謎町紀行

第5章 満月の日の霧の町、勃発する騒乱

written by Moonstone

 ホテルの滞在を更に延長して、いよいよ満月の日の朝を迎えた。ホテルの中は変わらない。朝起きて顔を洗ってうがいをして、レストランで朝食を摂る。1つ今までと違うのは、レストランの窓から見える風景が、白一色じゃなくなったこと。霧が綺麗さっぱりなくなっている。

『シャル。此処からは霧が綺麗に晴れたのが分かるけど、周囲の様子はどう?』
『周辺も同じです。俄かには理解し難い現象ですが、この町の霧が完全に消滅しています。』
『ちなみに何時頃から霧は消えた?』
『0時丁度からです。文字どおり霧が消えていくようでした。』

 満月の日だけ霧が消えるというのは、深夜か明け方からゆっくり消えていくものかと思っていた。どうも一気に消えて一気に霧が戻るパターンらしい。朝食を済ませてその足で外に出る。ホテルがあるあたりは中心部だから家が多いが、至って長閑な田舎町の風景には違いない。
 やっぱりこれが自然現象だとは思えない。霧の消え方と言い、満月という特定の日だけ消滅する精密な周期性と言い、何らかの人工的な要因が絡んでいるとしか思えない。ヒヒイロカネ、つまりは御神体の均衡が崩れたのが原因だと考えるしかない状態だ。
 赤宮の御神体の異変を追いたいところだけど、視界がクリアになった今日1日は、少なくとも赤宮周辺には近づけない。霧が天然の目くらましにならないから、僕とシャルの顔が割れるリスクが大きい。面積はそこそこ広いが、人は少ない町では、虱潰しに特定の車と人物を探すのは容易だろう。
 今日することは、あの男性の行動を追って真意を探ること。赤宮の御神体の異変に関与している、或いは何らかの事情を知っている可能性がある以上、視界がクリアな今日1日を逃す手はない。僕はシャルに乗り込むが、普段なら即起動するHUDやコックピットがOFFのままだ。

「シャル?調子が悪い?」
「いえ、今移動するのは危険です。これを見てください。」

 HUDに表示されたのは、山道を登って来るトラックやダンプカーの隊列。そう言えば…、霧のせいで物資の搬入搬出が出来なくて、霧が晴れる満月の日に一気に行われるようになったとか。見たところ、数台どころか10台20台という単位で上って来ている。

「町の流通の日でもあるんだったね…。」
「はい。既に早朝からトラックやダンプカーが町全体を走りまわっています。道が一部を除いて広くないので、通行の妨げになる恐れがあります。」
「町にとっては生命線そのものだから、それを邪魔するわけにはいかないね。」
「そのとおりです。移動するのが危険な理由は、もう1つあります。」

 HUDの画面が切り替わる。…ん?これって…!

「赤宮の周辺集落?」
「はい。赤宮周辺は御神体を守ろうと住民と赤宮関係者総出で警戒に当たっています。」
「集落全体で警戒態勢って…。」
「早朝から、赤宮に通じる道には検問が形成されています。町の住民でないヒロキさんが出向くのは非常に危険です。」

 検問まで作るなんて尋常じゃない。この車、すなわちシャルのナンバーは明らかにこの町も管轄にする陸運局のものじゃない。ただでさえ神経を尖らせているところに余所者が入ろうとしたら、間違いなく検問に引っかかる。警察と地元住民との癒着も考えられる土地柄だから、何をされるか分からない。
 シャルに乗っているから、シャルに退散させる手もなくはない。だけど、それは1回きり。しかもその際確実に記録或いは記憶されて、以降は警戒どころか攻撃の対象になるだろう。僕とシャルの目的はあくまでヒヒイロカネの回収であって、行く先々の住民と戦争をすることじゃない。

「光学迷彩を使うのは…物理的に無理か。」
「聡いですね。光学迷彩はあくまでも迷彩であって、私そのものを消すわけではありません。検問が敷かれた道を強引に突破しようとすれば、少なからず住民に被害が出ます。」

 シャルが搭載しているという光学迷彩でも、住民に危害を加えずに潜入することは出来ないだろう。「道なき道を行く」なんて何処かの映画みたいなフレーズで水田や畑を突っ切るのも同じこと。赤宮周辺が異常なまでの警戒態勢にある以上、今日は赤宮付近に近寄れない。

「シャル。ここから山道や赤宮周辺の映像が見えるってことは、偵察部隊を送ったってこと?」
「はい。霧が晴れ始めた今日の0時、この町の入り口近くと赤宮周辺に偵察部隊を派遣しました。」

 抜かりないな…。たとえ此処から動けなくても、シャルが分離創製した部隊が深夜に行動開始していれば、気付かれることなく対象地域をモニタできる。御神体の均衡が崩れた結果が今日だけ晴れる霧の確率が濃厚なのに、「御神体を奪われないため」として戒厳令まがいの態勢を敷く理由を掘り下げる必要がある。
 とは言え、町全体が物資の搬入搬出で大わらわな状況では、僕の行動範囲はかなり限られたものになる。シャルに乗っての移動は、いかにシャルが高機能とは言え、物理的な大きさや幅があるから、トラックなどとの行き違いが困難な場所もあるだろう。それに、幾ら自己修復機能があるとはいえ、不用意に移動してシャルに傷をつけたくない。

