謎町紀行

第32章 ココヨ市を巡り、追跡者と対峙す

written by Moonstone

「…ロキさん、ヒロキさん。」
 …シャルが呼んでる。徐々に視界が開けて来る。シャルが居る。良かった。昨日のことは夢じゃなかった…!

「シャ、シャル!何て格好してるの!」
「彼女になったので、よりヒロキさんが好きそうな服を選んでみました。」

 僕の隣で上体を起こした体勢のシャルの服は、ワイシャツネグリジェというやつ。ゆったりしている分、今のシャルの体勢だと胸元がかなり開いている。はっきり言って2つの立派な胸がかなり見えてる。起き抜けに刺激が強過ぎる。その豊かな胸を凝視していることに気づいて、シャルに背を向けることで強引に視線を逸らす。

「このワイシャツは、ヒロキさんのものです。こういうシチュエーションも強い関心を引けるそうですが、どうでしょう?」
「似合い過ぎてる。シャツのボタン、もう少し填めて。目のやり場に困るから。」
「もっと見たいものと予想したんですが、加減が難しいですね。」

 シャルがシャツのボタンを填めたと思う頃合いで体勢を元に戻す。確かにシャツのボタンは填められたけど、谷間が顔を覗かせる程度のスペースは堅持されている。胸もさることながら足が完全に露出している。シャツの裾で申し訳程度に隠されている腰回りが物凄く扇情的だ。

「シャル。ちょっと攻め過ぎじゃない?」
「情報分析の結果、この服装は清楚感と妖艶さを両立すると共に、男女関係の進展を表すものだと。」
「…進展はしたけど…、その格好はもっと進展してからにした方が…。」
「良いと思いますが。2人きりなんですし。」
「ま、まずはパジャマとかの方が良いかな。彼女になってくれて実質初日からそれは、あまりにも強烈すぎるから。」
「分かりました。」

 正直ちょっと惜しい気もするけど、こういうシチュエーションに不慣れな僕にはあまりにも心臓と理性に悪い。シャルには自分の容貌とスタイルが稀代のレベルで、しかも僕の好みのストライクど真ん中ってことを理解して欲しい…!

「シャル!何でここで脱いでるの?!」
「これはヒロキさんの服なので、脱がないと服装を変えられません。」

 シャルの足を凝視しないように視線を逸らしていて、もう大丈夫だろうと思ったら、シャルは隣でボタンを外しているところだった。シャルの情報分析はどうなってるんだろう?
 どうにかこうにか着替えて朝食へ。選んだ料理を食べて水を飲んでようやく落ち着いた。シャルは同じく選んだ料理を、向かいの席で食べているところ。服装は普段のカジュアルなもの。シャルは何でも似合うな。

「今日は何処へ行く?」
「ココヨ城址ですね。」
『官庁街が隣接しています。これまでの経験から、ココヨ市やA県の幹部が関与していることも考えられます。』
『その線を辿るのが良さそうだね。ホーデン社や車があまりにも優遇されている歪な社会構造は、行政の影響もあると見た方が良い。』

