雨上がりの午後

Chapter 269 東本願寺を巡って思う現在と未来

written by Moonstone

 俺と晶子は龍安寺を出る。雨は粒と勢いをそのままに静かに降り注ぎ続けている。早速仲居から借り受けた傘が役に立つ時が来たな。

「入って。」
「はい。お願いします。」

 晶子は俺が開いた傘の下に入る。傘は普段使っているものより一回りほど大きい。1人だと大き過ぎるかもしれない。仲居は俺と晶子が2人で使う、すなわち
相合傘を前提に宿にある中で最大の傘を選んだのかもしれない。普通の傘でも相合傘は出来るが雨の向きが変わると簡単に外側が濡れるからな。
 晶子が傘をさしている俺の左腕に左手を回したところで歩き始める。昨日までの行動から、晶子は俺と手を繋ぐか腕を組むかすると思っている。今は傘で
左手がふさがっているから腕に手を回す。隣接する側の右手でなくて左手なのは指輪が見えるから。昨日の相生神社の経験を踏まえてのものだろう。
 龍安寺への往路を辿ってバス停に向かう。車はそこそこ通るが、人影は少ない。雨だとこれだけ観光客が少なくなるんだろうか?もうすぐ訪れる桜の開花の
ような本格的な観光シーズンだと大荒れでもならない限り観光を決行するだろうが、オフシーズンだと予定を取り止めたり繰り延べたりする選択肢を選び
やすいのかもしれない。
 バス停も人は少ない。偶然にも俺と晶子が列の先頭になったが、後ろはカメラやガイドブックとかを持っていないところからして地元の人らしい。少し待って
やってきたバスの路線番号を確認。地下鉄烏丸線に乗り継ぐために向かう北大路バスターミナルに通じるものだと確認して、停車したバスに乗り込む準備を
する。先に晶子を乗せる。その方が俺も晶子も濡れにくい。晶子は俺に一礼して先に乗り込む。俺は傘を素早くたたんでバスに乗り込む。後ろの方の2人
掛けの座席に並んで座る。