「…シャル。昨日会った男性が泊まってるホテルの位置情報を出せる?」
「歩いて行くんですか?」
「今日1日は僕が徒歩で行動した方が良いと思う。シャルは此処から赤宮周辺の監視と、僕のアシストをしてて欲しい。」
「分かりました。ヒロキさんの安全を最優先してください。」
「分かった。」

 僕はシャルにホテルの位置を教えてもらい、そこへ向かう。此処からほぼ大通りに沿って行けるから、迷うことはない。時間は…9時前。大抵のホテルは10時か11時にチェックアウト。それまでホテルに居るかどうかは分からないけど、行ってみないと分からない。自分の行動次第で未来が変わる可能性がある。今まさにその状況だ。

『あの男性は、まだホテルに居ます。何処からも出たことは確認できていません。』
『じゃあ、出るところを待って接触するよ。』

 大通りに出る。トラックやダンプカーが明らかに多い。片側1車線の道に犇めいている。限られた時間内に物資を運び込み、木材などこの町の外貨獲得源を運び出す。この町の生命線そのものだ。信号は大通りにだけ3か所あるが、少しでも発進が遅れるとクラクションが鳴り響く。1秒も無駄にするなと言わんばかりだ。
 霧が晴れた町の中心部は、都会を思わせる交通量。その合間を縫うように、多くの袋を抱えた人々が忙しなく行き来する。物資が町に運び込まれるこの日は、町で暮らす人々にとっても、物資を買い溜める重要な日だ。限られた時間に出来るだけ多くの物資を買い込んでおかないと、最悪食べるものがなくなる。
 中心部の商店街は、人と車でごった返している。特に食料品と日用品関係は凄まじい。物資を運んで来たらしいトラックが店の前に横付けすると、トラックから急いで人が降りて来て、後部の荷台のドアを開けて物資を運びだす。それが店の人によって店頭に並べられると同時に、人が買い物かごに入れていく。
 こんな生活はきついだろうな。次の物資が来るまで冷蔵庫や倉庫と睨めっこを続けて、物資が来る日は家族総出で買い物に奔走するんだから。まとめ買いなんて食料では割と限られる。特に野菜類は一部を除いて生の状態だと冷蔵庫でも1週間が限度。料理の種類も限られて来るだろう。
 ごった返している場所は他にもあった。燃料スタンドだ。今の車は電気を基本にガソリン、水素を積んで運転時に発電するタイプが主流だ。電気だけだと充電場所と航続距離の問題がある。シャルの基になった僕の車は電気+ガソリンのタイプ。電気+水素や水素オンリーは高級車だ。シャルになってから電気+水素で航続距離が格段に伸びた。
 そんな事情もあって、今のスタンドはガソリンの他に水素と急速充電を持ったハイブリッドが主流。この町のスタンドもそうだけど、この日を狙ってガソリンや水素を満載したタンクローリーが入ってタンクに注入し、それを車が順番待ちで充填する状態。この町に入る前にスタンドに寄る判断をしたシャルの頭の良さは流石だ。
 霧に閉ざされた日が殆どとはいえ、この町は公共交通機関がバスしかない。そのバスも町全域を結んではいない。そうなると危険覚悟で車で移動するしかない。バスだってスピードは出せないし、この霧だと運行自体が難しいだろう。そうなると尚更車で移動せざるを得ない。当然ガソリンも水素も消費する。
 中心部をどうにか抜けて東側に入る。他の風景とややミスマッチな大型の建物が幾つか見えて来る。このうちの高層建築が、例の男性が泊まっているホテル。駐車場には車が何台かある。結構な面積だから閑散とした印象を受ける。それは僕が泊まっているホテルも同じだけど。

『例の男性がホテルから出て来ました。』
『確かに。車に乗ろうとしてる…?』

 今の僕は徒歩。相手に車に乗られるとどうにも追い付けない。車に乗る前に接触しないと。僕は久しぶりに走る。かなり息が切れるのが分かる。

「待って!」

 男性が車に近づいたあたりで、僕はどうにか駆け寄れた。男性は怪訝な顔をしている。当然だろうけど、僕もなりふり構ってはいられない。

「確か貴方…。」
「どうも。」

 走り慣れてない、つまりは運動不足が祟ってなかなか呼吸が鎮まらない。本題に入るため、強引に肺の激しい脈動を抑えにかかる。

「貴方、一体…。」
「単刀直入に聞きます。貴方、四色宮で、否、この町で誰かか何かを探してませんか?」

 訝っていた男性の顔が強張る。やっぱり、写真撮影は誰かに見られた時のカモフラージュだ。

『ヒロキさん、いきなり直球勝負に出ましたね。』
『そうそう都合良く接触できるわけじゃないし、接触が連続したら余計に怪しまれると思ってね。』
『その判断は正解のようです。明らかに男性の反応が変わりました。』
『僕も顔色が変わったのが分かった。このまま行くよ。』
「僕は貴方に危害を加えるつもりはありません。僕も、この町で探しているんです。」
『ヒロキさん。ヒヒイロカネのことは。』
『大丈夫。それは絶対言わない。』
「この町で行方不明になった人を探していて、この霧が残滓だという『荒ぶる神』を封印している4つの神社、すなわち四色宮に何か手掛かりがあるんじゃないかと。」
「…貴方も?」

