謎町紀行

第22章 負の記憶を塗り潰すは正の記憶

written by Moonstone

 翌日。僕は例の浜辺のバーベキュー施設に居る。シャルから渡された小ぶりのバーベキューコンロに炭を入れて火を起こす作業をしている。「火起こしの時間で別の作業をする」とシャルは言って、僕を此処に送り出した。昨日肉や野菜を買い込んだから、それの準備だろう。
 バーベキュー施設は、コンロやテーブル、椅子は持ち込みだけど、エリアごとに膝丈ほどの柵があって混乱しないようになっている。コンロを水洗いできる広い場所があるし、煙を吸い込んで排出する大型の換気扇もある。ゴミは分別して廃棄するようになっている。僕はコンロと炭の他、2人分の椅子と小さいテーブルを運び込んで、こうして準備をしている。
 広大なバーベキュー施設には、当然ながら他のグループも居る。家族連れは居なくてタトゥーとピアスで飾り立てた連中しか居ないのが、この施設の性質を如実に物語っている。家族連れ用とされる、他と比べると少し手狭な、だけど2人なら十分な広さのスペースで1人火起こしをしている僕は、連中の格好の嘲笑の材料だろう。耳を澄まさなくてもそういう声が聞こえて来る。
 シャルが「過去を潰して埋め固めるほどの良い記憶を作る」としたことがバーベキューだと分かった時、若干の疑問が頭を擡げて来た。バーベキューで忌まわしい記憶が植え付けられたのにバーベキューで何が出来るのかと。だけど、シャルは「私に任せてください」と言った。シャルを疑いたくはない。

「お待たせしました。」

 後ろから澄んだ声がする。振り向いた僕は昨日とは別の理由で驚く。シャルはスカイブルーのビキニをパーカーとホットパンツで覆った、これまでにない露出の多い服装だ。
 さっきまで頻繁に聞こえていた嘲笑混じりの話声がピッタリと止む。シャルの容貌にそのスタイルを披露する服装が加わったら、化粧や画像ソフトがないと写真を出せない女性は相手にならない。

「食材と飲み物を準備してきました。」
「…そのクーラーボックスの中がそう?」
「はい。屋根があると言っても、高温多湿の環境下で放置するのは衛生上良くないですからね。旅館の人に頼んで昨日から保冷剤を冷やしておいて貰ったんです。」

 そう言えばシャルは昨日、保冷剤も買い込んでたな。クーラーボックスは買ってなかったから、本体から分離創製したものだろう。単なるクーラーボックスより冷蔵機能は格段に良い筈だ。それらを乗せてシャルが押している台車も分離創製したものだろう。シャルの機能を活用している。

「昨夜から肉をタレに漬け込んでおきましたから、美味しくなりますよ。」
「何時の間に?」
「旅館の人に必要な物を渡して頼んでおいたんです。私は引き取る直前まで野菜を切ってました。」

 別の作業って、そういうことだったんだな。野菜を切ったり旅館の人から保冷剤と漬け込んだ肉を受け取って搬送準備をするには、それなりに時間がかかる。だからその間、僕に場所の確保と火起こしを頼んだんだな。火が起こるまで退屈しなくて済むように。2人居るんだから分担した方が効率が良いのは明らかだ。
 シャルがテーブルに食材を出す。皿に載せられた肉は、赤身の部分が綺麗にタレの色に染まっている。肉と野菜は分離されて、どちらもきちんとラップが被せられている。調理していない肉と野菜を同じ皿に載せるのは衛生上良くないと言われている。シャルはきちんとセオリーを踏まえている。

「丁度火も良い感じになってますね。」
「着火剤とバーナーがあったから、かなり楽だったよ。」
「炭の追加は私に任せてください。焼くのは2人でしましょうね。」
「うん。」

 まず野菜を幾つかコンロに分散して置く。キャベツは生でも良いけど人参やピーマン、椎茸は少し時間がかかる。焼けるまでの間、シャルがクーラーボックスから飲み物を出す。買い込んだ烏龍茶だけど、本当に良く冷えている。クーラーボックス+保冷材とは思えない冷え方だ。

