T県もI県に負けず劣らず雪が多い地域。雪が小康状態で-それでもしっかり降ってはいた-何とか高速道路が使えたから、T県も主要個所を巡れた。雪で覆われた急峻な峰が連なるタチヤマ連峰。雪の町に佇むタチヤマ城。ビルと田畑と雪の中を走る路面電車。豊富な海産物を揃えるタチヤマ港。寒さと雪の中に確かに息づく人々の生活に触れた。
気温は低いし、除雪された箇所でも簡単にくるぶしを超えて、1本奥に入るとたちまち膝丈どころか腰を超える高さに積もっている雪には辟易だったけど、シャルが防寒対策を施してくれたことで、快適に動けた。タチヤマ連峰は、上ってはいないけど、防寒対策がなかったら近づくのも厳しかっただろう。
タチヤマ連峰に行った時だけ現地近くのホテルで1泊したけど、それ以外は日帰り。今回のタザワ市のホテルを、シャルは相当気に入っているようだ。レストランは和食洋食何でもいけるし、豊富な食材をふんだんに使っていて美味しい。2人には持て余す広さでゆったり寛げる。気に入らない理由はない。
慣れない雪道の運転と現地の徒歩移動でかなり体力を使ったけど、広い湯船にゆったり浸かって、美味しい食事を食べることで、不思議とかなり回復した。そして…夜。シャルと徹底的に愛し合った。僕自身、毎晩何回も出来たことが驚きだ。それだけシャルが可愛くて魅力的で扇情的だった。
『効果が出始めした。』
シャルに起こしてもらってホテルのレストランで朝食を取りながら、シャルの報告を聞く。『カノキタ市に多数の子連れの外国人が流入し、大挙して子育て支援制度の利用を申請しています。』
『外国人?』
『大半は、M県カマヤ市からです。』
『M県カマヤ市…!確か、ヒヒイロカネの要塞があって、ホーデン社が外国人労働者を扇動した自作自演をしていた。』
『はい。M県カマヤ市での生活が不可能になった外国人労働者やその家族に、SNSを中心にカノキタ市の情報を流しました。カノキタ市の子育て支援関連条例には、支援対象に国籍条項はありません。』
その計画自体は、僕とシャルの調査によって実行前に暴露されて頓挫した。ホーデン社とA県県警は、今でも吊し上げられている。だけど、この自作自演の対立は、カマヤ市に居た多くの無関係の外国人に深刻な影響を残した。所詮外国人は犯罪者予備軍という見方が定着し、居場所がなくなった。
生活保護を受けたり、アルバイトなどで細々と生計を立てていたそれらの外国人に、生活保護打ち切りの圧力や、アルバイトの契約打ち切りなど、さらなる圧迫が続いた。生活がままならなくなってきた外国人に、SNSでカノキタ市の情報が齎された。
カマヤ市があるM県とカノキタ市があるI県は、鉄道で行くにはかなりの乗り継ぎと乗車時間が必要で、高速道路でもかなりの時間を要する。それでも背に腹は代えられない。SNSの情報を頼りに転居の準備をして、途中安宿に泊まりながら、カノキタ市に流入した。
『新天地を教えたという体です。』
『移動したのは何世帯くらい?』
『市役所の窓口で確認できたのは現時点で130世帯。市役所外には順番待ちも居ますし、情報を知ってカノキタ市に移動中の世帯も居るので、最終的には500世帯を超える見通しです。』
『かなり多いね。それに対して市営住宅とか全然足りないんじゃ?』
『市営住宅は全く足りません。民間の賃貸住宅も数が少ないので、あぶれる世帯が発生するのは確実です。』
そこにいきなり500世帯を超える家族が流入したら、住宅面でパンクするのは必至。更に、子育て支援条例には金銭面の潤沢な支援が約束されている。これがカノキタ市の財政を圧迫する上に、子育て世帯以外の世帯にさらなる負担を強いることになれば、反発は避けられない。
『仮設住宅を作るにしても、土地の確保から建設業者の手配も必要ですし、大雪の時期ですから建設自体容易ではありません。』
『カノキタ市も大雪だったよね。その中で何時間も待たせるとなると、この騒ぎを嗅ぎつけた人権団体が黙ってないだろうし。』
『報道されていないので、SNSで人権団体に状況を臭わせておきました。複数の団体がカノキタ市に向かっています。』
『混乱は必至だね。これを市長や母親グループの代表がどう対処するか。』
条例の恩恵を受けないカノキタ市の住民には迷惑でしかないけど、カノキタ市の市長と議員を全員リコールするわけでもなく、選挙で投票さえしない人の方が多い-直近の市議会議員選挙の投票率は42.36%だそうだ-状況だから、状況を打開するには「外」から手を打つしかない。