 男性の強張っていた表情が、異なる色を帯びる。同じ目的−実際は違うけど、それを持っていると知れば、共同や連帯の意識が少なからず芽生える筈。そこを突いて、赤宮や周辺集落の情報を得られるか探る。勿論、こちらの情報もある程度は出す。

「土地勘がないところで闇雲に探すのは、色々大変でしょう。僕もそうです。どうでしょう?お互い出せる範囲で情報交換をしませんか?」
「…良いでしょう。」

 半信半疑ではあるが、闇雲に探しまわるよりは効率が良くなるかもしれない。男性はそう判断したようだ。勿論僕も最初から100%信用してくれとは言わないし言えない。最初は情報や目的を出来る範囲で出し合う、情報のギブアンドテイクが出来る関係を築くこと。地味だが、これが基礎になる。

「此処じゃ何ですから、場所を変えましょう。えっと…このホテルのレストランは使えます?」
「はい。確か。」
「今日は霧が晴れたことで道路がトラックやダンプカーで大混雑してますから、近隣の店も大混雑だと思います。そこで話しましょう。」
「そうですね。」

 トラックやダンプカーもこの日を狙って物資の搬入搬出に来た。ということは、食事もこの町で摂る確率が高い。ホテルとかには行き辛いだろうから−宿泊者しか使えないという観念は意外とある−必然的に今日は営業するであろう町の飲食店に向かうだろう。飲食店側も今日で一気に利益を出すことを目論んでいて不思議じゃない。
 それに、雑然とした中でこういったデリケートな話はしたくないだろう。ヒヒイロカネを人に置き換えた僕と違って、この男性は多分本当に人を探している。そしてそれは恐らく身内や友人など近い関係の人。茶化されたり聞き耳を立てられずに話をするには、静かで落ち着いた環境がベストだ。
 男性とホテルのレストランに入る。入口の営業時間は9:00〜19:00とある。僕が泊まっているホテルもそうだけど、このホテルでは、朝食は基本的に宿泊者対象と位置付けているようだ。ホテルの朝食はどうしても混雑しやすいし、妥当な判断だと思う。
 朝食の時間帯を過ぎたことで、店内には他に客が居ない。僕と男性は奥の席に陣取る。男性はコーヒー、僕は紅茶を頼む。

「コーヒーじゃないんですか。」
「実はコーヒーがあまり飲める方じゃないんです。アレルギーじゃなくて、どうも匂いと味に慣れなくて。」

 男性がコーヒーを飲まない、好まないというのは割と奇異な目で見られる。会社勤め時代がまさにそうだった。トマトの種の部分が苦手とかゴーヤの苦さが嫌だとかは相応に理解されるのに、ことコーヒーについては「嫌い」「苦手」が理解されないのは何となく理不尽だと思う。男性だとコーヒーは飲めて当然という感すらあるから余計に。

「人を探している最中、この町、オクシラブ町が『霧の町』と呼ばれていると聞いて、どんなものかと思って来たらまともに見えないくらいで、びっくりしました。」
「俺は人から聞いてたので、強力なLEDライトと赤外線カメラを持ってきたんです。霧で視界が遮られても、赤外線カメラを通せば何とかものの形とか、人が何処に居るのか分かるんで。」
「赤外線カメラ…。結構高価ですよね。」
「背に腹は代えられないですよ。」

 なるほど。僕のように視覚アシストがないこの男性が、霧の中でもかなり広範囲に移動していたのは、赤外線カメラを通していたからだったのか。シャルの視覚アシストも、赤外線解析が要素の1つになっている。恐らくサーモグラフィのように見えるんだろうけど、何かあると分かるか分からないかでは圧倒的に違う。

「そういう貴方は?」
「ぼ、僕も一応赤外線カメラを買ったんですけど、どうも慣れないです。」
「何処かのエイリアンの視界みたいですからね。僕もエイリアンか何かになったみたいですよ。」
「霧があって他からはなかなか見えないのが、不幸中の幸いかもしれないですね。」

 青宮や昨日の崎原神社で、カメラを通して何かを探していたと考えれば、男性の不可解な行動も筋が通る。そして、その探し物とは、恐らく男性の近しい人物。情報交換や赤宮周辺の事情を探るのは勿論だが、何かこの男性の力になれればと思う。

「本題ですが、この町では少なからず行方不明になっている人が居るとは聞いています。…貴方も関係者ですか?」
「…はい。弟が…。」

 青宮の駐車場に何台かあった、主を失った車。赤宮以外の神社の駐車場でも同じような車があったから、少なく見積もって20人くらいはこの町で行方不明になっていると見て良いだろう。霧の中、赤外線カメラを頼りにこの町を歩き回ってでも、探し出したいんだな。

