謎町紀行

第31章 追跡者との邂逅、親愛から愛情へ

written by Moonstone

 ピザ2枚とアイスティー2杯で結構腹が膨れた。シャルも満足したのを受けて店を出て、飲食店街+物産展を見て回る。暫くして、シャルがチョコレート店で足を止める。あまりチョコレートに接したことがなかったな。世界各国のチョコレートが並ぶ棚を、シャルは興味深げに眺める。

「これらは何が違うんですか?」
「チョコレートの中に入っているものが違うんだよ。キャラメルとかジャムとか色々入ってる。」
「味のバリエーションを楽しむんですか。」

 このブランドは一口大のチョコレートに色々なものが入っている。ギフトとかで使えるタイプもあるし、自分で好きなものを選ぶことも出来る。バスケットをシャルに渡して選んでもらう。シャルも経験したことがない味があるから−ミントとか−結構真剣に選ぶ。両手で持てるくらい入れたチョコレートは、レジに持っていけばボックスに詰めてくれる。

「これらは装飾が細かいですね。」
「ショコラティエっていう、チョコレート専門の菓子職人が作ってるんだ。」

 このブランドは希望のギフトで常に上位に位置する。チョコレートがどれも凝った装飾なのが売りだけど、その分高価でギフトでないと買い辛い。こちらは何種類かが1つのパッケージになったものが複数あって、そこから選ぶ形。シャルに選んでもらうと、少し大きめのタイプを手に取る。

「色々買ってもらいました。」
「保冷剤は付けてもらったけど、今時期は溶けやすいから、一旦戻った方が良いかも。」
「20℃程度に冷却すれば良いんですよね?それなら今でも出来ます。」

 そんなことも出来るのか。暑い時期はチョコレートだけじゃなくて、食料品の運搬に神経を使う。どういう仕組みで冷却まで出来るのか分からないけど、シャル1人で家電製品の機能はすべて賄えそうだ。シャルが創られた世界では、全てがヒヒイロカネで創られていたんだろか?

『家電製品は全てヒヒイロカネです。機能は処理次第でどうにでもなるので、操作性や見栄えが購入時のカギでした。』
『あまり家電製品で企業間の競争は起こらなさそうだね。』
『そうでもなかったです。機能は何を重視するかで処理の内容も速度も変わりますし、操作性が画期的だと一気シェアが変わることもありました。』
『自由度が高い分、アイデアや使い勝手が製品の売れ行きを左右したんだね。この世界でもそういうのはあるけど、製品の機能が一気に向上することもあるよ。』

 アイデアを出すのって、簡単なようで実は凄く難しい。それに、今までにないものは良いものでも意外と直ぐには受け入れられない。今あるものが普通という固定概念があって、「それは必要ないんじゃ?」「使い勝手が悪くなる」と敬遠されることがある。今持っているスマートフォンだって、当初は受け入れられなかった。
 ふとシャル製アプリをチェック。今のところヒヒイロカネの反応は出ていない。空港にはないかな…?それならそれで別のところを探せば良い。折角何に追われることもなく空港に来たんだし、シャルにこの世界を案内するのを兼ねて移動する。飲食店街+物産展から3階の空港デッキに移動する。

「眺望が良いですね。彼方此方に横付けしているのが飛行機ですね?」
「そうだよ。」

 空港デッキは強化ガラスで覆われているから−多分転落事故防止や自殺対策にテロ対策−直接風を感じることは出来ないけど、視界を遮るものが極力なくされているから見晴らしは最高だ。飛行機が1機、ゆっくりと滑走路に出ていくところ。なかなか見られない光景なのもあってか、親子連れも多い。
 シャルが飛行機を確認して来たところからして、シャルが創られた世界の飛行機とは形状が違うんだろう。創造機能で創られた戦闘機や輸送機もフォルムが独特だったし。僕から見てシャルが創られた世界のものが恐らく見たこともないものばかりなのと同じように、シャルもこの世界のものは見たこともないものに満ち溢れている。しかも飛行機はこれまでになく巨大。初めて見るものが目の前で動く様子は、シャルの目を惹くものらしい。

「音が凄いですね。」
「大きなジェットエンジンだからね。あっちからは飛行機が離陸しようとしてる。」
「陸地を移動する時の飛行機は、動きがゆっくりですね。ジェットエンジンの推進力では直ぐには離陸できないんですね。」
「凄く大きくて重いから、大きなジェットエンジンが4つあっても直ぐ離陸できるには程遠いよ。」