カノキタ市の混乱はこれから拍車がかかるのは間違いない。僕とシャルはここからどう出るかを考えておく必要がある。単にカノキタ市に混乱を持ち込んだだけじゃ、カノキタ市の無関係の住民にとっては迷惑でしかない。現時点でも迷惑と言われればそれまでだけど、「外」からでないと変わらないし変えようとしなかった結果だと正当化しておく。
『次の手は勿論考えてあります。市長と母親グループの代表の出方で、こちらの出方も変わりますが。』
『それまでは様子見?』
『はい。遅くとも2、3日後には向こうの方針が決まります。そうしなければならない理由もあります。』
『それって何?』
『市長にとっては財務省の後輩であり、母親グループの代表にとっては道を示した指南役である、例の財務省主計官が3日後にカノキタ市を訪れるからです。』
『!』
首相の衆議院解散のXデーに向けて、政権党も野党も、それぞれの地元に戻って選挙の準備を始めている。かの財務省主計官は、これを機に刷新と中央省庁のエリート官僚という看板を使って地元カノキタ市の選挙区から立候補を目論んでいる。政権党も若さと刷新を演出するには好都合と見ているけど、候補を頭ごなしに変えられるI県県連は良い顔をする筈がない。
そこで主計官は次の連休を使ってカノキタ市とタザワ市に入り、立候補に向けた地ならしと県連幹部との対談を行う予定だ。カノキタ市の市長と母親グループの代表は、まかり間違っても主計官のメンツを潰すわけにはいかない。何としても事態の収束を図る。その期限が3日後。主計官がタザワ市での県連幹部との会談の後、カノキタ市に入る日だ。
『既に航空部隊と地上部隊をカノキタ市に展開しています。不穏な動きがあれば即時行動を開始できます。』
『そんなところまで読んでいたのか…。凄いね。』
『主計官が母親グループの代表を何れ市長に担いで、地元選挙区を万端にする策略じゃないかという、ヒロキさんの推論があったからです。主計官を調べていたら、解散総選挙に向けた動きを察知できました。』
『ちょっとは役に立ったかな。』
『ちょっと、じゃないですよ。ヒロキさんの洞察力が不穏な動きを察知する糸口になったんです。』
政治の混乱や腐敗は、社会全体に及ぶ。自分勝手な、声が大きい輩の言い分が通るモラルハザードは、「政治家があんな体たらくだから」というある種の大義名分が成り立つことで発生し、蔓延する。不祥事が相次ぐのはさほど珍しいことじゃないけど-これはこれで大問題-、今の不祥事は凶悪さと深刻さで群を抜いている。
こういう時、注意しないといけないのは「これをこうすればすべて良くなる」と、良く言えばシンプルな、悪く言えば短絡的な幸福論だ。政治や社会がそんな単純なものじゃないことは、それこそ政治家が一番よく分かっていること。そこを短絡的に表現する方策には、腐臭がする裏の事情が隠されている。
立場がかなり危うい政権党は、刷新をスローガンに候補の入れ替えを図るだろう。それに乗じて刷新をイメージする戦略を取れば、政権党は議席減のダメージを回避できる確率が高まる。何しろどれだけ候補者がいても1位だけが当選するのが小選挙区。「地元出身」「霞が関エリート」「政界とのパイプ」に弱い日本では、この3つの看板があれば当選の確率が高い。
結局のところ、自分のためだ。主計官として自分のさじ加減で省庁の予算を選別することで、権力を自分の力、そして自分にふさわしいものと認識して、政治に進出。目指すは財務相、ひいては首相。そのためにカノキタ市に疲弊と分断を齎し、それを永続化しようとしている。
『主計官がタザワ市入りするまでは、シャルの交錯の様子見?』
『そうなります。カノキタ市に第三勢力を形成して、混乱を齎します。既にそれが表面化していますから、余程効果的な手を打たない限り、さらなる混乱は不可避です。』
『主計官が訪れる段階で、カノキタ市の市長と母親グループの代表がどう動くか、かな。』
『はい。勿論、ヒヒイロカネの行使や持ち出しを察知次第、総攻撃を仕掛けて阻止する体勢が出来ています。』
「今日はF県の方へ行きたいです。」
ダイレクト通話から音声会話に切り替えたシャルが、スマートフォンを取り出してテーブルの中央に置く。F県は待機中に出向いたT県とはI県を挟んで反対側にある。大気の時間が多い分、シャルが観光に振り向けている。これも、これまでとは異質なことを感じさせる要因だ。無論、シャルと観光に繰り出すことにネガティブな感情は何もない。ただ、変わりなく日本に居ながらにして、日本の世情と隔絶された世界にいるような気がする。会社は辞めたし両親や兄弟親族は絶縁したし、住んでいたところも引き払った僕は、社会からドロップアウトして十分な金銭的余裕がある、不思議な立ち位置に居る。