「僕の場合、この町に行くとだけ言って以来消息が分からなくなったんです。貴方はどうですか?」
「似たような感じです。俺の弟の場合、この町を覆う霧の謎を解明するとか言ってましたが。」
「霧の謎、ですか。」
「満月の日しか晴れなくなったのは、何か重大な謎がある筈。気象兵器の可能性もある。…そんなことを言ってました。」

 ややオカルトかぶれの気はあるけど、図ったように満月の日しか晴れなくなった霧に不可思議を感じるのはごく自然。謎や不思議を解明したいと思うのは、男性ではよくあること。この男性の弟は恐らく20代前半か10代後半といったところだろう。勢いで突撃しそうだ。

「気象兵器なんて考えられないし、仕掛けるならもっと影響が大きい大都市でしょう。そう言ったんですが、裏をかいているとか、霧で有名な町を狙って仕掛けたとか言って聞かなくて。去年の夏、大学の休みを利用して飛び出して、町に入ったと連絡して以来…。」
「それは大変でしたね。」
「携帯の電源はとっくに切れてるし、手掛かりと言えば消息を絶ったこの町しかなくて…。」
「それで、虱潰しにこの町を回っていたんですね?」
「はい。」

 僕の場合、シャルの事前の分析でヒヒイロカネが存在する確率が高い場所を巡っている。実際、ヒヒイロカネは3か所で確認できている。一方この男性は、この町で弟が消息を絶ったこと以外何も情報がない。何処かに居候しているのか、或いはこと切れているか分からないが、せめて安否を確認したい心境だろう。

「最初にお会いしたのは青宮ですけど、他の神社は行きましたか?」
「はい。赤宮だけは写真撮影も禁止でした。」
「僕も一昨日赤宮に行ったんですけど、あそこだけ何だか雰囲気が違うと言うか、物凄く警戒していると言うか。」
「そうです、そうです。僕は弟の写真を出して弟に心当たりはないか尋ねて回ってるんですけど、赤宮と周辺の家だけは知らない帰れの一点張りでした。」

 この男性、周辺集落にも立ち寄って情報収集をしていたのか。ということは、間違いなく顔を覚えられている。少なくとも今赤宮に行ったら、間違いなく捕獲される。警察も抱きこまれている危険があるから、非常に危険だ。

「赤宮はどうも異質な感じがするので、僕は近寄らないことにしています。あの様子だと満足に話も出来ないでしょうから。」
「でも、赤宮だけあんな排他的で警戒心が露わなのは、何かを隠しているからと思えませんか?」
「それは十分考えられますけど。」
「だとしたら、そこに可能性を見出さないと、弟の行方は分からないままなんです。」
「!まさか、今から赤宮に行こうとしてたんですか?」
「はい。今しかありません。霧が晴れている今しか。」

 この人、さっき僕が言ったことを聞いてなかったのか?それに警戒心に溢れているとの僕の見解に同調した。なのに、どうして危険なのが明らかな赤宮に行こうとする?!

「赤宮の物々しさは経験した筈です。霧が晴れた今、赤宮周辺はより警戒心を強めています。迂闊に近寄れば捕まる危険が高いですよ。」
「でも、あからさまに怪しい赤宮を正面切って探るには、今しかないですよ!それに、捕まるなんて大袈裟です!」
「田舎に限らず、閉鎖的な環境で過ごす集団の恐怖を知らないんですか?!法律も警察も通用しない世界があるんです!」
「そんなのはネットの偏った情報ですよ!」

 ネットは確かにそういう面はある。アクセス数が多いページ≒正義という図式が成立して久しいから、いかに極論暴論であっても正論であり多数派と錯覚させられることが多い。だけど、田舎を含む閉鎖的な環境の、異常なまでの相互監視は確かに存在する。それこそネットでもよく出される話題の1つだ。

「兎に角、僕は赤宮に行く!手がかりを確実に掴むには今しかないから!」
「待って!!」

 僕が止める間もなく、男性は駈け出ていく。どうすれば良い?赤宮に向かうのは危険過ぎる。だけど、あのままじゃ男性はどうなるか分からない。

『止めようとすると、ヒロキさんが妨害すると見なされ敵対する恐れがあります。放置が賢明です。』
『だけど、このままじゃ!』
『ヒロキさんが男性を追えば、ヒロキさんも巻き添えになりかねません。赤宮周辺に居る偵察部隊に動向を監視させます。男性に生命の危険があるようであれば救出します。』
『…分かった。』

 救出や捜索で一番問題なのが、共倒れや二次災害の危険。赤宮周辺の現状を考えると、シャルの言うことが正しい。ただ、危険だと分かっていながら男性を止められなかった僕自身が情けない。こういうのはやっぱり僕には向かないのかな…。
 ともあれ、男性は赤宮に向かった。霧が完全に晴れた今日この1日で僕が出来ることは他に何がある?次の満月は30日後。つまり1カ月くらい後。金銭的には問題ないけど、その間大きな進展が望めるかと言えば必ずしもそうじゃない。ヒヒイロカネの存在は確認できたが、どう回収するかはまだ手つかずだ。
 それに、赤宮のあの異常なまでの警戒。そして、シャル発の諜報部隊からの報告にあった「御神体を奪われないため」という異常な警戒の理由。ヒヒイロカネが御神体である他の神社では、こんな動きは全くない。この矛盾が未だに理解できない。その謎を解くことが、赤宮を含む四色宮と町を覆う霧の謎を解くことに繋がりそうな気がする。
 だが、その謎をどう解くかも、今のところシャル発の諜報部隊からの報告を待つしかない。霧が一気に晴れて視界がクリアになったのに、出来ることは大して変わらない。その上、赤宮は接近すら危険な状況。何とももどかしい。

