written by Moonstone
「−で、この確率を求めるにはな。」
昼飯の後、2階の修之の部屋で俺は数学Tを教えている。「−と、こうするわけだ。」
「あー、なるほど。ようやく分かった。」
「公式と教科書にある例題の解き方だけ丸暗記してたのが失敗だったな。それだと此処で行き詰っちまう。」
「うーん。難しいな。」
「ま、俺が使ってた徹底練習問題集があるんだから、これの問題群Aをこなせるようにしておけば、センター試験は十分クリア出来る筈だ。繰り返しやってみることだな。」
「兄貴が家に置いていってくれて助かった。こんなの、俺の高校じゃ使ってないからさ。」
「それは仕方ない。学校の性質が違うんだから。」
「数学はひとまずこんなところだな。次は英語か。問題集とかはあるのか?」
「あ、あるある。やっぱり兄貴が使ってた問題集。これ。」
「科目が代わるから講師も交代だ。晶子、頼む。」
「はい。」
「お、お願いします。」
「緊張しなくて良いですよ。」
「分からないのは、どの辺りですか?」
「あ、はい。えっと・・・、この部分です。どうも意味が読み辛くて・・・。」
「じゃあまず、このページをひととおり声に出して読んでみて下さい。」
「え?どうしてですか?」
「それは後でお話しますから、とりあえず騙されたとでも思って。」
「はい。じゃあ・・・。」
「文の意味は凡そでも掴めましたか?」
「いえ、殆ど・・・。文法が苦手なんで・・・。」
「日本語を読む感覚で英文を理解しようとすると、混乱の原因になるんですよ。」
「英語の問題を解く際に必要なのは、日本語と英語では根本的に文法が異なるということを頭に入れておくことです。よく聞いてくださいね。」
「あ、はい。」
「日本語は助詞によって主語になったり目的語になったりしますよね。例えば『私』という一人称代名詞でも、『は』や『が』をつければ『私は』『私が』という具合に
主語になりますし、『を』や『に』をつければ今度は『私を』『私に』というように目的語になります。此処までは良いですか?」
「あ、はい。」
「一方英語には助詞というものがありません。『私は』という主語は『I』ですが、目的格の『私を』や『私に』は、『me』という形に変化します。
一般の名詞、例えば机の『desk』としますと、それ自体だけでは主語か目的語か、それとも『机に置いてある』という意味で使うのか、全然分かりませんよね。
これは分かりますか?」
「あ、確かに。」
「日本語は助詞をつけることによって主語になったり目的語になったりと変化しますから、それを知っていれば、文章の何処にあっても余程のことがない限り
文が崩れて読み取れないとかいうことはありませんが、英語はある程度順番があります。一例を挙げながら説明しますね。まず、主語があって、次に肯定や否定、
出来る出来ないや時間−現在形や過去形といったものを助動詞や『don't』などを使って表して、次に動詞本体が来て、以降は目的語や前置詞を伴っての場所や時間と
いったものの指定、という順番があります。つまり、日本語で言うと例えば、『私は見た』とかいう具合に主語と述語を並べて、あとで『女性が買い物をするのを』とか
『TV番組を』とか目的語や目的語に相当する文節、そして『スーパーで』とか『リビングで』とかいう場所やその時間といったものを並べるんです。こんな感じで
英語と日本語では文法そのものが大きく違いますから、日本語と同じ感覚で主語を言って次に目的語とかそういうのを言って、と探しながら読んでいくと
理解し難くなるんですよ。」
「それからもう1つ。英語はさっきお話したように主語の次に出来る出来ないや時間を表す助動詞や動詞が来ることもあって、主語と述語の間を短くする
傾向にあるんです。例えばこの部分。」
「此処にItから始まって次に動詞があって、that以降に文章がありますよね?」
「はい。」
「これも例の1つです。主語が長くなるのを避ける傾向にありますから、itでまず主語を仮に設置して述語を言って、that以降でitの本体、つまり主語を言っているんです。
英語を使うには、日本語と違ってある程度文法が固定されているということを念頭に置けば、文章の構造も把握しやすくなりますし、英訳する時もスムーズに
出来るようになりますよ。」
「あー、なるほど。問題でも『itが指し示すものは何か』とかいうのが多いのは、それが理由なんですね?」
「そう考えてもらって結構ですよ。最初に日本語と英語では文法が根本的に異なるということを置くことを理解して、日本語を読む感覚で英語を読まないように
すること、英語はあくまで英語として捉えることが大切なんです。あとは教科書や問題集にあるような決まり文句を覚えて、そして兎に角単語を覚える。
これで大体の英文は読めるようになりますし、英文を書くのも楽になりますよ。」
「やっぱり・・・単語は覚えないといけないんですか?」
「それは必要不可欠です。英語に限らず、言葉は文法だけあっても単語がないことには成立しませんからね。例えば、『食べ物を煮る』の『煮る』は英語では
何と言いますか?」
