雨上がりの午後
Chapter 190 雪里から向かうは故郷
written by Moonstone
朝食を済ませた俺達は、荷物を纏めるためにそれぞれの部屋に戻った。
長いようで短かった雪里での年末年始の暮らしと小さな同窓会。高校時代を共に歩んだ大切な友人達との時間。そして晶子との時間。
これも大切な思い出になるし、これから必要な決意を後押しする糧になるだろう。否、糧にしていかないといけない。思い出を溜めること自体はそう難しくないが、
それを生かせるかどうかが大切なところだ。
「過ぎてしまうと、あっという間に思えますね。」
隣で荷物を纏めていた晶子が、少し感慨深げに言う。
「それに、凄く収穫の多い旅行でした。」
「そうか?」
「ええ。人や音が幾つも行き交う普段の生活から隔絶された此処で過ごせたことは勿論ですし、祐司さんが私との写真を送ったっていうお友達の皆さんとも
お会い出来ました。良いお友達が居て、祐司さんは充実した高校時代を過ごせたことも分かりました。」
「・・・あいつらと一緒にバンドやって来られたことが俺の高校生活を大きく変えたことは、俺自身この旅行で改めてよく分かった。」
「それに、祐司さんが高校時代から人を魅せる腕を持つギタリストだったことも分かりましたし、私が知るより前から祐司さんは思いやりがあって
親切な人だったことも分かって・・・。」
「修学旅行のことか?」
「はい。」
「あれは演奏が急に止まって様子を見たらギターの人が蹲ってたのもあるし、同じ班の人に促されたのもあるから、思いやりとかそういうのとは・・・。」
「でも、実際に祐司さんが飛び入りでギターを担当してそのバンドの演奏を続けて、お客さんを多く集めたんですよね?」
「それは・・・まあ・・・確かに・・・。」
「思っていても自分ではなかなか出来ないものですよ。祐司さんはそれを実行して現にお客さんを多く集めた・・・。それは祐司さんのギタリストとしての腕が確かで、
人を魅せるものを備えている何よりの証拠ですよ。」
晶子に褒められると照れくさいが嬉しくもある。
あの時も演奏が終わった後、人垣に混じって鑑賞していた同じ班の人達や様子を聞いた他の班の人達に感嘆と拍手で迎えられたし、話を聞いた−こういう話は
伝達速度が異常に早い−宮城やその友人達からも感嘆や称賛、冷やかしを受けた。
その一部始終が晶子に伝わり、称賛を受けたことはあの記憶の輪郭を改めて鮮明にすると同時に、より嬉しさを増す。友人や恋人でなくても褒められれば嬉しい。
ましてや晶子なら嬉しくならない筈がない。
「私が初めて今のお店を訪ねた時に、祐司さんが『AZURE』を演奏していたのを思い出しました。」
「・・・あ、晶子が最初に聞いた俺のレパートリーは『AZURE』だったっけ。」
晶子が言って少しのタイムラグを挟んで、あの時の記憶が蘇る。
俺が完成させたばかりのレパートリーを持ち込んで早速ステージで演奏した。それまでで最も客の称賛の度合いが高かったその曲を演奏し終えてカウンターへ
戻った時に目にしたのは、驚嘆した様子で拍手をしていた晶子だった。
あれは宮城から最後通牒を突きつけられて程ない頃で、今振り返ってみると酷くささくれ立っていた時期だ。それに何かにつけて付き纏われるような気がして、
警戒感どころか嫌悪感すら感じた。そんなこともあって、晶子の称賛をまったく受け入れずに接客に戻った。
ところが晶子はそれで諦めることなく客として居続け、翌日にはバイトに加わった。
当時は、調理担当がもう1人欲しいという潤子さんの要望で晶子を加えたマスターを恨めしく思ったが、あの頃の晶子の執念がなかったら、今の俺と晶子の関係はなかった。
