雨上がりの午後

Chapter 243 臨時親子の旅日記(11)−地下鉄に乗って−

written by Moonstone

「何処かで出されても、嫌いとか何らかの理由で食べられないなら、作った人にそう伝えれば良い。無理に食べると自分だけじゃなく、他の人も苦しいからな。
めぐみちゃんは、お父さんやお母さんやお友達が、嫌そうに何かを食べてるのを見てどう思う?」
「ん・・・。凄く・・・辛そうに見えると思う。」
「そうだな。それなら、最初からこれこれこういう理由で食べられないから御免なさい、って伝えておいた方が良いだろ?」
「うん。めぐみがそういう時になったらそうする。」

 俺は実家暮らしの時、両親が食べ物の好き嫌いには猛烈に厳しかった。特に一旦手をつけたものを残すことは犯罪扱いだった。子どもの頃は何で
そこまでと思ったが、決まった額の仕送りと自分で稼ぐバイトの給料で生計を立てるようになり、更に晶子と一緒に食材を買うようになって、両親が
言いたかったことは分かるようになった。
 食材はその額だけ見ると大抵安い。フォアグラや霜降り牛肉といった高級食材とは無縁だし、それ以外のスーパーに並んでいる食材は1個か1パック数百円
程度だ。それらが複数になると当然額は増えるが、それでも1回の買い物で1万円買うことは米を買う時以外はまずない。晶子がまず刺身にするために魚を
1匹買う時も、万の単位に達することはない。1匹で刺身に始まり、生姜焼きや煮つけ、天ぷらやフライと様々な料理に変貌するし、それを日頃の食事に
飽きない程度に組み込んでいけば、1匹を2人で食べ尽くすのは結構時間がかかる。問題はそこからだ。どれだけ食材を買っても料理が出来ないとどうにも
ならない。野菜はまあ何とかなるかもしれないが、肉や魚となるともう手に負えない。料理が出来ないのに食材を買っても無意味だし、それなら最初から
惣菜なり弁当なりを買った方が良い。
 晶子は見た目手際良く複数の料理を作るが、それは料理に応じた大きさに切る、塩コショウなりで味付けをする、ゴボウとかなら灰汁をとる、天ぷらやフライ
なら衣を用意するといった幾つもの下準備があり、その上で目に見えて分かるレベルの料理が始まる。晶子が料理する様子を何度か見るうちに、時に晶子の
手ほどきを受けながら自分で包丁を動かしていくうちに、ようやく分かったことだ。
 だから、出された料理が食べられないのは結構失礼なことだし、一旦手をつけたら全部食べないと、作った人に対して酷く失礼なことだ。食材を自分で
買って料理を手がけることで経験して理解していくべきことなんだろう。俺は幾分遅かったが、めぐみちゃんはこれから十分間に合う。・・・何だか老人
みたいだな。

「めぐみちゃんは、電車乗るの初めて?」
「うん。バスは幼稚園の遠足とかおばあちゃん家に行く時に乗るけど、電車は乗ったことない。」

 金閣寺の敷地を歩いている時のように、頻りに辺りを見回しているから聞いてみたら予想どおりだった。電車とバスとは同じ公共交通機関でも勝手が異なる
からな。車体も違えば音も違う。エンジン音じゃなくて金属音とモータ音がする。ロボットか何かの中に居るような気分になるかもしれない。

「バスと同じで多くの人が乗るから、乗ってる間は静かにするようにな。」
「うん。」

 もっとも基本的且つ重要事項は結局これに行き着く。通常の声量での会話くらいなら良いが、電車は走行中かなり大きな音がするのもあってか声量が
何時の間にか大きくなる。それが自分達には当たり前でも周囲にすれば五月蝿いだけでしかないことになり得る。それを防ぐには静かにすること、これに
尽きる。

「電車そのものは知ってる?」
「うん。幼稚園の絵本で見たことある。」
「改札って場所を通るから、そこがバスと大きく違うと思うよ。」

 そうそう、晶子の言うとおり、電車とバスでは改札の有無が大きな違いだ。バスでも路線や地域によっては整理券を取るが、料金と引き換えではない。
一方、電車は料金前払いであることを証明する改札を通らないといけない。しかも大半は自動改札だ。電車に乗るのが初めてというめぐみちゃんには驚きの
連続だろう。