 ココヨ城址も高速道路で行ける。都市高速は上手く使えば目的地まで信号の影響を受けずに行けるのが最大の利点だ。もっとも渋滞や事故でそううまく事は運ばないものだけど、信号の影響を受けないのは大きい。どうしても信号は2,3分、右折が詰まっていたりすると数分ロスする。これが連続すると渋滞も呼び込んで更に時間がかかる。
 今のところ、スマートフォンのシャル製アプリでは、ココヨ城址を中心とする範囲にヒヒイロカネの反応はない。だけど、距離が相当接近した時だけ反応が出るタイプのヒヒイロカネはナチウラ市であったし、特定条件の時以外息を潜めているタイプのヒヒイロカネはオクラシブ町にあった。今反応がないことがその確定にはならない。地道に足を向けて探すのが捜索の王道だ。
 ココヨ市は総合駅周辺のオフィス街とココヨ城址近くの官庁街、そしてそれらを取り巻くような住宅街とかなり明確に区分されている。勿論オフィス街や官庁街にも住宅はあるにはあるけど、地価に負けず固定資産税にも負けずの大きい家か、ビルの谷間に挟まるような古い家のどちらかというパターンだ。
 何でも、リニア線の駅がココヨ市に出来そうという話が浮上したあたりから、再開発が活発化して、都心部の住宅は高層ビルかタワーマンションに置き換わって行ったそうだ。当然ながら地上げがあったようだけど、その再開発で出来たココヨセントラルタワー、昨日シャルと食事に出かけたココヨタワースクエアと同じくココヨ総合駅直結の高層ビルに、ホーデン社の本社が入った。
 単純に考えても、ホーデン社のために再開発という名の地上げが行われたように思えてならない。総合駅を使えば北海道から福岡まで行ける。リニア線を使えば日帰りでまず北海道、続いて福岡へ出向いてココヨ市に戻ることも出来る。それを喧伝したのがココヨ市に本社があるココニチ新聞で、ホーデン社はそれを実践しているそうだ。
 仮にホーデン社がヒヒイロカネを隠すとしたら何処だろう?本社の社長室や金庫?VIPルーム?或いはホーデン社のために色々お膳立てしたココヨ市やA県の庁舎?それとも国土交通省の出先機関?考えられる可能性は幾つかある。それらを正面から確認するのは無理だから、まずは地道に足で稼ぐのが王道だ。
 朝食を済ませて出発。勿論シャル本体に乗り込む。制御するのはシャル。ココヨ市の交通事情を肌身に思い知らされた以上、シャルに制御を任せるのが確実だ。駐車場に出たところから大小のクラクションの怒声が鳴り響いているのは、ココヨ市の日常だと認識しつつある。良いんだろうか?
 流石に膨大な情報を精密かつ高速に分析して最適解を出すシャルの制御で、ココヨ市の面倒な道路も危なげなく移動できる。ハンドルを握ってるだけなのが申し訳ないけど、折角だからシャルが運転席に座っても良いんじゃないか?この車自体シャル本体だし。

「可能ですが、ヒロキさんの精神衛生上非常に良くありません。」
「僕が運転してる体の今でもクラクションを鳴らされ続けるのに、シャルが運転するともっと酷くなるってこと?」
「端的に言えばそうです。少し観察してみてください。車の運転席を。」

 運転席?あからさまに横を向くと脇見運転と思われるから、視線を動かして見える範囲で。…男性ばかりだ。高速道路に入って、カーレースの様相が更に濃くなる中、見える運転席の人物は全て男性だ。おかしい。今時女性が車を運転するなんて何も珍しくない。トラックやバスの運転手にも女性が居るようなこのご時世に、女性の運転がまったくない。

「男性ばっかり。」
「そうです。ココヨ市で車を運転するのは専ら男性です。」
「そういう条例があるの?」
「いえ。ただ、女性が運転すると煽られるのが当たり前で、事故の確率が高いので、女性が運転を避けているんです。」

 一体何なんだ?この町は。リニア線の駅も含めた総合駅で、中心部は日本有数の町だと誇示するような発展ぶりだけど、車の運転に関して露骨なまでの女性の見下しがあって、それが不文律としてまかり取っている異常性。僕が出張で来た時は、ここまで狂ってはなかったと思うんだけど。
 幸い事故や渋滞に巻き込まれることなく、ココヨ城址最寄りのインターである丸の内インターで降りて、ココヨ城址公園の駐車場へ入る。駐車場はそこそこ広い。此処にも横断歩道に歩行者信号があって、前後の車は他の町の一般道くらいのスピードを出して走る。当然後ろから来た車にクラクションを鳴らされるが、標識は「徐行」とある。標識無視が常態化している。
 シャルは一瞥もせずに本体を走らせ、駐車場の一角に入る。シャルにしてみれば自分そのものだから、歩いているような感覚で駐車場に入れるんだろう。無駄な動きがなくて凄くスムーズだ。後ろを走ってきた車は、そのスムーズな動きでも待っていられないのか、クラクションを鳴らしつつ強引によけて走り去っていく。