 この世界の戦闘機にはVTOLやSTOLってものがあるけど、旅客機と比べれば圧倒的に小型の戦闘機だから出来ること。旅客機はあの巨体に100人規模の客と人員、そして荷物を乗せるから、極端な話燃料さえ搭載できれば事足りる戦闘機とは重量が違い過ぎる。旅客機がVTOLやSTOLみたいに出来るには、余程強力なエンジンが出来ないと無理だろう。
 ヒヒイロカネが正しく使われれば、重量問題も、それに伴う燃料費の問題も解決できるだろう。ココヨ市も候補地の1つだけど、どう考えてもこの世界はヒヒイロカネがあっても正しく使えない。飛行機に利用用途が向いても戦闘機に使われることしか思い浮かばないだろう。此処でもやっぱり悪用されているんだろうか。

『展開している飛行機からは、本体内部問わずヒヒイロカネのスペクトルはありません。』
『飛行機は頻繁に整備があるそうだし、人目に触れやすいから隠すには適さないかな。』
『それは言えますね。ですが、予想外の隠され方がなされている確率はあるので、捜索は続けます。』
『ナチウラ市の例もあるからね。』

 仕事の出張で使ったことがある空港は、見方が変わると大型ショッピングモールだ。このデッキは常設のイベント会場みたいなものだし。ヒヒイロカネとは無縁のようだけど、何処に隠されているか分からない以上、シャル製アプリも活用して捜索は続けよう…。
 結局空港には何処にもヒヒイロカネは検出できなかった。人の出入りが激しい一方でセキュリティの関係で一般の人が出入りできない区域があるから、隠し場所としてあり得るとは思ったけど、そう簡単に尻尾を出してはくれないようだ。
 そこそこの量になったチョコレートもあるし、なんだかんだと歩き回って時間が過ぎたから、ホテルに戻ることにした。駐車場で発生した事故の処理は終わっていたけど、相変わらず駐車場はクラクションで満ち溢れている。警備員も多数出て誘導や制止をしているけど、それでも事故が起こらないのが不思議なくらいだ。
 僕も駐車場の横断歩道を渡ろうとして、シャルに止められた。直後、脇からSUVが出て来て猛スピードと激しいクラクションで通り過ぎて行った。シャルが居なかったら撥ねられていたかもしれない。本当に危険と隣合わせだ。車に乗ることで鉄の塊で覆って防御する、或いは攻めるイメージなのかと思ってしまう。

「歩行者が最弱とするヒエラルキー意識は確かにありますね。」

 シャル本体に乗り込んでシステムを起動したところでシャルが言う。

「自分も1歩車を降りたら、その最弱の存在になることに想像が及ばないのが、脳のない証明と言いましょうか。」
「辛辣だけど、さっきの走り方を見てもそうとしか思えないのが何とも。」

 僕とシャルの前を走り去って行ったSUVも、一時停止するどころか、スピードを緩める様子さえ見せなかった。激しくクラクションを鳴らす様子は「邪魔するな」というアピールとしか思えない。自分もその巨大な鉄の塊から降りたら歩行者になるのに、まったくイメージできないんだろうか。

「制御は私がします。体裁上ハンドルは握っていてください。」
「うん。頼むよ。」

 道路がこんな戦争、否、無法地帯だから、土地勘のない僕では事故の恐れが高い。この車そのものであるシャルに制御を委ねるのが確実だ。本来なら、早期警戒機の他、戦闘機や戦闘ヘリを今も飛ばして近隣のヒヒイロカネ捜索や周辺の警戒をさせているシャルの負担を軽くしたいんだけど…。

「今の体制もそうですけど、創造機能の使用と機能の継続は、私の負荷全体の1%にも満たないものです。」
「制御の分散で負荷が増えたりしない?」
「それぞれが小規模な思考OS−人格は持たないですが、自分で分析や判断ができるレベルのOSを搭載しているので、私がすることはそれらへの指揮命令だけです。緊急時も同様です。」
「シャルの簡易版が幾つも同時に存在して、シャルの統制下にあると考えれば良い?」
「それで十分です。ですから、私本体の負荷が増えるというレベルではないんですよ。」