「『かいさつ』ってどんなの?」
「うーん・・・。買った切符を入れてきちんと買ったものだと開く門、って言えば良いかな。」

 こういう時、自分の語彙の少なさがよく分かる。改札と言えばこういうものというイメージは即座に頭の中に浮かぶが、それを相手の知識レベルに応じて
伝えるのはなかなか難しい。同時に普段の自分が大学の学部学科や晶子といった自分の中で固定化・限定化した人間関係に居ることも分かる。
 客との会話は基本的に合間がある時の雑談の域を出ない。大学の学部学科は一応入学時は同程度の知識レベルを持って集合した、社会全体から見れば
少数の集団。晶子に関しては好物や癖も含めてほぼ全てを知っているから、こういう話はそのまま出来るし、こういう話は噛み砕いて言えば良いとか、逆に
こういう話は分かりやすく言ってもらうといった話しながらの意思疎通が出来る。
 コミュニケーションってものの定義は意外と曖昧だ。世間では「誰とでも話が出来ること」であったり、「限定した相手としか話が出来ない場合は=根暗」などと
否定的・批判的な意味合いを持たせる場合もある。前者では「誰とでも」の対象を少し観察すると同じ話題を共有出来る相手に限られることが見える。話題が
ファッションであったりTV番組であったり、所謂グルメだったり芸能人の話題だったり、アニメやゲームの話だったりと、話題や知識レベルが同等であることが
「話が出来る」暗黙の条件になっている。
 多数派の話の輪がコミュニケーションだとすると、前者の反対である後者は揶揄や排撃の対象になる。特に幼稚園〜中学高校まではその傾向が強い。
子どもってのは純粋である一方で残酷でもある。多数に属さない、属せない少数派を揶揄・排撃することが所謂「いじめ」となる。コミュニケーションが少数派の
揶揄や排撃と同一視されるようになるとより悪質化する。単に「いじめをなくそう」で片付けられる簡単なもんじゃなくて、自分が使えるコミュニケーションの輪、
つまりは話の輪に入れない、入らない相手の意思や人格を尊重することが本当の人権であり、相手を尊重することでもあると思う。
 晶子の案内に従って歩いていくと、駅が見えてくる。切符販売機と自動改札が複数台並んでいて、どこにも列が出来ている。混雑は金閣寺の敷地内や
バスの車内ほどじゃないが、混雑しているといえる部類に入る。

「切符はあそこで買うんだ。」
「同じ機械がいっぱい並んでるー。」
「私が買いますね。」
「ああ、頼む。めぐみちゃんはお父さんと一緒に買うところを見てような。」
「うん。」

 俺はめぐみちゃんを抱っこしているから両手が塞がっている。切符を買う時にめぐみちゃんを降ろすのも手だが、めぐみちゃんを降ろしたりだっこしたりする
間でどうしても時間がかかる。この混雑で流れを滞らせるのは後ろに並ぶ人の迷惑になる。無用な混乱やトラブルを避けるためにも、俺とめぐみちゃんは
切符を買うことに手を出そうとせず、見学にとどめるのが賢明だ。
 やはり今回も晶子が率先して財布を出してくれたな。出費は男性が負担するものというご都合主義的な価値観にとらわれない晶子の思考も、無用な混乱や
トラブルを回避する大きな要因だ。「貴方が金を出すべき」「手が塞がってるんだから出しておけ」で始まる口論なんてつまらないし、新婚旅行を銘打っている
この期間で繰り広げているようじゃ先は暗いどころか終わってる。
 手近な列に並ぶ。切符を買う列は自動販売機なのもあって回転が速い。稀にトラブルがあるが、それより何かのイベントで復路の切符を求める客でごった
返す確率の方がずっと高い。俺と晶子とめぐみちゃんが並んだ列も、ほぼ一定のペースで回転していく。

「もう直ぐお母さんが切符を買うぞ。」

 順番があと2人に迫ったところでめぐみちゃんに言う。自分を注視するめぐみちゃんを見て、晶子ははにかんだ笑みを浮かべる。注視されながら切符を買う
ことなんてまずないだろうから緊張するかもしれない。
 いよいよ晶子の番。俺は両隣の列の邪魔にならないよう注意しながら、めぐみちゃんが晶子の切符購入の様子を見られるようにする。晶子は財布を出して
1000円札を入れる。購入可能な切符を示すランプが一斉に複数点灯する。明らかにめぐみちゃんの目が輝く。

「五条までで大人2人子ども1人ですから・・・。」

 晶子は大人2人分と子ども1人分のボタンを押す。切符の同時複数枚購入はあまり機会がないから、めぐみちゃんは勿論俺も結構興味深く見ている。
晶子は滞りなく切符を購入する。受け取り口から3枚の切符が、つり銭がジャラジャラと音を立てて出て来る。音声案内を聞くのもほどほどに、晶子は手早く
切符とつり銭を取る。これで切符購入は完了だ。

「お母さんがお金を入れたら、いっぱい電気が点いた。あと、機械が女の人の声で喋ってた。」
「買える範囲を機械が判断してランプを光らせるんだ。声はあらかじめ録音しておいて機械が喋らせてる。」
「機械の中に女の人は居ないの?」
「機械の中には居ないけど、機械が置かれている場所の向こう側、皆には見えないところには居ると思う。」