「自分も車を降りたら、撥ねられる側になるって分からないのかな。」
「分かるほどの知能がないから、ああいう運転をするんですよ。」

 何とも辛辣。だけどそう表現するしかない運転だ。標識は「徐行」が彼方此方にあるし、歩行者も少なからずいる。にもかかわらず、此処は車のための場所だ、否、自分のための道だと言わんばかりの横暴な運転をところ構わず展開している。余所から来た人はこれを見てどう思うか考えたことがないんだろうか。
 兎も角、今日の目的地であるココヨ城址へ。城址とあるけど、天守閣はある。かつてこの地は幕府の直系が治める藩であると同時に、周辺の外様大名に睨みを利かせる交通の要所の門番として栄えた。天守は幕府直系であることと外様大名の牽制を兼ねた豪勢なもので、今建っているものはそれを再現したものだ。
 かつての二の丸三の丸など、天守閣以外の建物は明治維新後に取り壊されて、残っていた天守閣は空襲で焼失した。現存しているのは大手門と石垣と堀の一部。敷地全体は公園として、二の丸三の丸があったところは美術館や博物館が建っている。
 曜日と時間帯に関わらず−今の僕も人のことを言える立場じゃないけど−、割と人は多い。博物館や美術館の催事が充実しているんだろうか。日本有数の都市部の中心部にあるとは思えないほど広い公園だから、歩いて回るだけでも1日使いそうだ。
 スマートフォンのシャル製アプリは、地図が城址に絞られている。今のところヒヒイロカネの反応はない。まずは…天守閣から行こうかな。ヒヒイロカネの捜索を除けば、今の僕とシャルはデート中のカップル。否、昨日カップルになった。だったら…手を繋ぐくらい良いかな。
 シャルの右手はフリー。思い切って手を取る。…凄く柔らかい。あまり力を入れるとひしゃげてしまいそうだ。シャルは痛くないかな?

「全然痛くないですよ。」
「そ、そう。」
「おっかなびっくりだと、かえって変に力が入りますよ。彼女と手を繋ぐんですから、堂々としてください。」
「う、うん。」

 彼女と手を繋ぐのは何らおかしなことじゃない。変に意識し過ぎなのかな。こういうところに経験のなさが出るな…。

「経験の有無や数より、今目の前に居る相手にどれだけ誠実に向き合えるかだと思います。昨日、私に言ってくれたことは、嘘ですか?」
「嘘じゃない。本当だよ。」
「それなら、何も臆することはないですよ。」

 遠慮してる…否、嫌がられるんじゃないか、ふられるんじゃないかって疑心暗鬼が行動に出てるわけか。考えてみればそのとおりだ。昨日僕はシャルに僕の彼女で良いか聞いて、シャルは即答でOKした。更に僕はシャルに好きだと繰り返し言って、シャルも僕が好きだと言った。あの時のシャルの嬉しそうな顔に裏があると、僕は思っている?
 そんなことはない。だけど、未だに捨てた筈の過去の亡霊に囚われている。シャルだって、どうして信じてくれないのかって疑心暗鬼になるだろう。それはシャルに対して失礼だし、シャルの気持ちを踏み躙ることでもある。もっと…堂々としよう。物凄く照れくさいけど。
 天守閣は見た目を上回る広大さ。外見は天守閣だけど、内装は和風の大型ビルといったところ。かつてこの城を拠点に明治維新まで続いたこの地を治めた幕府直系の家系と城の歴史を詳細に紹介する歴史博物館だ。天守閣は空襲で焼失したけど、再現の際にかつての木造建築を再現することはしなかったようだ。
 往時を偲ぶ建造物じゃなくて天守閣の外見の歴史博物館と見れば、展示物はかなり充実している。重要文化財の刀や欄間や鎧兜、消失した天守閣の鬼瓦、他の大名との婚姻や対立などを記した手紙や書籍などなど。展示物の中にヒヒイロカネがあるかもと調べてみるが、今のところ反応はない。

『ヒヒイロカネのスキャンは私が常時していますから、ヒロキさんがアプリを頻繁に見る必要はないですよ。』
『折角のアプリだから、ふとした拍子に画面の端に引っ掛けるとか期待してるんだけど、そう上手くはいかないかな。』
『あくまでアプリはスマートフォンでも見られるようにするためのものです。今は私とのデートに専念してください。』
『え?デート?』
『違いますか?』