振り返ってみると出逢いってのは不思議なもんだな。
「『AZURE』も・・・また、聞きたいです。」
「新京市に帰ったら、演奏するよ。他のなしで、俺のギターだけで。」
「期待してますね。」
店ではMIDIを使って、「AZURE」だと主にピアノとストリングスだがそれも演奏させる。簡単に言うなれば楽器でのカラオケだ。
俺がバイトを始めた当初は今よりまだ客が少なかったから手持ちの楽器でのソロを基軸にしたアレンジで雰囲気を出していたが、客席が長時間空く日が
なくなってきたのもあって、聞いた時に客が「あ、この曲聞いたことある」と分かるようにMIDI演奏を伴うアレンジに方針転換している。
単音しか出せないサックスを演奏するマスターと、やはり1つの声しか同時に出せないヴォーカルの晶子は俺なり潤子さんなりMIDIなり、何らかの形で
他の音を付属させないとかなり厳しい。客も晶子が手がける倉木麻衣の歌をはじめ、TV−最近電源を入れた記憶もないが−やラジオの番組中に流れるフュージョンを
「曲は聞いたことあるけどタイトルは知らない」という人がかなり多い。そこから考えるとアレンジやデータ作成の負担は大きくなったが、方針転換は妥当な線だと思う。
俺に限ってだが、「AZURE」は元々ギターだけでも十分雰囲気がある曲だし、最初のアレンジもギターソロで十分なものだと思っている。
俺自身気に入っているし、晶子もやはり思い出深いのかお気に入りだ。10分にも満たない時間だが、それで晶子は喜んでくれる。それくらいなら寝る時間を削ってでもする。
荷物を纏め終える。着替えとかが入った鞄しか手荷物がないから、纏めるのは俺でもそう苦労はしない。箪笥を開けて2人分のコートとマフラーを手に取ったところで
昨夜の面子とのやり取りが思い浮かんでくる。
・・・。
「祐司さん?」
後ろから声をかけてきた晶子に、俺は自分のコートを羽織らせる。頭から覆い被せるんじゃなくて、肩にかけるようにして。
「あ・・・。」
「どうだ?」
反応を窺う。驚いたというか突然の出来事に反応出来ないような表情から、ゆっくり両手を肩にかかったコートに持っていき、感触を確かめるのと並行して表情が綻び、
嬉しさを噛み締めるような笑顔を浮かべて襟元を引き寄せる。
「温かい・・・。」
「外の方がもっと良かったんだろうけど。」
「此処で十分です。外だと祐司さんが寒い思いをすることになっちゃいますから。」
晶子と俺とは身長差があまりない。高校卒業以来身体測定から遠ざかっているから間違いないとは言えないが、年齢から考えてもう身長が伸びることはない筈だから−
それが気にかかる時が偶にある−俺は170cm。対する晶子はやはり高校時代の測定結果と前置きした上で165cmと言っていた。2人揃って立って並ぶと、晶子の額が
俺の目線に入るから、身長差は5cm程度だと考えて間違いないだろおう。
だからコートの裾が床に付くとかそういうことはない。けど、晶子は俺のコートが着られたこと、俺がコートを羽織らせたことが嬉しいらしい。
現に晶子は嬉しそうな顔そのままで身体を右に左に繰り返し捻っては、背中の方を見たり襟元を見たりしている。
「そんなに・・・珍しいか?」
「嬉しいのと楽しいのが混じってるんです。祐司さんが着てる服ってこんな感じなんだって分かりますから。」
新調して気に入った服の着心地を確かめている様子そのものの晶子は、俺が見ていても嬉しくなる。
コートを羽織らせたことでこんなに嬉しがるとは思わなかったという意外性もあるが、晶子が嬉しがるのを見られるという満足感や喜びといったものが大きい。
誰かに何かをして喜ばれれば嬉しくなるもんだからな。