 シャルはあっさり言うけど、物凄い機能だ。負荷の分散は複数のコアを持つCPUとかで出来てはいるけど、あくまで現存するコアに処理を分散するだけであって、コアの増減なんて到底できない。シャルの創造機能は単に戦闘機や戦闘ヘリを複数出すだけじゃなくて、処理の分担をしている。
 こんなことが出来るなんて、今この世界で持て囃されている人工知能を根底から覆す。この世界の人工知能は、様々な表現−ニューラルネットとかAIとか−で進化をアピールしているけど、基本は多数の情報、所謂ビッグデータから最適解を探す処理だ。それなら既にメールソフトのフィルタリングのアルゴリズムであるベイズ理論が実際に使用されている。
 音声認識も精度は確かに向上してるけど、それ自体は以前からある。CPUの性能が向上して今まで理論上できると分かっていても出来なかった処理や、出来ることは出来るけど時間がかかり過ぎる処理が許容範囲で出来るようになったから、実用レベルで展開するようになった。それは勿論技術の進展だけど、人工知能というには疑問符が付く。
 シャルの人格OSは、この世界の技術レベルでは到底及ばない。だから僕が理解できる範囲も限られる。変わらないのは、シャルが様々な機能を駆使することがシャルの負荷を悪戯に増やさないかどうかということだけ。シャルは僕の使用人じゃない。シャルに負荷がかかり過ぎることは避けたい。
 料金を支払ってゲートを潜り、駐車場を出る。ホテルへの道のりはシャルなら問題なく把握できるし、最短かつ安全なルートをリアルタイムで演算することも容易だ。カーナビの画面は僕に合わせてか、シャル製アプリとカーナビのルート表示が混在した状態になっている。この車はシャル本体だから如何様にも出来るんだよな。
 一般道から高速に入る。やっぱりレースかと疑うような光景は変わらないし、後ろから次々と急接近してきて、クラクションを鳴らして−五月蠅くないようにシャルが防音処理を強化してくれている−痺れを切らしたように追い越し車線に移動するのも変わらない。これで事故やトラブルが起こらない方が不思議と思った方が良い。
 また車が接近して来た。…あれ?クラクションを鳴らさない。ただ、かなり距離を詰めている。無言の圧迫か?普通車や軽自動車でも距離を詰められると疑問や恐怖を感じるけど、ワゴンやSUVのような大型車だと余計に圧迫感が強い。それを分かってこうしているなら性質が悪い。

「空港の駐車場でヒロキさんを轢こうとした車ですね。」
「確かSUVだったけど、憶えてるの?」
「車種とナンバー、運転手の特徴などデータベースとの照合ですべて一致しました。」
「あの一瞬みたいな時間でそこまで記録してたんだ。」
「私には十分な時間でした。あの車、駐車場から追跡してきています。」
「駐車場からって、僕とシャルがどの車に乗り込むかまで見ていたってこと?」
「そこまでは関知していませんが、その確率は十分考えられます。相当暇なのか相当陰湿な性格なのか、両方なのか。」

 後ろの車が駐車場から追跡していたってことは、かなり面倒なことになる恐れが強い。追い越されたりクラクションを鳴らされたりすると、プライドを傷つけられたと見なす輩は一定数存在する。そこから煽り運転をして標的の車の前方に立ち塞がって強引に止めて、謝罪だの誠意だのと因縁をつけたり、それで別の事故を誘発したりという事件も実際に起こっている。
 煽り運転をする車に特別な傾向はないようだけど、大型車や高級車に乗ると自分も大きな存在や高級な存在と錯覚するのか、煽り運転をしやすくなるように思う。実際、過去に煽り運転をしてきた車は、大抵今のシャル本体より大きいサイズの車だった。駐車場で危うく事故の加害者にされそうになったと思って、謝らせようと追いかけて来たんだろうか。

「後方から同様にクラクションを鳴らされても尚、追い抜かずに私の背後にピッタリくっついてます。目的は明らかに私とヒロキさんですね。」
「厄介だな…。」
「本体に搭乗中でも本体から降りていても、大した問題にはなりません。好きなだけくっついてくれば良いです。」

 シャルは至って平静だ。まだ抑揚が平坦になってないし、語尾が不自然に伸びてないから怒りが頂点に達してはいないけど、蓄積されていても不思議はない。タカオ市で駐車中に包囲されて写真を撮られ放題になったことも、蓄積した結果、市長などを市中引き回しからの集団リンチに持ち込んだし。