 人間が居ないのに物が動くことを不思議に思うのは、めぐみちゃんくらいの年齢ではよくあることだ。俺もTVを見て中に人が居ないのに全然違う世界や人が
映ることや、ステレオからラジオやCDの音が流れるのを不思議に思って彼方此方覗いて調べて、やっぱり人が居ないことで首を傾げた記憶がある。それが
自分で音を鳴らすことや機械が音を鳴らす仕組みそのものへと興味が移って今に至る。子どもの頃の好奇心ってものはその後の人生に大きく影響することも
あるらしいが、俺はその1つだな。

「お父さんはお仕事でああいうのを作ってるの?」
「今のところは作ってない。ああいう機械は大きな工場で作るし、お父さんは大学で勉強している最中だからまだ大きなものを作るまでいかない。」

 機械と一言で言っても、その用途や構造は実に複雑で多岐にわたる。機械は情報と並んで電気電子との融合が進んでいる分野だ。元々電気電子の
計算機工学と似通っている部分がある情報工学とは違い、今までそれだけで出来てきたこと以外に別分野を取り込んだり融合したりすることで新たな領域を
開いていこうとしている色合いが非常に強い。
 電気電子と機械の共通項としてメカトロニクスがある。かつては機械は機械部品のみか、せいぜいACモータ(註:家庭用コンセントから取れる電源は
交流=AC)を駆動するくらいだったし、電気電子でもモータの効率化くらいしか共通項がなかった。それが人間の動きの忠実な再現を目標にして突き進む
うち、電気電子だけや機械だけじゃ手に負えなくなってきた。
 電気電子はその名のとおりPC内蔵のCPUや家電に内蔵されているマイコン、センサに使われるアナログ素子など回路素子を使って構築した電気電子
回路による制御については分かるが、機械駆動する部分の詳細は分からない。一方、機械は機械駆動する部分は力学など原理の部分から詳しいが、電気
電子は専門外だ。となれば、ロボットでも電気電子からか機械からのアプローチがあって、見方が異なる。
 電気電子にしても、大きなものを動かすことは時代遅れという認識があった。大きなものを動かすのは機械の仕事だというある種の優越感もあるし、モータの
効率化くらいしかすることがないという躊躇もある。ところが機械も電気で動くことが普通になり、省電力や省エネという要素が加わったことで、電気電子から
機械とは別の効率化を図れないかというアプローチが始まった。
 モータ自体の認識も変わっていった。モータは大型機械を延々とある方向に動かすだけのものではなく、精密動作や人間の感覚に合った操作を要する
もので、それを実現するには力学をはじめとする機械の領域に携わらざるを得ないと思われるようになった。モータの勢力分野が大型動力機械から家庭
用品、医療福祉へと幅広く深く浸透していくと、電気電子制御の需要は尚更高まる。ただ回っているだけなら昔の扇風機で事足りるが、室温を一定にしたり
適度な揺らぎを実現させたりする複雑な動作が要求されるようになり、病気や怪我で身体が思うように動かせない患者や障害者を苦痛なく動かすためには、
単純なONOFF制御だけでは対応しきれない。
 かくして、電力工学といわれた分野はパワーエレクトロニクスとして電気電子の一大勢力になった。新京大学の研究室でも、学部段階で学会発表に持って
いけるレベルを要求されるくらい厳しい一方で希望者は多い。人間の手足により近づけるロボットの駆動、外出していても家主が指定した時間にエアコンを
稼動させたり、逆に動作予約をキャンセル出来るシステム、介護や介助の現場で使用と導入に耐えるロボットの設計開発、電気自動車の開発など取り組む
テーマも幅広いし、就職も良い。

「切符も買ったし、改札を通るか。これもお母さんのを見てような。」
「うん。」

 改札は1人ずつ通る。当たり前と言えばそうだが、1列にならないといけないから自動改札に切符を入れるところを近くから見ることが出来ない。距離を詰める
ことくらいは出来るが、これだけの混雑をスムーズに通るには切符を入れ損なうようなことは避けないといけないし、それを誘発するようなことも避けないと
いけない。
 海流のような人の流れに乗って改札に向かう。ずらりと並んだ自動改札を順に人が通っていく。切符が入れられる度にゲートが音を立てて開く様子は、
通学では見慣れた光景だが改めて見ると結構圧巻だ。めぐみちゃんは目を見開いて自動改札を見詰めている。

「凄ーい・・・。門がひとりでに開いてる・・・。」
「切符を入れるとああなるんだ。」
「あ、そう言えば、2人だと自動改札は通れませんね。どうします?」

 ・・・1人ずつしか通れないことが分かっている時点で気づくべきだった。バスみたいに所定の運賃を払えば関門なしで通れるわけじゃない。異なる切符を
判別する自動改札は少ない。大きな駅だと乗車券と特急券を別々に処理出来るタイプがあるが、普通の切符を複数通せない。自動改札は諦めないと駄目だな。

