雨上がりの午後

Chapter 270 西本願寺を巡って思う宗教とカルトの罠

written by Moonstone

 阿弥陀堂を周回してから後にする。他には中に入って周回した2つの堂に門を加えた名前の御影堂門と阿弥陀堂門がある他は、参拝接待所と総合案内所
くらい。観光目的からは離れた場所だろう。

「次は西本願寺だな。」
「はい。観光案内は引き続き私が持ちますね。」

 晶子が誘導役を続ける理由は天候。雨はまだ静かに降り続けている。空の明るさは御影堂に入る前あたりに見た時よりはっきりしているから、そこから
雨雲に裂け目が出来て青空が顔を出すようにも思えるんだが、期待的観測か。
 傘を広げて掲げ、晶子を中に入れて歩く。晶子が広げる観光案内で次の目的地、西本願寺のおおよその位置を見る。南北の通りを2つ渡った向かい側と
見て良い位置だな。交通量の多い通りを横断して西に向かう。車の数は多いが人の数は相変わらず少ない。他の観光客は雨で外出を控えているのか、雨を
凌げる場所に滞在しているのかのどちらかだろうか。

「えっと・・・、もうすぐ西本願寺ですけど・・・。」
「あの水平線みたいな壁があるところだな。どうかしたか?」
「何処から入れば良いのかなと思って。東本願寺より門が多いんですよ。」

 晶子が広げて見せる観光案内の、東本願寺の見取り図を見る。・・・東西南北すべてに複数の門があるようだ。東から歩いてきたから、最も近いのは当然
東側。東にあるのは御影堂門と阿弥陀堂門か。東本願寺と同じだな。浄土真宗の共通項だろうか。

「何処から入らなきゃならないって決まりはないだろうから、一番近い門から入れば良いんじゃないか?」
「そうですね。それだと・・・、現在地に一番近いのは・・・御影堂門ですね。あ、総門が少し南下したところにあります。そこからまっすぐ西に進むと阿弥陀堂門
から入れます。」
「総門って名前からして一番正当な門らしいから、そこから入るか。」
「はい。誘導しますね。」

 西本願寺と思しき南北に連なる壁が雨に少しかすんで見える。観光案内を片手に総門に向けて誘導する晶子と、自分の確認による信号待ちと左右確認を
組み合わせる。車は雨でもあまりスピードを緩めていないから、大通りの横断に注意するに越したことはない。
 少し離れた位置にある総門をくぐり、そのまま西に直進していくと白壁を左右に伴った西本願寺の境内への出入り口の1つ、御影堂門が迫ってくる。門の
正面奥に巨木が見える。更に奥で巨木の両脇から一部姿を見せている建物が御影堂だろう。
 境内に入る。敷地の広さが目立った東本願寺に対して、建物が門から近いせいか密集した印象を受ける。巨木は銀杏か。この大きさだと紅葉時期に
観光客を呼べそうだな。

「西本願寺は国宝や重要文化財が数多くあるみたいですよ。」

 晶子が観光案内を見せる。西本願寺の境内を一望出来る見開きページに、吹き出し風に解説が加えられている。

「正面の阿弥陀堂と隣の御影堂が重要文化財。南にある唐門と飛雲閣が国宝。他に建物内部の間に国宝がいくつもあります。」
「境内全体が宝物庫みたいなもんだな。」

 普段の生活で接するものには国宝や重要文化財に指定されているものはない。住んでいる場所は住宅街だし、駅周辺は家も大学も住宅街と学生や
社会人を対象にした飲食店の混合物で、寺社仏閣は存在しない。大学の歴史は長い方だが、一般的な鉄筋コンクリートの建造物が点在するだけで史跡と
言える場所はない。
 浄土真宗の発祥は、確か鎌倉時代まで遡る。大体西暦1200年くらいからだとすると・・・800年くらいか。いきなりすべての建物が揃ってそのまま維持されて
きたとは考えにくい。戦国武将、特に信長との激しい戦いを経験している以上歴史のある寺社仏閣でも無事ではすまないだろう。龍安寺もそうだったが、
幾度の災難を経ても廃止されることなく今に残ることが、国指定の宝物を多数有する要因の1つだろう。
 まずは正面の阿弥陀堂から拝観。重要文化財だが制限やチェックは特になく、これまでの寺社仏閣同様靴を脱いで上がれば良い。そのまままっすぐ
進むと、黒を基調に仏教らしい金色の複雑な装飾が施された綺麗な空間に仏像が鎮座している。本尊の阿弥陀如来だな。

