雨上がりの午後

Chapter 217 生じる大異変、見えない距離は無限遠

written by Moonstone


 時は流れて今は夜。何時もどおり晶子と一緒にバイトに向かい、試験結果を今日見に行ったことと全ての受講講義の単位を取得出来たことをマスターと潤子さんに
知らせた。マスターと潤子さんは手放しで喜んでくれて、食事の後で特に俺はステージで報告するよう言われた。試験結果次第では留年やきつい日程の中で
4年を迎えることになって、バイトの時間を短縮せざるを得ない事態もありえたからだ。
試験期間中にも、常連客を中心に心配の声が寄せられた。ギターが居なくなると聞けない曲がかなり出てくるという客としての懸念や、ギターを聞く時間が減ると
寂しいからというギター継続の期待があった。それらに応えるのは心配をかけた者としての責任だろう。
 食事と着替えを済ませた後、俺は早速ステージに上がって俺と晶子の試験結果を報告した。晶子は数多い注文をさばくためにキッチンに入ったから、俺が代表する
形で。客前で話をするのはあまり慣れていないが、4年ではプレゼンテーションをする機会が多いと聞くから、度胸をつけるのは丁度良い機会だろう。
結果を聞いた客からは大きな拍手。4年になってからも出来る限りバイトを継続することを表明して、更に大きな拍手。ステージに上がった頃には、俺が試験結果と
併せて4年になってからのことを頻りに心配していた常連のOL集団も来ていた。見えるように大きな拍手をしてくれて声援もしてくれたから、喜んでもらえたようだ。
 そしてバイトに本格的に着手。週末の上に中高生は受験の最後の追い込みがあるらしいのもあって、今日も大繁盛だ。注文をとってキッチンに向かい、それを
告げてから料理を受け取って運び、時に皿やテーブルを片付けたりするの繰り返し。忙しいのは試験中と変わらないが、最大の懸案事項だった試験結果が最高の形で
判明したから、気分的には随分楽だ。
 少し客の入りが減ってひと段落。このところ通常時間帯ではちょっとご無沙汰になっているステージでの演奏に手を出そうかと思う。キッチンとの往復も一息ついたし、
店内を一巡したところ当面大丈夫な様子だし。
カランカラン、と来客を告げるカウベルの音。ステージへ向かいかけたところでいらっしゃいませ、と言ってドアの方を向いたところで固まる。ベージュのハーフコートを
着た来客は、紛れもなく田中さん。何でこんな時間に此処に・・・?兎も角、席に案内しないと。
 俺より早く晶子が出た。晶子が客の案内に出るのは最近ではかなり珍しい。注文をさばくためにキッチンに篭っていることが多いからだ。男子中高生の中には、
接客が晶子でないことを露骨に嫌がる奴も居たりする。晶子に指輪をプレゼントして以降だからやむを得ない部分もあると思ってはいるが。
そういった客からは絶好の機会に、田中さんはコートを脱ぎつつ努めて冷静。晶子の案内を受けて通りに面している方とは逆の、マスターと潤子さんの家の玄関が
ある方の窓際の席に案内する。水とお絞りくらいは俺が運ぼうかな、と思った矢先、晶子が早足で俺の横を通り過ぎ、水とお絞りを持って田中さんの前に置く。

「祐司さんはステージに上がってください。その間の接客は私がしますから。」

 晶子はそれだけ言ってキッチンに向かう。硬い表情も相俟って吐き捨てるような感じだ。理由を聞かせたりそれに答えたりする機会はないし与えない、と言わんばかりだ。
田中さんを警戒するのは兎も角、ここまで露骨に態度に出すほどのもんだろうか?何だかな・・・。
まあ、ステージに上がるつもりだったし、突っ立ってるわけにもいかないからステージに向かう。幾分人が少なくなった店内から拍手が起こる。さて、何を演奏するか・・・。
土日目前の今だからゆったりした曲を。「I'M IN YOU」にするか。サックスの部分を原曲に近づけられるよう、エレキを選択。シーケンサに曲データをロードして準備完了。
椅子に腰掛けてギターを構えてフットスイッチを踏む。
 エレキバージョンだとサックスの部分を原曲に近づけられる代わりに、エフェクトを切り替える手間が増える。原曲だとアコギとピアノという、音が自在に伸びる
エレキやサックスとは全然違う楽器のソロがあるから、その部分でエフェクトを切り替える。サックスの部分は軽くオーバードライブを利かせて、アコギとピアノの部分は
リバーブ(註:残響を作り出すエフェクト)主体で、ディレイ(註:山彦のように後発の音を生じるエフェクト)を少し加えたものだ。さて、演奏を・・・。
 演奏を終える。客席から大きな拍手。続けて2、3曲演奏したいんだが、店の混み具合が許さない。客席に向かって一礼してからギターをスタンドに立てかけ、
ステージを下りる。挨拶も兼ねて客席をざっと周り、片付ける食器がないことを確認してからキッチンへ。丁度晶子がキッチンに入ったところだった。