「新京市に帰ったら、また着せてくださいね。」
「ああ。勿論。」
一頻り着心地を楽しんだ晶子は、俺にコートを返す。俺は晶子にコートとマフラーを渡して、自分のコートを着てマフラーを巻く。
これで出発の準備は完了。財布も携帯も部屋の鍵も持った。土産物は昨日鞄に入れておいたから、忘れ物の心配はない。
俺と晶子は部屋を出て、部屋に鍵をかけてから揃って1階に向かう。集合は1階ロビーと決めてあるから、そこで全員が揃うのを待っていれば良い。
朝食の混雑の時間が過ぎたのもあって、ロビーは人気が殆どない。面子はまだ来ていない。スキー用具を持参していたりするとその分手間もかかるだろうから
それは仕方ない。先に俺が受付のカウンターに赴いて鍵を返し、晶子とソファに座って面子が揃うのを待つ。
少しして面子がそれぞれの荷物を持って下りてくる。面子はそれぞれの部屋の鍵を返す。
これで全員がこの宿を出る準備が完了したことになる。俺と晶子は席を立って面子と合流する。
「全員チェックアウトは済んだから、宿を出て駅に向かおう。」
ありがとうございました、という言葉の見送りを背に受けて、耕次が先頭になって宿を出る。外は雪こそ降ってないが寒いことには違いない。
観光客とかで賑わう大通りを歩いていく。時々スキー用具などを持った人達や慰安旅行か何かで訪れたらしい比較的年配の集団とすれ違う。
休みはまだこれから、という人も居るだろう。
往路を逆向きに辿ってバス停に到着し、新幹線の駅に向かうバスが来るのを待つ。時刻表を見ると、田舎の割には1時間辺りの本数が多い。1時間あたり3本はある。
通勤か何かで−新幹線と並行する形で在来線もある−使われる朝夕の時間帯だと5本とかそれくらいある。
あの町の人々全員が観光業で生計を維持しているとは限らないし、不況対策として町の再開発をしたくらいだから会社勤めをしている人も居るんだろう。
暫く待っていると、除雪された雪道を慎重に走ってきたバスが見えてくる。
バスがバス停で止まってドアを開けるが、降りてくる人は居ない。それを確認してから全員が乗り込む。
車内はかなり空いていて、全員が2人ずつで座れる余裕は十分ある。部屋の割り振りと同じ組み合わせで並んで腰掛け、動き始めたバスの窓から外の風景を眺める。
高校時代を共に過ごした面子と本格的な同窓会。そして・・・晶子との事実上の新婚旅行。良い思い出がまた1つ出来たが、それに浸ってばかりはいられない。
次の目標を見据えてそれに向かって歩いていこう。面子の助言を受けたりしながら、晶子と一緒に・・・。
小宮栄方面に向かう新幹線の車内。復路もグリーン車。こだまだからかどうかは知らないが、随分空いていて勿体無いくらいだ。
ゆったりした座席に腰掛け、時々窓の外を見やっては高速で代わっていく景色を見る。白が目立つ風景はまだ続いている。
小宮栄に着いたら今回の旅行は終わる。その後面子は実家に戻り、それぞれの滞在期間を過ごしてから大学への通学で普段使っている自宅に戻る。
勝平は自宅通学だからそのままだが。
さて、俺だが・・・。
小宮栄で降りれば俺と晶子が普段暮らす新京市方面への電車と、俺の実家がある方面への電車が控えている。前者は新京市での生活に戻るだけだから、
後は大学の講義再開と今年のバイトの始まりを待つのみとなる。後者は俺にとっては1年ぶりの帰省。そして晶子を俺の両親に合わせる機会に繋がる。
どちらを取るべきか・・・。景色を見るのはそこに答えがあるかもしれないという、他愛のない希望がなせる業かもしれない。
だが、各駅停車のこだまといえども乗車時間は2時間そこそこ。残された時間は本当にあと僅かだ。このまま新京市に戻って残りの冬休みを晶子との