「此処にも聖徳太子の御真影がありますね。」

 東本願寺の阿弥陀堂と同様に、聖徳太子と高僧の御真影が安置されている。宗派は違えど親鸞聖人を開祖とする浄土真宗だから、源流の法然上人や
仏教統治を日本に広めた聖徳太子は、阿弥陀如来と並んで共通の尊敬対象なんだろう。
 立ち並ぶ同じ名前の建物。中に安置されている同じ尊敬の対象。これらを見ていると、1つの宗派として融合出来ないものだろうかと考えてしまう。それは
門徒でない観光客の1人だから単純に考えてしまうだけで、実際はそう簡単にはいかないんだろう。親族でも1度仲違いすると修復は難しい。俺が知る限り
では俺の親族では今のところ仲違いしている話は聞かないが、冠婚葬祭−意見が取り入れられなかったことをメンツを潰されたと勘違いすることが多い−や
遺産相続で付き合いがなくなったり、行き来しなくなることはよくあるそうだ。
 当事者だけだと20人居るかどうか、その家族を含めると50人居るかどうかといったあたりの規模の親族という集団でも、何かのきっかけで仲違いや分裂する。
数万数十万という規模の門徒を抱える大規模な宗教だと、トップの意見や立場の相違が門徒の間での対立を招く可能性は十分ある。
 晶子から観光案内を借りて、西本願寺の歴史の部分を読む。西本願寺、正確には浄土真宗本願寺派は親鸞聖人の流れを受け継いで勢力を拡大して
きた。敵に回ったら神でも仏でも容赦なく壊滅させる気性の荒さで有名な織田信長との激しい対峙は和議で終結した。その和議による信長との対峙の
終結が、皮肉にも本願寺分立の要因になったようだ。
 大まかに言えば、和議を結んだ当時の門主とその流れを受けた門主継承の三男と、信長と徹底抗戦すべきとしたその長男の対立があった。長男が徳川
家康と接近して烏丸七条に寄進された寺地に興したのが真宗大谷派、通称東本願寺だ。信長は浄土真宗との対峙の前に比叡山延暦寺を焼き討ちして
いる。当時の仏教は巨大な武装集団だったのは事実だし−僧兵という言葉もある−、仏に従っても自分に従わない宗教は戦国大名にとって頭痛の種
だった。一向一揆に攻められて自害に追い込まれた戦国大名も居るし、そこまでいかなくても領地での一揆は政情不安を招き、下克上が存在した中では
臣下や親族に足元を掬われる危険を誘発しかねないものだった。ましてや、全国統一を目指して上洛を目指していた信長にとって、多くの門徒を抱えて
念仏を唱えて阿弥陀仏にすがれば極楽浄土にいけるとする分かりやすい教義を持つ浄土真宗は足枷以外の何物でもない。比叡山延暦寺を焼き討ちした
信長が浄土真宗を不倶戴天の敵とするのは時代の必然だったと言える。
 服従か死かの二者択一を迫る信長と敵対した以上、徹底的に戦わないと皆殺しの危険がある。だが、戦国武将との交戦で親鸞聖人の教え、もっと遡れば
不殺生を説く仏教の教えに反することへの懸念や、交戦の結果信長に滅ぼされて親鸞聖人の教えを絶やす危険もある。徹底抗戦か後世への継承か、
考えが二分されたのもやはり時代の必然だったように思う。

「親鸞聖人は、自分の開いた宗派が分立したことをどう考えているんでしょうね。」

 晶子も本願寺の分立に思いをめぐらしていたようだ。指導部の思想や運営方針の対立は珍しくないし、キリスト教やイスラム教のように異端−この表現も
異なる潮流を認めないある種の不寛容さが垣間見える−として徹底的に排撃したり、現在でも戦争の発端になったりするほど対立は激しくない。だが、壮大な
世界観に基づく仏教の教義を逐一理解したり、善行を積み重ねて悟りを開く困難さではなく、念仏を唱えて阿弥陀仏にすがることで極楽浄土に行けると
説いた分かりやすい教義を持つ宗派が分立することにはどうしても違和感が拭い切れない。