「あ、祐司君。丁度良いところ。」
「何ですか?」
「晶子ちゃんと交代でキッチンに入って。」
「え?」

 思わず聞き返して耳を疑う。俺が殆ど料理出来ないってことは、潤子さんも知ってる筈。そんな俺にキッチンを担当させるなんて、店の評判を落とすだけだと思うんだが。

「洗い物が多いから、そっちをお願いしたいの。」
「洗い物、ですか。分かりました。」

 洗い物なら一応出来る。注文が多いってことはそれだけ空いた食器が出るということ。空いた食器を片付けるのも店の営業には不可欠だ。
晶子がキッチンから出るが、硬い表情且つ無言でそそくさと俺の隣を通り過ぎていく。何時もなら「お疲れ様です」とか穏やかな顔で一声かけるんだが、田中さんが
来た程度でどうしてそんな態度になるんだ?何だかモヤモヤしたものを感じる。
 キッチンに入って積み重なっている食器を洗い始める。数はかなりある。食べ盛りの−俺も結構食う方だが−中高生の客が多いし、その嵐がひと段落したところだから、
多いのも当然だろう。むしろ、これだけの食器が営業時以外は食器棚に収納されていることの方が不思議と言えるかもしれない。
まず、あれば残飯類をゴミ箱に入れる。この店の客は料理が美味いのもあってか、料理が残されることは少ない。あったとしても僅かだから、ゴミの量は割と少ない。
続いて布巾で全体の汚れをふき取ってから、洗剤をつけたスポンジで全体を隈なく拭う。ある程度数が溜まったら、指で擦りながら水洗いする。この繰り返しだ。
手順を踏まえて慣れればそれほど難しい作業じゃない。
 それにしても、晶子の態度はどうしたものか・・・。少なくとも田中さんを邪険にしたり、間違っても「帰れ」とは言ってないようだが−そうだとしたら大変なことになる−、
俺にまで露骨に嫌悪感を示さなくても良いと思うんだが。田中さんの意図は分からないし、晶子の荒れ具合はどうにもしようがないし・・・。

「祐司君。」

 不意に潤子さんの声がかかる。皿を洗いながら考え込んでいたから、少し気付くのが遅れた。

「あ、はい。」
「そのままで良いから、話を聞いてね。」
「・・・はい。」

 手を動かしながら人の話を聞くのは意外に難しいが、晶子と店で話をする機会が一番多い潤子さんの話は聞いておくべきだ。前に田中さんが来店した時にその日から
晶子を泊めるよう促したのも潤子さんだし。

「試験期間中から晶子ちゃんと同居状態だってことは、晶子ちゃんから聞いてるわ。昨日まで、・・・違う。あの女性(ひと)が来店する直前まで、晶子ちゃん自身が
普段のことに話が及ぶと嬉しそうに話してたから。店の定休日明けの火曜だと、昨日の夕食にはこれを作って、そのために祐司君と買い物に行ったとか、呆れるのを
通り越して笑っちゃうくらいのお惚気ぶりでね。」
「・・・。」
「それが、あの女性が来た途端に一変したのよ。表情は平静を装ってたけど、視線が全てを物語ってたわ。一言で言うなら『何をしに来た』ね。祐司君は普段接客の
殆どをしてくれてるから、そのままだと祐司君があの女性に接する−祐司君にとっては他のお客さんと変わらないだろうけど、そういうことになるから。だから晶子ちゃんが
キッチンから出て席に案内した。多分今日あの女性が帰るまで、晶子ちゃんが接客するでしょうね。祐司君をあの女性に近づけないために。あの女性が祐司君に
寄り付かせないため、って言った方が正しいかもしれない。」
「俺は浮気してみようとか、そんなことは・・・。」
「私もないと思う。浮気されることでどれだけその人が傷つくかは祐司君自身よく分かってるだろうし、祐司君は良い意味で甲斐性がないから、そんな気持ちは
欠片もないと思う。晶子ちゃんもそう思ってる。」
「だったら、どうして?」

 もう、何が何だか分からなくなってきた。晶子も潤子さんと同じく、俺が浮気するとは思わないし、しようとも思ってないと思っている−この時点でややこしい−。
なのに、俺を田中さんから遠ざけ、やきもちと言えるのかどうか分からないが、そんな態度を露にしたりする。どれが晶子の本心なのか、否、晶子が何を考えて
いるのかさえよく分からない。

「そう思ってるけど、思ってしまうのよ。」
「何なんですか?それ。」
「舌足らずだったわね。祐司君が浮気をすることはないと思うけど、もしかしたら、って思ってしまう。・・・そう言えば分かるかしら?」
「・・・つまりは、完全に思っては居ないってことですか?」
「そうじゃない。完全に思ってるところに何もないところからいきなり浮上する。無から有が生じるって言い方も出来るけど、そんなところ。」