「乾杯しましょうか。」
「そうだね。…乾杯。」
「乾杯。」

 コンロの上で軽くコップを合わせる。じわじわと暑さが増す中で炭火に近づいていた熱さが一気に和らぐ。シャルが取り皿にタレを入れて、箸も用意してくれる。野菜が良い感じで焼けて来た。頃合いを見てひっくり返す。少し焦げた部分もあるけど、全く問題ない程度だ。
 遠赤外線が安定して来たのか、焼けるスピードがかなり速くなる。様子を見て焼けたと分かる野菜類を2人の取り皿に配分する。入れ換わりにシャルが肉をコンロに肉を置く。こちらは野菜より焼けるスピードが速い。シャルが手早くひっくり返して、両面が綺麗に焼けた肉を2人の取り皿に配分する。取り皿は贅沢な盛り付けになった。

「美味しいね。肉が凄く柔らかくて、しっかり味が付いてる。」
「昨夜から漬け込んでおいて正解でしたね。」

 肉は確かに良いものを買った。だけど、旅館に依頼して昨夜からタレに漬け込んでもらって、しかもただ持って来るだけじゃなくて皿に移してラップをかけて、保冷材入りのクーラーボックスに入れて来たシャルの手間暇があってこその味と食感だ。焼いた端から取られていったあの時とは格段に違う。
 違うのは肉の味と食感だけじゃない。率先して肉や野菜を焼いて、必要なら別の取り皿に移しておくシャルの存在が決定的に違う。パーカーは前のファスナーを締めてはいるけど、水着全体が見える程度まで。ホットパンツも同じ。グラビアアイドルのイメージビデオかと勘違いしそうだ。

「ちょっと待ってくださいね。炭を追加します。」
「食べ物は十分ストックがあるから大丈夫だよ。」

 シャルは僕が知る限り、女性はまず手を出さない炭の追加もしてくれる。化粧をしているからとか言い分はあるだろうけど、着火剤もバーナーもトングもあってその言い分は、単に自分がしたくないからだろう。そもそも化粧は剥がしてまた塗り固めるんだから、多少汚れても構わないだろうに。
 追加の炭はあっさり火力が安定して、コンロ内部に均一に分散される。最適な条件を高速かつ精密に分析できるシャルならではだ。シャルは取り皿の具合を見て、適切な配分で肉と野菜をコンロに配置して焼いてもくれる。このままだと僕の腰が重くなってシャル任せになるから、僕も焼くのに加わる。

「肉は直ぐ焼けますね。」
「炭は一旦火力が安定すると、思った以上に速く焼けるようになるからね。」
「野菜との配分を考えながら焼くのは、なかなか面白いです。」
「野菜もあるから飽きないよ。」

 小さいテーブルだから−これと椅子もシャルの分離創製の筈−、座るとシャルとかなり近い距離で向かい合わせになる。パーカーから見える綺麗な水着と豊かな谷間が目を引き付ける。浜辺だからこういう服装の方がしっくり来るのは事実だけど−僕はTシャツと水着−、上も下もファスナーが半分程度しか締まっていない形なのは意識的か?

「勿論そうですよ。ヒロキさんにも服の下は見せたことがなかったですから、周囲への牽制も兼ねて今回こうしました。」
「牽制?」
「化粧に加えて画像ソフトで修正必須の顔やスタイルの分際で、暴力団まがいの連中からヒロキさんに鞍替えしようとしても無駄、と分からせるためです。」
「シャルに容貌で対抗しようなんて、わざわざ恥を晒すだけだよ。」

 そもそもあの手の女連中は、僕のようなタイプはゴミ屑としか認識していない。女連中が僕に鞍替えする確率より、男連中がシャルを狙う確率の方が比較にならない高さだ。シャルが姿を現して以降、嘲笑混じりの話声は全く聞こえて来ないけど、その分僕への妬みとシャルへの欲情を募らせているとも考えられる。

「安全面は全く心配無用ですよ。複数同時に狙撃されても余裕でヒロキさんを守ると同時に、回避・反撃できます。」
「シャルに物理ダメージを与える方法なんて、僕には想像できない。」
「せいぜい、修正必須の顔とスタイルの女に粘着されながら、遠目で私とゆったりバーベキューをするヒロキさんを指を咥えて見ることです。」

