雨上がりの午後

Chapter 348 石垣への夫婦旅行(3日目:後編)

written by Moonstone

「…どうやら見失わせたようだな。」
「追いかけてきませんね。多分大丈夫だと思います。」

 暫く道端に車を止めていたが、纏わりついて来る例のワゴン車は見えない。晶子の策は予想以上に上手く行ったようだ。
 晶子の策は「一度入り組んだ場所に入って証拠を得てからこの車を他の車に紛れさせる」というもの。ある程度人が多いところは車も多く集まる。それを隠れ蓑に利用するものだ。
 基本的に車社会の石垣では、人が集まる場所には車も集まる。その上、この車はごくごく一般的な小型の乗用車。車がある程度居る場所に入れば、ナンバーを覚えていない限り見失ってしまう。しかも、昨日の経験からも市街地から離れた集落は道が狭く、大型車には不向き。入り組んだ場所に入れば追跡自体が不可能になる可能性が高まる。
 あと、突然の行動変更は相手を惑わす。これまで海沿いの分かりやすい道を一定速度で巡航して来たのに、いきなり方向を変えて山の方へ入ったら、ワゴン車はこの車、つまりは俺と晶子が逃げ出したと思ってスピードを上げる。それで相手を焦らせ、余計に見失わせやすくなる。
 案の定、山道に入って少しして、ワゴン車がスピードを上げて来た。これでワゴン車が俺と晶子を狙っているのが確定したわけだ。わざわざ山道を走ってまで、何処にでもある一般的な小型乗用車の後を付ける理由がない。晶子は直線に入ったところで俺に敢えて少し減速を指示し、ワゴン車がバックミラーではっきり視認できるあたりで窓を開け、あるものをワゴン車に向けた。カメラだ。
 今時のカメラは写真だけじゃなく、動画も撮れる。今まで使ったことがなかったが、晶子は写真を連続で撮った後、動画に切り替えてカメラを向け続けた。ワゴン車もカメラを向けられていることに気付いたようで−シャッターに手をかけずにカメラを向け続けるのは動画撮影だと分かる−、停車したと思うくらい減速して距離を大きく開けた。
 撮られると拙いことをしている自覚があったことに驚きだが、その間に再び晶子が加速を指示し、一気に距離を開けた。その後、畑が多い開けた場所に出て、一度離れた県道79号線に舞い戻ってひた走り、県道207号線に入って北上し、晶子が目標地点とした川平(かびら)地区に入り、晶子の指示で交番−正確には駐在所近くで一旦停車し、その後近くのガソリンスタンドに入って給油。改めて駐在所近くで停車して様子を見ていたが、この車を見て突撃して来るワゴン車は現れない。

「写真と動画を撮ったのは大きかったみたいだな。明らかに向こうは警戒を強めた。」
「いざトラブル発生という時、証拠証拠と喚くのがああいう人達の思考パターンですから、お望みどおり証拠に残して差し上げただけですよ。」

 随所に棘がある言い方だが、実際その通りではある。給油中に写真と動画をざっと確認したが、ナンバーはなんとか映っていたし、運転席と助手席の様子まで映っていた。動画を見ると、やはり動画を撮られていることに勘付いたのか、運転席と助手席の男が表情をひきつらせ、身を乗り出してさえもいた後部座席に慌てて身を隠すよう指示している様子が分かる。
 その後、ワゴン車が大きく減速して当初くらい距離を開け、この車が加速し始める辺りまで動画が残っている。証拠としては申し分ない。念のため、こういうトラブルがあったということをレンタカー会社に電話で伝えておく。写真と動画もあるし、メモリカードは市街地で簡単に買えるから丸ごと渡してしまっても良い。

「−これで良し。念のため、写真と動画をコピーさせてほしい、ってことだ。」
「メモリカードは買えますから、他の写真を新しい方に移してメモリカードごと渡してしまいましょう。」
「そうだな。レンタカー会社から注意とかが行くらしいし、その証拠としても十分だ。」

 レンタカーを借りる際に貸渡約款(かしわたしやっかん)というものがある。俺も借りる前にそれをひととおり説明されてからサインしたわけだが、そこには禁止事項が幾つかある。普通にレンタカーを使う、つまり借りた人が運転して何処かに行くとかではまったく当てはまらないものだが、他人に危害を加えようとして執拗に追跡するのは、その禁止事項に抵触する恐れがある。
 動画には、俺も引っ掛かっていた嫌らしい笑い方をしながらこっちを見て、後部座席の面々と何か話し合っている様子、動画を撮影されていることに気づいて慌てて後部座席に身を隠すように指示し、顔をひきつらせて減速していく一部始終が写っている。何を企んでいたか容易に想像出来る。
 レンタカー会社によると、トラブルメーカーになる利用者は、レンタカー会社間でも情報が共有され−運転免許が必要だから特定は容易−、悪質なら以後貸出が拒否されるそうだ。その前に約款違反として注意、最悪強制的に返却させられることもあり得るという。自社が貸し出した車が犯罪に使われたとなれば、レンタカー会社にとっては重大事。そうなるのもむべなるかな。

「さて…。思わぬ形で此処に来たけど、此処は何があるんだ?」
「川平湾が有名だそうです。凄く綺麗な海で、国立公園の一部になっているそうです。」
「市街地から離れてる割に車が多い理由はそれか。」
「多分そうですね。此処から直ぐですよ。」