嬉々とした様子でF県の見どころを挙げるシャル。彼女と四六時中一緒にいるけど、まったく苦痛や一人になりたいと思わない。山場は3日後。それまでは再び待機と言いつつ観光に繰り出そう。シャルが目を輝かせて初めての景色に見入る横顔を見るだけでも、不思議と心が弾む…。
ん?もう少しでホテルなのに渋滞か。時間帯からして、帰宅ラッシュとは違うと思うけど。
「タザワ市大手門通りで交通規制が敷かれています。辻5丁目交差点から辻2丁目交差点まで渋滞です。」
「事故かな。」
「いえ、検問です。表には出ていませんが、例の主計官がタザワ市に入るため、急遽検問が設けられました。」
最近の渋滞は、余程酷くない限りは緩やかに進む。今回の渋滞はその進みが鈍い。ある意味本物の渋滞だ。金曜日ということで飲酒運転の取り締まりも兼ねているんだろうか。シャルのサポートがあるから加減速は全く問題ないけど、渋滞が面倒なものなのは変わりない。
進んでいくと、赤色灯が見えてくる。3車線のうち1車線を封鎖して、2車線で検問を敷いている。主計官とはいえ、言ってみれば高級官僚の1人。大袈裟とも言える検問に思える。更に進んでいくと、トランクルームを開けてもいる。かなり厳重な検問だ。飲酒運転とは毛色が違う、明らかに警備主体の検問だ。
「トランクルームには前に買った食器くらいしか入ってないよね?」
「はい。慌てなくて大丈夫ですよ。『免許証を見せてやる』くらいにゆったり構えていてください。」
「免許証を拝見します。」
僕が窓を開けると、警官の1人が免許証の提示を求めてくる。口調は一応丁寧ではある。僕は免許証をジャケットの胸ポケットから取り出して見せる。両面タイプのパスケースだから、広げたりする必要もない。「確認しました。ありがとうございます。」
「どうも。」
「トランクルームを開けてもらえますか?」
「はい。少々お待ちください。」
『大丈夫ですよ。この程度カモフラージュできないようでは、サポート失格です。』
シャルの声が頭に流れ込んで来る。バックミラー越しに、トランクルームを見る2人の警官が見える。特に驚いたり怪訝な顔をしたりはしていない。1人がトランクルームを閉めて、小走りで運転席側に来る。「確認完了しました。通ってもらって大丈夫です。」
「はい。お疲れ様です。」
「車は私の本体ですよ。光学迷彩も本体収納もお手の物です。」
「そういえばそうだったね。」
「中を無暗に漁ったら、お望みどおり取り込むくらい簡単なことです。」
「そ、そこまでしなくて良いから。」
「それにしても、検問を敷くなんて、凱旋感覚なのかな。」
「それもあると思います。検問は、政権党のI県県連がI県県警に要請しています。」
「やっぱりそういうことか…。」
「『国営ヤクザ桜田門組』『上級国民の専属警備会社』-警察へのこれらの揶揄はあながち出鱈目とは言えませんね。」
「カノキタ市はどうなってる?」
「外国人世帯が続々カノキタ市に入っています。人権団体や支援団体もカノキタ市入りして、外国人世帯を市役所に誘導しています。市役所は大混乱で、住民票発行など子育て支援制度以外の業務が停滞して、市民の不満が鬱積しています。」
「市長や母親グループの代表は何か対策とかしてる?」
「最寄りの警察署に警備を要請しています。外国人世帯はあくまで生活の保護と支援を求めてカノキタ市に入っているので、警察も現状では排除などは出来ないという立場です。外国人世帯の申請や市民からの苦情は、専ら市職員が対応していて、市長や母親グループの代表は動向を注視するという名の様子見に徹しています。」
「現場に責任を負わせて、明後日の主計官との会談に備えるつもりか。」
「その推測で間違いないようです。加えて、混乱する市役所を主計官に見せられないという意向はあるようで、会談場所は市役所から市長宅に変更されています。」
「今後の計画などは、夕食が済んでからにしましょう。」
シャルが両手を軽く胸の前で叩いて言う。「今日はタザワ牛のステーキが食べたいです。」
シャルは僕の左腕に両腕を回す。セーターとかそこそこ着こんでいるけど、シャルの胸の撓(たわ)みが伝わるのを妨害するには至らない。シャルの言うとおり、まずは疲れを癒して空腹を満たすのが良いかな。このままシャルとの至福の時間に浸ってしまいそうな気もするけど…。