 禅問答みたいだ。俺が浮気をしないと100%思っていても、浮気をするんじゃないかと思う気持ちが生じてしまう。それって結局、浮気するんじゃないかという
疑念があるから生じるんじゃないか?「火のないところに煙は立たぬ」って言うように。

「・・・あんまり、こういう例示の仕方は良くないとは思うけど、あえて使って言うわね。」

 皿洗いが半分ほど進んだところで、潤子さんからの説明が再開される。俺はとりあえず聞くことに徹する。

「祐司君は晶子ちゃんと付き合う前に、高校時代からの彼女が居た。あれは夏頃だったかしらね。落ち着かない様子だった祐司君に店の営業が終わってから尋ねたら、
当時付き合っていたその彼女の挙動が不安だ、って答えてくれた。その時、彼女が本当に浮気するとは思わないけど行動を見てると大丈夫かって不安に思う、とも
言った。祐司君が不安と恐怖で揺れ動いてる様子が感じ取れた。」
「・・・。」
「結局その彼女とは、相手の祐司君を試すのも兼ねた軽はずみの浮気で破局した。それまで皆勤だった上に、遅刻もしなかった祐司君がいきなり無断欠勤したし、
そのことを話してくれた時の祐司君の絶望ぶりは見ていて痛々しかった。心が物凄く傷ついてしまったことがね。」
「・・・。」
「破局するまで、祐司君は彼女との仲がずっと続くと思ってた。だけど、不安に感じる部分があった。それが不幸にも的中してしまった・・・。祐司君が凄く傷ついて
絶望しきったのは無理からぬことだと思うし、祐司君の心の古傷を抉ることになっちゃったけど、今の晶子ちゃんはあの時の祐司君とよく似た心境なんだと思う。
ずっと続くと思ってる今の自分の幸せが壊れるんじゃないか、ってね。」

 分かるような気がしないでもない。あの時は、宮城との仲がずっと続いて、何時かまでは言えないにしても結婚に至るものだと思っていた。だけど、宮城から聞く
向こうでの付き合いに男の影が見え始め、それが色濃くなってきた。不安に思った。それでも大丈夫だと思っていた。けどいきなりの最後通牒で破局した。あの時の
絶望感は今でも思い出せるし、二度と味わいたくないと思う。
 だけど、細かい状況は似ているようで違う。俺と宮城とは遠距離恋愛だったが、俺と晶子は今や半同居状態。宮城は元々「幅広い交友範囲」を同じ女だけじゃなく
男方面にも望む傾向があったが、俺は真逆。宮城は俺と「身近な男」を天秤にかけていることを仄めかしたりもしたが、俺は一度もそんなことをしてない。疑われたり
不安に思われたりする余地はまったくないと思うんだがな・・・。

「晶子ちゃんの過去がどんなものだったかは、私もマスターも聞いてないから知らない。けど、今の晶子ちゃんは祐司君を絶対手放したくない、祐司君との未来を
絶対手放したくない、って強く思ってる。だからその分、その願いを壊そうしていると晶子ちゃんが感じた動きに対しては凄く警戒するんだと思う。やきもちの一種ね。」
「・・・。」
「祐司君はまさか、と思ってることでも、晶子ちゃんには現実味を帯びた不安なんだと思う。あの女性がどういうつもりかはしらないけど、前に来店した時のことも
踏まえると、祐司君に対して何らかのアクションを起こそうとしてる、起こし始めてるのかもしれない。晶子ちゃんはそれを敏感に感じ取って、祐司君をあの女性から
遠ざけようとしてるんだと思う。」
「・・・俺はどうしたら良いんですか?」

 今一番聞きたいことを言う。晶子が不安に晒されているのは分かるような気がする。だけど、俺には「じゃあ一度田中さんと」なんて気持ちは毛頭ない。晶子の不安を
解消するために俺に今以上に何が出来るのか、それが一番知りたい。俺の頭じゃ考えが及ばない。

「今のままで居てあげて。」
「今のままって、どういう・・・。」
「晶子ちゃんだけを愛してあげる。それだけで良いの。晶子ちゃんが何より望んでることはそれだから。」

 本当に禅問答みたいだ。今の生活状況でも晶子は不安の衝動に駆られてるっていうのに、晶子が望むのは今の状況だからそのままで良いと言われても、それで
大丈夫なのかとしか思えない。

「晶子ちゃんは今、自分でもどうして良いか分からないほど混乱してるんだと思う。良い意味で甲斐性がない祐司君は、自分にそんな気がまったくないのに晶子ちゃんが
勝手に不安がってるとしか思えないかもしれない。そこから、これでも完全に自分が浮気しないと信じられないのか、って訝る気持ちが生じるかもしれない。」
「・・・。」
「だけど、祐司君は今のままで居て。今のまま晶子ちゃんだけを愛してあげて。祐司君としては事態が飲み込めないのに勝手に話が進行してるように感じられてならないかも
しれないけど、祐司君が晶子ちゃんへの気持ちを変えないで居ることが、晶子ちゃんの心の拠り所になる。苦しいと思うけど・・・、晶子ちゃんだけを愛してあげて。」