 普通なら上から目線と言われるところだけど、シャルの容貌と行動の前には事実を言われて発狂かと言う他ない。僕を嘲笑する声に代わって、肉を焼け、火が弱い、飲み物が切れた、何処を見ている、と甲高い声で詰め寄る女連中の声が聞こえる。シャルを見て余りの格差に愕然とした男連中が対応に苦慮しているようだ。
 人数こそ少ないけど、シャルとバーベキューをしているという事実が、これまで感じたことがない幸福感と優越感を齎す。シャルが敢えて僕が忌避するバーベキューを良い思い出の形成に選んだのは、これが目的だったんだな。確かにこれなら…、バーベキューも良いなと思う。あの時騙されたことが今に繋がったと思える。

「良い思い出作りはバーベキューだけでは終わりませんよ。」
「他にも何かあるの?」
「勿論です。楽しみはたくさんある方が良いですからね。」

 てっきりバーベキューで1日楽しく過ごして終わりと思ってた。今の状況を考えればそれで十分だと思ってた。シャルは僕の記憶を良くて「あんなこともあったな」と笑い話に昇華できるまで、思い出作りの機会を考えてくれているのか?シャルがここまでしてくれるなんて…。
 その日の夜、夕食と入浴を済ませた僕は、シャルに連れられてシャル本体で移動。海浜公園という場所の広大な駐車場に止まって、そこから徒歩で移動。漁港を遠くに見渡せる高台に来る。他にも少し人がいるけど、ビニールシートを敷いても十分間隔が取れるくらいだ。
 シャルは旅館の浴衣に着替えている。昼間のセクシーさや大胆さから一転して清楚さと上品さを前面に出している。結わえてアップにした髪も良く似合っている。浴衣で多少歩き難くなったようだけど、そこは僕がカバーする。今回は歩調を落としたり、段差で手を添えたりするくらいだけど。

「もう直ぐ始まりますよ。」
「…場所的に、花火?」
「正解です。近隣は混雑しますけど、此処なら座ってゆったり見られます。」

 周囲はカップルが多いけど、家族連れやグループも居る。昼間の周囲よりずっと穏やかな雰囲気だ。花火大会の日時と見やすい位置の調査はシャルの情報収集と分析の賜物だ。周囲は街灯が少ないから、見上げれば星も良く見える。
 漁港の方向から光の筋が上昇して、大きい花を開かせる。それから遅れて効果音が届く。光と音のずれ具合からして距離はかなりあるらしい。その分、今居る場所の高さも加わって、座ってもあまり頭を上げずに十分花火を鑑賞できる。
 花火は断続的に続く。臨場感という面では近隣で見るより低いかもしれないけど、場所によっては立ったまま上を見上げた態勢で終わるまで身動きが一切取れないこともある混雑より、こうしてゆったり見られる方が僕には良い。他のカップルや家族連れは、近くにあるトイレも行ける。これは結構重要だ。
 ふと左側に軽い重みを感じる。シャルが凭れかかっている。この時点で僕の心拍数が一気に上昇する。更に腕に手を回して来る。腕という「障壁」がなくなったことで、シャルの胸が僕の腕に当たる。当たっただけで際立った柔らかさを示されて、のぼせそうなくらい身体が熱くなる。

「シャ、シャル…?」
「凭れて眺めるのは楽ですね。」

 顔をシャルの方に向ければ、シャルの髪に鼻先を突っ込みそうな位置関係。シャルも風呂上がりだからか、シャンプーの匂いが鮮明だ。五感のうち嗅覚と触覚を完全に支配下に置かれる。視覚と聴覚もシャルに向きがち。意識的に見ないといけない花火なんて初めてだ。
 花火は複雑になって来る。形状が円以外になったり、青や紫といった花火では難しいとされた色も増える。派手さでは花火の中で随一のスターマインも登場する。大小の花火が次々と夜空に花開いて、遅れて大小の炸裂音を響かせる。周囲から時に感嘆の声が上がる花火も、ふとした瞬間に隣のシャルに僕の意識を取られることが多い。

