謎町紀行 第48章

寺に陣取る公安警察の根城

written by Moonstone

 翌朝。シャルが覆い被さって寝ていて、僕が呼び掛けてシャルが身体を起こしたら、前が殆どはだけていて一気に目が覚めた。帯が残ってなかったら全部見えてただろう。浴衣って、きちんと着た時と着崩れた時のギャップが激しい。
 互いに背を向けて-正確には向けてもらって-浴衣を着直して、少ししたら朝食が運ばれてきた。旅に出る前の習慣というのか癖というのか、一般的に朝食を摂る前の時間になると目が覚める傾向が残っている。便利なのかちょっと疑問ではある。

「調査結果が纏まりました。順に説明します。」

 目玉焼きもハネ村産というこだわりの朝食を概ね食べ終わったところで、シャルが懸案事項について口火を切る。

「村全体を覆う監視網の構築には、ハネ村の幹部の一部と弁護団の一部が関与しています。」
「ハネ村と弁護団の総意じゃないってこと?」
「はい。厳密には、ハネ村と弁護団が合意している監視網より広大かつ手の込んだものが構築・運用されている状況です。」
「監視網自体は、ハネ村と弁護団の総意なのか。じゃあ、その一部の幹部と弁護団は何か裏がある?」
「はい。A県県警の公安部から金銭を受領しています。」
「!」

 とんでもないスキャンダルだ。ハネ村がホーデン社とトヨトミ市からの干渉を訴えても何もしなかったばかりか、ホーデン社と癒着して情報の横流しや交通事故の揉み消しをしていたA県県警と、しかも秘密警察の側面がある公安部と秘密裏に癒着していたとは。しかもハネ村の幹部だけじゃなく、弁護団まで。
 シャルから説明を聞く。ホーデン社とトヨトミ市の干渉の背景には、元々A県の公安部が居た。何故なら、ホーデン社が複数の社員を「天上がり」で送り込んでいた情報通信管理課は公安部の所属。そしてホーデン社が公安部と癒着する理由は、労組潰しと下請けへの圧力だ。
 ホーデン社がカイカクという理念で、極限まで効率化と利益を追求するのは有名だ。民間企業だから利益を出さないと社員の給料を出せないし、設備投資も出来ないからどうしようもないのは言うまでもない。だけど、それが社員や下請けの生活や精神を蝕み、破壊するレベルなら、目的と手段が逆になっていると言わざるを得ない。
 ホーデン社のカイカク路線は、社員には無茶なノルマを設定しての長時間労働、下請けには無茶な単価と納期を追求させることで、空前の利益を上げる一方、社員は少なくない数が過労死や精神疾患に追い込まれ、下請けは「乾いたタオルを絞る」という表現がぴったり当てはまるギリギリの生産を強いられてきた。
 ホーデン社の労組は、幹部になることが議員やホーデン社幹部への登竜門とされるほど、ホーデン社べったり。ホーデン社と御用組合に対抗して、カイカクの改革や下請けへの適正な単価を提唱する労組が出来たけど、当然ホーデン社としては鬱陶しいことこの上ない。
 一方、情報通信管理課が所属する公安部は、元々特高警察の流れを汲む諜報組織。当然ながら労働運動や市民運動など、特高警察を弾圧に利用した戦前与党、すなわち現在の政権与党が敵視する個人や団体を敵視する性格を継承している。ちなみに、警察で昇進するには刑事より公安が有利なのは公然の秘密といって良い。
 ホーデン社は自らの足元を揺るがす目障りな第2組合を潰したいし、A県県警は労働運動に「転び公妨」でも何でも使って逮捕検挙、うまく進めば家宅捜索など実績を出しつつ、組合活動のより詳細な情報を得られる。容疑者を逮捕・送検するのが実績の刑事より、自分の都合で実績を作れる公安の方が昇進に有利なのは自明の理。
 ホーデン社は「交通情報と密接に連携した自動運転の高度化」を口実に、A県県警の情報通信管理課に社員を送り込んで交通情報の横流しを受け、ホーデン社や系列企業社員の事故揉み消しなど便宜を受ける。一方情報通信管理課は、ホーデン社から金銭を受け取って裏金として活動資金にして、第2組合の組合員情報を受けて様々な妨害を行う。歪んだ協力体制がこうして構築された。
 ホーデン社とA県県警は、ハネ村への合併圧力やカマヤ市での外国人暴動未遂の自作自演が暴露されたことで、激しい批判を受けて、ハネ村や第2組合などから手を引かざるを得なくなった。当然両者は面白くないし、A県県警には警察庁の家宅捜索も入った。ホーデン社からの金銭授受まで明るみに出たら、本部長の更迭だけじゃ済まなくなる。
 そこで、ホーデン社とA県県警は秘密裏に接触し、ホーデン社は顧問弁護士が経営する弁護士法人から弁護士を、A県県警は情報通信管理課と公安の職員をハネ村と弁護団に送り込んだ。弁護士の素性は顧問弁護士が用意したペーパーの弁護士法人を経由することで、A県県警は顔が割れていないことを利用して、ハネ村と弁護団に潜り込んだ。
 ハネ村と弁護団が、過去の教訓から不審者の監視目的に監視網を構築することを知り、ホーデン社とA県県警のスパイはその管理運営に積極的に参加した。情報通信管理課や公安は諜報活動、つまりはスパイ活動が専門だから、監視カメラや盗聴器の巧妙な設置はお手の物。更にホーデン社からの裏金も得ているから資金も潤沢。監視網に食い込み、掌握するのは容易だっただろう。
 弁護士は監視カメラや盗聴器の運用に必要な配電工事を、ペーパー会社を作ってホーデン社に委託させた。配電と言っても一般の電線と違って高電圧の交流じゃない。AC100Vに接続できるバッテリーから配電するから、ある程度の電気知識と工具があれば何とかなる。ペーパー会社を作ってホーデン社に委託させれば、ハネ村の財源をホーデン社が吸い取れる。
 かくして、本来の意図から大幅に深く広くなった監視網が出来上がった。この運用はA県県警のスパイが事実上掌握している。専門知識と構築の実績があるから、信用させるのは割と容易。そして監視網で得た個人データは、漏れなくA県県警の公安部とホーデン社に送信されている。
 この監視網は、ハネ村に食い込む口実であると共に、ハネ村の足元を掬う機会を窺うものでもある。監視網でハネ村に居る人の会話や行動を無差別に記録すること自体が情報収集という公安の大義名分だけど、ハネ村が組織した自主警備隊の問題を探し、違法行為と見たら検挙、ひいては家宅捜索をする口実にするためだ。