 俺は皿を洗いながら、分かりました、とだけ言う。晶子が混乱してる事情は分かったつもりだ。だが、当の俺自身事態を飲み込めていない。それこそ俺の知らないところで
勝手に話が進んでいるとしか思えない。だけど、俺は晶子を宥めたり叱咤したりしないで、どっしり腰を据えているしかないのか・・・?
俺が晶子に出来ることは、今のところ全てしているつもりだ。約半月の半同居生活で、晶子は一言も不満を口にしなかった。今のままで居る・・・。つまりは、晶子が
解消を言い出さない限り半同居生活を継続すれば良いんだろうか?
 2人暮らすのがやっとの狭い部屋。晶子の衣類は買い物に出かけた際に立ち寄って交換する以外は、1週間分しかない状況。それを継続することが晶子の心の
拠り所になるんだろうか?今の今までそれを続けていて尚晶子が混乱を来たしている状況では・・・それしか思い浮かばない。

 店の今日の営業は終了。田中さんも勿論帰っている。結局代金の支払いまでずっと晶子が対応して、その後キッチンの入れ替わりをした。皿洗いなら何とかなるが
料理までは手に負えない。1人で全てのコンロとまな板に対応していた潤子さんが、今回の晶子の混乱で一番迷惑を被ったと思う。それでも嫌な顔一つしないところは
流石だ。「仕事の後の1杯」を済ませて、俺と晶子は揃って俺の家に帰宅。暖房と電灯のスイッチを入れ、顔を洗ってうがいをする。何時もと同じ流れだが、晶子が
最低限の返事以外一言も喋っていないのは今も続いている。脱いだコートをハンガーにかけて、思わず溜息1つ。潤子さんは「今のまま」と言われているが、
どうしたもんだか・・・。
 晶子もコートを脱いでハンガーにかける。とりあえず風呂でも沸かすかと思った時、晶子が部屋の電気を消す。どうしたのか、と思った俺に、晶子が早足で歩み寄り、
俺の首に抱きついて唇を塞ぐ。その勢いで倒れそうになるのをこらえるのがやっとの俺は、晶子の舌の侵入に抗う術がない。
口の中を斑なく引っ掻き回され、舌に絡みつかれて吸われて、ようやく解放。潜水からの浮上直後のように肺の空気を交換している間に、抱きついたままの晶子が
俺の耳元で言う。

「抱いて・・・ください・・・。」

 晶子は俺の心変わりを恐れている。潤子さんは晶子の混乱に動じず何時もどおりで居るように言った。となれば、今の俺がすること、出来ることはただ一つ・・・。

何度目かはカウント出来ない。それくらい数を重ねた。
汗ばんだ白い身体が前後に、上下に、激しく動く。
熱い吐息と悩ましい喘ぎ声。時にシーツを、時に俺の腕を握り締める細い手。
指と唇で白い身体の滑らかさを感じた俺は、晶子の中で何度も絶頂に達する。
その度に俺の全身は強張り、晶子が歓喜にも似た声を発する。
・・・。


 ・・・朝、か?意識は霞みがかっているが、厚手のカーテンの周囲は明るく輝いている。激しく、暑い夜を終えて迎える朝は、何時も穏やかだ。眠気を拭い取るために
目を擦る。隣を見ると、晶子の姿はない。朝飯作ってるんだろう。身体を起こして台所を見る。そこにはあるべき筈の晶子の姿がない。

「晶子?」

 俺は掛け布団に置かれていた上着を羽織って、ベッドから飛び出す。台所と繋がっている居間には間違いなく居ない。じゃあ、風呂か?居れば覗きになるのを
承知で風呂を見る。トイレも見る。だが、何処にも晶子の姿はない。そう言えば、居間の食事をする机の上に何かあったな・・・。
居間に戻る。何時も食事を摂る机の上には、ラップをかけられたサンドイッチと伏せられたマグカップ。そして、マグカップで端を押さえられているメモ用紙。
俺はメモ用紙を手に取って読む。

祐司さんへ。

おはようございます。そして、御免なさい。
少しの間、距離を置かせてください。
晶子


 身体が震えるのを感じる。改めて居間を見渡してみると、晶子のコートも服も鞄もない。揃いのマグカップや箸も消えている。俺が寝こけてる間に、荷物を全て持って
出て行ってしまった・・・!