 ヒヒイロカネの捜索の筈なんだけど…、手を繋いで歩いて展示物を見てあれこれ言っているこの状況は、傍から見ればデートでしかない。シャルはこの間もスキャンしているから、創作をしていることには違いない。僕は微妙な立場だけど、シャルを案内しているのも捜索の一環と言えばそうか。
 シャルは普段のカジュアルな服装で、むしろ地味な方だけど、何しろ普通に歩いているだけで人目を惹く。そこそこ混雑している中でも、絶えず視線を集めているのが分かる。そのシャルと手を繋いでいる僕には、やっかみの表情と視線が向けられる。優越感もあるにはあるけど、居心地の悪さの方が強い。

『何かしてきたら、その瞬間指か手か腕か、どれかが綺麗に切り落とされるだけです。』
『此処では絶対やっちゃ駄目だよ。』
『相手次第です。』

 シャルは危害を加える相手には一切の躊躇なく攻撃を繰り出すからな…。こういう場所では人目が多いせいか意外と因縁を付けられることは少ない。人目が少ない駐車場とかの方が要人が必要だろう。もっとも、シャルにとっては開けた場所で「今から攻撃します」と大声で言いながら呑気に歩いて来るようなものだろうけど。
 天守閣は階段かエレベーターで昇れるようになっている。階段は他の天守閣よりかなり広くて傾斜も随分緩い。普通の建物の階段となんら変わらない。エレベーターで昇っても良いけど、時間は十分あるし、ヒヒイロカネは意外なところにあるかもしれないから、階段で昇って行くことにする。
 最上階、普通の建物で言うと5階に相当する最上階に到達。5階を1階から階段で上り続けるとかなりきついけど、階毎に展示物を見て回ってきたからか、息はあがっていない。シャルはまったく平気そうだ。展望台が主目的らしく、展示物は他の城址の写真と、方角ごとの外の景色の説明くらいの、ごくごくシンプルなものだ。

「都心部でも周囲に建物がないと良く見えますね。」
「天気も良いからね。」

 風が少し強くなっている。シャルの後ろでリボンで束ねた金髪がふわりと浮きあがって靡(なび)く。この瞬間すら様になるのがシャルの凄いところだ。
 総合駅から地下鉄で1駅のところだから十分都心部と言える場所だけど、見える景色はかなり開けて見える。南の方に並ぶ似たような形のビルが官庁街。国の出先機関や県警本部、高等裁判所までの各クラスの裁判所などが軒を連ねている。その先に見える城郭みたいな建物が、A県の県庁。その隣の大型ビルがココヨ市の市役所とある。
 西には大きな川が流れている。かつては大きな堀の一部で、廃藩置県と取り壊しの際に治水事業を兼ねて近くの川と融合させたそうだ。東と北は学校や住宅が建ち並んでいる。そして意外なことに寺が点在している。方角から見て鬼門や裏鬼門じゃないけど、幕府直系の城を護る意味があるんだろうか。
 肝心要のヒヒイロカネだけど、そちらは全く反応がない。これまでの経験からしてこういうところにある確率が高いと踏んだんだけど、そう思うようにはいかないか。なければ別のところを探せば良い。かなり近づかないと反応が出ないヒヒイロカネもあったし、地道に探していくしかないのは変わらない。

『意外と寺が多いですね。幾つか見て回りましょう。』
『それは勿論良いけど、何か気になるところがあった?』
『本尊や宝物に何かのヒントがあるかもしれませんから。』

 ナチウラ市には地元以外ではあまり知らないであろう寺に、かつてのヒヒイロカネと手配犯の暴虐と、それを追って来たSMSA職員らしい旅の僧侶との壮絶な戦いの物証があり、ヒヒイロカネもあった。その伝承と物証から、ナチウラ市に潜んでいたヒヒイロカネであるクロヌシの存在が確定し、更に裏に潜んでいたボス議員の狂った計画を暴くことへと繋がった。
 ヒヒイロカネの所在は、シャルがアクセスできるデータベースの解析で候補地は絞られるけど、あくまで候補地でしかない。そこにあるかどうか、あるとしたら何処にあるかは、何もヒントがない。全て僕とシャルで探しだすしかない。あらゆる可能性を考えて、時には虱潰しに探すしかない。この旅はそういう旅だ。