「もしかすると・・・、教義も絶えず移り変わるものだから分立もその摂理に基づくものと考えるかもしれない。」
「諸行無常、ですね。」
「ああ。親鸞聖人も知らない筈はない。曲解されるのは困る、否、嘆かわしいと思うだろうが。」

 仏教の教義は悟りを開く、更に言えば仏の教えを理解することで苦しみに溢れる生死を含む生き方から脱することを目指すことだ。キリスト教やイスラム教と
大きく異なるのは、仏は悟りを開いた先輩である模範であって、あらゆる存在の頂点に君臨する存在じゃないこと。悟りを開くことを見出すことが目的だから、
どういう方法でも構わない。だから禅宗のように座禅を組んで瞑想したり厳しいとされる修行を積むのも1つの方法だし、ひたすら阿弥陀仏に帰依する意味の
念仏を唱えて阿弥陀仏にすがるのも1つの方法だ。その方法の解釈や方針も長い時の流れで変遷して、場合によっては分流するのは仏教の教義から
見れば不問に付すべきことだろう。
 変遷の中には曲解や歪曲も出てくる。親鸞聖人の教えが誤って流布されていることを嘆き、要点を抽出した歎異抄という書物も出来た。「念仏を唱えて
阿弥陀仏にすがれば悪人でも極楽浄土にいける」と説いたが、悪人の意味を曲解するとカルトそのものになる。浄土真宗での悪人は漁民や狩人など、殺生を
することで生活する人達のことだ。それまでの仏教では不殺生を説く立場からそういった人達は仏教による救済の対象から外されていた。だが、実際に
人間が生きていく中では肉や魚は不可欠だ。人々の生活を支えて自分達の生活も営んでいるのに、仏教の教えに反しているからと救済の対象外にするのは
考えてみれば変な話だ。浄土真宗ではそのような人達も念仏を唱えて阿弥陀仏にすがることで救われると説いた。「悪人正機」というやつだ。ところが、これを
文章だけそのまま読めば、念仏を唱えながら包丁を振りかざして人を追い回して殺しても極楽浄土にいけると解釈される危険がある。
 何処の世界にも文章の中身を理解せずに文面だけ取り上げて大騒ぎする連中が居る。ついこの前もノストラダムスの「諸世紀」に書かれた「恐怖の大王」が
降臨して世界は滅亡するとか日本中が大騒ぎしていた。俺が小さい頃からその話はあったが、未だに「恐怖の大王」なんてものは降りてこない。「恐怖の
大王」の意味するところは太陽活動の異常とか全世界的な異常気象による大飢饉や世界大戦とかめまぐるしく変わっている。
 「諸世紀」自体が当時の科学技術や歴史に精通した占星術師の、今で言うなら「○○することで未来が分かる」といった類の書籍と、キリスト教圏ならではの
黙示文学−カルト宗教がよく題材にするヨハネの黙示録と同じで幻覚や幻視を一人称で語る文学の融合だ。そういった書籍ですら解釈の仕方で黒点の大量
発生や海面の異常上昇になるんだから、宗教の開祖が説いた教義も使用者や読み手の都合でとんでもない解釈がなされる危険は十分ある。

「真宗とはあまり関係ないですけど、大学で時々カルト宗教に対する注意喚起がなされますよね。」
「ああ。掲示板に時々貼り出されてるな。」
「本来人の心を救う教義が、人の心を操ってお金儲けや犯罪の走狗にさせていることを知ったら、どう思うでしょうね。」