「私本体にほんの僅かでも接触したり、ヒロキさんに手出ししたら相応の報復は行いますよ。」
「あ、あまり過激なことはしないでね。」

 シャルは先制攻撃こそしないけど、一度報復を実行すると本当に容赦しない。今日だって、クラクションを鳴らしながら煽り運転をしてきたワゴンを、精密な演算で相手が曲がりきれないように制御して、結果中央分離帯に衝突・横転する事故に誘導した。今までも一旦報復を開始すると、相手は悲惨な末路を辿っている。
 出来ればシャルに酷い目に遭わされる前に、今もしつこくついてきているあのSUVは走り去った方が賢明なんだけど、どうもその気配がない。ルームミラーだけだと良く分からないけど、かなり根に持っているような顔をしている。事故を起こしかけたのは相手の方なんだけど、どうして僕とシャルに粘着する判断に行きつくんだろう?
 このSUVだけじゃない。車から降りれば、車に乗ってなければ誰だって歩行者なのに、ココヨ市の車にはそんな意識が欠片もない。どうしてそこまで強気になれるんだ?事故を起こしたら警察の事故検分や過失の割合で少なからず時間を取られることくらい、話を聞いてるだろうに。企業のヒエラルキーが運転まで影響するものか?
 色々な考えが頭を巡るけど、あのSUVが今もピッタリくっついていることには変わりない。ホテルの駐車場に入ったところで降りて因縁をつけるつもりなんだろうか?シャルなら振り切ることも出来るかもしれないけど、走行・追越両方の車線に車が多数いるこの状況からは危険が大きい。信号や歩行者がいる一般道はもっと危険だ。

「ヒロキさんが気に病む必要はありません。全て私が対処します。」
「だけど、ある意味余所者の僕とシャルが、相手の地元でトラブルになると…。」
「安心してください。大船に乗ったつもりで。」

 シャルは何か策があるようだ。シャルが何も考えずに「安全宣言」するとは思えないし…。そうこうしているうちに、カーナビの表示はインターチェンジを降りることが近いことを示している。気付いた時に見た数値である500mから急速にカウントダウンしている。300…200…100…出口が近い。
 シャルは表示どおり出口に向かう。あれ?!例のSUVはまっすぐ走って行った?!確かにシャル本体に合わせてウインカーを出していたのに?…そうか。シャルは車だろうがPCだろうが干渉して思いどおりに動かすことが出来るんだった。高速道路やバイパスといった一方通行の道路は出口を過ぎたら次の出口まで進むしかない。流石にこれじゃあのSUVも追っては来れない。

「そういうことです。もし私とヒロキさんを追うために逆戻りしようものなら、大事故どころでは済みません。」
「てっきりミサイルでも撃ち込むかと…。」
「それも可能ですけど、今のところ無関係の他の車を巻き込んでしまいますから、今回はこの手段を選びました。」
「可能ではあるよね。ミサイルも。」
「少しは私を信用してくださいよー。」
「信用はしてるけど、シャルは一度キレると過激な方向に走る傾向があるから。」