「さっきのは、レディファーストの実行なんですか?」
「先に晶子を乗せたことか?結果的にそうなったな。」
「その方が良いです。」

 乗り物や店に先に女性を入れるのはレディファーストの一環だ。だが、俺は2人が極力濡れない方策として晶子を先に乗せたに過ぎない。俺自身レディ
ファーストはどうでも良いと思ってる。女性をもてなすことに徹することと男女平等とは両立しないと思うからだ。晶子も俺と同じ方向性の理由でそう思って
いる。効率的でスマートな方策を臨機応変に取れば良くて、いちいち女性を先に入れて男性がそれに続くことを踏まえないと女性をレディ扱いしない、女性の
扱いに慣れていないと不満をぶちまける、腐った女性優遇主義に順応するつもりはない。
 俺がレディファーストについて強く思うのは、レディファーストを言うならそれに該当するレディであれということだ。レディ=女性じゃない。品があって体力や
腕力で全体的に男性より低い−低いことを劣ると一律に結びつけるのもおかしい−ことが弱点になる場合保護すべき女性だ。レディと呼べる女性は年代
問わず実に少ない。他人、特に背が高くて美形の男性以外の男性の粗探しをして貶し、男性から自分達の言動の問題を少しでも批判されるとヒステリックに
わめき散らすか、陰で更に貶して場合によっては陰湿に報復する女は多い。自分の都合で保護される立場と権利を主張し行使する立場を使い分ける女と
ほぼ重なる。
 京都に来てから、レディと称するに値しない女には何度か出くわした。人間が多くなれば気に入る気に入らない、好き嫌いは当然出て来る。気に入ら
なかったり嫌いな場合は、日常生活を送るのに支障がなければ係わらなければ良い。だが、レディに値しない女ほど本人が聞こえるように笑ったり悪口を
言ったりする。相手が傷ついて抗議してきたら、怖い気持ち悪いと金切り声をあげて安全圏まで逃げ出す腹積もりだ。小中学生あたりと何も変わらない意識
レベル−知能レベルと言っても良い−だから、相手から反撃されるのは予想外だし、反撃されることには過敏で非常に不慣れだ。だから、清水寺では晶子の
一撃に何も言えずに周囲の失笑を買い、相生神社では俺の一撃に絶句して身体を震わせた。
 晶子の表現を借りると、化粧を剥いだら表を歩けないような顔で他人の容姿を貶せば、相応の反撃を受けても文句は言えない。俺や晶子だから言い
返されるだけで済んだが、暴力の行使を厭わない相手だったら犯されたり殺されたりする可能性も十分ある。その手の女達は、男性が手出ししてこないと
見くびっているとも言える。だから、男性からの反撃が予想出来ず、反撃を受けると混乱してよりヒステリックになるんだろう。意識レベルが小中学校のままの
女達の言うことは、信用するに値しない。
 バスは雨の中を走っていく。バスの中もそれほど人は居ない。観光で移動は常時タクシーを使うとは考えにくい。タクシー移動と縁がない生活をしているから
そう思うのかもしれないが、昨日までの人手からすると、この少なさは不思議でならない。
 途中「金閣寺前」というアナウンスが流れて、今更つい3日前にめぐみちゃんを連れて此処に来たことを思い出す。観光案内を見ると、金閣寺前を経由する
路線は2本ある。あの時はどちらを使ったか憶えていないが、バスに乗って移動したことは確かだ。
 千本北大路というバス停で降りる。此処から北大路バスターミナル行きあるいは方面のバスに乗車する。相変わらず降り続ける雨の中、車は東西南北
それぞれで結構な数が走っている。路線は把握出来ても時刻までは把握出来ていないから、バスが来るのを待つしかない。バスを乗り継ぐことは、普段の
生活ではない。自宅から大学までは電車と徒歩の組み合わせだし、生活面は自宅から徒歩圏内で完結する。偶然とは言え−不動産屋で物件を探して
決めるまでその辺の優先順位はかなり低かった−便利なところに住んでいると思う。
 京都にはJRや私鉄各線が複数乗り入れているし、新幹線もある。だが、市内全域を循環出来る鉄道路線はない。場所が場所だけに地下を掘り進めると
遺跡が出て来て、その都度工事がストップしてしまって埒が明かないためだろうか。東京や大阪、それに小宮栄だと地下鉄が担うところを、京都はバスが
担っているようだ。
 バスがやって来た。観光案内の路線図で路線番号を確認。・・・これは乗っても大丈夫。北大路バスターミナルがある東に向かうバスならどれでも良いと
思ってしまうが、路線図をよく見ると一部は交差点で別の方向に行ってしまうものもある。
 今度のバスはそこそこ人が乗っている。さっきと同じく先に晶子を乗せてから傘をたたんで乗り込む。北大路バスターミナルは地下鉄の駅と重なっている
から、俺と晶子と同じようにバスから地下鉄を乗り継ぐ人も居るんだろう。特に地下鉄−烏丸線は京都の鉄道の心臓部ともいえる京都駅に通じている。南北の
移動時間を短縮するにはうってつけだ。
 何度か停留所以外の停車も含めて、バスは北大路バスターミナルに到着する。此処は駅前にあるような、大きな周回軌道に停留所が点在するタイプじゃ
なくて、身近な例だと小宮栄のバスターミナルと同じで建物の中で階層構造を形成している。都市部という限られたスペースで此処を拠点に複数のバス
路線に分岐したり折返し運転をしたりするから、必然的にこういう構造になる。行列の後部に加わってバスを降りる。ちなみに晶子が先で俺が後。自称レディが
期待するレディファーストではなく、晶子の保護のためだ。
 混雑した交通機関の中では痴漢の危険が付きまとう。痴漢の心理はいまいち分からないが、晶子に言わせると「派手なタイプより地味なタイプ」「痴漢だと
大騒ぎ出来そうなタイプより声を出せなさそうな大人しいタイプ」が標的にされやすいそうだ。晶子にはかなり早い時期から俺と乗車する機会が多かった
せいか、痴漢にあったことはない。だが、それはかなり幸運な事例だろう。晶子が挙げた見解と照合してみると、ことごとく一致する。その上、触りたくなる身体
でもある。痴漢が標的にしないとは思えない。痴漢が手を出しやすい角度は、視界が届かない後方だ。それを俺が塞いでいると分かれば痴漢が手を出し
にくいのもさることながら、晶子は安心出来る。後ろを保護されると安心出来るのは、一昨日に偶然始めた背後からの抱きつきでも立証済みだ。
 料金は2日間有効の乗り放題パスがあるから問題なし。バスターミナルの中は大型車特有の排ガスの匂いがする。降り立って地下鉄の駅に向かう今でも
ひっきりなしにバスが出入りしているから、排ガスが換気し切れずに染み込んでいるように思う。