 近場でしかも普段の生活には縁がない国立公園とあれば行くしかない。幸い、観光客への対応のためか駐車場はかなり潤沢だ。駐在所と道を挟んで向かい側にかなり整備された駐車場がある。車を移動させて駐車。同じ車が幾つかあるから、本当に見分けが付かない。
 駐車場の直ぐ傍に店が何件かある。殆どが飲食店だが、観光客向けに整備されている。幾つかでグラスボートのチケットを販売している。観光船のことだろう。それは後でも乗れるし、まずは歩いて浜辺を歩いてみたい。

「ちょっと待っててください。」

 晶子が店の1つに向かい、少ししてソフトクリームを2個持って来る。白とくすんだ紫色を1個ずつ。

「買ってきました。白がバニラで紫色が紅芋だそうです。どちらが良いですか?」
「そうだな…。珍しそうだから紅芋の方で。」
「はい、どうぞ。」

 晶子から紅芋のソフトクリームを受け取る。まさか下旬とは言え4月にソフトクリームを食べられるとは…。問題なく食べられる気温だし、日差しだけ言えばもう夏そのものだ。ソフトクリームが売っていても何ら不思議じゃないが、普段の生活からするとかなり先走りしている感がある。

「…美味いな。もっと芋の味が強い、ポテトサラダみたいなものかと思ったが。」
「バニラはごく普通ですね。食べ合いっこしましょう。」

 それが目的だったな。嫌なわけがないから大人しく交換する。バニラは普通の味。だがこちらはこちらで美味い。やっぱりアイスの基本とでもいうか、万人受けするのはバニラの方だろう。紅芋も美味いが色でちょっと抵抗感を持つ人が出そうだ。紫の食べ物は普段の生活ではないからな。
 浜辺に行く前に、グラスボートのチケットを買っておく。大した距離じゃなさそうだが、分かっていて二度手間を踏む必要はない。運行は15分間隔だから、かなり余裕がある。浜辺をのんびり散策してからグラスボートでゆったり巡れば良い。チケットは俺が買っておく。
 商店街−店が道に沿ってL字型に並んでいる通りを歩いて、浜辺へ向かう。観光バスも何台か停まっている。俺は初めて知ったが、かなり有名な場所らしい。県道57号線で石垣の市街地と繋がっているから、観光ツアーのコースになっているんだろう。
 緩やかな下り坂を歩いて行く。道の傍らに駐車場が幾つもある。地面は土剥き出しだが、これだけあれば駐車場で悩むことはないだろう。駐車場の広さは観光客を当て込んでのものと見て間違いない。
 駐車場自体は人が多く来る場所には必須とも言える設備だが、此処で驚くべきなのは料金がかからないところだ。俺が引き続き通勤で使っている胡桃町駅にも駐車場と駐輪場があるが、市営の駐輪場が無料なこと以外は何処も必ず料金が必要だ。
 市営の駐輪場は駅から少し離れている。離れていると言っても徒歩1分だが、常勤の管理者が居ないとか奥まったところは暗くてちょっと危険−実際痴漢や恐喝の被害があったらしい−とか、無料故に管理は十分とは言えない。駅と通路で直結していて常勤の管理者が居るか無料でやや放置気味かの選択だ。
 屋根こそないが、広さは十分にある駐車場が無料というのは、新京市は勿論、小宮栄から見れば目を疑うものだ。車社会なのは新京市も小宮栄もさほど変わらない。交通機関が充実している分小宮栄の方が有利な面があるのに、この違いには愕然とする。
 坂を下りると、駐車場を伴う広場に出る。木が生い茂って出来た、ちょっとした柵の向こう側にコバルトブルーが見える。木のゲートを潜った先が川平湾か。国立公園の割にあっさり行けるもんだ。特に管理人も居ないし、グラスボートのチケットがないと入れないということもなさそうだ。

「このままビーチに出て良いんですよね?」
「問題ないみたいだな。行こう。」

 丁度目の前にある洞穴の入り口のような隙間を抜ける。その先には…コバルトブルーと白と青の世界が広がっていた。繋がれた大小の船がゆらゆらと揺られ、波が微かな音を立てて寄せては返す。コバルトブルーの下には、今踏みしめている者と同じ白が広がっている。
 大小の島かマングローブの塊か、緑の島状のものが幾つかコバルトブルーの上に佇んでいる。上を見れば、青空に浮かんだ綿雲がゆっくり流れている。南の島そのものの世界が此処にある。観光地なのに観光客のためのもてなしをしない、南国の浜辺そのものの姿だ。

「楽園、ですね。」
「ああ、それだ。これをどう表現するか思いつかなかった。」

 観光客向けの設備は、係留されているグラスボートだけ。売店も何もない。観光地なのに観光地からかけ離れた風景は、まさに楽園だ。何処までも続くように見える砂浜は、満潮時の海の痕跡がところどころにあり、小さい石や貝殻が点在している。それは自然のまま保たれていることの証左だろう。
 人間が手を入れると、人間の都合が良いように変えられる。それで巡りやすくなったり快適になったりする利点は多いが、自然という面では損なわれる。国立公園という立ち位置もあるのかもしれないが、敢えて必要以上の手入れ−ゴミを拾ったりとか−をしないでいるところに、「楽園」を感じると思う。
 グラスボートを横目に、砂浜を歩く。穏やかな風は心地良い潮の香りがする。日差しは強いが、ゆったり流れる雲が良い感じに和らげる。砂浜はところどころ打ち上げられたものが作った凸凹があるが、砂を踏みしめると一瞬砂に足を吸い込まれるような感覚を覚える。
 昨日まで見た海も底が十分見渡せる透明度だったが、此処の海は海の色であるコバルトブルーの色合いと透明度を限界まで両立しているように思う。大都市では決してないが近くに集落があるから、生活排水は出るだろう。無論浄化はしているだろうが、それでも此処まで透明度を保てるのは不思議だ。