 シャルはちょっとむくれた様子。多くの車が走行する中でミサイルを撃ち込んだら、その車は勿論、他の車も巻き込んで大惨事になる恐れが高い。ココヨ市の運転は非常に問題だけど、ひとまず僕とシャルに危害が及ばない限りは無視するに限る。警察もホーデン社の車が絡むとまともに捜査しないというし、無暗にトラブルを起こす必要はない。
 あのSUVも、次のインターチェンジを降りてからも僕とシャルを探して追いかけることはしないだろう。追い抜かれたりクラクションを鳴らされて腹を立てて追いまわす車も居るには居るけど、駐車場で撥ねそうになった人を逆恨みして、わざわざ乗り込む車を探して追いかけるなんて初めて見る。
 「車の町」と言われるココヨ市は、社会が車を頂点とするヒエラルキーになっていて、その車にも企業によるヒエラルキーがある。電車やバスもあるけど車がこれだけ多くて、しかも運転が異常に荒いのは、車に基づくヒエラルキー意識が深く根付いているということか。何て住みづらい町なんだとしか思えない。
 定住しないとはいえ、ホテルを拠点に当分ココヨ市全域を捜索するから、車を頂点とするヒエラルキー社会に対応しないといけない。一歩外を出たら無法地帯の中でヒヒイロカネを捜索するしかないわけだ。何となくだけど、あのSUVがこのまま大人しく引き下がらない気もする。厄介事は付きまといそうだ…。
 ホテルに戻ってチョコレートを冷蔵庫に仕舞ってから、夕食に繰り出す。ホテルのレストランは朝昼晩と時間帯を区切って営業してるけど、シャルが選んだのはココヨ総合駅駅前のココヨタワースクエア上階のレストラン。35階にあるから眺望が良くてカップルに人気らしい。
 そんなレストランにいきなり行っても入れないんじゃと思ったけど、シャルがしっかり予約していた。こういうところも抜け目がない。場所が場所だけに持っていた服からブレザーとかそれらしい服を選んで着替えて、ドレスアップしたシャルと出発。
 今回はシャル本体には乗らず、歩いて行く。ホテルがココヨ総合駅に隣接しているから、連絡通路を渡って少し歩けば、ココヨタワースクエアに入れる。わざわざ車を使うと駅前を大回りする羽目になるし、何の得にもならない。
 出発前から、どうしてもシャルに目が行ってしまう。髪をおろして白のブラウスと膝丈より少し長いフレアスカートを纏ったシャルは、有名モデルそのものだ。僕が着替え終わって少ししてバスルームから出て来た時、僕は言葉を失うという感覚を初めて覚えた。
 ココヨタワースクエアには総合駅を通る必要がある。それ自体は別に良いんだけど、シャルへの視線が凄い。根元から毛先まで完璧な金色の長い髪。清楚さと上品さを前面に出した服装。下手なアイドルが哀れに思う顔立ち。服に浮き出る身体のライン。完璧としか言いようがない。

「ファッション関係の情報を基にコーディネイトしてみました。」
「服装も思いのままとは言え、ピッタリ似合う服を探せる能力が凄いね。」
「服と私自身の照合はごく短時間で出来ますよ。目的に応じた最適解を探すのは、条件によって最適解が大きく変動するので少し時間がかかりますが。」
「それでも1時間2時間かかってないんだよね。」
「条件は『予約したレストランの雰囲気に合致する』を明確にすれば、服を選ぶのはさほど手間ではありません。服より、歩行でバランスを取るのが少し難しいです。」
「シャルがヒールを履くのって初めてだよね。やっぱりちょっと歩き難い?」
「最初は、何もしてないと前のめりになりそうでした。普段とは違うバランス感覚が必要ですね。」

 シャルはヒールを履いている。それほど高くはないようだけど、爪先立ちで歩くようなものであることは変わりない。流石にバランス制御が確立しているらしく、今はまったくぎこちなさとかはない。だけど、普段と違う制御でシャルも戸惑うかもしれないから、少し歩調を落としている。
 総合駅は人が多い。その分、シャルに集まる視線も多い。男女問わずシャルをチラ見或いはガン見している。シャルの容貌はあからさまなほど際立ってるから当然と言えば当然か。男女で視線の性質が違うのが分かる。男性は明らかに「凄い美人」「良い女」で、女性は「凄い美人」と「気取っちゃって」と「比べられたくないから近づくな」が混在している。
 シャル自身は、相変わらず視線が集まることを全く気にしていない様子。この辺は徹底している。勿論、少しでも僕に危害を加えたら激しい制裁を科すことも。嬉しいような情けないような。駅の中には流石に車は居ないし、彼方此方で鳴り響いていたクラクションも聞こえない。心なしか、雰囲気が幾分ゆったりしているように思う。
 シャルに案内されて−本当は僕がエスコートするべきなんだろうけど−ココヨタワースクエアに入り、エレベーターに乗る。1〜10Fはショッピング、11〜30Fはオフィス、30〜35Fは飲食店になっている。行くレストランは35Fだから、まさに最上階。この高さになるとエレベーターも直通とはいかず、30Fで一旦乗り換える。
 最上階の35Fに到着。エレベーターから右に向かうと直ぐレストラン−Palace on Cloudに到着。店に入ったところで早速ウェイターの出迎えを受ける。客でない者を排除するのもあるような気がする。