 地下に降りていくと自動改札が見えてくる。切符を購入して改札を通り、京都方面のホームで待つ。ホームは昨日までと比べるとやはり人数は少ない。
平日の通勤通学ラッシュが過ぎた時間帯なのもあるんだろうが、これだけ分かりやすいとやはり特異に感じる。
 少し待つと電車がホームに雪崩れ込んで来る。大都市の地下鉄だけあって待ち時間はあまり考えなくて良い。やはり空いている車内の一角に並んで座り、
観光案内を広げてこの先の道のりを確認するついでに東西本願寺の概要を眺めてみる。京都駅から程近い場所に東西の本願寺はある。堀川通りという
南北の大通りを挟んで西側が本願寺派、東側が大谷派のどちらも浄土真宗の本山だ。異なる宗派の本山が道を挟んだ至近距離で何事もなく並存している
のは、日本らしい光景だろう。キリスト教やイスラム教だとこうはいくまい。日本らしさの反映と言おうか、東西どちらから拝観しなければならないとか、逆に
片方を拝観したからもう片方は同日には拝観出来ないということはないようだ。考えてみれば、日本の伝統宗教で異なる宗派や宗教の間で拝観に制限がある
例は未だに聞いたことがない。
 西側の本願寺、西本願寺は歴史好き−この場合は登場人物やその交錯に興味を持つ場合を指す−には馴染み深いであろう、幕末の京都における治安
組織、新撰組の本拠地でもあったところだ。新撰組が登場するあたりは300年余り続いた江戸幕府の終焉が近づき、後の明治政府の中核をなす薩摩・長州
などの尊皇派が隆盛し、改革者を自称する輩が威光を借りたがる坂本竜馬を含む海援隊や勝海舟も登場したりと、それまでの江戸幕府中心の世界観を
脱する激動の時代だから、興味がわくのも無理はない。
 何度かの停車で人の乗り降りがあって、京都駅に近づくにつれて人が多くなってきた。通勤通学ラッシュが終わってもそれで社会人や学生が完全に「収容」
されるわけじゃない。学生だと遅い時間からの講義開始もあるし、社会人だと外回りや出張に出ることもある。社会人だと職業や業務内容によっては出勤して
からの移動が主体ということもある。
 京都駅で下車して、ホームから外に出る。雨は相変わらず降り続けている。地下鉄を乗っている間に止んでいることを少しばかり期待していたが、そんなに
都合よく話は進まないな。

「此処からは・・・、さてどうするか。」

 京都駅から徒歩かバスで移動するとは決めていたが、詳細は詰めていない。観光案内の路線図を見ると、さすがに大都市の中心部の駅と言おうか、多数の
路線が集中している。東西の本願寺までにも複数の路線が伸びているが、限られた大きさの紙面に凝縮された路線図から読み取るのはちょっと大変だ。
東西の本願寺のどちらから拝観するかで路線の選択肢は数も変わってくる。東西の本願寺は堀川通りをはさんでいるのは間違いないが、もう1本南北の
通りをはさんでいる。選択肢は増える分路線図から読み解く難度は上がる。