「晶子!」

 思わず出る叫び声。だが、反応はない。そんな当然のことが心をじりじりと締め付けてくる。枕元に置いてある携帯を手に取って晶子の番号を選んで発信。
少しの沈黙の後に「この電話は電波の届かない地域に・・・」というメッセージが聞こえてくる。駄目だ。携帯の電源を切ってる。これじゃ、何処に居るかさえ
分からないじゃないか・・・!
 俺は急いで服を着て、鍵と携帯を持って家を飛び出す。向かうは晶子が入居しているマンション。そこに居るなら、管理人の人に頼んで入れてもらうという手がある。
何度も出入りするようになって、ローテーションしている管理人の人に顔を覚えられているから、事情を説明すれば何とかなるだろう。
道をひたすら走ってようやくマンションの前に到着。正面入り口脇にある小さなドアをノックする。管理人専用の通用口だ。2回目のノックの途中で上部の小窓が開く。
いきなり全部を開けると防犯上意味がないためらしい。

「おはようございます。」
「おや、おはようございます。どうされました?」
「晶子は・・・晶子は来てますか?!」
「井上さんは此処には来てませんよ。」

 まさかの返答。マンションに戻ってないとすればいったい何処に?とりあえず、管理人の人に礼を言って、携帯で今の時間を見る。10時を少し過ぎたところ。
何時も行くスーパーが営業を始めて間もない時間だ。でも、あの置手紙の内容からして、買い物に行っているとは思えない。他に晶子が行きそうなところは・・・実家?
否、それはない。晶子は実家に帰るのを頑なに拒んでいる。スーパーでもなく実家でもなく、まさか大学でもないとすれば、行先は・・・あそこか?
 改めて管理人の人に礼を言って、俺は再び駆け出す。喉が干上がるような感覚を覚えるが、そんなことに構ってられない。まだ冷気がほんのり残る閑静な住宅街を走る。
ひたすら走る。見えてきた。小高い丘と白い洋風作りの建物。思い当たるのはもう、此処しかない。普段出入りに使う店の出入り口じゃなく、裏側にあるマスターと
潤子さんの家の玄関へ向かう。
インターホンを押す。両膝に手を当てて肺に呼吸を送る。どちらさまですか、と潤子さんの声が聞こえてくる。俺は急いでインターホンに向き直る。

「お・・・、おはようございます。祐司です。」
「あ、祐司君。」
「晶子は此処に来てますよね?」

 俺の問いかけに、潤子さんからの返答はない。晶子は此処に居ると逆に確信出来る。

「居るんでしょう?!潤子さん!!」
「・・・今行くから、ちょっと待ってて。」

 そう言って切れた潤子さんは、明らかに躊躇っている口ぶりだった。明瞭な潤子さんらしくない。
晶子に口止めされているのかどうだか知らないが、晶子の真意が分からない以上、多少強引な手段も覚悟するしかない。ドアの鍵が外され、ドアが開く。潤子さんと
マスターが揃って顔を出す。どちらの表情も硬い。

「・・・居るんですね?晶子は。」

 俺の確認に、潤子さんは少し躊躇い気味に小さく頷く。下を見ると、晶子の靴がある。此処に来ているのは間違いない。

「会わせてください!!晶子に!!」
「今は・・・出来ない。」
「口止めされてるんですか?!」
「それもあるけど、私とマスターの意向でもあるのよ。」
「それっていったい・・・。」
「祐司君。落ち着いてから話を聞いてくれ。」

 話の相手が潤子さんからマスターにバトンタッチする。晶子から何か聞いてるかもしれない。何度か深い息を繰り返して呼吸と高ぶる胸をどうにか鎮める。

「今朝早く、井上さんが来たんだ。鞄を持ってたからもしや、と思ったら案の定。少しの間居させて欲しいって。俺と潤子は中に入れた。今は2階の部屋で寝てる。
何でも昨夜は寝てなかったそうだ。寝ている祐司君の横でずっと考えていて、夜が明けてから祐司君用の朝食を作って、荷物を纏めて出た、と言っていた。」
「考えるって、いったい何を・・・。」
「今の自分の心がどうなのかを整理するためだろう。」
「整理も何も、晶子が1人で俺が浮気するんじゃないかって不安に思って・・・。挙句の果てに荷物を纏めて出て行って・・・。どうすれば良いのか分からないのは、
俺の方ですよ・・・。」

 怒りやら情けなさやらがごちゃ混ぜになって、泣きたい気持ちになってきた。晶子の気持ちがどうなのか、何を考えているのか全然分からない。一方で晶子は俺の家を
出てマスターと潤子さんの家に転がり込んだ。俺は晶子を愛してるし、浮気するつもりはさらさらない。それで十分なんじゃないのか?何を整理する必要があるんだ?
 晶子が寝ていないらしい昨夜だってそうだ。晶子から何時も以上に強く求めてきて、俺は全力でそれに応えた。中休みと終わった後で、晶子は俺の愛情確認をした。
自分だけが俺を独占出来ることが嬉しくて幸せだ、とも言った。あれも全部口から出任せだったのか?ただ惰性で俺とセックスしただけだったのか?