「-権力と金を使っての、壮大な仕返し準備といったところですね。」
「…呆れて言葉が見つからないよ。」
「違法に違法を重ねてメンツの回復を狙うとは、警察や弁護士が聞いて呆れますね。」

 尋常じゃない監視網の背景に、巻き返しとメンツ回復を狙うホーデン社とA県県警があって、しかもホーデン社とA県県警が公安部署を介して癒着していたとは…。これまでの事件からそう感じることはあったけど、こうして事実として突き付けられると、曲がりなりにも有数の大企業と警察の腐りぶりに落胆する。
 兎も角、異様な監視網はハネ村と弁護団が想定しているものから乖離しているのは重大な事実だ。この事実を暴露すれば、ホーデン社とA県県警にとってとどめの一撃になるだろう。だけど、対外的には一旅行者の僕とシャルが告発したところで、信憑性が薄い。どうやってハネ村と弁護団に伝えるか。

「もう1つ。ホーデン社とA県県警のスパイは、自主警備隊を使ってハネ村の信用失墜を狙っています。」

 シャルが説明する。就職氷河期などで就職にあぶれた人を中心にハネ村が自主警備隊に雇用しているのは既知のとおり。ホーデン社とA県県警のスパイは、その自主警備隊の一部に接触して、金銭を渡して村民や旅行者に暗に嫌がらせをするよう持ちかけている。ハネ村が進める自主警備隊で不祥事が発覚すれば、ハネ村の信用失墜や批判は避けられない。
 今のところ、自主警備隊の中にスパイの誘惑に乗る動きはない。雇用の前に1週間みっちり講習を受け、適性がないと雇用されないという頑固ともいえる採用システムが奏功しているようだ。もしホーデン社とA県県警のスパイの誘惑に乗る輩が居たら、間違いなく僕とシャルは-正確にはシャルがターゲットにされる。その末路は悲惨だろうけど。
 だけど、これも何時までもつか分からない。人間は基本的に金に弱い。正規雇用で実質公務員とはいえ、3交代制の勤務、広大な面積の村、旅行者というそれなりの対応がある余所者じゃなくて、新参者という生涯付き纏う余所者とされる村社会の立ち位置。それらから生じた不満が金の誘惑に引き寄せられる原因になる恐れは十分ある。