「いっそ歩きませんか?」

 何時の間にか観光案内を覗き込んでいた晶子が提案する。

「路線図で見ると、宿から京都御苑や平安神宮あたりまでの距離と同じか短いくらいですし、私は十分歩けますよ。」
「歩いた方が早そうだな。歩くか。」

 晶子は頷いて同意する。歩くのは普段の生活で慣れている。特に2人で居る時間が増えるにつれて、2人同時に移動出来る手段を持たない−自転車でも
不可能じゃないが自信はない−から徒歩での移動が殆どになる。現に、買い物ももっぱら徒歩だ。雨が降れば大抵俺が傘を差す。そう、今日のように。
だが、車での移動が選択肢にない生活をしていて良かったとさえ思う。徒歩は速度ではどの移動手段より遅いが、かなり小回りが利く。車が入れないような
狭い路地でも入れるし、駐車場の心配をしなくて良い。
 それに智一が言うには、車の利便性はある種麻薬的らしい。人間は便利なことに馴染むとそこから脱却するのは至難だ。車は本当に必要になる時
−たとえば子どもが出来た時まで持たない方が良いように思う。それは龍安寺のつくばいにもあった「足るを知る」の精神に繋がる。不便に慣れておくことは、
なくて不満に思うことを少なくする。2人で本格的に生活をしていく上で、足りないと不満を抱くより今あるものを最大限活用することに軸足を置く方が良い。

「どちらから拝観するかだな。」
「京都駅に近い方からということで、東本願寺からはどうですか?」
「それで良いな。観光案内で誘導してくれ。」
「はい。」

 俺は晶子に観光案内を渡して傘を広げ、晶子を中に入れる。晶子の案内にしたがって、京都駅から烏丸通を北進する。ちょうど、地下鉄の上側を反対
方向に移動する形だ。
 七条通りを縦断して程なく、左手側に長い壁と仏閣が見えてくる。これが東本願寺か。さすがに一宗派の本山という感じだ。南側に入り口−正門とかそういう
ものがあると思っていたが、烏丸通に面した門である阿弥陀堂門か御影堂門かのどちらかから入れば良いらしい。
 イラスト風の俯瞰図から正門に相当するような気がする御影堂門から境内に入る。京都駅に程近い立地とは思えない広大な平地が広がり、正面奥に巨大な
建造物が鎮座している。あれが真宗開祖の親鸞聖人のご真影を安置している御影堂で、その向かって左側の、御影堂よりやや小ぶりとは言え巨大なことには
変わりない建物が、阿弥陀如来を安置している阿弥陀堂とある。

「大きな建物ですねー。」

 晶子が感嘆の声を上げる。

「清水寺や平安神宮も大きな建物でしたけど、此処は更に大きく感じますね。」
「こんな大きな建物が市街中心部の駅近くにあるなんてな。」

 最寄の大都市−政令指定都市とする−小宮栄にはおおむね区の単位で大きな公園があるが、寺社仏閣は住宅や高層ビルの間に埋もれている。京都駅に
相当する中心部の駅である小宮栄駅周辺は、高層ビルとそれと張り合うように高層マンションが林立している。緩衝地帯の役目は住宅じゃなくて月極か
有料の駐車場が担っている。
 オフィスビルとそこに勤務する社会人を集積するために再開発を推し進めている小宮栄と、多数の有名な寺社仏閣と町並みの調和や景観の維持を優先
する−確か建物の高さも条例で規制されている−京都を同一の次元で比較して優劣を判断するのはフェアじゃない。だが、寺社仏閣も建立すれば永遠に
存続すると決まるわけじゃない。歴史や周囲の衰退で土に返ったものも無数にあるだろう。龍安寺もそうだったが、今あるものの殆どは幾多の災厄の末に
残ったものだ。それらが大きな境内を伴って1つの都市に集積しているのは、京都の特徴と言って良い。