『霧が私達の存在や動きを隠すと考えれば、今日1日は休暇と見ることが出来ます。連日の調査や移動で疲れたでしょうから、この機会に休養を取って英気を養うのはどうですか?』
『そういう考え方もあるね。煮詰まると色々と良くないんだよね。』
『道路状況からこの町から出るのは危険なので控えますが、眺望の良い場所を幾つか見つけたので、そこへ行きましょう。』
『そうしようか。』

 かなり思い切った気分転換だが、そうでもしないと切り替えが出来ない。僕は席を立って伝票を持ち、支払いを済ませてシャルが待つ駐車場に向かう。そう言えば、この町に来てから観光らしいことはしたことがないな。旅の目的からは一時的に離れるが、シャルの厚意に甘えることにしよう。

「道の混雑は大丈夫?」
「あぜ道を改良したような道路が複数あります。そこを使って交通量が多い道路を迂回します。運転は私に任せてください。」
「その方が良いね。」

 3Dマップ表示がない純粋なHUDが表示されて、コックピットの電源が入る。シャルが静かに動き始め、加速していく。何処へ連れて行ってくれるんだろうな…。
 車から出た世界は、天空に来たような気分になるところ。30分ほどシャルが山道を走った先は、オクシラブ町を遠くに見渡せる高原だった。オクシラブ町と他の町を物資や木材などを乗せて走るトラックやダンプカーの列も、うっすら見渡せる。箱庭か何かみたいだ。

「良い景色の場所だね。こんな場所があったなんてびっくりだ。」
「オクシラブ町を一望できそうな場所を探していたら、此処を見つけました。」

 シャルが止まった場所は、山道のカーブ途中にあるような少し張り出した場所。一応木製の柵はあるが、僕の背丈で胸くらいの高さだから、飛び越そうとする輩も居そうだ。もっとも実際にそんなことをしたら、垂直に近い急斜面を真っ逆さまに転がり落ちることになるけど。
 シャルとは通常どおり音声で会話している。僕が外に出ると脳に直接音声信号−と言えるのか?−を送って来るけど、人気がないしシャルも可聴範囲に人が居ないと分かっているからだろう。シャルの耳に心地よい声は、霧が嘘のように消えた爽やかな青空に物凄く似合う。

「こうしてると、シャルと会ってからのことを思い出すよ。まだ半月も経ってないのに。」
「ヒロキさんがお仕事のお休みの度に彼方此方行きましたよね。」

 車がシャルになった日、僕はまだ現実を完全に受け入れられなかった。車に人格が宿って、しかも機械でつぎはぎしたような感がない、本物の女性そのものの喋りをするようになったなんて、目の前にある事実を頭が受け入れることをかなり抵抗した。
 それでも、車に乗らないとどうにも移動できない。僕は現実と葛藤しながらハンドルを握った。すると老人は運転席のウィンドウから−この時も勝手にウィンドウが下がった−僕に言った。

「ひと月くらい経ったら、また来てくれんか?」

 特に断る理由もなかったから、老人の頼みを了承した。老人に礼を言って車を走らせようとすると、シャルは早速行き先を聞いた。他に用事もないから僕の家に帰ると言うと、シャルは自分で僕の家を探して動き始めた。刷新前は登録か検索をしないと目的地へのルート検索すら出来なかったのに。
 それからひと月ほど、この世界を見てみたいというシャルの要望を受けて、彼方此方走った。何度か走った国道や高速道路は勿論、行ったことがない山奥のダム湖や漁港や、僕が働いていた会社がある都心まで、気ままに走ってシャルに見せて教えた。シャルはダム湖や漁港といった郊外や地方が特に珍しかったらしく、頻りに歓声を上げた。
 声色から察しはついていたが、シャルはやっぱり女性の人格だった。好奇心旺盛で理知的で、気配りが上手。一方でかなりやきもち焼きで怒ると怖い。道の駅の売店とかで若い女性と話したりすると、以前のように、座った途端にシートベルトできつく締め上げられたり、土地勘がないところであらぬ方向に誘導されたりした。
 執拗に煽って来た車−追い越し禁止のカーブが多い山道とかでも煽って来る輩は居る−には制御系に干渉して、携帯が圏外の場所で走行不能にしたり、夜間だとライトやHUDを使用不能にした上で、道路のど真ん中で立ち往生させたりと、我慢の限界を超えると容赦しない面もある。
 僕はそんなシャルをすっかり気に入ったし、シャルも僕を気に入ったようだった。シャルは僕がちょっと落ち込んでいると励ましたり、調べ物を即座に探したりしてくれた。一度、朝から腹痛がした時、職場に僕の声色で電話を入れて、僕を乗せて病院に向かった。検査したら何と急性虫垂炎。直ちに入院手術と相成ったが、病気まで識別するとは思わなかった。
 そんな調子でシャルと付き合いを続け、ひと月が過ぎた。約束どおりあの老人の元へ向かうと、甚く歓迎してくれた。老人が手配した食事をご馳走になって−老人は僕と同じく一人暮らし−、シャルとの付き合いを話した後、老人がこんなことを持ちかけた。