「・・・祐司君が分からないのも無理はない。」

 マスターの静かな口調での言葉が、何だか空虚に聞こえる。

「正直、俺と潤子も井上さんの心境が掴めない。本人でさえ掴めないほど混乱してる。だから・・・、落ち着くまでそっとしてやるしかないと思う。」
「・・・俺が待つしかない、ってことですか?」
「そう、としか今は言えない。」
「・・・また、俺には相手の気紛れを我慢しろ、ってことですか?」

 負の連鎖ってこういうのを言うのか。宮城との遠距離恋愛の末期が嫌な形で浮かび上がってくる。
「身近な男」の話を平然とするところ。「疲れた」と言ってあからさまな嫌悪の態度を見せたと思ったら、これからも一緒に居ようと態度を豹変させたこと。かと思ったら、
日課の電話で最後通牒を押し付けられたこと。もう我慢出来なくなって、俺は電話を叩き切った。「さよなら」を言われる前に「さよなら」と言うことが、せめてもの
仕返しのつもりだった。
 また同じことを繰り返すのか?相手の言い分を信じて、結局「疲れた」だの何だのと、自分の気持ち一つでそれまでを全て切り捨ててしまう。そんな身勝手に
付き合えって言うのか?!何が「分からない」だ!何が「考える」だ!分からないし、考えたいのは俺の方だ!

「・・・気紛れかもしれないわね。祐司君にとっては。私もそう思うところがある。」

 潤子さんの言葉が、俺の疑問やそこから派生した怒りに同調する。俺の心を読んでのことではない筈だが、言葉からするに考えに共通する部分があるようだ。
男なんだから女の気持ちを分かってやれ、とだけ一方的に言われるよりはずっと気持ちが楽だ。

「祐司君が浮気するとは思えないし、祐司君が心変わりするんじゃないかって勝手に不安を膨らませていきなり家を飛び出して立てこもることは、祐司君を傷つけるし、
折角真剣に晶子ちゃんの方を向いている祐司君の気持ちを突き放すことにもなりかねないとも思う。その辺は、晶子ちゃんが起きてから私が言っておく。」
「・・・。」
「祐司君にとっては、晶子ちゃんの気紛れとも取られかねない行動は前の彼女の時を髣髴とさせるかもしれない。ただ、前の彼女の時と今とでは、少なくとも1つだけ
確実に違うことがある。」
「・・・何ですか?それって。」
「晶子ちゃんが、少しの間居させてほしい、って言ったこと。前の彼女は端的に言えば二股かけてて、祐司君を切り捨てて別の男性に乗り換えた。祐司君はそれまでの
猶予期間、酷い言い換え方をすると踏み台にした。だけど、晶子ちゃんは事情を話した後、此処から出る気はない、とも言った。自分でも分からない気持ちを整理したら
祐司君のところに戻るし、戻りたいと思ってる。」
「・・・。」
「祐司君には、ようやく厳しい試験期間を乗り越えて一息吐けると思った矢先にこんなことになって、物凄く辛いと思う。それに関して私とマスターがどうこう言う
資格はない。だけど・・・、今回は晶子ちゃんをそっとしておいてあげて。少しの間だけ。」
「少しの間だ、って・・・そんな・・・何時か分からないことを・・・。」

 情けなさややるせなさが怒りを超えてきた。少しの間って何時までだ?「少しの間」がこのままずるずる引き延ばされていくんじゃないか?
そしてそのまま、俺との関係をなかったことにする可能性もあるんじゃないか?!心の整理がついたってことを口実にして!それこそ気紛れだ。そんな気紛れに
また付き合わされて、結局俺が煮え湯を飲まされることになるっていうのか?!

「晶子ちゃんはきっと、祐司君の元に戻る。晶子ちゃんには他に行き場はないから。それこそ、大学も辞めて実家に戻るっていう手段もあるのに、そうしないんだから。」
「・・・男だからとか女だからとか、そんなことを言い訳にするようじゃ、恋愛はしない方が良い。ましてや、結婚生活は無理だと思った方が良い。今の井上さんは、
自分が女ということと祐司君が男ということに甘えている感がある。祐司君に別の女性の影が迫ってきたことに混乱して、無意識に性別を口実に逃げ出したとも言える。」

 晶子のフォローに重点を置いた−そう聞こえる−潤子さんと違って、マスターは晶子を批判するスタンスから言う。潤子さんは晶子と同じく女という意識があるのかも
しれない。マスターも男から見た女の振る舞いと見ているから言えるのかもしれない。そんなことを考えられるのは、まだ俺に余裕があるってことだろうか。
しょうもないことで余裕があるな・・・。