「正面の御影堂は正面が76m、42間で側面が58m、32間。高さが38m、21間とありますよ。」

 晶子が広げる観光案内の寸法図を見る。学校の50mプールが余裕で収まる縦横のサイズと、校舎くらいの高さか−よく知らないがそんなもんだろう−。50mと
一口で言うと小さく感じるが、走ったり泳いだりすればそれがかなりの長距離だと分かる。まさに一宗派の本山と言わんばかりだな。

「間(げん)っていうのは、三十三間堂の間と同じか?あっちはうろ覚えだがもっと長かったような気がする。」
「ちょっと待ってくださいね。」

 ふと湧いた疑問に、晶子が応えようと観光案内のページを探す。目次に戻って該当ページを探して、ページを先頭からパラパラと捲っていく。読書をして
いる晶子をよく見るせいか、ページを捲るのが巧みで様になっている。

「三十三間堂の『間』は建築用語で、お寺や神社を建築する際の柱間のこと、とあります。33個の柱間があるから三十三間堂というわけです。」
「呼称は同じで基準が違うのか。」
「そうですね。」

 測定の対象は同じで単位が違うことは、液体の量だとccだったりリットルだったりすることや、面積が平方メートルだったり坪だったりと色々ある。それに
日本は1つの漢字で音読みと訓読みがあって、それが複数あって文脈で読み方が違ったりすることがざらにある。その組み合わせみたいなもんだから
ややこしい。

「長さの単位のこの建物は、縦横76m×58mってことはおおよそ4500平方メートルか。ということは坪単位だと、およそ136坪。・・・広いな。」
「建物だけで100坪以上の民家って、住宅街だと間違いなく豪邸のレベルですからね。」

 トータルするとほぼ同じくらいの−違うのは設備と間取り−俺の家や晶子の家の坪数は憶えてないが、30平方メートルくらいだったと思う。俺の家は家賃と
急行停車駅が最寄で南向きという立地条件から掘り出し物だったんだが、30平方メートルは坪換算だと9坪程度だ。
1人だと十分な広さだし、今まで不自由や不満はなかった。だが、晶子との生活が今後本格化すると、30平方メートルに詰め込まれた生活空間はやはり
手狭だ。今広さに困らないのは、晶子が1週間単位で服を入れ替えに自宅と往復していることが大きい。まさか晶子にたんすを持たずに居ろというわけには
いかない。その他、もう一部屋あるとかなり生活空間が広がって便利になるだろう。倍は欲張りだとしても、50平方メートル、間取りだと2DKくらいあると良い。
 俺は大学で初めて一人暮らし−今は実質2人暮らしだが−をするから、他の地域の家賃の相場はよく知らない。だが、新京市でも都市部だと条件に
よっては7、8万円とか10万円の単位のものもある。これが数倍の人口規模を誇る小宮栄だと全体的な上昇は避けられないだろう。主に俺が何処に就職する
かによって住宅事情は大きく変わってくるだろう。安いところは掘り出し物を除けば立地や間取りには期待しない方が良い。だが、高ければ良いとは一概に
言えない。不動産は運の要素もかなりあると、今の家を探して住むようになって思うところだ。

「晶子が住みたい家のタイプってあるか?」
「私ですか?えっと・・・、洋風和風かでどちらかと言えば和風ですね。」
「典型的なヨーロッパ風の家より、瓦葺の屋根のある家が好みか。」
「はい。・・・将来のイメージですか?」
「ああ。本格的に2人で住むとなると今よりはスペースが必要だろうからな。」
「あればあったで良いとは思いますけど、今くらいのスペースでもやっていけますよ。」
「晶子の家にあるものを全部持ってくると、さすがに置けないぞ。」
「全部持ってこなければ良いんですよ。服や本は整理すれば棚やたんすは減らせますし、家電製品は1つで済みますから。」

 確かに、整理すれば減らせるだろう。家電製品は1つで良い。使わずにたんすや押入れの奥底に眠っているものも探せば結構出てくるもんだということは、
実家からの引越しの際に経験済みだ。だが、元々ものをあまり買わないタイプの晶子が減らせる余地のあるものはあるだろうか。