「『煮る』。・・・えっと・・・。」
「普段当たり前のように使っている単語でも英語だと途端に出てこなくなるようだと、文法をどれだけ知っていても使いようがない、ということが分かってもらえますか?」
「あ、はい。」
「ちなみに『煮る』は英語だと『boil』です。単語だけひたすら覚えようとすると苦痛でしょうから、兎に角多くの英文を読んでみることですね。英語らしく声に出して
読むと更に効果的です。それを繰り返せば文章の概要は把握出来るようになってきますから、あとは身の回りにある、さっき例に挙げた『煮る』などの動詞や道具と
いったものを英語ではどう言えば良いか、英語でその動作とかを表現するにはどうすれば良いか、とか考えるようにして、分からなかったら辞書を使ったりして調べる。
そうすれば単語のストックも増えていきますし、英文にも親しめるようになりますよ。」
「単語を覚えるのと、発音を覚えるのとを別々にしないこともポイントですね。別々に覚えるのはやっぱり苦痛になりますから、辞書を引いたりするときには
発音記号も見るようにして、実際に声に出して読んでみる。常に発音を意識するようにしていると、単語の発音にはある程度共通する傾向があることが見えてきますから、
発音の問題も簡単に解けるようになりますよ。」
「へー。」
「さすが、兄貴と同じ新京大の現役学生。俺とは全然違いますね。」
「別に大学は関係ありませんよ。ただ、さっきまで修之さんのお兄さんでもある祐司さんが言っていたように、教科書や問題集に出てくる公式や文法を丸暗記するだけだと
応用が効かなくなりますから、あくまでそれは道具の1つとみて実際に問題に取り組むようにすれば良いんですよ。前置きが長くなりましたけど、解説していきますね。」
「おやつ持ってきましたよ。」
母さんはいたって愛想良く、持っていたトレイを部屋の中央にあるテーブルに置く。一口サイズのチョコレートやクッキー、キャンディが並べられた皿と「祐司と修之は兎も角、井上さんも一息入れてください。」
「わざわざありがとうございます。」
「いえいえ。こうして今日来ていただいたのに修之の勉強を見てもらってるんですから。」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。修之さん。此処で休憩にしましょう。」
「あ、はい。」
「何かありましたら井上さん、遠慮なく伝えてくださいね。」
「重ね重ねありがとうございます。」
「じゃあ、修之。兄さんも居るんだから、今日みっちり教えてもらいなさいよ。」
「はいよ。」
「あー、兄貴が来てくれて助かった。父さんも母さんも塾に行かないで自分で何とかしろ、って言うし、かと言って兄貴が置いていった問題集も思うように解けないし、
小宮栄大も新麻布大も結構倍率高いしで、困ってたんだ。」
「今年の倍率って、どのくらいだ?」
「センター試験直前も市の結果の段階でだけど、小宮栄大が2.2倍で、新麻布大が3.5倍って予想。」
「俺が受験した年とさほど変わりはないな・・・。でも修之は3年になって急転換だから、きついよな。」
「そうなんだよ。兄貴みたいに1年からテストとかで受験対策してないし、予備校の模擬試験は受けられるけど、それ以上のフォローとかは殆どないからなぁ。俺の学校。」
「まだ時間はあるから、あの問題集の問題をひととおり解けるようにしておけば大丈夫だ。」
「でも、兄貴が向こうで付き合い始めた彼女を今日連れてくるとは思わなかったな。」
修之の話題の急転換に、俺は少し啜ったコーヒーを噴出しそうになる。「去年兄貴が帰ってきた時に話は聞いたけど、本物を見ると一発だから良いよな。」
「何が良いんだ。」
「兄貴が言ったイメージと本物とじゃ、違う可能性もあるからさぁ。」
「祐司さんからは私についてどう伺ったんですか?」
「あ、髪は腰近くまである茶色がかったストレートで、色白で目がぱっちりしてて、可愛いって言うより綺麗って言う方が適切な顔つきで、背は兄貴より少し低い
程度だ、って。もっと詳しく知りたかったんですけど、兄貴その時写真とか持ってなかったんで、兄貴がいう綺麗ってどんなのかな、ってちょっと疑問だったんですよ。」
「今日拝見して、どうですか?」
「凄い美人でびっくりしました。『え?本当にあんな綺麗な女性(ひと)が兄貴の彼女?』って。」
「ありがとうございます。」
「モデルとかそういうのにならないか、ってスカウトされたことはないんですか?」
「いえ、ないですよ。」
「小宮栄の町だと結構芸能プロダクションのスカウトがうろついてて、そのスカウト以外は眼中にないっていう女が結構居るんですけど、井上さんが歩けば
そんな女なんか放っておいて突進してきますよ。」
「小宮栄に行ったことはないんですか?」
「何度かありますけど、全部祐司さんと一緒でしたね。普段は大学とバイトがありますから、新京市から出ることは殆どないんですよ。」
「男くっついてる女にはスカウトも声をかけないでしょうから、兄貴は結構虫除けになってるんですね。」
「修之、お前なあ。」
「でも、事実じゃん。」