『考えてみると、城址に寺が固まっているのは不思議ではあるね。当時の寺が檀家という形で町民の所在管理をしていたとはいえ。』
『交通事情から徒歩での移動になるので、時間はかかると思います。』
『構わないよ。ヒントから探す必要があるんだし。』

 その日の夕方、ホテルへ帰還。歩き疲れて足がパンパンに張っている。今日回った寺は7。数はそれほどでもないけど、道が狭くて一方通行が多いから、徒歩で移動するのが得策というシャルの判断で徒歩で移動した。坂がないのは幸いだったけど、1日で10km超えの距離を歩くのは何時以来かだから、足の疲労は相当なものだ。
 成果は残念ながらなし。城址周辺の寺は、かつての幕府直系の藩の指示の下、檀家制度で町民を管理する役割を担っていたことが良く分かったのは収穫と言えるだろうか。「ココヨ城址と周辺の寺には手掛かりはない」と分かったなら、他の場所を探せば良い。今、僕の時間はそのために使える。

「足の疲労が特に強いようですね。」
「歩き慣れてないからね。少し横になって良い?」
「勿論です。」

 並んでベッドに腰掛けているから、この際シャルとの関係性を確認したい。僕は「その」位置を見定めて、身体を横に倒す。僕の頭はシャルの太ももに乗る。シャルを見ると、少し驚いた様子で目を見開いている。鼻から下は胸の出っ張りに隠れて見えないから、表情を大きく左右する口元は分からない。

「足を伸ばした方がもっと楽ですよ。」

 シャルの言葉を聞いて、僕は足をベッドに乗せて仰向けになる。シャルの目は笑った時のそれになっている。少し目じりが下がっている。それを見て改めて安心する。

「ヒロキさんから行動に出るのはあまり予想してませんでした。」
「良いかな、と思って。」
「私が彼女という特権を生かして下さい。そうすれば、過去の記憶を本当に振り払うことが出来ますよ。」
「そうするよ。」

 僕が欲しかったものは、端的には彼女だけど、元を辿れば自分を委ねて良い相手。僕は頼られると言えば聞こえは良いけど、要は都合良く使われる側だった。誰かに頼ろうとしても「君が(お前が)出来ることは自分でしてくれ」と拒否されるばかりだった。誰にも頼れず、失敗したら責められ、精神的にかなりめげていた。
 シャルはそんな境遇にあった僕に違う世界を見せてくれた。一方的に使われることも使うこともない、互いに尊重して協力できる関係。僕が欲しかったものをシャルはくれた。もう一歩進んだ関係としてカップルになったけど、大元は変わらない。そんな関係を続けていきたい…。

…。
…!

 急に目が覚める。しまった!気持ち良くてすっかり寝入ってしまってた!

「どうしたんですか?」
「休むだけのつもりがすっかり寝入ってて。」
「疲労の緩和解消のため睡眠を取るのは、ごく自然なことです。食事も私も何処かへ行ったりしませんよ。」

 シャルの言葉が僕の心に優しい響きを生む。そうだ。僕はもうあの環境を捨てたんだ。僕があたふたしている間に他の同僚が食事に行ったり、女性が態度を急変させたりすることはない。シャルと相談して食べたいものがある店に行ける。シャルは僕を放り出して何処かへ行ったりしない。そんな僕が欲しかった環境が今、此処にある。

「疲れは取れましたか?」
「足の張りは大分取れた。歩くには十分だよ。」
「寝起き直ぐに食事になりますが、良いですか?」
「大丈夫。僕は少し軽めにした方が良いと思うけどね。」
「お店は探してあります。行きましょうか。」
「うん。」

 身体を起こしてベッドから降りて、シャルと手を取り合う。遅くなったけど2人で夕食に向かう。シャルが探してくれた店は何だろう?シャルはかなりの食通でもあるから、味の面も心配要らない。唯一気分を削がれるのは外に近づくと耳に届くクラクションの嵐。車に乗るとクラクションを鳴らさないと気が済まないんだろうか?
 外に出て歩道を歩いていると、後ろからけたたましいクラクションが鳴らされる。何事かと思って振り返ると、SUVが歩道ギリギリに迫って来ている。片側1車線の道で、僕とシャルは向かって右側の歩道を歩いているのに、後ろから歩道ギリギリに迫ってきている。要するに逆走だ。対向車が居たら下手したら正面衝突だ。