「今は裕司さんの家に私が何の準備もなしに住み込むようになったんですから、基本的に裕司さん1人分の空間のままなんです。整理すればスペースは
作れると思いますよ。」
「整理、か・・・。押入れの中とかその辺は、着ない服とかが結構そのままになってるかもしれないな。それで足りるか?」
「押入れも有効に使えば色々置けますよ。スペースを拡張したり新調したりしなくても、工夫すれば今の条件をもっと有効に使えるものです。」

 晶子の家は俺の家とさほど変わらない床面積だ。しかし、俺の家よりずっと広く感じる。それは物が少ないこともそうだし、空間を有効利用していることによる
ものだと思う。棚やたんすに入れるにしても、きちんと畳んだり並べたりして使えるスペースに最大限収納している。食器や料理器具あたりで、より顕著に
現れる。
 自炊を放棄した俺の家の台所下や茶箪笥は乱雑だった。晶子が収納用品を使って工事なしで台所下に収納スペースを作ったことで、溢れそうに思えた
料理器具は十分な余裕を持って収納された。茶箪笥も綺麗に整理されて、何処に何があるか一目瞭然になるに併せて取り出しやすくなった。
 本棚やたんすには俺の許可がない限り自分が手を出すべきではないと思っているらしく、俺が使うままになっている。そこに、晶子の家で実践されている
収納方法を適用すれば、実は使わないものあるいは不用品が出て来てすっきり片付く可能性は十分ある。

「結婚するから広い家に住んで、家具や家電製品を新調して、とかするのは、果たして必要なことなのかと思うんです。夢は膨らみますけど、それを実現する
だけの裏づけはあるのか、あれもこれもと考えていたら収拾がつかないんじゃないか、とも・・・。」
「・・・。」
「今の条件を最大限有効に使って、2人で協力して生活してお金を貯めて、余裕が出来たり子どもが出来たりしたら次の段階に進む。それで良いんです。1人
だと大変なことや出来ないことを出来るようにする形の1つが・・・結婚して夫婦になることなんですよね。」
「晶子・・・。」
「裕司さんとこの旅行に来て、・・・今朝の話を聞いて、私は自分の夢を膨らませるばかりじゃいけない、裕司さんの足手まといにならないよう自分の立場を
弁えて、幸せを大事に育んでいくことを考えよう。そういう思いを強くしています。」

 2人で協力することは、龍安寺のつくばいにあった「足るを知る」の精神が必要だ。一緒に生活するにしても、「他所の家庭は・・・」「あそこのご主人は・・・」と
常に周囲と比較して優劣や上下を競っていたら、満足することはまずないだろう。比較して競う方は自分が劣っていることに不満を持つのは兎も角、それを
聞かされて非難される側はたまったもんじゃない。仕事などで疲れているところに、どうでも良い−本当にどうでも良いことが殆ど−ことで他者との比較を
されて、更に自分は不満だから何とかしろと言われたんじゃ、やる気もなくなるし相手が嫌になっても仕方ない。
 この手の話は、圧倒的に女性がする。どういうわけか、男女平等が口喧しく言われて「夫婦はパートナー」などと言われる時代になっても続いている。それ
どころかより顕著になっているように思う。「彼氏がイケメンで金持ちで・・・」「旦那が一流企業勤めで高級取りで・・・」と、パートナーである筈の相手の特徴や
立場を我が事として誇り、それと自分のパートナーを比較して勝手に劣等感に苛まれて彼氏や夫を煽り立てる。実現出来ないと「甲斐性がない」と詰り、反論
すると「男のくせに」とまた詰る。大抵の男性は当事者や比較される側として大なり小なり経験していることだ。
 結局それらは、権利は求めて行使するのは当然でも、それに付随する義務や責任には弱者の立場になって逃れることが、男女平等の名の下に呼称1つ
でも異常な執着を示す女性側のご都合主義の塊であることを示すものなんじゃないだろうか。幸せにしてもらう権利があって、幸せの構築への尽力はしない
ことを、「悲劇のヒロイン病」の病理と言った渉の言葉が説得力を帯びている。