 カルト宗教は様々な宗教を題材にするが、特に「もうすぐ世界は滅びる」という終末思想を得意にする。キリスト教とイスラム教の教義の根幹は「今は苦しく
厳しくとも最後は神の教えが勝利して信仰者は天国にいける」という意味の終末思想だが、カルト宗教はその思想における神を教祖や教団に巧みに置き
換える。更に複数の宗教のエッセンスを都合よく混合して、教祖や教団こそ救世主という世界観を構築する。その世界観が成立するためには現在の世界や
社会システムは邪魔でしかないから「もうすぐ世界は滅びる」と説くし、そうなるものと考え行動して憚らない。
 カルト宗教の定番として、教祖や教団の製品や出版物を言い値で買わせることがある。「これを買わないと地獄に落ちる」といった強迫観念もセットだ。原価
不明の何十万何百万の品を買ったり、主に教祖の著書を買わないと救わない神とは、随分スケールの小さい神だと思う。だが、そんなちっぽけな神≒教祖の
ために活動することが修行と思い込み、大学に来なくなったり家にも居なくなったりする学生が後を絶たないのも事実だ。
 そういった学生だけでなく、多くの人がどれだけ宗教を理解しているか疑問だ。「あんなカルトに引っかかるなんて」と嘆いたり嘲笑するのは簡単だ。しかし、
「あんなカルト」ごときに高学歴の学生や有名企業の社会人がとりこになったり、海外のテロリストや諜報機関のような無差別殺人や凶悪犯罪を引き起こす
ことをろくに止められない。カルト宗教のとりこになった人を説得するにしても−一般に議論すべきでないと言われているが−、カルト宗教の終末思想と題材に
されるキリスト教あたりの終末思想の違いを正確に説明出来るだろうか?カルト宗教に取り込まれる前に、その終末思想はキリスト教の終末思想と異なるとか、
ヨハネの黙示録はキリスト教圏の文学の一形態であって預言書と違うと知っていれば、「あんなカルト」に取り込まれる人は随分少なくなるんじゃないだろうか。

「教義そのものが利用されているわけじゃないにしても、良い気分はしないだろうな。」
「カルト宗教の教祖や幹部の人達は、こういう場所に来ても自分達の都合で体良く継ぎ接ぎした教義や世界観こそが正しいとか言えるんでしょうか。」
「意外に言えると思う。そうでなかったら、カルト宗教の教祖や幹部はやってられないだろう。」

 「祖先の祟りがある」「これを買わなかったら地獄に落ちる」あたりの常套文句は勿論、高額なことに躊躇すると「信心が足りない」と迫るのもカルト宗教関係で
よく聞く話だ。金を出すことに躊躇すると救わない神や教祖の方がセコイと思うし、信心や「お金じゃない」に摩り替えるあたり、その神や教祖が求めるのは
人々の救いじゃなくて金だということがよく分かる。
 そんな手を使ってでも金をかき集めて、宮殿や要塞のような巨大で豪華な建物を彼方此方に建てる教祖や教団だから、自身の強欲さを信心に摩り替える
出鱈目さを差し置いて我こそは神であり我の教義こそ真理と説くことは平気で出来るだろう。それくらいの厚かましさがないと、人の弱さに付け込んで金銭を
毟り取る強欲さに変換出来ない。

「人の心を救うのが目的じゃなくて、人が持つ金を根こそぎ奪って更に他人から奪う道具にするのが、カルト宗教の目的だからな。」
「やっぱりそうなんでしょうね・・・。」
「何か引っかかってるのか?」
「ええ。・・・同じ学科の子がカルト宗教にとらわれて大学に来なくなったんです。」

 カルト宗教の被害者−捕囚者と言うべきか−が割と身近なところに居たとは。だからカルト宗教について考えを巡らせていたのか。

「その子とは、入学した頃からそこそこ付き合いがあったんです。単身出て来て大学に通っているところが共通していて。ですけど、3年になったあたりから
顔つきや目つきが変わっていっておかしいなと思っていたら、伝道と称して教祖の著作を売り込むようになって・・・。学科や学部で噂が広まった3年の中頃
あたりから大学にだんだん来なくなって・・・。」
「・・・。」
「乱れた世の中は間もなく滅亡して、人間は最後の審判を受ける。その時キリストやアラーを超越する宇宙の絶対神の指名を受けた教祖の教えに従えば、
絶対神が居る天国の最上階に行ける。・・・そんなことを繰り返していたその子の顔つきや目つきには、入学した頃の純朴さは全然なくて血走っていて・・・。
教祖の教えを一刻も早く広める伝道のためには休んでいる暇はないとも言ってましたから、ろくに休まずに布教してるんだろうと思って・・・。」
「きっかけとかは知ってるのか?」
「直接の原因は知りませんけど・・・、単身出て来て寂しいと言っていたことがありましたから、偽装サークルかバイト先あたりで接近されてとらわれたんじゃ
ないかと思います。」