「昨日後をついて来たSUVです。」
「!あ、あの?!どうして此処に?」
「今のところそれは不明ですが、私達を探していたのは間違いないようです。わざわざ車線を超えてまで接近してきているので。」

 な、何なんだ一体。此処まで執拗に付け狙う理由はないどころか、むしろ駐車場で僕を轢くところだったのはこのSUVの方。僕に通報されたりするのを警戒して距離を置くのが普通の感覚だと思うんだけど。そう思っていたら、SUVの運転席の窓が開く。怒りか何かで歪んだ表情の男性が僕とシャルを睨みつける。

「此処に居たか!俺を邪魔しやがって、何もなしか!」
「邪魔って、駐車場で歩行者信号が青なのに突っ込んできたのはそっちじゃないか。」
「俺の邪魔をしたのが問題なんだ!論点を逸らすな!」
「自分のルールより道路法規が優先だ。今も堂々と車線を超えてるし。」
「口答えするな!俺の邪魔をしたことに対して誠意を見せろ!」

 駄目だ。全く話にならない。道路法規より個人のルールが上回るなんて、政治家や財界人みたいなことを何ら疑問に思ってない。危うく僕を撥ねそうになったのに訳の分からない理由で逆恨みして、延々と僕を探してたなんて、執念深いどころの話じゃない。此処で無視しても、しつこく追ってきそうだ。

「だったら、そのデカブツから降りてきたらどうですか?」

 横に居たシャルが冷たい声で言う。

「そのデカブツから降りて、同じことを言えますか?一歩車を降りれば、自分も車でミンチにされる立場だということをお分かりですか?」
「こ、このアマ!生意気な!」
「生意気と思うなら、さっさと降りて来なさい。デカブツに乗ったまま喚き散らすなんて、王侯貴族にでもなったつもりですか?」

 男はシャルの激しい挑発に歯ぎしりするけど、一向に降りて来ない。前の方からクラクションが鳴らされる。対向車だ。この道は割と交通量が多い。そこに、堂々と車線を乗り越えて停車していたら、ココヨ市でなくてもクラクションを鳴らされるだろう。圧倒的に男に不利な情勢だ。どうする?
 男は僕とシャルに聞こえる音量で舌打ちして、急発進して車線に割り込んで走り去っていく。この状況が続くと警察を呼ばれるだろうし、流石に警察も車線を超えて停車して怒鳴り散らしている輩を咎めないわけにはいかないだろう。男もそれは予想できたらしい。

「また来ますね。」
「…残念ながらその確率が高いね。」
「来るなら来れば良いです。大きな車に乗っていることで気が大きくなっている小者が来たところで、何らの脅威になりえません。」

 シャルに勝とうなんて、戦車に生身で突進して破壊するより難しいだろうから襲撃への対応自体は大丈夫だけど、ホーデン社を頂点とする歪な階層社会が構成されているこの町でトラブルになると、こちらの情勢が不利になる恐れがある。ホーデン社絡みだと警察もまともに捜査しないそうだし。
 今までヒヒイロカネがあった町はそれぞれ問題を抱えてたけど、ココヨ市はこれまでになく深刻な気がする。全国共通の筈の道路法規より自分ルールが優先と公言して憚らない男といい、女性が運転すると容赦なく煽られることといい、市民レベルで感覚が狂ってる。

「所詮大きな車に乗って大きな人物になった気でいるだけの小者です。ヒロキさんが気に病む必要はありませんよ。」
「トラブルになると、ココヨ市の状況からして僕とシャルに不利になりそうなのが気になってね。」
「私と一緒に居てくれれば大丈夫です。」

 シャルのことだから何か策があるんだろう。法律が及ばない或いは法律を無視する輩には、シャルは容赦しない。創造した戦闘機や戦闘ヘリで銃撃したり、ミサイルで身体の一部をふっ飛ばしたり、麻酔なしで身体の一部を抉り取ったり。その意味ではあの男の方が危険か…。
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