「素直に駅員が居る改札を通ろう。」
「そうですね。」

 1人ずつしか通れない自動改札を1回だけ幼児1人抱えて通らせてくれ、などと駅員に要求するのは無茶苦茶だ。自動改札全盛の今でも、駅員が居る
昔ながらの改札は健在だ。そちらは1つしかないが、そちらを通る方が2人分どう通るかをあれこれ考えたり駅員に要求したりするよりずっと賢明だ。

「予定変更。今回は駅員さんが居る方を通ろうな。」
「めぐみが居るからあの機械を通れないの?」
「1人ずつじゃないと駄目だからな。」
「めぐみちゃんが悪いわけじゃないからね。」
「うん。」

 自動改札が通れないと知って少し表情が沈んだめぐみちゃんを、晶子が素早くフォローする。
めぐみちゃんは「自分が邪魔者」という概念を強く恐れる。常に厄介者扱いで何かすれば怒鳴られたり殴られたりと虐待そのものの環境で暮らしてきたんだ。
こういったフォローは不可欠だが、俺だけじゃ常にそこまで頭が回らない。晶子が居てくれて助かる。
 自動改札へ向かう幅広の人の波にちょっと逆らって、駅員が居る改札へ移動。切符を持っているのは晶子だから、晶子に先に行ってもらう。駅員がいる
改札は割と混んでいる。切符は殆ど自動販売機で売買されて、自動改札が普通になっても駅員がいる改札を通る人は居る。乗り越しの清算や俺と晶子の
ように幼児を抱えて自動改札を通れない人など事情は様々だろうから、1つは必要だろう。
 駅員が居る改札の列に並ぶ。こちらは駅員が確認して判子みたいなものを切符に押してから通るから、自動改札より当然流れが遅い。とは言え待って
いられないほど長いものじゃない。自動改札より遅いという程度だ。徐々に列は前に進んでいく。10分待たずして晶子の順番が回ってくる。

「大人2人と子ども1人です。」

 晶子が3枚の切符を差し出す。駅の建物から少し身体を乗り出した男性駅員が切符を受け取り、その場で切符をトランプのように少し広げる。晶子から
切符を受け取った左手1つであっさりとやってのけた小技は、かなり手馴れた様子だった。

「わぁーっ!凄い凄い!トランプみたいに広がった!」
「はい、ご乗車ありがとうございます。」

 めぐみちゃんは一瞬の技を見逃さなかったようだ。目を輝かせている。駅員は何事もなかった様子で切符に素早く判子を押し、晶子に渡す。晶子に続いて
俺は改札を通る。めぐみちゃんの顔が駅員の方を向いたままだから、身体の向きが徐々に右側を前にずれていく。

「凄かった!凄かった!ねえ、お父さんは見た?!」
「ああ、見た見た。随分興奮してるなぁ。」

 今にも俺から飛び出しそうなめぐみちゃんを抑える。子どもって興奮したり驚いたりすると、小さい身体からは想像出来ない力を出すもんだ。落ちないよう
に抑えるだけでも結構大変だ。幼稚園児と馬鹿に出来ない。

「切符を片手だけでパッと広げたんだよ?!凄い!あんなこと出来るんだね!」
「沢山の人を相手にするから、手間を少しでも省くためにああいう技を身に付けるんだろうな。」
「めぐみちゃん。あんまり動くとお父さんから落ちちゃうわよ。」

 興奮し続けているめぐみちゃんを落ち着かせるのに晶子が加わる。俺1人だとこの状態が続けば頭に来て怒鳴りつける可能性がある。そうなると
めぐみちゃんが「何時もと同じ」と思って萎縮してしまう。落ち着かせるのは必要だが、加減や勝手が難しい。やっぱり晶子が居てくれて助かる。
 スーパーで迷子になっている子どもを落ち着かせるのは晶子の得意技だ。迷子になった子どもは親を探す焦燥感と寂しさが入り乱れてパニックになって
いる。何を言っても聞いても泣くばかりで話が通じない。子どもの頃に聞いて今でも口ずさめるあの歌そのものの状況は、晶子が根気強く迷子に話しかける
ことで徐々に解決される。その時、晶子は色々話しかけるが絶対言わないことがある。「泣くな」だ。何かの語録じゃないが、子どもは禁止された事項を
しようとする。天邪鬼とも言えるが、パニックになっている迷子に「泣くな」と言っても聞かないばかりか、迷子が叱られていると思って状況が悪化してしまう。
 禁止を言う時は生命の危険や他人に害を及ぼす時だけに限定し、その時も何故いけないのかを明示する。これが何度目かの迷子−スーパーは何故か
迷子が頻出する−が親と再会した後で晶子から聞いた、子どもと接する時の秘訣だ。迷子もどんなに泣いていても結局はすんなり晶子に手を引かれて迷子
センターに行くんだから、晶子の子ども好きや世話好きは齧った程度の半端なもんじゃなくて、本能のレベルにまで達したものだと思う。