「あんたなら頼める。ヒヒイロカネを探して回収してくれんか?」

 此処で僕は初めてヒヒイロカネの存在を聞いた。シャルも後で説明してくれたが、老人が言うには、ヒヒイロカネは遠い昔この世界にもあったが、今は存在しない金属。全て回収した筈だったが、こちらの世界−老人がいた世界の一部の人間が、勝手に一部を持ち出してこの世界に逃げ込んだ。
 老人はその不届き者を追ってこの世界に来たが、世界が分断されてあまりにも長い年月が経ったことで当時の情報が何一つ役に立たず、ヒヒイロカネの手がかりも掴めないまま時間だけが過ぎていった。老人の代わりにヒヒイロカネを探して回収してほしい。−というものだった。
 病院に運ぶ前だったら、荒唐無稽な妄想と片づけて別の病院に運んだかもしれない。だけど、語弊があるだろうがシャルと付き合っている状況では、老人の話を信じるしかなかった。でも、僕とてヒヒイロカネなんて聞いたこともないし、そもそも一応生活がある。独身貴族と言うけれど、この貴族は働かないと生活できない貧相な貴族だ。
 「生活なら心配要らん」と言って、老人は僕にカードを示した。今僕が持っているカードだ。それは老人が居た世界の銀行口座にリンクしていて、老人が手続きすれば幾らでも金を引き出せるという。シャルに言えば僕が持つ銀行口座にもリンクして、僕が持つクレジットカードも無尽蔵に使えるように出来ると来た。
 そんな魔法みたいなカードを見ず知らずの僕に持たせて良いのか、と聞くと、自分を助けた上に約束を守ったのは、この世界に長く居たが僕が初めて。ごく稀に自分を助けた人間も、約束は守れなかった。こちらの世界の秘密を知ろうとする輩は、ヒヒイロカネの回収を託すには値しない。老人はそう言った。
 僕自身、今までの生活に不満を感じていた。理解はないし保身は熱心な上司。何かと僕に厄介事を押しつけて来る同僚。僕が好意を示すと時に泣くほど嫌悪するのに、俺様タイプの男性にはホイホイ尻尾を振る女性達。そんな事情をつゆ知らず出世しろ結婚しろと五月蠅い両親や親族。いっそそんな生活を切り捨てて別の世界に行きたいと思うことはあった。
 僕は生活の転換に際して不安要因となることを絞り出して老人に質問した。ヒヒイロカネ回収の期限はあるのか。仮にヒヒイロカネを回収できた後、このカードを返す必要があるのか、などなど。期限はないが、この世界に認知されて広まる前に回収するのが望ましい。カードは返却不要。勿論シャルも。−こんな具合に、老人の回答は僕の不安を払拭するものばかりだった。
 恐らくヒヒイロカネは世界各地に散らばってしまってるだろう。それに明らかにそれとは分からない形になっていると考えるのが自然。一生かかってどれくらい回収できるか分からないが、このまま不満を抱えたまま普通の生活を続けるより、シャルと一緒にヒヒイロカネ回収の旅に出るのが良いのかもしれない。
 僕は考える時間が欲しいと言って、暫くの猶予を得た。その間今の生活を変えられないか試みた。結論はどれも駄目。上司も同僚も女性達も両親も親族も、僕への認識や扱いは相変わらず。僕は初めて他人に完全に見切りを付けて、辞職して−今更慰留されたりしたが問答無用で切り捨てた−老人の元へ向かい、依頼を受けることを伝えた。
 老人は甚く感謝して、例の無尽蔵に金を使えるカードと、「ヒヒイロカネに関するあるだけの情報を詰めた」というマイクロカードを僕に渡した。マイクロカードはシャルのスロットに挿し込むことで、シャルの持つデータベースに登録・分析されると言った。
 そのとおりにすると、シャルはヒヒイロカネがあると思われる場所の捜索を始めた。日本どころか世界各地に点在する確率があるとの結果が出た。まずは日本国内を押さえようということで、最低限の荷物をシャルに詰め込んで、大した思い出のないアパートの1室を解約して旅に出た。そして最初に訪れたのが此処オクシラブ町だ。

「ヒロキさんが色々な場所に連れて行ってくれたおかげで、この世界は思っていたよりずっと変化に富んでいることが分かったんです。風景も季節も、場所が違うと微妙に違っていたり。」
「旅を続けて行くともっとよく分かるよ。北と南じゃ同じ日本かって思うくらい気温が違うし、見える景色も全然違うから。」
「ヒロキさんと一緒に見られる景色は、もっとたくさんあるんですね。」
「僕が案内した場所は、この世界どころか、小さな島国の日本のほんの一部だよ。」