「えっと…、予約した富原です。」
「富原様。2名様のご予約を承っております。お席へご案内いたします。」

 どうにか噛まずに予約を告げると、ウェイターは一礼して僕とシャルを先導して店内に招き入れる。ピアノ曲が流れる店内はかなり広い。テーブルとテーブルの間隔をかなりゆったり取っているのもある。僕とシャルは窓際のテーブル席の1つに案内される。一応エスコートすべき立場として、椅子を引いてシャルを座らせる。シャルは一礼してから座る。
 メニューは無難にコースメニューにする。それも幾つかあるけど、折角だから一番高価なものにする。品数も多いしシャルが選んだんだから味も問題ない筈。ワインは正直良く知らないから、お勧めのワインをボトルで持ってきてもらうことにする。価格を気にしないならこれが無難な選択の仕方でもある。

「そういえば…、シャルってお酒飲むの初めてじゃない?」
「言われてみればそうですね。ヒロキさんも旅に出てからだと初めてじゃないですか?」
「元々それほど強い方じゃないし、通勤が車だったから飲む機会が少なかったんだ。」

 通勤は試用期間の3カ月を除いて、全て車だった。飲み会自体それほど多くなくて、せいぜい部署の歓送迎会と忘年会くらいだった。もっともその席でもさして酒に強くない僕は1人で飲むことが多くて、どうも浮きがちだった。女性と飲みに行く機会も殆どなかったし、あったとしても殆どは1回きりでさっさとタクシーか電車で帰られて、僕は代行かバスを乗り継いで帰っていた。
 ワインを飲むなんて、それこそ数えるほどしかない。実は僕がバーベキューとそれに纏わるタトゥーとレゲエが嫌いになる要因を作ったあの女と、何回か飲みに行った際に、必ず女はワインを飲んでいた。結構高いワインを飲みながらワインについてご高説を述べていた。ワイン何とかっていう資格を持ってたらしいけど、本当に味が分かるのかは分からない。

「ほう。元カノとはお洒落なバーで一緒にワインを飲んでたんですかー。」
「!と、唐突に突っ込まないでよ。そ、それに声のトーンが下がってる。」

 シャルの声のトーンが下がると、殺気すら感じる。目も据わってるし。元カノっていうほど付き合いは深くなかった。何度か出かけたり飲みに行ったくらいで当然身体の関係なんてなかった。良い感じだなと思っていたところでいきなり縁切りされて、挙句あのバーベキューで使役された。ワインを飲んだ時も僕は良く分からないままだった。

「ふむ。つまり友達以上彼女未満ってところだったと。」
「何処でそういう表現覚えたの…。友達以上って言うほどじゃないよ。相手にとっては一時の気まぐれか気分転換みたいなものだったみたいだし。」
「今はどうなんですか?」
「今って、仕事も辞めて携帯も変えてアパートも引き払ったから、何も…」
「そっちじゃなくて、今ヒロキさんの目の前に居る相手ですよ。」
「…シャル。」

 僕の目の前に居る、理想的なアイドルとモデルを融合したような容貌のシャルは…、僕の…何と言えば良いんだろう?友達…ちょっと違う。パートナー…ではある。それだけ?…分かってる。本当はそれだけじゃないって。だけど、そのプロセスを踏んでいるって言えるか?

「プロセスより今ヒロキさんがどう思っているかの方が大事だと思います。」
「シャルは…それで良いの?」
「私はヒロキさんと同じ感情を抱いていると思っています。」

 シャルは急かすこともなく、ただじっと僕を見つめている。あとは…僕が言うだけ。良い感じだと思ったら体良く使われる羽目になったり、いきなり掌を返されたりした。またそうなるんじゃないかという不安が頭を擡(もた)げて来る。だけど…、あれだけ良い記憶を作った相手なら…、その相手が僕の気持ちの表現を待ってくれてるなら…、本当に過去と決別するために、言うべきなんじゃないか?今。

「シャルは…。」
「…。」
「僕の…彼女ってことで…良い?」
「はい。」

 ホテルに戻っても何だか夢心地のままだ。夜景は綺麗なココヨ市を横目に美味しい料理とワインを楽しんで、ほろ酔い気分でホテルに戻っても、シャルは僕の隣に居る。服は何時ものカジュアルなものに、髪は何時もの後ろで束ねてリボンを巻いたスタイルに戻ってるけど、シャルが居ることそのものが僕には嬉しい。
 夢心地なのは、シャルが彼女になったことが嬉しいという気持ちもあるけど、予想していた「ついにシャルが彼女になった」とか達成感というか到達感というか、そういうものがあまりなくて漠然とした気持ちがあるから。決して悪い意味じゃなくて、何と言うか…関係の名目が切り替わったという感覚。