「えっと…、候補地のうちナチウラ市を選んだのは、花火大会があるのを知ったから?」
「いえ、花火大会の存在は行動初日の情報収集で知りました。ヒロキさんから話を聞いて、これを活用しない手はないと思いました。」

 花火の充填や大会の進行−花火大会は花火師の競技を兼ねる場合がある−なのか間が開いた時を見計らって、思いついた疑問をシャルに尋ねる。僕が昨日話すまでシャルは僕の記憶を知らなかったし、偶然の機会を組み込んだのか。花火は勿論綺麗だけど、シャルの方が意識に作用する引力が圧倒的に強い。

「…浴衣と髪型、よく似合ってるね。」
「髪型のアレンジは初めてですけど、そう言ってもらえて嬉しいです。」
「普段、後ろで束ねてリボンを付けてるよね。風呂上がりはおろして。」
「普段は束ねておく方が邪魔にならないんです。私は個人的におろす方が良いです。」
「シャルの髪は綺麗だから、どんな髪型でも似合うと思うよ。」
「嬉しいです。」

 シャルは身体をずらして僕への密着の度合いを強める。僕の腕でシャルの胸が撓(たわ)んでいるのが分かる。ようやく順応し始めたと思った矢先に更に触覚を強烈に刺激する。昼間の初めて見せる露出の多い服装で見せた谷間を思い出して、全身が沸騰するような感覚が襲う。
 花火が再開されてより大規模に、派手になる。だけど、意識の大部分はシャルに引き寄せられている。のぼせてしまいそうなところを、強引に意識を花火に向けることで堪える。浴衣姿のスタイルの良い美女が暗がりで密着してるってシチュエーション自体は嬉しいけど、あまりにも刺激が強過ぎて認識の順応が追い付かない。
 シャルがこんなに性的なアピールをするのは初めてだ。昼間もそうだったな…。僕視点を映像にしたらグラビアアイドルのイメージビデオそのものだ。シャルは恐らく自分の容貌と強みを理解してる。それが今の行動に繋がってるんだろう。的は得ているけど、僕には刺激が強過ぎる。
 のぼせたのか目眩がして来て、シャルの頭に軽く僕の頭を乗せる格好になる。シャルの繊細な髪質から立ち上る芳香が心地良い代わりに、頭を上げる力さえ奪われる。次々と打ち上げられるスターマインが、空に大小の鮮やかな花を咲かせる。だけど、それらは目に映るだけで、意識はシャルに持っていかれてしまっている…。
 翌日。昨日の強烈な刺激の余韻が強く残る中、チェックアウトを経て海水浴場へ向かう。海水浴場は昨日のバーベキュー施設からかなり離れているからシャル本体で移動。元々は隣接していたけど、バーベキュー施設で飲酒して海に入って溺れる人が多いし、海水浴に来た人をタトゥーで威嚇したりするから、というのが旅館の人から聞いた理由。馬鹿馬鹿しい話だけど飲酒して入水する危険が分からないのがあの手の連中らしい。
 昨日花火大会を鑑賞した海浜公園に隣接する此処は、大音量のレゲエもないし、タトゥーやピアスで飾り立てて周囲を威嚇するように見回す連中もいない。食事は自由だけどゴミの分別は必須。飲酒と喫煙は所定の店やエリアのみ。飲酒後は遊泳禁止。海水浴客以外は締め出されるようになっている。
 更衣室も至って綺麗。家族連れも多いから賑やかだけど、不快な騒々しさとは違う。着替えてロッカーの鍵をかけて、リストバンド付きの鍵を左手首に通して完了。シャルとの待ち合わせ場所である休憩所前に向かう。此処は食堂や医療施設も含まれている。広い庇(ひさし)もあるから、強い日差しの下でも待ち合わせがしやすい。

「お待たせしました。」

 シャルの声が聞こえてその方を向いた瞬間、思わず息を飲む。昨日のバーベキュー施設で垣間見えた、濃い青で縁取りされたスカイブルーのビキニは、シャルの抜群のスタイルに花を添えている。下手なグラビアアイドルが裸足で逃げ出すレベルのスタイルを惜しげもなく披露しているから、男女問わずシャルに周囲の視線が集中しているのが分かる。