 その「小さな島国」も、僕から見ればめっぽう広い。日本にはヒヒイロカネの存在の可能性がある場所が、オクシラブ町の他にあと数ヶ所あるけど、それを巡るだけでもかなり走らないといけない。山や川が交通の障害であり、防御壁でもあった時代が存在した理由が、シャルと彼方此方巡って分かった気がする。

「…仕事も身内も家も捨てて旅に出たこと、どう思っていますか?」
「スッキリした気分だよ。それに、この先何が起こるか分からないけど、自分で決めたことをシャルと一緒に考えて行動できる自由がある。僕は、初めて自分の意志を前面に出して生きてるって実感が強いよ。」

 僕がいくら頑張っても、周囲に働き掛けても、何も変わらなかった。僕は不満を溜めながら家と職場の往復を続けて、休みや長期休暇には電話か直接両親や親族の無益な説教を聞かされ、更に不満を募らせていた。時代の違いや価値観の違いなんてものを何も分からない、分かろうともしない存在に囲まれながらの生活は、ストレスばかりが増えていた。
 車をシャルに変えてくれたあの老人は、気まぐれで助けて病院に搬送した僕に甚く感謝した。僕がしたことをこんなに人に感謝されたことはなかった。そして、シャルは僕と話をして、時に僕の話を聞いて、一緒に考え行動してくれる。コミュ力とか言いながら、閉じた世界でしかコミュニケーションを取ろうとしない輩、特に女性にはなかった魅力だ。

「折角あの老人も、僕に凄いカードをくれて旅をバックアップしてくれたんだ。それを使ってシャルと一緒に世界を回りながら、ヒヒイロカネを1つでも多く回収したい。そのために何処へ行って何をすべきか、シャルと考えて行動してる。それは、僕にとっては新鮮で充実してる時間なんだ。」
「ヒロキさん…。」
「僕は、シャルが旅に使う移動のための道具っていう認識がないんだ。一緒に旅をする大切なパートナーだって思ってる。ヒヒイロカネを回収しながら、今までの生活じゃ見ることもなかった世界を、シャルと一緒に見ていきたい。今みたいにね。」
「私もそうです。今まで連れて行ってもらっただけでも凄く変化に富んでいるのに、もっと色々な世界があると知って、この旅をヒロキさんと一緒に続けて行きたいです。」

 大きな目標はあるが、その経路や手段はまったくもって自由。資金は事実上無尽蔵。更に、普通では考えられない強力なパートナーであるシャルが居る。困難や危険は勿論あるだろうけど、それすらも楽しみに思える面がある。今までなかったワクワク感に溢れた時間が、この旅を始めて得られた。
 僕は内心、今の生活や人生を根本的に変えるきっかけを探していたんだと思う。実際、この旅を始めるにあたって懸念したことは資金面だけと言って良い。資金の問題は魔法みたいなカードであっさり解消されたから、「僕が改めて働きかけても変わらないなら切り捨てる」と思い切れた。
 かつて僕が暮らした家や環境は、人間関係と共にバッサリ切り捨てた。その時になって考え直すように言ってきたり慰留してきたりしても、全く心に響かなかった。単に都合の良いストレス解消の道具か便利な小間使いが居なくなるから困るという感覚だろうと、冷めた感情しか持てなかった。だから遠慮なく振り切った。
 形而上の住所は実家にしておいた。単に住民票を移動するだけだったし、これまでの僕の所在を突き返すイメージ。勿論、今まで使っていたスマートフォンも解約した。SNSは元々使ってないから、スマートフォンを解約すれば連絡手段は完全に断てる。人間関係も全部リセットできる。中途解約の違約金なんて腐れ縁の手切れ金と思えば安いものだ。

「!ヒロキさん。赤宮周辺の諜報部隊から緊急通信が入りました!」

 長閑な雰囲気を一変させる、シャルの緊迫した声。重大な事態が起こったんだろうか?

「赤宮周辺の集落に例の男性が進入し、住民と押し問答から乱闘に発展しました!」
「乱闘?!」
「男性は数に押されて逃走。負傷者が出た住民側は激怒して、男性を追跡しています!」
「まずい!このままじゃ捕まってリンチされる恐れがある!シャル!男性を守って!」
「分かりました!攻撃部隊をスクランブルさせ、諜報部隊に住民を攪乱させます!」

 シャルの彼方此方から戦闘機が形作られ、次々と発進していく。不思議なことに音が全く出ない。これがシャルに特別装備された創造機能か。ミニチュアサイズとはいえ、兵士から戦闘機まで自由自在に作れて、同時に複数の指揮命令も出来るんだから、シャル1人で町1つくらいは簡単に制圧できるだろう。

「シャル。住民を死傷させるのは絶対に避けて。男性を安全なところまで逃がすようにして。」
「分かりました。攻撃手段のダメージレベルを下げます。」

 恐らくシャルが創造した戦闘機のミサイルは、小さいとはいえ人間くらいは軽く吹っ飛ばすだろう。幾らなんでも殺戮は避けないといけない。男性を安全圏内に逃がせば十分。戦闘機部隊が間に合えば良いけど…。