「お母さんも見た?」
「駅員さんが切符を片手で広げたところ?見たわよ。」

 ようやく落ち着きを取り戻しためぐみちゃんの問い−確認と言うべきか−に晶子が落ち着いて答える。切符の受け渡しをした当人だから見てはいた
だろうが、めぐみちゃんのように感激して興奮するところまではいかないようだ。そこまでいかれたら、俺はもうどうしようもない。

「お父さんの言うとおり、沢山の人を相手にするから、少しでも手間を省くために身に付けた技なんでしょうね。」
「お父さんとお母さんは、ああいうこと出来る?」
「多分出来ないだろうなぁ。したことないけど。」
「お母さんも無理かな。ちょっとやってみるね。」

 切符を複数枚買って持つことは滅多にないから、言われて初めて考えてみる。晶子が手にした切符を右手1つで広げてみる。広がることは広がるが、1枚は
中央の切符から少しずれただけで、もう1枚はその反対で中央の切符と垂直近くまで広がる。丁度良い具合に広げるのは、やはりそれなりに修練が必要な
ようだ。

「やっぱり出来ないね。」

 晶子は照れ隠しの笑顔を浮かべる。
普段の通学は専ら定期だし、それ以外で電車に乗る機会はあまりない。そんなこともあってか、切符は自分の分を買って自動改札を通すものという固定
概念が出来上がっていたんだろう。めぐみちゃんに言われて初めて切符に意外な面白さや発見があるものだと気づいた。子どもの目線は新鮮というが、俺や
晶子もそういう時代があったんだよな。何時の間にか忘れてしまうのが子どもの記憶ってもんなんだろうか。

「さて、電車に乗りに行こうか。」
「電車はバスより沢山の人が乗るから、静かにしようね。」
「うん。」

 晶子が釘を刺す−強い言い方じゃないが−のを忘れない。
子どもって、何か驚いたり興奮したりすると少し前に言われたことや頼まれごとなどを簡単に忘れてしまう。お使いを頼まれて店に行く途中で散歩中の犬に
吼えられて、驚いて頼まれた買い物を忘れたり勘違いしたり、途中で遊んでいる友達に誘われて遊びに加わるまではいかなくてもやり取りをしている間に
忘れてしまったり。忘れっぽいとも言えるし、1つのことに集中しやすいとも言える。
 幼少時に習い事をさせることが良いと言われるのも一理ある。好きなことなら幼少時の集中力や熱中の度合いは目を見張るものがある。それを良い方に
働かせれば、才能が開花したり思わぬ能力が培われる。プロの運動選手や芸術家で幼少時から専門家の指導を受けたりした人が多いのも、幼少時の
可能性が良い方向で導かれた結果だろう。
 だが、好きになれなかったり懲罰を含む強制では深刻な悪影響を及ぼす危険性がある。中学で音楽が大嫌いというクラスメートが居たが、話を聞くと幼稚園
時代に無理矢理音楽教室に通わされたことが音楽嫌いにしたことは明らかだった。色々やらせてみるのは良いが、将来のためとか言って無理矢理やらせて
嫌いにさせたら無意味どころか逆効果でしかない。
 「将来のため」「必要だから」は話を打ち切るには効果的だが、それは親のエゴでしかないこともままある。バイト先の喫茶店は営業時間や店の性質
−いかがわしい店じゃないが喫煙との接触はありうる−から流石に小学生の客は来ない。中高生の客は殆ど全て塾通いだが、本人の意思で通っているという
話は殆ど聞かない。行く必要がないレベルの成績でも塾通いは最早当たり前になっている。それで身につく知識がどの程度あるか疑問だ。
 来店する中高生の客は、年を増すごとに疲労感が強まっている。それもその筈、学校は早朝テストに始まり長い時は7時限まで授業、その後補習だの課外
授業だのがあって、それから塾という強行スケジュールが珍しくなくなっている。割と話がしやすい女子学生−晶子を「先取り」した関係で男子学生とは
ギクシャクしているの客が、ろくに食事もしてられないと溜息混じりに学校の様子を話してくれた。進学実績を上げるのは勿論だが、近隣の進学校は勿論
全県的な進学実績を重視して、我が高も負けじと授業熱が過熱するばかりで、学年が上がるにつれてクラスメートとの話は成績や志望校のことばかりになって
くるという深刻な事態まで起こっている学校が出て来ているそうだ。新京大学が地元なのが影響しているらしい。