「こんな綺麗な海が、日常の直ぐ傍にあるんですね。」
「それが凄いことだよな。集落で清掃とかしてるかもしれないが。」
「観光客が増えると、どうしてもゴミが増えると思うんですけど、それも見当たらないですね。」
「観光客用の設備はさっきの店や食堂くらいに留めて、維持管理に人と金を割いてると考えるのが自然か。」

 観光地のもう1つの方向性が此処にあるように思う。1つは今年の正月にめぐみちゃんを連れて行ったユニバーサルスタジオのように、徹底的に客をその世界に浸らせ、楽しませる方向性。もう1つが此処のように、最低限の設備だけ用意して、環境の維持管理に重点を置く方向性。
 どちらが良いとは一概には言えない。だが、自然や風景の良さ、日頃目にしない動植物を売り物にするなら、こういう方向性が良いと思う。自然に接して風景を見て、その場所を歩いて空気を感じてどう思うか、写真を撮るか、その判断は客任せにする。それで十分観光客へのもてなしになる。
 テーマパークや遊園地が「そこそこ設備を用意しておくから好きにしろ」だと、まず楽しくない。混雑すると列を整備したり誘導したりといったことをしないとトラブルが起こる恐れがある。従業員や警備員が居ても、小さい子どもがいるから優先しろと騒いでいる親が若干居たくらいだ。
 一方、自然や風景を売りにする場合、至れり尽くせりの設備はその自然や風景そのものを阻害する。海岸に豪華なレストランがあったり、夜景を演出するLEDのイルミネーションがあったら、どうしても風景よりそういうところで食べたり、イルミネーションを見るのがメインになる。
 観光地をどう運営するか、維持管理するかは何処でも議論の対象になっている。観光が基幹産業だと、観光客が来ないと生活が成り立たなくなる。テーマパークや遊園地があるような場所と違って、自然や風景を売りにする観光地は、工場とかを誘致して産業都市に変わることが難しい。
 大抵、そういう地域は交通の便があまり良くない。人が大挙して押しかけないと経営が成り立たないテーマパークや遊園地と決定的に違うのはそれだ。人が大勢来るより、そこそこの数で定期的に来る方が良い。だが、交通の便が良くないと「ちょっと行ってみるか」とはなり難いから、何らかの魅力、客を呼ぶためのアピールポイントが必要だ。
 今の時代、地域の特産品はインターネットでも買えるし、極端に変わった味の食べ物は結局売れないから、特産品を使った○○に集約される。となると、現地に行きたくなる理由付けが重要になるが、他にはない独特なもので、しかも何度でも行きたくなるようなものを簡単に思いつくようなら苦労はしない。

「蟹が歩いてますよ。」

 立ち止った晶子が1mほど先の砂浜を指さす。慎重に近づいて見ると、ハサミの大きな体長3cmほどの赤い蟹が海から陸に向かって砂浜を歩いている。俺と晶子が見る中、蟹は行き先を考えるように少し停まった後、ちょこまかした動きで陸地に向かって進んでいき、砂浜に隣接する森の中に消える。
 やいな村のマングローブの中で見た蟹やハゼもそうだったが、人間を意識した動きをしない。野生だから当然だが、予想もつかない動きをすることがある。いきなり全速力で動いて視界から消えたり、我関せずとばかりにじっとしていたりもする。それが見ていて面白い。

「ああいう小さい動物が間近で観察できるのも良いですね。」
「水族館にはない魅力だな。時間制限もないみたいなもんだし。」

 見られる動物の種類は限られるし、見られる保証はないが、限界まで近づいたり気が済むまで観察できるのは、こういう場所ならではだ。これがテーマパークや遊園地のような方向性の観光地だったら、建物にルートや巣を潰されたりして不可能だろう。
 再び砂浜を気ままに歩く。他の人、特に観光バスで来た人はグラスボートに向かっているようだ。砂浜を歩いているのはカップル、写真撮影がメインらしい男性、女性友人同士らしい数名の団体といったところ。特に目を向けられることもなく、南国の楽園に浸っていられる。
 観察していると、蟹は結構目に出来る。流石に魚は居ないが−砂浜に横たわっていたら打ち上げられたと思う−それぞれが思い思いの動きをするから、他の蟹を探すのも含めて楽しい。単独行動するもの。2匹でシンクロした動きをするもの。数匹固まって1匹が動くと一斉に動き始めるもの。人間とさほど変わらない。

「外国人も来てるみたいですね。」

 砂浜を暫く気ままに歩いていると、ちらほらと日本語以外の言語が聞こえて来る。聞いた感じでは英語と中国語。喋っているのは…明らかに白人と分かるタイプの男女と、見た目日本人と変わらない若い女性の団体。

「石垣は日本の本州より台湾や中国の方が距離は近いからな。気軽に行ける距離の外国なのかもな。」
「地図を思い浮かべると、確かにそうですね。普段、お店には外国人は来ないですから、珍しがってる面もありますね。」
「店にもそろそろ来そうなもんだけどな。」
「お店に来られても接客できるかどうか…。祐司さんはお仕事でどうですか?」
「今のところ直接外国人とやり取りする機会はないが、研究所の方は結構多いらしい。部品のデータシートは英語版を読んで使うように言われてる。」