一緒の暮らしに充てるのも魅力的だ。だけど、来年は来年でどうなるか分からない。その前に両親に晶子を紹介しておくべきか、という思いもある。
どうしたもんかな・・・。
疚しい付き合いじゃないし、両親、特に母さんが会いたがっているから顔見世程度か晶子に俺の生まれ育った場所を案内するのも兼ねての一時帰省、否、
一瞬帰省するのも良いだろう。だけど、俺の進路を頻りに気にしている両親のことだ。顔見世を終えて帰ろうとしたら引き止められて今後の話に引きずり込まれそうな
気がしてならない。
今年帰省しなかったのは、晶子とゆっくりじっくり考えたかったからだ。なのに進路の話し合いという名目で進路を押し付けられるのは−俺の両親は
そういう傾向がある−迷惑だし、今年帰省しないことにした理由からすれば本末転倒そのものでしかない。それなら真っ直ぐ新京市に帰って、
晶子との同居をしながらこれからの自分を考えてみたい。
どちらに行くにしても、晶子は俺と一緒に来る。晶子自身俺の両親に会って挨拶したいようだし、俺が実家へ向かわないならそれで俺との同居生活に頭を切り替えるだろう。
決定権は一応俺にある。だが手にしている権利はあまりにも・・・重い。
実家に寄って「この娘(こ)が井上晶子さん」って両親に紹介して、引き止めるのを無視してさっさと新京市に戻って、バイトと大学が始まるまで晶子と同居、と
ある意味自分本位で行動出来れば済むことだ。それは分かってるけど、同じ指に同じ指輪を填めている相手をきちんと紹介しておきたい、というある種古めかしい
考えが足枷になっている。人間の考え方なんてそう簡単に変えられるもんじゃないからな。
溜息一つ。本当にどうしたら良いんだろう?
自分のことなんだから自分で決めろ、とは言うが出来ることが制限されていて決めること自体が難しいことを適当に済ませられるほど、楽観的な思考回路を持ち合わせてない。
こういうところが問題なんだろうけど・・・。
また溜息が出る。1年ぶりに一堂に会した面子に晶子も加わっての温泉旅行からの帰路には似つかわしくない憂鬱。こういうところも変わってないな、と
自分自身を思ってまた溜息。
どうしたもんかな・・・。
左手に柔らかい感触を感じる。見ると、細くてしなやかな晶子の右手が、俺の左手に乗せられている。
「晶子・・・?」
思わず問いかけた俺に、晶子は穏やかで柔らかい微笑を向ける。
「祐司さん1人で何もかもしなければならない、なんて思わないでくださいね。私と祐司さんは助け合い、支え合う間柄なんですから。」
「・・・。」
「例えば、の話ですけど、祐司さんが実家に私を連れて行って顔見世を終えたら帰るつもりでしたら、私が明日からバイトですから、とか言いますよ。
祐司さんのご両親は祐司さんが自分のバイトで生活費を補填することを当然ご存知ですから、引き止めることは出来ませんよ。」
「晶子・・・。」
「こういう嘘なら良いと思うんです。祐司さんのご両親を欺くことには違いありませんけど、祐司さんが今年帰省しなかったのは、冬休みの間にゆっくり
考えたかったからなんですし、そうすることでも役に立つなら、私はそうします。」
「・・・ありがとう。」
俺は左手を裏返して晶子の指の間に自分の指を通し、痛くないと思う程度に軽く握る。それと同時に晶子の手も俺の手を握る。
そうだ・・・。俺1人じゃないんだ・・・。憂鬱が安堵と前に踏み出す勇気に変わっていくのを感じる。
今こうしているように、2人手を取り合って進んでいくと決めた相手が居るんだ。俺との絆以外何も望まない相手が・・・。
「間もなく小宮栄。小宮栄に到着いたします。」