 学費や下宿費用が軒並み上昇しているから、よほど目覚しい成績でなければ遠方の大学には進学させず、地元の大学に行かせようとする。これは俺も
経験者だから分かる。下宿費用だけで月10万としても−家賃と食費が殆どを占める−、学費は国公立だと年数十万で済むが、私立だと安くて150〜160万、
医学や歯学だと300万とかそれ以上で青天井と言っても良い。自宅から通える範囲で同等レベルの大学があれば、家計が潤沢でなければ地元の大学に
通ったほうが親も学生も無難だ。一人暮らしは自分で何もかもしないと始まらない。始めは良いだろうが家事に慣れていないと徐々に首が絞まってくる。
俺は晶子が居てくれるから学業に専念出来ているが、これは稀有な例だ。
 地元に有名大学や難関大学があると、地元志向の強まりもあって進学校はそれらへの進学実績も重視する。更に教師の競争意識が加わると、あの手
この手で生徒の尻を叩きに走る。理解云々より授業を進めてテストの回数を増す方向だ。授業についていけない生徒は当然放置され、生徒間の激しい
競争が卒業まで続く。
 俺の高校時代はそれと比べると十分余裕があった。テストの回数や宿題の量は多かったが1人でもやりくり出来たし、クラブ活動や文化祭、スポーツ大会や
修学旅行といった学校行事に打ち込めた。生活指導もあることはあったが確認程度のもので、中学のように校則違反云々での揉め事はまずなかった。俺は
バンド活動や宮城との付き合いもあって、結構楽しい高校生活を送れた。
 来店する中高生の客には学校生活を楽しむことは考えられないかもしれない。ひたすら授業とテストと宿題、更には塾の授業とテスト。朝から晩までろくに
休むことなく机に向かって、くたくたになって寝る。人間的な生活とはとても言えない。そんな中、夕飯を食べるために店に来ることでつかの間の安らぎを
得ているんだろう。
 詰め込みが一律に悪とは言えない。英単語は繰り返し使って憶えるという単調な作業を繰り返さないといけない部分がある。だが、大学以降の生活で使う
基礎知識として蓄積するには、詰め込みだけじゃ無理なのは間違いない。詰め込みの勉強の繰り返しで向上させた成績で有名大学や難関大学に入っても、
間もなくカルト教団やマルチ商法に嵌まり込んで消息不明では無意味だ。本人は勉強以外の全てが新鮮で、カルト教団やマルチ商法のカリスマ的な要素に
惹かれやすいんだろうが、「優秀だった子がどうして」という問いはやはり無意味だ。
 通路を進んで案内に従って階段を下りると、暗闇の中に浮かぶホームが現れる。人は結構居る。バスの時間遅れや地上の混雑を避けて地下鉄に来る人
だろうか。

「トンネルの中みたい。」
「トンネルと同じで土の中だからね。あ、もう直ぐ電車が来るよ。」

 電光掲示板には先発電車の案内として「竹田/新田辺・奈良方面 普通 竹田」と出ていて、その隣に時刻が表示されている。地下鉄は各駅停車だから、
乗るホームを間違えなければ、乗り過ごしにだけ注意すれば良い。いくつか駅を飛ばす急行や特急だと1つ乗り過ごすとかなり遠くに飛ばされることがある
からな。めぐみちゃんを抱えている今の状況で不要な行ったり来たりは出来るだけ避けたい。
 重く響く金属音が大きくなってくる。ホームにアナウンスが流れて少ししてホームに電車が入ってくる。銀色を貴重に緑のラインが列車の伸びる方向に
引かれたデザインの車両が、減速して中の様子を明瞭にしてくる。結構混んでるな。

