心の時計

Prologue 

written by Moonstone


 荻野由美(おぎの ゆみ)。水橋興産株式会社総務課広報係員。29歳。
肩を少し超える程度の長さのストレートの黒髪と美人と呼ばれる部類に属する小振りな顔立ちの彼女は、来客に配布するパンフレットや求人の際に発行する
会社案内といった冊子の企画・デザイン・印刷所への依頼といった業務に携わっている。
 彼女のデスクに乗っているものは会社で使用するスリム型のデスクトップPCと液晶CRTとキーボードとマウスの他、企画内容やデザイン素案を目的別に分類した
ファイルを収めた本棚、内線を兼ねる電話、メモ帳、蛍光色を含む複数の色を揃えたペンを収納するペン入れだけという、いたってシンプルなものだ。
服装は日によって多少違うが紺やベージュ一色のスーツとパンプスとこれまたシンプルで、他の女性社員と比較して女性らしさというか華やかさというか、
そういったものが殆どない。
薄いブルーの折り畳み式の携帯電話にはシールなどはおろかストラップもついていない。それを通勤時はやはり何の変哲もないハンドバッグに入れ、
勤務時間内はデスクの片隅に置いている。
 PCに向かって、来週の会議に提出する来年度の会社案内の第一次素案をデザインしていた彼女のデスクの電話が軽いコール音を鳴らす。彼女はマウスを
動かしていた右手を傍に置いてあるペンに持ち替え、マウスの右隣に置いてあるメモ用紙に向けてから、コール音に連動して点滅するLEDが外線を示す
赤色−内線は緑色−なのを見て受話器を取る。

「はい。水橋興産広報係です。・・・はい、荻野は私です。何時もお世話になっております。」

 電話の応対をする彼女の声は、社外からの連絡や問い合わせといったものに対応するに全く遜色がない。メモ用紙には電話の相手である印刷会社の当面の
スケジュールが走り書きされていくが、こちらも走り書きとはいえ第三者が見ても問題なく読めるものだ。
だが彼女の場合、他の社員とは決定的に違うところがある。まったく表情がないということだ。
 人間というものは不思議なもので、幼い頃に大人が電話しながら表情をくるくる変えたり頭を下げたりするのを「相手が見えないのにどうして大人はああいう
電話の仕方をするんだろう」と疑問に思い、「相手が見えないんだから寝転がってようが何をしていようが構わないのに」と怪訝に思うこともあるものだが、
正社員なりアルバイトなり学校以外の何らかの形で社会に出て他人、特に年齢が学校での先輩後輩とは比較にならない違いがあることがむしろ普通の環境に
馴染んでいくうちに、出入りの業者や取引先との面談や営業といった実際の対面では勿論のこと、そのような相手との電話をする際に、幼い頃に見ていて
首を傾げた大人の光景を何時の間にか自分も実践していることに気付く。
 顔が見えないとは言え、電話は相手の生の声を聞いて自分も生の言葉を返すことには違いが無く、むしろ顔が見えないからこそ対面以上に神経を使うし、
実際対面している時のように表情が変わったり頭を下げたりするものなのだ。
 ところが彼女の場合、応対のやり取りこそ相手に不快感を抱かせる要素はまったく無いものの、表情に何らの変化が無い。
口調だけ電話の応対のために切り替えていると言えば良いだろうか。或いは別の意味を含んでの、若しくは本来の意味での「機械的」「事務的」な対応だ。
CRTに向かって来年度の会社案内の第一次素案を作成していた時と少しも変わらないまま、彼女は電話でのやり取りを追え、走り書きしていたメモを元に
上司宛の業務報告メールを作成して送信する。此処でも文面はそのままワープロソフトなどのテンプレートにでも出来そうな体裁の整ったものだが、
表情にまったく変化はない。
メールを送信し終えた彼女はメールソフトのウィンドウを最小化し、再びデザインソフトのウィンドウを前面に出して作業を再開する。何事もなかったかのように。

 由美は笑うことも無ければ、喜ぶことも怒ることも悲しむことも喜ぶこともない。彼女には表情の変化というものがまったく存在しない。
それは今日の彼女が不機嫌だからとか感情に起因するものではない。彼女からは表情も感情も全て失われてしまったのだ。