 まだ1年経ったところでOJTの最中なのもあるだろうが、まだ仕事で外国人とやり取りしたことはない。ただ、会社でまったく英語や外国人と縁がないかと言えばそうじゃない。職場に研究所の職員と共同研究をしている外国人が来て、担当の人と打ち合わせをする光景を偶に目にする。
 英語に対応しなくて良いということは、何らかの専門的知識や技術を要する職業だとありえない。去年の研修で言われたことだ。外国とのやり取りは事実上英語が標準語。使用する部品のデータシートも英語の方が発表や更新が早いし、重大なバグの情報や修正も英語版から先になされる。
 だから、データシートは必ず英語版を読んで使うよう言われている。今の時代、分厚い辞書を手元に置かなくてもPCで翻訳が出来るし、データシートで使われる英語は専門用語を理解できるかが重要で、小説みたいな比喩とか仮定法とかはまずないから、中学高校の英語より単語が分かればむしろ読みやすい。

「卒業した学科が英文学科でも、喋れるかどうかは別なんですよね…。」
「読み書き重視だからな。高校までの英語は。喋れなくても不思議じゃない。」

 大学まで大きく変わらない環境や制度だったから、英語を3+3+α年教育されても喋れない方が多いのはむしろ当然だ。未だに文学作品を読み書きするのに必要なレベルの文法と読解が主体だし、ヒアリングも結局文法重視を基礎にしているから、実際に使えるかどうかは別問題だ。
 晶子が愛読している小説の文中に、なかなか面白い一節があった。「言葉は道具」「文法より単語の数と専門分野の熟知の方が重要」「TOEICの点数で英語能力が測れると思う浅はかさ」「英語が堪能で仕事もそつなくこなす学生などごく僅か」「即戦力が必要なら新卒至上主義を捨てろ」といったあたり。作者の癖か言い回しに棘は多いが正論だと思う。
 どうも日本人は英語を含む欧米の言語全般に対して、ある意味崇高な印象を持っているように思う。所詮言葉だから、意思を伝え合うには文法が正確無比である必要はない。日本語は助詞をつければ単語の位置をかなり自由に入れ替えられるから、基本文法が5つしかない英語よりよっぽど複雑だ。
 何をしたいか、何を伝えたいか、それを明らかにするのが言葉だし、そのために重要なのは単語の方だ。それも小難しい表現より、数字や日用品、食品あたりを覚えた方が、ずっと日常で使える。「言葉は日常で使うもの」という感覚が、少なくとも日本の教育環境にはない。

「Excuse me.」

 グラスボートが並ぶ辺りを過ぎたところで、前から若い女性が英語で話しかけて来る。

「What's the matter?」
「We want to take our photo in the background of glass boats and beautiful sea.」

 話しかけて来た女性−見た感じ日本人と区別が付かないから中国か台湾、或いは中国系アメリカ人あたりだろう−は、手にデジカメを持っている。意図したいところは明らかだ。

「Can I use your camera? If you OK, please lend it to me.」
「Yes! Of course! Please use this!」

 早速カメラを渡して来る。ごく一般的なデジカメだ。電源を入れると液晶画面が出る。シャッターボタンは…これかな。

「Is shutter button here?」
「Yes. Please take.」

 シャッターボタンが確認出来たら、撮れる準備はほぼ出来たようなもの。カメラを渡した女性は仲間のところへ行き、全員が思い思いの表情でこちらを向く。いきなり撮るとタイミングが図り難いから、合図を出した方が良いな。ごく一般的なものにしておこう。

「I'll take a photo after this cue, 3, 2, 1. OK?」
「OK! Very easy!」

 指の動きと合わせて説明したら十分通用したようだ。右手でカメラを持って、左手を「3」にして合図を始める。3、2、1…。撮る。…良い感じ。恒例として、もう1枚撮っておくか。

「I'll take again.」
「OK, please!」

 同様に指でカウントダウンして…撮影。これで良いだろう。1回目と2回目で違うポーズをしたり配置を微妙に変えたりするのは、日本だとあまりない。女性の団体が駆け寄って来る。

「Please confirm.」
「OK.…Oh! Very nice photo! Thank you!」
「You are welcome. …Next, I'll want to take a photo of me and my wife with our camera. May I ask you?」
「Of course!」
「Is this lady your wife? Very beautiful!」

 俺はカメラを渡した女性に、俺のカメラを渡す。写真の背景は…海と空が良いな。この辺りなら何処でも良い。

「お返しに、俺と晶子の写真を撮ってもらうように頼んだ。」
「wifeって単語は聞き取れたので…。そういうことだったんですね。」
「そうそう。さ、撮ってもらおう。」

 幸い、海や空を背景にしても逆光にはならない位置だ。晶子は写真を撮られることを意識してか、俺の腕に両腕を回す。女性達から歓声が上がる。カメラを構えた女性は、俺がしたように左手で3,2,1と数えて合図を送る。…多分撮ったと思う。音が聞こえないから確認は出来ないが。

「I'll take again!」
「OK!」

 同じようにもう1枚。3,2,1,…撮ったな。俺と晶子は女性達の方に向かい、カメラを受け取って確認。…2枚とも良い感じに撮れてる。

「Thank you.」
「You are welcome! Are you in the middle of the honeymoon?」
「No. We are married one and half years ago. We have come to Ishigaki to watch the southern cross. Now we are searching for nice location.」
「Oh! Very nice trip!」
「We have come from Taiwan for graduation trip of university.」
「We are looking to seeing you again! Thank you!」
「Thank you!」