「大っきい音がする・・・。」
「バスと違って、鉄で出来た線路の上をバスよりずっと重い車体が動いてるからね。外だともう少し音が小さいんだけど。」

 めぐみちゃんは初対面の電車に驚いたり興奮したりするより、音の大きさに抱いたマイナスの印象が強いようだ。ホームが混みあっているから近いところで
電車がホームに入ってくるところを見せられなかったから、勢い良く迫ってくる巨大な鉄の塊の迫力があまり感じられなかったようだ。音の大きさに対して
めぐみちゃんがマイナスの印象を抱きやすいのは理解出来る。些細なことでも怒声が飛んできたと想像するに難くないあの両親の下で暮らせば、大きな音は
自分に対する攻撃や抑圧という概念が出来上がっていても不思議じゃない。
 音に対する人間の感度は様々だ。年齢で違うのは有名だが、同じ性別、同じ年齢でも異なる。隣で騒々しくされても何事もないかのように居られる人が
居れば、囁き程度の音でも五月蝿いと感じる人が居る。同じ電車やバスの車内アナウンスでも小さくて聞こえないという人も居れば、五月蝿くて適わないと
いう人も居る。音楽でも個人の趣味嗜好である曲を心安らぐと思う人も居れば、五月蝿いことに嫌悪感を示す人も居る。
 要因は神経質とか些細なことは気にならないとか個人の性格もあるし、個人の音の感度もある。どちらも育ってきた或いは今居る環境に左右される。幹線
道路や線路沿いの生活を送っていれば大きな音でも聞き流せるようになるだろうし、元々静かな環境に慣れていると幹線道路や線路沿いの生活は拷問に
近いだろう。この特質を踏まえて、音量を上げずに騒音−音響工学では雑音と言うべきだが、その中でも必要十分に聞こえる音声にするよう加工を施す
ことも、俺が本配属を希望している研究室のテーマの1つだ。
 電車が完全に止まり、空気が抜けるような音がした後ドアが開いて人が降りてくる。めぐみちゃんは驚いた様子だ。降車が完全に終わるのを待って乗車
する。長年−と言ってもせいぜい6年程度で染み込んだ電車のマナーの1つだ。意外にこれすら出来ていないことを目にする。俺と晶子とめぐみちゃんが
乗り込むのはかなり後の方だ。ホームに着いたのが電車到着の少し前だったし、混雑でもう乗れないということはない。俺と晶子は離れずに車両中ほどに
移動し、座席中ほどの通路に立つ。ドア近くより座席が並ぶあたりの方が混雑の度合いが低い。
 ホイッスルの音がややくぐもって聞こえた後ドアが閉まる。それに併せるように晶子が俺の右腕に手を回す。めぐみちゃんを抱っこしている俺が
つんのめったりしないようにするためと分かっているが、やっぱり気恥ずかしさが生じる。電車が動き始める。少しからだが後ろめりになるが、身体のバランスは
崩れない。インバータ(註:直流電源を交流電源に変換する電力制御回路の総称)の音が息継ぎのたびに徐々に周波数が高い方向にシフトしていく。

「音が変わってく・・・。」
「動かし方がバスと違うんだ。」

 めぐみちゃんも音の変化に気づいたようだ。混雑しているところで抱っこを続けているから、めぐみちゃんの顔が至近距離にある。少し首を動かすと
めぐみちゃんと額をくっつけて向き合うだろう。俺に幼女趣味はないし、腕を取っている晶子から心なしか強い警戒を感じるから、しないでいる。
 電車は高い頻度で減速と加速を繰り返す。停車するたびにドア付近を中心に人の動きが生じる。降りる駅は五条だと分かっているから、それがアナウンス
されるまでひたすら待機。車内の混雑の度合いは酷くはないが緩くもならない。めぐみちゃんも分かっているのか質問攻勢をしない。ほっとする反面、これが
あの両親の下で生きるために獲得した処世術の所以だと思うとやるせない。

「次は五条、五条でございます。」

 五条の名が登場する。英語版のアナウンスが終わって程なく電車が減速を始める。軽い衝撃で少し前のめりになり、ドアが開く音がする。俺の腕を取る
晶子が近いドアに向けて動き始める。車両内側は混雑の度合いがあまり変わらない分、降りる時が結構大変だ。ドア付近で人が固まる理由も分かる。
 それでも人の流れに乗ってどうにか降りる。降りて直ぐ待っていた人の乗車が始まる。到着したと思ったら直ぐ発車する忙しなさにはとっくに慣れた筈だが、
通学に使う電車の混雑とは違うものを感じる。

「お父さん。どうして電車の音は変わってくの?」
「動かす速さを変えられるモータを使ってるんだ。・・・エレベータやエスカレータは知ってる?」
「うん。」
「電車は、エレベータやエスカレータと同じでモータっていう電気で動く大きな機械で動いてるんだ。」

 インバータだの周波数制御だの言っても、めぐみちゃんには外国語どころか暗号にしか聞こえないだろう。専門用語を俺なりに噛み砕いて説明する。

「『電車』っていう名前も、電気で動くことから来てるんだ。」
「音が変わるのはどうして?」
「んー・・・。バスがスピードを上げる時や逆に止まる時、音が変わっていくのは知ってる?」
「うん。運転手さんが大っきなレバーを動かすと音が変わる。」
「そうそう。それと同じことをモータっていう電気で動き大きな機械でしてるんだ。」
「へぇ・・・。」

 たとえが即座に思いつかなくて、思いついたものはバスの加速減速との比較。インバータの説明も苦し紛れに交えたが、めぐみちゃんは概念を理解した
様子だ。専門用語が使えない状態での説明はなかなか骨が折れる。それは普段学科や研究室に居る時、一定の知識レベルや共通の認識があるから講義なり
実験なりゼミなりが成立している、いわば特殊な条件が普通と思い込んでいるということでもある。