「今は大丈夫だけど、このまま続く保証はないね…。」
「はい。スパイはホーデン社からの資金とA県県警の裏金で資金面は潤沢ですから、誘惑に負ける輩が出ないとは言い切れません。」
「事実を裏付ける証拠は確保できてる?」
「資金の流れの他、A県県警公安部と、ホーデン社では渉外担当室長など経営層からのメール、配電工事の発注書など、必要分は全て網羅しました。」
「流石だね。証拠は十分。だけど、どうやってハネ村と弁護団に接触するか…。これが一番難しいかも。」

 監視網自体はハネ村の方針という。それだけホーデン社とトヨトミ市の干渉、そしてA県県警の怠慢-公安がホーデン社と癒着しているから当然だけど-の経験を重視して、過敏なまでに対策を講じている証拠だ。既にスパイが潜りこんでいるとはいえ、ハネ村と弁護団は知るところじゃないのは当然だ。
 旅行者自体は基本的に受け入れ態勢が出来ているけど、自主警備隊が職務質問をしてきたように、必ずしも歓迎一色じゃない。幾ら証拠を十分揃えていても、僕とシャルはハネ村から見れば旅行者に過ぎない。旅行者がいきなり「ハネ村と弁護団にスパイが紛れ込んでいる」と証拠を提示しても、信用される確率は低い。証拠そのものを疑われると、厄介なことになる。
 それに、何の策もなしに証拠を掲げて告発すると、ハネ村と弁護団の内部に相互不信を招く恐れがある。今のところ、ハネ村の動きに逸脱や乱れが見えないのは、運営するハネ村と弁護団が意思統一されているからだ。そこに乱入すると、ハネ村と弁護団は「実はあいつも」と内部で疑いを向けるかもしれない。それは内部分裂を招く恐れが非常に高い。
 折角シャルが情報の収集と解析で得た貴重な証拠だ。それを正しく使ってスパイを炙り出し、ホーデン社とA県県警の影を完全に排除する。そこからオウカ神社に安置されたヒヒイロカネの回収の道が開ける。僕とシャルの目的はヒヒイロカネの回収であって、そのために最大の障害を作り出しているホーデン社とA県県警を排除するという方針は崩しちゃいけない。

「SNSを中心に情報の流出という体を取るのが、一番安全でしょうか。」
「今回はちょっと微妙かな。ホーデン社とA県県警は大混乱中だけど、それを逆手にとって『事実関係を調査中』とか『事実無根』とか言い逃れしやすい。一気呵成に追い込んで再起不能にしないと、更に巧妙な報復に乗り出す恐れがある。相手は暴力団、否、半グレという名の脱法ヤクザと思った方が良いよ。」

 ホーデン社は社長など幹部が、A県県警は更迭が決まった本部長が警察庁の事情聴取を受けているが、立件されるかどうかは正直怪しい。警察が相手の社会的立場によって態度を変えたり、身内である警察関係者や政権与党関係者には甘いのは公然の秘密と言って良い。恐らく書類送検で終了だろう。
 今までは情報の流出や切り捨てられた職員の告発という形で攻めて来たけど、事態が明るみに出たことで、ホーデン社は渉外担当室を、A県県警と公安部は本部長の更迭と情報通信管理課職員の懲戒処分と依願退職という形で切り捨て、逃げ切りを図るだろう。そして対外的には事実関係の調査中とか事実無根を盾にして批判や追及をかわし、情報の流出原因を調べて、より巧妙に隠蔽して、情報の流出原因に対して報復するだろう。
 自分達の違法行為を棚に上げて、批判や制裁をメンツを潰すと見なして、メンツ回復のためには手段を問わない。まさに暴力団、否、半グレという名の脱法ヤクザそのものだ。曲がりなりにも有数の大企業や国家権力という看板を持っているから、余計に質が悪い。
 情報の流出が僕とシャルによるものだと分かるとは思えない。シャルだってサーバへの侵入にログを残さないかログを消去するようにしてる筈だし。ホーデン社とA県県警の逆恨みの矛先は間違いなくハネ村に向くだろう。ヒヒイロカネの回収のためとはいえ、ハネ村を犠牲にして良いはずはない。