 入学時の学科でのオリエンテーションでいくつかの資料が配布された。その中にはカルト宗教と過激派についての注意喚起があった。過激派はさすがに
安保闘争の時のような構内封鎖とか派手なことはしない。大学のところどころにスローガンを並べた立て看板を立てて存在をアピールするくらいだ。それでも
たまに取り込まれて講義に出なくなる学生が出るらしく、カルト宗教と並んで注意喚起の対象となっている。注意点の中で要注意の学生の境遇や性格として、
親戚や友人が居ない単身の学生生活があった。過激派もカルト宗教も、単身で生活を始めた学生を取り込みやすい対象として標的にする傾向があるそうだ。
 その理由はやはり寂しさ。小中学校は基本的に一定範囲の居住地で決められる学区単位だから、友人との交流が続きやすい。高校ではかなり分かれるが、
似たもの同士が集まりやすい性質上か高校の中で新たな交流が作れる環境がある。大学には交流を作る環境があまりない。サークルやクラブに入れば
交流の環境はあるが、高校までと違ってクラスは同期の学科を集めただけの形而上のものだから、意識しないと交流が作れない。講義の選択幅も一般教養
では広いから、1人を貫くことも可能だが独りに陥りやすいとも言える。
 ある意味誰もが転入生の状態から始まる大学生活。実家通学だと帰宅すれば家族が居るが、単身だと誰も知り合いが居ないことも珍しくない。誰とも話を
しない大学と誰も居ない家との往復は、心に大きな隙間を作りやすい。その隙間から過激派やカルト宗教が友好を装って入り込み、心を占拠する。

「私も単身出て来てきて、裕司さんと出逢うまでは殆ど1人でした。裕司さんと出逢ったことでお店でバイトをさせてもらえて、色々なことを体験出来るように
なりました。その子にはそれがなかった・・・。」
「・・・。」
「私が脱会するように説得出来るとは思えませんけど、私も裕司さんと出逢わなかったら、そうなっていたかもしれませんから、対岸の火事とは思えなくて・・・。」

 晶子は仲の良かった兄さんと離されたことで前の大学を辞め、単身新京市に移り住んで新京大学に入り直した。その後俺と出逢うまで誰ともあまり交流を
持たずにひっそりと暮らしていた。意識的にそうしていたとは言え、心の何処かで寂しさを感じる時はあっただろう。
 俺も単身移り住んできたが、晶子と出逢う前まで宮城と付き合っていた。入学間もない頃から今のバイトを始めていたし、智一と時々飲みに行っていた。
だから家と大学との往復じゃなかったし、孤独を感じたことはなかった。それでも、宮城との破局前2ヶ月ほど前はかなり悩んでいた。今思えば俺かバイト先で
知り合ったという「身近な存在」のどっちを選ぶか迷っていた、まさしく「悲劇のヒロイン病」の真っ盛りの宮城に振り回されていたんだが、そこを相談に乗るとか
言われて過激派やカルト宗教に付け入られる隙がなかったとは言い切れない。

「こういう時、騙される方が悪いっていう論は必ずあるけど、心の隙に入り込んで支配する方が悪いに決まってる。騙された方が悪いんじゃなくて弱い。弱い
ことは悪いことと等価じゃない。」
「そう・・・ですよね。」
「金をかき集めることに奔走することが信心を量るバロメータじゃないと分かる時が来ると思うしかないな。説得は通じないのがカルト宗教の常だ。」