「ヒロキさんは、私を彼女にすることに抵抗はなかったですか?」
「言って断られんじゃないか、とかそんな気持ちを持ってたなんて気持ち悪い、とか言われるんじゃないかって不安はあったけど、抵抗感みたいなものはなかったよ。どうして?」
「…私が…人間じゃないから。」
「それは全然。」

 シャルには出逢った時−普通の車に過ぎなかった僕の車があの老人によってヒヒイロカネで全面刷新されて、乗り込んだ僕と自己紹介した時から、ずっと好印象を持っていた。良く澄んだほんのり甘いで、理不尽な現実に苛まれていた僕を何度も温かく励ましてくれた。
 この世界を見たいというシャルの要望で、一時でも現実から離れたいのもあって休日に彼方此方赴いた時も、僕の説明を熱心に聞いて、初めて見ると言う風景にはしゃいでいた。シャルは声だけだったけど、心底楽しそうだなと感じた。
 煽られた時は容赦なく報復したし、僕が店で女性の店員と話をするとシートベルトで締め上げられたりまったく違うところへ連れて行かれたりした。そんな、怒ると怖くてキレると凶暴化するところも、意図的に見ようとは思わないまでも可愛いなって思っていた。
 声だけの存在だったけど、シャルと一緒に居る時は唯一心安らぐ時間だった。何時からか「こんな女性が彼女だったらな」って思うようになっていた。だからあの老人にヒヒイロカネ捜索を持ち出された時、それまでの全てを捨てることに迷いはなくて、最終確認くらいの位置づけで1カ月の猶予をもらった。

「思いがけない形でシャルが人間の形−今の姿で僕の前に現れた時、勿論驚きはしたけど、僕の好みのストライクど真ん中だった。それだけじゃなくて、銃撃を受けて大怪我をした僕を優しく看護してくれて、リハビリも親身に助けてくれた。あの心遣いが凄く僕には嬉しかった。」
「…。」
「シャルは確かにヒヒイロカネで、人類の身体じゃない。だけど、僕にとっては身体の構成要因が普通の人間と違うだけとしか思えない。話し方とか考え方とか、そういう人間らしいって言われるところは、シャルは人間そのものだよ。」
「ヒロキさん…。」

 人間らしさとよく言うけど、人間らしさのしっくりする定義は今まで聞いたことがない。「自我があって言葉を話す」なら、シャルは十分定義を満たしている。人格OSだと思えるのは、膨大な情報を高速処理・分析するところくらいだ。「感情や個性がある」も言うまでもない。
 水分と蛋白質で出来た肉体を持つことが人間の条件というのも疑問符が付く。実用化が進みつつあるクローンは、今もそれが人間かどうかか議論が尽きない。人間と染色体が異なるダウン症患者や、意思疎通が出来ない知的障害者などには人権がないという主張は、ネット界隈を中心に根強く存在する。そういうのを見聞きすると、人間って何だと率直に思う。

「シャルは言ったよね。プロセスより今どう思ってるかの方が大事って。僕はシャルが好きだから、彼女になってほしかった。だから、抵抗感とかシャルが人間なのかどうかとか、考えたことがないよ。」
「もう1回言って。」
「え?さっきのこと?」
「私のことどう思ってるかの部分。」
「えっと…、僕はシャルが…好きだよ。だから彼女になってほしかった。」

 さっきは話の流れでスムーズに言えたけど、いざ切り出して改めて言うとやっぱり照れくさい。シャルは僕を覗き込むように顔を近づける。
「もう1回言って。前半部分を。」
「ぼ、僕は…シャルが好きだよ。」
「もう1回。」
「僕は、シャルが好きだよ。」
「嬉しい…。私もヒロキさんが好きです。大好きです。誰にも負けないくらい好きです。」

 間近に見えるシャルは凄く嬉しそうで、幸せそうで。僕が好きになることをこんなに喜んでくれて、幸せを感じてくれる存在が愛しくない筈がない。

「シャルっ。」

 僕はシャルを抱きしめる。凄く柔らかくて温かい。シャルの両腕が僕の背中に回って抱きしめる。僕は…大好きなシャルを抱きしめてる…。大好きなシャルが…僕を抱きしめてる…。幸せで堪らない…。
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