「その手の輩に説得や交渉なんて、理性的な手段は通用しません。メンツと腕っぷしだけの低級な生き物ですから。」
「辛辣だね…。でも、今回相手にしなきゃならないのは、そういう連中だよ。今回も、かな。」
「ですから、説得や交渉という手段を使う必要はないということです。」

 シャルが口元を少し緩める。それは表面的には微笑みなんだけど、藍色の大きな瞳は物凄く冷たい、殺意すら感じる輝きを見せている。

「何も正攻法だけが対策ではありません。無法違法に骨の髄まで染まった屑に正攻法という誠意を示すのは徒労です。」
「それはそうかもしれないけど…。」
「ヒロキさんの手を煩わせることはしません。結果が出るまでゆっくり寛いでください。」
「…あまり過激なことはしないでね。」

 僕はこれだけ言うのが精いっぱいだ。シャルにとって、ヒヒイロカネ回収を妨害する者は全て敵であり、自ら手を引かないならあらゆる手段で強制排除することを躊躇しない。シャルから見れば、生身の人間なんて豆腐を潰すより簡単だろう。昨夜の様子からは到底信じられないほどのギャップだ。
 相手がスパイとしてハネ村と、あろうことか弁護団にも食い込んでいるから、正攻法だとシャルが収集した証拠の信憑性が疑われかねないし、ハネ村と弁護団の内部対立からの瓦解を招きかねないのも事実。シャルの言うとおり、正攻法じゃない攻め方しかないか。どうなってるんだろう?この国、否、この世界は…。
 食事を終えて着替えて、僕とシャルは村に繰り出す。人口密度が低い村らしく、旅館がある集落と別の集落、観光スポットとの距離がかなりあるから、徒歩で巡るのはちょっと無理がある。シャル本体で適当なところまで移動して、駐車場から歩くスタイルが基本になる。
 行き先はコウザン寺という寺。ハネ村の南端、A県アラシロ市との境界に近いところにある。県道413号線を暫く走り、途中で分岐する車線のない村道を走る。不規則な蛇行とヘアピンカーブは、典型的な山道だ。蛇行は兎も角、このヘアピンカーブはどうにかならなかったんだろうか。
 シャルの制御のおかげで身体を左右に揺さぶられる感覚を最小限に留めて、こじんまりした駐車場に到着。駐車場と言っても砂利を敷き詰めた平地に縄で区画を作った、単純な作りだ。問題なく駐車できれば良い。駐車場には先客が3台いる。シャル本体を含めてほぼ半分が埋まった。

「シャル。どうして此処に?」
「境内は山道を登った先にあって、そこからのハネ村の眺望が凄く良いそうです。」
『この寺の本堂に、スパイが情報の集約や外部との通信に使用するサーバがあります。』
『こんなところに…。』
『この寺の住職は、スパイに加担しています。通信ログの解析で判明済みです。』
『!だから、人目に付きにくいこの寺に…。』
『勿論サーバは隠蔽されていますが、ドブネズミが集まる巣と言えますね。他の3台のうち2台はスパイの車です。』

 シャルがこの寺を選んだのは、重要な意味があったからか。確かにこの寺なら運搬のためにトラックとかを使っても、物資の輸送と思うだろうし、大きなサーバを抱えて山道を歩いても、それなりにカモフラージュすれば物資や仏像を運んでいるのかと思うだろう。悪事の隠し場所には絶好だ。
 駐車場からは獣道を歩道のように整備した山道を登っていく。階段が不規則にあって、土が剥き出しだから、雨の時は足場がかなり悪くなりそうだ。結構な体力を使うし汗も出る。どう見ても平坦な裏道はなさそうだ。こんな労苦をしてでもスパイ設備を隠蔽しようとするところが、スパイならではというんだろうか。
 歩くこと20分。息が切れて久しいところで境内らしい建物が見えてきた。ここから嫌がらせのように傾斜がきつくなる。1段1段慎重に上っていくと、経年変化のせいか白っぽく色褪せた建物が、屋根の方から徐々に全体像をせり上げて来る。境内は本堂と社務所、六角堂と三重塔が配置され、砂利を敷き詰めた中に石畳の通路がある、シンプルな構成だ。
 見た感じではスパイの活動拠点の1つとは思えない。シャルに手を引かれて早速本堂へ。本堂の中には入れないけど、賽銭箱まで進むと中が一望できる。蝋燭が幾つか灯っている薄暗い室内は畳敷きで、奥に本尊らしい仏像が見える。この奥にサーバが隠されているんだろうか。