「それ、昨日のだよね?」
「はい。あまり着替えたという実感がないです。」
「す、凄く似合ってる。」
「ありがとうございます。」

 自分のボキャブラリーの少なさがこれほど嫌なのは初めてだ。もっと褒めたいのに、「似合ってる」以外に良い表現が思いつかない。このまま突っ立っているとシャルを通り過ぎる人達の視線に晒し続けることになる。手を取って海へ繰り出す。
 海水浴客は多いけど、浜辺も海も十分な余裕がある。浜辺にビーチパラソルやビニールシートを設置して、のんびり日光浴をしたり、砂遊びを楽しんだり。浜辺に近い海で小さい子がおっかなびっくりで満ち引きをする海と戯れていたり、少し沖の方で競泳をしていたり。平凡で平穏な海水浴場だ。

「海に入るのは初めてですから、少し緊張します。」
「漁港には旅に出る前に何度か行ったし、昨日は浜辺に降りたけど、そう言えば海自体は初めてなんだね。」
『念のため確認するけど、海水に浸かって支障が出ることはないよね?』
『海水の成分は、私に全く影響ありません。』
「大きな風呂だと思えば大丈夫だよ。」
「そういう考え方が出来ますね。」

 シャルの手を取ったまま、僕が先に海に入る。入ると言っても浜と海の境界線みたいなところだから、波が高くても踝(くるぶし)が浸かる程度。シャルはちょっと緊張した様子で海に足を踏み入れる。そのまま、膝下まで浸かるところにゆっくり進む。この辺まで来ると、シャルの動きにぎこちなさがなくなる。

「周期的に動く水が気持ち良いですね。」
「冷たくはない?」
「全然冷たいとは思いません。後は浮かんだり泳いだり好きにして良いんですよね?」
「うん。他の人にぶつかったりしないように注意して、ね。」

 スポーツが得意でない僕は水泳もそこに漏れないけど、一応泳いだり潜ったりは出来る。海水浴場では十分なレベルだろう。もう少し深いところ、腰が浸かるくらいのところまで進んで、そこで軽く泳いでみる。シャルは少し浮かんでから泳ぐ。水に浮かぶという感覚を習得したんだろう。風呂じゃ憚られるし。
 シャルは最初こそ少しおっかなびっくりだったけど、暫くしたら実にスムーズに泳ぐ。高速で情報を収集して解析し、最適な解を得て習得する、この世界に蔓延る人工知能もどきを凌駕する高度な知能がなせる技だ。更に深いところに進んでも、泳ぐも潜るも自由自在。身体の変形とかはしてないけど、スムーズな泳ぎ方や潜り方を習得しているのは間違いない。
 それにしても…、浮かび上がる毎にシャルの胸が大きく揺れるところにどうしても目が行ってしまう。昨日の段階で推測はしていたけど、面積は下着と変わらないビキニが全容を現して確定した。普段のカジュアルな服から想像した以上に、シャルの胸は大きい。水着が支えきれないんじゃないかと思ってしまう。あの胸が昨日、僕の腕に押しつけられて撓んでたんだよな…。

「うわっ!」

 突然、海水を顔にかけられる。顔を手で拭うと、シャルが悪戯っぽい笑みを浮かべてこっちを見ている。

「何見てるんですか〜?エッチ〜。」
「あ、い、いや、別に…。」
「嘘ばっかり〜。それっ。」

 シャルにまた海水をかけられる。僕も両手で海水を掬ってシャルにかける。

「きゃっ!」
「お返し。」
「もうー。捕まえて尋問します。」

 シャルが迫って来る。だけど表情は全然真剣じゃない。シャルと気軽に追いかけっこ。適当に泳いだり潜ったり。時々振り向くと、シャルが楽しそうに追って来ている。少し泳ぐスピードを速めたり遅くしたりしても、シャルは一定の距離を保っている。