3年前のあの日以来、由美からは表情が消えてしまっている。
表情だけでなく、それを生み出す全ての感情が由美から消えてしまった。
3年前のあの日以来、ずっと・・・。


 翌日。紺のスーツにパンプスという、何時ものとおりいたってシンプルな服装の由美は、起床して朝食を済ませて身支度を整えた後、花屋に赴いた。
今日は水曜日。彼女が勤務する水橋興産株式会社は交代制勤務やシフト制はなく、フレックスタイムもない、これと言った特徴の無い普通の民間企業だ。
彼女は毎月10日、必ずこうして朝から花屋に足を運ぶ。休日は無論、平日でも有給を取って。
 社会人の場合、職業や部署にも依るが有給があっても仕事の関係でどうしても休めない日があるものだ。例えば研修や会議、取引先との打ち合わせなど。
会社関連の印刷物を企画・デザインすることを担当する彼女が所属する広報係でもそれは変わらない。だが、彼女は会議があろうが打ち合わせがあろうが、休む。
そのような場合、上司や同僚が諌めたり別の日にするよう進言したりするのだが、彼女の場合、会社側でどのような理由があっても有給届は受理される。
それは、彼女が会社上層部の娘とか親類とか、会社の大口取引先の娘とかいう縁故が原因ではない。彼女から表情と感情が消えた原因に由来するものだ。
だから、上司や同僚、特に浮いた存在の陰口を集団で言い合う傾向がしばしば見られる女性社員でも、彼女の問答無用の休みに眉を顰(ひそ)めることはない。
 常連となっている花屋のやや年配の女性主人は、紅いバラを主体にカスミソウをあしらった小さな花束を作る。
由美が花屋で注文するものは月によって異なる。彼女の花の種類と本数を指示するだけの、やはり「機械的」「事務的」な注文に、花屋の主人は至って
普通に応じる。
 接客業では「お客様は神様」と客の多少の問題行動に目を瞑るものだ。一方で、「お客様は神様」と妙に勘違いした客が傲慢不遜な態度をさも当然とすることも
しばしばある。そのため、接客の側は不満を鬱積させ、時に我慢の限界に達したことでそういった客とトラブルになることもある。
花屋の主人は幸いにも今までそのような客に遭遇したことがなかった。毎月10日に、決まった時間に訪れる由美を除いて。
当初は花屋の主人も見た目明らかに若い彼女の態度をいささか不満に思っていたが、人伝に事情を知って以来、他の客と同じように対応している。

「こちらでよろしいですか?」
「はい。」

 作った花束を見せた花屋の主人に、由美は短く答える。その口調は良く言えば冷静、悪く言えば無愛想で、表情にはやはり何らの変化もない。
由美は花屋の主人に代金を支払い、花束を受け取って身を翻す。ありがとうございました、の声は由美の表情を少しも変えない。
小さくなっていく由美の後姿を、花屋の主人は憂いを帯びた表情で見送る。彼女に表情が戻るのは何時のことか、と思いながら・・・。

 花束を両手で抱えた由美が次に訪れた場所は、住宅街の一角。
市内を循環するバス通りの1つでもあるため比較的交通量は多い。子ども連れの母親や連れ立った主婦仲間、暇を持て余しているのかどうか定かではないが
数人でグループを構成する若者などが、それぞれ談笑しながら歩道を歩いている。
そんな何処にでもあるような日常の風景の中、独り余所行きの服装で花束を持っている由美はかなり浮いて見える。
だが、由美は他人の視線をまったく意に介することなく、毎月10日に決まって住宅街の一角、直線を描く車道と歩道をガードレールが仕切るこの場所を訪れる。
 四六時中排気ガスに直面することでやや黒ずんだガードレールのその部分だけは、まだ目に眩しい白色が幾分残っている。
歩道に面した住宅の壁もやはり、一部だけが補修されたことを示す真新しさを示している。
由美は持っていた花束を、その新しさが残るガードレールの支柱の一本に添える。そして曲げていた膝を伸ばし、その場でやや俯き加減で目を閉じる。
人や車が行き交う中、彼女はそれらが織り成す日常から自らを完全に隔離しているように見える。
 暫くして由美は目を開き、姿勢と視線の方向を少しも変えずにガードレールの支柱に添えた花束を見詰め、やはり暫くしてからようやくその場を後にする。
彼女が毎月10日に必ず行うこの一連の行動の理由を解説するものは、何もない。だが、この通りを日常生活に使っている人は大抵、その場所が何であるか、
何が起こったのか、そして彼女がその場所とどういう関わりがあるのかを知っている。
だから、その人々は彼女の儀式めいた行動に好奇や懐疑の視線を向けることはない。向けたとしても彼女は何ら気に留めないが。
 彼女が去った後に残された花束は、行き交う車が発する瞬間的な突風に煽られてカサカサと小さな掠れる音を鳴らす。
それは喧騒の中に容易にかき消されるものだ。そして活けられない花束はやがて枯れ、風塵に帰す運命にある。
だが、由美が毎月10日に行う行動には少しの変化もない。今日のように穏やかな陽気であっても、雨が降りしきる中であっても・・・。