「パートナーの形にも夫婦のあり方の形にもそのカップルや夫婦に合ったものがあって、2人が合意しているなら、一言で言えば価値観の違いで周囲の批判を
退けることが可能なことの筈だ。そこに周囲との比較を根拠にした欲を持ち込むからおかしなことになるんだと思う。」
「本当にそのとおりですね・・・。」
「晶子は、俺と夫婦をしていくにあたって自分の立ち位置や姿勢とかがよく分かったみたいだから、周囲の非難に負けたり周囲との比較を持ち込まないように
することを念頭に置けば良い。」
「はい。心しますね。」

 男性側からの別の生々しい体験談を聞いたこともあって、晶子の自戒はより念入りになったと思う。それに、晶子が周囲からの非難に圧されたり、周囲との
比較で自分の立場の優劣を考えることは、今までなかったと言って良い。大体、そういったことに気を取られているようなら、俺と法的な夫婦関係直前まで
自ら進めるには至らない。
 とは言え、晶子1人で非難や同調圧力に耐え続けるのは色々大変だろう。晶子も「あんな男と…」と言われるより羨むことを言われる方が、気分は良いだろう。
そんな男に少しでも近づけるかどうか、俺の真価が試されると心すべきだな。
 正面に聳える御影堂から拝観する。御影堂は東本願寺の中心、真宗大谷派の本山の中の本山というべき場所だが、入るにあたって特にチェックはない。
そのまま正面から傘を畳んで靴を脱いで入っていけば良い。注意事項は撮影禁止ということくらい。これは多くの寺社仏閣での共通事項だから、今更気に
留めることでもない。御影堂の中はやはり広い。床に敷き詰められた畳と一定間隔で立ち並ぶ年季の入った柱は、屋内というより真宗大谷派の森の中と言う
べきか。正面はるか奥に見えるのは…人物像か?

「正面に見える−と言っても此処からだとかなり遠くに見えますけど、あれが真宗の開祖親鸞聖人の御真影ですね。」
「御真影…。御影とか御真影とか『影』って文字が入ってるから、肖像画だと思ってたが。」
「坐像のことを御真影というそうです。ほら。」

 晶子が解説の部分を指し示す。観光案内には許可を得て撮影されたであろう正面から見た親鸞聖人の御真影がある。柱や天井と同様年季の入った木で
出来ているらしいことはくすんだ茶色で分かるが、どうも単なる木像には見えない。
 御真影に近づくのも、やはり特別なチェックや儀式などは求められない。まっすぐ進んでいけば御真影のかなり近くまで行ける。法要などに使われる一定の
区画より中には入れないが、実物を確認するには十分な距離だ。

「何だか…生きてるように見えるな。」
「創って崇める人達の信仰心が宿っているためなのかもしれませんね。」

 ガラスの箱に収納された御真影は、僧侶だけでなく真宗大谷派のすべての門徒が崇めるものだろう。全国に恐らく何万と居るであろう門徒の信仰心と崇拝を
集めて、御真影に親鸞聖人の心が宿っているかもしれない。
 静かな御影堂の中を大きく周回する。立ち込める線香の香りが心を鎮める。見て分かるような装飾品や宝物は見当たらない。畳と柱で構成された広大な
平面は、欲を捨てて念仏を唱えて阿弥陀仏にすがるための場所として洗練されているようだ。周回してみると、御影堂の広さを改めて実感する。メートル単位
だと50mプールがすっぽり入る縦横のサイズだから、実はあまり広くないんじゃないかとうがった見方も出来る。だが、一回りしてみれば76m×58mの平面が
どれほど広大か分かる。
 今の家だと端から端まで歩くのは簡単だ。10秒もかからない。それでも決して片付け上手とは言えない俺の所有物をそのままに、晶子が住んでも不自由を
感じない−晶子の物欲が弱いこともあるが−広さだ。家の周りは住宅地で、小宮栄のベッドタウンでもあるためか大きな家も多い。2階建てで4LDKくらい、
駐車場スペースありの家で40坪くらいだと聞く。それくらいだと4人家族くらいは十分暮らせる。俺の実家もよく似た間取りだった。
 136坪くらいのこの御影堂は、新京市胡桃が丘にある平均的な規模の住宅の約3倍。今住んでいる家の約15倍。晶子と暮らしていく上であると良いかなと思う
間取りが今の倍くらいだとしても約7倍半。広い家に住んだ経験がないから、間取りが今の倍になったとしても、何を置こうかあれこれ考えるより何に使えば
良いのか分からない。せいぜい晶子のたんすと本棚が増える程度しか想像出来ない。