「捕まえた!」
「わっ!」

 思わず声を上げたのは、突然距離を詰められて驚いたからじゃない。背中に2つの猛烈な柔らかさを感じたからだ。ダイレクトさは昨日の花火大会を超える。間に挟んでいる布の類が…シャルの水着しかないんだから。

「何見てたんですか〜?」
「〜〜〜!」

 言葉にならない。声が出ない。シャルの胸が…僕の背中に…。
 結局丸1日海水浴を堪能した。適時日焼け止めクリームを塗ったから日焼けは大したことはない。それより、シャルのアピールが強烈過ぎた。後ろから抱きついて胸を押しつけたり、僕に日焼け止めクリームを塗らせた。その都度僕は頭がオーバーヒートした。
 後ろから抱きついた時も強烈だったけど、日焼け止めクリームを塗らせた時も強烈だった。何処で覚えたのか、ブラの方を外して僕に背中を向けて塗らせた。細い身体のラインとその両脇から顔を覗かせる豊満な膨らみ。加えて滑らかな肌。これで平然としていられるようなら、過去の記憶に翻弄されたりしない。
 そのシャルは、浴衣に着替えて僕に凭れかかっている。夕食と入浴を済ませてからこうだ。昼間の強烈な出来事が絶えず頭を駆け巡っていて、身体が頻繁に熱くなる。この2日間、単に「海に遊びに来たカップル」だったな。良い記憶になったのは間違いない。

「良い記憶になったなら、私も頑張った甲斐があったというものです。」

 シャルは僕に凭れたまま顔を上げる。少し上目遣いのシャルと僕の距離は、拳1個分くらい。詰めようと思えば簡単に詰められる距離だ。

「ヒロキさんにつき纏っていた過去の記憶は、孤独感、疎外感、劣等感の3つが主な形成要因だと思いました。その逆である連帯感と優越感を抱いてもらい、かつ過去の記憶の舞台や登場人物の性別を踏襲することで、良い記憶が形成できると考えて実行したんです。」
「最初にバーベキューがあったのは、それが背景にあったんだね。」
「はい。あの場所でヒロキさんが私と2人でバーベキューをすれば、バーベキューに纏わるヒロキさんの過去の記憶を、連帯感と優越感で凌駕できる記憶が形成できると思って。」

 シャルの分析とそれに基づく選択と行動は、的を得たものだった。多人数で大音量のレゲエをバックに大騒ぎして、シャルが来るまで火起こしをしていた僕を嘲笑して話のネタにしていた複数のグループは、シャルの登場で一気に沈黙した。加えて、シャルが炭の追加や食材の焼きと配分もしたことで、仲間割れに近い状況になった。
 濃い化粧と派手な水着にアクセサリーで着飾っても、今日も着ていた水着をパーカーとホットパンツで覆っただけのシャルには遠く及ばない。僕はそんなシャルと2人きりでゆったりバーベキューをすることで、他のグループ、特に男連中に対してこれまで感じたことがない優越感を抱いた。
 シャルは前日から旅館の人に頼んで肉をタレに漬け込んで、当日も野菜を切ったりタレから肉を取り出して皿に盛りつけたりした。バーベキューでも僕はこき使われることなく、手が開いている時や2人でもっと食べたいと思った時に食材を焼いて配分できた。過去の記憶とは全く違う幸福感と満足感溢れるバーベキューだった。
 他のイベント−花火大会の鑑賞と海水浴でも、シャルは際立っていた。際立っていたのは容貌だけじゃない。髪を茶色に染めるのはもはや当たり前の感もあるし、偶に金髪もあるけど、似合うかどうかは別問題。シャルは修正なしでの肌の白さがあるから金髪が映える。浴衣や水着もO脚短足猫背じゃ様にならない。
 そんなシャルを連れて歩いた僕は、絶えず視線の集中と羨望や嫉妬を感じたけど、それは裏を返せば優越感だ。あの時万が一バーベキュー合コンに加えられて誰かとカップルになってたと仮定して、こんな気分になれただろうか?あの記憶をほじくり返しても、それはあり得ないと断言できる。
 シャルは分析と同時に、自分の容貌を最大限生かした。このクラスの容貌だと非難や中傷をする側が嫉妬の一言で片づけられる。あの時バーベキュー合コンであんな扱いをされたことが、今回の2日間に変貌したと考えれば、騙してこき使ったことであの手の連中に嫌悪感を植え付けられたことだけには感謝できる。