 花束を手向けた由美は真っ直ぐ帰宅し、ドアを開けて中に入る。
何かの用事で有給を取ったなら、その用事が済んだ後は溜まっている洗濯物を片付けるとか、手が着けられなかった趣味を楽しむとか、暇潰しにでもウィンドウ
ショッピングに出かけるとか、普段の睡眠不足を解消するべく存分に寝るとか、人によってそれぞれの過ごし方があるだろう。
だが、彼女の場合は何をするでもない。することと言えば日々の食事の準備と後片付け、そして掃除と洗濯といった、生活上必要最小限の家事だけだ。
 由美は、閑静な住宅街にある1LDKのアパートで一人暮らしをしている。その部屋は職場のデスク同様、あるいはそれ以上にシンプルだ。
部屋に最初から設置されている流しやコンロ、浴室、トイレの装備を除いた彼女の家具類は、時に持ち帰った仕事をするためのデスクトップPCと液晶CRTを乗せた
デスク、服などを分類して収納する箪笥が2つ、本やCDを収納するカラーボックス、ベッド、テーブル、TVとミニコンポを収納したラック、食器棚くらいのものだ。
電化製品もTVとミニコンポの他、おおよそどの家庭にでもある冷蔵庫、電子レンジ、オーブン、洗濯機、掃除機だけで、普段使用しないものは押入れに
収納されている。だから、明るいグレーのカーペットが敷かれたリビングには、ラックとデスクとカラーボックス以外何もない。
 シンプルを通り越して殺風景とも言えるリビングの壁沿いに、由美はクッションを置いて腰を下ろす。ただそれだけだ。TVを見たり本を読んだりCDを聞いたり
することもない。ただ座ってこうして時が過ぎるのを待つのが、彼女の自宅での過ごし方だ。
朝の訪れと共に開けられた厚手のカーテンの内側にある薄いレースのカーテンを通して、部屋に温かい日差しが溶け込むが、彼女の表情は何らの変化もない。
足を伸ばし、壁に凭れる彼女の瞳にはただ前方のカラーボックスが映るだけで、生気とかそういうものが一切感じられない。
 朝起きて朝食を済ませた後花屋に赴き、住宅街の一角にあるガードレールの支柱に花束を手向け、黙祷のようにその場に暫しじっと佇んだ後帰宅して、
時が過ぎるのを待つ。彼女の自宅での過ごし方は、平日と休日とで朝から夜にかけての時間が職場に移ることを除けば、何ら目立った変化はない。
ただ生きているだけとも言える彼女の過ごし方は、丁度3年前のこの日からずっと続いている。
仕事に行き詰っているわけではない。職場の人間関係の軋轢(あつれき)に神経を磨り減らされているわけではない。
彼女から表情も感情も、そして生気も消え失せた理由は別のところにある。

 リビングに差し込む日差しの方向が大きく変わり、それも弱まってきた頃になってようやく由美は立ち上がり、厚手のカーテンを閉めて部屋の電灯を点ける。
蛍光灯で室内には明るさが一挙に戻るが、彼女の表情にはやはり何らの変化もない。
彼女は台所へ向かい、米を研いで炊飯器をセットして元の場所に戻る。ご飯を炊く時は季節によって異なるが、1時間程度水に浸してからだと美味しく炊ける。
彼女の行動はしかし、ご飯が炊けるまでの時間とおかずを作るための時間に差があるため、その時間が過ぎるのを待つために過ぎない。
 40分ほど過ぎたところで彼女は再び立ち上がり、台所で料理を始める。
手始めに野菜サラダを作って冷蔵庫に仕舞い、豚肉の切り落としと、細切りにしたピーマンと人参と玉葱をフライパンで炒める。
豚肉と野菜の炒め物が出来たところで彼女は熱が逃げるのを防ぐためにフライパンに蓋をして、味噌汁を作る。
干し若布をお椀に入れて味噌を片手鍋に溶かし終えたところで、炊飯器がピーピーピーと甲高い電子音を鳴らす。
由美は味噌汁を温め始め、ご飯が炊けたことを知らせた炊飯器の蓋を開けて、ご飯をしゃもじで何度かかき混ぜて蓋をする。
味噌汁が十分温まったところでコンロの火を消し、料理をそれぞれの皿に盛り付けてテーブルへ持っていく。コップに水を汲んで夕食が出揃う。
 無音のリビングで彼女の夕食は進む。黙々と食べるその様子は、年齢や見た目からはとても想像出来ないほど無機質で殺風景なものだ。
食事を済ませた後、彼女は食器を重ねて流しに持って行き、料理器具を含めて洗う。やはりこれも黙々と進められる。
後片付けが終わったら気分が解れるものかと思いきや、彼女はタオルで手を拭いてクッションがある場所に戻ってそこに腰を下ろす。
何をするわけでもなく、ただ時が過ぎるのを待つだけ。これも彼女が日々繰り返す自宅での生活の光景だ。
 ストーカーでも退屈しそうなこの暮らしぶりに彼女はしかし、何とも思わない。否、何とも感じないと言った方が良いだろうか。
表情も感情も消え失せた彼女にとって、食事は所詮生命活動を維持するために最低限必要な第一次欲求を満たすための手段に過ぎない。