車内にアナウンスが流れる。それから程なくして見覚えのあるホームの風景が次第に速度を落としながら窓越しに流れ込んでくる。
俺は席を立ってコートを着てマフラーを巻き−言うまでもなく車内は暖房が効いている−、鞄を持って出入り口に向かう。
面子もそれぞれコートとマフラーを着用して、荷物を持つ。
列車が止まって少しの間をおいてドアが開き、耕次を先頭にして降りる。
奥濃戸方面の新幹線は小宮栄が発車駅でもあるし終着駅でもある。ホームの発車時刻案内を見ると、俺達が乗ってきた新幹線は「回送」となっている。
それもあって、両脇で客が待ち構えているということはなく、スムーズに降りられる。
途中勝平から配布された切符で改札口を通り、複数の電車の発車・終着駅でもあり特急などの停車駅でもある小宮栄の広大な駅構内に入る。
此処から案内に沿って行く方向が俺達の帰る方向となる。俺と晶子は今後の行く末を大きく左右する分岐点に立っていると言っても過言じゃない。
「じゃあ、俺達はこのまま実家方面へ向かう。祐司は晶子さんとどうするんだ?」
「・・・皆と同じだ。」
決まっていた腹の中身を口にする。そう。俺は決めた。晶子を俺の実家に連れて行くと。
晶子を両親に紹介してその日のうちに新京市に帰る。小宮栄を中心に行ったり来たりをすることになるが、それは必然的なこと。
「そうか。俺達がああだこうだ言える立場じゃないから、祐司がどうしようと口は挟まないつもりだった。そう決めたんだったら、行って来い。晶子さんを連れて。」
「ああ。」
俺に尋ねた耕次を含む面子全員の表情は、俺の決意を称賛すると同時にこれからの決意を促すものだ。
今日晶子を連れて行くのは第一歩。どんな偉業でも始めの一歩がある。
俺が晶子とこれからの人生を歩むことは偉業とは言えないかもしれない。だけど、始めの一歩を踏み出すことには違いない。その一歩を今日踏み出すと決めた。
「どうやって帰るんだ?」
「高校時代に此処を行き来した道のりで帰る。一部だけど、俺が高校時代に見た風景を晶子にも見てほしいからな。」
小宮栄からは、俺の実家がある地域への高速バスが出ている。それを使えば乗り換えの手間は当然省けるが、晶子には俺が見てきた風景の一部を見てほしいから
今回はあえて電車とバスを乗り継いでいくと決めている。
「てことは、麻生(あさぶ)まで俺達と一緒か。」
「ああ。そこから高校時代に俺が使ってた青海(おうみ)線を使って、バスに乗り換えるってパターンだ。」
俺が高校時代に使っていた電車は、此処小宮栄を終点−始点でもある−とする中央線と、その中ほどにある麻生駅から分岐している青海線。
青海線の最寄り駅から俺の実家まではそれなりに距離があるんだが、雨が降ろうが雪が降ろうがレインコートを着て行き来していた。
最寄り駅から徒歩1分ほどのところにバス停がある。そこから割と実家近くまで行けるんだが、混雑回避のために自転車で行き来した。
それに、バスには渋滞というものも付き纏う。バスの路線には朝晩の出勤ラッシュでかなり混雑する道があって、バスを尻目に駅へ向かうこともしばしばあった。
レインコートを着ての行き来は結構鬱陶しいものがあったが、結果的にはあれでよかったと思っている。
「祐司は道案内も兼ねることになるな。晶子さんは祐司の実家方面へ行くのは初めてですよね?」
「はい。」
「しっかり教えてやれよ?」
「分かってる。」
耕次の念押しには、俺の決意へのものも含まれている。
今日は顔見世だけだが、1年後かもしかしたらそれより前に、もう一度晶子を案内する時が来る。今日はその予行演習と考えて良さそうだ。
面子と一緒に、新京市とはほぼ正反対の方向に向かう。「中央線連絡口」とある改札の前で切符を買う。面子が先にそれぞれの分を買う。