「僕の思い出作りのために、シャルがこんなにあれこれ考えて実践した理由は何?この間、ヒヒイロカネの捜索は完全に停止することになったのに。」
「1つはあの方、マスターから、私がヒロキさんに託される際に言われたことがあります。『彼−ヒロキさんは、やや自分に自信がないようだが、適切にフォローすれば期待に違わぬ働きをする』。以前にも言ったことがあると思います。」

 オクラシブ町でシャルがリアルタイム3Dマップや分離創製など、物凄い機能を次々と披露するシャルを僕に託したあの老人ことマスターの意図が分からなくて、マスターは僕を買いかぶり過ぎてるんじゃないかと口にした時、シャルが言ったっけ。あれで、シャルは僕のフォローをすることも役割の1つと認識しているんだと知った。

「他のヒヒイロカネの所在候補地には、海沿いの町なども含まれるのは事実です。その上、季節によっては海辺でなくてもあの手の連中に遭遇する確率があります。ヒロキさんがヒヒイロカネの捜索と回収に100%の能力を発揮してもらうには、重大なトラウマを解消・緩和しておく必要があります。」
「ヒヒイロカネの捜索と回収に全力を出せるように、僕自身の環境を整備することを優先したわけだね。」
「はい。私は勿論マスターも、ヒロキさんに心身全てをヒヒイロカネ捜索と回収に費やしてもらおうとは、毛頭考えていません。ヒロキさんが心身共に健康な状態でなければ、何れは破綻をきたします。そもそも、私だけでヒヒイロカネを捜索・回収できるなら、マスターは既に専門部隊を編成してこの世界に送り込んでいます。ヒロキさんがこの旅に必要な理由はそこにあります。」

 確かに、文明レベルではシャルが創られた世界の方が圧倒的だから、その気になればマスターが捜索・回収の専門部隊、それこそSMSAを1師団でも送り込めば、それほど苦もなくヒヒイロカネを回収できるだろう。現にタカオ市での騒動では、シャルが攻勢を仕掛けて大勢を決定づけたけど、ヒヒイロカネを拘束したのはSMSAだった。
 マスターがそうしない、そう出来ない理由は色々考えられるけど、ヒヒイロカネの回収と言えども、向こうの世界からこの世界に干渉することは基本的に出来ないようだ。文明レベルが圧倒的に違う世界に干渉したら、この世界が混乱する、ひいては軍事衝突に発展するのはほぼ確実だ。この世界は理性より欲望を前面に出すことが称賛さえされるんだから。
 この2日間シャルが尽力してくれたことで、バーベキューや海という、僕にとって負の印象が殆どだった環境やシチュエーションと、それを背景とする忌まわしい記憶を、「あの時僕を体よくこき使ってくれてありがとう。おかげでこんな美人と2人で旅が出来る」と思えるようになった。シャルの分析と行動は、この点では完璧だ。

「…僕のトラウマを解消して万全の態勢に持って行くのが目的なら、今シャルがこうする必要はないんじゃない?」
「理由は1つじゃありませんよ。早合点は禁物です。」
「他の理由って…?」
「…私自身のためです。」

 思いがけないシャルの回答で、僕はシャルをまじまじと見る。シャルが頬を赤くしてる…?

「ヒロキさんと出逢ってから、この旅に出るまでにも、色々なところに連れて行ってもらいました。そこで見る景色は見たこともないものがたくさんで楽しかったです。でも、見る以上のことは出来ませんでした。疑問に思ったことはないですけど、ヒロキさんが居る所に私が行けないのがもどかしく思うことがありました。」
「…。」
「オクラシブ町で怪我をしたヒロキさんの治療と看護のために人体創製機能を使うことにして、予想外の効果に気づいたんです。この姿ならヒロキさんと駐車場から先も一緒に行動できる、って。」
「!」
「ヒロキさんのトラウマを解消するのが第一だったのは事実です。でも、それで私も良い記憶が出来るなら…、私も精一杯楽しもう、って…。」