「納得出来た?」
「うん。」
「じゃあ、次の目的地へ行こうか。」

 電車に関する質問攻勢はどうにか終了。俺は隣で何処か誇らしげに聞いていた晶子と共に出口へ向かう。好奇心を前面に出すめぐみちゃんの質問
攻勢は、極端な話めぐみちゃんが寝るまで断続的に続くだろう。子育ての大変さが何となくだが分かりつつある。

「明るいところに出る時、眩しいかもな。」

 改札を通り−今回は切符を駅員に渡すだけだったからめぐみちゃんも大人しかった−出口が近づいてきたところで思う。
めぐみちゃんはどうも地下鉄も初めてらしい。初めての電車乗車が地下鉄というのも珍しいかもしれないが、地下鉄には利用前後で接する明るさに大きな
違いがある。完全な穴倉じゃなくて蛍光灯が随所に灯っているが、太陽が創り出す明るさには遠く及ばない。外に出た時明るさでめぐみちゃんは目が眩む
かもしれない。

「めぐみちゃんは、地下鉄って初めて?」
「うん。」
「それだと、お父さんの言うとおり出た時眩しく感じるかもしれないね。」
「お外、そんなに明るいの?」
「お日様は此処よりずっと明るいよ。何時の間にか地下の明るさに慣れちゃってるから。」

 俺が初めて地下鉄に乗ったのは・・・何時だったかはっきり覚えてないが、高校でバンド活動をするようになって地下鉄の利用頻度が格段に高くなったことは
覚えている。中でも、夏の最中は地下鉄の冷房で冷やされ、外に出たら強烈な日差しと熱気で身体がおかしくなりそうになったもんだ。
 今は春到来の時期だから暖房が多少かかっていた。地下鉄の駅構内は外と遮蔽なしで連結しているからほぼ外気。夏のような急激な温度変動はない。
俺は暖房も冷房も平気だが、温度変動はどうも苦手だ。

「さあ、外に出るぞ。」

 上方向のエスカレータに乗っていくと、徐々に外が近づいてくる。冷気がじわじわと強まってくる。眩しいかもという予測を受けてか、めぐみちゃんは
目を伏してチラチラと様子を窺っている。警戒心が可愛らしい。
 外に出る。大通りが垂直に交差する交差店の直ぐ傍だ。これまでの足音や喧騒が少し反響する構内からエンジン音や走行音が入り乱れる屋外に出て、
五月蝿さが一気に増す。外はめぐみちゃんを「脅かした」ほど眩しくない。

「外に出たよ。」
「・・・あんまり眩しくない。」
「お日様がかなり西に傾いてるから、日差しが弱くなってるのよ。」

 恐る恐る「安全」を確認しためぐみちゃんに晶子が説明する。春本番間近とは言えまだ日は短い。金閣寺の敷地に長く居たこともあって、日はかなり西に
傾いて日差しは勢いを相当弱めている。日差しは季節によって強さが大きく違う。春は南天時でも穏やかだから、夕暮れが近い今だと寂しささえ感じさせる
弱さだ。

「此処・・・何処?」
「京都だよ。場所は地下鉄に乗ったところと違うけど。」

 地上に出たら地下に潜る前と全然違う場所に出たことは、めぐみちゃんにとっては十分困惑を抱かせるものなんだな。地下鉄で移動したんだから場所が
変わって当たり前というのは大人の認識でしかないようだ。

「どの辺?」
「ちょっと待ってね。・・・えっと、京都御苑−お父さんとお母さんとめぐみちゃんが最初に居た場所だけど、そこから真っ直ぐ南に移動したところ。」

 答えに窮した俺に代わって晶子が観光案内を広げて答える。
乗ってきた地下鉄の名前に「烏丸」の名があったくらいだから烏丸通にほぼ沿ってるが、観光案内を覗き見ると、最初にバスに乗ったところから真っ直ぐ南に
行った場所が俺と晶子とめぐみちゃんの現在地だ。目の前にあるのが丁度烏丸通で、それに沿って真っ直ぐ北上すれば京都御苑に着けるってわけか。
 碁盤の目のような京都市街は東西南北さえ間違えなければ目的の場所に行きやすい。「北上して大通りを何本進んだところ」という指定がしやすい。

「此処から道に沿って西に移動すると、次の目的地の清水寺に到着よ。」
「西ってお日様が沈む方向だよね?」
「そうそう。お日様の方に向かって移動すれば良いの。」

 めぐみちゃんの確認を、晶子は「当たり前」とか言わずに積極的に認める。晶子はスーパーで困った子どもを叱る時も決して頭ごなしに怒鳴りつけない。
「他の人にぶつかるとその人が痛いし迷惑だし、自分自身転んで頭を打ったりして危ない」と理由をきちんと説明する。少なくともその様子は、それまで子ども
そっちのけで井戸端会議に没頭していた子どもの母親よりは母親らしい。
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