『正解です。本堂の外からも中からも見えない位置なので、ドブネズミの巣としては最適ですね。』
『本尊奥をスパイの拠点にするなんて、住職は何処で道を間違えたんだろう?』
『ごく単純です。金と欲に溺れて魂を売ったんです。』

 シャルの説明だと、老朽化が進むこの寺の建て替えを検討していたが、立地面では最悪で費用がかさむし期間も長い。更に過疎化で檀家が減少して、観光でも立地の悪さが影響して思うように集まらない。そこにスパイが目を付けて、寺の建て替えをすべて面倒見る代わりに、この寺を拠点に挿せるよう持ちかけた。
 住職は多少迷ったものの、社務所も含めた建て替え費用の全額負担の魅力にひかれ、スパイの要求に応じた。スパイは直射日光が当たらなくて温度が比較的一定の本尊裏側にサーバを置き、社務所で外部との通信や監視網の監視などを始めた。こうしてこのコウザン寺はスパイ活動の拠点となった。
 場所は貸したものの、村を裏切る活動に協力することに、住職は後ろめたさがあった。スパイは住職をココヨ市に連れ出して接待漬けにした。とどのつまり、金と酒と女に溺れさせた。別世界の欲と快楽に塗れたことで、住職はあっさり陥落。今は住職という立場を悪用してスパイに加担している。

『住職が接待漬けでスパイに加担するなんて…。』
『所詮、その程度で籠絡される程度の修行だったということです。悪魔に魂を売った宗教家は、使い魔同然です。』

 仏の道に進む住職を接待漬けにするスパイはどうかと思うけど、それに溺れてスパイに加担する住職は堕落したとしか言いようがない。スパイの活動拠点と化したこの寺の行く末は、僕とシャルとの向き合い方次第では廃寺しかないだろうけど、住職がその道を選んだと思うしかない。お釈迦様や宗派の開祖はどう思うだろうか。
 参拝を済ませて、六角堂と三重塔を順に拝観。この手の建物は隙間から中を除くことしか出来ないことが多くて、此処もその例に漏れない。白っぽく色褪せた建物は、スパイからの汚い金で刷新される予定なんだろうか。仏作って魂入れずというけれど、仏作って悪魔を入れようとしている現実が重くて情けない。

『六角堂には予備のサーバ、三重塔にはスパイの本家であるホーデン社渉外担当室とA県県警公安部との通信に使用する専用アンテナがあります。』
『そんなところにまで…。』
『寺の資産を活用していると言えますが、住職共々卒塔婆に自分の名前を書いた方が今後のためですね。』

 卒塔婆に名前を書けってことは、スパイや住職の墓場が此処になるって暗示だろうか?まさかそこまで制裁することは…。だけど、ヒヒイロカネの回収を間接的に妨害しているのは事実。大人しくスパイと住職が手を引かなければ、シャルは実力行使で排除する手段を躊躇しないだろう。
 1つ疑問が生じる。建物の配置や内部構造は、シャルなら航空部隊で把握できるだろう。敢えて本来の参拝コースで境内まで来たのは、何か意味があるんだろうか?

「此処は参拝までひと苦労するので、参拝や展望に待ち時間がないんです。あの位置からゆったり見られますよ。」
『今回は、無関係の人が居るので、航空部隊や地上部隊の即時投入は避けました。攻撃や制圧は出来ますが、目撃されるのは避けたいので。』
『強行一辺倒じゃないのが改めて分かったよ。』
『スマートフォンのカメラとSNSであっという間に拡散されるのは、こちらにとってリスクになることもありますから。』