 手を振って女性達は去っていく。さっきまでグラスボートに乗っててその記念の写真を撮ろうと思ったんだろうか。最初から最後まで元気だったな。

「きちんと会話が成立してましたね。凄いです。」
「聞き取りやすかったから何とかなった。晶子は台湾の視点でも通用する美人らしい。」
「wifeとbeautifulは聞き取れましたけど、私のことを言ってたんですね。」
「こっちに向かってwifeとbeautifulが並んだら、晶子のこと以外にない。」

 晶子に改めて写真を見せながら、会話の概要を説明する。団体は台湾から大学の卒業旅行に来たこと。新婚旅行に来たのかと問われて、1年半前に結婚したこと、南十字星を見に石垣に来たこと、今は絶景ポイントを探していることを伝えたこと。

「台湾の学生さんだったんですね。台湾が急に近くなった気がします。」
「日本の本州よりずっと近いから、向こうから見ても身近な海外なんだろうな。」
「気さくでしたけど嫌味がない、良い人達でしたね。」
「ああ。便乗する形だったけど、2人で写る写真を頼めて良かった。」

 3脚は持ってないし、写真を頼むのも意外と難しい。撮ったから撮ってもらうという形ではあったが、向こうも快諾したし、脛に傷持つような手段じゃないから良いだろう。琉球衣装を纏った晶子は新鮮だったが、見慣れた服装の晶子はやっぱり飾らない美しさが際立っている。
 台湾と言うと中国語というイメージがあるが、集団の話す英語は流暢だった。少なくとも、相手に自分の意思を伝えたり、相手の答えや要望を聞くという会話の基本は十分成立するものだった。訳の分からないビジネス英語とやらより、日常で使うこういう英語こそ必要なんじゃないだろうか。

 グラスボートで川平湾の海の中を眺め、飲食店で食事。まさにサンゴ礁の海そのものの世界を目の当たりにした感動は、今も爽やかな余韻を残している。あとをつけて来たワゴン車を遠ざけるため、急遽進路変更して入り込んだ川平地区だが、怪我の功名というものだ。
 この綺麗な海で泳げたら最高だろうが、川平湾は遊泳禁止だそうだ。砂浜を歩いたりグラスボートに乗ったりしただけでは分からなかったが、川平湾は潮の流れが速く、泳ぐのは危険らしい。見た目だけでは分からないもんだ。
 こういう時は地元の人の情報が頼りになる。川平湾から車で10分ほどのところにある底地(すくじ)ビーチという場所があり、そこは遠浅で家族連れも安心して行けるそうだ。近くにリゾートホテルもある場所で、シャワーやトイレなど設備も揃っているという。
 ただ、と前置きされてこうも言われた。観光地として受け入れ態勢が整って来た分、島を出てしまえば分からないとばかりにトラブルを起こす輩も増えて来ている。奥さんが美人だから石垣より離島の方がそういう輩の目に付き難くて良いかもしれない、と。
 傾向として、トラブルを起こす輩は集団で移動するのと、昼間は有名どころを回って夜は繁華街に行くから、繁華街がない離島にはあまり行こうとしない。離島に行くには空港が稼働している与那国を除いて高速船を使うしかなく、その高速船は勿論料金がかかるから、車一辺倒のその手の輩は脚が遠のきやすいそうだ。
 離島は当然最終便があって、それを乗り過ごすとその島で一泊するしかない。海が荒れると数日出られないリスクもある。幸いこの時期は台風がないからそのリスクはかなり低いし、昼間に行くなら離島は良い。そんな裏情報を教えてもらった。
 何しろ川平地区に入ったのは、晶子を狙って後を着けて来た連中から逃げるため。こちらに非がないのに−向こうにしてみれば美人の彼女を見せびらかしているという理由はあるだろうが−安全第一で逃げるしかないのは腑に落ちないが、夜も絶景だろうと場所に行ってみたらその手の輩がお待ちかねという事態も考えられる。

「離島に脚を伸ばすか。」

 飲み物を飲みながら地図を見ていて、俺は提案する。

「地理的には更に南に移動するから、1泊余分も想定するなら南十字星もよりはっきり見える可能性もあるし。」
「1泊を現地追加するのは、流石に気が引けますね…。」
「昼間海水浴を体験するのは離島、夜南十字星を改めて見るのは石垣、っていう区分けにするか。」
「それなら…。」

 晶子は罪悪感を覚えているようだ。離島にわたる追加費用は手持ちで十分賄えるものだし、そもそもわざわざ車で追いかけて来るような輩まで出るのは、妙なプライドややっかみや集団心理−その手の輩が厄介な理由はこれが最大−が原因。晶子のせいじゃない。

「晶子が日本の南の果てや外国の感性でも通用する美人だってことが分かって、俺自身嬉しい。」
「…。」
「それで悪だくみする連中が悪いんであって、晶子には何の罪も責任もない。それだけは忘れないでくれ。」
「…はい。」