 何だかすっかりシャル=僕の隣に居る女性という認識が出来あがっているけど、シャルは元々は僕の車をヒヒイロカネで刷新した上に搭載された人格OSだ。人間と同じように考えたり話したり、時に労わってくれたりやきもちを焼いたりするけど、この旅に出るまでは車だった。
 オクラシブ町で銃撃を受けて大怪我をした僕を治療・看護するために、シャルは今の姿を取ることを選んだ。搭載はごく限られているという人体創製機能で、シャルは僕の傍に居るようになった。僕と同じように着替えもするし、食事も入浴も睡眠もする。しかも髪は肌の質感は人間そのもの。呼吸も脈もある。だから違和感がなかった。
 でもそれらは、シャルが人間の姿を取ったことで自然な形で出来るようになったことだ。車が喋るのはまだしも、食事や入浴なんて考えられない。呼吸や脈があったら自分の頭を疑うだろう。シャルはイレギュラーで人体創製機能を使ったことで、予想外に世界が大きく広がったんだ。
 シャルが昨日今日と楽しんでいたのは、僕が良い記憶を形成するまでの演技じゃなかった。シャルも人型でこそ体験できる様々なことを楽しみたかった。それらは十分分かった。だけど、僕にとっての良い記憶の数々がシャルのこれまでにない積極的なアピールを伴った理由は?シャルにあんなアピールをされて何とも思わない男は居ないと思うけど、シャル自身にとってメリットがある?あるとしたら、それは…。

「シャルが凄く積極的なのも…、シャル自身のため?」
「そんなこと…、今更私に言わせるんですか?」

 シャルの答えを聞いた僕は、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を感じる。僕の肩に凭れて少し上目遣いで僕を見るシャルが、あまりにも可愛い。今は旅館の部屋だから当然シャルと2人きり。しかもシャルは僕の肩に凭れているくらい距離が近い。絶好としか言いようがないシチュエーションに、僕は今直面している。
 試しに、畳に置いていた左手を、慎重に慎重を期してシャルの肩に伸ばす。シャルの肩に触れると、浴衣越しに柔らかい感触を感じる。この段階で僕は緊張感が最大になる。経験と自信のなさが、こういう時にもろに出る。シャルが拒絶しないのが救いだ。それどころか、シャルは僕に更に密着する。
 シャルは僕に肩を抱かれても拒絶するどころか、僕とシャルの間にあった僅かな隙間も詰めるくらい密着している。しかも、背後には並べて敷かれた布団もある。望んでも届かなかった、それどころかそれを逆手に取られて酷い目に遭わされた事さえあるシチュエーション。頭がオーバーヒートするには十分過ぎる。
 後ろの布団に向かってシャルを押し倒したり、浴衣を脱がしてどうこうするのも可能だろう。押し倒さなくてもこの場であれこれするのも可能だろう。シャルは僕から視線を逸らそうとしない。こんなシチュエーションに至ったことはないけど、シャルが僕を拒絶する確率は明らかに低いと感じる。
 だけど…このまま突き進んで良いんだろうか?シャルが今僕を受け入れているのは、僕の良い記憶作りのためでもある。それはシャルにとって本意じゃないんじゃ?今まで良い感じになっていざ告白となったところで拒否された。シャルもこれ以上は、と内心思ってるんじゃ?
 オーバーヒートした頭に色々な疑念が浮かんで駆け巡る。こんな頭じゃ冷静な結論なんて出せっこない。それに、いきなり進めようとしなくても…、この旅の間僕とシャルは2人きりで世界を巡れるんだ。慌てて取り返しのつかない失態をしでかすよりも、今は…。

「シャル。」

 僕は右手も使ってシャルを引き寄せて抱きしめる。シャルが僕の背中に腕を回したのを感じる。シャルの柔らかさ、温かさが腕いっぱいに広がって、僕を包む込む。鼻に触れるシャルの髪から浮かぶ甘酸っぱい香りが芳しい。今はこれで良い。否、今はこれまでにない最高の幸せの時間だ…。
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