「ただ、今の井上さんにそういった理論的な話は通じないだろう。それこそ、井上さんが言うところの心の整理がつくまでは、ね。ここはひとつ、祐司君には
井上さんが戻るまで信じて待ってやってほしいんだ。」
「・・・やっぱり、そうきますか。」
「事実上結婚生活を送っていた祐司君と井上さんにとって、今は最初の正念場だと思う。相手の心の乱れにどう対応するか。あえてきついことを言うが・・・、乱れたのを
契機に相手を見限って突き放すもよし。」
「!」
「落ち着くまでひたすら待つのもよし。落ち着くまで別の女性と付き合ってみるのもよし、だ。」
「あなた・・・。」
「分かってる。何ら見に覚えのない祐司君に厳しい状況に耐えるかどうかの一切を委ねるってことはな。だが、これから先本当に夫婦として一緒に生活していくには、
何時も仲良く一緒にっていう状況だけ経験してたんじゃ対応しきれないこともあるだろう。」

 マスターの言葉は、心にこれまでとは違う共鳴を生む。
これからずっと一緒に暮らしていくとなると、色々な障害と対峙することになるだろう。生活をどうするかという基本的なことは勿論、相手の心理をどう受け止めるかという
ある種の駆け引きや心理戦にも。恋人関係のうちなら、くっ付くにも離れるにも色々な負の影響を残すこともあるが、まだ何とかなる。結婚して夫婦関係になると
そうはいかない。バツ一っていう「履歴」を勲章にする向きもあるが、結婚ってのはそんな安易な感覚でするもんじゃないと思っている。
今でもそうだ。法律面での裏付けはないとは言え、俺と晶子は自分達が知りうるかなりの範囲で結婚していると周知されている。積極的に話すタイプの晶子が広めた
部分もあるし、俺が公言して広めた部分もある。理由は色々だが、俺自身はこんな機会はもうないと思っている。言い換えれば、晶子と別れたら以後結婚の機会は
ないということだ。
 見た目背も大して高くないし、顔もぱっとしない。経済的には困窮している方に属する。自分と付き合ったり結婚したりすることで得られるメリットは、と聞かれれば
直ぐに思いつかないのが現状だ。幾ら「見た目より中身が肝心」と言っても、中身を感じるまで付き合いが深まるか、それより先に別の「目標」の見た目に惹かれて
「さよなら」されると相成るかのどちらか、というのもこれまた現状だ。
宮城と別れた後は、もう恋愛なんて御免だと思った。晶子と付き合い始めて、指輪のプレゼント以降の仲の深まりで、晶子と結婚したい、ずっと一緒に居たい、と
思うようになった。その思いは今でも・・・変わらない。
 世間体とかそんなことは大して気にしない。だが、「勿体無い」コールは連呼されるだろう。今まで混乱してるってことに状況が分からないこともあって怒りさえ
感じていたが、このまま怒りに任せて自ら「勿体無い」事態にするかどうかは・・・、マスターの言うとおり俺次第なのかもしれない。
俺も混乱していたように思う。マスターの極論−でもそのとおりなんだが−も交えた言葉で我に帰ったのかもしれない。沸騰しやすい方の頭が冷えて、このまま
曖昧な別れに終わることを未然に防げたのなら、それで良い。

「晶子がどうして混乱してるのか、どんな風に混乱してるのかは今も分かりませんけど・・・。」
「・・・。」
「・・・晶子に、こう伝えてもらえますか?」

 少し考えて頭の中を整理して、纏まってから今思うことを、晶子に伝えたいことを言う。

「急に実家に帰らなきゃならなくなったとか、そういうこと以外では少なくとも3月いっぱいは、俺も此処に居る。無論引っ越す気もない。戻る場所はあるから・・・、
少しの間って書いてあったから・・・、待ってる。指輪もペンダントも、そのままだ。・・・お願い出来ますか?」 「分かった。確かに伝えておくよ。」
「・・・祐司君。」
「ずっと一緒だったから・・・、それが当たり前に思っていたところもあります。朝起きたら台所の方を見たのも、多分・・・。」

 頭の中は纏めたつもりでも、ちょっとした拍子に散開しそうだ。晶子が突然居なくなったという事実に直面して生じた動揺は鎮められない。出て来い、帰って来い、と
言えたらどんなに楽か、とも思う。だが、正念場だからこそその誘惑に屈しちゃいけない。

「俺が一昨年帰省した時くらい、ですね。何時でも会えるって環境じゃなくなったのは・・・。その時の俺は成人式が終わったら戻る、っていう具合にさほど深刻に、
否、重大事項とは考えてませんでした・・・。でも・・・、晶子は1日1時間、1秒が長く苦しく感じてたのかもしれないですね・・・。」

 言ってて辛くなってきた。待つとは言った。その気持ちは変わらない。だけどひっきりなしに揺れている。しかも激しく強く。
晶子はこの建物の2階に居る。距離を測れば100mに満たないだろう。なのに絶対上れない断崖絶壁のように感じられてならない。降って沸いたような出来事を前に、
取り乱さないように保つのが精一杯だ。とてもカッコのつくことは言えない。