 確か、スパイ以外に1台車が居るってシャルが言ってたな。オクラシブ町のように航空部隊と地上部隊で制圧するのは容易だろうけど、あれは住民全てが人狩りに加担していたから出来たこと。光学迷彩を施してもミサイルの爆発や人が拘束されるところまでは隠せない。目撃されたらSNS経由で知られる恐れが強い。
 シャルが少なくともこの寺と住職とスパイを一網打尽にするつもりだとは思うけど、無関係の人を巻き込む気はないこと、攻撃対象や範囲に明確な線引きをしていることが改めて分かって安心。無差別攻撃も厭わないってなったら、この寺が跡形もなく消し飛ぶのは勿論、1つの町が焼野原になってしまいかねない。
 境内の少し広い場所に向かう。此処だけ柵があるのは、下が切り立った崖のためだと見た瞬間理解する。水平方向には、遠くにハネ村の田園風景が見える。水田の中に集落がある格好だ。地平線から斜め右下に向かって県道413号線が伸びている。
 天然とはいかないまでも、立地は展望台として最適だと思う。周囲に民家もLEDライトもないし、電線もない。天候が良ければ夜は満天の星空が見えるだろう。夜間の山道をどうするかという課題はあるけど、星空や眺望を売りにした再興方法は取れなかったんだろうか。

「折角見晴らしが良いので、写真を撮りましょう。」

 シャルが僕からスマートフォンを受け取ると、僕と密着してスマートフォンのカメラの面をこっちに向ける。シャルの唐突な行動と柔らかさと良い匂いに戸惑いながら、僕はスマートフォンの方を向く。シャルがスマートフォンの下のボタンアイコンを押すと、シャッター音がする。

「上手く撮れました。」

 シャルが僕に画面を見せる。ちょっと表情が硬い僕と、見るからに楽しそうなシャルが、遠くに見える田園風景を背景に写っている。展望台で風景を背景に写真を撮ったカップル、だな。カップルか。

「デートの時、写真を撮っていないことに気づいて、このスマートフォンを活用することにしました。」
「そういえば…そうだね。写真を撮ることに頭が及んでなかった。」
「これから、気づいた時に撮っていきましょう。写真を撮ることが目的になると面白くないので。」
「うん。」
『社務所に籠って人の監視に張り付いている連中が歯噛みするような写真も撮ってみましょうか?』
『監視があるの?』
『参道にもしっかり監視カメラと盗聴器がありました。今は仏頂面でモニタを見ていますね。あんな陰気な場所で陰湿なことをしていれば、そんな表情にもなるでしょう。』
『つまり、さっきの撮影は嫌がらせも兼ねてのこと?』
『私は楽しんで撮っているので、嫌がらせに見えたなら、向こうが勝手にそう受け止めただけですよ。』

 監視とデータ収集という業務で、人目につかないように社務所の一角に籠っているらしいホーデン社やA県県警の公安から見て、僕はシャルを見せびらかしているように映るんだろうか。日の当たるところで密着して遠景を背景に写真を撮る僕とシャルが羨ましいなら、そんな業務を辞めれば良い。

『社務所を直接攻撃する?』
『爆発や炎上を伴う攻撃はしません。住職が持っている金は汚れているとはいえ、この寺そのものは室町時代に創建された歴史あるものです。寺に罪はありません。』
『他の参拝者が何時来るか分からないから、夜改めて来るのも手だよ。』
『今居る参拝者が駐車場を出たら攻勢を仕掛けます。無関係の人を巻き込むわけにはいきませんし、ドブネズミ共は兎も角、私の正体を目撃されるわけにはいきません。』

 もう1組の参拝者は…社務所から出て来た。ご朱印を貰っていたんだろうか。初老の夫婦のようだ。僕とシャルに会釈して境内から出ていく。シャルはどうやって攻め込むつもりなんだろう?

「朱印帳は…と。」

 シャルは自分のバッグ-ココヨ市で僕がプレゼントした-から朱印帳を取り出す。朱印を貰うのか?ちょっと拍子抜けした僕の手を引いて、シャルは社務所に向かう。社務所は境内の一番北側にある。古びた平屋の建物の出入口は引き戸で、ちょっと立てつけが悪いのか、段階を追って開けないと上手く開かない。

「こんにちは。朱印をお願いします。」

 シャルが中に入って呼びかける。受付のようになっているところには誰もいない。見たところ、筆や硯が近い位置にある以外は普通の6畳間だ。箪笥や電灯といった家具は古びている。ホーデン社とA県県警から資金を得ているのに、まだ何処も手付かずなのは首を傾げたくなる。