 晶子の表情にあった罪悪感が弱まる。大体、晶子は目立つ格好をしていない。長袖長ズボン+下着透け防止の濃い色のベストという至ってシンプルなもの。化粧はしてないし−する必要もない−、アクセサリーは身体の一部になって久しい指輪のみ。それがかえって目立ってしまっているなら皮肉としか言いようがない。
 大学の卒業式でも、周囲が振袖で固めているところに目立たないようにとスーツで出たことで、逆に目立って写真を一緒に撮るよう執拗に迫られた。着飾るのが普通のところに地味な服装だと意図とは逆に目立ってしまうようだ。色は全く関係ないのもまた難儀だ。
 晶子は自分が美人だという自覚はあるが、それ故に高校から何かと苦労の連続だった。その気もないのに男性から言い寄られ続け、女性からは妬まれる。俺と出逢って早々に−まだ付き合い始めて半年も経ってなかった−指輪を左手薬指に填めたことで、ようやく安寧を得た。「まだ足りないのか」という疑念もあるかもしれない。
 指輪は結構目立つ筈だが、相対的に小さいから先に目を惹くものがあると視界に入っても度外視される。晶子の場合、明らかに美人と称される顔立ちと、ピシッとした服装ゆえにどうしても浮き出てしまうスタイルの良さ。気に入った女=セックスの相手と見なす輩にはこれ以上ない獲物と映るだろう。
 もっと明らかに既婚者と分かるアイテムというと…やっぱり子どもか。それは今すぐは無理。わざわざ変装したり着たくもない派手な服を着たりするのは、晶子にとって負担でしかない。となれば、出来る限りトラブルの要因から離れること、トラブルになりそうと思ったら早急に離れること。つまりは自衛しかない。

「今の位置は…此処か。」

 川平地区は、石垣島の北西部。ワゴン車の尾行を排除するため大崎方面には行ってないが、概ね時計回りに一周するルート上にある。このまま県道79号線に沿ってはしれば、昨日北端に向かう際に使った県道206号線と国道390号線の合流地点に到着する。

「このままゆったり島一周していこう。南十字星を見る場所は幾つか浮上してきたし、明日の買い物もある。」
「はい。」

 実は、南十字星を含む星空の鑑賞については、別に情報を得ている。少し手間がかかりそうだが、その分妙な輩が心理的に入り辛いようだ。晶子が水着になると余計に人目を惹きやすくなるのは自明の理。一足早い海水浴は離島の方が良いだろう。
 川平地区を出て県道79号線をひた走る。空は変わらず明るい青で、ポツポツと綿を千切ったような雲が漂っている。右手の方に森が立ち塞がり、左手に偶に海が見える風景が何処までも続く。時折集落が現れては消えるといった感じで、その集落は海岸線に貼りつくような形で存在する。
 全般的に上り坂になっているようで、時折見える海が高いところから見る形になる。島の大半は山と森で、僅かな平野に家と畑を作って人が生活している。別段遅れているとは思わない。日本も全体を見れば狭い平野にへばりつくように都市が固まっている。山が多い土地ではそうならざるを得ない。
 道はずっと追い越し可の片側1車線が続いている。しかも車が殆ど居ない。偶にすれ違う時もかなりのスピードだから対向車に誰が乗っているか十分確認出来ない。確認する気もないが、レース場と錯覚しそうになる。信号や標識も殆どないから、自動車学校の構内のコースや、仮免許中に走った新京市市内よりずっと運転はしやすい。
 給油は川平地区に入った際、警戒がてらしたから、残りの距離はこのまま行ける。普段乗ってない分、どうしても給油の際に給油口がどっちだったかあやふやになってしまうが、スタンドが左右どちらでも給油できるようになっているのがありがたい。休憩時に車に乗り込む前に確認するようにはしているが。
 海岸線に沿う形で道が続く。海側に木が生い茂っているから運転席から海は見えない。上り坂の傾向は続いているから、スピードが極端に落ちないようにアクセルを少し強めに踏む。青い空と白い雲という映画のような光景が延々と続く道をひたすら走る。急ぐ理由もなくただ走るだけというのは普段の生活にはない行動だ。

「道がないところが多いですね。」

 地図を見ていた晶子が言う。

「島の中央部は一部しか道がないです。山を挟んで反対側の集落に行くには、かなり遠回りをしないといけないところがあります。」
「そういえば、トンネルはないな。」
「国立公園ですから、トンネルは作れないのかもしれませんね。自然を破壊したり生態系を壊したりする恐れがあるということで。」
「自然保護のため、不便は我慢しないといけないわけか…。」

 晶子に言われてようやく気付いたが、海岸線に沿うように走る道同士を繋ぐ道が極端に少ない。それにトンネルは今のところ一度も出て来ない。島を周回する国道と県道のかなりの部分を走ったから、トンネルがあれば少なくとも気づく筈だしナビにも何らかの形で表示される筈だが、それも全然ない。
 石垣に来る前は、地図を見て島だから直ぐに一回り出来ると思っていたが、車で暫く走って大きな間違いだと思い知らされた。それなりにスピードを出しても集落から集落への移動はそれなりに時間がかかる。山が固まっているらしい中央部を挟んで向かい側まで行こうとすると、往復で半日は覚悟しないといけないだろう。
 これは緊急事態−病気や火事の時に大変だろう。救急車が駆けつけるまでにかなりの時間がかかるし、消防車が到着するまでに大火事に発展する恐れもある。何かの理由で大動脈の国道県道が通行止めや渋滞になったら、集落が孤立する恐れもある。台風の時は現実的な脅威だろう。
 ヘリなら直ぐと思う向きもあるが、ヘリは機体の安定を取り難い、気象条件に左右されやすい、といった重大な問題がある。そもそもヘリが離着陸するのはそれなりの広さの平面が必要だ。僻地や離島の医療問題の解決としてヘリを飛ばせば良いと結論付けるのは、ヘリの特徴を知らない無知だと思う。
 集落には診療所はあるかもしれないが、手術や緊急の処置が必要な大きな病院は、市街地に行かないとないようだ。そういった不便はトンネルがあると多少は緩和されると思うが、ヘリを使うか最悪の事態を覚悟するかしないといけないのは、国立公園ならではの制約としては厳しいと感じる。
 だが、一方でトンネルなど便利さを求めると、際限がないのもまた事実。あそこに作ったんだから此処にも、とか要望が次々出るだろうし、工事はただでは出来ない。時間もかかるし、場合によっては農地を諦めなければならなくなる。トンネルに限らず、工事で立退きを求められたり、水はけが悪くなったりすることはよくある。
 産業が農漁業と観光主体のところに、トンネルや幹線道路を作って産業を呼び込めるかというと、これまた怪しい。企業はどうしても交通機関の利便性という観点での立地を重視する。それは事務所や工場に直ぐ行けるだけでなく、他の都市とのアクセスも重要だ。それは料金がかかる飛行機や時間がかかる船より車の方が望ましい。
 沖縄本島より台湾の方が近いくらいの位置関係、しかも他の都市とのアクセスは飛行機か船のどちらかしかない石垣で、島だけで道路のアクセスを向上させて産業を呼び込める可能性は疑問視せざるを得ない。更にどうしても付き纏う自然破壊のリスクも無視できない。