耕次と渉と宏一は中学が同じということもあって最寄り駅も同じだ。勝平は中央線で麻生駅より快速急行で先に2つ進んだ駅が最寄り。俺は麻生駅で乗り換える
青海線の柳駅までの切符を買う。700円・・・。去年帰省した時は高速バスを使ったからよく憶えてないが、高校時代より少し高くなっているような気がする。
晶子が俺と同じ切符を買った後、全員で改札を通って通路を歩き、階段を上る。
中央線は殆どが高架になっているから、小宮栄の駅構内全般から見ると上部に位置する。だからといって片方が2車線あるわけじゃない。
単に幹線道路と交差するところが多いからこうなったに過ぎない。特に小宮栄周辺は大きな道路が入り乱れている場所だからな。
1つしかないホームに入る。全員共通の麻生駅は中央線で特急以外で一番停車駅が少ない快速急行の停車駅の1つ。快速急行なら20分程度で到着する。
他に急行と準急と普通、そして特急がある。特急は全車指定席なのもあって乗った試しがない。
発車時刻案内とその隣にある時計を見ると、次発とある快速急行の発車時刻まで10分ほどある。・・・この際だ。実家に電話しておくか。
麻生駅や柳駅でも良いんだが、早いに越したことはないだろう。俺は携帯を取り出して広げ、「念のため」的に登録しておいた実家の電話番号を選択して発信し、耳に当てる。
「はい、安藤でございます。」
コール音が3回目の途中で切れて、母さんの声に代わる。最近毎週のように聞いているせいもあってか、感慨とかそういうものはない。
「あ、母さん?俺。祐司だよ。」
「祐司?あんた、この年末年始いったい何処に行ってたの?電話をかけてもちっとも出やしないし。」
身内、特に俺や弟相手になると口調と声のトーンが一変するのもやっぱり同じだ。
一応慣れたとは言え、もうちょっと何とかならないもんかな・・・。自営業だってこと、忘れやしないか?
「言っておいただろ?高校時代のバンド仲間と奥平温泉へ旅行に行ってたんだ。」
「ああ、本田君達とね。そうならそうと出かける前に一言電話しなさい。」
「今、中央線の小宮栄駅に居るんだ。今から実家に行く。」
「あ、そう。」
「今日は俺だけじゃなくて、ま・・・井上さんを連れて行く。」
「え?そうなの?」
普段名前で呼んでいるせいでちょっと躓いたが、晶子を連れて行くと言った途端に母さんの声が変わる。
驚きと同時に期待感が生じているのが電話越しにでも分かる。
「今何処に居るの?何時頃こっちに来るの?」
「さっき、中央線の小宮栄駅に居るって言っただろ?もう直ぐ来る快速に乗るから、1時間半でそっちに着くと思う。」
「高速バスを使いなさい。小宮栄の駅から出てるでしょ?」
「今日は旅行帰りに顔見世しようって思い立っただけだし、急ぐこともないから電車とバスを乗り継いで行く。」
「変わった子ねぇ。早く来なさいよ?」
「はいはい。じゃ、もう直ぐ電車が来るから。」
母さんが自分のペースに乗せようと色んな意味で足元をすくう前に、俺は電話を切る。こうでもしないと収拾がつかない。思わず溜息が出てしまう。
「相変わらずみたいだな。小母さん。」
「相変わらずだよ。俺はこんなの毎週受けてるんだぞ?」
耕次の同情めいた言葉で愚痴がこぼれる。
面子はそれぞれの家に何度も行き来しているから、ある程度は親の性格なんかを把握している。
耕次の両親は俺からすればこれで良いのかと思うくらいの放任主義だから−そう思う時点で親の影響を受けていることが分かるというのも皮肉な話だが−、
余計にそう思うんだろう。
「晶子さんを連れて行く、って祐司が言ったところで様相が一変したようだな。」
「分かるか?耕次。」