 教団によっては説得に対するマニュアルがあるらしいし、金を集める道具を潰す向きには敏感だから、口と知恵が長けている幹部を差し向けてくる場合も
ある。説得するつもりが教化されて取り込まれる危険もあるから、説得を試みようとしないようにと入学時の配布資料にも書かれていた。
 宗教が広まる背景には色々あるが、伝統宗教にしてもカルト宗教にしても心の隙間を埋めて満たす要素が大きいように思う。「今は苦しく厳しくとも神の
教えが勝利する」とするキリスト教やイスラム教では、死刑を含む弾圧に晒されても神の教えに忠実に生きて、最後の審判の後に永遠の命を得るという希望と
なった。
 科学技術が発展しても、心の隙間は誰にでも必ず存在する。人間関係の希薄化なんてよく言われていることだし、その分孤独を感じる機会は生じやすい。
カルト宗教が単身で新生活を始めた学生や社会人に接近して取り込む傾向が強いのは、心の隙間を満たせると装うことに長けているからだ。カルト宗教の
走狗にされた人は、脱会するまでは幸福感や充実感を感じているとも聞く。金策に走って家族や友人を失ったり、布教や伝道に行く先の圧倒的多数で冷たく
拒否されても、教義のために活動する仲間が居ることで安心だったし、その期間は充実していたと回想する向きは多い。
 その点からすると、カルト宗教はその人の心を満たして充実させていたことには違いない。すること(させること)が脅して騙して金をかき集めることだったり
犯罪だったりするが、寂しかったり深い悩みを抱えていたりしても誰にも頼れなかったその人を一時的にでも救ったのは事実として捉えるべきだろう。救って
いるのではなく騙しているだけという批判はある。だが、脱会して冷静と言われる状態になっても尚、あの時代は仲間が居たし充実していたと語る人が
少なからず居るのは、方針が間違っていても一時的でもその人を救っていたと言えないだろうか。

「もし、卒業までに顔を見せるようになったら、『おかえり』って言って迎えてやると良い。カルト宗教に囚われていた時代のことは何も言わずに。」
「・・・。」
「その時代をどう見るか、どう総括するかは本人にしか出来ないことだし、本人は決別しようと内心で葛藤しているのかもしれない。カルトから脱して戻ったのに
待っていたのは批判や責めの言葉だけだったら、カルトに戻った方がましだということにもなりかねない。」
「ええ。そうします。」

 大学に顔を出さなくなった相手を追いかけて説得を試みるのは、ミイラ取りがミイラになる事態になる危険が高いから到底勧められない。だから、待つしか
ない。それが晶子の卒業に間に合うかどうかは分からないが、戻ってきたことに批判や責めを向けるんじゃなく、「おかえり」と言って迎えられれば良い。
 カルト宗教の捕獲の罠は身近にある。普段はそれと接する機会がないか向こうから接してきても拒否出来ているだけで、何時その罠にかかってしまうか
分からない。カルト宗教に囚われて姿を消してしまった人が意外に身近に居ることを「関係ない」と一笑するか他山の石とするかが、「自分は大丈夫」というよく
言われる落とし穴を避けられるかの分岐点になるかもしれない。
 阿弥陀堂を出て御影堂を拝観した後、時計回りに境内を回る。まだ雨は降り続いている。南東端の壁といくつかの建物に囲まれたエリアに到着。此処の
門は閉ざされていて入れないようだ。

「此処は飛雲閣というそうです。金閣銀閣と共に京都三名閣と称されている国宝の1つです。」
「入れないようだな。」
「建物全体が国宝なのもあってか、原則非公開だそうです。」

 重要文化財の御影堂と阿弥陀堂は公開されていたが、国宝となるとそう簡単に部外者を入れるわけにはいかないか。晶子が見せる観光案内には外観と
内部の写真が掲載されているが、期間限定での公開時期に照準を当てて撮影に走ったんだろうか。こういう場所に強引に中に入ろうとすれば多分警察沙汰
だろう。そこまでして入ろうとは思わない。次を回ろう。静かに降る雨の中に佇む一角を後にする。来たの壁沿いに歩いていくと、柵に囲まれた豪華絢爛な
門が見えてくる。

「あの門も国宝の1つで唐門というものです。」
「何だか随分豪華な作りだな。」
「この門は、向かいにある書院への正門にあたるそうです。御影堂門や阿弥陀堂門がそれぞれの堂の正面にあったのと同じです。」

 晶子が広げる観光案内の西本願寺の見取り図を見る。なるほど、東にある阿弥陀堂門と御影堂門からまっすぐ進んだところに阿弥陀堂と御影堂があるのは
勿論、南にある目の前の唐門からまっすぐ進んだところに広大な建物、書院がある。こう見ると、門から対応する建物まで直線で結ぶのが1つの美なのかも
しれない。京都の源流となった平安京も朱雀門とかから直線に進んだ先に朝廷の建物が位置していたと思うし、利便性も兼ねた様式美なんだろうかと思う。

「書院も国宝で、飛雲閣と同じく非公開だそうです。」
「まさしく国宝の塊だな。鎌倉・室町あたりからの歴史があるだけのことはあるというか。」
「さらに、この先は突き当たりまでが拝観可能な場所のようです。書院の北側にある百華園には、阿弥陀堂の北側から回り込まないと行けないようになっている
みたいです。」