「これだけ広い場所が、法要とかで人がいっぱいになると圧巻だろうな。」
「数百人という規模で入りそうですし、それだけの人が集うことはなかなかないですからね。」

 数百人も、言ってしまえば「ふーん」と流されそうな数だが、学校を思い出せばかなりの人数だと分かる。過疎地の学校は別として、1クラス30人〜35人
程度で5〜7クラス程度。それが小学校だと6学年、中学高校だと3学年だから、小学校だと最少で900人くらい。中学高校だと同じく最少で450人くらいになる。
それだけの人数が一堂に会する場−貧血で倒れる人も出るような長話が典型的な全校集会や入学式卒業式、体育祭といった全校的なイベントで、学校の
広大なグランドや体育館が人でいっぱいになる。その光景を見て人が少ないと思うことはあまりないだろう。
 大学は中学高校より規模が大きい。複数の学部学科がある総合大学だと1学年で千の単位に達する。新京大学も1学年1400人くらい居る。大学は4年かと
思いきや大学院は修士で2年、博士で3年あるから、学年丸ごとではないにしても−文系学部では少なめで理系学部は多い−結構な数になる。大きな大学が
あると、その周辺が学生の入れ替わりで人と経済が循環する町になるのはよくある話だ。

「人が集まるイベントと言うと・・・、去年の夏の合同コンサートを思い出すな。」
「あの時の会場は千人規模でしたっけ。前に出た時、客席の後ろが見えないくらいでした。」
「それより遡ると、もう大学の入学式くらいしかないな。あまり憶えてないけど。」
「私もあまり憶えてないです。その後の学科のオリエンテーションが終わったらすぐ帰ったと思います。」
「晶子と同じ会場に・・・居たんだよな。」
「そうですね。入学式に出た記憶はありますから。」
「その時は名前も顔もまったく知らなかったのに、今ではこうして2人で長い旅行に出るようになるなんて、分からないもんだな。」
「本当ですね。」

 今では実質一緒に暮らして、新婚旅行と銘打っての旅行に出かける仲になった晶子は、つい3年ほど前まで顔も名前も知らなかった。学部学科が違えば
一般教養で縁がないと知らないままで過ぎてしまうのが大学という場所だ。俺が晶子を何も知らないまま大学を卒業していた可能性だって十分ある。
 その3年ほど前は、俺は当時付き合っていた宮城との関係がずっと続くと信じていた。遠距離恋愛は障害になるとは思いもしなかった。それが1年持たずに
破局した。いともあっさり離れてしまう、関係は終わってしまうのかと酷く落胆した。だが、その破局から1週間も経たない時、晶子と出会った。自棄酒を飲んで
酔いつぶれた後、夕食を買いに行った先のコンビニのレジを待っている時に。人の顔を見てやけに驚いた晶子を怪訝に思っても好印象は持たなかった
のに、今じゃ晶子の支えなしでは今の俺はなかっただろうと思うほどの存在になっている。
 本当に数年後何があるか分からない。誰と出会うかなんて更に分からない。その時出会った人との関係がどうなるか分かる方が不可解だ。だからこそ「一期
一会」という言葉があるんだろう。人との関係をどう生かすか、どう発展させるかの前提にある出会いを大切にするよう諭すために。
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