「伊達に法律家志望を気取ってるわけじゃない。小母さん、晶子さんを早く連れてくるように言ったようだし。」
「そこまで読めるなら手を貸してくれ、って言っても無理だよな・・・。」
また溜息が出てしまう。
面子とは麻布駅で分岐するし、それは今後も変わらない。面子の援助に依存してばかりはいられない。今日は自分で言ったとおり、晶子を実家に連れて行って
両親に紹介して新京市にとんぼ返りする、という段取りを遵守することを念頭に置くことだ。そうすれば少なくとも今回は進路のごり押しを回避出来る。
問題の先送りでしかないかもしれない。だけど、ごり押しされるよりはましだ。
この年末年始の限られた、でも貴重な時間を利用してじっくり自分の行く末を見据えたい。惰性にせよごり押しにせよ、流されるという点では同じだし、
それで結果がどうなっても「あの時あんな選択をしなかったら」という後悔だけになるだけだ。自分で選んだのなら少なくとも「自分で選んだんだから」と思える。
良いのか悪いのかは別として。
「間もなくホームに電車が到着いたします。黄色い線の内側までお下がりください。」
ホームに流れるアナウンスを契機に、俺は思考を打ち切る。
これから先暫くは、俺が高校時代に何度も見た、でも見るたびに何かが、何処かが変わっていく風景を晶子に紹介することに専念しよう。晶子から見てどう映るのか知りたい。
3回目の停車に合わせてのドアの開きと共に、俺を含む全員が電車を降りる。
2年ぶりに踏む麻布駅のホームは記憶と変わらないが、見える風景は少し違う。高校時代はなかった高層ビルがあったり、逆にあった筈のビルがなくなっていたりする。
変わらないところの代表は、駅に隣接する大型デパートだ。外見は変わらないが、中に入っている店は変わってるんだろうな。
去年帰省した時は、小宮栄駅から出ている高速バスを使った。丁度路線が新設されたばかりで、小宮栄駅から実家に電話をかけたら、高速バスの路線が出来たから
それを使うと早い、と言われて興味半分で乗ってみた。乗り継ぎの手間はないし、一度座ったら最寄のバス停に到着するまでのんびりしていられた。
1時間に2本しかないから、乗り過ごすと最悪30分待たないといけないのが難だが。
今回は高校時代に面子や宮城と小宮栄に行く時に使ったルートを辿っている。面子全員若しくは俺と宮城がこの麻布駅で待ち合わせて、快速急行で小宮栄へ
向かうという構図だった。そこから先はライブハウスだったりそこが経営している小さなスタジオだったり、書店や喫茶店やデパートだったりと、相手によって変化した。
今日も方向こそ違うが構図はほぼ同じだ。
「じゃ、此処で解散かな。」
耕次が言う。
此処麻布駅からは、俺が晶子を実家に連れて行くために乗る青海線の他に3つ支線が出ている。小宮栄は新幹線や俺と晶子が今住んでいる新京市方面などへ向かう
路線が一堂に会する総合駅で、麻布駅は中央線という限定条件が付属する総合駅だ。駅を降りれば麻布市−俺達面子が住んでいて卒業した高校もある市の名前−の
中心街に出られる。
「俺は事務所に寄ってから帰る。渉と宏一は次の電車に乗るか?」
「此処に用はないからそうする。」
「俺は合コン用のグッズを買い出しに行くから、一旦降りるぜ。」
「そうか。勝平は?」
「俺はこのまま帰る。明日の家の仕事始めで、俺も年頭の挨拶することになってるから。」
「さすがは次期社長だな。」
「豪華な社長室でふんぞり返ってるだけの社長なんて、会社の金の無駄遣いだ。」
「それは言える。で、祐司は晶子さんを連れて実家へ向かう、と。」
「ああ。」
それぞれの行き先が明確になった。