「祐司さんは虫除けじゃありませんよ。守り神なんです。」
「守り神、ですか?」
「そうですよ。私をそういう声や手から何時も守ってくれる、私だけのかけがえのない守り神なんです。祐司さんと一緒に居られない時でも、祐司さんに填めてもらった
指輪が私を守ってくれてるんですから。」
「あ、そう言えば兄貴がプレゼントしたんですよね?その指輪。」
「ええ。以来ずっと填めてるんですよ。」
「へえ・・・。シンプルなデザインですね。それに光り方が何て言うのか・・・、柔らかいですね。なあ兄貴。これって兄貴が井上さんと一緒に選んだのか?」
「否、俺が一人で捜して選んだ。晶子にはプレゼントするまで内緒にしていた。」
「へえ。ファッションとかには無頓着な兄貴が選んだとは思えないな。」
「で、兄貴はこれを井上さんの手を取って填めた、と。」
「ああ。」
「兄貴が井上さんに結婚指輪填めさせたのって、付き合い始めてからどれだけ経ってから?」
「正式に付き合い始めたのがクリスマスで、指輪をプレゼントしたのが翌年の5月4日、晶子の誕生日だから、大体5ヶ月ってところか。」
「5ヶ月で結婚指輪?兄貴って、かなり手が早いな。」
「もうちょっと言い方何とかしろ。」
「だってそうじゃん。付き合って半月で結婚指輪填めさせるなんて、手が早いとしか言いようがないじゃんか。」
「う・・・。」
「それにしても兄貴、よくこんな綺麗な女性と知り合えたよなぁ。何処でひっかけたんだ?」
「引っ掛けたんじゃない。コンビニのレジで偶然横に並んだのがきっかけだ。」
「そして、私の方からアプローチを始めたんですよ。」
「え?井上さんの方から?」
「何でまた・・・。新京大だと兄貴や井上さんみたいな頭の良い学生が多くて、ルックスとかそういうもののレベルはあんまり高くないですから、大学でも結構
目立つんじゃないですか?文学部なんですから女の比率は高いでしょうけど、その辺の男が放ってはおかないと思うんですけど・・・。そっちの方には興味
無かったんですか?」
「全然無かったですね。声をかけられたことはありましたけど、お付き合いする気はなかったんです。」
「なのに兄貴と知り合って、井上さんの方からアプローチをかけて兄貴に結婚指輪を填めてもらうまでに至るなんて・・・。何か兄貴に脅されたとか、
そういうんじゃないんですか?」
「修之。お前、何て言い方しやがる。」
「だってさぁ。それくらいしか想像出来ないんだよ。生活費の足りない分は自分でバイトして補填する、って約束で新京市で一人暮らし出来るようになった兄貴に、
女を口説くテクニックを磨く暇なんて無いだろ?」
「まあ、な。」
「なのに、どうやって兄貴が井上さんからアプローチを受けるようになったのか、不思議なんだよなぁ・・・。」
「恋愛は必ずしも見た目とか第一印象とかで成立するものじゃないんですよ。」
「人によりけりですけど、異性として自分の心を捉える何かを持っていれば恋愛感情は生じてきますし、それが双方に芽生えて向き合うことで、2つの心に
1つの絆の橋が架かるものなんです。祐司さんと私の場合は、最初私の方から気持ちが芽生えて、一緒のバイトをさせてもらうことになってお話しする時間を
多く持てるようになったりするうちに、祐司さんに私の気持ちが通じて、お付き合いすることになった。そういうものなんです。」
「はあ、なるほど・・・。」
「井上さんが将来、俺の義理の姉さんになるんだよなぁ。」
修之の発言で、今度は飲んでいたコーヒーを別の方向に通しそうになる。びっくりさせるな、と言っても無理か。とりあえず本来の通路にコーヒーを通して呼吸を整える。「な、おい、修之。」
「だってそうだろ?まさか結婚指輪填めさせておいてただの付き合いではいおしまい、なんてことはないだろ?」
「それは当然だ。いきなり話が飛躍したから焦っただけだ。それにまだ婚姻届は出してないから、事実婚の状態だし。」
「指輪填めてたら説明しなきゃ区別つかないって。去年だってそうだったじゃんか。」
「去年、というと祐司さんがこちらに戻られた。」
「はい。兄貴が今の指輪を今の位置に填めてたもんで俺もそうですけど、父さんも母さんも、正月に回った親戚とかも聞いたんですよ。兄貴は『アクセサリーだ』って
言うだけでしたけど、兄貴が井上さんと付き合ってるって先に聞いてたから、兄貴は照れてるだけだって直ぐ分かりましたよ。」
「そうなんですか。」
「兄貴、井上さんのことを誰かに聞かれて話す時は絶対顔赤くしてましたし。」
「去年のことは言うな。」
「あー、将来学校の奴等とかに自慢出来るなぁ。こんな美人で凄く性格も良い女性が俺の義理の姉さんなんだぞ、ってさ。」
「自慢、ねぇ・・・。」
「父さんと母さんの受けも最高だし、文句なしじゃん。あー、俺も大学受かって井上さんみたいな彼女捜そうっと。」
「それじゃ、コーヒーを飲み終えたら勉強を再開しましょうね。受験に合格すれば、その先は自ずと開けてきますから。」
「はい。頑張ります。」
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