 再び見取り図を見る。俺と晶子が居る唐門から西に直進して突き当りを北に向かうと百華園に出られるが、その道には進入禁止の標識が記載されている。
境内北の北小路通も進入禁止の標識と共に車両進入禁止と書かれているから、一般拝観者の進入禁止と見て良いだろう。

「しかしまた、何でこんなところを進入禁止に・・・。」
「多分ですけど、この建物の性質のせいじゃないかと。」

 晶子が指差した書院隣の建物は「本願寺中央幼稚園」とある。物騒と言われる昨今の世情と、それに過敏になっている幼稚園と保護者を考えれば、
幼稚園に接する狭い道を一般拝観者進入禁止として、危険を未然に排除する方策を採らざるを得ないんだろう。

「幼稚園があるのか。」
「最近の事情が事情ですからね。」

 物騒と言われるのは凶悪事件が一斉且つ大量に報道されることによる印象の側面が大きい。実際、凶悪犯罪は確実に減少している。だが、物騒と喧伝
されることによって自らを守れない幼児を抱える保護者は周囲の動向に敏感になる。更に、話し合いや相互理解のプロセスをすっ飛ばしていきなり訴訟
沙汰にする傾向が強まっている。ある種「訴えれば勝ち」という厄介な状況は、気に入らない対象を陥れる口実にも悪用出来る。過失も悪意もないのに訴訟
沙汰になって評判を落とされると、生徒数が経営の重要要素である私立学校だと致命的になりかねない。そうなると、訴訟沙汰になる前に訴訟を引き起こす
要因を事前に排除する。過剰なまでの安全措置もその1つだが−安全装置を加えたり厳重にすればするほどコスト増になるのは必然−、学校だと教師と
生徒と保護者以外は寄せ付けないようにする。
 部外者を寄せ付けなければ部外者によるトラブルの危険性はかなり低減出来る。だが、部外者としては最初から問答無用にトラブル要因とされることには
良い気持ちはしない。トラブル要因としつつ、見守りや安全には配慮しろと求める向きには首を傾げざるを得ない。

「突き当たりの壁の向こうは龍谷大学の図書館です。」
「龍谷大学って、私立大学のあの?」
「ええ。漢字表記からしても間違いないかと。どうしてですか?」
「名前は十分知ってたが、西本願寺の系列だったことは知らなかったんだ。」
「そういうことですか。裕司さんにも知らないことはあるんですね。」
「そりゃあるさ。」

 龍谷大学の名前はよく知っている。関西で有数の大規模な大学だし、高校からの合格者一覧の中にも結構な数を伴って登場していたのを憶えている。
だが、志望大学が俺の場合は国公立大学のみだったし、私立は記念受験か練習でしかなかったから、所在地まで知らなかったり調べてなかったりする
大学は多い。先に行った龍安寺の近くに立命館大学があるのを知って驚いたくらいだ。

「南の北小路通りを挟んだ向かい側が、龍谷大学の大宮学舎だそうです。」
「京都駅から徒歩圏内だから、通学は便利そうだな。」

 新京大学は最寄り駅から徒歩が基本だ。バスも出ているが駅からの距離はバスを使うほどじゃない。弟の修之が合格して選択候補にしている小宮栄大学と
麻生大学も駅から近いところにある。通勤もそうだが、駅から近いことは何かと便利だ。学生だと定期が割安で買えるが交通費は結構かさむからな。
 京都は観光の町というイメージがあるが、今まで巡った先で見かけた限りでも住宅が戸建からマンション、アパートまで多数あった。人口100万を超える日本
有数の大都市だから、その人達が住む場所がないとおかしいが、寺社仏閣のイメージが強すぎて住宅は郊外に集中しているという先入観が出来ていた。
 この旅行でも多用しているバス路線が市内を網羅している。複数のバス路線が接続する大きなバスターミナルがあって、1つのバス路線が大きな迂回経路を
辿ったりと複雑なコースは新京市では見られない。一方、地下鉄はそれほど彼方此方走っていない。地下を掘り進んだら遺跡が出てきそうな場所柄という
のもあるんだろうが、烏丸御池を中心に東西南北に十字を描くくらいだ。他には京都駅からJR線と若干の私鉄が出ているような感じだから、市内の移動は
バスが基本と見て良さそうだ。バス路線の接続や経路を把握するのが大変だろうが慣れの問題だろう。