「はいはい。どなたですかな?…おや、お若い御嬢さんですか。」

 6畳間の奥から、作務衣を着た男性が出て来る。住職だろう。見たところ温和な初老の男性だけど、裏ではホーデン社とA県県警に接待漬けにされて、村人を売ってスパイの走狗に成り下がっている。心眼ってものがあるなら、どす黒い塊が見えたりするんだろうか。

『心眼というものはありませんが、ドブネズミがハムスターの皮を被っているイメージです。』
『分かるの?』
『顔の作りが、小悪党の傾向に類似しています。』

 顔の作りから傾向を読み取るのは、高速処理と最適解の抽出を得意とするシャルならではだ。何処かで、人間の本性は顔つきに出ると聞いたことがある。容貌の美醜じゃなくて、この人は付き合うと良い影響があるとか、根っからの性悪とかが顔つきに出るらしい。僕には分からないけど。

「朱印をお願いします。」
「はいはい。」

 住職はシャルから朱印帳を受け取って、記入と押印するページを探す。墨と朱肉が隣のページや裏に写らないように、新聞紙の切れ端を挟んでいる。それが挟まっているページを開いて新聞紙の切れ端を取ると、朱印を記入するページが現れる。住職は蛇腹状のページを開いて、新聞紙の切れ端を取る。

「ん…?!」
「どうかしましたか?」

 住職は開いたページを見て顔を強張らせ、固まってしまう。何だろう?僕もシャルが一番新しい朱印を貰うところを見ていたけど、隣のページは間違いなく白紙だった。朱印帳って朱印を貰うためのものだから、朱印がなければ白紙の筈。

「な…!」
「直前の朱印は、この村のシシドウ神社でいただきました。」

 シャルが言うと、顔を上げた住職は顔を強張らせたまま再び朱印帳を見る。見間違えたのを確認するように目を擦って朱印帳を凝視する。いったいどうしたんだろう?

「…何か文字が浮かんでいたように見えたんだが…、気のせいだったようですな。」
「お疲れでは?」
「失礼しました。では朱印を…。」

 住職はまず朱印を押す。そして筆を執って記入する。白紙のページを開いた時、何があったのか僕には分からない。住職が一瞬妙なものを見たんだろうか?朱印の記載が終わって、新聞紙の切れ端を手に取って挟もうとする。

「な…?!」
「どうかしましたか?」

 再び住職が顔を強張らせて固まる。自分が押して書いた朱印に日付の記載ミスとか見つけてしまったのか?それなら次のページに押してもらえば良い。料金を二重に払うことにならなければの話だけど。流石に間違えたからもう1回押したので料金は2ページ分、ってのは…。

「ひ、ひぃっ!」
「私がどうかしましたか?」

 強張らせたままの顔を上げた住職が、シャルを見て悲鳴を上げる。シャルは何も不審な点はない。この住職、幻覚でも見ているんだろうか?

「料金は…300円ですね。えっと…あった。どうぞ。」
「ひ、ひ、ひぃーっ!!お、お許しをーっ!!」

 シャルがバッグの財布から-これも僕がプレゼントした-300円を取り出して差し出すと、住職は金切声を上げて、朱印帳を放り出して逃げ去ってしまう。いったい何があったんだ?シャルの見た目がよっぽど怖いなら、社務所に入った段階でびっくりする筈。シャルを馬鹿にされたみたいで何だか腹立たしい。

「いったいどうしたんでしょうね。幸い、朱印は無事いただけましたが。」
「勝手に怖がって逃げたけど…、訳が分からない分、余計に気分が悪いよ。」
『朱印帳に本尊の不動明王のお怒りが出て、顔を上げたら不動明王が現れて迫ってきたら、破戒僧には恐怖でしかないでしょう。』

 朱印帳に、住職が放り出した勢いで床に落ちた新聞紙の切れ端を挟んだシャルが説明する。朱印帳にヒヒイロカネを忍ばせ、朱印を押すページを開いた時に不動明王の怒りのメッセージを出した。朱印を押して新聞紙の切れ端を挟む際に、ヒヒイロカネで上書きする形で再度別の怒りのメッセージを出した。
 とどめに住職の体内に侵入して視覚神経を操作して、シャルを、三鈷剣(さんこけん:魔を退散させ、人々の煩悩や因縁を断ち切るとされる不動明王が持つ剣)を振り上げ、羂索(けんさく:悪を縛り上げ、煩悩から脱せない人々を縛り上げてでも救うための縄)を握りしめて歩み寄る不動明王に見せた。不動明王はこの寺のご本尊。住職が恐怖するのは当然ではある。