「規制で作れないのか、或いは十分な必要性がないから作らないのか、どちらが正解なのかは分からない。ただ、石垣の集落の多くが、不便さと引き換えにこの環境の中で生きていて、不便さがこの自然、この景色を守っている面もある。難しい微妙なバランスの上に成り立っていると言えるな。」
「ただ観光に来て、普段の環境と比べて良さそうだから、って理由で移住を決めるのは、物凄いリスクを伴いますね。」
「昨日逆方向から島を回っていても、生活の不便さは感じた。日本で生活していくには何処に行っても最低限の金は必要なのも。」
「贅沢を求めるつもりはないですけど、食べるものにも困るような収入の得られなさ、ひいては仕事のなさは、住めば何とかなるっていう考えで解決できませんよね…。」

 物事には大なり小なりリスクがあるが、引っ越しや転職はリスクが大きい方だろう。引っ越し先が今より良いとは限らないし、転職も然り。1人なら最悪自分が食い繋げれば良いという判断が出来るが、家族が居るとそうはいかない。家族が住む場所、食べるものは勿論だし、子どもが居たら学校に行かせたりすることも必要になる。
 転職に限っても、これまでの経験が生かせる転職なら順応しやすいだろうが、新規に覚えるとなると実質新入社員と同じ。数年、若しくは十年以上の経験がほぼクリアされてしまう。その上で家族が居ると、早々に仕事を覚えないといけない、家族を扶養する分だけ稼げるようにならないといけない、とストレスが増すのは容易に想像出来る。
 俺の場合、転勤は基本的に希望して希望先の条件−人員数とか業種とかが合わないとない。そのためか、小宮栄や周辺都市に定住している人が多いそうだ。転勤が全くないとは言い切れないが、少なくとも引っ越し先に毎度頭を悩ませるリスクは低いと見て良いだろう。出来る限りそれを維持するのが賢明か。
 家族が出来るとその分考えることが増える。この先子どもが出来れば更に考えることが増えるだろう。それを「俺が決める」と抱え込んだり「お前が考えろ」と丸投げするなら、1人で居るのと変わらない。面倒とか長年連れ添っているから以心伝心、とか思わずに、こまめに話し合いをすることで喜びは倍に、苦しみは半分に減る筈だ。
 無事石垣島の一周を終えた。市街地に戻って最初に行った先はレンタカー会社。途中で尾行して来たあからさまに怪しいワゴン車の写真と動画を収めたメモリカードを渡すためだ。レンタカー会社の担当者は写真と動画を確認の上、所有元のレンタカー会社に報告すること、自社の場合は規約違反で直ちに返却させることと約束してくれた。
 その後、担当者に教えてもらった家電量販店とショッピングセンターへ。場所は離れているし土地勘はないが、ナビに住所を入力して案内に従えば、さほど苦労せずに行ける。家電量販店ではメモリカードを調達して終わり。ショッピングセンターでは水着を調達。こちらの方が時間がかかるのは言うまでもない。
 帽子に長袖でも日差しの強さを感じるくらいだ。迂闊に肌を出せば酷い日焼けは避けられない。石垣では水着の上にTシャツを着るのが基本、勿論日焼け止めは必須、とレンタカー会社の担当者に教わった。俺はまだしも、晶子が酷い日焼けになったら大変だ。
 南国だから眩い日差しの下で水着になる、というのはあくまで理想やドラマとかの話。強烈な紫外線は防御なしだと酷い日焼けになる。肌が弱かったり長時間日焼けしたりすると火傷そのものになって、救急車や救急ヘリで病院に搬送される観光客も多いそうだ。

「肌を出す範囲が少なくなって、安心している面もあるんです。」

 水着を選びながら晶子が言う。

「久しぶりに海に入るんですから思い切り楽しみたいですけど、不必要に見られるのはあまり気分が良くないですから…。」
「普段着でも人目を惹くからな。普通に水着を着れば余計に人目を惹くのは間違いない。」
「そんな状況ですから、Tシャツを着れば上半身だけでもひとまず人目を避けられるのは、ありがたいです。」