「とりあえず、晶子が何処か知らない遠くへ行ってないってことが分かって・・・良かったです。・・・あ、バイトはどうするか、聞いてますか?」
「否、聞いてない。鞄を持った井上さんから事情を聞いて、潤子が2階の部屋に布団を敷いて寝かせたというところまでだ。時間までは分からないが祐司君がうちを、
店じゃなくてこっちを訪ねて来ると思って、それを潤子と待ってた。」
「・・・昨日も祐司君と一緒に帰ったのに夜が明けたら荷物を纏めて出て来たぐらいだから、バイトにも顔を出さないかもしれない。」
「ですよね・・・。」

 少しばかり期待してみたが、期待しない方が良さそうだ。晶子は普段とバイトとで別の顔を出来るタイプじゃない。そうじゃなかったら、付き合う前から自分の家に
男1人俺を招き入れるようなことはしないだろう。今のバイトも、俺との距離を縮めるのが当初の目的だったんだから。

「一先ず・・・俺は自分の家に戻ります。・・・朝からお騒がせして、すみませんでした。」
「私とマスターのことは気にしないで、今は祐司君と晶子ちゃんのことだけ考えて。私とマスターも双方の話し相手になるし、話は電話でも良いから、遠慮しないで。」
「・・・はい。」
「井上さんの心の具合が分からないのは、俺と潤子も同じだ。井上さん本人が分かりかねてるくらいだから、分かる方が不思議だと思う。」

 マスターの静かな口調での語りをじっと聞く。

「今までの祐司君と井上さんの関係は、俺から見るに、井上さんの気持ちに祐司君が応じるような形で進んできたように思う。祐司君にはそれまで経験したことが
なかったことかもしれないし、当初は祐司君の心に恋愛に対する強大な不信感が存在した。そこから井上さんの気持ちに応じられるように気持ちを切り替えたのは、
祐司君の偉業と言って良い。」
「・・・。」
「井上さんは今まで祐司君を愛して、その分祐司君から愛される関係で居られた。そこに邪魔が入ることはあまり考えてなかった。あるとすれば、自分が祐司君以外の
男性から好意を向けられることだが、それは予測していた部分があった。でも、祐司君とは異性との交友について幾分価値観の相違があったし、井上さんがそれを
甘く見越していた部分もある。」
「・・・。」
「今回は、井上さんの予測の範疇を超える出来事なんだろう。予測出来ること、すなわち、自分が祐司君以外の男性から好意を向けられることには、以前の一件で
厳重警戒する必要性を痛感しただろうし、祐司君が自分以外の女性にも恋愛感情を向ける可能性は、まったくないと言って良いくらい低いと判断したから、井上さんは
安心して祐司君を独占してこられた。ところが今回、予測の範疇を超える出来事を井上さんは感じ取っている。本当かどうか分からない予測の段階でこれだけの混乱を
来たしたんだから、井上さんの独占欲は、祐司君のそれをある意味はるかに上回る強大なものとも言える。」
「・・・。」
「問題の女性が本当に祐司君に好意を向けているかどうかは分からないけど、前にも言ったように何らかのアクションを取ろうとしているし、起こしているのかもしれない。
祐司君がどうとかそういう次元の話じゃなくて、晶子ちゃんがそうだと判断して物凄く警戒して、今回は自分でも分からないくらいの混乱に陥った。・・・こんなところかしらね。」

 最後は潤子さんが締めくくる。俺は独占欲が強い方だと自覚している。だが、マスターと潤子さんの言うとおり、晶子は俺以上に独占欲が強いとも言える。
付き合い始めて最初の誕生日プレゼントの指輪を左手薬指に填めるよう譲らなかったのも、その指輪が意味する関係を度合いの強弱は違っても周囲に公表してきたのも、
そうだと考えれば納得がいく部分がある。
 前にも智一が言っていたが、何故そこまで俺に尽くすのか、熱を上げるのか不思議に思うこともある。だが、俺や周囲がどう思おうが、俺自身が顔見世するまで
文学部で俺の評価が芳しくなかった頃でも、晶子は俺に熱中していた。その分、それを阻害する向きに過敏になるし、過敏になるあまり別の深刻な症状が生じてしまう。
今回の場合だと自分でも分からないほどの混乱だが、花粉とかのアレルギーと似通っているように思う。さながら「やきもちアレルギー」ってところか。

「今が大学の春休みなのは幸か不幸か、これまた分からないけど・・・。」
「良かったと・・・思っておきます。」

 潤子さんの当惑を自分で結論付ける。そう思わないと、一応落ち着いた俺の思考がまた混乱し始めかねない。今でも暴れだしそうな心に無理やり蓋をして抑えこんで
いるようなもんだしな・・・。
 はマスターと潤子さんに改めて礼と謝罪を言って、店兼渡辺夫妻の家を後にする。晶子の居場所は分かった。物理的距離は100mにも満たない。だけど、
心理的距離は無限遠。本当にどうしたんだ・・・?晶子は・・・。

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