヒヒイロカネは、何らかの理由でマスターなどによってシャルが創られた世界に移された。だけど、その回収から漏れたヒヒイロカネがあって、それがかなりの数だと思われる。
 手配犯が逃走の際に使ったという時空転送装置は、空間と時間を別々に設定できるらしい。逃走を優先するなら、時間は勿論、空間も別々にするのが普通。なのに、時間をバラバラにした割に空間はこの世界に統一している。逃走は勿論だけど、この世界にヒヒイロカネが残されていると知っていた可能性がある。
 それを伺わせるのが、ハネ村のオウカ神社に安置されていたヒヒイロカネ。それは何らかの理由でマスターなどの回収から漏れて、オウカ神社のご神体として残っていた。それを嗅ぎ付けたホーデン社が、A県県警やトヨトミ市を抱き込んで奪取を目論んでいた。だけど、オウカ神社のご神体のサイズからして、かなり大仰に思える。渉外対策室という諜報組織も有していたんだから、それを使って略奪なり盗み出すなり、宮司を買収するなりすれば、A県県警やトヨトミ市との調整や駆け引きといった面倒ごとを避けられる。
 そして4つ目は、ここ最近の事例から急浮上してきたこと。ヒヒイロカネと聖書、あるいはキリスト教やユダヤ教徒の関係性だ。ヒラマサ町で邂逅した銀狼が言葉を理解して話せたのも驚きだけど、それがヘブライ語で、更には天鵬上人から教えられたと見られることはさらに驚きだった。
 三付貴神社、ヒラマサ町の銀狼神社、そして七輪神社のご神体に共通する不可思議な模様は、ヘブライ語あるいはそれをモチーフにしたものである可能性が浮上している。更に、オオジン村で村長が村民に檄を飛ばす際に並べた呪文のような言葉は、ヘブライ語そのもので、旧約聖書の一節だった。あまりにも場違いで驚いたけど、改めて考えてみると不可解な謎が浮上する。
 日本にヘブライ語や聖書と密接な関係があるキリスト教が伝来したのは、歴史では1549年に鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルが始まりだとされている。だけど、それより数百年前にヘブライ語や聖書が日本に伝来していたとなれば、歴史の流れ自体が大きく変わるかもしれない。
 古代の日本、より厳密には桓武天皇が平安京に遷都するあたりまで、日本には多くの外国人が流入していた。在日外国人というくくりで言えば、現在の比じゃない割合だった。特に政権中枢、天皇にも及んでいた。万世一系の~とか大和民族が~とか、歴史を知れば荒唐無稽でしかない。
 その過程で、キリスト教やヘブライ語や聖書が流入していたことは「公式」の歴史書などには残されていない。だけど、それでもって正確と見なせるかは甚だ疑問だ。日本の歴史研究がしばしばイデオロギー対立に汚染されるのは周知の事実。物証の科学的検証はごく一部でしか行われていないし、「正統」な歴史研究からは未だに異端の扱い。文書の解釈、言葉は悪いが文書をどうやって自分の思想に近づく解釈をするかに明け暮れる歴史研究で、先入観にとらわれない科学的研究が出来ているとは思えない。
 銀狼の例は表には出せないとしても、三付貴神社と銀狼神社、そして七輪神社のご神体の不可思議な共通項は、当時の移動手段や開発状況からして、偶然の一致と片付けるのは逆に不自然だ。これらに天鵬上人が絡んでいるのが、少なくとも銀狼神社では確実。天鵬上人は1000kmを超える距離を移動しながら「何か」をしていたと考えるのが自然だろう。
 天鵬上人が唐にいた時、景教、すなわちキリスト教ネストリウス派に接していた確率が高いことは、一応「公式」の歴史でも「あり得たこと」という認識。そしてそれは、非公式の歴史では確実なこと。「公式」の歴史とは異なるルートで帰国し、その途中で銀狼神社を建立し、銀狼を銀狼たらしめた。その過程でキリスト教や聖書やヘブライ語を持ち込んでいないと、どうして考えられるだろうか?

「…シャル。次の目的地は何処?」
「此処A県イザワ村です。途中まで新幹線の線路に沿って移動する形になります。」

 HUDに大まかな目標地点の位置と所要時間が表示される。3時間か。途中で西に進路を変えて内陸部に移動するらしい。考えるのは後でも出来るし、あまりにも広くて深い。ヒヒイロカネの捜索と回収、そして手配犯の足取りを追うという本筋に戻ろう。

「このイザワ村の通称はズバリ『キリストの村』です。」
「!ということは、天鵬上人やヘブライ語と関係のある何かがある?」
「はい。これまでよりより直接的です。」

 やっぱり、天鵬上人は今もまだ雪深いオオクス地方に何かを残している。しかも、よりキリスト教やヘブライ語に近い何かが残されているらしい。天鵬上人は、何を目的にこの地を訪れ、何をしたのか、何を残したのか、何を隠したのか、地道に追っていくしかない…。