「男性はどの辺に居る?」
「赤宮周辺の集落を、不規則に移動しながら逃走中です。中心部などに通じる道から外れています。」
「検問があるって聞いたけど、そっちとの位置関係は?」
「男性から見て北東の方向です。事態を受けて検問が強化されています。」
「だとすると…、検問を一時的に無力化して、男性を逃げやすい方向に誘導した方が良いね。出来る?」
「戦闘機部隊の第1陣が到着しました。住民を迎撃しつつ、諜報部隊で男性を安全な道に誘導します。」

 流石に戦闘機だと速いな。何とか男性を赤宮周辺の集落の勢力圏内から−本当に戦争そのもの−逃がしたい。それにしても、住民側の反応も尋常じゃない。男性が何をして住民側を負傷させたのかは分からないけど、総出で追跡なんて普通の状態じゃない。御神体を奪われないためだと言うけど、そうとばかりには思えない。

「住民側の追跡が鈍ってきました。かなり激しい追跡ですが、男性は徐々に赤宮周辺の集落から安全に離れています。」
「男性を赤宮周辺の集落から十分離したら、戦闘機を撤収させて。」
「分かりました。男性の誘導完了を確認後、諜報部隊で住民を攪乱・足止めします。」

 諜報部隊が展開していて良かった。ミニチュアサイズだから余計に目に着き難いだろうから、攪乱や足止めは凄く有効だろう。最悪の事態は避けられそうだけど、油断は禁物。諜報部隊の報告を待ちつつ、次の行動を考えないといけない。ヒヒイロカネの回収は、御神体がヒヒイロカネじゃない赤宮の異常事態の背景を掴まないといけない。

「そう言えば、ミニチュアサイズでも戦闘機が飛んできたら騒ぎにならないかな?」
「集落が視界に入ったところで光学迷彩を使用しています。住民から見れば、いきなり衝撃を受けて吹き飛ばされたような感覚しか残りません。安心してください。」
「流石だね。存在を知られちゃいけないヒヒイロカネの回収で、その存在を暗示するようなことは出来るだけ避けた方が良いから。」
「そのとおりですね。男性は間もなく安全圏内に到達しますが、検問周辺を確実に無力化しておきます。」

 集落に通じる通りに検問があるなんてこと自体が異常だけど、男性が警備を拡大した検問で引っ掛かる恐れもある。シャルなら検問の一時的な無力化も容易だろう。ひとまず、僕は男性が安全圏内に脱出したのを確認できるまで待つことにしよう。住民総出で追跡しているようだから、シャルが確認できるまで安心できない。

「男性の安全圏内への離脱を確認しました。このまま宿泊しているホテルに通じる道まで誘導します。」
「良かった…。それにしても、やっぱりただ事じゃないね。」
「住民の中には、さすまたなど拘束の道具を有している人もいました。冗談の域を超えているのは間違いありません。」
「何があったんだろう…?」

 さすまたなんて通り魔とか移動範囲が広くて行動が予測できない凶悪犯を捕える道具だと思ってた。それを普通の住民が複数所有して、しかも実際に使用して来たなんて異常としか言いようがない。やっぱり、赤宮周辺の異常の背景を解き明かすことが、ヒヒイロカネの回収に繋がると思った方が良さそうだ。

「男性の様子はどう?」
「流石に危機的な状況下で延々と走り続けたことで、かなり疲労の色が濃く出ています。若干負傷していますが、移動などには問題ないレベルです。」
「僕はシャルの報告から推測するしか出来ないけど、状況から考えれば無事だったのが奇跡的だね。シャルが支援の戦闘機を送らなかったら危なかったね。」
「恐らくそのとおりかと。住民側が銃器を持っていなかったのと、男性が若くて体力が十分あったのが不幸中の幸いです。」

 こういう不幸中の幸いは心臓に悪い。体調が悪かったり、体力が低かったりしたら、シャルの救援も間に合わなかったかもしれない。これは本当にただ事じゃない。男性が強行突破しようとしたとしても、住民総出で拘束具まで持ち出して追いまわすなんて、何時の時代の話かと思わざるを得ない。

「男性がホテルに通じる道に入りました。誘導を終了して住民の攪乱と諜報活動を続けます。」
「何をするの?」
「住民が血眼になって守る赤宮の境内や住宅周辺に閃光弾や発煙弾を投下して、住民の混乱を誘います。その間に、関連すると思われる情報の収集を行います。」
「間違っても赤宮を壊したりしないで。住宅も。」
「勿論、建造物や周辺の森林には一切損害を出さないよう、精密に投下します。」
「僕とシャルは、男性を迎えに行こう。何をしたのか、何があったのか聞き出せるかもしれない。」
「分かりました。男性のホテル前駐車場に行きます。乗ってください。」

 シャルに乗り込み、シートベルトを締めてもらうと同時にHUDとコックピットがONになる。赤宮で勃発した紛争−そう表現して差し支えない−の当事者の1人であるあの男性は、何をしようとしたのか。そして赤宮周辺の住民は何故そこまで徹底的に外部の接触を警戒するのか。こんがらがった謎の糸を解すには地道な情報収集と分析が王道だ。
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