耕次が言った「事務所」とは法律事務所のことで、将来法律関係の仕事の参考にということで、大学進学当初からその事務所の活動−労働組合の運動とか
そういうもの−に参加している。此処麻生市にもその法律事務所と同じ系列の法律事務所があるそうだ。
渉は自分が言ったとおり「用が済んだから帰る」で、宏一も言葉どおり。勝平は明日に備えるべく自宅に戻る。そして俺は、晶子を連れて実家に向かう。
5人が完全に別行動となる。こういうパターンは俺達バンドでは何も珍しいことじゃない。「何時でも何処でも一緒=親しい間柄ではない」というわけだ。
少なくとも、俺達バンドでは。
「祐司。お前の携帯の電話番号は、面子に限って転送しておく。」
散会しようとしたところで、渉が言う。渉とは向こうに居た時連絡を取れるようにってことで、携帯の着信履歴とかからアドレス帳に登録しておいたんだったな。
「名簿業者に漏らすことはしないし、そもそもそんな業者との伝なんてないから、その辺は心配しないことだ。」
「分かってる。俺の方もこのまま残しておく。」
「この際だ。祐司は残る3人の携帯の番号を登録しておけ。あって困ることはないだろう。電話しなけりゃそのまま残るだけだし、男友達っていう立場から
晶子さんとはまた違う見方も出来るだろう。緊急連絡網とでも思っておけば良い。」
「晶子さんも必要だったら、後で祐司から聞いてください。」
「分かりました。」
早速面子全員が携帯を取り出して、それぞれの番号を言う。俺は携帯を操作して耕次と勝平と宏一の携帯の番号を登録する。
渉のもの以外で今まで登録してあるのは、晶子の携帯と自宅の電話番号、店の電話番号、そして実家の電話番号。必要最小限だがそれで不自由することはなかった。
こうして登録しておけば、渉の言ったとおり晶子とは違う角度からの見解や意見とかを聞くことが出来るだろう。
全員といっても3人分しかないから、登録は直ぐ終わる。
携帯の操作は着信音作りの過程で随分慣れて、最初の頃無意識に使った右手も今はまったく使わずに左手だけで操作出来る。操作は慣れたが、メールの文面が
テンプレートそのままのものしか出来ないのは、文章力のなさ故か。
「また、会おうぜ。今度は大学卒業の時だな。」
「そうだな。一度集合して4月からの新住所とかを教え合うとするか。」
「祐司と晶子さんの結婚式で集合っていうのが、俺は理想だけどな。」
耕次と次の集合時期を話し合っていたと思ったら、宏一の奴、いきなり俺と晶子の方に話を振ってきた。
突然のことに言葉がなかなか出ない。面子が半分にやけながら注目する中、平常心を取り戻した俺は宣言する。
「その時が来たら、必ず皆を呼ぶ。皆が来易い曜日と場所を選んでな。」
「その言葉、確かに聴いたぜ?楽しみにしてるからな。」
俺は面子全員と握手を交わす。そのそれぞれに激励や叱咤が込められているのを感じる。
大学受験同様有言実行を果たすかどうかは俺にかかっている。俺に課せられた使命はこれまで以上に大きくて重い。だが、それに押し潰されるようじゃ
結婚どころの話じゃない。持ち上げて放り投げるくらいの気構えが必要だ。
晶子が面子全員と挨拶を交わしてから−握手じゃなくて一礼を交えたものだ−、俺は面子と別れて、晶子を案内する形で青海線への連絡通路に向かう。
一歩歩く毎に重大な局面から発せられる威圧感が強まってくる。それに抗しながらやや長い、高校時代より幾分整備された連絡通路を歩く。
久しぶりに乗る青海線。そこから見える風景。全てが晶子にとって新鮮なものだ。俺が晶子と向かえる大切な時間は着実に近づいてきている・・・。
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