『寺にとっては何より大切な筈の本尊が安置される本堂に、スパイに加担するサーバーを設置して、挙句金と酒と女に溺れた破戒僧も、本尊のご登場には恐怖するようですね。』
『そりゃ恐怖だよ…。でも、変な言い方だけど、大人しいやり方だね。住職を驚かせても改心はしないと思うけど。』
『小悪党はきっかけ作りの小道具です。破滅への、ね。』

 小道具扱いの住職か。堕落とはこういうことを言うんだろうか。実際、金と酒と女に溺れてスパイ行為に加担して、シャルの言うとおり、寺が最も大切にすべき本尊裏にスパイ行為の情報を集約するサーバーを設置させている。不動明王が目にしたら烈火のごとく怒り狂うだろう。
 外が俄かに騒がしくなる。擦りガラス越しにスーツ姿の男性達が見える。他の参拝客が居ない山奥の寺に場違いなスーツ姿。まさか…A県県警の公安?!そりゃそうか。この寺はスパイ活動の拠点。住職がただならぬ形相で駆け込んで来たら、逮捕しようと考えるだろう。

「そうです。こそこそと人の周辺を嗅ぎまわり、犯罪という病気を自ら作り出すドブネズミの群れ。」
「に、逃げ場がないよ?」
「ドブネズミが大勢来ても、所詮はドブネズミです。安心してください。」

 シャルは悠然と出入口のドアを開ける。山奥のひなびた寺とは場違いなスーツ姿の男性達。独特の目つき。初めて目にする公安警察。僕は緊張で、情けないことに足が動かない。

「朱印はいただきました。お次の方、どうぞ。」
「住職に何をした?威力業務妨害の疑いで事情を聞かせてもらう。」
「あら、最近の警察は警察手帳も逮捕状もなしに、事情聴取を名目に市民を逮捕監禁するんですか?」
「小娘。アカの常套句を垂れ流すなら、公務執行妨害の現行犯だぞ?」
「逮捕を脅しに使うとは、いかにも特高警察の流れを汲むスパイ組織らしい、下衆なやり口ですねー。」
「!な、何を生意気な!」
「逮捕できるならどうぞー。どうなっても知らないですよー?」

 ま、まずい。シャルの声のトーンが下がって抑揚がなくなってきた。男達、否、公安警察が一斉に僕とシャルにとびかかる。

「…あれ?」

 地面に押し倒されて腕をねじり上げられる、と思って反射的に目を閉じたけど、何も起こらない。目を開けてみると、公安警察がこっちに向かってくる態勢のまま硬直している。公安警察は懸命に状況を脱しようとしているけど、全く動かない様子だ。シャルがヒヒイロカネを貼り付けるか何かして操ってるのか。

「闇に紛れてゴミ箱を漁るドブネズミ風情が、私達に触れようなんて、おこがましいと思いませんかー?」
「…!…!」
「都合よく表と裏の顔を使い分け、汚泥より下らない組織のメンツのために市民に楯突くドブネズミも、モルモットの代役くらいは出来るでしょうー?頑張りましょうねー。」

 懸命に動こうと、そして喋ろうとしても何も出来ずに硬直している公安警察に、シャルは抑揚のない低いトーンで告げる。途端に公安警察が全員、僕とシャルから見て右を向いて、一昔前のポリゴンを低スペックのPCで動かしたような、カクカクした動きで奥に向かう。

「さ、行きましょう。途中にフルーツパフェが美味しいカフェがあるんですよ。」

 僕に向き直ったシャルの声は普段のトーンに戻る。公安警察はカクカクした動きのまま、社務所の奥へ消える。いったいどうなったんだ?

「モルモットの代替のことは、あとでゆっくりお話しします。フルーツパフェは個数限定なので。」

 僕の疑問を余所に、シャルは僕の手を取って社務所を後にする。シャルのことだから、公安警察を拘束しただけでは終わらないと思うけど…。