「私が最初の家を選んだ時、大学に近いところにしようかと思ったこともあるんですよ。」

 晶子が自分のことを語り始める。今まで殆ど話すことがなかったのに、少しずつでも過去を話して俺との共有を模索しているんだろうか。何もかも知ろうとは
思わないが−前の恋愛のことはあまり知りたくないのは性か−、「こういうこともあったのか」と思えるレベルの過去は共有出来るようにしていきたいと俺も思う。

「ですけど、ワンルーム主体であまりキッチン周りが良くなかったんです。自炊することは決めてましたから、出来るだけキッチン回りがしっかりしていて治安の
良さそうな場所をと探していたら、最初の家に行き着いたんです。」
「あれだけ料理をすると、まな板も満足に置けないような家だときついだろうな。」
「その点でも、祐司さんの家は住みやすいですよね。」
「台所は晶子のおかげで息を吹き返したんだがな。」

 俺は思わず苦笑い。俺の家はコンロの数こそ晶子の家−最初の家と表現するあたりに晶子の意思を感じる−と同じで2つだが、基本単身者向けの割に
火力がそこそこ強い。料理によっては強い火力で一気に作った方が美味く出来るものがあるらしく、晶子は使い勝手が良いと言ったことがある。その台所も、
俺が一人暮らし開始から半年持たずに自炊を放棄したことで眠りについていた。晶子が家に来る機会が増えてやがて住み着くようになって、せいぜい湯を
沸かすくらいしか用途がなかった台所の使用頻度が大幅に上昇した。台所の広さは勿論コンロの火力も収納の広さも使われてこそのものだから、今や台所の
主と言えるほど台所を使い込んでいる晶子にはその意味でも感謝だ。

「祐司さんは、今の家をどうやって見つけたんですか?」
「運が良かった、の一言に尽きる。」

 俺は経緯を順に説明していく。進学が決まって通学の往復時間と大学のレベル−仕送りをしても良いと言える大学でなければ自宅通学しろというのも条件
だった−を勘案して、一人暮らしが出来ることになった。何処で暮らすか考えて、まず大学最寄り駅の新京市駅近くを考えたが、埋まっているか家賃が
高いかで断念するしかなかった。
 続いて急行停車駅付近で探すことにした。調べたら胡桃町駅が該当したからその近辺で物件がないかと不動産屋を探した。駅前の繁華街側−家がある
住宅街の駅を挟んだ反対側に小ぢんまりした不動産屋を見つけて入り、物件を調べてもらったら、偶然空いて間もなかったという今の家を知って見に行き、
家賃と環境の両立が素人目にも際立っていたから即決した。

「−こんな流れ。」
「凄い偶然と幸運ですね。」
「俺もそう思う。」

 駅まで徒歩圏内−10分くらいを目安にしていた−。コンビニや本屋が近い。合計8畳以上くらいの広さで南向き。これらの主な条件を完全に満たして、事故
物件でもないのに家賃も安めとくれば、空きが出来てもすぐ埋まるのが賃貸物件の宿命だ。その僅かな隙間に出くわすのは運の要素がかなり大きい。
 「不動産も生ものだ」と言われる。人気のある物件は空けば短時間で埋まるし、コストパフォーマンスの高い物件ほど人気が高い。流動要素が大きいから
広告を見て不動産屋を訪ねても成約済みということもままある。物件は色々なタイプがある。家の形状や建築方法ではアパート、コーポ、マンション、戸建。
想定している入居者は学生か単身の社会人か家族。それらと所在地、間取りなどの条件が複雑に組み合わさるから、最適解を探すのは容易じゃない。そこに
不動産の流動要素が加わるから、余計に難しくなる。1人なら自分が満足出来れば良いし、不満があっても妥協か我慢でやり過ごせる。だが、2人になるとどう
だろう。どうしても今の環境と比較してしまうから、俺が良くても晶子が不満だったり、逆に晶子が満足しても俺が不満だったりして決まらない可能性もある。
何処かで共通の落としどころを見つけておいた方が良いだろう。
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