 最近の傾向なのか、女性ものの水着は殆どがビキニ。率直に言えば下着と同じ形状だから否でも肌が出る面積が増える。普段着でもふんわりした服じゃないのが仇になって、身体のラインが出てしまう。水着を着れば更にラインが鮮明に出る。選択肢は色や模様くらいだからどうしようもない。
 Tシャツを着れば、女性の水着姿で目を惹きやすい胸がひとまず隠せる。男物、つまり俺のTシャツだと腰辺りまで隠せるから、水着姿の全容を容易に見られずに済む。水着を着る意味がないと思われるかもしれないが、現に今日だけでも危機を感じさせる出来事があったわけだし、視線の集中は俺も感じているから自意識過剰では決してない。

「祐司さんはどれが好みですか?」
「物凄く率直な聞き方だな…。」

 晶子が見せたのは、明るい青を基本に縁を白のラインでなぞったものと、色とりどりの花をあしらったもの。どちらもビキニ。後者は晶子が選んだものにしてはかなり派手なタイプ。「どっちが似合うと思うか」じゃなく「どっちが好みか」と聞く辺り、俺に見せることが第一にあるのは分かる。

「青の方…かな。」

 夕飯を含めた全ての用事を済ませて宿に期間。川平地区で得た情報で、南十字星の観察はフサキビーチにした。元々リゾートホテルのプライベートビーチで、現在もリゾートホテルを通過しないと行けない作りになっている。第三者のチェックが入る場所は、怪しいワゴン車の輩のタイプが苦手とするところだ。
 方角は西に開けた格好だが、周囲の森は星空を妨げる高さじゃなかった。それに、人口の明かりは宿の屋上よりずっと少なくて、夜空に輝くものがなければ何も見えない暗闇になると直感するほどだった。その分星空は鮮明で、南十字星が星屑に埋もれているようにも感じた。
 南十字星については安心して存分に見られたことで晶子も十分満足。残すところは、現地で急浮上した海水浴。確認がてら宿のフロントで聞いたところ、石垣の海開きは3月下旬。つまりとっくに海水浴が解禁されているわけだ。新京市とかだと、この時期に海に入るのは少し遅い寒中水泳のようなもんだ。
 南十字星観測の前に夕飯を済ませたことで、観測後は宿に直行。海水浴は朝から離島に脚を伸ばして楽しむことにした。この辺りも宿のフロントで色々教えてもらった。日焼けについてはやはり十分注意が必要とのこと。普段の日焼けの感覚だと間違いなく病院送りになるそうだ。

「祐司さん。」

 部屋でベッドに座っていると、バスルームから晶子が顔を覗かせる。

「着替え、終わりました。」
「見せて。」

 晶子がやや気恥かしそうにバスルームから出て来る。今日買ったばかりの水着を着ている。バスルームに籠っていたのはこのため。水着の試着は色々と制限があるから、色や形を鏡で合わせて似合いそうだと確認して−余程変なものでなければ似合うのは間違いない−、初披露は宿でしたいと晶子が言った。
 水着と下着は覆う部分が同じだから、身体のラインが最前面に出る。磨きがかかったスタイルは最高という表現が相応しい。青を基調とした白で縁取られた水着がスタイルを引き立たせている。贔屓目があるのは勿論だが、水着のモデルとしても十分通用すると思う。

「ちょっと…恥ずかしいです。」
「流石によく似合ってる。水着も晶子に着られて本望だろう。」

 晶子ははにかんだ笑顔を浮かべ、俺の隣に座る。間近で見ると、鎖骨や胸の谷間、2本の脚とその付け根が作るY字がより鮮明に見える。買ったところを見たばかりか選んだのは俺と言っても良いから水着だとは分かっているが、少し派手目の下着に見えて仕方ない。

「この水着を着た全容を見られるのは、祐司さんだけですよ。」
「嬉しいな。」
「気の利いたポーズとかは出来ないですけど、こうして隣に座って存分に見てもらうことは出来ます。」
「それで良い。…訂正。もうちょっと色々したい。」

 俺は晶子の肩を抱く。晶子は一切の抵抗なく俺に身を寄せる。今日は晶子の容姿が結婚して1年半になる今でも、磨きがかかるどころか国外の観点でも通用するものだということ、同時に危険を招くこともあることを痛感させられた1日だったような気がする。晶子にとっては災難でしかないが、俺にとっては生きる糧が増えた面もある。
 晶子との関係は交際の期間を含めて4年半。美人なのは間違いないと思っていたが、それでも毎日一緒にいて見慣れた感はあるから、身内びいきの自惚れかもしれないと若干思うこともあった。だが、彼方此方で「美人の奥さん」と評されて、客観的にも晶子の容姿が優れていることを確認出来た。
 無論、妻が美人なだけじゃ夫婦はやっていけない。とんでもない浪費家だったり、実家べったり母親べったりだったり、周囲に影響されて夫や家庭をないがしろにして自分は享楽の限りを尽くしたりだと、到底やって行けない。料理が不味いのに自分では味見をしないし、食べないとヒステリーを起こすとんでもない妻の話もある。
 美人な妻がいるのは密かな自慢でもあるし、生きる糧でもある。周りが羨むような美人、しかも性格も良くて料理も抜群と非の打ちどころがない美人を妻にしているんだから、自分がだらけてはいけない。家庭を担う者としておかしなことはしない。常にそう意識して行動に反映させるようにしている。
 それがどれだけ反映されているかは自分が評価することじゃない。少なくとも、晶子が失望するようなことはしていないし、晶子は変わらず全幅の信頼を寄せてくれる。その信頼に応えるには、夫としての自覚を持った行動を続けることが肝要だ。それを続けてでも晶子と夫婦であり続けたい…。
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