そしてもしその手段が絶たれたとしても、彼女は何ら抗うつもりはない。
ただ今のように時が過ぎるのを待ち、やがて訪れる生命の終焉を迎えるだけだ。

彼女は生きることに何の夢も希望も持っては居ない。
ただ、生きているからそのまま生きているに過ぎないのだ。

 デスクの片隅にある電話が軽やかなコール音を奏でる。それまで座ったまま身動き一つしなかった由美は、それでようやく動き出す。
緩慢とまではいかないが決して気乗りしていないことが明らかな動きで彼女はデスクに向かい、LEDの点滅と連動してコール音を鳴らす電話の受話器を取る。

「はい。荻野です。」
「由美?母さんだけど。」

 電話は由美の母親からのものだった。だが、由美の表情には何ら変化はない。
また電話か、と呆れたり疎ましく思ったりする様子もなく、ただ自分の母親という人物からの電話を受けただけ、という様子だ。それは口調にも反映されている。

「・・・今日も行ったの?」

 少しの沈黙の後、由美の母親が尋ねる。相手が話しかけない限り、由美が口を開くことはない。それは実家からの電話にも共通する。

「行ったわ。」

 由美の答えは機械的そのものだ。抑揚の欠片もない口調は、寒々しいものさえ感じさせる。

「・・・由美。病院できちんと診察してもらって・・・」
「病院は何も出来ないわ。」
「薬を貰ってそれを飲んでいけば・・・」
「薬を飲んでどうになるものでもない。それは私自身が一番良く分かってること。」

 母の勧めを由美は悉く遮る。機械的と表現するに相応しい口調で。

「他に用がないなら切るわよ。」
「由美、ちょっと・・・」

 引き止めようとする母の呼びかけを最後まで聞くことなく、由美は受話器を置く。
叩き切るという荒っぽさはないが、聞く耳持たない、持つ必要はないという姿勢なのは明らかだ。
由美は元の場所に戻り、クッションに腰を下ろして壁に凭れ、時が過ぎ行くのを待つ。
虚ろではないが生気がまったく感じられない瞳には、ただ正面にあるカラーボックスが映るだけ。由美の感情には何の影響も及ぼさない。
 こうして時間を過ごした彼女は、後に歯を磨いて入浴して就寝するだけ。何の変化も彩りもない、無機質で機械的な生活。
ただ生きているから生きているだけの彼女には、今の自分や生活が他人から見てどうなのかどころか自分がどう思うかさえ、まったく関心を呼び起こさない。
ただ生きるだけの毎日を、彼女は生きていることだけを理由に続けている。満足とかどうとか思うことはない。機械的なサイクルにそんな思案の余地はない。
無論、彼女が自分の生活を機械的サイクルだと認識しては居ない。ただ、生きているから生きている。彼女にとっての毎日はただそれだけに過ぎないのだ・・・。

 風呂から上がり、パジャマに着替えた由美は、髪を乾かしてベッドに向かう。
その途中、カラーボックスに目をやる。本やCDが整然と収納されたカラーボックスの上には、写真立てと指輪と眼鏡が置かれている。
まるで感情や生気がない彼女の瞳に映る写真立てには、紅葉で彩られる渓谷を背景に、彼女と一人の男性が笑顔で写る写真が収められている。
・・・そう。かつて彼女にも笑顔はあった。感情もあった。日々を生きる目的もあった。
3年前の今日を境に、彼女から笑顔をはじめとする表情と感情の一切が消滅した。今日は、彼女と共に写る男性がこの世から失われた日でもある。
 写真を暫し見詰めた由美は部屋の電灯を消す。闇一色となったリビングを抜け、ベッドが置かれている寝室に向かう。
布団に潜った彼女は仰向けになって目を閉じる。目を閉じたことで彼女が何かを思い描いているように見えるのは皮肉と言えようか。
程なく彼女は眠りに落ちる。一切の音が消えた彼女の部屋は、朝を迎えるまで彼女と共に眠りに就く。

こうして彼女の一日が終わり、数時間後に同じような一日が始まる・・・。


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